求む青春まであと何マイル? 作:人生逆転部
サッカー部の部活見学が終わって家に帰ってきたのは午後7時だった。
既に夜闇が地上に降りて、街頭の電気灯と頻繁に通り過ぎる自動車のヘッドライトだけが住宅街の暗さを晴らしてくれる。この街は世間的には大都会の周辺地域ということもあってか夜だろうが暗澹とした空気感は感じない。
家に着くと鍵を回そうとして、俺は手を止めた。
危ない、忘れていた。
今日は出張族の親が二人とも帰ってこない日だ。
このまま普通に入ってしまえば妹の逆鱗に触れてしまう。
寸でのところで鍵を回すだけに留めて、施錠が開いた状態で俺はインターホンを鳴らした。すぐにインターホンのスピーカーから話し中ボタンを押したのであろう電子的なノイズが乗った。
『汝、今宵の月蝕は紅に染まり、深淵より出づる混沌が慟哭に震える。奮え、揮え、震え、絶望に瀕し、志に、詩に、死に、災禍は大地を業火に包む。汝はそれを耐えうるか』
「……『儚きレーベンの精霊自叙伝』4巻のゼルリアスの台詞」
大仰な言葉遣い───有り体に言ってしまえば何処か現代社会においては痛々しい語彙に対して、諦観を心の奥底の押し込みつつ符号を口にすると、パタパタと玄関へ向かってくる足音。
その勢いのままチェーンが外され、ドアが開けられた。
「お帰りお兄ちゃん。結構ニッチな場所を選んだつもりだったのに良く分かったね」
「……まあな」
「お兄ちゃんもハカレべの面白さ分かったんだね?」
にひひと笑う妹に対して仄かに頭痛がした。
だいぶ前に帰宅していたのか中学の制服からすっかり寝巻にフォルムチェンジしていた千里は非常に緩い顔をしながら腰元まで伸ばしている黒髪ツインテをゆらゆらと揺らして、ルビー色の柔和な眼差しを俺へ向けてくる。
今年度で中学2年生になる千里は年齢的に来年受験で、そろそろアニメや漫画と言った類から距離を置いてほしいのだが、最近はより一層深みにはまるばかりで遂には受験を終えた俺を巻き込み始める始末である。確かに千里から勧められたハカレべ(正式名称は『儚きレーベンの精霊自叙伝』、千里曰く「この令和には珍しい純ファンタジーライトノベルだから読め傑作候補だからね!」らしい)は掛け値なしで面白くはあったが、それにしても影響を受けすぎている。それも悪影響だ。両親どっちも千里の嗜好には既に諸手を上げて諦めてしまったようで、最後の砦が何故か兄である俺となってしまっている。母親からも「あんたが兄として千里の人生を決めるのよ……!」とか言われたりもして、いや、ちょっと子供に掛ける圧力じゃないよなと度々思ったりするのだが。とはいえ可愛い妹なのは間違いないので、中二病は次第に寛解させる方向性で頑張ろうとは思っている。
その一環として、まずは患者と寄り添うコミュニケーションのために千里の読むラノベを理解することから始めたのだが……。
「そこそこ、そこそこだ」
「とか言ってハカレべ全巻読破済みでしょ?」
「舐めんな。アンソロまで読んだ」
胸を張って言えば千里は狼狽するように目を彷徨わせた。
「ええ!? 待ってよそれ私がお金無くて買えなかったやつじゃん! お兄ちゃんそれ先に言ってよ! あと後で絶対貸してよね!」
「別に良いが返せよ」
「い、幾多の星が蠢いて元の座標へ循環した時、書物は返却されるだろう」
「中二病っぽい語彙を態々使うな恥ずかしい。てか1年も借りようとするなアホ」
日常語彙を使え日常語彙を。一度頭で処理して噛み砕ないと言っている意味が理解出来ないから面倒くさいんだよ会話が。
俺が目で訴えかけると、千里は反駁するように頬をドングリを頬張ったリスみたいに膨らせた。
「でもお兄ちゃんも大概じゃない? 今の言葉、友達に言っても全然理解されなかったよ?」
「お前……友達を失っても俺は知らないからな」
「だいじょーぶい! そういう子はもう私から離れたのです!」
まだ付き合い切れているその友達も愛想を尽かして離れるかもしれないぞと俺は言っているのだが……兄の心、妹知らずとはこのことだな。うん。
ひっそりと寂寞とした心境になりつつも、千里は尚も変わらず俺に不服を申し立てる。
「私からすればお兄ちゃんこそ元はこういうの好きだったんじゃないかなーって疑懼の念を抱いてるんだけど! だけど!」
「顔を近づけんな。コーヒー臭いぞお前」
「ブラックが飲めるようなったのです!」
「そすか」
「兄として妹がブラックコーヒーが飲めるようになったのに鼻高々にならないの!?」
「なるかボケ。ふーんで終わるわ」
「これを理解しないとは本当に私のお兄ちゃん……? 私のお兄ちゃんがこんなにカッコ悪い訳が無いよね……?」
「古いし違えし。勝手にカッコ悪いって言われてもお前の意見でしかねえからそれ。俺は俺なの。変わってないの昔から」
妹がブラックを飲めるようになった程度で褒める兄貴がカッコ良く思えるのかこの妹は……中二病とか関係無くイカれちゃってるんじゃないかこれ。ごめん母さん、俺には千里に真っ当な社会性を植え付けるのは難しい気がするわ。思えば中二病を罹患する前からこんな電波というか、理解が困難な奴だった気もするし。
妹から目を俯けて独りでに諦観を漂わせていると、肩をぐいっと掴まれた。やけに力が籠っていて思わず俺は千里を見る。
爪先立ちになりながら、俺を睨み付ける妹がそこにはいた。
何か俺の言葉が一線を越えたのか、千里はいつもみたいなニヘラとしただらしない表情ではなく、どこか峻厳な風貌で眉を曲げていた。
「違うもん! 変わったよお兄ちゃんは!」
「はあ? どこが?」
「昔はもっとこう、しゅぴん、ずばーんって感じでカッコ良かった!」
「擬音語止めような?」
マジで何を言ってんのか分からないからそれ。
自分でも上手く言葉が伝わっていないことを分かっていて歯痒く感じているのか、俺の肩を握力検査用のトレーニング器具みたいに思い切り握って、何か考えるように俺を凝視した。
まるで複数ある爆弾の導線を切ろうとしているみたいに口をモゴモゴと迷わせる。
どれも明確な言葉にはならない。それを言ってしまっていいのか、言ってしまって何か大事なものが終わらないか。そんな風な戸惑いと遠慮が顔を覗かせる。
家族なのに今更何を、なんて思いが無いかと言えば嘘だが、それを実際に口にして形にするのはそれこそ大嘘だった。家族には違いないが、俺と千里は血が繋がっていない。所謂義理の兄妹ってやつで、それ故に思い切り感情を投げつけたくない、その後の爆心地を想像したくはないという一歩引いた思考回路の沼に嵌ってしまっている。
そして俺は俺も同じだった。
何か言うことも、況してや行動で示すことも出来ない。
千里は悩みながらも、最終的には観念した響きを伴わせて口を戦慄かせる。
「お兄ちゃんはさ、サッカー部入らないの?」
「……やらねえよ」
千里的には結構勇気がいる一言だったに違いない。
サッカーの話題、それは俺が家の中では意図的に避けてきた話でもあった。
中学時代はレギュラーを干されてずっと恥ずかしいという思いもあったし、何をどれだけ練習して上手くなっても無駄なんだという諦観もあった。家ではなるべくそんな想いを出さないようにしていたが、中学時代の公式試合を全て応援に来てくれた千里は何となく感じ取っていたのだろう。
受験期に入ってからは自然と消えたが、高校に受かってからは意図的に話題に上げないようにしていた。それは高校でサッカー部に入らないと俺自身が決めていたからだ。
「そっか……うん……」
頑張って消化しようとしているのか、千里は俺から僅かに離れると小さく頷いた。不思議とバチが悪い気分になる。俺は妹のためにサッカーをやっていた訳じゃないのに、まるでそうであったかのような錯覚を抱きそうになる。
そんな感情のバグを振り切って俺は話を挿げ替えることにした。
「今日は夕飯どうするよ。自炊は俺達出来ないから適当に食いに行くか?」
この妙な空気に居心地の悪さを覚えていただろう千里は俺を見上げると、気を取り直して、自身の右腕でマッスルポーズを取った。力瘤が一切存在しない、プニプニの帰宅部特有の二の腕だ。
「……待って。お兄ちゃん、今日は自炊にしようよ」
「マジで?」
「カッコいい女の子はみんな料理できるんだよ?」
え、そういう理由で?
「いやアニメキャラで普段は生徒会長を務めてめっちゃクールな美少女が実は料理下手でした~みたいな設定、かなりベタだと思うんだが」
「アニメじゃないよ!? 私が何でもかんでもアニメ漫画ラノベゲーム基準で物事を考えていると勘違いしてない!?」
寸分の間も置かず俺は頷いた。だってそうじゃん。
千里は怒った。
「お兄ちゃん、私は現実を見ているんだからね!?」
「……そうだな。現実も見ているな」
虚構とか深淵にも結構目を向けている気がするけども、約分すれば多分現実に目を向けているってことになるんだろう。生きている場所は現実だし。そうだな。そうしておこう。
優しい目で千里の感情を宥めていると、それが更に琴線に触れたみたいで、右足で床を何度も踏み始めた。子供か。
「酷い! こうなったらお兄ちゃんに私の料理の腕を思い知らせてあげるんだから! 9時になったらリビングに来て! 本物の家庭料理ってやつを見せてあげる!」
まるで料理漫画に出てくる新聞記者のような捨て台詞を残して千里はリビングへと消えていった。
出てくる料理に対して若干不安に感じるのは絶対に気のせいじゃない。
だって千里、家庭科の授業以外で包丁握ったことないからな。
翌日、千里特性の青唐辛子過剰投入系麻婆豆腐の被害で腸内環境がかつてなくヤバい状態のまま何とか授業を受け終えると、重い身体を引きずって俺は放課後の人生逆転部へと足を運ぶことにした。こうして当然のように部室に向かっていると何だか正部員になってしまったような気分になるが、それも藤澤先輩の件が終わるまでだ。これさえ片付けば綿貫先輩から俺をこの部に勧誘してきた理由を聞けて、ここに来る理由はついぞ無くなる。終わりが見えているのだら一時的に貴重な放課後の時間を珍妙な部活動に流し込むことも訳ない。終わるまでの辛抱である。
室内に入ると一昨日と同じく椅子に座ったウイがいた。スマホをじっと眺めては時折凄まじい指使いでスワイプしてチャットを送っている様子。
……そうだ、コイツには言わなきゃいけないことがあったわ。
「赤神君、また来たんだ~! ウイ嬉しいな~同級生が部員にいて嬉しいな~綿貫先輩からウイを守る肉壁になってくれるともっと嬉しいな~」
「部員でもなければお前の盾役でもねえっての。それよりウイ、何で昨日来なかった?」
「へ……昨日?」
鬱陶しい話を早々にぶった切って、ウイに言ってやった。昨日昼休み、藤澤先輩と俺は矢原先輩の下へと言ったわけだが本来であればあの場にはウイも来る手筈となっていたのだ。それを思い出したのか、ふわふわと浮いていたウイの顔付きは次第に蒼褪めていく。
「それはええと……ウイも忙しくて? ほら、SNSにインスタグラムになんとかかんとかウイって人気者だから急な予定が入ることくらい日常茶飯事なんだよ!」
「はあ……。いやまあ正直俺はお前が居てもいなくても変わらなかったと思っているから正直来なかった
こと自体は気にしてない」
「きゅう……!?」
なんだよきゅうって。イルカの鳴き声か。
「でも嘘を吐かれるのはムカつくからせめて正当な理由を言えよ。SNSで急な予定とか入らないだろ」
「入るもん! 制服自撮りとか、校舎裏で美少女が一人でご飯食べてまーすって孤独アピールとか!」
「学校で何やってんのお前?」
前々から思っていたがコイツのアカウント、絶対裏垢だろ。少なくとも健全な高校生が持つような同年代へ向けた投稿じゃなくて、インターネットに住んでる大人向けの自撮り投稿とか繰り返しているように見える。
俺の疑念を跳ね返すようにウイは犬歯剥き出しで「いーー!」と唸った。
「いいじゃん! 予定は予定だから行けなかったの!」
「分かった分かった。じゃあアカウントみせて見ろ、それで信じてこの話は終わりにしてやるよ」
「なんで赤神君に見せなきゃならないの!? リアルの人に見せるのなんて恥ずかしいしそもそもウイのアカウントなんて人に見せる価値が無いよ、てかさやっぱそうだよねウイだって本当はこんなことしていても何にもならないって分かってるけどでもその上で自分を曝け出せる場所としてインターネットの皆を選んでる訳でこれはウイの原罪なんだよフォロワーが何人いようとこれはウイの黒歴史でしか───」
「おーい戻ってこーい」
手のひらをウイの鼻先で振ってみるが一切動じることなく独り言を呟き続ける。初対面の時もそうだったがインターネットが絡むと壊れやすいなコイツ。
「おー、一年諸君は仲が良いねえ」
壊れた同級生を元に戻そうと頭を手加減チョップで繰り返し殴っていると綿貫先輩が部室へやってきた。
「こんにちわ綿貫先輩。ただ仲良いって言葉は否定させてください。ウイが壊れちゃったので叩いて戻そうとしてるだけです」
「ウイちゃんは機械じゃないよ?」
「ポンコツは叩けば直るって爺ちゃんが言ってました」
「赤神家の教育方針が見えてちょっと複雑だなあ……」
深くは立ち入りたくないのか半歩俺から距離を開けた。気のせいか初対面から大して縮まっていない心の距離がより開いた気がする。
いや、補足しておくが別にそういう家庭じゃないからな。祖父がそうってだけでウチの両親は暴力を振るったりモラハラしてくるような人じゃないぞ。もしそうだったら千里は百回は殴られてる。
と、厨二病末期な千里の言動を思い返しているとウイが目覚めた。勿論陰謀論的な意味では決してない。
「はっ! ウイなにしてましたか今!?」
「SNSに対する怨恨の声を上げてたな」
「あ、なら良かったー」
「良いのかよ」
「ウイの名前は"憂い"から来てるんですよ?」
そうなんだ。他人事ながら大変そうだな。
同情してやっていると綿貫先輩が口を開く。
「それで朱音ちゃんの件、何か進展あった?」
「まあはい」
「えホントに言ってるの? 私嘘は嫌だよ?」
釘を刺すかのように目を細めた。初手から嘘を疑うのはどうかと思うんだが。てか何かクラスメイトにも嘘が嫌いとか似たようなこと言うやついるんだよなぁ……そいつは普通に嘘吐きだけども。麻宮と苗字違いの姉妹じゃないよな綿貫先輩。
「事実ですよ。綿貫先輩に言われたからやってるのにその言いようは酷くないですか?」
「ごめんごめん、一昨日頼んだばっかりだったから驚いちゃった。いやー流石天晴! 私が見込んだ部員なだけあるねぇ赤神君は!」
「仮部員ですけどね」
重要なのでしっかりと含めておく。なし崩し的に部員にされるのだけは勘弁である。
そうだ、ウイのことは綿貫先輩にチクっておこう。別に恨みがあるわけじゃないけどウイの今後の為を思うとここで一度怒られておいたほうが絶対に将来の為だろうし。本当に恨みはないぞ。本当に。
「綿貫先輩、クレーム良いですか?
「いいよ」
「正部員のウイなんですけど全然手伝ってくれないです。どうにかしてください」
「ウイちゃんだしなぁ。ごめん無理、我慢してね」
綿貫先輩は既に半ばウイへの教育を諦めている様子だった。さもありなんとは俺も思う。気になって一瞥すればウイも特に反論することなくバチの悪そうな顔をしている。一応申し訳ないとは思ってるんだな。
「まあいいや。それでどんな感じ?」
「矢原先輩……長谷部先輩の恋人に、取り敢えずは告白を邪魔しないように約束を取り付けました。今日藤澤先輩にはそのことを伝えるので、後は明日にでも当事者同士で話して解決じゃないですかね」
本当は昨日言いたかったのだが連絡先を知らなかったが故に今日になってしまった。
とはいえ我ながらRTAばりに悩みを解決しまったなとか考えていれば、綿貫先輩の表情が仄かに曇った。
「そうなるといいんだけどね……」
「と言うと?」
「赤神君が思ってるほど簡単じゃないんだよ、この問題は」
その言葉が裏付けるように、その日、藤澤先輩がやってくることはなかった。
そうして部活動というには纏まりもなく各々が適当に時間を過ごし、午後5時半。
最終下校時刻の1時間前になると綿貫先輩は「私はそろそろ帰るね。あ、赤神君とウイちゃんが残るなら部室の鍵渡すけど要る?」と言ってきたのでその申し出を丁重に断ると、職員室へ向かった綿貫先輩とは別れて帰宅路に就くことにした。
校舎から出れば茜色に染まった夕焼けが武蔵小杉のタワマンの頂点を焦がしている。ビルから伸びる影を見ると嫌でもこの街が開発の進んだ都会であるという実感を覚えてしまう。実際、この街に元々はタワマンなんて無かった。元からあった東横線と南武線に加えて横須賀線の新駅が誕生したことで都内へアクセスしやすくなり、タワマンやら商業施設やらがポコポコと生え、都市開発が進んだという経緯がある。今じゃ相鉄線まで乗り入れて、ターミナル駅の風格すら漂わせている。とはいえ東京近郊で最も発展している大都会横浜には到底及ばないが。
生まれ育った街に思いを馳せつつ、俺は気まずくなって後ろ髪を掻いた。
横を見遣ればマンタの横に引っ付く魚みたいにウイは俺の隣を歩いている。部室から校舎を出るまでずっとこんな感じだった。
一緒に帰ろうだとかそういう会話があった訳でもないのに、何でずっと俺の隣を歩くのか。
「ウイって多分電車だよな? 俺チャリだからこの辺で解散するか」
溜まらず口を開いて俺は言った。ウイのことだから離れるタイミングを逃して、一人で唐突に別方向に歩いていくのも戸惑われた為に仕方なく一緒に来ているだけな気がする。何で俺はたった2日間でウイの生態を理解しつつあるんだ。多分こいつが分かりやすいのが悪い。
ウイは話しかけられたことに気付いて俺の顔を見た。身長差から自然と見上げる形になる。足を止める。悩ましいように目を伏せる。何か言えよ。俺までこの場に離れづらくなっただろうが。
程無くしてウイは胸に手を当てながら、ぎこちない笑みを俺へ向けた。
「赤神君ってこれから時間ある?」
「……は?」
俺には昨晩配信された深夜アニメの視聴という高尚な予定があるんだが?
「ちょっとさ、出来ればね、ええと、話を……」
普段から負の雰囲気を醸し出しつつもテンションだけは高かったウイが、暗闇を彷徨うかのような歯切れの悪さを響かせて流し目を送る。
「別に良いが……なんの話だよ」
「……ここだと聞かれるかもしれないから、別の場所がいいかも」
あーそうすか。
しかしやりづらい。女子とあまり話した経験がないというのもあるが、それ以上にそんなしおらしくされると普段の感じで強めの当たりで返したら枝木を手折ってしまうような気がして、思わず口を一度噤んだ。距離感が掴めない。
「……話だけなら構わねえよ」
「うん、ありがと」
「チャリだけ取ってくるわ」
淡々とした感謝に更に気まずくなりながらも、俺は一度自転車置き場にチャリを取りに行く。いつも通り校舎入口に最も近い手前の一角に駐輪していたマイチャリを回収して手で押しながら戻ると、校門の前でウイが立っていた。合流する。
感じの良い喫茶店とか洒落た店を知っているはずもなく、俺たちが入店したのは駅前のファーストフード店だった。そこまでに向かう間は無言である。
思えば俺は部活以外のウイを知らない。興味も特には無かったといえ、教室でどんな風に過ごしているかなど考えたことも無かった。だが部室での言動から予想は大なり小なりつく。友人はおらず、交友関係はインターネット上でのみ。その交友関係もウイの独白を聞く限りは一般的な友人の定義からは外れているだろう。それが健全的な学園生活かと言えば肯定は出来ない。むしろ不健全だ。潔癖症なわけじゃないが、やはり自撮り写真をネットに上げてはインプレッションを稼ぎ承認欲求を満たす、その精神性を善し悪しで論じれば後者に偏る。
ウイも俺同様、人生逆転部に勧誘されたと言っていたがその理由も何となく分かった。
綿貫先輩はきっとそのウイの精神性を知ったとき、青春の敗者という烙印を押したに違いない。確かにそういう意味でウイは俺以上に人生逆転部に相応しい人材だ。
柄にも無く他人の事を考えながらカウンターでハンバーガーとコーラゼロを頼んだ。フードとドリンクの両方を注文した時の一番最安になる組み合わせだ。チラリと横を見ればウイは紅茶のLサイズを頼んでいた。原価厨じゃないが凄くコスパが悪そうだ。
ファーストフードの本領発揮と言わんばかりに早々と食べ物が提供されると2階に上って、空いている窓際のボックス席に陣取った。ウイとはテーブルを挟んで反対側に座った。
客への配慮からか窓はブラインドが下りていて、ここであれば外から密談が見つかることがなさそうだ。少なくとも綿貫先輩の目に触れることはなさそうだ。どうもウイは綿貫先輩のことを気にかけて、部室外で話しかけてきたような節を感じるからな。
因みに周囲には俺やウイと同じ学ラン制服を着用している高校生が何組もいたが、当然ながら知っている顔は一つもなかった。
「赤神君はさ、勧誘されて来たんだよね?」
コーラゼロを飲んで乾燥した口内を潤していると、ウイが周囲の喧騒に掻き消えそうな小声でぽつりと呟いた。独り言でなく、俺へ差し向けられた発言だと理解するのに一呼吸分の間が必要だった。
「まあそうだな、俺も綿貫先輩から勧誘された口だ」
「それって恐喝?」
いやどういう質問?
「されてないわ。え、綿貫先輩に脅迫されたのか?」
「ウイが悪いんだけど、うん」
「何をしたんだよお前」
綿貫先輩は少々強引なきらいはあるが流石に入学直後の新入生相手に脅迫はしないだろ。
……しないよな?
いや、するかもしれない。
入学2日目に新入生の教室に乗り込める綿貫先輩ならやってもおかしくない。
思えば俺も綿貫先輩については殆どと言って良いほど何も知らない。人柄も何となくこんな感じだろうと磨りガラス越しにぼんやり見える程度の解像度でしか把握していない。そもそも大して話す機会も持ててないしな。
……ただ、うまく言葉に落とし込めないが、今思い返せば綿貫先輩には何処となくデジャブがあるんだよな。
見たことあるかと言えばそんなはずはない。分かりやすく美少女と言っていい綿貫先輩と一度でも話していれば脳内メモリのどこかには残っているはずだ。そのはずなんだが……絶妙にしこりがあるというか。何時か何処かで会っていた誰かの面影がちらつくというか。
───まあ、今は関係ないことだな。
俺は頭を振って、気分転換のため改めてストローを吸った。
ウイが続ける。
「入学直前、インターネット上で暴れ倒したの。普段アンニュイなウイもこの時ばかりは浮かれきっていて、若気の至りで高校名を出して際どい自撮りを出しまくっていたら綿貫先輩の目に留まっちゃったみたいで……入部しないとウイの写真をアカウント名と共に校内中にバラ撒くぞって言わちゃって。しかも毎日来ないと許さないって!」
「えぐいな……」
高校名を出して匿名アカウントで自撮り写真を上げまくるウイも、それを盾に脅す綿貫先輩も。
「でね、でね! 赤神君に相談があるの!」
口が軽くなったのか、段々いつもの調子を取り戻してきたウイが軽く机を叩いた。ヒートアップするのは構わないが物に当たられると周囲の目が気になるだろうが。案の定周囲を確認すれば店内中の視線がこちらへ向けられていて、俺はウイの頭を小突きかけた。腕が届いていたら本当に小突いていたぞお前マジ。
「……聞くだけだからな」
「やっぱ赤神君に相談して良かった〜それでね!」
「聞けよ」
相談を完全に引き受けたみたいな体で言うんじゃねえよ。
ウイと言い綿貫先輩と言い、この部のメンツはどうしてこうも人の話を聞かないんだ。
溜息を落とす間際で、ウイが大声を上げる。
「私、部活抜けたいんだよ! どうすれば良いと思うかな!」
「……退部したいの?」
「うん! めっちゃ!」
ウイは万感の思いを表すように大きく頷いた。
まあ、だよなぁ……。
ウイの話を信用するのであれば脅迫されて入ってる訳だし。
俺だって仮入部してるだけで本格的に入部する気なんて無い。本当に無い。来週にはオサラバさせてもらうつもりだ。
だがなぁ……。
ウイの現状を訴えるような強い眼差しを視界に捉えて、儘ならないなと思う。
多分コイツは、というかコイツこそが最も人生逆転という文字に似合っている気がするのだ。インターネットに人生を吸われ、この感じだと恐らく友達も校内にはおらず、休み時間には人気の少ない場所へ行っては自撮りをパシャパシャしてSNSにアップロード。まあ人生逆転という言葉は少し行き過ぎているかもしれないが、更生のためにこの部に残って人間関係を学ぶのもウイのためなんじゃないかと思ったりした。まあどこから目線の発想だよと言われればその通りでしかないのだが。俺だってそう大した人生を送ってるわけじゃない。それでも社会との繋がりのためにウイはこの部にいたほうが良いんじゃないとか、らしくもなくそんなことを考えてしまった。
「……退部してなにすんの?」
「ウイは自撮りの研究したいかなぁ、部活中はやるなって言われてるからさ〜。出来ればもっと時間を掛けて可愛いウイをネットに上げたいかな~」
何を言うか迷った俺は聞くに値しない質問を投げかけた。答えもやはりSNS。ぶれねえなコイツは。
「ってわけでウイを手伝ってよ赤神君。ご飯でも奢るからさ」
キャピッとウインクを付けてきた同級生に返す返事は決まっていた。
「断る」
「……え~!? なんでねえウイなんで!?」
自分の名前を相槌みたいに使うんじゃありません。俺はウイじゃない。
理由など言う気はなかったが、しつこく色々な角度から覗き込んでこられると非常に鬱陶しい。
ならば言ってやろう。
「理由なら色々あるぞ。俺はお前を知らないし、飯一度じゃその労力と釣り合わないし、単純に面倒だし。だがな、一番の理由は俺がお前の手助けをする義理はないってことだ。以上。相談は聞いたから赤神お悩み相談教室は終了な」
「ええええええ!? 赤神君って頼まれたら何でもやってくれる便利君じゃないの!?」
「お前な……」
本人を前にしてそれを言うか普通。便利君とか最悪な渾名を付けるんじゃねえよ。
コーラゼロを完全に飲み干して、言外に話は終わりとしようと立ち上がろうとしたとき、ウイは机に身を預けるようにして俺の手首を掴んだ。反射的に顔を見る。
ウイは本当に不可解な生物を目の当たりにしたような瞳をしながら、唇を戦慄かせる。
「というかさ赤神君。何で藤澤先輩の話、受けたりしたの?」
「……はあ?」
「だってだって、赤神君って藤澤先輩と知り合いでも何でもないわけでしょ? それこそ悩みを解決させる義理なんてないじゃん!」
「それはだな」
言い返そうとして、口元が鎖で縛られたみたいに何も言葉が出てこない自分に驚いた。
……押し切られた感は正直あった。綿貫先輩に入部を迫られ、話を聞けと言われた。だが思い返せば綿貫先輩には解決しろとは言われていない。ただ聞いてほしいと頼まれただけだ。その解釈を歪めて、解決する方向性で動こうとしているのは綿貫先輩でも藤澤先輩でもなく、俺の意思だった。
なぜ俺は解釈を歪めたのか。
俺自身も分からない。なぜ俺は本気で藤澤先輩の悩みを引き受けたのか。なんでだろうな。少なくとも合理的じゃない。俺自身の為にはならないことで、しかも辞めようとしている部活動だ。適当になあなあで済ませても良かったのではないだろうか。
……でも放っておくと気持ち悪いってもの事実なんだよな。
喉に小骨が挟まったような、そんな嫌に刺々しい心残り。それが嫌で俺は引き受けてしまったのかもしれない。
「……どうでもいいだろそんなこと」
吐き捨てるように言うとウイはぐいぐいと袖を引っ張ってきた。
「えーウイ気になるー」
「そもそも退部なんざ自分から言えばいいだろうが。ちゃんと言えば理解してくれるだろ」
「怖いんだよ綿貫先輩はー! 赤神君は本当の綿貫先輩を知らないから言えるんだってこのとんちんかん!」
「はいはい、頓珍漢だよ俺は」
「ウイの相談も聞いてよ~!」
「だから聞いただろ。じゃ、俺帰るから」
藤澤先輩の件で手一杯だっていうのにこれ以上の面倒事は勘弁してほしい。
ウイの手を振り払う。簡単に手は離れた。
俺は今度こそ空き容器を持って席を立った。
そそくさと店内から退散しようとすると、後ろからウイも「置いてくな!」と慌ただしく片付け始めた音が聞こえてきて、自動ドアから出る時には結局横並びになってしまった。
「ねえいいんじゃん手伝ってよ、藤澤先輩より私のほうが可愛いよ〜?」
可愛さを判断基準にしたことねえのよ。それに判断基準というのならウイより藤澤先輩のがマシだ、鬱陶しくないという点において圧勝。
尚もくっついて来るウイに「もうチャリに乗って颯爽と振り払ってしまおうか」と逃走の選択肢すら脳裏に浮かび始めた時、ウイが疑問符を上げるみたいな不思議がった声を上げた。
「あれ、綿貫先輩じゃない?」
「はあ……?」
ウイが指差した方向を見れば本当に綿貫先輩がいた。民家の玄関でインターホンを鳴らして、その場で何言か交わすと出てきた主婦に迎えられて家の中に入っていった。何をしてるんだあの人。
「もしかしてさ、彼氏かな! 彼氏じゃない!? 綿貫先輩って彼氏のこと学校で言い触らさないしきっと隠してるんだよ〜やった〜うへへウイ秘密握っちゃった!」
「アホか」
「酷くないー!? そりゃウイはバカでアホで浅はかで愚蒙愚昧なのは事実で……あそっかそうだよね赤神君は事実を言っただけでウイの至らぬ点はウイが悪いんだから赤神君じゃなくてホントはウイの方が悪くて……」
これで退部できるとばかりにはしゃぎ始めたウイを制止すると、今度は何の違法薬物も摂取してないのにバッドに入ったので俺は軽くウイの頭を叩いた。身長差からこうして叩くのに手頃な高さにあるから助かる。
「放課後に一人で彼氏の家に行くのはおかしいだろうが」
「え? なんで?」
「仮に彼氏がいるとしても一緒に下校すればいいだろ。仮に学校が違うにしても待ち合わせなりなんなりして。少なくとも家族が在宅しているかもしれない彼氏の家に一人で赴くのは思春期の女子高生的に踏み入れ難いだろうし、じゃなくても相当な密接な関係性じゃない限り家を行き来とかしないんじゃないか。それこそそんなことをするのは幼馴染くらいだろ」
そんなのラノベの中だけだと思うけどな、と心の中で注釈を付け加えておく。現実の幼馴染なんて大体がただの腐れ縁だろう。知らないけど。
ウイは面白くなさそうに鼻をすんと鳴らした。
「なんだつまらないのー。でもだとしたらあそこって綿貫先輩の家?」
「さあな。インターホン鳴らした時点で違うんじゃないか?」
「表札見てみようよ! ウイ気になります!」
何処かで聞いたようなセリフを吐き出しながら綿貫先輩が入っていった民家へ駆け出していく。仕方ないので俺も追いかけると玄関横に『赤俵』と長方形の表札が張り出されていた。
赤俵……聞いたことない苗字だな。少なくとも俺の知っている苗字ではない。それはウイも同じようで、首をしきりに傾げている。
「誰だろうね」
「……そういや部活のメンバーってまだいたよな?」
綿貫先輩は暫く来ないからって紹介をスキップしていたが、もしかすると部活メンバーの一人の可能性がある。
「ウイも来ない人たちは知らないよ? 言っておくけど入部したの先週だからね」
「苗字も?」
「聞いたことないかなー誰だろうね」
顔を宙に向けて考えるように指を頭に当てるウイを見て、何かが引っかかる気がした。
「……そんなウイを見たいならSNSをフォローしてからにしてよ」
頬を赤く染めて顔を背けたウイを気にせずじっと凝視する。顔は良いがそこはかとなくアホ面っぽい。
何か引っかかる。何かが引っかかるんだ。
「───そうか、変だ」
「へ、変?」
「残りの4人は幽霊部員なんだよな。だがウイを脅迫してまで入部させて、毎日来るよう強いるような人間が幽霊部員なんか認めるか?」
「あ、確かに」
ウイが他4人とは違うカテゴリーだとは俺は思わない。つまり来ていない部員たちも全員人生逆転部を必要とするメンバーのはずだ。ならばウイと他4人は何が違うのか。うーん。分からん。学年なのか性別なのか。俺もウイもその4人を知らない以上、これ以上考察しても事実が浮かび上がることはないだろう。
「藤澤先輩なら知ってるかもよ?」
ウイは思いついたように言った。
「そうかもしれないが明日は部活来るのかあの先輩」
「さあー? ウイ分かんない。じゃ、そろそろウイは帰ろうかな」
「お前自由だな」
「ウイは自由……いや……ネット上でのウイは酷く鈍重な手枷を嵌められて桎梏を束縛されてはネット上でしか価値が無い写真を連投するあ痛っ!」
ネガティブキャンセルチョップ。ウイに30ダメージ。ウイは呻いた。
「帰るぞ。ぼーっとするな」
「もうちょっと赤神君は女の子に対する扱いを学んだ方がいい!」
「こんなことするのはウイにだけだよ」
「なるほどそれなら……ってなるかぁ!」
赤俵家(全く知らない他人のご家庭である)を後にして、俺は駅へ曲がるT字路でウイと別れるとチャリに乗って岐路へと就いた。