「お前なんて生まなきゃよかった!」
目の前の大きな女はその体に似合う大きな声で怒鳴りつけてくる。言葉とともに殴りつけられたおなかがひどく痛む。
「お前さえ生まれてこなければ璃々と二人で幸せに暮らせたのに」
璃々というのは私の姉。容姿端麗、成績優秀。玉のように育てられた大事な大事な長女。
母親似の顔立ちで周りに自慢できる優秀な子供らしい。
私はそれとは反対に父親似らしい。顔も気に入らなければ成績も悪く、できの悪い要らない子というわけ。
「ごめんなさい」
すぐに謝らないと次の手が飛んでくる。急いで謝る。
「その目、いつもいつも気に入らないのよ、あの男そっくり」
その男が好きだったから私が生まれたんじゃないの、なんて考える。
もちろん口に出したりはしない。一度口から飛び出てしまったときはひどい目にあった。寒空の下肌着で外に放り出され、朝まで家には入れてくれなかった。
「ごめんなさい」
私はそう繰り返すしかない。怖い。この女が心底怖い。殴られていたいのも寒いのも嫌だ。
「…ふん」
やがて女は諦めたように嘆息すると私に背を向けた。
「私、出かけるから。璃々に近づくんじゃないわよ。あんたの出来の悪さが移ると困るわ」
「部屋、掃除しておきなさい。きれいにね。あんたにはそれくらいしかできないんだから」
「…はい」
この女は車のカギを机から取るとどたばたとわざと大きな音を立てて玄関を出て行った。
二分ほど直立したままドアを見つめる。もう、戻ってこないかな。
よかった、今日はそれほど不機嫌じゃないみたい。
「お母さん、行った…?ごめんね、瑠々。助けてあげられなくて」
部屋から周りをきょろきょろしながら姉さんが出てくる。その顔には申し訳なさそうな感情がありありと映っている。
「行ったよ。大丈夫」
あの女にひどくおなかを殴られたからか気持ちが悪い。
機嫌の悪そうな声を出してしまっただろうか、姉さんの表情は泣きそうに歪んでいる。
「痛いよね、ごめんね」
「だいじょうぶ、放っておいて」
以前同じように近寄るなと言われたのに会話しているのをあの女に見られて、ひどい目にあわされたことがある。怖い。あの時は服をつかまれて壁にたたきつけられた。息がしづらくなる。あぁ、思い出さなきゃよかった。
帰ってくるかもしれない、長くは話していたくない。
「本当にごめん」
莉々は謝ると申し訳なさそうに自分の部屋に帰っていく。ようやく一人になれた。
「…」
私は立ったまま声を出さないように泣く。嗚咽も上げない。癖になってしまったこの泣き方。
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私はひとしきり泣いた後、掃除を始めることにした。シンクに積まれた皿たち。適当に放置された洗濯物を洗濯機に詰めて、トイレにお風呂。お風呂掃除を終わらせて出てくると、ダイニングは少しきれいになっていた。姉さんが手伝ってくれたのかな。
「姉さん、ダイニング、ありがとう。お部屋、掃除してもいい?」
私は姉さんの部屋に向かって声をかけた。近づくな、なんていう癖に姉さんの部屋をスルーしようとするとあの女は怒り出すのだ。理不尽だ。でも仕方ない、私は逃げられないから。
「ここも私がしたから大丈夫だよ。」
戸を開けて姉さんはそう言う。
「…ごめん、一応確認させて?」
信じてないわけじゃない、だけどこわいから。
「うん、もちろん。」
中に入る。少しいいにおいがする。芳香剤だか香水だか知らないがあの女が莉々にプレゼントしたものだろう。知りはしないしどうでもいい。どうせ私には縁なきものだ。
「うん、綺麗になってる。ありがとう。」
「ほんとは二人で掃除したいんだけど…。ねぇ、ここで掃除は終わりでしょう?少しお話しない?」
いつも私はほかの掃除をすべて終わらせてから莉々の部屋に聞きに来る。それを知っていたのか問いかけてくる。
「…あの女帰ってくるかもしれないから。」
「今日は帰ってこないよ。お母さん、男の人のところ行ってるから。」
「そう。でも…。」
「おねがい、そう時間は取らせないから。」
なんでそう真剣なんだろう。どうせいつものだし私は話したくない。きっと話せば話すほど嫉妬と自己嫌悪が増すだけだろう。
「…少しだけなら。あんまり遅くなると姉さんの明日に差し支えるし。」
ちらりと時計を見るともう22時だ。掃除機の音や洗濯機の音は下の階の隣人に迷惑をかけただろうか。まぁいいか。
「…なに?」
「いっしょににげよう。二人なら生きていけるよ、私ももうすぐ大学生。バイトもしてるしすぐにでも…」
ほら、いつものだ。この話は何度もした。何度も断っているのだけれど。
「その話はもうしたじゃない。私はあの女から逃げられないって。」
姉さんはもう大学が決まってる。この県内じゃトップレベルの大学だ。鼻が高いね。
「いっしょなら逃げられるよ。ねぇお願い。私の話を聞いて?」
「あはは、捕まって私が姉さんを誑かしたとかって本当に殺されちゃうかも。」
「もうこの話はしないで?私は逃げられない。どうせすぐ捕まるの。もう何度か逃げ出そうと試したよ。今度はどんな目にあわされるかな。捕まる度に血を吐くまで殴られたり、一日中お風呂で冷水につけられたりもしたっけ。もういいの、私はもういい。姉さんを巻き込みたくもない。」
もうわかっている。私はあの女からは逃げられないんだ。
「瑠々。」
「話はおしまい。おやすみなさい、姉さん。」
私はまだ話を続けようとする姉さんを無視して部屋を後にした。
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姉さんの部屋をでて、戸を閉めた瞬間に玄関のドアが開く音がした。
まずい、振り向いてすぐに謝らなきゃ。
「ごめんなさい、掃除のために入っただけで…」
玄関は開いていなかった。そう聞こえただけだ。最近家にいるとこんなことが多い。ひどいときにはあの女の声も聞こえるのだ。ヒステリックに叫ぶ、生まなきゃよかったの声。
「瑠々…?」
「あはは、気のせいか。」
姉さんが声をかけてきた気がした。きっとこれも気のせいだ。おかしくなって笑ってしまった。
洗濯物をたたんだらもう寝ちゃおう。明日も学校だし、起きてると余計なこと考えて苦しくなるよね。
おやすみなさい。明日は殴られませんように。