求む青春まであと何マイル? 作:人生逆転部
「や、負け犬君」
翌朝7時20分頃に登校すると教室に初めて先客がいた。万年2位で教室にやってくると思われていた麻宮である。上下に靴下まで白で合わせたジャージ姿で今日は机の上でノートを広げている。色々と似合わず勤勉だ。俺より早く登校していることも含めて違和感がある光景である。
「別に競ってないからな。今日は早いがなんかあったのか?」
「うん。ちょっと数学の宿題が終わってなくてね、高校入学後初めてランニングを控えて学校に来たんだ」
「ふうん」
わざわざ高校入学後というからには中学時代にも似たようなことをやっていたのだろうか。もう陸上部なりに入ればいいのに。
「数学がどうも苦手でさ。昨日は夜中になっても手に付けられなかったから、諦めて今日の私に任せちゃったんだよねー。本当に人間は愚かだよ。おかげで今の私は昨日の私が嫌いになりました」
「ただの自業自得で人間全体を否定するなよ。全人類に対する誹謗中傷だ」
「規模過ごそうだねー。示談金どのくらい取れるんだろう?」
知らねえよ。
しょうもない話に耳を傾けながらも、俺は麻宮が数学を苦手と言ったのが気になった。こんな奴だがコイツは学年主席だ。つまり今の時点では同学年で並び立つ者はいないほど勉強は得意なはずだ。
「数学嫌いなのか?」
「嫌いじゃないって、苦手なの」
「主席ってことは全教科満点近いよな? それで苦手?」
「数学アレルギーでくしゃみが止まんなくなるんだ」
「杉花粉かよ」
「どちらかというと猫毛かな? 私猫アレルギーだからさ」
いやだから知らねえよver2.0。頼むから会話のたびに話題を斜め後ろへぶん投げようとするのは止めてくれ。
麻宮は学校指定の問題集に視線を落としたままペンを回した。すげえ、小指から親指までにある指の間全てにペンを回しては手首のスナップで上下にもぐるんぐるんと回している。技名は分からないけどとんでもなく高難易度な技ってのは見ただけで分かる。ペン回し世界大会なら満点が出てもおかしくない指捌きだ。でも数学の問題を解いている人間の指捌きとしては落第点である。
「私細かいの苦手だからさー。数学は普通にやってれば点取れるから嫌いじゃないけど、数字をちまちま扱うのが性に合わないんだよね」
「点取れるのに数学アレルギー名乗るとか全国各地に分布する本物の数学弱者舐めてるのか? 本物は放物線を見ただけで眩暈を覚えるからな?」
「……もしかして赤神君って数学弱い?」
「いや俺は弱くねえよ? たまたまいつも平均点から30点前後遅れを取っているが俺自身は至って数学的見解に溢れた模範的な高校生だ」
胸を張って答えると、麻宮はからからと手を口に当てながら楽しそうに笑い声を上げる。
「ねえねえ何その見栄の張り方、面白いんだけど!」
「見栄じゃないっての」
「えー。じゃあこのこの問題の解法教えてよ」
「…………√4」
「ぶはっ!! 外れだし解法じゃないし√4が答えになる訳ないじゃん、せめて普通は√を外して2って答えるでしょ……! ホントに数学がダメダメなんだね赤神君! よくそれで三科目受験の仲高に入れたね! あ、分かった、社会に逃げたでしょ!」
完全にツボに入ったみたいに麻宮は腹を上下に凹ませて大きく笑い始めた。数学なんざ社会に出れば使わない科目筆頭だから別に出来なくても無問題だろ、多分。
あと三科目受験で社会を選んだと決めつけられるのもなんか不愉快だ。仲原高校の受験科目は国英が必須で残りの一科目を数学社会理科から選択できるが、何で社会なんだよ。
「うっせー。理科かもしれないだろ」
「赤神に食塩水の濃度計算が出来ると思えないんだよね! √4にはちょおっと分数計算は厳しいんじゃないかな?」
「√4って呼ぶな!」
流石に看過ならない呼び名だった。まるで数学がとんでもなく好きな人間みたいな呼び方をされると蕁麻疹が肌にぽつぽつと現れてしまいそうだ。そう、何を隠そう俺こそが校内最高位の数弱高校生なのである。
……やっぱり格好悪いなこれは。こんな名乗りをするならまだ見栄を張っていた方が見た目が良い気がする。
とか己の数学能力の欠如に対して改めて向き合おうとしていると、麻宮はシャーペンを投げ捨てるように机に転がし、とても鬱屈そうな顔をして欠伸をした。
「飽きたーもう6時に来てからずっとここで問題解いてるんだけど終わんないよー」
「ダウト。俺でさえ20分で終わったのに似非数弱の麻宮がそんなかかる訳ないだろ」
唐突につまらない自明の嘘を吐かれたものだから、流せば良いものの思わず正論を言ってしまった。
何かコイツの嘘を指摘せずに流すと負けた気分になるような気がするんだよな、俺。嘘があからさま過ぎて。何で本物の能力があるのに本当にしょうもない嘘を吐くんだろうなコイツは。
訝しげに視線を送っていると、感心するように麻宮はポンと手を打った。
「おお、嘘に厳しいねえ赤神。ホントは教室に着いたのは30分前だったんだけどそれもお見通しとは」
「それも嘘だろ麻宮。ウチは大抵7時前後に朝番の教師が校門を開けて校舎の扉を開錠する。6時台に登校する方法は不法侵入を除いて存在しない」
「ふーん。でも不法侵入してきた可能性は後からやってきた赤神君には否定できなくない? 校門なんて有刺鉄線がある訳でもないんだから乗り越えれば良いだけだし、校舎だって前日に一階の窓が開きっぱなしになっていてそこからは入れた可能性だってあるよ?」
一瞬考えてみる。
「無いだろ。だとすれば侵入場所から教室までの同線に足跡が付くはずだ。なにせウチの高校は建て直されたばかりで壁も床も真っ白なんだからな」
「入る直前に靴を脱いだんだよ?」
「だとしたらその靴を下駄箱に入れるまでにその白い靴下で歩いたことになる。その距離を歩けば、見た目は白いといっても掃除しきれてない床の埃とか汚れとかが靴下に付着するだろう。それを確認すれば自ずと分かるんじゃないか?」
「靴下脱いだかもよ?」
「同じことだっつうの。直に歩いてようが廊下を歩けば多少は足裏が黒ずむだろうが」
「……それって私の生足を見たいってこと?」
「は、はあ!?」
奇想天外な言葉に俺は慄いて一歩下がる。言っておくが俺にそんな趣味はないぞ! どちらかというと……いや、言及するのは止めておこう。俺は変態じゃない。
何を思ったのか麻宮は「そっか~」と何かに納得するかのように頭を揺らした。
「推理に託けて私の生足を見たかったとは、学年主席の私でも終ぞ見破れなかったなあ」
「ちげえよ! ただの論理的帰結の終点なだけで俺の願望はそこには無い!」
「否定すればするほど嘘っぽいよ赤神君?」
「嘘吐きに言われたくねえよ!」
「まあまあ落ち着いて、生足はちゃんと見せてあげるからさ」
「求めてねえ!」
こっちは否定しているのに本当に麻宮は右足を少し浮かせると、上履きを脱いで靴下に手を掛けた。いやいや朝からどういう展開なんだ。何が目的だこの女。生足見たでしょ、訴えるからねとか言って視姦で刑事訴訟して示談金をもぎ取る計算でも立てているのか?
警戒している間にも麻宮は靴下を脱ぎ切った。白い靴下からは作り物のようなこれまた明度の高いミルク色の肌が現れ、滑らかで沁み一つない綺麗な足先がこちらに向けられる。爪は歪みなく蛍光灯の光をピンク色に照り返し、指の一本一本が白魚のようにしなやかな形をしている。まさに美少女然とした脚部である。
そのまま足先は天井を向き、俺の視界へは麻宮の汚れなど一切存在しない足裏が飛び込んでくる。
「はい。赤神の言う通り私は7時過ぎに登校してきました。これで満足かな?」
「あ、ああ……ん?」
「どうかしたの?」
麻宮から空気に乗って仄かに匂いが飛んできて、俺は反射的にその正体を明らかにすべく匂いを嗅いだ。決して下心ではないことだけはここに強く明記しておく。
「……酸っぱい? これ、汗の匂いか?」
「赤神のエッチ。セクハラ。ムッツリ十段」
「違えから! 俺にそういう意図は無い!」
金色の髪を円を描くように弄りながら麻宮がジト目で見てきたので反駁しておく。てかムッツリスケベ高段位保持者みたいな言い方で俺の名前を使うの止めてね。いやマジで。
「そうじゃなくてだ。もしかして今日、ランニングせずに来たって言っていたのも嘘か?」
匂いから確信を持って言う。
足裏は運動した際に汗を分泌する部位として良く挙げられるが、真夏ならばともかく、春のこの時期なら登校したくらいで汗の残り香が漂ってくることはない。つまりコイツはいつも通りランニングをした後に学校に来て、数学のワークを教室で広げたと考えた方が論理的だ。
俺の指摘に麻宮は目を丸くしながら口を開いた。
「え、バレるんだー凄いね赤神君。ここまで私の嘘を見通した人物はクラスメイトでは君が始めてだよ」
「気を遣って指摘してないだけだろ。嘘を嘘と言うのは勇気が要ることなんだぞ?」
「知ってるよ」
「うん?」
麻宮は靴下を履き直しながら、どこか微熱の籠ったような春に相応しくない瞳で俺を射る。
「だからさ、嘘を暴いてくれる人って私からすると魅力的なんだよね」
口弧を上げて麻宮はそう言うと、次の瞬間には気だるげに数学のワークに向き直っていた。
……えっと、それも嘘だよな?
俺、言っておくが恋愛経験ないから可愛い女子からの思わせな言動には殊更弱いからな?
ガチ恋製造物責任として勘違いしたらちゃんと俺のことを振ってくれよな?
頼むぞマジで?
昼休みになったので教科書を乱雑に机の中に放り込むとパンを齧る。淡々とした校内放送が流れるこの昼の時間、俺はイヤホンを耳に嵌めこんで世界と聴覚器官を断絶させる。そのままパンを食べきった。すると暇を持て余す。時折出そうになる欠伸を堪えては暇つぶしにスマホに視線を傾ける。眠い。思えば最近やけに忙しい。漸く慣れてきた高校生活に束の間を安息を感じていたはずだったのに、人生逆転部という冗談みたいな名前の部活に関わるようになってきてから面倒事が増えた。見学に行ったお前の自業自得だと言われればそれまでだが、それでも普通はこんな深入りすることになるとは思わないだろ。俺、仮入部の身だぞ。なんで先輩の複雑な恋の悩みを聞かされたり同級生の退部の相談を受けたりしなくてはならないのか。そういうのはそれこそスクールカウンセラーとかに頼っていただきたい。
5限は興味のない美術史の授業だし寝るか、などと昼休みから貫通してお気楽モードでごろ寝を決め込もうと行動に移していると、頭を揺さぶられた。
「赤神、起きて赤神」
麻宮の声だった。まだ席替えが一度もされていないため、名前順のままの教室では麻宮は俺の一つ後ろの席だ。
「どうした麻宮。まだ休み時間だろ」
「え、休み時間に赤神に話しかけちゃダメなの? 折角仲良くなれたと思ったのにショックだなあ」
「お前はそんな些事でショックを受ける人間でもなければ、そもそも用事が無ければ話しかけないだろ」
「用事なんてなくても赤神なら話しかけるよ? 私赤神については興味があるし」
にんまりと麻宮は笑った。多分嘘だろう。この女子の発言を真正面から受け取っていたらキリがない。笑顔も女の武器だと思う今日この頃である。
「はいはい、分かったよ。それで何の用だ?」
「酷いな信じてないでしょ?」
「そういうのは良いから」
「……教室の外で赤神を呼んでる女の子いたよ。意外と赤神って女誑しなんだね」
むくれた顔で唇を尖らせる。言葉からも毒を感じる……ってのは普段からか。
教室の外を見る。ドアの端から顔半分だけ覗かせる小動物系女子の姿が確認できた。ウイかよ。
「違えよ。ウイとは部活が一緒なだけでただの同級生だ」
「部活? 赤神君って帰宅部顔だけど何時の間に部活なんて入ってたの?」
「煽ってんの?」
「事実だと思うけど?」
まあ何事も無ければ入ってなかったから間違いではないが、こうして指摘されるとなんか癪に障るな。
売り言葉に買い言葉となりそうなので返答を堪えていると、首を傾けて俺の目を見ながら麻宮が言った。
「で、何部に入ったんだろうね赤神君は?」
「人生逆転部」
「…………なにそれ」
「分からん」
麻宮はキョトンとした。気持ちは大いに分かる。俺もこの部活の実態をまるで掴んでいない。普通は教師に却下されてこんな名前の部活が創立できるはずもないのだが……。
一先ず俺は手を上げて麻宮に感謝の意を伝えつつ教室の外に向かった。
昨日ぶりに会ったウイは少しおどおどした様子で、緊張を誤魔化すように両手を擦り合わせている。
「お、遅いよ赤神君! ここに到達するまでにウイ、莫大な艱難辛苦を乗り越えて来たんだから呼んだらもうちょっと早く来てよね!」
「開幕から喧しい奴だな。話がそれだけなら俺寝るから戻る」
「えー。ここで帰ったらウイ、赤神君の裏垢学校中にばら撒いちゃおうかな?」
「俺に裏垢なんて無いっての。お前と一緒にすんな」
「え……っ!? ないの……っ!?」
愕然とするウイに自然と憮然とした気持ちになった。裏垢なんか作ってねえよ。全高校生が裏垢所持しているとでも思ってるのかこいつは。
「え、待って、じゃあ赤神君はどうやって生きてるの?」
「そもそもSNSやってないわ」
「あははは、それは嘘だってウイにも分かるよ~」
無言でスマホを取り出すと画面を突き出してやる。画面のどこにもTwitterもInstagramも存在しない。それを見てウイは視線をスマホから俺へ移して、眉を吊り上げる。
「え、気持ち悪い」
「うっせ。インターネットが全てじゃないんだよ」
「ふーん。ウイ分かんないや」
気味悪そうに俺を見ていたウイだったが、途端に関心を失ったように外を見た。その視線を追いかける。4階廊下からは桜が植林された正方形の中庭を望むことができる。ただ桜は既に8割方散ってしまい、殆どが緑色に染まる中でも残りの2割が微かに桜色を灯している。
桜の下にはこれ見よがしにベンチがあった。ロケーション的には恋人にぴったりのベンチに見えるが、今は誰も座っていない。まあこうして上層階から見られるのが嫌だろうという話もあるだろうが。俺なら絶対に嫌だ。何が好きであんな注目度抜群な場所に座らなければならないのか。
外の眺望も20秒もしない内に飽きてきた。しかし奇妙な間だ。ウイに視線を戻しても相変わらず塵間際の桜を無感情に、知らない景色が映った写真でも眺めるかのように見下ろして、眉一つ微動だにしない。何か思案するかの如く視線を遠くに放つ様は、まるで彫刻みたいなだ。
不意に、ウイの唇が動いた。
「でもさ、ウイ思ったんだけどさ。じゃあ何が赤神君の全てなの?」
「───え?」
その一言に俺は動じた。動じたことに自分で驚いた。
ウイは俺を見た。
「だって赤神君にも、ウイにとってのインターネットみたいな何かがあるんだよね?」
「……別に誰しもが夢中になれるものを持ってるわけじゃないだろ」
「本当に?」
「寧ろ何でそう思う。別に何となくで生きてる奴なんて沢山いるだろ」
自分でも想像以上に冷たい声音が出た。
───何を知ったような口で言ってるんだ。
この前会ったばかりで俺の事なんて一切知らないお前が。
性別も違う、クラスも違う、出身中学すら違うお前が。
だが反駁しても何も生まれない。言いかけた自分を律して、ロースハムみたいに口を縛り上げる。
俺が黙っている間にもウイは首を振った。
「ううん、別に気になっただけだよ。マジな話をする気ウイにはないよ?」
「そうかよ」
「じゃあ行こっか?」
「……は? どこに? てか何の用だよ」
「ちょっとウイに付き合ってよ。退部宣言するから」
手を掴まれてはしょうがないので俺は諦めた。良く分からないまま階段を下る。
退部ってことは恐らく綿貫先輩に会いに行くのだろう。
そう当てを付けて2年生のフロアである3階で降りるかと思えば意外にもここをスルー。2階まで下りた。
俺は溜まらず聞いた。
「おい、どこ行く気だよ。綿貫先輩のクラスじゃないのかよ」
「ウイに一計あるのです」
不安だ。何考えているんだこの小動物。
ウイはそのままとある教室の前で止まった。まだ校内の教室を完全に把握していない俺は思わず教室名を見ようと見上げる。
「放送室……?」
「うん。じゃあ赤神君行くよ」
「ちょっと待った、お前何を───」
「待ちませーん」
おい!
俺の意志など物ともせず、ウイはノック無しで放送室のドアを開けた。
放送室は大体六畳程度の広さで、中には現在進行形で昼の放送を行っている放送委員だろう先輩方二人がマイクに向けて喋っていた。しかし俺達の不法侵入によって顔がこちらへと向けられる。完全に困惑していた。分かるぞ。俺も困惑してる。
硬直した一瞬を縫ってウイは放送委員の二人の前へと躍り出た。
「すみませ~ん。一年のウイと言うんですけどちょおっと校内放送良いですか?」
「な、何を……!?」
女子の放送委員の言葉に、ウイは視線を切ると放送中の男子の方へ向いた。
「あ、これって今放送されてますか?」
「うん、そうだけど……君たち放送中だぞ。早く出て行き給え」
「あ、大丈夫です。15秒くらいで終わりますので。赤神君、この人がウイの邪魔をしないように見張ってて?」
おい馬鹿、校内放送中なのに俺の名前出すな。まるでウイの共犯みたいじゃねえか。放送ジャックとか絶対に後で教師から説教食らうやつに決まってる。
……というか、もしかしてそれを狙って名前を出したなこいつ。何のつもりかは知らないが俺を巻き込もうとして。
普通にタチが悪いんだよこの野郎。
先輩方が俺を用心棒か何かかと思って怯えた目をしてきたので、俺は思わず肩を竦めて首を横に振った。俺はこいつに連れ出されて知らず知らずに加担させられた被害者だからそう警戒しないでもらいたい。
「何を考えている。この不良どもめ」
そんな意図を込めたつもりだったのだが、先輩方の目に同情の色は宿ることはなく増々警戒心を強めるように俺から一歩離れた。何でだよ。
俺と先輩方のミスコミュニケーションなど気にも留めず、ウイは何度か「あーあー」と声出しした後に口元を緩めた。
「放送中にごめんなさい、一年のウイです。二年の綿貫先輩、ウイは人生逆転部を退部します。今までお世話になりました。ではでは」
ウイは言い切るとそのまま先輩方にマイクを譲るように手を差し伸べた。その表情は何処か晴れやかに見える。
……何だったんだ?
「じゃあ赤神君行こうよ、凱旋だよ」
「先輩方すみませんでした」
意気揚々と放送室を出ようとするウイを無視して放送委員の先輩方に頭を下げておく。恐らくヤバい後輩と思われてるんだろうなとか考えていれば案の定、先輩方は放送室を出るまでついぞ俺とウイを危険人物を見るような目で追従し続けた。
「で……結局どうして放送ハイジャックなんて真似をしたんだ。無関係な俺を巻き込んだんだ、聞かせろ」
放送室を出て、軽やかにステップなんかしているウイに俺は尋ねた。何故あんな真似をしたのか。てか俺を道連れにする意味はあったのか。
ウイは天真爛漫な笑みを浮かべては口元を綻ばせて。
「ウイさ、考えたんだ。綿貫先輩に直訴しても断られるじゃん。で、赤神君は手伝ってくれるって言うじゃん」
「言ってないが?」
相談を聞いただけだが?
「それで閃いたの。なら皆に聞いてもらえばいいんだよ。こうやって宣言して、みんなを巻き込んじゃえば綿貫先輩に退部の事実を揉み消されることもない。綿貫先輩が私の弱みをばら撒こうとすれば先生だって黙っちゃいないでしょ。これで安全に部を抜けられるって天才的方策だよ!」
ウイは無視して胸を張るとそう言い切った。
それで上手く行くのだろうか……まあ悪い案ではないだろうが俺を巻き込むなと言いたい。
「てか思ったんだが顧問は居ないのかあの部活?」
「さあ?」
「さあってお前部員だろ」
「知らないものは知らないもん。入部してから一度も部室に先生来たことないし、綿貫先輩とか藤澤先輩の口からも顧問の話は聞いたことないし」
「運動部と兼部でもしてんのかその顧問」
「しらなーい。でもさ、顧問が兼部って普通は無いんじゃないかなってウイは思うなあ」
教師のブラックっぷりはよくニュースを見ていてもヤバいと聞くし、ウイの言うことそうだろう。流石に兼部は無いな。
それでも顧問が自分の部活をここまで放置するってどんな状況だよ。ウイだって新入生と言えど一週間以上は部にいたはずなのに見たことが無いとか、部活に対する関心が無いか、或いは忙しすぎてそれどころじゃないかの二択か。
「まあもうウイには関係ないことなのだよ赤神君」
「お前な……まだ退部届は出さなきゃいけないんじゃないの?」
「それは職員室の適当な先生に渡してきた。人生逆転部の顧問に渡しておいてくださいって。多分受け取ってくれたんじゃないかな」
「あ、そう……なら良かったな」
「いやー嬉しいなー。高校入学と同時に強制入部させられて一時期はどうなっちゃうかと思ったけど何とか退部出来て良かったー」
人生の有頂天に達したとばかりにニコニコと語るウイの姿を見て、不思議と心に靄がかかったような気分になった。
別に俺からすれば他人事でしかないのになんか引っかかる。
───それで本当に良いのか?
他人事ながらそう考えた。
部活を抜ければウイの事だ、インターネットに日々の耽溺を感じながら高校生活三年間を過ごしていくのだろう。しかしそれが高校生活を豊かにするのか。名前も実態も無茶苦茶とはいえ、まだこの部活動に所属していた方がより高校生らしく過ごせるのではないのだろうか。
いやウイからすればそれでも良いと表面上は考えているのかもしれない。
でも……偶に早口で自虐する様子を見ていると、本音は違う場所にある気がする気がしてならない。
「ウイ、それでお前は後悔無いんだな?」
ウイは顎に指を当てると斜め上を見上げた。
「ウイに後悔なんて無いけど? どうしてそんなことを聞くの赤神君?」
「いや……何でもない」
「変な赤神君だね! まあウイは良いけど~じゃあね!」
そう言って廊下を駆けだす小柄な影を、俺は引き止めることは出来なかった。
そうしてウイは退部したのだ。