原点、と呼べる体験は、人生の地図にピンを刺したように、それを中心に糸を伝っていくものだ。
この言葉を知ったのはいつの頃だろうか、偶然手に取った書物の中、珍しく興が乗った物語の中にあった一文だっただろうか。
剣を振るい、力を発揮する相手に出会うたびに、それをぼんやりと思い出す。
歳を重ねるごとに、人生の地図に増えていく縁の糸。あるいは、宿敵や仇の感情。それらを解き、伝っていくと、やがてその原点に辿り着くのだという。
おれの原点は、間違いなくあの修行の日々だっただろう。
孤島で二人、ただ剣を鍛え、生活を共にしたあの日々。
なんでもない会話の記憶は最早薄れてしまっているが、教えられた技は全て呼吸のように覚えていた。
一人で旅を始めてからは、特に行くあてもなく、強い存在がいると噂がある場所を巡っていた。戦い、勝ち、学び、そうしてまた次の島に行く。そういう生活だ。
強ければ海賊も海軍も構わず、善も悪も無く切り捨てた。
己より強大な力や技術を持つ者を自力でねじ伏せた時に、どうしようもなく血が高鳴り、また持つ剣の鋭さが増していく。
死にかけたこともままあった。格上に挑むということはそういうものであるし、雑魚を狩ってもただ剣に必要な手入れの時間が増えるだけだ。
最初は無銘の刀だったそれが、銘持ちになり、大太刀になり、やがて“夜”と出会った。
師匠にとっての唯一の刀が秋茜だとするのなら、おれにとっての唯一はこれだろうと、持っただけで脳髄に刻まれた。
ただひたすらに、切り裂く。朝も、昼も、全て切り裂き夜へと切り開く、そんな刀。
黄昏より暗く、黄昏より静かな、長い長い静謐へ誘う切れ味。
その姿は、ただ黙々と剣一筋で生きてきた己の生き様を映しているかのようだった。
人の剣は、その人を映すものだ。
だらしなく、卑劣な破落戸の剣は刃こぼれし錆びている。
権力に溺れ鍛錬を忘れた海兵の剣は曇っている。
自分の見つめる先を忘れた放浪者の剣は鈍り歪んでいる。
旅を続ければ続けるほど、世の中にはそういう輩の方が余程多いのだとわかった。強さのみを求め、ひたすらに己を律し、鍛錬を続けるというのは、そんなに難しいことなのだろうか。
それを聞こうにも、最早動かないそれらは何も答えてはくれないのだ。
そういう時こそ、かつての師匠の剣を思い浮かべる。
茜色の空、海すらも空の色を映し、辺りが西陽によって昼よりも強く輝く時間。たった一時間ほどのその間、師匠の剣はより鋭く、切れ味を増し、夕焼けに焼かれたように熱く傷を焼くような錯覚を起こさせる。
逆光に照らされ、表情が見えなくなり、ただひたすらに剣のみが輝きを放っている。そこに師匠の存在は無く、目の前には一本の刀だけが、一太刀一太刀焼印を入れるかのように影もなく残像を煌めかせている。
その時だけ、おれは師匠という存在を忘れ、師匠の剣だけに全ての意識を集中させられるのだ。
きっと、あの人の剣の本質はあれなのだろう。
火薬を纏うような斬撃に、鉄色が茜を纏い、個を失った兵器そのものが、ただ目の前に対峙する。
人の出せる気配では無い、鋼鉄の塊がその質量と硬さでもって発する威圧。
それを感じた時に脊髄に流れる電流は、海軍大将が乗った軍艦よりも重く響くようだ。
だからこそ、その圧倒的な斜陽を、夜に閉じたかった。
夕暮れの陽が眩しいほど、その後の夜はより深く濃く帳を下ろす。
おれがあの落日を思い出す程に、おれの夜はその黒さをより重いものにし、握る腕をより強くさせた。
黄昏は、所詮は昼から夜に移り変わるまでの一瞬の時間でしか無いのだから。
どれだけ強く輝こうが、その頃にはもう月が出始めている。砂時計を壊そうが、容赦無く陽は沈む。
師匠を超えることは怖くなかった。たとえ弟子と師匠の立場が逆転したとしても、あの人はそれを受け入れてくれるだろうから。きっと、それだけの情は稼いでいるだろうと打算的な思考が過ぎる。
黄昏が永遠ではないように、夜もまた永遠ではない。時が経てば、あの茜に夜の暗さも焼き尽くされる時が来るかもしれない。
そうなったらどれだけ愉快で爽快だろう。
ここ暫くは、夜で相手にするには足りない相手が殆どだった。首に吊るした小刀で、ただ一閃すれば片してしまえる木端ばかり。
退屈は嫌いだ。静寂は好きだが、退屈はまた違うのだ。
久しぶりにグランドラインから戻って放浪していたが、若い芽は見つからず、そこらにいる海兵や海賊を暇つぶしに切り沈めるばかり。
そんな日常に飽きてきた頃、覚えのある駆動音にほんの少し口角が上がった。
「久しぶりでありますな。実に何年振りでありましょう」
あの時から何年か。師匠の姿は少しも変わっていなかった。
相変わらず全身を黒に染め、鉄と硝煙の匂いを纏っている。
挨拶がわりの一撃は軽く躱された。
師匠はおれが呼んだことを察していたようで、大したやり取りもなく剣を構えた。
そうこなくては、とこちらも夜を構える。師匠相手に先ずは小刀から……などという舐めた真似はできるわけがない。
あの頃は見上げていた存在が、均衡、あるいは……という位置にある事に、えもいわれぬ高揚が指先に宿る。
手合わせでは済ませられそうにないな、と己の貪欲さに嗤った。
師匠は今でも原理がわからない術によって海上に立っていた。対するおれは小舟であり、足場という観点から見るとこちらが圧倒的に不利。
しかしリーチでは夜が圧倒しており、また自分の動ける範囲が狭いということは、相手の攻撃も狙う範囲が狭くなる。
必ずしも不利というわけではない。
浴びせかける斬撃は一撃一撃にしっかりと殺意を込めて。振りの大きい大太刀は、動作は見破りやすいがその分僅かなズレや遅延は感知しにくくなる。その特性を活かし、フェイクや強弱の密度をつけてひたすらに斬り込む。
的は小さい。師匠は少し背の低い女性の身長体格であり、力自慢の大男や下品な女海賊とは違う。
海の上を滑走する速度は自在で、やはり多くの斬撃は弾かれるか躱されるかしてしのがれてしまう。
だからこそ、織り交ぜた「囮」の斬撃が際立つ。
「っ……!」
わざと殺意を隠して忍ばせた大太刀にしてはごく小さい一太刀。額を狙ったそれは弾かれたものの、しっかりと師匠の頬に赤い痕を刻む。
やはり師匠には、晴天の下の海の青さよりも、夕焼け空のような赤が似合うだろう。流れる血もまた、その装飾の一つとなる。
幼い頃はよくわかっていなかった戦いの中の色香というものも、年月が経つとよくわかる。
武器は戦いの時こそ一番輝くように、彼女は血と武装のぶつかり合う音が響く戦場こそが舞台となるだろう。
そしておれもまた、その舞台に上がり踊り狂う運命にあるのだ。
「っ、なかなか……成長したでありますね」
「そうだな、だからこそ師匠との戦いは心が躍るのだ」
「そんな無表情で言われても……っ!」
師匠の剣は妖刀だ。気まぐれでわがまま、人を選びに選んで師匠の元に収まったらしい。
その刀から感じる気配は絶好調で、その銘に恥じぬ性能を誇る。
時には覇気を纏い苛烈に、時には宙を飛ぶ蜻蛉のように攻撃をいなす様は流れで聞いたワノ国の流派とよく似ている。
そこに、師匠の人を外れた怪力と身体能力が上乗せされている。
その華奢な身体から想像もできない馬力と耐久性、海上での機動力を活かし、正に“船沈メ”と呼ぶに相応しい暴れ具合となる。
では、技の方に視線を向けると、使われているのは基礎的な型が多い。
時たま独学で生み出したのか柔軟な動きも見られるものの、どちらかといえば身体能力と刀の性能に偏った構成で、おれの剣の雨を受けられたのもフィジカルによるものが大きい。
工夫は随所に見られるが、剣一筋の中生み出される極意の様な技術は見てとれない。
それは、今までは技術を磨かなくても勝ててしまっていたからできた悪癖なのか、かつて薄らと聞いた様な本職は剣士ではないのが理由なのか。
勿体無いとただ思う。
技術を磨き、技を覚え、それを意のままに使える様訓練すれば、よりこの剣は高みへ行ける。
それだけのポテンシャルは十二分にあるし、鍛錬についていけるだけの気力もあるだろうに。
実際、おれも何回か斬られ血を流してはいるが、師匠より余程傷は浅く、流れる血も少ない。
対する師匠はあちこちに斬り傷をつくり、致命傷ではないもののジワジワとダメージは溜まっているだろう。
僅かでも、今の実力はおれが上であることは明白だった。
確かに師匠の身体能力は外見に反して恐ろしく高いが、それでも刀を握る握力、鍔迫り合いになった時の押し合い、斬撃を放つ時の振りの速さ……それらももう、おれは追いついてしまった。
師匠に勝つこと。その夕日を夜へと進めることが、現実的に可能という事実となっておれの頭へと書き込まれる。
師匠は今何をしているのだろうか。
この戦いで雌雄を決した後、次はおれが剣を教える番としてついてきてくれるだろうか。
そんな願望が浮かんでは欲となり斬撃に乗せられていく。師匠はもう衝撃を軽くするだけで精一杯なのか、黒い詰襟が大きく切り裂かれ、身体の中心……肋の下あたりに薄らと赤い線が浮かんだ。
はは、と微かに……自分でも聞き取れないほど微かな笑いが漏れる。
師匠を超えた実感は、いつの間にか茜色に染まっていた空の下やってきた。
しかし、おれの師匠を称賛する言葉は、遠くで聞こえた叫び声によって止まることになった。
先日、
「タグに『原作死亡キャラ生存』があるのに、全てのキャラが生き残るわけではなく、特定のキャラのみが生存するのは詐欺ではないか」というご意見をいただきました。
私の認識では、あくまでも「原作で死亡したキャラが生存する“こともある”」という感覚で付けているため、今後も原作内で死亡したまま本作でも救済されない(ホーミング聖など)が出てきます。
ご了承ください。