求む青春まであと何マイル? 作:人生逆転部
翌日の朝、教室。
教室に辿り着けば、想定通りまだクラスメイトは誰一人として到着していなかった。まだ予鈴が鳴るまで50分以上はあるので当然だ。寧ろ人影があったら逆に驚いてしまう。
伽藍洞な教室で大きく一度身体を伸ばした後、俺は椅子に座って本を開いた。広い空間で誰の目もなく俺一人っきり。これが非常に気持ちの良いことであると気付いたのは高校入学初日だった。道に迷うことを懸念して遅刻しないようにと早めに出た俺は予想以上にスムーズに教室に着いてしまい、40分程度の退屈を持て余すことになった。しかしこの退屈が退屈ではなかった。心がじっくりと春の陽気と溶けていくような、非常に心地良い感覚が癖になるのだ。読みかけの小説を開いてみれば極上のストレス解消になる。この事実はこれまで9年間学生生活を送った上での新たな気付きと言えるだろう。
高校までは殆どサッカー漬けの人生だった。
幼稚園から初めて小中と朝からサッカーの練習をしていたから、こういう緩やかな時の流れを自分が好んでいるとは露程も知らなかった。
以来、俺はずっとこうやって朝は毎日早くに来ては小説を開いたり勉強をしたりと俺だけの空間と化した教室で心穏やかな時間を過ごしている。
「よ! 赤神早いね〜」
20分後、俺を除けば教室ログイン第一号のクラスメイトが汗が滲んだ顔をタオルで拭きながらやって来た。一切視線すら此方に寄こさず挨拶を寄こす辺り、完全に俺が朝一でいるものだと理解しきった立ち振る舞いだ。それもそうだろう、俺がこの2週間におけるクラス内登校選手権の不変たる一番手だとすれば、彼女はその二番手である。だから席が近いわけでもないのに互いに互いを覚えてしまった。
その手慣れた様子を見習って俺も一瞥した瞳を手元に戻してノールックで手を挙げて返答することに決めて、しかし腕を動かした瞬間にその返答方法は些か気取っているんじゃないかという心配が過り、結果的に恥ずかし気にほんのちょっぴり、小さく、しなしなと手を挙げるという最も格好が付かない形で俺はそのクラスメイトに応えることになった。
「おう。麻宮こそ早いな」
「まあね~私は早朝ランニングが趣味だから」
と、視線こそ向けていないが胸を張った自慢げな返答。この短い期間で、彼女が体操着姿で登校して来ているだろうことは見ずとも分かる。
彼女は
様子から察するに、今日も今日とて麻宮はハンドレス登校をしてきたようだった。筆記用具や教科書にノートは教室の外にある個人ロッカーにぶち込むことで、彼女はA4サイズのルーズリーフを三つ折りにすれば何とか収納に成功するかどうかの小さなランニング用ポーチのみを携えて登校するソリューションを確立していた。当然担任の教師には目を付けられているはずなのだが、これで入試主席らしく今のところは成績で文句が付けようがないからか、少なくとも俺の視界内でチクチクと小言を貰っている場面にはまだ遭遇したことはない。だがテスト期間も同様の行動を継続するつもりならば時間の問題のようにも思えた。
「赤神も走ればいいのに、気持ち良いよ?」
「授業もあるのに朝から疲れたくないんだわ俺」
「別に疲れたら寝れば良いじゃん。授業なんて教科書読めば何とかなるし」
ポーチからプラスチックの如何にもアスリート用ですといった水筒のキャップを外すと水分補給を始めた。
出たよ天才発言。
誰だよこいつを才色兼備にしちゃった奴。
なんというか、麻宮翆華は生活態度や今の不真面目な言動の通り品行方正とは口が裂けても言えないタイプの性格問題児なのだが、本当に何でか知らないが神から二物を下賜されてしまった人間なのだ。
眩い金髪はランニングに邪魔だからと言わんばかりに肩程で切り揃えられ、1限から6限の間に2回は教室内で日焼け止めクリームを顔や四肢に塗っている甲斐があるのか肌はランニングが趣味とは思えないほどの純白が保たれている。鼻橋はすっと通っていて、淡く赤い形の良い唇、真ん丸ぱっちりとした琥珀色の瞳。胸こそ冬場の東京都内の積雪を思わせる侘しさだが、それでも十分に美少女の称号を獲得するに相応しい容姿を惜し気もなく露出多めの半袖半ズボン姿で晒しているのが麻宮翆華というクラスメイトである。美少女であり変人である。
「それ、内申点減らされるぞ」
「別に私は困らないからいーよ。一般入試で内申点を見られるのは高校受験までじゃん」
思わず口から漏れた指摘にどうとない様子で麻宮は答えた。そういえば麻宮はペーパーの入試成績は1位だったが内申点があまり宜しくないから総合成績的には中程度って先週聞いたな。
しかし、これだけ勉強が出来るとなると色々選択肢はあるだろうに。
「推薦とか考えないのな」
「3年間ずっと授業中から定期試験まで肩肘張って頑張るのは性に合ってないからね私は。それに推薦の面接とか落ちる気しかしない」
「確かに」
「確かにって酷くない?」
麻宮は不服そうな声で俺をジトっと睨む。
だって滅茶苦茶想像しやすいし。良くも悪くも物言いがストレートだから「志望理由? 日課にしてるランニングコース上にあったからですけどそれ以上の理由必要ですかね?」とか素っ頓狂な応答を繰り返して終いには面接で最低点とか取りそうだ。
「だって面接で方便使えるタイプじゃないだろ麻宮」
「それを言われると私もまあねーと返す他ないなあ。ウチの家訓は『ウソつきは盗人の始まり』だから親からも耳タコで言われててさー私ウソだけは吐かないようにしてるんだよ」
「そうだったのか。厳しい親御さんだな」
「厳しいでしょ。だって嘘だからねー」
「おい!」
本気で感心して損した気分だ。
「でも嘘が好きじゃないのは本当だよ。正々堂々真正面からぶつかる方が楽だし何だかんだ楽だしさ」
言外に体裁を整えずとも世間を渡れる程度の能力は有してますよと言わんばかりに余裕綽々で麻宮は顔を拭いたタオルをそのまま頭に持っていて、くしゃくしゃと頭皮の汗を拭う。その仕草だけなら部活終了後に部室で帰り支度をする野球部の坊主頭みたいな身の整え方であったが、目の前でそんな男らしいアクションを実行するのは曲がりなりにも美少女だった。女子ならば化粧水や乳液など顔にパチパチと着けていても不思議でないと思うのだが、細かい事柄には気を遣わないタチなのだろうか。らしいと言えばらしいと言えるけども。それでこの肌のキメ細やかさを維持しているのだから全国各地津々浦々の女性羨ま死案件なのは男の俺でもぼんやりと想像が出来るもので、美少女ってずるいなという感想が脳髄から引っ張り出されてしまうのは致し方のない自然現象だと結論付ける。しかも本人の性格もかなり社会を舐めきってると来た。風呂上がりにタンスに小指ぶつけて痛みに足を抱えながら悶えていてほしいと男の俺ですら思ってしまうのも仕方のないことだろう。
「ええと、それも嘘じゃないよな?」
言いながらも傍らでは、風呂上がりとか変な場面を仮定して悪態を吐いてしまったが故に、脳内の危機管理センサーがウォンウォンと警告を発した。慌ててクリーンで何処に出しても恥ずかしくない健全たる正気を1秒で取り戻すと、妄想上で目の前の少女の邪な裸体を出現させる前に2次元から3次元へと意識のランクを格上げさせて、念のため現実的確認を繰り返すことにした。こうして俺は社会的地位を今日も死守するのだ。男子高校生の思春期処世術、好評発売中! ……書籍化したら需要あるだろうか?
嘘は好きじゃないと真面目ぶって言ったはずの麻宮はその言葉を咀嚼してもう一度結論を出そうとするように顎に手を当てた。自然と目元の黒子に視線が吸われる。静謐な表情に俺は一瞬、ホント一瞬だけギャップ萌えみたいな衝撃に喉を鳴らしそうになった。普段は金髪元気溌剌系運動女子なのに黙れば深窓の令嬢へとフォルムチェンジするの、辞めてもらっても良いですかね。思春期を発病しちゃうだろうが。
「半分は嘘かも」
「おい」
「だって嘘吐くの面白いし。世間的には誠実でいた方が上手く万事流転するのは理解してるけど、それはそういう世界に住みたいお利口さんの理屈で、私は常に物事価値観が撹拌されたカオスな世界で生きる方が面白いなって思うんだよね。あ、理解は求めてないから悪しからず」
「もしかして厨二病の方?」
「暁に焦がれて闇に堕ちよ! ……似てる?」
一先ず厨二病ではないようだ。暁と闇は相反する表現であって暁に焼かれた先が闇堕ちであるのは解釈不一致極まりない。俺から言わせてもらえば厨二病を疾患していた割には解釈が浅すぎる。とか厨二病解説が出来てしまう自分が超嫌だ。一応弁明しておくが俺の既往歴に厨二病の三文字は存在しないので誤解無きよう。
「5点。それっぽい語彙で上辺だけなぞろうという意思が見え隠れしてる」
「わーお。もしかしてプロの方?」
「アマチュアです」
プロは本邦非公開ながら中二病中等患者である妹の方だ。はっきり言うが俺は中二病ではない。俺が分かった口を効いているのは妹との家庭内コミュニケーションツールの一つとして厨二病が運用されているにすぎない。何故家庭内で中二病語彙が運用されているかと言えばそれなりに事情があるのだが、ここでは重要でないため端折らせていただく。
「じゃあ私が世界初の厨二病のプロになろうかなー。膨大な設定量のSF小説書いて一躍厨二病作家の仲間入りってね」
「嘘だろ?」
「私本気だよ?」
俺は麻宮の瞳を覗き込もうとした。覗き込むまでもなくにへらと弧を描いた口元を見て嘘と悟った。
「嘘の重ね塗りは良くないと思うわ俺」
「マジレスされると困っちゃうなー。でも私のお父さん織田信長だしお母さんはキタサンブラックだよ」
「誰がより雑に重ねろと言った」
数多の絵の具がぶちまけられてパレッドの上がゲロ色になっている件について。せめて嘘を吐くにしても時代の整合性というか、ゲームと現実を同一視するなよというか。言いたいことは程々にあったが、幸いにも程々でしかなかったので心の中でツッコミを入れるのみにして溜飲を下げる。
「そりゃ私嘘吐きだもんね。何乗にでも嘘付けちゃうよ」
「あーそうですか。俺は別に構いやしねえけど、大海に塩を一匙投げ入れるくらいの気分で忠告するが嘘で嘘を塗りすぎてもクラスメイトから本格的に弾かれんぞ?」
「心配センキュー。でも大丈夫、私プロだから」
麻宮は運動部(いや運動部ではないのだが、麻宮の朝ランを見ている身とすればそんな印象もつく)らしいしれっとした返事をして、何だかまた意味が分からないことを言った。
「噓つきのプロってなんだよ。手練手管で人を騙して金銭を獲得するタイプの方?」
「赤神って私のこと詐欺師と思ってる?」
「そんなことはないが。ただ麻宮は俺の言葉を聞いてそう思ったんだな」
「その言い方狡くない? 女の子の気持ちを弄ぶ奴は嫌われるよ」
細菌やバクテリアで深緑色に繫茂した春のプールでも見るかのようにジトリとした目。美少女にこういう視線を送られると全ての異性に嫌われてしまった錯覚に陥るから勘弁願いたい。
ただ何時もの俺であれば多少怯んだだろうが、今日の俺は一味違う。昨日部活に仮入部したことで、俺の人生市場最も異性と関わっているから経験値が段違いだ。……まあ部活内容は未だ良く分からない上に部員たちはどうもどいつもこいつも一癖二癖あるのが難点だが。でも麻宮のこういう視線を一蹴出来る程度には俺にも耐性が備わっているはずである。
「生憎と異性には困ってないから大丈夫だ」
「うわキモ。なんか肌寒くなってきた~」
「酷くない?」
「ぞわってきた。ぞわぞわって」
眉を顰めながら手の平をグーパーしてどれだけ俺の言葉に虫唾が走ったかを表現すると、麻宮は予鈴が鳴るまであと30分の位置を指し示す時計の針を一瞥する。
「じゃ、ひとっ走りしてから着替えてくるから」
「おう。ポーチだけ見とくわ」
「いつもありがとね」
見とくといっても無人の教室だ。もし無くなったら犯人俺以外に存在しないけどな。
タッタと駆け足で教室から去っていく足音は何だか春っぽい気がした。
授業を半分寝たり半分呆然と過ごしたりして、適当に消化すると昼休みになった。
何時もであれば誰とも話すことなく耳にイヤホンを嵌めこみ、ノイズキャンセリングで世界と断絶。俺だけの孤立したスペースを作り上げては菓子パンを食べながら小説を読み耽るわけなのだが、今日に限って昼休みは予定があった。早々に菓子パンを片付けて、イチゴジャムで汚れた口を乱雑にティッシュで拭うと、賑う教室から外へ出た。
用事というのは藤澤先輩の一件である。
長谷部先輩のガードが固すぎて藤澤先輩が告白できないという話だが、俺には正直よく分からない点がある。藤澤先輩は長谷部先輩の彼女と俺を引き合わせようと考えているらしいのだが、それってどうなんだっていうことだ。だってそうだろ。聞く限り藤澤先輩が告白出来ない理由は長谷部先輩には無くて、その彼女が恐らくメンヘラだかヤンデレだか正しい言葉は分からないが、長谷部先輩を束縛しているために二進も三進も行かなくなっているらしい。でも、仮称長谷部先輩のメンヘラ彼女と俺が話して「じゃあ藤澤先輩が長谷部先輩に告白するのを認めます」だなんて話に収斂するだろうか。俺には到底思えない。俺は口先に長けたホストじゃないんだぞ。共感できる分女子同士の方がマシだろ絶対に。まだ宇宙人を観測する方が現実味がある気がするのは俺だけだろうか。
鬱屈とした気分で待ち合わせ場所になっている西側階段の三階廊下手前に向かう。二年生のフロアなので行き交う学生たちの多くは上級生で、心の収まりが悪い。到着すると同時に、自然と安心材料を探そうと視線を巡らせた。探さずとも藤澤先輩の方から目に飛び込んできた。トーテムポールみたいな身長に、昨日と変わらぬ絶大なるマイナスのオーラ。分かりやすい。俺に発見してもらうためにこんな目立つ雰囲気を排出しているのでは……ないか。
「お疲れ様です、藤澤先輩」
手を挙げて俺の居場所を藤澤先輩に知らせる。藤澤先輩は少し困ったような顔をした。
「お疲れ様……?」
「ああ、すみません。中学の部活じゃこうだったので」
文化部は確かにお疲れ様と言う文化は無いのかもしれない。全然知らんけど。
と、そう言えば小さい方が居ない。
「あれ、ウイはまだなんですか?」
「来てないね……」
「てか来るんですかねアイツ」
「た、多分?」
藤澤先輩が首を傾げて、連動して双眸を覆い隠すカーテンが揺れた。この重々しい前髪さえどうにかなれば藤澤先輩のマイナスな雰囲気の八割は無くなる気がするんだけどな。しかしそのアドバイスを送るにはまだ藤澤先輩との親密度が足りない。具体的には遠慮が勝つ。ほら、何か訳合ってやっているかもだし。
しかし気まずい。昨日はウイという緩衝材がいたから会話を回せたが、藤澤先輩と一対一で話すとなるとやっぱり口が重くなる。話題が無い。先輩だから弄ろうにも弄れない。そもそも普段何を話すんだこの人。家とかで普段何しているんだろう。文学を嗜むとか……いや、アニメとかの方がイメージに合うな。大穴でSNSの裏垢で自撮りしているとか。でもウイがそれだからキャラ被りになってしまうか。
「遅いですねウイのやつ。来たら何か罰ゲームでも吹っ掛けませんか藤澤先輩」
「そ、それは……どうだろう」
「購買でジュース奢らせましょうよ。遅刻罪で」
「ちょっと流石に……」
沈黙を恐れて場を繋いでみるが、歯車が噛み合わずにゴリゴリと不純物を磨り潰しながら会話が進む。直ぐに言葉は尽きて、藤澤先輩が何か話題を出す訳も無く、途端に場に俺と藤澤先輩以外の喧噪が雪崩れ込む。物珍しそうに通り過ぎていく上級生からは一瞥されて、その度に場違い感に帰りたくなってくる。クソ……ウイ全然来ねえし俺も帰っていいよな。
「ウイちゃんは……諦めよう」
「了解です。なら行きましょうか」
5分ほどして藤澤先輩はウイを見切った。有限な昼休みをウイの待ち時間として消費するのはこの上なく腹立たしいし、今回の藤澤先輩の計画はウイが居なくても成り立つ。
ただ俺も良く知らないんだよな……藤澤先輩が俺に何をさせようとしてるのか。
昨日はどれだけ聞いても藤澤先輩も『もう少し考えてから……明日伝えるね』の一点張りだったわけで、俺は決行直前の今に至るまで藤澤先輩がどういうシナリオで俺と長谷部先輩の彼女を繋げようとしているのかを知らない。
そこが果てしなく不安だ。藤澤先輩が何を考えているか俺には分からないし、俺に対してどういう期待を抱いているのかなんて未知数過ぎて最早理解を諦めている。
連れられてやって来たのは2年6組。
藤澤先輩がそっと教室を覗き込むのに合わせて俺も覗き込んだ。
「教室の真ん中らへん……あの茶髪の人が長谷部先輩の恋人」
茶髪の人……藤澤先輩が指差す方向には三人いる。男が一人で女が二人。男は除外するとして、どっちが長谷部先輩の彼女だ?
片方は如何にも腕白そうな焼けた小麦色の肌の先輩でクラスメイトと大声で歓談をしている。もう片方はアクセサリーをふんだんに身に付けているからギャルっぽいな。ずっとデコレーションが激しいスマホに視線を落としては、時折無言で欠伸をしている。
……いや分からんがな!
「どの人ですか?」
「あれ……ずっと直紀を見ている人……」
直紀って長谷部先輩の名前だよな。
……いやだから長谷部先輩の顔も知らないんだが。
「だからどれですか。分からないです藤澤先輩。もう少し具体的に言ってください」
「あの茶髪の男の人」
……男の人?
再び視線を2年6組の教室へと戻す。確かにいるといえばいる。俺がアレは無いだろうと最初に切り捨てた男の先輩だ。でも待て待て、長谷部先輩の恋人なら女のはずだろ。俺間違ってないよな。
「藤澤先輩、確認ですがあの茶髪の男の人が長谷部先輩……ってことですよね?」
「違う。あれが直紀……の恋人」
「ん……ん!?」
あれが恋人!? 茶髪の男が!?
つまりその視線の先にいる長谷部先輩───女なのかよ!?
一つ分かったことで玉突き事故みたく次々と事実が追突していく
だって長谷部先輩が女ってことは、藤澤先輩は女の子が好きな百合先輩ってことになりませんかね……!?
「ちょっと待ってください藤澤先輩! 藤澤先輩が告白したい方って女性だったんですか!?」
「……。」
無言で恥ずかしそうに頷いた。マジかよ。百合百合かよ。
道理で話がおかしく感じた訳だ。
ウイではなく俺が適任と考えていた藤澤先輩の思考回路が漸く理解出来た。
「……だ、騙したつもりは、無かったんだけどね」
「いえ騙されたと感じた訳じゃないですが……何と言いますか……俺は良いと思いますよ。見ていて華やかですし」
聞かれてもいないのにフォローを始める俺の口、マジで止まってくれ。そこは地雷源だぞ。多分。
兎にも角にも、藤澤先輩が百合先輩だったということで俺の認識をアップデートすると、話を戻すべく咳払いをした
「つまりあの人が長谷部先輩の恋人なんですね。そこからどうするんですか」
少し申し訳なさそうに藤澤先輩は自分の前髪を撫でながら口を開く。
「赤神には……その……あの人に部活見学を申し込んでほしい」
「部活見学ですか?」
「あの人は
サッカー部か……。
予想外の場所からその単語が出るもんだから、針で小指を突いたようなチクリとした痛みに俺は一瞬目を瞑る。
そりゃ俺だってサッカー部にあるよ。未練。
キツいし厳しいし疲れるし、今更サッカー部に入ろうだなんて考えちゃいないけども、それでも幼い頃から中学までずっとやってたスポーツだ。どうしても思い入れってものは持っている。
ただ俺は中学時代に干されたんだ。原因は言わないが、結末からすれば俺が悪かったんだろう。
部活メンバー全員からは嫌悪と疑心で囲い込んだ眼光を向けられ、顧問は『お前は公式戦には出さん』と面と面を向って言われる始末だった。だからって本当に3年間練習試合も含めて1試合も出してくれなかったのはどうなんだよ。徹底的にも程があるぞ、畜生。小学校卒業するまではプロサッカー選手目指してたんだぞ俺は。
だから俺がサッカー部に抱く感情は決してさっぱりとした爽やかな物ではない。
嫌いではないが、好きでもなく、義務的にするスポーツとしては丁度良い。
我ながら非常に複雑怪奇とした感情を抱いていて、久しく今それを思い出したところだ。
「見学だから……その日だけ参加して入部を断っても文句は言われないだろうし……」
「……なるほどそうですか。先輩の考えてることは分かりました。いいですよ。それで俺は何を聞けばいいですか」
込み上がってきた感傷を呑み込んで俺は藤澤先輩の提案に頷いた。
今は俺の下らない過去なんてどうでも良くて、藤澤先輩の話が肝要だ。
そう思って耳を集中させる。
「直紀について……私が告白していいかどうか……聞いてほしい。矢原は……直紀以外の女子の言葉聞いてくれないから……」
……いや何それ?
集中して少し後悔した。愛が重いとかそういうレベルじゃない。恋人以外の女子の言葉を聞かない絶対日常生活に支障出るだろ。女性向けADVゲームの攻略対象キャラみたいな尖った学園生活してんな。
取り合えず藤澤先輩が俺にやってほしいことは理解した。
でも絶対に仲良くなってもNoって言われるのが話のオチだと思うんだよな俺。結局のところ矢原先輩がそんだけ長谷部先輩を束縛しているのなら、聞いたところで意味なんてない気がする。
「まあ了解です。成功するかは保証しないですけどやれるだけやってみますよ」
「お願い……」
「じゃあちょっと話しかけてきます」
幸福感を根こそぎ吸い込むような藤澤先輩の鈍重な引力から離脱すると、重い腰を上げて俺は2年6組を見据えた。本当に何で昨日会ったばかりの先輩の為に俺はこんなことをしているんだろうか、なんて考えてしまうと途端に足が重くなって一気に自分の教室へ帰りたくなってきたので、今日の帰り道にこの面倒事の報酬としてラーメンでも食べてやると自らを奮い立たせてみる。それもただのラーメンじゃない。脂も野菜もたっぷりどっしりギチギチに詰まった二郎系ラーメンを所望する。覚悟しておけ俺の腹。
やりたくないタスクに対する報酬を設定して無理くり気分を持ち上げながらも顔を上げて、それでも億劫な現実に溜息を秘かに吐きつつ教室内を確認した。クラスメイトより仄かに大人びた高校2年生の面々。今回話しかけるターゲットである矢原先輩は依然と、最前列に座る女子生徒(黒髪ツインテでスラっとアスリート体型、これが長谷部先輩なのだろう)を見遣っている。
このままずかずかと矢原先輩まで席まで行くかと考えて、迷うことすらせず却下した。部活動の見学を申し入れに来た後輩が副部長の席を知っているのはあまりにも不自然だ。
左右を確認して、廊下側の席で男子先輩たちが3人で雑談している。彼らに声を掛けるのがスマートだろう。
「あのすみません。矢原先輩って今いますか」
「……矢原? あそこだよ、ずっと自分の彼女にお熱のやつ」
3人は目を見合って、代表して真面目っぽい眼鏡を掛けた男子先輩が矢原先輩の方向性を指差した。矢原先輩にもその会話が聞こえて来たのか、不意にこちらへ視線が飛来したのを感じる。
俺は男子先輩にお礼を言うと、改めて本来の目的地である矢原先輩の席へと足を向ける。
近くで見れば、矢原先輩は遊び人っぽい出で立ちだった。茶髪なのは言わずもがな、Yシャツのインナーはオレンジ色、目立つピアスも開いている。チャラ男のような印象もありつつ、裏腹に表情は全く以て蛇のように絡みつく細目。いまいち人間性が掴みにくい。
「貴方が矢原先輩で合ってますか? 俺は1年の赤神と言います」
矢原先輩は俺を測るような目で観察しながら、俺の質問に軽薄に頷いた。
「進級早々に下級生から声を掛けられるなんてビックリワオだ。それで下級生が僕に何の用だろう? あ、僕がイケメンだからって告白するとかは勘弁だからね当然のように。悪いね」
「俺の好みとは真反対なので安心してください」
主に性別とかチャラそうな雰囲気とか。少なくとも初対面からそういう冗談を投擲してくるタイプの先輩は好きじゃない。
笑い声も立てず矢原先輩はニヤニヤと口の端で笑みを浮かべる。
「いやいやこれジョークだから。硬いな後輩くんは。で、用件どうぞ?」
「大した用件じゃないんですが……実はサッカー部を見学したいと思っていて。副部長の矢原先輩に言えば良いかと思い、こうしてお訊ねした感じです」
「そんなこと? 別にそれだったら直接部室に来てくれるだけでよかったのに。あーでも勧誘ビラの連絡先、お前副部長だからって押し付けられて僕の名義になってたか。どちらにしても上級生のクラスに来てアポイントを取ろうとした君はとても真面目で瀟洒だ。サッカー部に向いてるよ。来なよ今日、歓迎するよ」
褒められているのか……?
まあここは褒められていると解釈した姿を見せた方が違和感が無さそうだ。
「良く分からないですがありがとうございます」
「ただ一つ、君の第一印象で良く分からないことがあるんだよね」
そう言って矢原先輩は張り付けたテンプレートな笑みを太陽の裏側へ隠し、代わりに寄越してきたのは凍てつくような視線。読み取れる感情は警戒心と不快感と疑念。
「僕にはどうも君がそんな社交性があるような人間には見えないんだ。もっと自分本位で、他人や組織に殉じることなんて一切考えない、簡単に言えばスタンドプレーが得意そうに見える」
「そう見えますか」
「見えるねもうガチガチに。目がそうだ。濁ってるね、ガンジス川並みに」
汚物も洗剤も十把一絡げに溶解された河川レベルで濁っているのか俺の目って。幾ら相手が知らん男子先輩といっても俺の精神構造はそこまで超合金じゃないんだがな。
傷付きそうな俺の内心など露知らず、矢原先輩がほれ見れと言わんばかりに口角を上げる。
「矛盾してるじゃないか。ほら、そんな人間が部活見学程度で態々こうして僕のとこに来るなんて専ら変だろう。何も聞かずに活動場所だけ見てそこに直接赴くタイプだ、君は。だから端的に問うけど何か他に聞きたい事でもあるんじゃないの?」
表情には出さずに俺は舌を巻いた。
……いや、本当に驚いた。
外見だけなら頭空っぽそうだが想像以上に良く頭が回る。俺が藤澤先輩の回し者とまでは知らないだろうが、何某の思惑を抱えてこの場にいることを見抜くなんて。それとも直観に優れているのか? まあどっちでもいいな。
すると背後からまた別の先輩の声がかかる。
「おい雄大、後輩を虐めんなよ~2年になったからってそういう趣味は良くねえぞ」
「別に虐めてなければ趣味でもないんだけどな」
クラスメイトから揶揄された矢原先輩が不服そうに声を上げて、後ろ髪を掻いた。
「まあ別に気になっただけだから良いさ。悪いね。ともかく部活の方は了解、放課後来てくれれば見学くらい何時でもさせてあげるよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「名義上は副部長だからこれくらいはね」
「ところで気になってたんですが、さっきまで矢原先輩が見ていた人って彼女さんですか?」
このまま帰っても良かったのだが、それだと収穫が少ないと思いつい軽い気持ちで長谷部先輩を話題のライン上に並べると、途端に厳しめの目で睨まれる。どういうつもりだよてめえと内心が聞こえてきた気がした。やはりキツイか。
「君の本命の用件に直紀が絡むのであれば本気で僕は赤神君のことを遠ざける必要があるんだけど、まさか違うよね」
「ずっと見てたじゃないですか。だから気になっただけで、他意はありませんよ」
「うん信じてあげよう。その面を見る限り横恋慕ってのはなさそうだ。君って恋愛なんて感情の誤作動による結果とか考えてそうだし」
「誤解です先輩。俺を中二病みたいに言わないでくださいよ」
「そうだね。じゃあ高一病だ」
俺の足元を見ながら矢原先輩が言う。
馬鹿にしてるのかこの先輩は。
「さっきの質問だけど、赤神君の察しの通り僕自慢の彼女さ。近づきたいと言っても絶対に僕は近づけないからね。予め言っておくけどこれは確定事項と思ってくれて構わないよ」
「近付きたいとは思ってませんよ。ただ先輩、凄い彼女さんを愛されているんですね」
「そりゃ愛してるさ。言うなれば僕の半身だ、いつだって視野角の範囲に置いて直紀のことを見ていたいくらいだよ。僕はモラハラ彼氏になりたくないからそこまではしないけどね。でも異性と出来るだけ話さないでねとは言ってるし、僕自身も直紀以外の女の子とは可能な限り喋らないようにしてる。可愛い彼女の嫉妬心を眺めるのは愛くるしいけど、直紀からすれば苦しむわけで不幸だろう? だから互いに互い以外の異性との関係性は構築しない、それが僕たちの契約さ」
「契約なんて随分と重い言葉を使うんですね」
「この重みこそが愛でしょ?」
少し自慢げな顔を作ってはこちらへ同意を求める矢原先輩。
いや知らんがな。
「でもそれで首が回しづらくなることはないんですか。異性と話せないとなると矢原先輩も、先輩の彼女さんだって学生生活で不便になることもあるでしょうに」
「まあね。でも絶対に必要だったんだ」
「絶対に……?」
違和感がある言い回しだった。長谷部先輩が他の男から粉を掛けられている場面を見たら嫉妬に狂うから、みたいなメンヘラ彼氏の如き安直な理由で束縛しているのかと思っていたが、そうじゃない。
俺の勘違いでなければ、メリットとデメリットを両天秤に掛けてそうせざるを得ないと判断しているみたいだった。そういう表情だ。
矢原先輩はこれ以上何一つとして論ずる必要性を覚えないとばかりに髪を掻き上げた。
「ちょっと話し過ぎたね。ともかく君の用件は分かったから、また放課後サッカー部の部室来てよ」
蜘蛛の糸に頭を引っかけたような粘りっこさを覚えつつも俺は軽く礼を言って、教室から出た。
出てすぐの廊下の窓を眺めながら藤澤先輩は待っていた。
「藤澤先輩、一先ず見学の約束は取り付けられました」
「よ、よかった……やっぱり矢原は赤神の話なら聞いてくれる。部活関連の話なら猶更……安心した」
俺の姿を認めると、藤澤先輩は安堵するように肩を落として、風が吹いた。強めの風だった。天気予報でも今日は春の嵐と天気で言われるくらい風が強い日だった。
廊下を通り抜ける女子生徒たちが反射的にスカートが暴れないように手で押さえ、藤澤先輩も同じく手を太腿辺りに置いて強く布地を抑えつけた。その瞬間、意識が削がれた頭髪部が揺らめき、大きく波打って、重いベールが取り去られ深海の底が見えた。
一瞬見えたそれは、美人としか言いようがない顔の造形をしていた。染み着いた仏頂面ながら基本的な顔のパーツは整っていて、綺麗なエメラルドグリーン色の双眸、あまり手入れされていない太い眉、目元の大きい黒子。綿貫先輩みたいな話しかけるにも勇気が要りそうなタイプの美人と違って、不思議と親しみを持てそうな部類だと思った。まあ普段の雰囲気が世界が終わって10分後みたいな沈痛な空気を醸し出しているため、今後藤澤先輩へ心理的抵抗が減るかと言えばそんなことはないのだが。
風が止んで、すぐに黒いカーテンが藤澤先輩の顔を隠した。何だか勿体無い。
間抜けにも口を開けっぱなしにして固まる俺を藤澤先輩が怪訝に見つめる。
「どうしたの?」
「いえ……でも藤澤先輩、これからどうする気ですか」
誤魔化すように今後の方針について俺は訊ねてみる。さっきは長谷部先輩が教室にいたから無理矢理話題に上げることが出来たが、流石に見学となると矢原先輩も本格的に口を開かなくなるだろう。そもそも副部長と見学者の俺じゃどれだけその場で話せるかも怪しいし。
だから何か策を講じないとどうにもならないが、藤澤先輩はどうする気なんだろうか。
出方を窺がっていると、藤澤先輩は少し考えるように指を口元当てた。
「……考えてない」
「は?」
「ここから先は……出たとこ勝負……」
「待って下さいよ。つまり後は全て俺に任せると?」
「ふぁいおー……お願い」
可愛らしくガッツポーズを作られても俺には頭を抱えることしかできない。作戦を立ててきたと言っていたのに全然じゃないか。綿貫先輩といい藤澤先輩といい、何でもかんでも俺に丸投げすぎだろ。頼むからある程度細部まで考えてからこっちに依頼してほしい。こんなの殆ど後輩虐めに近いぞ。
しかし、だからと言って投げ出すのは……違うな。
押し付けられた形と言えど、一度やることにした以上、やりきらないと気持ちが良くない。
……それに人生逆転部に勧誘された理由も知りたいしな。
「藤澤先輩。ではここからは俺のやり方でやります」
敢えて宣言する。
もしかしたら藤澤先輩の望む方法での結末にはならないかもしれない。
だが押し付けてきたのは先輩たちだ。
俺の裁量を増やすというのであれば俺のやり方でやらせてもらう。文句を言う権利はもう先輩たちには無い。
藤澤先輩は静かに頷いた。
さて。
俺のやり方でやる、などと藤澤先輩に大見得を切ってしまったわけだが、正直どういう手段を取るかという点ではあまり悩むことは無かった。
何故なら俺はそんなに頭が回る方じゃない。伏線や布石を沢山敷き詰めて思い通りの結果を手繰り寄せたり、はたまた状況証拠と仮定と推測を重ねて事実を炙り出すといった、サスペンス小説に出てくる天才たちの方法を取ることは俺には出来ない。だから予め藤澤先輩には謝罪しておくべきだろう。すまん藤澤先輩。多分望み通りの形では告白できないかもしれない。
手段を必然的に愚直でみっともない方向性に限られる。
本音を吐けばあんまりやりたくないのだが……一度引き受けてしまったタスクでうだうだ言っても仕方がない。両頬を叩いて何とか上手にお遣いを熟すしかない。
放課後になって俺はサッカー部の部室へと赴いた。
グラウンドに連なったプレハブ小屋とすれ違いながら部室を探す。
確かこの辺りだったような……と探していれば奥から三つ目のプレハブがそうだった。ドアにサッカー部と書かれたプレートが掲げられている。そのままノックした。
「すみません、サッカー部の見学に来た者なんですが」
「あー今行く!」
返事はすぐに帰ってきた。中からロッカーを力任せに閉めるような音が聞こえてきて、扉はその後直ぐに開かれた。
「こんにちわ、新入生だね。ようこそサッカー部へ。俺は本多、ここの部長だ」
現れたのはジャージ姿の如何にも優しそうな男子生徒だった。爽やさとかが如何にもサッカー部っぽい。俺の苦手な人種である。
先輩はいそいそと用紙がクリップで挟まれたボードを取り出すとこちらへ差し出した。
「まずはこれにクラスと氏名を記入してもらってもいいか」
「分かりました」
ボールペンと共に受け取って書き進める。用紙の半分は他の見学者の名前で埋まっていることから、今日までに20人近くの見学者がサッカー部を訪れているらしい。
記載を終えて本多先輩に渡すと、俺の名前を見て物珍しそうにふぅんと声を上げた。その反応で留めるあたりも部長っぽさがある。俺のフルネームを聞いた人間は大抵、一度は変な目で俺を見る。赤神十段という氏名は大多数からすればそれだけ珍妙に写るということだ。何なら将来は婿入りもアリだと思ってるまである。
「じゃあ赤神君、早速グラウンドに行こうか」
気を取り直して、本多先輩に案内されてその背を追いかける。
部室からサッカー部のグラウンドは部室からは少し離れていた。それもそうで、この高校には複数グラウンドが存在する。真横のグラウンドは陸上部用の物で、サッカー部は少し離れた場所ながら独自に人工芝のグラウンドを持っているのだと本多先輩は少し誇らしげに語っていた。
本多先輩は歩きながらサッカー部の活動方針を話してくれた。今年は全国大会出場を目標としているらしい。大きく出たもんだなあと思わず感嘆の声を出してしまった。一応俺も中学はサッカー部の端くれだから高校サッカーの県予選が如何に厳しいかくらいは存じている。ここ神奈川県であれば、一次免除じゃない場合ノックアウト方式のトーナメントを10回も勝たなくてはならない。10回もだ。いやいや無理だろうと俺は思いつつも、そんな本心は見せないように本多先輩に応援してますねとおべっかを送っておいた。輝かしい青春のために部員諸君と頑張っていただきたい。
歩いていれば3分ほどでサッカーコートに辿り着いた。
「ここがサッカー部の拠点だよ。雨天以外はいつも部員はいつもここで集合するんだ」
言いながら本多先輩はサッカーコートの中に入って、俺にも立ち入るよう手で合図を送ってきた。入ってみると人工芝とはいえ、足で地面を踏んだ感覚が柔らかい。この環境ならファウルを受けたりして転んでも大した擦り傷にはならなそうだ。こんな設備は中学の頃は無かった。公立高校とか普通の私立高校にも無いはずで、流石は県内有数の名門校。強くもないのに恵まれた設備をお持ちでらっしゃる。金持ってるなウチの高校。
本多先輩はこちらを見ると、籠に入っていたサッカーボールを手に取った。
「赤神君はサッカー経験者?」
「少しは……でもあまり自信は無いですね」
「そっか。じゃあ今日は普段この部がどんなことをしているか見てもらえれば良いか。取りあえずあそこのベンチで座って見てくれ、見学者は帰りたいときに帰っていいからな。入部を決めたら入部用紙を渡すから俺か副部長の矢原に話しかけてくれ」
今週何度も言っているだろうテンプレートな案内文句を語りながら本多先輩が指差す先にはプラスチック製のベンチが幾つか並んでいた。既に制服姿の何人かが座っていて、きっと俺と同じように見学者なのだろう。
それにしても観覧席まであるのかここのサッカー部……。俺の記憶だと仲原高校は全くサッカーの強豪校ではないはずなんだがな。県大会2回戦突破できれば御の字ぐらいの弱小校だった気がする。
ベンチに腰を掛けるとグラウンドが良く見渡せた。部員たちが談笑しながらアップを初めていて、本多先輩もそこに交じって行った。見れば矢原先輩の姿もある。やっぱり話す機会は持てそうにない。そりゃそうだ。
アップを終えると軽いボールを使ったトレーニングから始まった。2人組で走りながらトラップとパスを繰り返し、その様子を俺は欠伸をしながら見守る。その後は紅白に分かれて練習試合。学生レベルにしても低次元に見える。パスは弾くわシュートは宇宙開発するわ。おまけにルーレットしようとして思いっきり横にボール蹴り出してるし……てか矢原先輩じゃんあれ。何やってんだあの人。
ああ退屈だ。他人がやってるサッカーを見てても何の面白みも無いし、それ以前に内容自体が見世物として落第点の遥かに下。端的に飽きて来た。良く見れば部活着じゃなく学校の体操着姿の生徒もいる。体験入部もあるのかよ。なら見学じゃなくて体験入部にすべきだったな、素直に失敗した。なにせ今日は天気も良くて凄いよく眠れる気候だ。おかげで退屈な脳内の中では眠気が映える。
で、俺はつい睡魔の心地良さに身を任せて寝た。日差しがとても気持ちが良かった。きっと他の見学者からは変なやつだと奇妙な人間を見る目でも向けられていたに違いない。しかし俺はどうせサッカー部に入ることはないので。部員見学者共々、誰とも今後一切縁が無いことを考えればどれだけ冷えた目で見られても一切気にする必要はない。こんな詰まらないものを観戦するくらいならエネルギーを浪費の垂れ流しでしかないんだ。寝て正解だ。その場限りの人間関係と、耐えきれない程ではないが目を瞑れば気持ちがいい睡魔を量りに載せたら後者の方が重いに決まっている。
「ほら起きろ起きろ寝坊助1年、部活終わりだぞー?」
俺が次目を覚ました時には空は暗晦に染まり、夜だった。辺りを確認すれば部員たちも出したコーンやら籠やらの物品を物置きに片付けている最中で、見学者は俺を除いて誰もいなくなっていた。
俺を起こしてくれた矢原先輩は眠気から堪らず身体を伸ばす俺に呆れ尽くしたような表情で溜息を落とした。
「昼間は態々クラスまで来るもんだからやる気あるなぁと感心してたけど凄いね君。大物になれるよ」
「ありがとうございます」
「いや皮肉だよ」
皮肉と分かってて言ってるんだよ。
とは流石に言えないが、この状況、些か丁度良い。図らずも矢原先輩と話せている現状は思えがけない幸運だ。寝て正解だったな。
さて、どうするか。
まあ考えるまでもなくやることは決まってんだよな。これ以上丁度良い展開も無いだろうし。
「全く、凄い寝顔だったよ。部員全員赤神君の爆睡姿を目にして胆力あるって言ってたよ。全国でも物怖じしなそうだって」
「すみません。普通に眠かったんで」
「昨晩夜更かしでもしたの?」
「早寝早起きがモットーなので違います。俺、ジッとしていると眠くなるタイプなんですよ。蟻が行進している光景を見続けられないタイプと言うんですかね。ノロノロとした練習試合とか見てたところで非常につまらないっていうか」
「ふうん。つまり退屈だったと。そんな君から見たウチの部はどうだったか感想でも聞いていいかな」
言葉以上にピリピリと敵意の伝わってくる平坦な声で矢原先輩は俺を見下した。良い感じに煮詰まってきたな。
……よし。倍プッシュだ。
「下手でしたね。部員全員下手。正しく弱小校の面目躍如って感じが伝わってきました」
両肩を竦めながら思いっきり煽ってやった。
掴みかかられるかと思ったが、流石に副部長とあってかそんな短気でもないらしく、矢原先輩は切れ散らかして言葉を荒げることはせず、ただ表情は消して静かに俺を睥睨する。無事ボルテージ上昇に成功。あとはどう炊き付けるだけだな。
「下手ってそれはまた手厳しい。これでも部員みんなここで1年以上は頑張っている訳だけど、赤神君はどういう部分が下手に見えたんだい」
「下手じゃない部分を探すのがサイゼリヤの間違い探しくらいハードでした。逆に矢原先輩は何が下手じゃなかったんですか。俺は良く分からなかったのでご教授お願いします」
「……あまり調子に乗られるとさ、副部長としてのメンツが立たない訳。分かるかな?」
「ルーレットミスってライン割るクソダサい副部長にどんな威厳があるかは知りませんが、俺みたいな1年生でも先輩のサッカーは酷いって分かりますよ。矢原先輩も下手ですが他はもっと下手だ。これじゃあ今年の県予選は1回戦突破すら出来なさそうですね」
「あのねえ後輩。僕は君がどれだけ出来るか知らないけれど、僕たちはこれでも全国を目指してるんだよ。これ以上無意味に乏しめるようであれば僕としても実力行使に出ざるを得ないけど、どうする?」
「下手が粋がらないでください。虫唾が走ります。というか実力行使って暴力ですか、それともサッカー? どっちだろうと構いませんが、これじゃ今夏も見えた末ですね」
「よしよし分かった、君は分からせなきゃならないみたいだね。わかった、僕が潰すよ」
矢原先輩は穏やかな言葉選びこそ変わらないが、抑揚をぶっちぎって静かにキレた。
一旦は及第点かな……。
先輩を挑発して望む結果を得ることはとてもスマートなやり方とは言えないけど、これで本題に入れる。
俺は矢原先輩の目を突きぬかんばかりに指を差す。
「ではサッカーで決めしょう。暴力で大会出場停止は俺も望むところじゃなりません。ルールは1対1でドリブル勝負、俺が負けたらこれまでの発言を謝ります。俺が勝ったら1つ言うことを聞いて下さい」
矢原先輩の表情を確認する。見た目だけならばいつも通りの笑みだが、拳を握り締めて怒りを押し込んでいるように見える。そんな様子を見るとつい考えてしまう。何で俺こんなことやってるんだろうか。先輩を煽り散らかしてその気にさせて……高校生活始まったばっかだってのに前途多難だな。思わず自嘲する。
俺の華やかな青春が徐々に色褪せているような気がして少し気が重くなっていれば、矢原先輩が口を開いた。
「その条件では僕が不公平だね。僕が勝った時は君は部員全員に土下座で謝るんだ。それで手を打とう」
「分かりました。やることは変わりませんから」
……まあいい。
畢竟、勝負事である以上勝てばいいのだ勝てば。
それに矢原先輩の実力は上から見ていた。それで分かった。この部じゃかなり上手い方かもしれないが、俺よりは上手くない。一体一の勝負を断らなかった時点で矢原先輩の負けだ。
……と思いたい。
本当はそんなこと無いけどもな!
今俺制服着ていて動きづらければスパイクも履いてないし!
「何かするのか雄大?」
部長の本多先輩が目敏く気付くと矢原先輩と俺に目配せをして、妙な雰囲気を嗅ぎ取ったのか手を腰に当てて矢原先輩を柔らかく注意するように言った。
矢原先輩はそれを好戦的な笑みで払い除ける。
「ちょっと教育ですよ。もうちょっと詳らかに喋れば、いけ好かない1年生に叩いて性根を真っすぐに曲げ直そうという先輩としての義務の行使ってやつです」
「そんな義務はないからな雄大……まあ騒ぎにならない程度に程々にしてくれ」
「善処しますよ部長」
サッカーグラウンドに出て、矢原先輩はまだ片付けられていない籠からボールを一つ取り出した。
見せびらかすように足でリフティングを5回ほどして腕の中にボールを抱える。
「ちゃっちゃとやろうか。時間も無いし攻守1回ずつやって、ドリブル突破と突破阻止を2連続で失敗した方の負けってことで」
「いいですよ矢原先輩」
「靴はそのままでいいの? 平等を期すためにも誰も使ってないスパイクくらいなら貸すけど? 動きづらさを負けた時の言い訳にされたら見苦しいからさ」
「問題無いですよ。ハンデに丁度良いです」
「そーかい」
とはいえ矢原先輩が言うのも最もだ。今俺が履いているのは制服とセットで売られていた学校指定の黒ローファーである。当然、靴裏には地面を削る凹凸もないから無理に足を動かせば簡単に滑ってしまう。
……素直に借りておくべきだったかもしれない。でも俺、あの先輩あんまり好きじゃないんだよな……何か糸目で胡散臭いしイケメンでムカつくし。俺だってしょうもないプライドだってのは分かってるけど、こういうのは理屈じゃねえんだよな。
まあしかし、だからって今からやっぱり借ります~ってのは些か無理がある……ちょっと調子に乗りすぎたかもしれない。
「すみません、一周だけサッカーコート走ってきて良いですか?」
「ん? ああ、準備運動ね。手早くやってくれ」
俺は手早くグラウンドを一周する。矢原先輩の言う通り準備運動という側面もあったが、もう一つ人工芝がどういった感じかも俺は知りたかった。人工芝でプレイする機会なんて人生で一度も無かったからな。
走ってみた感じ、予想と違わず人工芝は土のグラウンドよりも足元が柔らかく滑りやすい。ローファーも相まって足元の踏ん張りが効かない。細かいステップを踏むのは止めて方がいいな。やるとするなら技術ではなくフィジカルだ。
一周し終えて俺は矢原先輩の下へと戻ってくる。俺が走っている間にも矢原先輩は屈伸して準備体操をしていた。
「さて、十分かい?」
「大丈夫です」
「じゃあやろうか後輩。僕の番から行くよ」
矢原先輩と俺はセンターサークル近くで相対した。足元にボールを収めて、軽く蹴り出す。
俺がボールを奪えればまずは一勝。小中と右ウイングだったから大して守備が出来る訳でもないが、矢原先輩は読みやすい。
矢原先輩はボールを持つとステップを踏む。顔を上げ、こちらを凝視している。俺が右に身体をずらせば左に抜け出せるように構えているのだ。
何度か足がボールを追い越し、矢原先輩は遂にボールを蹴り出した。顔は右を向いている。つまり左に抜けたいんだな。俺は読み通りに踏み込んで、足を差し込んでボールを狩りにいく。タッチ成功。ボールは矢原先輩の足元から白線の外へ転がっていく。
「……読みづらいね。表情硬すぎない?」
「矢原先輩は読みやすいですね」
視線と反対方向に動こうとするのは分かるが、身体がそれを誤魔化せていなかった。足先で方向は読めたしスピードも大してなかったから何とかなって良かった。
ふうと息を吐くと矢原先輩が髪を掻き上げる。
「生意気クソ後輩」
罵倒されてしまった。細めをかっ開いてめっちゃ睨んでこられると普通に怖いんだが……これって俺が悪いんだろうか。
「次は君の番だ」
「あざす」
ドスンと拾ったボールを思い切り蹴って渡してくる矢原先輩。しかしシュートみたいなパスで寄越してくるのは先輩としてどうなのだろう。子供っぽすぎじゃないか?
「取るのかよそれ」
おい聞こえたぞ。意趣返しに絶対にトラップ失敗したところを笑い者に仕立て上げようとしたじゃんこの人。やっぱ俺この人嫌いだわ。
気を取り直す。
「では俺の番です」
「ああいつでも───!?」
俺は言葉と同時に大きく蹴り出す。ボールをこねくり回したってローファーを履いている俺じゃ細かいタッチに不安が残る。なら取る手は一つ、駆けっこをしようじゃないか矢原先輩!
這うように早い球が矢原先輩の右手を通り過ぎて、追いかける俺に対し先輩は慌てて反転した。完全にチェイスする形だ。
細かいタッチを必要としない直線勝負であればローファーでも何とか戦える。勿論走りづらいが、意表を突いたおかげで出遅れた矢原先輩は俺の少し後ろに付いている。ボールまで残り5m。俺は走っている途中で歩幅を一度調整し、右足でクロスを上げる。
「やらせないが!!」
うお……!? 矢原先輩ディフェンダーばりに滑ってきやがった!
このまま蹴り出せば弾かれるのは明白……なら!
クロスを上げようとした足をそのままボールの頭を掠らせる。底が真っ平なローファーでもコントロールに成功したようで、矢原先輩のスライディングからボールを死守することには成功。
「あっ……」
だが俺は俺で軸足が耐え切れずそのまま足を滑らせ体勢を崩し転んでしまった。芝だから転けても全然痛くないし制服も汚れない。金持ち学校サマサマだ。
でも恥いな俺……結構自信満々で仕掛けたつもりだったんだが普通にしくった……。
再度仕切り直しだなあと肩を落としながらボールをセンターサークル付近まで蹴り出そうとすると、矢原先輩が諦観を込めたような重い息を吐いた。
「はあ……これは僕の負けか」
矢原先輩の負け……?
つい俺は利敵行為と分かりつつ反射的に反駁する。
「あの、俺最後転びましたよ?」
「負けは負けだよ。不愉快だけど僕はボールに触れられなかった上にスライディングも避けられた。不愉快だけどスパイクさえ履いていればあの状況ならクロスだろうがカットインだろうが何でも選択肢は取れたはずだ」
2度も不愉快って言ったよこの人。
「……不愉快なんですね」
「ああ。ボールじゃなくて足に行っておくべきだよと後悔してるよ」
「殺す気ですか?」
殺人スライディングは勘弁してくれ。運動部でもないのにスポーツで怪我して松葉杖登校とか俺は嫌だぞ。目立つし。
「どうせ君は避けるだろう?」
「避けるから良いって話じゃなりませんよ。こんなお遊びで俺は怪我なんてしたくありませんから」
「お遊び、ねえ。君は僕の癇に障る発言をするのが得意のようだ」
矢原先輩はイラッとしたように目尻を震わせた。はあ……?
無表情を務めて保ちながら矢原先輩が何故苛立ったか考えてみた。そりゃ売り文句に買い文句だったが、こんなのはお遊びの範疇でしかないだろうに。地区大会の一戦でもなければこの一戦で何かが変わることもない。
会話が途絶えて夜闇に流れる春の風音だけが支配した刹那、本多部長の声。
「雄大、お前本気だったのか?」
「はあ? 部長だって見ていたはずですが僕の傷口に塩でも塗りに来ましたか?」
「そんな趣味はない。ただの興味と、赤神君の実力に驚いただけだ。何でこんな高校に来たのか分からんくらいの実力だよ、な、雄大」
朗らかに笑いながら一切の空気を読まずに矢原先輩の背中を叩いた。
「……部長はどっか行ってください。それに多分赤神君はサッカー部には入りませんよ」
「え、そうなのか?」
矢原先輩……余計な事を……!
溜息が自然と零れる。見学に来ながら部には入る気がありませんとか感じ悪いから言いたくないんだがな……仕方ないか。
「まあそうですね。あまり入る気は無いです」
「赤神君なら一年でレギュラーも可能だぞ? たぶんウイングとかセンターフォワードだよな。そこの雄大も左ウイングでな、入部したら部長としてそこの負け部員とスタメンを交換してやろうか?」
「部長、本当にそういうところ改めた方が良いですよ。頭が悪いのは分かってますからそれなりの言動を心掛けてもらえると助かります」
「……なあ赤神君、俺って何で雄大に嫌われてるんだろうな?」
俺が知るか。
矢原先輩が眉間を抑えて言外に頭痛の種だと訴えていると、本多部長は少し沈んだ面持ちで俺達から離れて行った。
「邪魔が入ったけど……話を戻そうか。僕が敗北したのは事実、僕に出来ることがあればやるからさっさと早々に言ってほしい」
「急かさないでくださいよ先輩」
「僕は君のために自分の時間をこれ以上浪費したくないんだ」
話を終わりたがっている矢原先輩を見て本心だと悟る。嫌われてしまったらしい。俺も矢原先輩のこと嫌いだからお互い様だな。
手早く終わらせてしまおう。
「じゃあ藤澤先輩が長谷部先輩に告白する邪魔をしないでください」
「……それは」
「何でもするって言いましたよね?」
俺の要望を聞いた瞬間、苦虫を嚙みつぶしたように口元を苦渋に歪めながら俺を睨んだ。だが俺は追及の手を止めるつもりはない。
今更睨まれたくらいで怖くないっての。それよりどうなんだよ。負けたら何でもするってのは嘘か?
「それだけは勘弁してくれないかな? 君は事情を知らない」
「なら事情も教えてください」
「ということはそれがこの勝負の報酬ってことでいいのかな?」
「俺は自分の考えが常に正しくて一片の誤謬すらないとは思っていません。勘違いしないでください矢原先輩、貴方は敗者です。敗者である以上、事情を知った俺が考えを改める可能性に賭けるしかないんです」
「……君は見た目以上に卑怯で人の感情に疎い」
「人とか言われても困りますが、矢原先輩がどう思うかについては興味が無いですね」
「あーあ、違いない。僕も赤神君の人間性にはあまり興味が湧かないんだ」
矢原先輩はそう吐き捨てる。
互いに嫌い合っている。何となく分かっていたことだ。
俺はイケメンで人生順風満帆、副部長という地位もあって彼女持ちの矢原先輩は最初から気に入らなかった。矢原先輩も生意気な俺が気に食わなかったんだろう。心底どうでもいいが。
「分かった、話そう。僕と直紀の関係が始まったのは3年前、中学2年生の頃だ」
「すみません。本気で興味が無いので巻きでお願いします」
「君さ、自分で聞いておいてそれは無いんじゃないか?」
矢原先輩と長谷部先輩の恋バナなど欠片程も聞きたくなかった俺が時短を申し入れば、矢原先輩から呆れた目を向けられる。
俺にだった言い分はある。ただでさえ興味の無いにもかかわらず3年分の過去話を聞かされるとか冗談じゃない。
俺が黙っていれば溜息と共に勝手に喋り始めた。
「……はあ。簡単に言えば直紀は断れない性格なんだ。何を言われても断れない、損をする性格さ。だから藤澤さんから告白された直紀は多分受け入れてしまうだろう。それが良くないことであるのは君も分かるはずだ」
「そうですね。長谷部先輩はノーマルであるなら藤澤先輩の告白は毒でしかないでしょう」
「ああそうさ。まあそれ以前に僕が直紀のことを好きだという事実もあるけども君からすればそこは勘案する点では無いんだろうね」
お察しの通りで。
「それでどうだろう、藤澤さんの告白は止めるべきだと君も思わないかい?」
それこそが常識的で最も丸く収まる手段だろうという顔をして細目で俺を射貫く。
気に食わない目だった。先輩後輩といった立場の問題じゃない。
負けた癖に、負債を最小の手傷で返済しようと目論むその姿勢が気に食わない。挙句の果てに自分の吐き出した言葉こそが大手を振って世間様にも発信できる、芯を捉えた正論なのだという真剣な相貌が癪に触れる。
長谷部先輩の事情は理解した。同性からの告白を受け入れて本意でなく同性カップルの片割れになってしまうのは如何に世間が寛容だとしても、この小さな私立高校という箱では異端でしかない。学生生活を残り2年間は送る上できっと周囲からの心無い揶揄や差別を受ける。教室内が針の筵になってしまうのも容易に想像が出来る。
しかし、それは長谷部先輩の事情でしかない。
藤澤先輩の事情は何一つとして含まれていない。
別に俺は藤澤先輩のことなど全く詳しくも無ければ親しくもない。何なら関わるのも少し怖いなと思う程度には理解の及ばない女子先輩と認識しているが、それでも彼女は自身の特異性を理解して、その上で長谷部先輩に告白したことくらいは理解できる。
だから告白するだけで良い、断られるのは前提条件という風な口ぶりで俺に頼んだのだ。
彼女の恋が成就することは決してない。
理解した上でも尚、彼女は告白をしようとしている。
それは何故か。
───そうしなければ先に進めないから。
「矢原先輩」
「なんだいクソ後輩」
「一つ提案があります」
話し終えると、矢原先輩は自身の考えに沿わないながらも俺の提案の合理的性に舌打ちをした。