あきつ丸(仮)が往く!大海賊時代特殊任務!   作:月日は花客

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90:おままごと

 

「こら、残さない」

 

 まだ幼き時分、師匠であったあきつ丸との食事は、だんだんと量が増えていった。

 過酷な修行の後、心身共に疲れ果て、最早咀嚼すらも疲労が滲む中、大盛りの肉や米を食べるというのはなかなかに辛い。

 嚥下した先から胃液ごとせり上がってくるような感覚に、思わずカトラリーを置いたことは何度もあった。

 しかし、師匠はそれを許さず、自分の分を食べ終わっても、おれが食べ切るまで席を離れなかった。

 

「量が多い」

「今のミホーク殿にはそれが適切な量であります。自身の運動量がその程度の食事で賄えるとでも?」

「おれは空腹でも戦える」

 

 師匠に拾われるまでは、今日明日の飯すらわからない生活をしていた。空腹には慣れているし、その状態でもそこらの大人には負けない自信があった。今思うと、それは滑稽な世間知らずの言葉だったわけだが。

 師匠は呆れたようにため息を吐くと、既に今日の役目を終えた自分のフォークを、ペン回しの様に弄び始める。

 

「運動とは身体の肉を分解する作業。脂肪を燃やし、その次に筋肉を消費して代謝をする。運動量に比例した栄養を摂らないと、筋肉はつくばかりか落ちていく……ダイエットをしているようなものであります」

「しかしこの量は明らかにおれの胃袋の許容量を超えている」

「最初こそ胃腸が弱っているから優しい食事にしたでありますが、今はもう多少無茶をしても大丈夫な程度に回復しているであります。食べられないのではなく、食べられる様に胃袋を広げること。これはそのための訓練でもある」

 

 食トレ、と師匠は言った。

 筋肉をつければつけるほど、代謝も早くなりエネルギーを消費する。ただがむしゃらに筋トレをするだけでなく、食事……内側からのアプローチもまた、強さのために必要だと。

 これも修行の一環とわかれば、盛られた肉や野菜も食べ切るしかなくなった。しかし、今の調子では随分時間がかかってしまう。

 

「わかった。なんとかして食べ切るから、師匠は先に休んでてくれ」

 

 そうして痺れる手でカトラリーを掴んでなんとか食事を再開しても、師匠は席を離れることはなかった。

 フォークをクルクル回していたかと思えば、黙ってこちらを見つめていたりする。何か用があるともなく、独り言のように作った料理の話なんかをしてきたり。

 おれとしてはそんな師匠の行動がわからず、吐きそうな口元をなんとか抑えながら疑問の視線を向けた。

 師匠は、万が一の時のためのタライを用意しながら、ぼんやりと話し始めた。

 

「食事とは、身体の栄養であると同時に心の栄養でもある。暖かさ、香り、そして誰かと時間を共にすること。それらが重なることで、心身の回復に良く作用するのであります。孤食は、まぁ今では珍しくないでありましょうがあまり推奨はされないことなのでありますよ」

 

 吐いたら食べ直し。とタライを膝に乗せられ、舌にあった内容物をギリギリで飲み込んだ。

 正直、慣れるまではこの食トレが一番キツかった。弱音こそ吐かなかったが、剣を持ちそれをひたすら振るう時間より、フォークとナイフを動かし続ける時間の方が苦痛だったのは確かだ。

 しかし、理論や仕組みをよくわかっていなくても、人は食べないと死に、食べることで強くなることはわかった。ならば、咀嚼を止める理由は無かった。

 そして、ずっと一人で腐ったパンや名前も知らないキノコを食べていた頃よりも、こうして師匠と共に食事を摂ることでどこかが満たされた気分になることも、またわかっていたのだ。

 しかし本命は燃料とはいえ、自分よりも圧倒的に少ない量をちまちまと食べる姿には、吐きそうになっている自分としては少し恨めしかった。

 

 師匠の教えは、剣やサバイバルの知識が多かったが、時たま、心をどう回復するかの話をしていた。

 食事や、他者とのコミュニケーション、趣味。

 身体は傷ついても癒える。それに剣の極意を目指すなら傷を恐れてはいられないだろう。

 しかし心の傷は、大抵癒えず、またどれだけ鍛えても壊れる時は壊れると、どこか遠い目をして言っていた。

 その目線の先に何を見ていたのかは、わからない。

 

「心を労り、人であれ。ミホーク殿は正真正銘の人間でありますからね」

 

 今思えば、その言葉はどこか自虐が混ざっている様にも思えた。

 しかし当時のおれは師匠を絶対の金剛の様に感じていて、その精神もまた、傷一つつかない煌めきを永遠にしていると考えていたのだ。

 そんな者、この広い世界のどこにも居ないだろうに。

 

 だからこそ、こうして今海に流された少女を必死に探す姿は、金剛石ではなく脆い枯木の様に映る。

 守れなかった、と虚に呟きながら海を彷徨う彼女に、何か違和感を覚えついて行った。

 船が沈んだ残骸を見て声が溢れ続けていたのを止めてからずっと、なにか、慣れない気配がする。

 ()()は、あきつ丸の瞳であったり、声であったり、足元の海水の奥から断続的に漂っている。

 類似する気配を記憶から探しても、殺意とも希死念慮とも違う、しかし冷たく暗いその靄の正体は掴めない。

 あきつ丸はいつも真っ黒な姿をしているが、それよりも黒く深くドスのある何かが、彼女を飲み込もうとしている様に見えた。

 足元から感じる気配があきつ丸を飲み込めるほどに大きくなるたび、おれは彼女の意識を無理やり奪い、そのまま自分の腕の中に仕舞った。

 靄の気配の正体はわからないが、知覚できるのなら、それがこの不安定なままの女をのみこもうとした時に斬ってしまおう。

 そういう考えだった。

 あの手合わせにより、師匠と弟子の格付けは済んだ。

 ならば、弟子を本当の危機から守ることもまた、師匠の勤めだろう。

 死ぬほど鍛えるが、死んでしまっては意味が無い。

 

 しかしそのドス黒い気配は姿を現すことなく、海から足を離したら巨大な気配は薄れていった。

 本人から滲むそれも、眠らせ、気絶から目が覚める頃にはある程度おさまっている。

 三回目の気絶で、おれはこれがあきつ丸の精神的ストレスが増加した時に起きる現象と予測した。

 長く起き続け、その中でのしかかる負荷により、あきつ丸の()()()あるいは()()()()が歪む時、その靄は彼女を飲み込むだろう。

 ただの勘だったが、おれは案外自分の勘を信頼していた。

 

 そして捜索を始めて一週間、まとわりつく靄にそろそろかと気絶させたのだが、一向に靄が消えない。

 寧ろ、身体の熱も冷えていき、生気が抜ける様に寝顔から表情が失われていく。

 目が醒めても、靄は変わらず。

 本人はその気配を知覚できていないようだった。本人にはわからないのか、見聞色の強さによるのかはわからない。

 ただ、彼女の真下──棺桶船で塞がれているはずの海の底から、軋んだ鉄格子を無理やり開いた様な「キュルル」という高音に、いっそ不思議な程の危機感を抱いた。

 

 何かが、もうそこまで腕を伸ばしていた。

 

 その音におれは即座に「斬れない」と判断を下し、どうにかしてその靄をあきつ丸から引き離すかに思考を切り替えた。

 きっとあれは靄の形をした予兆だった。

 努めて表情は変えず、静かに話しかける。

 まだぼんやりとしている返事は、彼女らしくなく……口調も声色も、別人のそれだ。

 病が急速に進行していく焦りと似た感覚を船の下に感じながら、精神の負荷によって起きたものだとしたら、と半ば賭けのようにカロリーバーを開けた。

 非常食であり、長期保存のため美味さなど追求していないようなものだが、今の彼女が味ではなく誰かとの関わりを主目的とするならば、おれでもその役は果たせる。

 本当に共にしたいのは探している少女だろうが、今はおれの腕の中にあるもので解決するしかない。

 

 今、海に出したらいけない。

 もはや見聞色とも言えない第六感が、彼女の身体を腕の中にキツく縫い止めた。

 視線を逸らしてはならない。

 表情が、重さが、体温が、戻ってくるまではきっと呑まれてしまう。

 食物ではなく燃料で生きていたとしても、燃料を補給しただけでは靄は消えない。

 しかし、苦しそうだがカロリーバーを食べすすめている今は、僅かずつその靄が消えていっている。

 本人はおれに対し怒っているのかもしれないが、怒りによって暗い気配を消せるならば、いくらでもそれを抱いてもらっていい。

 

 少しでもあの音から遠ざけるために、意味もなく昔話をした。

 本人は覚えていないらしいが、会話が成り立つなら覚えてなくとも話した。

 迫り来る深海からの気配は、何故だか話すことは憚られた。それが間近にあると今の彼女が知った時、どんな行動に出るかわからなかったからだ。

 もし、あれを受容してしまったら……どうなるか。

 確実に、今までの生活は崩れ落ちるだろうことがわかる。

 

 逃げろ。

 消えろ。

 逸れろ。

 

 カロリーバーを食べ切った時、あの悍ましい気配が霧散したと分かった時。

 人生で初めて感じるほどに、安堵し、また恐怖を覚えた。

 

 次は、無いと思った。

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