「起きろ、あきつ丸」
ぼんやりとした聴覚が、音を拾う。
まだ瞼が重くて、身体も脱力したまま全てを休ませていた。
首まで被った布団は、ふわふわで、あったかくて、気持ちがいい。柔らかいものに身体が沈み込む感覚が、その声を意識から遠のかせる。
辛うじて、口元だけが僅かに動いた。
「あと5日……」
「起きろ」
「ゔっ!?」
額に鋭い衝撃が走る。ガッともキンッとも取れるような金属に近い音が脳に響くようだ。視界に星が舞う感覚に、まだ眠気を伴う思考が遅れてデコピンされたのだと理解する。
確実に覇気を纏っている。ジンジンと痛む額を抑えながら、寝ぼけ眼で上体を起こした。
「ふぁ……こんな深夜に、なんでありますか?」
「首を確認しろ。それが手っ取り早い」
「へ……?」
暗闇だが、ある程度夜目がきき、かつ声によって入ってきたのがミホークだとわかっているが、彼がどうして深夜自分の部屋に訪れたのかわからなかった。
俺の眠りの深さを知っているし、普段は覇気付きのデコピンなんて使って起こさないのだけれど。
言われるがままに首に触れようとすると……その前に、何かによって阻まれた。
「は?」
「やられたな」
ミホークのため息に、思考がはっきりとし始める。
俺の首には、石でできた輪が嵌められていた。重く硬いそれは、普通の石ではない。
そして、丁度喉の辺りで凸があり、そこに同じ素材の鎖が繋がれている。
つまりは、海楼石の首輪だ。
異常な事態に、バチリと電流が走るが如く覚醒する。
思わず外そうと力ずくで鎖を引っ張るが、流石海楼石と言おうか、艦娘の膂力でもびくともしない。
鎖はベッドサイドの装飾だと思っていた彫刻の壁飾りに繋がれている。
俺の困惑に、ミホークは特に焦ることもなく状況説明を始めた。
布団で温まっていた筈の体温が冷えていく。
「あの老婆がおれの部屋に無断で入ってきたから斬った。手には今のお前と同じ海楼石の首輪。確実に、獲物扱いされていたな」
ミホークの首には鎖が無い。
斬ったという事は、あのお婆さんは死んだか、気絶しているか。
恐らく俺を先に繋いで、ミホークも同様にしようとして反撃されたのだろう。俺の眠りは深い。それこそ、この鎖が繋がれているなんて、ミホークに言われなきゃ起きてしばらく経っても認識しなかっただろう。
鎖を何度も引っ張るが、無駄にうるさいだけで壊れる気配はしない。
海楼石とはこんなに頑丈なものだったのかと冷や汗が頬を伝った。
「ど、うすれば……」
「手を伸ばすな」
ミホークがそう言ったかと思うと、壁と繋いでいる鎖を持った手、の数センチ上に強烈な斬撃が走った。壁すらも貫通したそれは、鎖を途中から完璧に切り離している。
小指でも立てていたら持ってかれていたな、と外から差し込む月明かりを開いた瞳孔が拾っていた。
「速やかにこの家を出る。準備しろ」
「りょ、了解であります」
まだすこし心の整理が付かないままに、壁との連結からは解放された俺は布団から出て立ち上がった。いつもよりその温もりへの名残惜しさはずっと少ない。
「……待て」
「はい?」
「何故下を履いていない」
流石に月明かりのみでは不便なので、フロアランプの灯りをつける。
確かにミホークの言う通り、今の俺は詰襟の下に着ているシャツと下着、それのみである。スカートは履いていない。
ちょっとローディングを挟み、そういえば異性の下着姿は気まずいか、と合点がいった。スカートは皺になるのが嫌で脱いでいたのだ。腰元が締め付けられるし。
「パジャマは船に置いてきてしまったのであります」
「……ハァ……」
ミホークが心底憂うように深いため息を吐いた。伏せられた目はいつもの唯我独尊なミホークの鋭さが感じられない。
なんというか、異性の下着は気まずい、という感情をちょっと考えないと出てこなくなった辺り、性自認がかなり船に近づいていそうだ。
艦娘は普通に恥じらいの概念があったが……彼女達よりもより船としての人格が強いのだろうか。
いやでも、気をつけないと痴女になってしまう。なるべく意識しなければ。意識しないといけない時点で何か問題な気がするけれど。
ミホークが部屋の外に出て行ったので、俺は手早く着替えて荷物を持った。詰襟の都合上、首枷のある今は前が閉じられないので開ける。自分の服装に白が目立つのはなんだか落ち着かない。
「ミホーク殿、お待たせしました」
「首枷を外して、さっさとこんな島から出るぞ」
「さっさと刀で斬るであります」
「待て」
秋茜を抜刀しようとして、ミホークに上から刀を押さえられた。
先程ミホークがやったように首枷を斬れば解決だ。最短距離のルートを止められて思わず首を傾げる。首輪があると微妙に顎が動いた程度だが。
ミホークは自分の背にある“夜”を親指で指した。
「海楼石の硬さはこの世界でも指折りだ。夜ですら、あの壁を貫通する威力でやっと切断できる。……お前の身体は、あれに耐えられる強度ではないだろう」
確かに、あの斬撃に巻き込まれていたら腕や首なんかの比較的細いパーツは簡単に飛ぶ。今のミホークの剣は俺の耐久を容易に貫通する様になり、秋茜や砲撃支援による防御行動で逸らすか、動いて回避しないと大怪我は避けられない。
秋茜を使って斬撃を弱める手も考えたが、戦闘中の自分ならあのレベルの斬撃は受けて弱めるより、弾いて軌道を逸らす選択を取るだろう。確実に。
艤装を展開していても、致命傷未満で抑えられるかと言われると自信は無い。
これが腕なり足なりなら普通に差し出してバケツで即回復できるんだが、首となると切り離されたら確定で轟沈だ。
流石に、ここで応急修理女神を消費するのは勿体なく思える。未だに、これを増やす任務は無いのだから。
課金できたら、数億ベリーくらいなら払うんだけどな……。
無理だと秋茜を収めれば、ミホークの指が俺の首輪に付いた鎖をくいっと引っ張る。思わず顎を上げてミホークを見上げれば、相変わらず感情の読めない無表情がそこにある。
鎖は、じゃらりと俺の胸下辺りまでで揺れている。
「鍵を探すぞ」
俺は視界の関係で見えないが、首輪には鍵穴があるらしい。番号はS-67。
管理番号もあるなんて、確実に計画された犯行だなと思いつつ、鍵を探してこの家をひっくり返すことになった。
ミホークが事前に確認していたが、ミホークの部屋に斃れている老婆は鍵は持っていなかったそう。
空き部屋やリビング、書斎とひたすら棚や収納を調べて回る。
ミホークがダイニングを探索している時、俺は老婆の部屋らしい寝室に入る。
シックなダークオークの家財に艶のある陶器に飾られた薄ピンクの花。
落ち着いた雰囲気の、一般的に見ればセンスのいい部屋だと思うが、俺を繋いだ犯人の部屋と思うと好きにはなれない。
俺はふと、壁のホルダーに掛けられたカバンを手に取った。俺が暴漢から取り返した革製のミニバッグだ。金具が金色に輝いている。
その中を漁ってみると、財布や化粧品、ハンカチという普通のものの中に、一枚の白い封筒が入っている。
真っ白な上質紙に、スペードのマークが少し盛り上がって影を付けていた。エンボス加工だ。
上品に青の蝋で閉じられたそれを躊躇いなく開ける。差出人は書かれていない。
中にはまた白い便箋が入っていて、細長いのか数回折られている。開けば、印刷か、機械的な整った文字が羅列されていた。
「『物資提供による報奨金明細書』……」
書類の一番上には少し大きめのフォントでそう印字されている。
そのまま視線を下に向ければ、俺は月明かりの光を拒む様に目を細めることになった。
「『13歳男:3万ベリー。24歳能力者男:50万ベリー。30歳能力者女:85万ベリー。5歳女:1万5千ベリー』……」
丁寧に誤字無く印刷されたそれには、複数の「物資」による報奨金の内訳が記載されている。
能力者と年頃の女性は特に高く、また「傷有り」として値が下げられているものもあった。
年齢は下が1歳3ヶ月。上が67歳。老若男女問わず、ただ年齢と性別、能力者かどうかだけで仕分けられていた。
明細の最後に記された口座の名前は、この家の表札と同じアルファベットがお行儀良く並んでいる。
白い紙は月明かりをよく反射し、さもそれが正当であるかのよう。
「何か見つけたか」
ミホークが静かな寝室に収穫があったのかと扉を開けた。蝶番が高い音を立てて、酷くそれが耳障りだと感じる。
俺は黙って便箋をミホークに渡した。サラリと視線を通したミホークは、さしてその便箋の白さを疎ましく感じていないいつもの無表情だ。
しかし、便箋の内容よりも、俺を見ている視線の方が余程意識が込められているように思える。
「お前は人を信用し過ぎるな」
「確かに
「いや、最初からだ。お前はおれと初めて会った時から、人を信用し過ぎている」
ミホークはその瞳を少し開く。上がった瞳の圧に、俺は無意識に自分の左腕に手を添えていた。
「おれはこの世界で、強さを認めた者しか信用しない。他者とは笑顔の裏で幾らでも人を見下せるものだ」
「……」
俺は黙ってその言葉を聞いている。視線を逸らすことは、月明かりの魔力が許してくれない。
「人を護る船に人を疑えというのは、難しい事のようだ」
「自分も敵を殺すことに躊躇いなど」
「その『敵』と認定するのが遅いと言っているんだ」
思わず出てしまった反論を、ミホークにしては強い語気で叩き斬られた。
しかしそれは正論で、俺は視線を逸らす代わりに左腕に爪を食い込ませる。きっと爪先は白くなっている。
「感謝やその場の行動で全てを預けるな。この世界はお前が思っているようなぬるま湯では無い。──その優しさは、時として自分を刺す」
ミホークの手の中で便箋が握りつぶされた音がする。
その乾いた音は、まるで俺の心臓を握りしめた鼓動にも似ている。
この世界に来て、何十年と過ごして、修羅場も潜ってきた。
そうして生きていく自信もあった。それが今バキバキに折られた音がする。俺の中にある鋼の塔が、積み木の塔となってガラリと崩れ落ちた。
目の前には本物の鋼の塔に登った存在が、落ちていった俺を愚かそうに見ている。
しかしやはりその目から開き切った瞳孔を月明かりにできた影に向けられないまま、何か言おうと開けた口を閉じることも忘れて固まるばかりだ。
ダイニングから香るビーフシチューの匂いが、目と鼻に痛い。
「理解したか」
そういうミホークの声色は、もう鋭さを持っていなかった。
落下していく途中の俺には、その声は遠く遠く、掠れて聞こえていて。
「じゃ、あ……」
「なんだ」
「俺すら信用できない自分は、何を信じて生きていけばいいんだ?」
どろりと溢れ出した泥濘は、もはや主人の喉を勝手に離れていった。
目を見開いたミホークに、食い込んだ爪の痛みを思い出してようやく落下していた俺は着地した。
ミホークの瞳はもう魔力を持っておらず、瞬きを許される。
一度帽子を被り直すと、俺は月明かりから逃げるように笑った。からりと乾いているのはわかっている。
「……弟子として、教えられてしまいましたな。肝に銘じておくであります。師匠として、ミホーク殿を自分は信頼しているでありますよ」
「お前は、」
「鍵探しの続きと参りましょう。無駄な時間を取らせてしまい、申し訳ない」
酷くわざとらしい言葉に、ミホークは何も言うことはなく、静かに俺の頬に触れた。
その手が随分熱く感じたのは、俺の体温がそれだけ冷えていたのだろうか。
秋茜が、何かを断ち切るように、キンと鳴いた。