学者達はワノ国の文化に慣れようと頑張っていた。
室内では靴を脱ぐとか、着物の着方とか、畳での生活とか。
まぁ、環境がガラリと変わってストレスもあるだろう。ゆっくり慣れていけば良いさと伝えているが、郷に入っては郷に従えとも言うし、彼らなりに異文化を理解しようとしているのだろう。
おでん達にはまず謝った。彼らが世界政府に反して空白の100年の研究をしていること、ポーネグリフ研究が政府にバレて逃げてきたこと。
ワノ国をそんな危険に晒してしまったことへの謝罪である。
彼らは頭を下げた俺にたいそう慌てていたが、気にするなと言ってくれた。
政府も大滝と悪天候を周囲に持つワノ国にはそうそう来れないだろう。逃亡先としては正解だとフォローもしてくれた。
大急ぎで蔵の建設もしてくれると言うし、いやはや頭が上がらない。
帰ってきたと思ったら特大の面倒事を引き連れてきた俺にも、ワノ国は優しかった。
あと久しぶりに半月堂の練り切りと抹茶が食べられたのも嬉しかったな。最近女将さんが娘さんを産んだらしい。
俺は蔵が完成し、本を全て下ろすまでワノ国に滞在することにした。久しぶりの“黒姫”の帰還に九里はお祭り騒ぎだった。
「あきつ丸様、お久しぶりでございます」
「トキ殿。息災なようで何よりであります。今回は大変なことを任せてしまって……」
「いえ! あきつ丸様がワノ国を救ってくださった恩に比べれば、このくらいなんともございません! おでん様も外の文化がより深く知れると喜んでらっしゃいましたよ」
そう、この学者達を迎えるにあたって、俺は交換条件を出した。
それが蔵にある本を、オハラの時と同じく民間人にも公開することである。
ポーネグリフ研究の資料は勿論別だが、全知の樹の蔵書として置いてある本は一般公開し、ワノ国の人間にも見られるようにすること。
学者達にも了承は得ている。知識が広まることに抵抗が無い彼らはむしろそれくらいしないと衣食住の対価にならないと焦っていた。
ワノ国にも学ぶことが好きな者はいるし、外のことを知りたい者もいる。
そんな彼らの知識欲を少しでも満たすことのできる場所になってくれれば良い。
急ピッチで進められる蔵の建造は、ワノ国自慢の大工たちによってそれはもう速やかに造られることとなった。
蔵ができたら、あとはひたすら本を並べていく作業。
これは学者総出でジャンル、作者、年代などオハラの配架とほぼ同じようにひたすら巨大な蔵のなかに入れていく。
何万冊とある本の配架はそれだけで重労働だ。
俺の背嚢が空っぽになる頃には、ワノ国に来て一ヶ月以上が経っていた。
「はー、ようやく本の整理が終わったであります」
「随分とありましたからね。お疲れ様です」
「トキ殿も手伝ってくれて助かったであります。……モモの助殿たちは?」
「お昼寝の時間です。ふふ、三人とも元気ですよ」
「それはなにより」
ヤマトのことは少し心配だったのだが、うまく馴染めているようだ。不穏な噂はカン十郎が揉み消すだろうし、安全は保たれている。
本の整理が終わり、学者達もそこそこワノ国に慣れてきた。
なら、俺ができることはもう無い。
後のことはおでん達に任せて、俺はまた旅に戻るとするかな。
「また旅にお戻りに?」
「はい、元々今回は長居するつもりもなかったでありますから」
「またいつでもいらして下さい。あなたの居場所はずっとこのワノ国にありますから」
「これでも第二の故郷として、想っているのでありますよ」
おでんとの手合わせも何回かしたし、赤鞘メンバーとも顔を合わせた。半月堂の和菓子も食べた。
なら、もうワノ国成分はじゅうぶん補給できた。
明日、ワノ国を発とう。
俺は久しぶりに城で一夜を明かすことになった。
*
早朝、俺は港に立っていた。潮風が気持ちいい。
くぁ、とあくびをしてしまう、まだ雲の隙間から明かりがうっすら見えるといった程の時間。
幾分か軽くなった背中。オハラで過ごしていた時の焦燥感が薄まり、海の匂いが近くて安心する。
いい船出になりそうだ。ワノ国の連中には見送りは不要だと伝えてある。
海に繰り出そうとした時だった。
「待って!」
背後から声をかけられ、足を止める。
振り向けば、そこにはロビンがいた。ワノ国の着物ではなく、いつもの黒いワンピースを着ている。
見送りは不要だと言ったんだけどな。そもそも学者達には俺がここを去ることを言ってなかったんだが。
「ほんとに、ここから行っちゃうの……?」
「自分はもとより旅人。ひと所にはそうそう留まらないであります」
「姫様って呼ばれてたのに?」
「あれはまぁ……不可抗力というか、あだ名みたいなものであります」
別に大名の家系とかじゃ無いし、おでんと結婚とか死んでもごめんだし、ほんとに傳ジロー達が勝手に言い出したあだ名だ。
ワノ国の将軍にも認められているから、地位的なものは多少あるかもしれないけど。
ロビンはなんだか切羽詰まったような、何かを耐えるような表情をしている。
別れを惜しんでくれているのだろうか。なら、少し嬉しい。
「ねぇ……わたしも旅に連れて行って」
「え?」
しかしその口から飛び出してきたのは、思いもよらない言葉。
ロビンはギュッとワンピースの裾を握りしめる。もう表情は泣きそうになっていた。
「ロビン殿はポーネグリフも読める考古学者。下手に旅するよりもここに留まった方がはるかに安全で──」
「もう置いていかれたくないの!」
それは、いつも大人びていたロビンが初めて言い出した「ワガママ」のようだった。
本心からの叫びに、俺は怯む。
「もう誰にも置いていかれたくないの……どこに行っても、結局わたしはわたし一人な気がして、怖いの……! そんな中で、初めて『二人』になってくれたのがあきつ丸さんなの!」
ロビンはもはや大粒の涙を流して、俺の外套の裾を掴んだ。ぎゅうぎゅうと握られる裾は有無を言わせないほどの力でシワを作られている。
ロビンがこんなに必死になっているのは俺が臨死体験した時以来かもしれない。
「お母さんも、全知の樹の人たちもわたしを置いて行っちゃう! あきつ丸さんにも置いていかれたら、わたしはどうすればいいのかもうわかんないよ! わたし、沢山勉強するから! ポーネグリフが読めることだって隠し通すから!」
「ロビン殿」
「邪魔に……ならないから、連れてってよ……」
グスグスと鼻を啜るロビンをそっと抱きしめる。
彼女はきっと、誰かに置いていかれること、疎外されることを酷く恐れている。
それは母親の影響か、ポーネグリフ研究を隠された経験からか。
ロビンを外に連れていくのは危険だ。まだ体もできていない幼女を荒れている海の上に放り投げるような真似、普通はしない。
ミホークは相応の強さがあった。しかし彼女はまだ戦うことなんて碌に知らない、しかも海に嫌われた能力者。
普通なら、連れていかない。
でも……。
「世界を、敵に回しているのでありますよ。ロビン殿は」
「わかってる」
「殺されても、殺されるより酷い目にあっても、おかしくない。自分が守り切れないかもしれない」
「それも、わかってるの」
「なにより……他人を傷つける覚悟をしなくちゃならない。誰も傷つけないで渡れるほどこの世界は甘くない。それでも」
「それでもいい! 自分が幸せな死に方ができるなんて、ポーネグリフ研究を決意してからとっくに捨ててるの! あきつ丸さんが連れてってくれるならなんでもする! なんでもするから……!!」
その言葉に、俺は胸の奥がズキンと痛んだ。
別に俺は、彼女を自分に依存させたかったわけじゃない。
しかし今の彼女は世界を知らないし、俺以外に本当に信頼できる人がいない。それは……本当に、悲しい事だ。
世界を見せる事で、彼女の依存が薄れる時が来るだろうか。それこそ、あの麦わら帽子の青年がロビンに新しい世界を見せてくれないか。
俺は胸の中で泣く頭がいいけれど無知な子どもに、してやれる事を考える。
「……わかった。連れていくであります」
「! ほんと!?」
「ただし、ポーネグリフのことは言わない。どれだけ途中で帰りたくなっても、そう簡単にはワノ国には帰ってこれない。それに、自分はロビン殿が思っているより血に染まった手をしているであります。途中で失望しても、知らないでありますよ」
「あきつ丸さんが何をしてたって嫌いになることなんて無いよ」
「…………」
誰だよこの子をこんなにしたの。俺か、ごめんなさい死にます。
「それじゃあ、ロビン殿用の船を用意……されておりますな」
「いつの間に……?」
妖精さんが「えっ一緒に行くんですよね?」という顔でこちらを見ている。その妖精さんによって二人乗りの簡単な木造船が造られていた。ベッドにキッチン、倉庫に風呂もついた無駄に高性能な機能付き。
気の早い妖精さんが話してる間に作り始めたのだと思われる。
まぁ、いいけど。
「ロビン殿、船に乗るであります。自分が曳航するので。ワノ国を出発するでありますよ」
「うん! わかった」
俺は艦載機を一機長屋に飛ばす。「ロビンは連れていく」というメッセージを預けて。
さて、思わぬ旅仲間が増えた。
彼女に世界を見せるため、拾い上げてしまった責任を取るため、しばらく行先を共にしようじゃないか。
「改めて、よろしく頼むでありますよ、ロビン殿」
「うん、よろしくね、あきつ丸さん!」