地方創生のアステリア   作:金木桂

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#1-1 地方領地は金が無い

 

 金が無い。

 いや、もう本当に笑えるほどに金が無い。

 盛大に『ガハハ金ねえぜ何もかもみーんなお終いだ!!』とヤケクソ気味に叫んでは春の陽気に身を任せて大樹の下で裸踊りでもしてしないそうなほどに、金が無い。

 

 金といっても俺個人の財布という訳ではなく、ここで言う金は領地の資産という意味合いであって、何故なら俺は田舎貴族の領主なのだ。ただまあ名ばかり貴族というやつだ。貴族と言えば煌びやかでお高く留まった印象があるが、そんなのはもっと人口の多い都市部を治めるような貴族の話で、田舎貴族の現実は泥臭くて現場労働で前世で言うところのブルーカラー労働者みたいなものだ。それは流石に違うだろうと思うのなら中間管理職という役職を付け加えてもいい。

 人がいないからと言って自然災害だったり魔獣災害の現場は俺自身が見に行くことも多いし、防犯のための定期的な警邏も俺の仕事だ。しかし俺は領主だというのに誰も俺が不審者に襲われて凶刃に倒れる心配はしてくれない。その代わりに俺より何回りも年上の住民共はやんややんやと声を高らかにしては「治療院の開いている時間が短い」だの「生活がきついから税を下げろ」だの「若者が定着する様な施策をしろ」だの好き勝手突き上げてくる。逆に中央貴族院からは「お前の代で財政状況を建て直せ」だの「お前の領土から他の領土に魔獣が大移動して迷惑だ。お前の手で掃討しろ」だのこっちはこっちで好き勝手言いやがって、俺はサンドイッチの具じゃねえんだぞと。

 

 まあなんだ、この土地で領主の子供に産まれてしまったのが運の尽きだろう。

 

 全く以て、貧乏籤だ。

 この地、クレスケレスはシードゥス皇国でも随一の貧乏領地で、中心都市ですら目ん玉が飛び出るくらいにはド田舎だ。

 街の規模は1000人ほど、隣町までは隘路を歩けば四日。商業用に整えた山道であれば七日かかる。つまり自然災害で道が駄目になればすぐさま陸の孤島化する限界集落一歩手前の街である。

 

 四方は山だし冬は寒いし、この十数年で若者はみんな皇都へ出てくようになっておまけに貧乏。産業基盤だって碌にありゃしない。

 あるのは森と山と湖と畑、それから沢山の老人に沢山の負債。それ以外は何一つ優れた要素はないと言い切れる。

 あーもう駄目だ。

 考えれば考えるほどに詰んでる。

 そして俺は堪えていた溜息を空中に巻き散らかした。二酸化炭素を幾ら排出しようがクレスケレスの豊かな緑が吸い取って綺麗な酸素に変えてくれるので、溜息なら何度でも吐き放題ってのは都会の人間からすれば魅力的だろうか。思えば皇都レーヴェに住む人間たちの溜息だって恐らくは海風に流されてはこのクレスケレスにある森林で浄化しているはずだ。溜息一回につき銅貨一枚くらい請求したって何の文句もないよな。新しいソリューション。溜息ビジネス、最先端だ。

 

 馬鹿みたいなことを考えてみて、俺は溜息をまた吐いた。

 金が無いと現実逃避が上手くなる。

 金が無いと選択肢が狭まって、全てが丸っと一瞬で解決してしまう魔法みたいな解決策を妄想してしまう。それでふと我に返ってはその辺の河原で不揃いな石を何個も積み重ねたような、今にも崩壊しそうな帳簿の数字を思い出して頭を抱える。

 兎にも角にも金が無い。

 

 じゃあ何で金が無いのか。

 それを話せば少し長くなるので割愛するが、断定的に俺のせいじゃなかった。

 ついでに偽善者ぶって誰のせいでも無いと言えばそれはそれで真っ赤な嘘だった。

 少なくとも呵責を追うべきは俺じゃないという事実だけがそこにはあって、だからと言って責任者を問い詰めたところで金が無い現実は変わらないので論じるだけ無駄だと俺は思う訳だ。更に言えば責任者は俺の親父で、数カ月前に病死してしまったからもういない。責任を被る人間などもうこの世界には存在しないのである。つまり考えるのも無駄ってことだ。はいはい無駄無駄無駄。結果、俺の口から大きな溜息が出た。

 

 もう駄目だろこの領地と思う。この三カ月、領主になってから何回も思っている。

 何せポテンシャルがあまりにも無さすぎる。昔から細々と第一次産業が根付いたこの土地には、何一つ金脈となりそうな産業も特産物も、観光資源だって何も無い。無いなら作ればいいとか簡単に言ってくれる中央貴族院の馬鹿貴族の後頭部に錆び塗れの鉄の鍬を付き立ててやりたい。

 一応、モラルとか倫理を無視すれば手段が無いことも無い。例えばの話だが、この誰からも見向きもされないような土地を活用してひっそりと新興宗教でも作って、魔獣の脅威に覚える人々を騙くらかしては「聖なる神と邪悪なる魔獣は二律背反の関係です。貴方のその内なる不安も、聖典を唱え神を信じ大地に感謝することで光が注ぎ、善き人生へと廻り出すのです。さあ、神からの貴方への祝福を祈るのです!」とか適当ぶっこいて金を徴収せしめればこのド田舎クレスケレスだって経済的には発展するだろう。でもダメだ。流石に人心掌握は俺には荷が重いし、後カルト宗教に良いイメージが無い。きっとこの感覚は万国共通のものだろう。俺の感性が真っ当だったから選択肢が一つ消えてしまった。

 

 寝不足の頭でうつらうつらと絶対に成し遂げられない青写真を描いていると、前方で思い切り椅子の足がガタンと勢いよく床とぶつかったみたいな大きな音がして、思わず俺はそちらを見る。俺にとっては見慣れた少女が悲痛な面持ちで立ち上がっていた。

 

「どうしましょうスノウ様、本気で万策尽きました!」

 

 その少女───クラスケレス領の帳簿と睨めっこをしていた俺の友人兼数少ない臣下であるエウテゥ・ミリアムは、春の穏やかな日差しを切り裂くようにそんな高らかな悲鳴を上げてみせた。

 先程から何度も算盤を弾いていたが、何度弾いても余剰資金がすっからかんの死に際という結果が変わらなかったらしい。さもありなん。クレスケレスは一度の手傷が致命傷だ。

 うんうんと俺は頷いた。分かる分かるーと口でも言う。そうだろうそうだろうと俺はそのまま俯せになっては腕枕の上に頭を置いた。そのまま目を閉じて不貞寝の構えである。

 

「ちょっと諦めないでくださいスノウ様!? 貴方が諦めたらクレスケレスはおしまいですよ!?」

「もう二回財政破綻してるんだから三回破綻したところで変わらんだろ。そんなことより見ろよ今日の天気、ここんとこ続いてた大雨が嘘みたいに快晴だ。こんないい天気には昼寝しなきゃ天国の親父に怒られる」

「スノウ様のお父様がご存命ならだらけきった今のスノウ様を叩き切ってましたよ───ではなくてですね! お金がありません! 完全に! 不味いです!」

 

 ドンドンと二回ほどエウテゥは俺の執務机を叩いて揺らした。これ以上昼寝を試みたら確実にキレられるので仕方なく起きる。

 

 顔を上げればエウテゥの顔が近かった。きめ細かな妖精みたく白い肌に、薄青とした雪の結晶を思わせる幻想的な髪色がなだらかに腰元まで流れ、円らでたっぷり光を含んだ瞳も髪と同じく水だまりの色をしている。僅かに視線を落とせばつい摘まみたくなるような形の良い鼻梁に、淡く豊潤な桜色の唇。少し引いてみれば今日は奉仕服というにはフリルが目立たない程度に施された白黒ドレス姿で、前世の言葉で言えばメイドドレスってやつだろう。エウテゥの趣味というよりはミリアム家の仕事服である。これがまた優れた容姿の良さを引き立てている。胸元には谷間を僅かに隠すような位置取りで六芒星と十字架を組み合わせたようなネックレスが、高級なウイスキーのような小麦色に光り輝いている。メイドドレスと合わさってさながら宗教服感を醸し出している(冒頭にえっちなという修飾子が付くが)ように見えて、実際にエウテゥはシスターではないものの聖堂教会の教徒でもあった。それがまた儚さを浮き彫りにして、弛まぬ美貌を照らし出している。

 

 つまるところ、幼馴染ながらこのエウテゥ・ミリアムという少女は容姿はもうどこから見ても貴族令嬢みたいな美少女だった。

 何年も一緒にいるから見慣れた顔立ちと言えど、今日も可愛く実在する我が幼馴染に少し役得を覚えながら俺は欠伸をした。普通、ここまで自分の顔を相手に近づけて起こそうなどと考えないが、そこは天然のエウテゥだ。言うまでも無く恋愛的なテクニックを講じている様子はなく、怒りとパニックと悲鳴交じりに歪んだ相貌を見れば俺に直談判しようと顔を近づけているだけであることは明白だった。

 

 と、のんびり考えていればエウテゥは俺の肩を掴んで揺さぶる。

 

「もうちゃんとしてくださいよー! スノウ様がそんなんだとクレスケレスは本当に破綻しますよ!?」

「そうだな……それは困ったな」

「全然困った様子じゃなさそうなんですが!?」

 

 俺の顔を指差してエウテゥはヒステリックに絶叫した。

 いや困ってるのは本当なんだよな。困ったうえで打つ手だけが何もないだけで。

 

 眠気を堪えながら俺は頭を回す。

 金欠となる要因などここクレスケレスには幾つも存在するが、今回の原因は度重なる豪雨だった。

 春先は特に海から遥々流れてきた湿った空気がこの辺りに自生している山岳にぶつかっては天高く舞い上がって、雨雲になっては大地に水を還元して地盤を緩める。それ自体はまあ良いことなのだが、それにしたって程度がある。ここ連日の土砂降りで大地は潤いまくり、轟々と鳴る泥水の川音の下で、山肌は些か過保湿気味になっていた。そして先日、雨水を限界まで蓄えた地盤がどしゃりと崩れたことで、クレスケレスから東西に伸びる三本とない貴重な商人街道の一つであるシュツット街道が使えなくなってしまった。崖崩れだ。その一発による復旧費で財政難である。自分の領地ながら財政が貧弱すぎる。

 

 どのように試算したってこの支出を補填する術が思いつかない。補填しようにもまともな方法ではその予算がない。

 

「エウテゥ、解決策が一つあるんだけど」

「はい? そんなものが本当にあるんですか?」

 

 一転して期待に満ちた視線を浴びせるエウテゥに、俺は凝り固まった肩を解しながら言った。

 

「俺が夜逃げすれば憐れんだ中央貴族から資金提供くらいは引き出せるだろ。俺は適当に雲隠れするからじゃ、そういうことで」

「いやいやいや!! じゃ、そういうことでじゃないですよ現実逃避しないでください! 崩壊しますよクレスケレス!?」

 

 立ち上がって部屋から出ていこうとすればエウテゥに手を引っ張られて阻止された。

 今にも捨てられそうな犬の目をしながら縋るもんだから俺は後ろ髪を掻いた。冗談半分なのに。

 

「まあ同情で金を引っ張れるかどうかと言えば、ぶっちゃけ確実性に乏しいからやらないけどな」

「確実性があってもやらないでください!」

 

 座りなおしてもなおエウテゥに詰め寄られる。

 でもなあ……これが一番現実的な策なんだけどな……。

 そんなことを考えながらもエウテゥの納得感を引き出せないことは分かっていたので、俺は出そうになった欠伸を嚙み殺した。

 

「現実問題、金が無いなら借りるしかないだろうな」

「その話も何度かしてないですか? 出来るんですか?」

「出来るわけないじゃん。信頼もクソもクレスケレスには無いからな」

 

 そう言うとエウテゥは泣きそうな形相で適当なことを言うなとばかりにこちらをじっと睥睨する。

 何せ二回も破綻しては国から補助金が注入されている領地である。流石に三度目の情けを期待するのはあまりにも厳しかろう。二度あることは三度あると言うが、仏の顔も三度までとも言う。三という数字はいつだってターニングポイントだ。再放送ならちょっと見ようかという気になれるドラマも再々放送となればテレビ局の手抜きを疑い流石に見る気を失くす。この世界にはテレビもドラマも無いが同じことだ、多分。

 

「金を稼ぐって選択肢もあると言えばある。例えば産業活性化、何かしら皇都の人間の好む農業生産物を名産品として開発する。或いは林業で採れた木材を使って工芸品を作ってみてこれまた皇都に売り込んでみる。いま皇都は建国以来の大好景気だから多少流行れば飛ぶように売れるな」

「でも前にそれも難しいって言ってましたよね」

 

 小首を傾げつつもジトリとした目でこちらを見遣った。

 疑いが籠ったその言葉に俺は頷く。

 

「だって無理だからなー。まずウチに名産品になれるほどの力を持った農産物は無いだろ。工芸品だって誰が作るんだって話だ。工芸が出来る人間はいなくもないが、一人二人生業にしている人間がいるってだけだからどうにもならない。そもそも仮に需要が出来たとして、0から生産体制を整えるのにも金がいる。結局借金は免れないわけ。はい詰んだ詰んだ、今日の仕事終わり」

「領主が匙を投げないでください! どうにかするのがクレスケレス家を継いだスノウ様の責務ですよね!」

「ぬごー……」

「ぬごーじゃない! 核心突かれたからって意味不明な鳴き声を上げないでください!」

 

 だって無理なものは無理だ。地盤大崩壊が起きている地方農村の建て直しなんて何度ルナティックすぎる。

 最悪金が無いのは良いとして、何か新しいことを興そうとしてもこの地域には人が居ない。経済活動の基本は金と人手だ。人手が無いと如何せん事業規模を拡大させていくにも限界がある。じゃあ人手どう集めるかという問題に収束するわけだが、コンサルの手を借りるのが定石だろう。この世界で言えば商人か。だが商人とコンサルは違う。コンサルは誰も見向きもしないような事柄に潜在的価値を見つけ出して投資に踏み込むのに対し、商人は目に見える金の蜜の匂いがする場所に群がっては無くなった途端思い入れもなく別の蜜を求めて移動するハゲタカ集団でしかない。現在すっからぴんの誰も見向きもしない地方寒村を新規開発して、その先駆者利益を享受しようだとは考えない。まだこの世界ではそういうコンサル事業が一般的ではないからという理由もあるが、いずれにしても、クレスケレスの魅力を何も提示出来ない以上そういう投資を呼び込むことすら出来ないだろう。

 

「全くスノウ様は……領主になっても変わりませんね」

 

 呆れたようにエウテゥは嘆いた。

 

「そりゃ三カ月前だぞ。しかも任命式とかそういう形式的な行事すらナシで、親父が逝去されたから息子の貴方は今日から領主様ですなんて言われても自覚なんて無いっての。エウテゥだって俺が領主になって言葉を改めてるけど時折素が出てるじゃん」

「未だに領主の自覚が無いスノウ様が悪いんですー私はスノウ様と違って適当なわけじゃないですー」

 

 ぶー垂れるエウテゥに俺は腰を上げる。既に日は傾き始めた午後の良い時間で、紅の陽射しがクレスケレスの畑を照らし始めていた。

 そろそろ警邏の時間だな……まあ気分転換には丁度良いか。

 

「はいはい。じゃあは俺は散歩ついでに見回りしてくるわ」

「分かりました。また後でこの件はお話ししましょうね」

「いや帰ってくるのは夜になるから先帰っててくれ」

「お話ししましょうね?」

 

 エウテゥは誰もを魅了する良い笑顔を浮かべながら五臓六腑を芯まで凍り付かせる冷たい言葉を俺へ差し向けた。

 ……本当に国外逃亡しようかな、俺。

 

 

 

 

─── ─── ───

 

 

 

 

 温かな春月の風に身を投じつつ、何年経っても歳月の経過を感じない村落に目を張りながら俺は練り歩いていた。

 見回りというのは往々にして大通りを歩いても意味が無い。何か疚しいことを考える人間が事を起こそうとするに都合が良いのは人目の付かない裏道小道。とはいえ、それだけだと住民たちから見回りが為されていないんじゃないかと思われてしまうので、時折大通りを経由しながら家々の間隙を縫うようにして歩き回る。

 

 正直、老人が住民の多くを占めるクレスケレスの治安は良いからこういう見回りもやる意義は薄い。それでもやらないとエウテゥを筆頭に組合から怒られてしまうので仕方なくやっている。ホントは青年会とか作って見回りさせれば良いものの、親父は昔から一人でこれをやっていたらしい。それがそのまま俺に引き継がれたわけだ。勘弁して欲しい。

 更に少し歩く。すると中心部から外れる。

 町中からちょっと離れるだけで、森と畑と山々と小川、それから疎らな家々で構成されるクレスケレスの長閑な田舎の景色が橙色の夕日に照らされて幻想的な雰囲気を放っている様子を見ることが出来る。皇都から来る人間からすれば物珍しいだろう光景も、見慣れてしまった住人からすればあまりの閑散としたド田舎っぷりに溜息が出るのみである。

 

 やはり見回りとは名ばかりの散歩である。不審者など見掛けることもなく、偶に歩いていても地元住民だけ。

 そう思いながら見渡していたのだが、今日は不運だった。

 クレスケレスから湖底都市リュンヌへ延びるシュツット街道への道のりを引き返してくる一人の怪しい人物がいた。それは男か女か分からなくする程度には大きな薄汚れた外套を頭からすっぽりと被さって、年季の入った大きなリュックを背負っている。小柄な体格で、顔は外套のフードで覆われて良く見えない。ゆっくりと幽鬼のような足取りでこちらへと歩いてくる。

 

 シュツット街道は現在崩落しており、復旧作業待ちのため閉鎖中だ。それを知らずに引き返してきたのだろうが、それにしても何とも不気味で違和感がある風貌な奴だ。俺は端々に目を遣って、恐らく地域住民ではないだろうことを確認した上で溜息を吐いた。

 仕方ない。仕事は仕事だ。声掛けてみるか。

 

「見ない顔だけどどこから来たんだ?」

 

 ………………………………。

 ……おいおい無視かよ。

 しかも何一つ俺の方に見向きすらせず通り過ぎようとしている。

 話しかけられたら何かしらの反応は返すだろフツー。

 

「ちょっと待て待て、別に俺は怪しいもんじゃない。俺はここの衛兵みたいなことをしている人間だ。あんた、クレスケレスは初めてだろ。この辺は過疎ってるからな、余所者ってのは直ぐわかる。あんたみたいなちょっと怪しい格好をした余所者には念のため事情聴取をしている訳。だから面倒だが名前とクレスケレスに来た目的くらいは明かしてもらえないか?」

「失せろ土民」

「…………は?」

 

 声音はまだあどけなさすら感じる少女のものだったが、それ以上に何を言われたか分からずに俺は数秒思考が停止した。その間にも少女は身体を左右に揺らしながらもクレスケレスの中心部へと足を運ぼうとしている。

 それを見て俺は早足で追いかけて肩を掴んだ。随分となだらかなラインの感触に、やはり少女だろうと俺の中で結論付ける。

 

「おい待てって。こちらの事情も聴いてくれや。俺は何も捕まえようだとか食って掛かろうとかは考えてないっての」

「私を見るな触るな悍ましい。薄汚れた人間風情が!」

 

 少女は一喝するや、俺の手を半ば殴るような仕草で払い落すと、外套のフードから紫色の鋭利な瞳で俺を射貫いた。余りにも身に覚えが無い敵意に怯みそうなるが、ここで引けば領主として舐められる。ヤクザじゃないが大概領主もメンツ商売なのだ。

 

「悪かった。お前の気分を害する気は無かったんだ」

「ふん」

「で、何処から来たんだ?」

 

 また無視して歩き出した。ホントもう何だこいつは。プライドが高すぎだろ。

 

「じゃあ聞き方を変えるがどこに向かってんだ? シュツット街道……ああ、お前が行こうとしてたリュンヌに続く街道な。こないだの大雨で崩落して今は通り抜け禁止になって、それ見て戻って来たんだろ? 一応俺はこの地域にゃ詳しいから目的地へのルートとか教えてやれることはあると思うぞ」

「要らない消えてくれ。お前の言葉を聞いてると精神まで爛れる」

「爛れねえっての。お前の素性が問題無いってことさえ分れば素直にどっか行くからほれ、さっさ話せ」

「こっちを見るな不潔だ!」

 

 理不尽すぎる誹りを華麗にスルーしつつ俺は改めて少女の見た目を確認する。

 あちこちが解れて土汚れで淀んだ色をした外套。

 煤汚れたみたいに黒ずんだ溜まった爪先。

 靴というにはあちこちが破れてしまい足を守るという役割を果たしているかも怪しい履物。

 そして近づくと鼻孔を突く汗と不快物が深く混合した酸っぱい浮浪者の臭い。

 

 ……どう考えても俺よりもお前の方が不潔なんだよな。

 

「なあ、これは親切で言うが水浴びくらいはしろよ」

「なっ……!?」

 

 何故か驚いた雰囲気で少女はよろめいたようにまた左右に揺れた。

 

「正直臭うし汚いし。他人のことを罵倒するのは良いとしても、いや本当は良くねえけど、それ以前の身なりだぞお前」

「ふ、ふざっ…………!」

 

 何か言い返そうとした気配だけは伝わってくる。

 でもそれも途中で辞めたように自分の外套を顔に近付けるとクンクンと嗅ぎ始めた。

 そのまま思考するように停止する。悩むまでもなく臭いと思うんだが。

 数秒後、俺をまた険しく睨むと、

 

「虚言で私を騙そうとしたなこの詐欺師め!!」

「してねえ!!」

 

 もしかして気づけないのか!?

 最早その体臭がデフォルトだから鼻が慣れてしまって気づけないのかこの女!?

 

「じゃあ論理的に証明するがいいさ! あ、論理も証明も土民には未知の言葉だったかな! やれやれ私としたことが、お前みたいな低能魔物以下二足歩行する肉の塊に顔が付いただけの欠陥生物にはちょっと難しい言葉を並べすぎしてしまったようだね! しかも事実でもないことを証明するだなんて……あー、久しく面白い気持ちになった。そこだけは感謝しておこう、土民」

「分かった、証明しよう」

「……はっ?」

 

 俺は少女から目を離すと周囲を見渡した。ここクレスケレスはもうご存じの通り限界ド田舎であるので小動物なんかも沢山生息していて、俺は水魔術を使って触手を作り出すと、適当な野良猫を手繰り寄せた。野良猫は多少抵抗するようにもがくが、直ぐに諦めるように素直に抱かれた。

 因みに野良猫というのは方便で、本当の名前は『ヌモ』と呼ばれる肉食生物だ。一見すれば斑模様の茶トラ猫に見えるが、自分より小さな生物ならば動物だろうと魔物だろうと見境なく食らい、捕食する時は口が横に大きく避けてガブリと嚙み殺す。見た目は可愛いものの赤ん坊や小さな子供も食べる害獣なので、騎士団からは駆除対象として見つけ次第の駆除か、それが無理なら冒険者へ駆除依頼を出すことを推奨されている。ただ駆除するマンパワーも依頼する金も無く、成人であれば無害でもあるので、クレスケレスにはそんな肉食系野良猫達が我が物顔でわんさか闊歩しているのだ。

 

 そんな野良猫というには些か物騒な生物を俺は少女に近付ける。

 野良猫は見知らぬものを図るようにすんすんとピンク色の鼻を鳴らしては少女の臭いを嗅いで。

 

「うおっ……!」

 

 そのまま俺の腕を死力を尽くさんばかりに蹴り出して、するりと俺の腕から飛び出した。

 俺と少女は野良猫に目を遣って、一挙手一投足に注目する。

 野良猫はふらりふらりと不安定な歩き方で俺達から離れようとして、ふと立ち止まると、口を開くと同時に今まで腹に見えたところまでパクリと裂けては牙を剥き出し、なんと胃の中をブチまけた。精々顔を反らす程度の反応と思ったが嗅覚が過敏な生物にこの臭いは厳しいのかもしれない。

 

「ほれこれが答えだ」

 

 俺が野良猫を指し示すと、少女は自身の体臭について漸く理解したようで一歩後退った。

 

「嘘だ……まさか……下等生物如きが私の臭いで嘔吐するとでも言いたいのかい……」

「まさにその通りだが」

「いや違う……私は考え方を誤っていた。下等生物が私の見えぬ覇気に恐れ慄き精神的負荷を覚えて耐えきれなかったのだろう。きっとそうだ。違いない。であれば、私は衛生的に全く問題無いことが証明されることになる」

「もう認めとけ。それ以上の自己弁護は惨めになるだけだぞ」

「お前じゃ知能不足で理解出来なかったようだが、私は臭くない。ヌモが吐いたのは私に恐れを成したからだよ」

 

 何処となく自信を持って口を開いた少女に絶句する。

 マジかよこいつ。自分に都合の良い現実になるように解釈を歪めやがった。

 ……まあそれがこいつなりの自己防衛策というのならもう何も言うまい。

 

「分かった分かった。じゃあお前が女を通り越して人間としても致命的に臭いのはもうこの際置いておく。だから素性と目的を話してくれ」

「…………本当に私は臭いかい?」

 

 諦めて流そうとしたのに、少女は確認するように俺へ訊ねた。

 どれだけ野性味のある臭いを放っていても、自分で自分の体臭を確認するのは難しい。プライドを守るために本能では反駁しつつも、それを理性では理解しているからこそ恐る恐る聞くのだろう。

 ならば俺はこう答えるしかない。

 

「これまで人生で会って来た人間の中でも最悪クラスの体臭だ」

 

 正直に応えれば、少女は項垂れるように首を下に曲げた。

 人間への敵意と自身の穢れを天秤に掛けた時、後者に天秤が傾いたように苦渋に満ちた相貌でぽつりと言葉を零す。

 

「……死にたい。劣等生物にここまで言われるなど里にいた時並みの屈辱だ」

「何日も身体洗ってないんなら俺じゃなくとも言われはするだろ。俺の家なら風呂あるが、入るか?」

「誰が人間の手など……ちょっともう一度聞かせてくれ。風呂かい。水ではなく」

 

 俺の言葉を反芻した少女に頷いて見せる。

 風呂というのはこの世界では非常に貴重だ。何せ電気もガスも無いので、湯を張るのには相当な労力を払う必要があるため個人の家に風呂場なんて普及していない。一応共同浴場というものはあるにはあるがそれもあまり赴く気にはなれなかった。メインの客である庶民は水浴びすら隔日やるかどうかの連中ばかりで、更に共同浴場湯を張り替えるタイミングが一日一回なので、夕方に行けば垢塗れの汚い湯舟である。もう生理的に無理。無理無理かたつむり。垢塗れの風呂でバシャバシャやってる子供もいるし垢が顔に掛かるし、これを受容できる奴らの神経図太すぎるんだよ。

 と、俺がこの世界基準で潔癖主義というのもあるが、共同浴場はまあ自宅に風呂があれば行かない程度の代物だったりする。

 

「ああ、風呂だ」

「家柄が良いんだな」

「この一帯の領主だからな俺は」

「まあ私の方が家柄は良いんだがな。家自体も私の方が大きいし豪華絢爛だ」

 

 だから何なんだこいつは。家の広さで張り合う必要性ないだろ。そもそもそんなボロ雑巾みたいな見た目して家、持ってたのかよ。

 

「俺の家見たことないだろうが。どっちがデカいとか分からないだろ」

「それは同じ条件だ。卑戝たる身で私の家を見ようなどと考えても無駄だからね。お前みたいな土民は一生この寒村でひもじく死んでいくんだ」

「一句一句に罵倒を挟まなきゃ気が済まないのかお前は」

「しかしそうなってくると比較検討の為に見る必要性が出てきてしまった。仕方がない、お前の見窄らしい藁の家でも見に行くとするよ。ついでだからお風呂も頂戴することとしよう。私は寛大だから浴槽にこべりついた多少の土臭さも我慢してあげようじゃないか」

 

 俺の言葉を押し並べて無視すると、俺を案内役に仕立て上げるように前を指し示した。

 安易に風呂に誘ってしまったのが運の尽きだったのだろう。何故誘ってしまったのか。おかげで後は家に帰るだけというのに気が鉛玉のように重い。

 何処となく痛み始めた頭を押さえながら、俺は怪しい学校の少女を引き連れて帰路に就くことにする。

 

 道中、少女が道路沿いに植えられた木々を珍妙なものを見る目で観察していることに気付いた。

 

「どうしたんだ? そんな田舎が珍しいか?」

「こんなにも目に悪い木があるもんだといたく感心していたんだよ土民」

「テンペルートか、確かに他地域では見ないかもな」

 

 外部から人間などほぼ来ないため言われるまで気づかなかったが、このテンペルートの樹はクレスケレスならではの光景だろう。

 形状こそ一般的な広葉樹なのだが、一目で異色を放つのはその色合いだ。

 青、緑、赤、紫、黄、黒、白。

 枝先から葉にかけて目が痛いほどの七色に染め上げられたこの樹木は現実感に乏しい色合いをしていて、誰が言ったか夢の樹木なんて言われることもある。違法薬物でも摂取しなければ見ないほどに奇怪な極彩色をしているだからだ。

 

「美しくはないな。寧ろ気持ち悪い」

「だよなー。住民からしても微妙な色だ」

「何で放置する? あんな毒っぽい樹木切ってしまえばいい」

「あの色になるのは春月の一週間だけ、つまり今だけなんだよ。一週間だけってのにわざわざ切るのも面倒だろ」

「怠惰だな。しかしこんな禍々しい植物など見たことが無い。この地、呪われてるんじゃないか?」

「呪われてねえよ。多分」

 

 テンペルートを見ていると言っていて自信がなくなりそうになる。そういや昔に伐採しようとして、あまりにも幹が硬すぎて伐採を諦めた、なんてこともあったとか話を聞いたような……。本当に呪われてないよな、クレスケレス。

 気色悪そうにテンペルートを眺める少女を傍目に、俺の家が見えてきたので一応指さした。

 二階建てで、こんな地域でも貴族の家なのでそこそこ敷地は広め、ただし外観は少々年季が入っている。

 

「あれが俺の家だ」

「土民にしては良いとこ住んでるじゃないか。ま、まあお相子ってところかな」

 

 少女の家よりは大きいらしい。何となくだけど分かるわその反応で。

 まあ、これでも領主だからな。一般人に家の大きさで負けたら面子が丸潰れだ。

 胸を張って勝利を誇っても良かったが、少女から大いなる反感を買いそうだったので俺は適当に流した。

 

 

 




あらすじにもありますが下記作品のリメイクです。
https://syosetu.org/novel/356696/

本当はもっと手際よく書く予定でしたが筆が重かったので一旦投稿。
とても緩やかに投稿する予定です。
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