『そこ』は、あたり一面が真っ白に染め上げられていた。
今も絶え間なく降り注ぐ雪が土に、木に、岩に白化粧を施していく。
「ん……っ、ん……っ!」
一歩一歩、純白の雪原に足跡を残すごとに、アベルは堪えるような息を漏らした。
声にも、そして足取りにも、既に濃い疲労の色が滲み出ている。
呼吸は荒く、足は震え……それでもアベルは、決して弱音を吐くことなく歩き続けていた。
「ごめ……んね、アベル……」
その背には、一人の少女が背負われていた。
身体は小柄ではあるが、それでもアベルよりもやや大きい。
背負わせている事に申し訳なさそうに、だが、それ以上に苦しげに呟く。
全身が傷だらけであり、服が所々破れ、その下の肌が痛々しい傷に覆われていた。
先導するプックル――とある一件でアベルが引き取ったベビーパンサー――も、そんな二人の様子に、何度も心配そうに振り返ってくる。
「だい、じょう……ぶ」
少女とプックルに。そして何より自分自身に言い聞かせるように、アベルは言った。
「だって、ベラが怪我しちゃったの、ぼくの、せいなんだから……」
だから、気にするな。
そう言わんばかりに、少女――ベラを背負いなおし、アベルは一歩一歩、踏みしめるようにプックルの足跡を追う。
「もう、少し。もう少しで……村に、戻れるから……」
ビスタ港に着いたアベルは、その後に父と共にサンタローズの村へと戻っていった。
サンタローズでの洞窟冒険や、足を伸ばしたアルカパの街を通じたお化け退治の冒険も経て、アベルは少しずつながらもたくましく成長していった。
モンスターとの戦いを何戦もこなし、初級の呪文もいくつか使えるようにもなり、そしてレヌール城の冒険の後には、モンスターであるベビーパンサーとも友達になっていた。
共にレヌール城を冒険した少女からは、プックルと共に別れの証にとリボンを貰え、意気揚々とサンタローズへ戻ってきたのだが……村では小さな事件が発生していたのだ。
曰く、まな板が知らない場所に置かれていた。
曰く、宿帳にいつの間にか落書きがされていた。
曰く、石を投げつけられたと思ったのに、振り向くと誰もいない。
父もアルカパから戻って来てからは連日書斎に篭もっており、子ども一人では外に出ることもできない。
そんな状況であるから、アベルも俄然、この事件を解決してやろうと村を調べまわった。
そして村中を探検する中で、自宅の地下室で不思議な少女と出会ったのだ。
何故か身体が透き通っていた少女。しかも周囲の大人たちは、その少女の存在に気付いていない。
アベルが話しかけてみると、少女は酷く驚き――だがじきに助けを求めてきた。
少女は自身を妖精であると告げ、ベラと名乗った。そして今、妖精の村に危機が迫っているとも。
大人たちにはベラの姿が見えないらしく――実際、話を聞く途中にパパスが地下へ降りてきたのだが、少女の姿には気付いていなかった――姿を見える人間に力を貸してほしい、との事であった。
ただならない様子を感じ取ったアベルは、これを了承。
ベラに導かれ、プックルと共に妖精の世界へ降り立ったアベルは、妖精の村の長・ポワンから危機の内容を告げられた。
ドワーフのザイルが村の宝である春風のフルートを盗み出し、氷の館へと逃げ込んでしまったのだ。
春風のフルートは、奏でることで春を呼ぶ妖精の宝。
このままフルートが吹けなければ、妖精界はもちろん、人間界にも春が訪れなくなってしまう。
だが妖精は非力であり、取り返す事はできない。そこで人間に協力を求めるべく、各地に妖精が派遣されていた。
サンタローズの洞窟、そしてレヌール城の冒険で実力に自信を持ってきたアベルはフルートの奪還依頼を了承。
ザイルが逃げ込んだ氷の館は、盗賊の鍵の技法によって固く閉ざされているため、まずは村の西にある洞窟――鍵の技法が記された巻物が安置されているそこへ向かう事となった。
メンバーはアベル、プックル、そしてベラ。
洞窟の入り口近くに住んでいたドワーフ――ザイルの祖父からも、ザイルが実は誤解しており、止めて欲しいのだと頼まれ、一層決意を新たに洞窟内を探索。
探索そのものはつつがなく進み、襲い来るモンスターを次々に蹴散らしながら奥へ奥へと進んでいく。
そしてとうとう技法を記した巻物を見つけ、アベルは盗賊の鍵の技法を見つける事ができた。
――そこまでは良かった。
技法を得た帰り道に魔物の群れに遭遇。その際、ベラがアベルを庇って深手を負ってしまったのだ。
(ぼくのせいだ……)
その時の光景を思い出すたびに、アベルの肩に後悔が重くのしかかる。
あともう少しで洞窟を出られるという所で襲ってきたのは、呪文を操る子竜のメラリザードが三体と、全身が刺に覆われたスピニーが二体。
メラリザードを相手取っていたアベルが、仕留め損なっていたスピニーの自爆攻撃に巻き込まれかけ――それに気付いたベラが、咄嗟にアベルを庇ったのだ。
何とか魔物の群れは撃退したものの、既に洞窟の探索で薬草は使いきってしまい、更にアベルも、そしてベラ自身も魔力をほぼ使いきってしまっていた。
(あと一回だけでも、ホイミを使う分、残しておけばよかった……)
なんとかザイルの祖父から薬草を分けてもらえたために、応急処置はすることはできた。
しかしベラの傷は深く、一刻も早く村へ戻り、きちんとした治療を施さなければならなかった。
(今、モンスターに襲われたら……)
平原のモンスター達は洞窟内に比べれば弱い。
だが、それもあくまで比較的には、という話だ。
ベラが戦えず、アベルもベラを背負っているために自由に動くことはできず、実質の戦力はプックルのみ。
鋭い牙と爪、高い俊敏性を誇るプックルであったが、複数の敵に対処できる手段が無い。
恐らく三体以上のモンスターに囲まれてしまえば、それだけで対処がしきれなくなるだろう。
故にこの現状、アベルたちは極力、森林や山岳地帯を避け、平原を歩きつつはモンスターに遭遇しないことを祈るしかなかった。
「ふみゃっ!」
先行するプックルが、緩やかな丘陵の上で吼える。
すわモンスターか、と身を固くしたアベルであったが、プックルの鳴き声に戦闘前特有の緊張感は無い。
それどころか、早く来いと言わんばかりに、アベルの方へと振り向いてぱたぱたと尻尾を振ってくる。
(よ、かった……)
もしや、とプックルの後を追ったアベルが丘を見下ろすと、小さな森に囲まれた村の姿が見えた。
張り詰めていた緊張が抜けていく。
ここまで戻る事ができれば、後はもう心配ない。
「ベラ、もうちょっとだけ頑張って!」
傷ついた背中の妖精を背負いなおし、アベルは最後の力を振り絞って、村へと駆け出していった。
◆
「ご苦労様でした、アベル。応急処置も適切でしたし、ベラも命に別状はありません」
「よ、よかったぁ~……」
妖精の村――その長の館は何千年もの樹齢を誇る巨大樹内部をくりぬいて造られている。
アベルが二十人並んで、やっと端までたどり着けるほどの巨大な年輪の中央に真紅のカーペットが敷かれ、その奥に鎮座する玉座に佇んだ村長・ポワンの言葉に、アベルはへなへなとその場にくずおれた。
安堵するアベルの姿を、微笑ましく見つめていたポワンであったが、じきにその表情を曇らせる。
「しかし困りましたね。ベラは村の中でも一番の呪文の使い手でした。だからこそ同行を命じたのですが……」
本来、妖精は争いを好まず、戦闘に長けた種族ではない。
それでも魔力には優れ、いくつかの呪文は扱う事が出来るため、サポート役にとベラがアベルたちへの同行を命じられていたのだ。
確かに西の洞窟内ではベラの呪文に助けられた局面も多く、氷の館へ向かうにあたり、ベラの抜けた穴は大きい。
「あ、あのっ! ベラが怪我しちゃったの、ぼくのせいだから……だから氷の館へは、ぼくとプックルだけでも行きますっ!」
それでも、アベルの中に逃げるという選択肢は無い。
ベラに対する責任感というものでもあったし、何よりこのままでは人間界にも春が来なくなってしまうのだ。
それを見過ごす事は、やはりアベルには出来なかった。
「ふみゃっ!」
プックルも、アベルに同意だと言わんばかりに隣で勇ましく毛を逆立てている。
「その言葉は頼もしく思います。ですが、やはりもう一人くらいは……」
アベル達の言葉に頷きつつも、やはりポワンとしては不安も残るようで表情は晴れない。
ふと、アベルたちが居る二階まで、巨大樹の根本に位置する一階から伸ばされた螺旋階段を、たん、たん、たん、と小気味良く駆け上がってくる足音が聞こえてきた。
直後、アベルの背後から底抜けに明るい声。
「ポワン様! ただいまもどりました!」
声の主はアベルの横で立ち止まり、ポワンへ向けて跪く。
それは姿形も、容姿も、声までもがベラと瓜二つの妖精。とはいえ妖精族は基本的に姿に大きな差異は無いらしく、アベル自身が村を見まわった際にも、同じような容姿の妖精ばかりを見かけていた。
「あらベレ。戻ったのですね」
しかし、同族の間ではきちんと区別がついているらしい。
ポワンにベレと呼ばれた妖精は、じきに顔を上げ、満面の笑みをたたえて自身の背後を示す。
「ポワン様、お喜びくださいっ! 人間の戦士を見つけてきました!」
「ま、待って下さい。ベレさん!」
やがて、ベレの後を追うように、たんたん、と――ベレよりははるかに静かに――階段を上ってくる音がする。
そして姿を表したのは、息を切らせた一人の少女。
「――!?」
その蒼髪の少女を見た瞬間、アベルは雷に打たれたような衝撃を受けていた。
喉がからからに渇き、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
(な、何で……? どうして、此処に……!?)
現れた少女はポワンの姿を認めると、緊張気味に呼吸を整えながらベレと並んでその前に立つ。
すなわち、アベルのすぐ隣に。
「は、初めまして。あの、私は――」
「フローラちゃん?!」
気が付くと、少女が名乗り上げるよりも早くアベルはその名を叫んでいた。
現れた蒼髪の少女――フローラも、緊張で周囲が見えなくなっていたのか、その場にアベルがいたことに初めて気が付いたようで、姿を認めた瞬間に目を丸くする。
「あ……」
そしてアベルも、驚くフローラと目を合わせ、初めて後悔した。
アベル自身はフローラの事を、ビスタ港での出会いをよく覚えていた。
髪の色も、大きな目も、ピンク色のリボンも。
服だけは以前の旅装よりも更に動きやすそうな格好ではあったものの、それ以外はビスタ港のあの時と何も変わっていない。
だから思わず、アベルは叫んでしまった。そして、叫んでしまって気づいた。
フローラが、自身の事を覚えていてくれているとは限らないのだ、と。
むしろ覚えていない方が普通だろう。ほんの少し船上で出会って、そして助けて、話しただけ。
アベル自身すら、自分がなぜこの少女をここまで強く覚えているのかが不思議なほどであった。サンタローズに戻った直後に出会った金髪の少女には、前にも会った事があると言われても、よく思い出せなかったのに。そしてその少女は、アベルが自身を覚えていない事に対しても、特に怒るわけでも、残念そうな素振りもみせなかった。
だが、アベルはフローラの事は強く強く覚えており――恐らく、たとえ一年会わなかったとしても、分かる自信はあった――同時にフローラにも自分の事を覚えていて欲しい、とも強く願っていた。だからこそ名を叫び、そして、それ故にフローラが、自身が金髪の少女を覚えていなかったかのように、自身を覚えていてくれてなかったならば……その恐怖が急速に押し寄せてきたのだ。
呼びかけた姿勢のまま、見る見るうちに表情を曇らせるアベル。そんな主を不思議そうに見上げるプックル。一体どうしたのか、と頬に手を当てるポワン。頭に疑問符を浮かべながら、しきりに視線をアベルとフローラへと視線を行き来させるベレ。
その場の誰もが言葉を発する事がためらわれるほど微妙な空気が漂う中、最後の一人がアベルへと向けて口を開いた。
「あの…………ひょっとして、ビスタ港の?」
最後の一人の少女の言葉に、アベルの表情がぱっと輝きだす。
「うんっ!」
身体全体で、力いっぱいに頷く。
「あれあれ? もしかしてそこのキミ、フローラと知り合いなの?」
自分が連れてきた人間と、別の妖精がつれてきた人間。その二人がまさか知り合いだったとは思わなかったのか、ベレも、そしてポワンですら、アベルとフローラのやり取りに目を丸くしていた。
「あの、実は――」
アベルが手短にビスタ港での出会いを話し、次いで納得したポワンが、アベルに話したものと同様の話をフローラにも告げる。
「そんな事が……」
このままでは春が訪れない。その事実に衝撃を受けながらも、すぐにフローラは両拳を胸の前で握りしめる。
「わかりました。どこまでやれるかわかりませんけれど、私に出来るならお手伝いさせていただきますっ!」
力強く協力を宣言した。
「それでは頼みましたよ、小さな戦士たち」
アベルとフローラが揃って力強く頷き、プックルも短く吠えて応えた。
既に盗賊の鍵の技法は手に入れている。
後は準備を整えて氷の館に向かうだけだ、と螺旋階段を一階まで降りてきたところで、フローラが改めてアベルへと向き直る。
「よろしくお願いしますね、えっと……」
「あ……! ぼく、アベル!!」
アベル自身はフローラの名前を覚えていたものの、フローラに対してはきちんと名乗っていなかったことを思い出し、慌てて名乗る。
「分かりました。よろしくお願いしますね、アベルさん」
「う、うん……」
微笑とともに丁寧に頭を下げてくる少女を見ていると、鼓動が高まり、頬が熱くなってくる。
「が、頑張ろうね、フローラちゃんっ!」
しどろもどろにもつれそうになる舌。ままならない感情。
それでも、アベルには曲がりなりにも冒険を重ねてきた経験と自信がある。
格好悪いところは見せたくない。ともすればレヌール城で親分ゴーストと対峙した時以上の緊張を感じながらも、そんな矜持を支えにしてフローラを先導し、道具屋へ向かう。ありったけの薬草をはじめ、西の洞窟で得たゴールドを使い、万全の準備を整えた二人と一匹は、一路、氷の館へ向けて出発した。
◆
「あの、アベルさん」
さく、さく、と雪に足跡を残しながら村を北上する。
村周辺の小さな森を抜けた頃、フローラが躊躇いがちに声をかけてきた。
「どうかしたの? フローラちゃん」
「先ほどから気になっていたんですが、その猫さんは……?」
問いかけながら、フローラは前を行くベビーパンサーを指さす。
ああ、とアベルも納得し、にっこりと笑う。
「プックルっていうんだ。僕の友達だよ!」
そんなアベルの声に応じるように、プックルも振り向いて、みゃあ、と声を上げる。
「とっても強くて、頼りになるんだ」
アルカパで譲られた当初こそ猫だと思ったものの、サンタローズへの帰路の時点で、アベルも驚くほどに戦闘で活躍してくれた。妖精の村ではプックルが猫ではなくキラーパンサーの子どもだと教えられて驚きこそしたが、その戦闘力を眼にした後だったので、妙に納得したりもした。
モンスターである、という事自体はアベルにとって大した問題ではない。
重要なのは、プックルが友達であること。そしてプックルは強く、頼りになること。
この二点だけだ。
「まあ、そうなんですか。よろしくお願いしますね、プックルさん」
そしてフローラも、アベルからの簡単な紹介に驚きはしたものの、丁寧に敬称まで付けて呼びかける。
そんなフローラの態度に気を良くしたのか、プックルも、任せろといわんばかりにもう一声鳴いた。
――直後、プックルが弾かれたように前方の茂みを睨みつけ、全身の毛を逆立たせて唸り声を上げる。
「!? フローラちゃん、下がって!」
アベルがフローラの前に守り立つのとほぼ同時に、茂みの中から魔物の群れが襲い掛かってきた。
緑色のローブを着た老人のようなモンスターが一体。そして球体状の全身に棘を生やしたモンスターが二体。
まほうつかいとサボテンボールだ。
「いくよ、プックル!!」
「ガゥ!」
アベルが一歩大きく踏み込み、手に持ったブーメランを投げ放つ。
風切り音を立てて回転しながら、頑丈な樫で創られたブーメランが敵全体を打ち据えた。
距離のある状態からの先制攻撃に魔物の群れが怯んだ瞬間、プックルがまほうつかいへと躍りかかる。
「メラ!」
低く、しゃがれた声で唱えられる呪文。
そしてローブの中から突き出した手から、拳大の火球が生まれた。
火球は距離を詰めんとするプックルに迫るが、着弾の瞬間、プックルは大きく跳躍してかわす。
「ルガァ!」
そのまま爆風を利用して中空で一回転。落下の勢いも借りながら、石の牙を一気に魔法使いの首元へと突き立てた。
そしてアベルも、サボテンボール2体に対して、もう一度ブーメランを投げ放つ。
しかし今度は一体には直撃して完全に沈黙させたものの、もう一体にはひらりと身をかわされてしまった。
「や、やああああ!!」
「フローラちゃん!?」
ブーメランが外れたのを見て、フローラが手にしていた武器――チェーンクロスを振りかざして前に出る。
鎖に繋がれた先端の分銅がサボテンボールへと迫るが、ブーメランを躱した体勢のままに、サボテンボールは勢い良く飛び上がって分銅を避ける。
「え……?」
「きぃぃぃいいいい!!」
予想外の体勢からの予想外の回避。
驚き、硬直するフローラへ向け、サボテンボールは上方から棘を生やした己の身体を叩きつけんとする。
「危ない、フローラちゃん!」
アベルが咄嗟にフローラを後方へと押しやった。
そしてフローラの居た位置――アベルの下へとサボテンボールが迫り、そして着弾。土煙が巻き起こる。
「アベルさん!」
「大丈夫っ!」
アベルは辛うじて直撃はかわしていた。
しかしフローラを庇い、身を前へ投げ出すように体勢を崩してしまった。
未だ宙で回転し、戻らんするブーメランの回収する事は諦め、何とか倒れたままながらも身体をねじり、サボテンボールへ向き直ろうとする。
「ぎぃ!」
フローラよりも体勢を崩したアベルを獲物と見定めたのか、サボテンボールはその腹へ向かって体当たりしてくる。
「ぐっ……!」
今度は直撃。
マントの下に着込んでいた革の鎧のおかげで棘からは身を守る事はできた。
しかし衝撃までは殺しきれず、アベルは呻き声を漏らす。
ちょうどサボテンボールを抱きかかえるような格好で、仰向けに転んでしまった。
したたかに大地へと身体を打ち付けたベルの耳が、からん、からん、とブーメランが遠く転がっていく音を捉える。
武器を失ったアベルの上で、とどめとばかりにサボテンボールがもう一度高く飛び上がる。
「――っ、バギ!!」
サボテンボールの跳躍が頂点に達した瞬間、腹をおさえ、声をかすらせながらも、右手を天へと突き上げて高らかに真空呪文を唱えた。
指先から無数の真空刃が生まれ、アベルへ向けて落下せんとしてきたサボテンボールの全身を容赦なく切り刻む。
「ギイイイイイイイ!?」
皮肉にも自らが味方にせんとした重力によって、より深く真空刃に切り刻まれたサボテンボールは、体勢を崩してアベルのやや右側へと落下し、倒れ伏した。
「ふぅ……」
動かなくなった事を確認し、アベルは大きく息を吐きながらゆっくりと身を起こす。
「アベルさん、大丈夫ですか?!」
戦闘の勝利に安堵の息をついたアベルの下へ、フローラが駆け寄ってきた。
背後からは、まほうつかいをしとめたプックルも寄ってくる。
「うん、これくらいなら大丈夫。フローラちゃんも大丈夫だった?」
笑顔を見せるアベルだったが、フローラの表情は対照的に暗い。
「は、はい……。ご、ごめんなさい。私、何のお役にも立てず……」
そんなフローラの言葉に、アベルは慌てて両手を振った。
「そ、そんな事ないよ! その武器、そんなの振り回せて、すごいなあって思ったし!」
チェーンクロスはベレに導かれる前に、フローラ自身が武器として持ち出してきた物らしい。
父から護身用に渡されていたのだ、と道具屋の中で笑顔で語っていた。
実際にその腕前を見せてもらったが、確かにレヌール城冒険での相棒――いばらのムチを操った金髪の少女――と照らし合わせても、決して見劣りする腕前ではない。
「僕はほら、大丈夫だったからっ!」」
事前に西の洞窟へ向かう際にも何度か戦っていた。そのため、アベルはサボテンボールの攻撃手段をある程度理解していたからこそ、ここまで冷静に対処できたのだ。初めて相対した時には、今のフローラと同様にアベルも驚き、手傷を負ってしまったのだから、フローラの不手際を責める気など毛頭なかった。
「確かに練習はしてました。けれど、モンスターと戦うなんて初めてで……。実際に見るまでは私だって出来ると思っていましたが、出来るどころか、でしゃばったせいでアベルさんをあんな危険な目に遭わせてしまうなんて……」
しかしフローラにとっては、アベルに庇われ、危険な目に遭わせてしまった事は、相当に負い目となってしまったらしい。このままでは、ひたすらに自分を責め続け、氷の館の攻略どころではなくなってしまう。
「そうだ、フローラちゃん!」
そう考えたアベルは、努めて明るい声でフローラへ話しかけた。
「袋からやくそうを出してくれないかな。さっきのサボテンボールの体当たりでちょっとケガしちゃって」
マントから腕をまくり上げ、傷口を示す。体当たりよりも、むしろそれで転んだ拍子に派手にすりむいたのだろう。左肘の広い範囲で血が滲んでいた。
「え? は、はいっ!」
不意に告げられ、それでも生来の生真面目さゆえか、慌てて言われるがままに袋の中を探り、やくそうを取り出した。
「使い方、分かる?」
「はい、大丈夫です」
取り出した緑の葉をぎゅっと揉みしだき、滲み出した汁をそっとアベルの傷口に当てる。
「染みますか?」
「ん……大丈夫」
ちくちくと感じていた痛みが取れ、血が止まった事を確認し、アベルは軽く頷いた。
「体力は大丈夫ですか?」
「うん。そっちはまだ平気だよ」
最後の一言を苦笑混じりに付け足す。
やくそうは打ち身擦り傷といった傷全般に有効であることに加え、搾り出すエキスは飲めば体力回復効果がある。ただしそのエキスは決して美味とは言い難く、有用ではあるものの、あまりお世話になりたくないというのがアベルの偽らざる本音であったが。
「――ね? フローラちゃんがいて、よかったでしょ?」
「ぁ……」
微笑むアベルの意図に気づいたのか、目を丸くするフローラにプックルの頭を撫でながら続ける。
「僕さ、初めてモンスターと戦ったときは、何もできなかった。その時は、結局、父さんに助けてもらったんだけど、モンスターが怖くて、戦うどころか逃げる事も出来なかったんだ」
しかも、その時の相手ってスライム三体だったんだよ? とおどけながら言う。
「でも、フローラちゃんは僕なんかと違って、初めてなのに僕の時よりずっと強いモンスターに立ち向かっていけたじゃないか」
アベルもまた、西の洞窟でベラに大怪我を負わせてしまっている。
それは、アベルの過失が招いた事態。サンタローズの洞窟、レヌール城の冒険を通じて培った自信が過信へと繋がり、そんな自分を庇ったために、ベラはしばらく動けなくなるほどの怪我を負ったのだ。そんな事態に直面したアベルは、今のフローラ以上に罪悪感に襲われ、後悔に苛まれ――そんなアベルの心を救ってくれたのが、他でもないベラだった。
大丈夫。気にしないで。
傷ついた身体で、それでも自身を気遣ってくれたベラのおかげでアベルも冷静さを取り戻し、プックルを先導させて細心の注意を払って村まで戻る事ができた。
そんな自分が、偉そうな事を言える立場でないことはアベルもわかっている。
だが同時に、そんな自分だからこそ、今のフローラの気持ちも痛いほどわかった。
だからこそ、言葉を重ねる。以前の自分にベラがそうしてくれたように。
「それにさ、フローラちゃんを連れてきた妖精の子も、フローラちゃんが本当に何の力も無い子だったら、いくら妖精の姿が見えていたとしても、ここに連れてきたりはしなかったんじゃないかな? ちゃんと実力を認めたから、フローラちゃんもやれば出来る子だって思ったから、助けを求めてきたんだと思うよ」
そこで一度言葉を区切り、改めてにっこりと笑みを浮かべる。
「だから、がんばろ? フローラちゃんは駄目なんかじゃない。今に失敗しちゃった事は、ちゃんと何で駄目だったか考えて、同じ失敗をしなければいいだけなんだから」
「――はいっ!」
その言葉にフローラもようやく笑顔を取り戻し、力強く頷いた。
そしてその後の道中、モンスターへ遭遇するたびに、フローラも果敢にチェーンクロスを操り、立ち向かっていった。
戦闘を重ねる毎に、徐々に近距離攻撃のプックル。中距離攻撃と回復のフローラ。遠距離攻撃と攻撃呪文担当のアベルと役割分担が敷かれ、拙いながらも少しずつチームワークを構築させていき、
「見えた……!」
そして、そんな連携が何とか様になってきた頃、アベル達は氷で造られた大きな館へと辿り着いた。
◆
館は氷造りという点では特異であったものの、構造自体は単純なものであった。
入り口の一階と、地下が一階層、そして屋上にあたる二階。
それらは特に入り組んだ迷路になっているわけでもなく、アベルが技法で扉を開けたときには、遠目ながらも地下へと階段と、二階へ通じる階段は見えていたほどである。
ただし床一面が氷張りであったため、うっかりバランスを崩せば簡単に滑ってしまい、中々思い通りの場所に辿り着く事ができなかった。
何とか二階の階段へと辿り着こうと氷の床を滑り続ける中で、何度も床に空いた穴へと落ちてしまい、その度に最初からやり直す羽目になってしまった。
ここは慎重に進もう。
どちらから言い出したわけでもなく、アベルとフローラは互いに手を繋ぎ合い、プックルもまた氷床に爪を立て、一歩一歩、細心の注意を払いながら二階へと続く階段を目指して進んでいった。
「うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい! お前らの言う事なんか信じられるもんか!」
なんとか二階へと辿り着き、そして一階と同様に氷張りの床を慎重に中央へと進んでいくと、程なくしてドワーフの少年と出会う事が出来た。彼の背後には、粗末ならがも頑丈そうな木箱があり、それを護るように立ちはだかっていた。
恐らくは、その中に春風のフルートが仕舞われているのだろう。
アベルは洞窟でザイルの祖父から聞いた話――祖父はポワンに追い出されたのではなく、自分の意思で出て行ったのだ――と説明するも、ザイルは聞く耳を持たない。
「嘘ばっかりつきやがって……この春風のフルートを取り返したいってんなら、口でグチグチ言わずに、力ずくできてみやがれってんだ!」
アベルの説得が逆に火に油を注ぐ結果となったのか、言うが早いか、ザイルは猛然と三人に向けて襲いかかってきた。
「きゃあっ!?」
氷床を全く苦にしない……むしろ利用して勢いを付けた突進だった。
まず狙われたのはフローラ。
「フローラちゃん!?」
「余所見する暇なんかねえぞ!」
体当たりで吹き飛ばされたフローラへと気を取られたアベルに、容赦なくザイルの拳が襲い掛かる。
「ぐ……!」
腹への一撃。だが、何とか耐えてアベルはその場に踏み止まる。
「わぁ!?」
だが、ザイルほどに氷床に慣れていないアベルは、踏み止まろうとするその動作で、バランスを崩しかけてしまう。
「もう一発!」
「ガウ!」
床に両手をついたアベルにザイルが追い撃ちをかけようとするが、横手からのプックルの襲撃に攻撃を中断して距離を取る。
「フローラちゃん、大丈夫!?」
その隙に、何とかアベルも吹き飛ばされたフローラへと駆け寄った。
「はい。だい……じょうぶ、です」
強く打ったのか、涙目で頭をさすりながらも、フローラは立ち上がった。
その瞳から闘志は失われてはいない。
氷の館へ至る幾度かの戦闘で、フローラも自身をつけていたらしい。
(あいつ……強い!)
フローラの無事に安堵しながらも、アベルは改めてザイルの実力に戦慄する。
決して勝てない相手とは思わない。だが同時に、たとえ三人がかりであったとしても楽に勝てる相手では無い。先のやりとりで、アベルは彼我の実力差をそう分析していた。今のところはプックルがザイルを翻弄してくれてはいるが、ただでさえ足場の悪い氷床である。相手は明らかにこちらよりこの環境に慣れているこの状況下では、プックルも単独では、そう長くもたせられないだろう。
(あいつの動きは僕より上……プックルで何とか対抗できるレベルだ。まともに攻撃したって、避けるか防御されちゃう)
遠距離から呪文で怯ませても、この床だ。距離を詰めるまでに体勢は立て直されてしまうだろう。かといって、不用意に接近戦に持ち込んだ所で明確な勝機は見いだせない。
策が必要だ。出来ればこの場で最も威力のある武器による必殺の、かつ、不意打ち気味の一撃が。
そう考えながら、ちらり、と改めてフローラを見やる。そこに怯えの色が無い。
(――よし)
アベルはそっとフローラに耳打ちした。
「……フローラちゃん、よく聞いて」
◆
「えぇい!」
「ふん!」
アベルが投げつけたブーメランを弾き、ザイルは一気に距離を詰めてアベルを殴り飛ばす。
「うわぁ!」
床を擦るように滑り、後方の壁に身体を叩きつけられるアベル。
「ガゥ!」
だが、ザイルが追い討ちをかけるよりも早く、横手からプックルが躍りかかった。
「ちっ……しつこいぞ!」
素早くそちらへと身体を入れ替え、勢いを利用した裏拳を叩き込んだ。
「キャィンッ!」
鳴き声と共に、だん、と氷の床に叩きつけられ、先ほどのアベルのように滑っていくプックル。
「まだまだぁ!」
が、そちらへ気を取られているうちにまたアベルが飛び掛かってきた。
「バギッ!」
己も巻き込む事を厭わず、アベルが近距離で真空呪文を唱える。
「舐めんなっ!」
ザイルは真空呪文に自ら頭から飛び込んで被害を最小限に抑えた。だが、アベルの攻撃もまだ終わっていない。そしてその手には銅の短剣が握り締められていたのだ。ブーメランはあらぬところへ飛び転がっているため、予備の武器を持ち出したのだろう。
銅製の剣には刃は無い。剣の形状はしていても、実態としては「叩きつける」ための武器であり、性質としてはこん棒に近いのだ。そのため、ザイルは己の身体の頑丈さを頼りに、握りこんだ拳をアベルの振り下ろしに合わせた。
「~~~~~~っ!」
どちらともなく食いしばった歯の奥から呻き声を漏らす。一瞬の均衡。だが、ザイルはそこから更に一歩踏み込み、力任せに銅の短剣ごとアベルの身体を押し切った。身体の泳いだアベルの腹部へ向けて、痛烈な蹴り。
「あぐぅ!?」
アベルの口から空気と共に呻き声が漏れた。何とか踏ん張ろうとするが、この館でしばし暮らしていたザイルと違い、まだまだ氷の床に慣れないアベルは簡単に足を滑らせてしまう。
「大人しくしてろっ!」
もう一度、まるでボールを蹴るようにアベルの身体を蹴り飛ばす。
「ルッ、ガアアアアアア!!」
追い打ちをかけようとすると、横手からまたプックルの咆哮。
――先ほどから、この繰り返しだった。
ザイルとて、自身が二人を同時に相手取って優位に立てるなどと驕っている訳ではない。一人が来るたびに一人を相手し、他方が迫る気配があれば、殴り飛ばして距離を開け、その他方を相手どる。極力一対一の状況を作り続けることで、優位に立つように心がけていたのだ。
だが……
「チッ……!」
ザイルがプックルの爪牙を捌きつつ、視線だけを移して忌々しげに蒼髪の少女を睨みつける。うずくまるアベルに近づき、やくそうでの手当て。打ち身と、そして体力の回復のためだろう、エキスを飲ませていた。
当初、三人がかりでかかってくると考えたからこそ、ザイルはこの一対一を相手どる戦法を選択した。一人ひとりの実力は間違いなくザイルを下回っており、一対一ならばまず負けは無い。だからこそ、襲い掛かってくる者を順番に殴り飛ばし続ければ、いずれはザイルの勝利となるはずであった。
アベルとプックルの動きはザイルの望んでいた通り。だが、フローラの動きだけは予想に外れていた。
フローラは戦闘に参加する事なく、回復役に徹したのだ。
ザイルがアベルを相手取れば、その隙にプックルを。ザイルがプックルを相手取れば、その隙にアベルをやくそうで回復する。
ザイルの予想以上に、アベルたちは豊富にやくそうを準備していたらしい。既にアベルたちを十回以上殴り飛ばしているにも関わらず、フローラが取り出す薬草に尽きる気配は無かった。まずいな、とザイルは胸中で毒づく。プックルを殴り飛ばし、そこで大きく息を吐いた。鼓動が早まり、軽く息が上がってきている。
体力自慢のドワーフとはいえ、ザイルもまだまだ年齢的には幼子の域を出ていない。このまま持久戦となってしまっては、相手のやくそうが尽きるまで体力を保たせられる自信は流石になかった。
「なら――」
それならそれで、ザイルも戦法を変えるだけだ。アベルの気配を感じ取り、プックルを殴り飛ばす。即座に振り向き、近づいてきたアベルと相対しつつプックルへの警戒を継続する。アベルが振り回す銅の剣を巧みに避けながら、眼の端でフローラがプックルに、手当てを始めた様子を捉えた。拳を握り締めてアベルへ殴りつける体勢を取り、それにアベルが防御の構えを取った瞬間、
「おらあっ!」
ザイルは即座に身体の向きを変え、アベルを無視して手当てをするフローラへ向けて高々と跳躍した。相手が持久戦に持ち込んでくるのなら、その持久の元を断つ。今のアベルたちの作戦は、三人いてこそ成り立つもの。特に回復役を担うフローラを仕留めてしまえば、アベル達はザイルの猛攻に耐えられないはずだ。見たところやくそうを使う以外に何もしていない。恐らく最も戦力として劣るからこそ、あの少女が回復役となっているのだろう。
ならばまず先にそちらをを潰すべく、落下の衝撃とも組み合わせ、一撃で意識を刈り取ろうと、握り締めた拳に更に力を込め――
「やああああああ!!!」
突如、手当てをしていたはずのフローラが、背に手を回し――そのまま一気にザイルへと向けて腕を振りぬいた。
「な――!?」
その手の先に握り締められていたのは、チェーンクロス。
フローラの動きに従い、鎖分銅は遠心力をたっぷりと乗せた一撃を、中空のザイルの横っ腹へと叩き込んだ。
「ぐっ!?」
予想だにしなかった激痛に、ザイルが体勢を崩してフローラたちの数歩手前で肩から落下する。
「今だっ!」
「ガゥッ!!」
追い立てるように後方からはアベルの、そして前方からはプックルの咆哮が聞こえ――ザイルは己の失策と敗北を悟った。
◇ ◇ ◇
「それでそれで!? お父さん達はザイルと戦ってどうなったの!?」
やはり戦いとなると、俄然にレックスが目を輝かせてきた。
「ほらほら、ベッドから落ちても知らないぞ」
身を乗り出してくるレックスを落ち着くように言いつけ、横にさせる。
(まあ僕たちも、あの時にはザイルを説得すれば終わりだと思っていたからなあ……)
だが、あの時の戦いはむしろここからが本番だったのだから。
「何とか取り押さえる事ができた僕たちは、ザイルへと真実を伝えたんだ。そうすると――」
無意識のうちに脇腹を撫でながら、再びアベルは語りだした。