蒼髪の花嫁   作:赤城 希衣呂

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第一話 ~ビスタ港~

 雲ひとつない青空の下、潮風を身体いっぱいに受けたカモメが、気持ち良さそうに翼をはためかせる。遮るものなど何も無く、太陽の光は波の白と水の青が混じりあう海面に反射し、きらきらと輝いていた。そして、その中で、上空を往くカモメのように、広げたマストいっぱいに風を受け、勢いよく進む一隻の帆船。

「陸が見えたぞ、ビスタ港だ!」

 見張り台に乗っていた屈強な船員が、水平線の彼方に目的地を認め、弾んだ声で叫んだ。 炭と見紛うほどに日焼けした男の声はよく通り、甲板で作業をしていた船員はもちろん、船室でハンモックに揺られていた船員までもが飛び起きる。

 そして皆、一斉に上陸への準備を進めていった。港へつけるため船体の向きを調整し、碇の準備をし、帆桁の上で器用に帆を畳んでいく。

「わぁ!」

 それまでどこか穏やかだった船内がにわかに騒がしく、活気付く中で、一人の少年が船室から飛び出した。勢いよく甲板に出た少年は、久方振りの陸地を少しでも早く見ようと、船首近くの船縁から身を乗り出す。

 紫のターバンと紫のマントを潮風になびかせ、好奇心に満ちた眼をいっぱいに開き、徐々に近づいてくる港を見つめる。船の揺れも既に慣れたものらしく、縁に身体を預けたまま、巧みな体重移動で姿勢を保持していた。

「ようやく着いたか」

 甲板に低い声が響く。

「お父さん!」

 そしてその声を聞いた少年は、ぱっと縁から身体を離し、笑顔で振り向いた。

 よく焼けた黒光りする肌。豊かにたくわえた口髭。背に吊るした大振りの剣と身体の所々に残る古傷が、歴戦の勇士という雰囲気を醸しだしている。

「アベル。これから帰るサンタローズはお前の故郷でもある。覚えているか?」

 だが、少年にかける言葉は慈愛に満ちていた。目元も緩められ、無骨な手を少年の頭の上に置きながら問いかける。

「ん~……分かんない」

 少年――アベルはそんな父の言葉にしばし考え込む仕草を見せたが、やがてふるふると首を横に振る。

「そうか? ……まあ無理も無いか。過ごしていたのも、お前が今よりずっと小さい頃だったからな」

「今度はそこにしばらくいるの?」

「ああ。あの村にしばらく腰をすえる事になる。村は皆いい人ばかりだ。子どもも大勢居るし、アベルもすぐに馴染めるだろう」

 父の最後の言葉に、アベルは目を輝かせた。

 何せこれまでが旅から旅へと放浪する身であったのだ。そのため、アベルには特定の友人という者は皆無に等しい。

 確かに旅先のほんの僅かな滞在期間の間に仲良くなる者はいた。だが、そうした友人を作ることができても、やはりじきに出て行く事になるため、別れなければならないのが常だったのだ。

 この船に乗っている間も、船中を探検し、コックを手伝い、船長の話を聞くなど……確かに楽しい事も多かったのだが、やはり基本は大人所帯であり、一抹の寂しさもまた感じていた。

 そうした状況であったからこそ、今の父の言葉は、アベルにとって二重に嬉しかった。

「よーし、碇を下ろせ!」

 父子が言葉を交わしているうちに、港へと着いたらしい。

 間近に陸地が迫り、せり出した桟橋へ、船が横腹をつけて停船した。

「さてアベル。もう船を出ることになるが、忘れ物は無いか? タンスの中もきちんと調べたか?」

「あっ……!」

 父の言葉に、いけない、とアベルは口の中で呟いた。

 一通りの準備は既に昨日の晩に終え、飛び出した時点で荷も身につけてはいた。

 が、タンスの中に薬草と、手伝いの駄賃としてもらった10ゴールドを入れっぱなしにしていたのを思い出したのだ。

「お父さんごめん、ちょっと忘れ物したから、すぐ取ってくるっ!」

 慌しく船室へと駆け戻っていく息子の背に、パパスはやれやれと苦笑を浮かべた。

「いやいや、将来が楽しみな息子さんですな」

 船室の扉が勢いよく開かれ、アベルがそこへと飛び込んでいくところまで見届けたとき、パパスは背後から声をかけられた。

 白髪が混じり始めた髪と髭を丁寧に撫でつけ、パイプをくゆらせながら恰幅の良い身体が近づいてくる。

「船長、無理な願いを聞いていただき、本当に助かった」

 側に立った船長に、パパスは丁寧に頭を下げる。

 上半身を半ば露にする野卑な服装でありながら、パパスの動作は洗練されており、礼一つをとっても嫌味な所がない。

 船長もパイプを口から離し、応じるように頭を下げた。

「なに、パパス殿にはお世話になりましたからな。それに、ルドマン様にも迎えの船を出すようにも言われておりましたし、タイミングが良かった」

「確かルドマン殿は、オラクルベリー近くの修道院に向かわれているのであったか?」

「ええ。何でも娘を修道院に入れ、花嫁修業にしたいとの事らしく、今回はその下見だとか」

 船長がそこまで話したとき、渡し板の設置が完了した、との報告が入った。

 

 

 タンスの中から薬草と10ゴールドを取り出したアベルが慌てて甲板へと戻ると、既に港との間に渡し板も敷かれ、その前で父が待っていた。

「お父さん、お待たせっ!」

 息を切らせて父の前へと駆け寄る。

 だが、パパスはアベルの言葉に頷きはしても、すぐに動こうとはしなかった。

「アベル。先に港側の人たちに船へと乗り込んでもらうから、少し待ちなさい」

 父の言葉に、ふと渡し板の向こう側へと視線をやると、

「邪魔よ、おじさんっ!」

 だん、だん、と足音荒く、渡し板を上ってくる少女の姿があった。

「む……」

 やや駆け上るようなその動作を見て、パパスはアベルの手を引いて、渡し板から若干の距離を取る。

 完全にスペースが空いたのを確認した少女は、渡し板の中ほどで、一際大きくだん! と渡し板を踏み鳴らす。

(わ……!)

 踏み板がしなり、その反動すら利用して少女は跳躍した。頭から船へと飛び込むような姿勢で、そのまま綺麗に一回転。アベルの目の前で、少女は見事甲板に着地する。見た目も動きやすそうな服装ではあったが、この動作にはアベルも驚いてしまった。

「十点満点っ!」

 びっ、と甲板に降り立った瞬間に両手を大きく広げ、満足そうな笑みを浮かべる。

 頭の上で束ねていた黒髪には、微塵の乱れもない。

「こら、デボラ!」

 直後に、港の方から恰幅のよい男性が怒鳴り声を上げる。

 どうやら父親らしいその男性の叱責に、しかしデボラと呼ばれた少女は、叱責に聞く耳を持たない。

「ふっふーん」

 綺麗に着地を決められた事に満足したのか、アベルとパパスには一瞥もくれず、ずんずんと船室――アベル達が滞在していた所とはまた別の部屋へと入っていく。

「まったく……どうも、旅のお方。娘が失礼をした」

 父親らしき恰幅の良い男性が、渡し板の向こう側から謝罪する。

「いえ、お気になさらず」

 パパスは全く気を悪くした風でもなく、そしてアベルも驚きはしたものの、むしろ珍しいものを見たという心境であった。

 軽業師のような流麗な動き。

(もう一度見たいなあ)

 などと、感心混じりに頭の中で先の光景を再生していると、

「本当に申し訳ありません……さ、フローラ」

 男性が、もう一人連れていた少女を促した。

「はい、お父様」

 男性の傍らに立つ、少女がこくりと頷く。

 そこで初めて、アベルは渡し板の向こう側にいる少女に気がついた。

 蒼い髪、大きな瞳、やや人見知りなのか、アベル達を見てしきりにおどおどしている。

(あ……)

 だがそんな仕草が、一層彼女の愛らしさを協調していた。

 そしてその少女を見た瞬間、先ほどの宙返りのことなど、急速に頭の片隅へと追いやられてしまった。フローラと呼ばれた少女は、さきほどのデボラとは正反対に、ゆっくりと一歩一歩確実に、しずしずと桟橋から渡し板へと進んでいく。

 徐々に近づいてくる姿を、アベルは気が付くと、食い入るように見つめていた。蒼の髪は肩の線で綺麗の切りそろえられ、結ばれた桃色のリボンと共に潮風に揺れている。

 透き通るような白い肌と、そんな肌に良く似合う、フリルのついた上品な服。恐らくは旅装束なのだろう。それでも少女を少しでも着飾らせたいという父親の思いなのか、細やかな刺繍が各所に施されていた。

 徐々に船に――アベルに近づいてくるフローラ。

「ぁ……」

 だが、渡し板と甲板の間の、やや大きめの段差――デボラは見事な宙返りでそれをあっさりと乗り越えたが――に、小さな声を上げて足を止めてしまう。

 大人からすれば大したものではなく、アベルでも、踏ん切りをつけて飛び降りる事ができる高さだ。だがフローラにとっては、やや躊躇してしまう高さらしく、困ったように己の足元と甲板とに視線を行き来させていた。

「ぼ……僕が手伝ってあげるっ!!」

 見かねたパパスが声をかけようとしたが、それよりも早くアベルが声を張り上げていた。渡し板の前に立ち、自分より高い位置にいるフローラへ、手を伸ばす。

 フローラの方も驚きはしたものの、やがておずおずと腰をかがめ、アベルの手を握り返してきた。

 それだけで、何故かアベルは少し息苦しくなった。

「あ、あのね。今のまま足も曲げて、中座りみたいにして、そこからぴょんって飛び降りるんだ」

「は、はいっ!」

 屈んだことで甲板との距離も近くなり、踏ん切りもついたらしい。

 アベルの言葉にも後押しされ、フローラは緊張の面持ちで、中腰のまま渡し板を蹴った。

「よい……しょっ――きゃっ!」

「わっ!?」

 だが、今度は少々踏ん切りのつけかたが強過ぎたらしい。飛び降りた勢いは存外に強く、落下地点と定めたらしき位置よりもやや前方より――手を握っていたアベルへと、その身を投げ出す格好となってしまった。

 これにはアベルも驚いた。

 それでも咄嗟にフローラの身体を抱きしめ、踏ん張り、衝撃を全身で受け止める。しかし、やはり衝撃の全てを殺しきることは出来ず、抱きとめた格好で、アベル自身も更に後方へと倒れてしまう。

(良い、香り……)

 じきに背中から甲板へと打ちつけられてしまうであろう瞬間にあって、それを忘れてしまうほど、ふわりと何か花のような良い香りがアベルの鼻孔をくすぐった。

 フローラが何か香水でも付けていたのか、それともフローラ自身の香りなのか。しばし香りと、そして抱きとめた少女の意外な柔らかさに気を取られていると、背後にとん、と壁にぶつかったような衝撃。

「――大丈夫か、アベル」

 背後から、父の声。

 フローラを抱きとめたアベルを、更に背後からパパスが抱きとめてくれたのだ。

「う、うん……」

 どこか夢見心地なままに父の言葉に首肯し、

「っ、ぁ、ご……ごめんっ!」

 じきに我に返ったアベルは、自分がフローラを抱きとめている事を自覚し、慌てて彼女から身体を離した。

「い、いえ……」

 フローラの方も、顔を真っ赤にして俯いていた。

「フローラ、大丈夫かい?」

 娘が倒れかけた瞬間、慌てて板を渡ってきた男性が、甲板に辿り着く。

「は、はい、お父様。私は大丈夫です」

 まだ顔を紅くしたまま、アベルの視線から逃れるように、父親の背へと身体を移動させる。

「ルドマン殿。どうも息子が失礼をいたしました」

「いえいえ。こちらの方こそ、先ほどにもう一人の娘が失礼をした事ですし、お気になさらず」

 今度はパパスが謝罪し、相手の男性――ルドマンは破顔しながら、フローラの頭を撫でる。

「この度は、船を使わせていただき、本当に助かりました。……アベル。私たちが世話になったこの船は、この人のものなんだ。お前もきちんとお礼を言いなさい」

 身体を半分以上隠したフローラを、それでもじっと見つめていたアベルが、父の呼びかけにはっと我に返る。

「は、はいっ! あ、あのっ! あ、ありがとうございましたっ!」

 言葉と共にぺこり、とお辞儀をするアベルを、ルドマンが微笑ましく見つめる。

「なんのなんの、船も使ってこその道具です。あなた達の旅の一助になったのであれば、私も何よりですよ」

 最後にもう一度だけ挨拶し、アベルはパパスに促されて渡し板の上によじ登る。

 振り返ると、デボラが入っていった船室へ、父親と並んで向かうフローラの後姿があった。

「どうした、アベル」

 渡し板の上で立ち止まる息子に、パパスが声をかける。

 なんでもない、と視線を正面へ戻し、アベルは板を渡りきった。

 直後、パパスもまた板を渡って下船する。港から乗ったのは、ルドマン一家のみ。

 そして下船したのは、アベルたちだけであった。父子が桟橋へ降り立ったのを確認し、船員が渡し板を取り払う。

 そうして間を置かず、ゆっくりと進みだす船。ルドマンたち父娘の姿は既に船室に入ったのか、桟橋の上からはもう見る事はできなかった。

「パパスさん!? パパスさんじゃないか!!」

 新たな目的地へ向けて出航する船をしばし見送った後、父に連れられて港の中へ進むと、声をかけられた。

「久しぶりだな」

 どうやら顔見知りらしく、パパスも親しげな笑みを浮かべている。

「いやぁ本当に何年ぶりだい!? 元気そうで、何よりだよ!」

 満面の笑みを浮かべたまま、港の中から現れた男はしきりに何度も頷く。

「アベル。お父さんはしばらくこの人とお話をしているから、その辺りを見ていなさい」

 あまり遠くに行かないように、とも釘を刺し、パパスと男は思い出話に花を咲かせて旧交を温めだした。

「……」

 だが、アベルは父の許しを得たにもかかわらず、父の側を離れようとはしなかった。

 否、既に自分の拳ほどの小ささにまでなってしまった船を、じっとその位置で見つめている。

 アベルも陸の上に戻るのは楽しみであった。

 港についたら、すぐに外へ飛び出したかったくらいである。

 だが、下船直前に、そんな考えが吹き飛んでしまうほどの衝撃に襲われた。

「……フローラちゃん、か」

 蒼髪の少女。

 抱きとめたときの香りを思い返し、アベルはぽつりとその名前を舌の上で転がす。

「また会いたいなぁ」

 これまでいくつも経験してきた出会いと別れ。

 せっかくできた友達と、泣きながら別れた事もある。また会いたい、そう思う子達も何人も居た。

 だが、アベルは気がつけば、そんな記憶の中にある誰よりも、フローラとの再会を強く強く願っていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「そこで初めて会ったんですね……」

「ふうん。その時がお父さんたちの初めての出会いだったんだ」

 タバサはうっとりと、レックスも感心したように、大きなベッドの上に寝転がりながら思い思いに感想を漏らす。

 魔王を倒し、世界が平和となって半年。

 グランバニア王として、オジロンたちの助けを得ながら日々の政務に励むアベルであったが、夜には必ず家族との時間を取るようにしていた。

 何せ十年も家族が揃うことが無かったのである。

 互いの時間を埋めあうように、夜ごと、就寝につくまでではあるものの、家族が揃って様々な話に花を咲かせていた。

 そして今日も、妻や子どもたちと語らい――その中で、ふと息子が尋ねてきたのだ。

 

 お父さんとお母さんは、どこで知り合って、どうやって結婚したの?

 

 どうやら教会のシスターの結婚が決まったらしく、幸せ一杯に話していたことに興味を惹かれたらしい。

 そしてレックスの疑問に、タバサもまた年頃の女の子らしく、興味津々に眼を輝かせてきた。

 アベルとしても多少の照れはあったため、最初は渋っていたものの、結局子どもたちの願いを突っぱねることもできず、寝物語に、とビスタ港での始めての馴れ初めを話し始めたのだ。

「つまりお父さんは、その時からお母さんに『ヒトメボレ』してたんだねっ!」

「うん。そうなるかな」

 子ども達の横で、自身もまた横になりながら、アベルはあっさりと頷く。

 からかうつもりで言ったらしく、アベルの淡白な反応にレックスは若干不満そうに頬をふくらませた。

「まあ、あなたったら……」

 対照的に、すぐ側の椅子に座っていたフローラは、夫の言葉に頬を赤らめながら苦笑する。

「あの時、また会いたいなって確かに強くは思ったんだけれど、やっぱりそう簡単に会えるとは思ってなかったんだ。だから再会できた時は嬉しかったなぁ……それ以上に、まさかそこで会えるとは思わなかっんだけれど」

「お父さんたちは、次はどこで会ったんですか?」

 俄然興味を惹かれたようで、タバサが身を乗り出してくる。

 最初はほんの寝物語のつもりだった。

 だが、どうやら子どもたちはそのつもりはないらしい。

(長い夜になりそうだな……)

 キラキラと期待に満ちた目を輝かせる子ども達。

 そして微笑んで聞き入る妻に少しだけ目をやって、アベルは再び語りだす。

「フローラとの再会は、レヌール城での幽霊騒ぎを解決してサンタローズに戻った後、妖精の村へ行った時の事だった」

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