求む青春まであと何マイル? 作:人生逆転部
私立
まだ建て替えられたばかりの校舎を照らす照明は新品同然で、床も壁も天井も学校にしてはあまりにも白い。世間一般的な学校とは掛け離れた内装に思わず入学当初は四方八方を見回してしまったほどだ。
それから2週間の時を経て漸く校内の景色を見慣れてきた俺であるが、初めて踏み入ったフロアの廊下と異質な教室を前にして再度入学直後に戻ってしまったかのように周囲を不審に見回す羽目になっていた。
いや、廊下こそ他のフロアと同じなのだ。
床は埃が所々落ちている物の相変わらずRGB比で変わらない白さを誇っていて、ただ三階という階層がまだこの高校に完全に馴染み切れていない俺にとっては異質感を覚えるだけで。ここはまだ良い。
そう、本当に問題なのは目の前の教室。
ドアの上にはプラスチックのこれまた無機質なプレートがあって、そこには『人生逆転部』などと書かれている。部、というからには部活動の一種であることは辛うじて読み取れるが、活動内容は一切想像すらつかない。補助教室の一つを部室にしていることから体育会系ではなくて文化部だろうとは分かるが、しかし、何なんだ。何をするんだよ本当に。
一応述べておくと、俺はここで偶々廊下を横切ってこの珍妙な部活を見つけたかと言えばそうではない。元より俺の目的地はこの教室で、しかし物見遊山気分でやってきた俺はこんな教師から認可されなそうな部活動が本当に存在し得るとは到底思っていなかった。だから普通に戸惑ってる。人間、未知なるものには二の足を踏むのだ。
───ここで回想を挟めば、俺が人生逆転部という部活を初めて知ったのは入学してなんと二日目の話であった。
まだ部活動勧誘期間でもなかったその日の10分休み。前後左右の手短な生徒同士で相互理解を図るべく、距離感を掴もうと探り探りに交流を試みる声がそこかしこから聞こえてくる一年一組の教室へ、見知らぬ女子先輩が俺を訪ねてやってきた。
『すみません~!
因みに赤神十段というのは俺の名前であった。ゲームの称号みたいで若干コンプレックスだから触れないで欲しい。何の十段ですか? とか言われた回数数知れず、言うまでもなく俺のナイーブポイントである。
名前はさておき、まだ自己紹介を昨日終えたばかりの教室では俺の名前なんて憶えている人間などいない。
だから俺は溜息を一つ吐いて、厄介事の香りにやれやれと後ろ髪を搔きながらも仕方なく立ち上がろうと。
『赤神さんなら教室の一番左前の席ですよ』
『ありがとう後輩ちゃん!』
───したところで教室後方で話していた小柄な女子が窓際一番前に座る俺を指し示して、俺は中途半端に浮かせた腰をストンと椅子に落とした。後から聞いた話によれば名前が面白すぎて一発で覚えられてしまっていたらしい。クソッ。俺の名前が目立ちすぎる件について。
俺の居場所を教えたクラスメイトに女子先輩は軽く礼を言って、トコトコ俺へと歩み寄ってきた。まだグループも形成されていない微妙な空気感の教室では一際目を引いたのか、自然と周囲の視線が集まって嫌な気分になった。
自ずと俺も新入生の教室へ威風堂々と立ち行った女子先輩へと奇異の視線を向ける。
何と言うか、その女子先輩は美人だった。正確には後三年もすればモデルとか女優とかそういう類の凛とした顔立ちになるんだろうなって感じの相貌で、輪郭にはまだ年齢相応の幼さというか、女子高生っぽさが含まれていて、美女と美少女の中間点と言った見た目をしていた。細部に目を遣れば、長い黒髪は一本の縮れ毛もなく、ぱっちりとした瞳に形の良い眉。夜に浮かぶ月のような白い肌。制服のYシャツに装備されたピンク色のリボンは緩めに付けられているが故に大きな胸に押し上げられ、スカートから覗く太腿も程良い肉付き。きっと男子受けは素晴らしいのだろうとその時の俺はまるでセクハラ染みた思考回路を働かせて観察していた。否、認めよう。その時の俺は普通に低俗だった。
そんな気持ちの悪い見方をされていたなど露ほども知らない女子先輩は俺の前で立ち止まると、自信満々に言った。
『ねえ赤神君、人生逆転してみない?』
軽く机を叩かれて、少しして机にビラが押し付けられていることに気付いた。どうも部活のチラシのようで、見出しに『人生逆転部』と印刷文字で記載されている。部活名だけでもヘンテコなのに、ついでに『人生終わってる部員大募集!ピンチな部員募集中笑♡』とゴシック体で記載があるもんだから、ポップな文章と異なって少々の堅苦しい印象を受けて、それがまた異質な雰囲気を放っていた。
中身はともあれ一先ず勧誘ビラと認識すれば話は早かった。
つまりこれは部活勧誘というわけだ。
『ええと、何で俺を?』
自ずと出たのは当然の如く困惑の言葉だった。
教室で俺の名前を出して訪ねてきたということは俺個人を狙った勧誘であることは間違いない。
でも俺はこの女子先輩の名前を知らない。会ったこともない。
それに勧誘されるような理由も無いはずだ。実績になるような結果は中学時代残していない。
精々中学でやっていたことと言えば、当時俺は陽キャラが集まりしサッカー部の一員だった。だが俺自身は三年間ずっとベンチを温め続けたし、そのサッカー部も俺の三年間の総大作である三年夏の大会は二回戦であっさり敗北を喫した。あと俺は一度も出場することは無かった。なんて虚しき三年間だったことか。上下関係で扱かれるだけ扱かれて、練習試合以外ではサッカーをしてない三年間だったのである。マネージャーの可愛い女子が背番号10番のキャプテンかつイケメン同級生といちゃいちゃしている様子を苦々しく思いながらドリブルの練習をするだけの、本当にそれだけの三年間だった。なので高校では絶対にサッカー部には入らない、そう強く決めている。閑話休題。
俺の散々たる学生生活の経歴はともかくとして、俺がそう尋ねると女子先輩は慈悲の光を灯した眼差しを据えてこちらに手を差し伸べた
『私たちは人生終了寸前の仲間を欲しているの。だから良ければ赤神君も仲間にならない?』
なにが"だから"なのだろう?
俺が更に困惑を深めたことは言うまでも無い。
初対面の先輩から人生終了寸前という身に覚えのないカテゴライズをされて、冷静沈着が売りな俺は憤慨するよりも先に頭を捻って人生を振り返った。
そりゃバッドで校内の窓を割りまわったり、他校に乗り込んで不良と喧嘩したり、はたまた登校が億劫になって不登校寸前とかであれば女子先輩が言うような人生終了カテゴリーに当てはまるかもしれないが、こと俺に関しては何一つ掠ってもいない。
『誰かと間違えてませんか? 俺は違いますよ?』
だからきっと人違いだろうと一人で納得してそう返せば、女子先輩は依然として俺を見つつ、天使のような笑みを作った。
『ううん、間違えてないよ。安心して。君は間違いなく人生転落一歩手前、要するに我が部としては優秀な
甘い笑みでとんでもなく失礼なことを言ったぞこの先輩。
『ともかく興味があったら来て。言っておくけどこれはスカウトだから、本来なら簡単にはこの部活に入れてあげないんだからね』
言いたいことを全て言ったらしく、女子先輩は名前すら名乗らず去って行った。
とまあ、こんな出来事があったので興味半分冷やかし半分で『人生逆転部』に俺はやって来たわけなのだが、どうも本当に存在すると分かると足が竦む。
順当に考えてみよう。
部活名から察するに、人生を逆転させなくてはならないと考えるほど人生を悲観している人間たちがこの教室内にいる。きっとパチ屋の前にあるATMと同じような、六月の日陰の如き陰鬱なマイナスパワーで室内が溢れているに違いない。
しかし。
何故あの女子先輩が俺の名前を知っていたのか。
何故俺を勧誘してきたのか。
てか本当に人生逆転部ってなんだよ。
固唾を飲みつつ、好奇心に逆らえなかった俺は遂に禁じられたパンドラの箱を開けた気分になりながらも扉の取っ手に指を掛けて力を籠める。
目に飛び込んできた室内は一般的な教室のものだった。
仲高(仲原高校の略称だ)の教室は全て黒板からホワイトボードに変わっているがこの教室も例外じゃなく、しかしそこにはマグネットて俺が貰ったのと同じ勧誘ビラが3枚ほど張り付けられている。少しデザインが違ったのでここでビラの検討会でも開いていたのだろう。
窓は開けっぱなしで、丁度吹き込んできた風に乗って飛んできた僅かな砂塵に顔を背けると、視線の先、丁度椅子にちょこんと座って本を読んでいた女子生徒と目が合った。俺を勧誘してきた女子先輩とも違う、知らない女子だった。
風に靡いた茶髪ツインテールに赤い瞳。あからさまに中学校から進学したばかりですと言わんばかりにぷくりと膨らんだ柔らかそうな頬に、身長は俺よりも大分小柄。四肢は筋肉が備わっているか怪しいほど華奢で、視線を真下に向ければ上履きの色が俺と同じ青色だ。よって一年生、俺と同じ学年か。
女子生徒は少し驚いたように瞬きを数回繰り返して、ウロウロと挙動不審に左右に顔を振って、俺以外誰もいないことを確認すると小動物みたいに小さく唸り声を上げて顔を伏せた。
「だ、誰ですか? もしかしてウイの追っ掛けですか……? そういうのは止めてほしいというか……なんというか……SNSだけで勘弁してもらえませんか?」
「マジで盛大に勘違いしていると思うんだが。俺はただこの部活動の見学に来ただけだ。てかお前誰だよ、自己意識肥大化しすぎじゃねえの?」
流れるように毒舌を吐いてしまった。
いやいや、俺だっていつもはこんな取っつきにくキャラじゃないぞ。でもよく知らない同級生にまるでネットストーカーのような扱いを受けた際の反応としては至極妥当なものだと俺は思う。
ただそれはそれとして、客観的に見れば少し言い過ぎたかもしれない。
そう思って見遣ると女子生徒はブツブツとスマホに目を落としながら何かを呟いていた。声が小さいな。耳を傾けてみる。
「そっかそうだよね。私はやはり所詮勘違いガールなんだ。分かってるよウイは例えフォロワー数2000人いたとしても所詮それは私の身体を視姦したいおじさんたちがフォローしているだけの浅い繋がり。私の中身には誰一人として興味を持っていないというかいいねもRTも昨日上げたポストは200も行ってないどうしよう私の身体にすら興味抱かれないようになったら私には何に価値があるんだろう。どうしよう嫌だ不安だ分からない誰か助けてよフォロワーたち……」
「お、おい。大丈夫か?」
なんだか普通に心配になってきたような、不気味だからあまり関わりたくないような。
何か分からないけど尋常じゃないぞこの女子生徒。とんでもない負のオーラだ。俺やっぱり帰った方が良いかな。
「あ……す、すみません。ご迷惑でしたよね」
部屋からいつ離脱するかタイミングを伺っていると、正気を取り戻したのか女子生徒はおずおずと謝罪を口にした。
……こうアップダウンが激しいと調子狂うな。
「お、おう。俺は構わないが」
「ええと、ごめんなさい……それで何の用件でしたっけ?」
聞いてなかったのかよさっきの言葉。
「いや、大した用じゃない。ここの先輩に誘われて部活動見学しに来たってだけだよ」
「そうでしたか……ウイ以外にも勧誘されていたんですね
「綿貫先輩?」
もしかして俺を失礼極まりない言動で勧誘してきた先輩の苗字だろうか。綿貫先輩ねえ。やっぱり聞き覚えないな。
幾度か脳内で反芻させても全然ヒットしない苗字に頭を傾げていると、ウイと名乗る少女は打って変わって目の色を変えて興味深そうに俺の顔を恐る恐る見た。
「もしかしてウイと同級生です?」
「そうだけども。ああ、一応自己紹介。俺は赤神十段だ」
「ホントですか! ウイ以外先輩しかいなかったので少し心細かったんですよ……! いつ先輩たちがウイの瞞着を知って虐めてくるか分からないんですよ……!」
「そ、そうか……念のため聞くが俺の名前覚えてる?」
「え? すみません……嬉しくて聞いてなかったのでもう一度お願いします」
ウイは頬を少し緩めて改めて俺の全身を観察するように目を上下に動かす。一先ず目の前の女子生徒が自分の世界に一度入り込むと話を全く聞かなくなるタイプの人種と言うことは分かった。
別に入部するって言ったつもりはないんだけどな。何故かこの同級生の中では俺は新入部員ってことになってるらしい。
「赤神十段だ」
「……ふーん、ふーん! 赤神君ね!」
「何故嬉しそうなんだお前」
二度目の名乗りに対して突如鼻歌すら歌いそうな程に機嫌を上げたウイを見て俺は思わず突っ込みを入れた。
「共通項が同級生ってだけじゃなくてウイと同類とは、いやはやこれは敬語すら必要ないよね~! うひ嬉しい~! あ、赤神君もウイに敬語要らないからね!」
「いや俺一度も敬語使ってねえし」
「嬉しいな~肩身広くなるな~」
聞いてねえし。あと同類って何のことだよ。
それにしても凄い一気に調子付いてきたな。さっきまでの陰鬱オーラは何処に行ったのか、マジで情緒不安定じゃないかコイツ。
まあいい、俺としてはこの部活が何をする場所なのか聞ければ満足だ。満足ってことにした。まだこの部の原住民とは一人としか会話してないが、それでも長居しては駄目な場所ってことくらいは俺でもわかる。
再度周囲に視線を巡らせて何も特別な備品が無いことを確認して、俺はウイに訪ねることにした。
「なあ、ここって何をする部活動なんだ?」
「うんうん、それはウイから説明するね」
と、得意げに口を開こうとしたウイの頭に手が被さった。
「───いや、それは私から説明しようかな。いいよねウイちゃん?」
「はははははいどうぞ綿貫先輩!! ウイは厳重にお口チャックで黙りこっくりんになりますから!」
視線を少しウイから上に逸らす。
視界に入ってきたのは、長い睫毛に黒曜石みたく清廉な長髪、聖母みたいな双眸。その佇まいは正に才色兼備の標榜となっているかの如く理想的。
忘れようもない、俺を入学二日目でこのヘンテコな部活動に勧誘してきた女子先輩。ウイ曰く綿貫先輩がいつの間にか教室内に入って来てはウイの頭に手を置いている。
「あははは……うん、ありがとね」
若干乾いた義務的な笑い声を上げてウイの頭を撫でる。ウイは瞳を潤ませながらぴいと鳴きそうな顔をしている。
様子を見るにこの部活動の首魁たる綿貫先輩でもウイの言動はあまり慣れたものじゃないらしい。
よしよしとペットを落ち着かせるように撫でつけながら、綿貫先輩へと好意的な視線を送った。
「で、赤神君。改めて来てくれてありがとうね。私は二年の
「あ、はい。宜しくお願いします」
ペコリと頭を下げられたので反射的に俺まで一礼してしまった。何やってんだ俺。入る気なんて毛頭ないぞ俺は。
「ここに来たってことは人生逆転部に興味を持ってくれたんだよね。私は嬉しいよ。仲間は沢山いた方が心強いからね」
「いえ俺は入部する気は」
「ということで赤神君、人生逆転部の活動内容を早速説明するね」
俺の言葉を途中で遮ってホワイトボードに近付くと、黒ペンを手にとってキュポンとキャップを抜く綿貫先輩。
また俺の話聞かねえし……。この部は人の話を聞いてはならないみたいな部則でもあるのか?
綿貫先輩は胡散臭いジェスチャーを交えながら話す。
「ずばり、この部の活動内容は部名の通り、人生を好転させることだよ。運が悪かった、何も出来なかった、道を間違えた、何かをしくじった、しくじる以前に何もしなかった。誰しもそんな人生の仄暗い過去を抱えていると思うけどね、この部活にいるのはそんな人生の仄暗い過去が一等大きくて、それをいまも引きずっている人。強い不安、悔恨、自虐、嫉妬、自己承認欲求。そんな行き場の無い感情を抱えたままじゃ高校生活灰色になるよね?」
「ど、どうでしょう?」
「なるんだよ」
突然同意を求められたから口がつっかえて疑問形になったが、綿貫先輩からすれば多分関係無かったのだろう。
ホワイトボードに人生逆転という文字をデカデカと書いては、ホワイトボードが心配になるほど強く叩いた。
「だからこその人生逆転! 私達が目指すのは薔薇色の青春生活! 同じような境遇になる仲間と協力して、高校生活を謳歌しては過去と今を楽しく生きて、未来を明るくするのが目標なの! どうかな、共感出来たかな」
「はあ」
「唖然としているようだね。まあいいとしましょう。新入部員に全てを理解してもらうほど私も傲慢じゃないよ」
いや、面食らってるだけだが。
結局何をするのかは一ミリも分からない上に、言ってることは要約すれば『楽しく青春を送りましょう』みたな話にしか聞こえない。二度目ながら何でこの部活教師から設立の認可下りたんだよ。
それと言うタイミング逃したけど新入部員じゃないっての。
数々の疑問を残しつつも、綿貫先輩は部活紹介終了とばかりにホワイトボードの文字を消しながら口を動かす。
「さて次に部員紹介をするね。私はさっきしたから次はウイちゃん、はいどうぞ!」
「う、ウイッ!」
なにその返事。この同級生、一人称だけじゃなくて返事まで自分の名前使うのか。
当てられたウイは口をあわあわさせながらも、蚊の鳴くような声で言う。
「1年4組の……う、ウイはウイです……。ウイのことは秋の木陰に落ちた枯れ葉の下で蹲っているダンゴムシと同じ存在と思って無視してください……お願いします……」
「あ……おう」
またこの同級生さっきと調子が違う。綿貫先輩の前だからか知らないが本当に情緒不安定らしい。
その鬱屈とした自己紹介の様子を見て「やっぱりかー」と言いたげに綿貫先輩がウイには見えない角度で小さく息を吐いた。
「補足するとこの子の本名は
御法川……?
名前のどこにもウイなんて文字は……あーそういうことか。
「つまり御法川は自称でウイを名乗ってるということですか?」
「そゆことだね。でも是非ウイって呼んであげて、教室でもそうらしいから」
「そうですか」
綿貫先輩が実名を暴露すると同時に何かから隠れる動きで机にうつ伏せたウイに俺は哀れな生物を観察する目を見た。恐らくウイという名前もSNSのハンドルネームか何かだろう。そう考えるとこの同級生の一人称がぶりっ子以上に痛ましく感じて憐れでならない。普通学校でSNSのハンドルネームを一人称にしないだろ。でも確かにこれは人生逆転部に相応しそうな人材かもしれない。この部に属している納得はとんでもなく出来た。
「他は今はいないけど5人属しているね。ただ4人は暫く来ることもないと思うから一旦紹介はスキップするよ」
「は、はい」
綿貫先輩はなんてことない風に口にした。部に来ないことに対する確執とかも無いらしい。まあ幽霊部員ってことか。
「で、残る1人だね。ちょっと所用があって後から来ると思うけど、名前は
少し含みを残しつつも綿貫先輩が出した名前は当然俺の知らないものだった。一つ間違いないのはこんな部活にいる先輩ってことはきっと多寡はあれど癖が強いんだろうとか考えてみる。綿貫先輩は強引に見えるし、ウイは言わずもがなだ。
「そう言う訳で今日現在で人生逆転部は合計8人で活動しているってわけ」
微笑みを讃えながら話す綿貫先輩の言葉に違和感を覚える。
8人……?
ウイと綿貫先輩、それから来ていない5人を足すと7人だよな。
残りの1人は……いや俺かよ。
「ちょっと待ってください、さり気なく俺のことを頭数に含めるの止めてください。俺は何で綿貫先輩が入学2日目に俺の事を名指しで勧誘してきたか、その訳に興味があっただけです」
「まあまあまあまあ」
「まあまあじゃないですよ!」
「仮入部ってことで手を打ってよ。我が部に赤神君みたいな逸材はそうそういないんだから」
「全然持ち上げられてないですからね!」
「そうかな?」
とても不思議そうに綿貫先輩は小首を傾げてきた。人生逆転の逸材みたいにに言われても全く嬉しくないことが本気で理解されていないのか……?
「それとも何か他に部活決めてるの?」
「……いえ、それは特には無いですけど」
「ふんふん、なら好都合だね! 一週間だけで良いからさ」
思わず返事に口籠ってしまった俺に、綿貫先輩は俺の手を握っては軽くシェイクしてきた。うわ、すべすべでひんやりと冷たくて柔らかい。俺と同じ人間の皮膚とは思えないくらい上質な触り心地だ……これはずっと触ってられるぞ。
って何を俺は綿貫先輩の手の感触をまじまじと味わって詳細に感想を述べているんだろう。まるで変態みたいじゃないか。
と、ともかく。
気を取り直して、一週間だけというのならまあ入部しても良い気はする。どうせ高校は帰宅部で居ようと考えていた俺だ。放課後も予定も無いのだから、一週間拘束される程度どうってこともないしな。決して美人に絆された訳じゃない。
「……ああもう分かりましたよ綿貫先輩。一週間だけですよ。一旦、体験入部しますからこの手を放してください」
「やったーー! ありがとうね赤神君、これで漸く部室に来る人増えたよ!」
罪悪感込みで了承すれば、綿貫先輩は握った手をそのままぶんぶんと振り回した。流石にちょっと痛い。放せと言ったよな俺。聞こえてなかったんですね、はい。この部の女子部員はあまり人の話を聞かない、本格的に覚えておこう。
一頻り勢いのある握手をすると、満足したのかにこやかな表情で手を放して、椅子をズズズと動かしては俺へと座るよう勧めてきた。
「赤神君、立ってても疲れるんだからほら座って座って! あとウイちゃんはいい加減に隠れてないでこっち来てね?」
「ウ、ウイです!」
俺が椅子に座ると同時に、綿貫先輩から仄かな圧力を掛けられたウイは背筋をぴしっと伸ばして早足で近寄ってきた。どうでもいいけどその「分かりました!」みたいなノリで「ウイです!」って返事するの止めてほしい。大阪に行くと関西弁になってしまうのと同じ原理で、聞いている内に俺にまで感染する気がして怖いから。
俺が座った後も椅子だけ並べられて、四つの椅子が円状に並べられた。俺の右が空席、左がウイ、正面に綿貫先輩が座った。今更だが女子率高すぎてこうも密集すると若干気まずい気分になる。意識すると何か空気まで甘く感じてきてそれがまたドギマギしてくる。
鼓動が早まらないように意識的に呼吸をゆっくりにしていると、綿貫先輩がスカートの丈を気にするようにしながら唇を動かす。
「さて、早速だけど赤神君には人生逆転のお手伝いをしてもらいます」
「人生逆転のお手伝い?」
「そう。私達は今の人生に甘んじるつもりはないの。かと言ってそれを独力を捻じ曲げることも出来ない。だから仲間と協力し合って、互いの人生をシナジー効果で良くしていこうって集まりなんだ。互助会って言えば伝わりやすいかな?」
反芻させた俺に優しい声音で綿貫先輩は説明した。
ただ何と言うかだ……あまりにも柔和な綿貫先輩の口ぶりから何とも言えないマルチとか新興宗教勧誘っぽさを感じてしまう。柔らかい表情で原稿でも読み上げるかの如くすらすらと諳んじる辺り正しく勧誘員に見えてきた。でも目を見る限りはどうも至って本気で言っているようだし、何よりこの部活の教祖は彼女なので、もしかしたら綿貫先輩の美少女っぷりが逆に胡散臭く見えてしまっているのかもしれない。勧誘員と言えば美人みたいな話も聞いたことがあるからな。
まあそんな考えは多摩川の河川敷に投げ捨ててだ。
「互助会ですか……」
口に出して確かめる。
さっきの綿貫先輩の話はさっぱりだったが、今の説明で多少この部活の解像度は上がった気がする。シナジーがどうとか言ってたが、つまるところ問題を抱えている生徒同士、お互いに学生生活支え合って過ごしましょうという緩い同盟関係を結んでいる部活動なのだろう。
俺の呟きに綿貫先輩は首を軽く縦に振る。
「うん。でね、今日はこれからやってくる朱音ちゃんの悩みを聞いてほしいんだ」
「話を聞くだけでいいんですか?」
てっきり「悩みを解決してほしいんだ♡」とか言われると思ったが流石にそんなことは無かったらしい。
「だけってことはないんだよ赤神君。誰かに聞いてもらうだけでも違うし、何よりそれが人と人が分かり合うための第一歩だよ」
「はあ……。でも何も知らない俺に話してくれますかね、その藤澤先輩って人。中々込み入った事情って他人に言いづらいと思うんですが」
「大丈夫だよ! 同じ部活動のメンバーだもん!」
「仮、ですけどね」
忘れずに付け足しておく。仮入部を既成事実にされたら堪ったもんじゃない。
俺の魂胆を理解しているのか理解していないのか綿貫先輩は手をひらひらとさせて一蹴する。
「分かってるよ~今は仮入部だもんね」
まるで一週間後には本入部確定と言いたげな言葉尻だったが、触れずにスルーしておく。なんか何を言い返しても受け流されて徒労になる予感がビシバシとするのだ。俺、ちゃんと来週にはこの部から抜けられるだろうか。
綿貫先輩は俺から視線を外すと、手持無沙汰そうにふわふわと視線を彷徨わせているウイをロックオン。
「他人事みたいに聞いてるけどウイちゃんもだからね~?」
「う、ひゃい! わわわかってます綿貫先輩!」
蛇のようなねちっこい視線にウイは両肩を同時に跳ねさせた。
尋常じゃない怯え方をしているが綿貫先輩はウイに何をしたのだろう。
……いや、関心を持つべきじゃないな。好奇心は猫を殺す。来週には抜ける部活の人間関係なんてどうでもいいな。
思考放棄を選択している間にも綿貫先輩はドアの方に注意を向けて、何かを悟ったように声を上げた。
「あ、丁度良いや。ちゃんと紹介するね」
綿貫先輩がそう言ってから俺も気づいたがドアの前に誰かが立っている。
ガラガラとスライド式のドアが開く音と、綿貫先輩がドアの前を手の平で指し示したのは同タイミングだった。
「これが最後のピース、朱音ちゃんだよ! 朱音ちゃん、この子が新入部員の赤神十段君!」
また恣意的に仮入部という肩書を削ぎ落しているし……とか普段なら初対面で勘違いされても嫌だからちゃんと言葉に出して修正する意志も湧いたのだろうが、今ばかりはそんな気概は起きなかった。
何故なら幽鬼のようにふらりと部屋に入ってきた藤澤先輩は、俺をギロリと見ると、会釈なのかゾンビなのか判別の難しい動きで首を一度上下に動かして、覚束ない足つきでそのまま俺の右隣に座ったからだ。その間無言である。黒く鈍重な長い前髪に隠れた表情も、分からないながらも何処となく死んでいる気がする。
……何だこの人。
おいおい、最後の一人で最も癖が強い先輩来ちゃったが。
落ち込んでるのかナチュラルにテンションが低いのか分からん。
ただ只管に分かることは辺りに巻き散らかされている圧倒的で最恐レベルの負のオーラ……!
前髪長くて目とか全然見えないし、猫背気味だし、手足細いけどそれが女子っぽいと言うよりは不健康そうって印象の方が先に来るし、肌も青白く見えて生気を感じないし、なんか全体的にマジでゾンビのコスプレしてますと言われても頷ける出で立ちだ。
しかしこれが最後の1人って嘘だよな……?
もう一気にさっきまでの女子2人に囲まれていたのとはベクトルの違う気まずさが空間を包み込んでるって。
俺嫌だよ、二度と右隣に顔向けたくないよ。
「朱音ちゃん、今日どうだった?」
そんな尋常じゃなく話しかけちゃダメそうな相貌をした相手に綿貫先輩はガンガン行く。今俺は初めてこの人のことを尊敬した。
「駄目だった。やっぱり上手く誘えなかったし、直紀は私のことどうでもいいと思ってるんだ」
「そっかぁ……」
何度も同じような会話を続けてきているのか、藤澤先輩の小さい声量で発された言葉に手慣れたような反応を返した。
取り敢えずあまり関わりたくないので地蔵に徹する俺に、自然な流れで綿貫先輩が俺にウインクした。なんか嫌な予感が。
「じゃあさ、折角部員も増えたんだし、一回ここは新顔にも聞いてみるというのはどうかな? 男子の視点も貴重だと思うよ?」
ほらやっぱりだ。何で俺なんだよ綿貫先輩。
恐る恐ると藤澤先輩の顔を見る。あまり感情は読み取れないが……しかしそこまで不機嫌な気はしない。ただまるで昨晩実家が燃えてしまったかと思うくらいに物凄い陰鬱そうな面持ちをしてるし、ハイライトの無い青いビー玉みたいな瞳が光を吸い込んでいる。俺この人から悩み聞かなきゃならないのか。純粋に嫌だなぁ。
「月ちゃん、それはちょっと」
「ここは勇気を出すところだよ。今のままだと何も変わらないよ」
「うん……分かってる。でも」
藤澤先輩は含みを残しながら俺の顔を一瞥した。
「普通にその、恥ずかしいんだけど」
「ここはそういう部活動だよ朱音ちゃん」
「……ごめん、やっぱり無理」
綿貫先輩が言葉を重ねても藤澤先輩は勇気が持てないみたいに俯いて、拳を握ったまま黙ってしまった。そりゃそうだ。赤の他人に相談するのはそう簡単なことじゃない。話の流れ的に恋愛相談っぽいのもその拍車が掛かってるように思われる。
「しょうがないか。じゃあ私が説明しちゃうけどいいかな」
え?
あれだけ断られたのに綿貫先輩まだ続ける気なの?
驚いて藤澤先輩を見れば小さく頷いている。他人が話す分には良いんだ。
……良く分からない関係性だな。
「朱音ちゃんはね、恋をしてるの。相手はクラスメイトの
つらつらと綿貫先輩は言うが、あまりに興味が無いから脳味噌をすり抜けそうになった。他人の恋愛事情など初めて現実で聞いたが、ここまで関心を抱けないものなのかと自分でも驚いてしまったほどだ。最もその一端にはあまりにも無味乾燥とした綿貫先輩の説明口調もあるだろうが。
「全然分かりません。その長谷部さんはどういう人なんですか?」
「う~ん、私はクラス違うからあまり詳しくないんだけどクラスの中心人物らしくて、明るくて容姿も良くて委員長気質で、でもユーモアもあるみたいな感じで朱音ちゃん合ってるよね?」
言葉に出さないが大きく一度藤澤先輩は頷いた。何だろう、喋ってもらっていいですか。
まあいいや。
ともかく件の人物は非常に穴の無い優秀な人物であるようだ。イケメン死すべしリア充死すべしと思う気持ちも無くはないが、一旦そういうルサンチマン精神は心のポケットに仕舞っておく。
「俺も恋愛は詳しくないですけど、声を掛けて誘ってみるしかないんじゃないですか? デートでなくとも放課後一緒に遊ぶとか。藤澤先輩みたいな女子から誘われて嫌な人もそういないでしょう」
因みに俺は誘われたらちょっと嫌である。話を潤滑に進めるためのリップサービスだった。
疑問に思うこともなく綿貫先輩はうなずく。
「そうなんだけどね~。どうも長谷部さんは朱音ちゃんのことを避けているのか、明確には断らないんだけど、避けている節があるんだって」
「それは難しいですね」
「難しいんだよ」
嘆息するように綿貫先輩は言った。
ふと視界の端っこでウイがまた自分関係無いです~と言いたげにスマホを弄っているのが見えた。
……こいつ。
「ウイはどう思う?」
「う、ウイ!? ウイもそう思います!」
「それで大半の質問を乗り切れると思うなよ」
腹いせに話を振ってみると、反射的につい口を突いたとばかりにウイは肩を震わせた。
イエスノーで返せる質問じゃないとそれは通用しないだろ。
「だってウイ知らないし……そもそも恋と性欲の違いすら分からないウイに聞くのは違うと思います。可愛いって褒められても別にウイは当然可愛いからそうだね〜ってなるだけなのに、それを嬉しいと思える世の中の女子供の多いこと……ウイ憂鬱です」
言いたいことを言っては視線をスマホへ戻し、再びインターネットの世界にウイは戻っていく。
持論を語って勝手に憂鬱になられても困るんだが。
しかし、綿貫先輩は感心げに何度か相槌を打った。
「確かにそのベクトルの話じゃないね〜。それにしても赤神君とウイちゃんもうそんな仲良さそうにして、もしかして同じクラスだっけ?」
「違います。普通にありふれた初対面です」
「そんな普通には見えないけどなぁ……若いっていいね」
いや綿貫先輩も俺の一つ上だろ。
何がどうなってそんな結論に至ったんだろう。
「となると丁度良いかもね。うん。朱音ちゃんもいいよね」
「私は別に良いけど……」
「OK、ならそうしよう」
藤澤先輩に視線を向けて確認を取ると、綿貫先輩は俺とウイに言い放つ。
「じゃあ朱音ちゃんの件、赤神君とウイちゃんに任せるね」
「「……はい?」」
「お、奇しくも同じ返事じゃん。相性ぴったりだね」
いやそんな何処ぞの格闘家みたいなこと言われてもだな……。
「私は他にやることあるからさ。ここはフレッシュな新入部員2人にばこっと悩み解決してもらおうと思うんだよね」
「ばっこり」
「そうばっこりと。君たち、特に赤神君にはピッタリだと思うんだよね」
呆気に取られてオウム返しするしかないウイに綿貫先輩はウインクした。エロい。違った。無茶難題だ。
「勝手に話を進めないでください。何で俺がそんなことをする必要があるですか。やりませんよ俺は」
「……それは困ったなあ」
流されかけたところで慌てて俺は話を手折る。綿貫先輩の言い方はフリでもなく本気で困ったような口ぶりで、やはりまた疑問が浮かぶ。何で俺なのだろうと。いや正確にはウイもいるが、特に俺にピッタリとか言っていたのだからやはりメインは俺なのだろう。見ず知らずの男子生徒に対する評価としては幾分過剰に過ぎる。
昔綿貫先輩とどこかで会ったこととかあったっけかとか記憶の海溝を弄っていると、思い付いたみたいに綿貫先輩はポンと手を叩く。
「そうだ! 赤神君、何で自分がスカウトされたか知りたがってたよね? 朱音ちゃんの件解決したら教えてあげる!」
「スカウトの理由……ですか。確かに気にはなりますが……」
何なら俺がこの部活動に足を運んだ切っ掛けもそれだった。人生逆転の必要性がある人間として勧誘を受けたのは些か不満はあるが一旦それは置いておいて、そういった判断は俺の人物像をかなり詳細に知らないと出来ないはずだ。まさかアトランダムに勧誘をしている訳でもあるまいし……入学2日目で俺のクラスまで訪ねてきた綿貫先輩だ。事前に何らかの経路で俺の事知っていたと考えた方が良い。
唯々諾々になるのは癪だったのでたっぷり悩んでから結論を出してやろうと考えていると、唐突に「じゃっ!」と綿貫先輩は手を挙げた。
「そういうことだから、ちょっと私これから用事あるから朱音ちゃんと赤神君、後は宜しくね!」
言い残して綿貫先輩は忙しげに出て行ってしまった。いや宜しくとか言われてもまだ承諾も拒否も言ってないんだが……。
加えて部屋の循環器的役割を果たしていた綿貫先輩が去った後のこの空気だ。どうしてくれるんだよ。最悪だって。ウイはどう見ても能動的に話に行けるタイプじゃないし、藤澤先輩は何かもう世界を夜闇に飲み込みそうなほど暗い。太陽の対義語みたいな存在感を放っている。共通して言えるのは目の前の2人はどちらも口火を切るのが得意そうではないという点だ。
1分ほど様子見をしても気まずい空気が流れるだけで話は進展しない。ウイはキョロキョロと見渡しては何とかしようという気概を見せるが最終的にはスマホに視線を落としてしまったし、藤澤先輩は感情の読めない表情で虚空を見詰めている。
綿貫先輩も良くないと思う。そもそも他にやることがあるってなんだ。部長が同級生の部員の悩みほったらかしてまでやることって一体何があるのかご高説いただきたい。やるにしても普通は場を整えるだとか藤澤先輩の機嫌を上げるだとか、こう場の渡し方ってのがあると思うんだよな。少なくとも現状をぶん投げるのは本当に違うと思う。
だが、内心でそんな愚痴を連綿と吐いていても状況が変わることは無い。
俺が先陣を切るしかないのか……。
仮入部でしかないのにな俺……。
「あの、藤澤先輩……。正直俺はあまり状況を呑み込めてないんですが、まず藤澤先輩は長谷部先輩って人を好きってことで合ってますよね?」
「……うん」
ハエの羽音よりも小さな声だった。聴覚検査じゃねえんだぞと言いたくなったが先輩なので俺は堪える。
「告白はもうしたんですか?」
「……いいえ」
「長谷部先輩とは高校からの知り合いで?」
「……いいえ」
「……。長谷部先輩とは良く話すんですか?」
「……部分的にそう」
アーキネーターみたいな答え方をするな。それじゃ物事の子細を読み取れんのよ。
どうも想像以上に恥ずかしがっているのか、綿貫先輩が絡まないと藤澤先輩の口数はとんでもなく減少してしまうらしい。
頭を捻っていると、意外なことに今まで関心無さそうにSNSを弄っていたウイが座りながら足で蹴り飛ばすように椅子ごと俺へ近づけて、小声で話す。
「赤神君〜ウイからも聞きたいんだけどいい?」
「……別にいいけどなにを?」
「藤澤先輩に長谷部先輩の性別について聞いてほしいなって。ウイはコミュ強の赤神君にお願いしたいかも」
「自分で言えよ」
「ウイには難しいんだよ」
お前の座ってる真正面に藤澤先輩いるんだが。何で一度俺という伝書鳩を挟む必要があるのかさっぱり分からない。分かる必要もないかもしれない。
そもそも長谷部先輩の性別? そんなの男じゃなかったら何だっていうんだ。
一応意図を聞いてみる。
「どういう意味だよ。男に決まってるだろ、藤澤先輩女子なんだから」
「いやいや、昨今百合アニメが流行ってるの知らないの赤神君〜おっくれてるね〜」
「知るわけ無いだろ。つかアニメの話じゃん」
とても下らない理由だった。
しかしウイ的にはそれは聞き捨てならなかったようで、ムッとした表情で頬を膨らませる。
「アニメを悪く言わないでよ。アニメはね、現実の先にあるの」
「はあ?」
「いつか来る未来を表しているのがアニメなんだよ。現実とアニメを分離して考えるのは愚者がやることだとウイは思います! 頭グシャグシャだとウイは思います!」
良く分からないので無視することにした。
俺の肩を叩き始めたウイに内心溜息を落としながら、再度俺は藤澤先輩に質問した。
「藤澤先輩、長谷部先輩ってどういう人なんですか? 性格とか、周囲の人間関係とか、なんでも良いので教えて頂けると」
「……可愛い」
「可愛い?」
それは小動物的な意味だろうか。
確かに藤澤先輩の身長であればかなりの男子生徒は小さく見えるだろうが……。
違和感のある感想に疑問に感じていると、藤澤先輩は目を伏せた。長い髪が解れるように下に落ちる。
「でも……直紀には恋人がいるから……」
「ええと、つまり長谷部先輩は既にカップルだと?」
コクリと頷いた。
それは……流石に厳しいんじゃないか。
そんな感情が俺の顔に浮かんだのだろう。藤澤先輩は前髪を指で弄る。顔を背けながら口を開いた。
「でも……私は告白したい。告白した上で振られたい。迷惑って……思うけど……それでも」
相変わらず太陽を飲み込む程のブラックホールみたいな陰鬱な表情。しかし良く見ればその眼差しには何処か決意の籠もったような、月明かりを映し出した湖面のような眩さが宿っている。
そういうことだったのか。
俺は少し理解をした。
藤澤先輩は失恋をしたいのだ。
もう既にその先輩と付き合うのは諦めていて、その上で弥縫策としてちゃんとした形で一つの恋愛の結末を迎えたい。そういう思いがあるのかもしれない。
その上で色眼鏡を取れば、藤澤先輩は5割増で魅力的に見える気がする。確かに根暗っぽいし陰鬱オーラは半端ないけど、そういう負の部分を引っ剥がしたらただの高身長美人だ。恋人がいるのにさらに別の女子から思いを寄せられるなどハーレム系主人公か。全く、見知らぬ長谷部先輩に呪詛を吐きたくなる。
「略奪愛とか、そういうのは考えてないんですか……?」
つい口走ったみたいにウイは俺を見ながら言った。若干先輩に対して失礼な感じもあったが、幸い藤澤先輩は気にする様子も無くモジモジとしながら。
「それはない……私は直紀が幸せなら良いかなって……そう思ってる」
純粋だ。俺の第一印象なんかよりもよっぽどこの人は純粋無垢で清らかだ。
一方でウイは少し眉をハの字にした。
「う、ウイなら奪いますけどね……いえ勿論ウイ如きがカップルの仲を割るなんてそんな恐れ多いことできないですけど……本当に好きなら割って入って壊すべきです……! それが本当の愛というものではないでしょうか……!」
「お、おい」
何か知らんがウイが暴走した。
さっきは愛とか良く分からないとか言ってた人間の主張とは考えられないんだが……どんな捻くれ方をすればこんな性格になってしまうんだろう。最早そこに興味があるまである。
「それは愛じゃない……少なくとも私の愛はそんな押し付けがましくない」
「ウイとは違いますね〜ウイなら絶対に諦めません。いえ恋愛とかしたことないですけど、最後にはウイで諦めてもらいます」
ポジティブなのかネガティブなのか良く分からない主張を前に、藤澤先輩は首を傾げてふーんという顔をした。
「ウイさんと……私では違うから」
「でも、そうですかそうですか」
ウイは神妙にこくこくと頷いて、先程までの怯懦に震える様子も無くにかにかと笑う。
「いや~藤澤先輩ってめっちゃピュアだったんですね! ウイずっと藤澤先輩のこと根暗のヤバい先輩だと思ってました! 見た目で人を判断しちゃダメですね、ウイ反省です!」
「や、ヤバくない……」
「はい~! 分かってますよ藤澤先輩! とても可愛らしいです!」
この女……一度自身の理解が及んだ相手に対する言葉のブレーキがぶっ壊れてる。
藤澤先輩はウイの失礼千万な言葉に対しても、少々頬を赤くしてはまた目を反らして、これまであまり言われてないんだろうなという反応を見せる。ウイの言う通り藤澤先輩の精神性は見た目以上に純粋無垢だが、だからと言ってそれを揶揄うような言葉を投げ掛けるのはどうだろう……まあ部外者の俺は関係無いか。
「では話を纏めると、藤澤先輩は長谷部先輩と付き合いたいわけではなく、ただ告白したいという認識で合っていますか?」
「……そう」
念のため確認を取れば、藤澤先輩は小さく肯定する。
「方針は分かりました。じゃあ何が障害となって藤澤先輩の告白を妨げているのか、その部分を詳しく教えてください」
藤澤先輩は俊巡するように視線を窓の外の春に彷徨わせた。眉を曲げて言葉にするか迷いつつも、口を開くことに決めた。
「……直紀の恋人が執念深いから、恋敵を絶対に近付けないようにガードしてる。だから……私が告白するタイミングがない」
どうも顔も知らないが推定イケメンであろう長谷部先輩の恋人は拘束系彼女であるらしい。
執念……というよりはヤンデレと称するべきか。いやでも束縛しているだけで別に病んでる訳では無いからメンヘラなのか、はたまた束縛系彼女と直接表現すれば良いのか。
経験の無い俺にはそれが良いことなのか悪いことなのかの判断は付かないが、しかしこの問題に手を差し伸べる係に任命されてしまった身としては困った話であるのは間違いない。
「手紙で呼び出すのはどうですか?」
話す機会が僅少なのであれば手紙やLINEなどはどうだろうと思い付きのまま提案をすると藤澤先輩は小さく首を振った。
「駄目……検閲された」
経験済みかよ。
個人宛ての手紙まで見られるとは相当だな。情報統制が中国並みだ。
となると、俺の経験不足極まりない恋愛経験からでは正答を導けそうもない。自慢じゃないが俺はこの人生一度も甘酸っぱい記憶が無いのだ。
ここは性格と精神構造に多少難がありそうでも、そう言った経験は多少は持ってそうな同級生に聞くべきだな。
「ウイは何かあるか?」
「ウイ? うーん、やっぱりウイとしてはそのお二人のことを知らないと何も言えないよ。ウイは知らないけど恋人の数だけ付き合い方っていうのがあるそうだから、どんな付き合い方をしてるのかまずは調べるのがいいんじゃないかってウイは考えます」
さっきから滅茶苦茶なことを言ってる割に突然真っ当なことを言い出したなおい。
発言者はともかく、その意見には同意だ。
ここで見知らぬ先輩カップルへの洞察を深めていても何も話は進展しないだろう。
静かに聞いていた藤澤先輩が手を小さく挙げた。
「なら直紀の恋人と話してみれば良い」
「え、それは可能なんですか?」
「直紀じゃなければ、会話くらいは出来る……と思う」
断言はせず、仄かに自信無さげに言葉尻を濁した。
少し怪しいが……まあ藤澤先輩が出来るというのなら出来るんだろう。
「そうですねえ、じゃあウイ頼んだ」
「……じゃなくて、赤神が」
面倒事をウイへぶん投げようとした直後、藤澤先輩は非常に真面目な顔で宣った。
……いや、何で俺なんだよ?
長谷部先輩の恋人ってことは女だよな?
有らぬ勘違いを招きそうで乗り気になれないんだが……。
怪訝な目を藤澤先輩へ送っていると、藤澤先輩はハッと脳裏で何か閃いたような面持ちをして、顔に喜色を浮かべながらくつくつと沸騰したヤカンのような声で笑い始めた。それ怖いって。
「私、計画を思いついたかも……赤神、手伝って」
うわ。嫌だな。
思わずウイを見る。ウイは俺の救難信号に控え目なサムズアップで返答した。お前は俺と違って部員だろうが、なに人任せに頷いてやがる。
春の軽やかな日差しとは裏腹に発生した気重なイベントに項垂れながら、俺は渋々消極的肯定のジェスチャーをした。