ローの珀鉛病が治ったことを、ロシナンテは泣いて喜んだ。
叫び声を上げながらの手術はハラハラしたし、その痛みを代わってやりたいとすら思ったが、ローは無事手術を完遂させたのだ。
ロビンもあきつ丸もこの事には手放しで喜んだし、その日の夕食は豪華だった。
ロシナンテとローは今のところ、あきつ丸とロビンの家の居候という形になっている。
いつのまにか増築されていた客室は広く、ロシナンテほどの長身でも伸び伸びできた。ベッドも、ロシナンテに合わせたサイズだ。
あきつ丸曰く傷が治るまではこの家に居ていいらしい。まだロシナンテの傷は治っておらず、包帯や湿布は取れていなかった。
肋骨や内臓が一部損傷しているとは、ローの診察である。
そりゃ、大怪我だなぁと他人事のように思った。
生活としては、基本的にロシナンテとローは掃除係だ。
料理は最近練習中らしいロビンがやり、洗濯は女物もあるということであきつ丸、となると残るは掃除くらいしかない。
怪我人ということもあるし、ドジで更に傷を増やされては困るので、簡単に箒をかけるくらいの作業だ。
最初こそ申し訳なかったが、気合を入れて雑巾掛けをしようとして折れている肋骨に激痛を走らせて以来大人しくしている。
料理の手伝いはそもそもアンタはキッチンに立つなとローに言われてしまった。
療養というだけあり、生活は穏やか極まりない。
あきつ丸はなにやら頻繁に外に出ているし、深夜まで帰ってこない時もあるが……本人曰く海に出ないと生きられない体質らしい。そういえばこの人のことを何にも知らないな、とロシナンテは少し寂しくなった。
ロビンは色々と知っていそうだが、ローもあきつ丸に関しては謎が多い人だと認識しているらしい。
そもそもロシナンテと最初に会った時から一切姿が変わっていないのだ。不老なのか、極端に加齢が遅いのか。それすらもわからない。
能力者ではないらしいから、種族的な特徴なのだろうが……ロシナンテは彼女から薄らと線を引かれているようで、胸の奥がどこか空いていた。
「あの人はね、誰かを助ける事に……それによって自分が削れる事に躊躇いがないの」
あきつ丸がいない夜、ふとロビンがそう溢した。手にあるブラックコーヒーは湯気を立てている。
ロシナンテはソファでぬるいカフェオレ(熱いものはローが禁止した)を飲みながらそれに耳を傾けた。
「今回だって、本当に帰ってこないかもと思った。無傷で帰ってきてくれて心底ホッとしたの。なんだか自分から死にに行くような表情で出て行ったから」
「……『残機』があると言っても死ぬ事には変わりない。それなのにあの人は簡単にそれで事が収まるならってカードを切ろうとした。危ういんだ、あの人は」
ロシナンテの隣で医学書を読んでいたローが続く。
きっとあきつ丸はあの時、ドフィが「死ね」と言ったら死んだのだろう。あの切れ味抜群の刀を首に当てて、一撃で生命を絶ったに違いない。
それでロシナンテとローの命が救われるなら、簡単に投げ出してしまっただろう。自分はもう一度復活できるからと。
それはなんだか生命として……生き物として歪な気がした。
誰だって死んだら一度きりで、その先は地獄か天国か、それとも虚無か。
死ぬことを作戦に組み込むだなんて、命あるものとして違和感しかない。
それをやってしまうのが彼女なのだ。
「あの人はとても強いけれど、懐に入れた相手にはとことん甘いから……」
「ああ……それは感じてる」
ただ飯を施すだけの関係だったロシナンテたちのために、町民を皆殺しにしたあきつ丸。その優しさは苛烈さの裏返しでもあるのだ。
身内にならなんでもしてしまう危うさ。そういうものが彼女にはあった。
「あきつ丸さんはなんだか……どこかで静かに海に沈んでしまいそうで怖いの。人が溺れる時は案外静かなように、無音の終わりを迎えそうな気がして」
「……それをさせないのがおれたちだ」
「あの人を繋ぎ止める相手になんねぇとなぁ……」
ロシナンテは禁煙だとあきつ丸から渡された飴をカラリと舐めた。チープな味が、なんともいえない強い甘味が口の中に満ちる。煙草とは大違いだ。
もう生産が終わっているこの飴は、会社が倒産したのかただ単に不人気だったのか。安さを売りにしてそれ以外を切り捨てた雑な味だったからか。理由はわからないがもう手に入ることはない。
彼女が持っている大袋の中身が全てだ。
それを知った時は酷く悲しかったが、その最後の飴を受け取れる相手に自分が含まれている事に薄明のような嬉しさが滲む。
「甘いなぁ……」
そう呟いたロシナンテは、今はいない家主が自分の名前を呼ぶ声を思い出していた。
*
ロシナンテの包帯もだいぶ取れてきた頃、朝、ロビンが朝食の支度をしている時。
「悪いけれど、あきつ丸さんを起こしてきて欲しいの」
と頼まれた。
ロビンは朝早く早々に起きてきていたのだが、同室のあきつ丸はまだぐっすりらしい。「昨日も遅くまで海に出ていたから」とロビンが気を使ったらしかった。
しかしそろそろ朝食ができる時間。今日はベーコンパンケーキらしい。冷めるものがある以上起きてもらわねば。
ロビンは料理で手が離せない。ローはまだ体が小さく抱き込まれて起こせなかった前科があるので、大人であるロシナンテに白羽の矢が立ったのであった。
「おー、了解」
「コラさん、一つ忠告をしておく」
「忠告?」
医学書を読んでいたローが何やら深刻そうにロシナンテに向き直った。
忠告もなにも、ただ起こしに行くだけだろうに。
「寝起きのあきつ丸さんは……やばい」
「やばい」
「滅茶苦茶やばい」
「滅茶苦茶やばい」
鸚鵡返しに聞いてしまう。ただ起こしに行くだけなんだよな? なんでそんな戦場に赴く戦士を見送る瞳をしているんだ。
まさかとんでもなく寝起きが悪くて暴れたりするのか。傷悪化したらどうしよう。
「とにかく起こすことを忘れないでくれ。じゃあ行ってらっしゃい」
「お、おう……?」
疑問が解けないまま、ロシナンテはあきつ丸の部屋の前に立った。一応礼儀としてノックするが、返事は無い。
「入るぞ」
女性の部屋に男一人で入るというのはなかなか緊張するのだが、ロシナンテはあきつ丸には恋情とかではなく姉や年上のお姉さんという感情を向けていた。いや、ちょっとは意識しているが、本人の言動からして脈が一切無いのはわかりきっていた。
ので、取り敢えず入室し声をかける。
「朝だぞ〜、ロビンが朝食作ってくれてるぞ〜」
「……」
返事がない。
あきつ丸はベッドの上で、布団を抱き枕のようにして眠っていた。ロングシャツから覗く素足が輝いて見える。ロシナンテはなるべくそちらに目を向けないように視線を動かした。
「ほら、起きろ〜起きろ〜」
「……」
パンパンと手を叩いてみても、起きる気配が全くない。随分深く眠っているらしい。
「……触るぞ? ほら朝だぞ〜朝ごはん冷めちゃうぞ」
「んん……」
肩を軽く揺さぶれば、ようやく意識が浅くなってきたのか返事とも取れない声が聞こえてくる。
ロシナンテはその調子で肩を揺さぶろうとして……腕を掴まれた。
「えっ」
「んん〜……」
そのまま布団と一緒に抱き込まれる。手首を掴まれたが、その手はだんだんと上にいき、ロシナンテの大きな手をあきつ丸の白く小さな手がキュッと握った。
サイズに随分差があるので、しっかりと握られているのに白魚の指はロシナンテの手に隠れてほとんど見えない。
しかし、ロシナンテに対して少し低い体温がじんわりと手のひらに伝わってきた。
ロシナンテの呼吸が止まる。
「あの、あきつ丸サン……?」
「んんん……ロシィ……?」
「ハイ……」
「んふ、ロシィの手だぁ……」
いつもと違うふんわりとした口調に、やわくにぎにぎと手を握り直してくる指先。
ロシナンテはここでやっとローの言う「あきつ丸さんの寝起きはやばい」を理解した。
「アノ、あきつ丸サン」
「ロシィの手……おっきいね……」
「ヒュエ」
「おっきくなったねぇ……ロシィも、ドフィも」
ロシナンテにとって、記憶の中のあきつ丸はいつだって自分が見上げる構図だった。幼少期は彼女の方が圧倒的に背が高かったのだから。
しかし今となってはロシナンテの半分あるか怪しい。そんなレベルである。
すっかり小さく感じるようになってしまった年上の恩人に、ロシナンテの心臓がドッと跳ねる。
薄く開かれた瞳は眠気からか濡れていて、甘く蕩けていた。
「生きてる……ふふっ、あったかい」
「ミ゜」
ロシナンテは死んだ。あきつ丸がロシナンテの手を愛おしそうに頬擦りしたからである。
もう、ロシナンテの顔は真っ赤だったし、心臓は死にかけの時よりも早く動いていた。
腕を振り解こうにも、思った以上にガッチリとホールドされたそれは動かせない。
ロシナンテの感情キャパシティはとっくにオーバーしていた。
その結果、
「助けてー! ロー! 助けてー!」
「どうしたコラさん!?」
ロシナンテは助けを呼んだ。
部屋に飛び込んできたローは、ロシナンテとあきつ丸を交互に見て「ああ……」と心底同情する目でロシナンテを見た。
まるで同族を見るような、同じ被害者を見るような生温かい視線だった。
片腕以外を床に突っ伏させ丸くなっているロシナンテにはその視線が見えなかったのは幸いだろうか。
「あきつ丸さん、朝だ起きてくれ」
「んん……はっ! おはようございます」
ローがペシペシとあきつ丸の頬を叩くことで、彼女はようやく起床した。
「おや? ロシナンテ殿の腕を抱き枕にしてしまっていたでありますか……申し訳ない」
「イエ……ダイジョウブデス……」
どうやら寝起きのあの言動はあきつ丸の記憶から飛んだようだった。
それが残念なような、助かったような。
ロシナンテは微妙な気持ちのまま、朝のベーコンパンケーキを食べる事になったのだった。
どんどん増えるあきつ丸寝起き被害者の会。