その子が「サボテンが日本の首相になりました」と書いたので、TVニュースに緑のとげとげが映ってます 作:近藤スミス
三歳の頃に僕が隣の家に引っ越してから、響とはずっと共に過ごしてきた。互いの家に行ったり、一緒に外へ遊びに出かけたり。引っ込み思案の僕と違って、響はとても活発な女の子だった。
響の家はとても大きかった。何個も部屋があったから、小さい頃の僕たちはよくかくれんぼをして遊んだ。ときどき最後まで見つからなくなることがあって、響のお母さんに怒られることもあった。
響には優しいお兄さんもいた。年齢は僕らの二つ上だったけど、いろいろなことを知っている人で、僕にたくさんトランプのゲームを教えてくれた。響はお兄さんによく懐いていて、一人っ子の僕はとても羨ましかったのを覚えている。
響のお父さんはとても面白い人だった。普段はサラリーマンだけど、休みの日にはよく僕たちを遊びに連れて行ってくれた。特に印象深いのは、響と三人でザリガニ釣りに行ったことだ。両親がよく仕事で家を空けていた僕にとって、第二のお父さんみたいな存在だった。
響には穏やかなおばあちゃんもいて、片瀬家はとても幸せそうだった。世の中の「一般的な家庭」というのはああいうのを言うのだと、子どもながらにそう感じていた。そして、その中心にいたのが響だった。
両親、祖母、兄。四人からたくさんの愛情を注がれて育った響は、純粋で、前向きで、人間の良いところばかりを集めたような女の子だった。そんな幼馴染と一緒に過ごしていた僕も、とても幸せに感じていた記憶がある。
一緒の幼稚園を卒業した後、僕たちは小学生になった。とは言っても僕と響の関係が変わることはなく、二人で寄り添って過ごす日々が続いた。周りからは男女一緒にいるのをからかわれることもあったけど、僕にとっては些細な問題に過ぎなかった。
響は外で遊ぶのが好きだったけど、本を読んでいることも多かった。僕には難しそうに見える小説も、響はすぐに読みこなしてしまっていた。世界滅亡とか宇宙戦争とか、そんなテーマの分厚いSF小説をよく手に取っていたと思う。
響の姿が見つからないとき、僕はすぐに図書室に向かった。すると大抵は真ん中の椅子に座っていて、僕を見つけると嬉しそうにニコッとほほ笑むのだ。その笑顔が、僕にとってはたまらなく愛おしかった。
僕は……僕は、響のことが好きだった。子どもの思う「好き」なんて大したことじゃないかもしれないけど、それでも好きだと思っていた。どうか響も同じ気持ちであってほしいと、そう願うばかりの毎日だった。
一度だけ、響に問うてみたことがある。好きな人はいるの、と。すると響は笑って、さも当たり前かのように答えたのだ。
それってさ、言わないと分かんないのかなあ。
実質的に好意を伝えられたようなものだと思うのに、小学三年生の僕にはピンとこなかった。他に好きな人がいるって意味なのかな……とか、僕のことなんて好きなわけないってことかな……とか、ネガティブなことばかり考えていた。
今思えば、あのタイミングで何かを伝えていれば違ったのかもしれない。響があんな目に遭わずに済んだのかもしれない。しかし、後悔先に立たず――とはよく言ったものだ。今更僕が何を出来るのだろうか? ……分からない。
僕と響は小学校四年生に進級した。五月に僕が、六月に響が一つ歳をとって、二人で十歳になった。結局、三年生の頃の「好きな人」については分からずじまいだった。
好きだと言いたいのに、伝えられない。響が他の男子と話すのを見ると嫌な気持ちになったし、僕と会話してくれるととても安心した。――なんて、自分勝手な感情を持ったまま時は過ぎていった。……そして、七月が訪れる。
あの年の七月と言えば、コロナウイルスがどうこうと言いつつも、東京オリンピックに向けて世間が盛り上がっていたときだ。僕たちもどこか浮足立ったような気持ちで、なんだかワクワクしていたのを覚えている。
迎えた終業式の日。響と一緒に学校からの帰途に就いていたとき、僕はなんとなく尋ねた。
「夏休みはどこか行くの?」
「えへへ、おーんせん!」
「温泉?」
「うん! お母さんとお父さんとお兄ちゃんと行くの!」
「そっかあ、いいなあ」
響はルンルンとスキップするような足取りだった。きっと家族で旅行に行く、という意味なんだろう。僕も両親と旅行に行くことはあったけど、片瀬家の旅行というのはなんだかすごく幸せそうで、羨ましく思えた。
「私、お土産買ってくるからね!」
「うん、ありがとう」
「本当に楽しみなんだー! 温泉がついてる部屋なんだって!」
楽し気な表情を見せる響を見るだけで、僕の心も楽しくなる。この先もずっと見られたらいいな。なんてことない帰り道なのに、なぜかそう思ってしまった。……思って、しまったのだ。
忘れもしない、七月十九日。宮城と山形の県境で起きた地震は、山の形を大きく変えるほどに地面を揺るがした。響たちが乗っていた車は土砂崩れに巻き込まれ、行方不明になった。
響たちと連絡が取れない。留守番していた片瀬家のおばあちゃんからそう聞いて、僕は立ち尽くすばかりだった。悲しいとか怖いとか、そういう感情を覚えることすら出来なかったのだ。
地震が起きてから二日後。谷底に転がり落ちた車から
響を取り巻いていた状況は、あまりに悲惨だった。運良く本人は軽傷で済んだものの、両親と兄は落下の衝撃で即死したのだという。そう――響の目の前で。
もちろん響は逃げようと試みたが、十歳の少女にとって傾いた車内から抜け出すのは容易なことではなかった。ひしゃげた車体で身動きもとれず、かすかな視界から見えるのは血まみれで息絶えた両親。……その光景が、どれほどおぞましいことか。
夏真っ盛りということもあり、両親と兄の遺体はすぐに腐敗し始めたに違いない。今まで嗅いだことのない悪臭、湧き出てくる蛆虫。視覚、嗅覚、聴覚。五感全てから恐怖という恐怖を流し込まれ続けた響の心は、あっという間に壊されたのだろう。
酷暑の中で水も取れずにいた響は、衰弱状態で救い出されてすぐに搬送された。当時はコロナのこともあって、病院で面会することは叶わなかった。
僕はすぐにでも響と会いたかった。その一方で、「壊された響」と触れ合うことが怖いとも思っていた。響は、僕が好きだった響のままでいてくれているのか。今振り返ればなんて自分勝手なんだろうと思うけど、小学四年生の僕にとって、幼馴染の変容というのは耐え難い苦しみだったのだと思う。
片瀬家に残されたのはおばあちゃんと響だけ。そのうえ、響は家に引きこもって外に出なくなった。あれだけ幸せそうだったのに、どうしてこんなことに。僕は神様という存在が憎かった。だけど、響のために何も出来なかった自分のことはもっと憎らしく思った。
当初は響との再会を願っていたけど、時間が過ぎるごとに「恐怖」の方が強くなっていった。片瀬家の前まで行って、呼び鈴を押す寸前になって引き返す。そんなことを繰り返した。だけど、そのうち家の前に行くことすらしなくなってしまった。
僕は響と会いたかった。それは間違いなく事実だった。だけど、響と会ったところで何が出来たのだろう? 残酷な状況を目の当たりにして、家族を失って、自らの殻に閉じこもるようになった。そんな人間に対して、まだ子どもだった僕は何も出来なかった。いや――僕は、自分が子どもであることを免罪符に使い続けたのだ。
響は壊れた。僕は恐れた。時間だけが、過ぎていった。
現実と直面することを、僕は避け続けた。だけど――避け続けた先には、何も残らなかったのだ。
あの日から四年が経った。中学二年生になった僕は、今――片瀬家の仏壇の前にいる。