人攫いに襲われたあの日、あきつ丸はローの家に行き、ローが人攫いに襲われかけたこと、自分の監督責任であることを両親に謝った。
両親は、彼女が人攫いを退治していたことを町の人から聞いていたらしく、慌ててローを助けてくれたことを感謝していた。
両者が頭を下げるという不思議な光景になったが、この誠意ある行動が両親の安心感を刺激したのか、ローがあきつ丸の家に通う事は問題なく許可された。
暴漢を捕縛した報奨金は、ロビンとローの本代になった。もちろん、全てを本に費やしたわけではないが、あきつ丸が本屋で好きな本を買ってくれたのだ。
怖い思いをしたから、その分を取り返して欲しい、という言葉だった。
ローは迷いながらも、医学の本を数冊カゴの中に入れる。きっとまたわからない文章が出てくるだろうが、それは両親に聞いたりすればいい。勉強熱心だと褒めてもらえるだろうか。
ロビンはまた様々なジャンルの本を選んでいるようだ。あんなに色んな知識を詰め込んで、頭がパンクしないのだろうか。
あきつ丸も本を選んでいるようなので、チラリとカゴの中を見た。
すると、その中には「海の戦士ソラ」が収まっている。
他の本はミステリやお菓子作りのレシピ本で、その児童書だけ異彩を放っている。
ステルス・ブラックみたいな人がステルス・ブラックが出る本を買っている。
何だかそれがおかしくて、ローは口元を本で隠してフッと笑った。
「あ」
本屋から出た後、さまざまな出店が立ち並ぶ通りであきつ丸が足を止めた。今日は確か陶器市があったはず。
あきつ丸が手に取ったのは、三つセットのマグカップだった。この町では珍しく珀鉛が使われていない。外部からの品のようだ。
黒、白、黄色の三色で、丸っこいデザインが可愛らしかった。
ロビンが「東の海で主流の陶器ね」と呟く。
「ロー殿がこれからよく家に来るでしょうし、買っておくでありますか」
「まいどあり!」
どの色がいい? と聞かれ、ローは一瞬固まる。まさか自分の分もあるとは思わなかったのだ。なんとなくかわいいから手に取ったのだと思っていた。
まだ思考がまとまらないうちに無意識で指さしたのは黄色のマグカップ。ロビンが黒のマグカップを選んだので、あきつ丸さんは白のマグカップだ。
3個セットだからかそこそこ値段のするそれをあきつ丸は軽く支払い、包んでもらっている。
なんだかあの家に少しだけ自分が座る席が明確にできたようで、嬉しかった。それと同時に、少し恥ずかしさもあった。
帰ったらこれにココアを淹れよう。そう言うあきつ丸の背中に、そっと頷く。
「なぁ、なんで海の戦士ソラを買ったんだ?」
家に帰ってきて、宣言通りココアを淹れてくれたあきつ丸に、ローは聞いてみた。
あきつ丸は頭がいいとロビンがニコニコと話していたので、児童書を読むような性格ではない気がしたのだ。海の戦士ソラはページ数こそそこそこあるが、文字は大きいし文章は簡単だしで、とても「頭がいい大人」が読むものには思えない。
あきつ丸は不思議そうに、「読みたかったから」と答えた。
「子ども向けの物語というのは案外侮れないのでありますよ」
「あなどれない?」
「子どもに読ませるからこそ、真理をついている」
その言葉が、ローにはよくわからなかった。やはりロビンの言う通り頭がいいのかもしれない。
頭上にハテナを浮かべるローに、あきつ丸は笑ってローの頭を撫でた。
「ロー殿も大人になったらわかるでありますよ」
帽子越しに感じる暖かさに、ココアの温度とは違う安心感を覚えた。
*
トラファルガー・ローがあきつ丸とロビンに会ってから三ヶ月が経とうとしていた。
ローはほとんど毎日あきつ丸とロビンの家に遊びに行き、本を読み耽った。
ロビンの買ってもらった本を読ませてもらった時もあったが、あまり興味が向かないジャンルの本を、それも難しい学術書を読むのはローには無理だった。
ロビンはローと数個しか歳が違わないのに、多種多様な知識を持っている。それは素直にすごい。
だが、医学となるとローも負けてはいられない。まだ幼い妹の自慢の兄となるためにも、ローは医学書を必死に頭に入れた。
あきつ丸はというと、レシピ本で学んだお菓子をなにかと作ってくれるようになった。
相変わらず家にいない日はいないのだが、たまに昼頃にいる時は大抵何かを作っている。
クッキーだったり、カヌレだったり、プリンだったり。
余った分をお土産に持たせてくれることもあった。
甘いそれらを食べると、頭がはっきりして、本の中により一層入り込める。ローは夕飯が入らなくならない程度に、そのお菓子を堪能していた。
しかしお菓子が作られるのは本当にランダムな日で、基本的にあきつ丸は家にいない。ロビン曰く夜には帰ってきているらしい。何をしているのだろう。
仕事に行っているのだろうか? しかしローはあきつ丸さんを昼間に町で見たことがなかった。
彼女の謎は多い。
「お邪魔します」
今日もローは、森の中の家に本を読みにきた。
慣れた手つきでドアを開ければ、リビングのソファに黒い塊がある。
あきつ丸が横になっていた。
「……?」
ロビンは家にいないようだった。
暴漢に襲われた一件があってから、ローとロビンにはボタンを押すとあきつ丸に連絡が行く防犯ブザーというものを持たされていたから、何か用があって外に出ているのかもしれない。
少なくとも連絡が来てないならロビンは無事だろう。あれから町も警備を強化したようだし。
ローは、珍しくソファで眠っているあきつ丸を見下ろした。
体調が悪いのかと心配になったが、顔色は良いし、穏やかな寝息を立てている。単純に昼寝をしているのだろう。
ローはなんとなく、ソファの前に座って本を開いた。
「ん……」
あきつ丸がもぞもぞと動く。起こしてしまっただろうか。
ローがそっと布団がわりにされている外套を直そうと手を伸ばした時、その手が掴まれた。
「っえ」
「んー……」
にぎにぎと感触を確かめられ、あきつ丸の細い指がローのまだ小さい指に絡んだ。少し体温の低い指先が、ローの手の甲を撫でる。
「えっ、えっ?」
「……ろぉ」
ぼんやりとした声で名前を呼ばれて、ローの心臓がどっと跳ねた。いつもの謎の敬称は無く、舌足らずの……甘い、声だった。
ローは自分の顔がカッと熱くなるのを自覚する。本を取り落としたが、もはやそんなこと意識の外だ。
掴まれた手は引き寄せられ、あきつ丸の息がかかるほどのところまで抱き込まれていた。
心臓が早鐘を打つのをやめない。
「あきつ丸、さ」
「ろぉ……まもる、よ」
制止しようとした言葉を、不意に止めてしまった。
寝言にしては決意のこもった声色だった。
ぎゅっと掴み込まれた手が引っ張られ、ローは体勢を崩しあきつ丸に抱きしめられる。
何故だかローの心音だけがローの耳に届いていた。
「ろぉが……どれだけ、せかいをうらんでも……」
おれは、みかただからね。
あきつ丸らしくない言葉遣いだが、なんだかローはそれがあきつ丸の本心だと理解できた。ローがこれから世界を恨むことなんてあるだろうか。今のあきつ丸の夢の中では、自分は酷い目に遭っているのかもしれない。
それでも、彼女が自分を守ってくれるなら、ローは安心できた。
寝言はそこで終わり、また規則正しい呼吸音が部屋の中に響く。
ローの心臓は変わらずドキドキと鼓動を早くしていたけれど、抱き込まれた力は強く脱出することができない。
普段は外套で隠れている彼女の胸の大きさや腰の細さ、香りがはっきりとわかってしまう。
香りは何故か火薬の匂いがしたけれど。
結局、ローはもう諦めて自分も寝ることにした。すぐには寝付けないだろうが、だんだんと鼓動も落ち着きを取り戻してきている。
その昼寝は、買い出しから帰ってきたロビンによる強制終了まで続いた。