蒼髪の花嫁   作:赤城 希衣呂

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第三話 ~妖精の村(後編)~

「ちっくしょお!」

 敗北を喫したザイルは、それ以上に抵抗する気はないのか、氷の床に座り込み不貞腐れるように毒づいた。

「せっかく爺ちゃんを助けられたのにっ! ポワンのヤツに一泡吹かせてやれると思ったのにっ!」

「だから違うんだ! まず話を聞いてっ!」

 ぶつぶつと文句を言い続けるザイルに、ブーメランを回収したアベルは必死に説明を続けていた。

 ポワンから聞いた事。春風のフルートが無ければ困ること。それが妖精界のみならず、人間界をも巻き込んでしまうこと。何より、洞窟でザイルの祖父から聞いた事。聞く耳を持たないと言わんばかりにそっぽを向き続けるザイルに、それでもアベルは根気よく説明を続けながら、内心で大きく安堵していた。

(よかった……うまくいって)

 フローラには袋を預け、買い込んでいたやくそうで回復役に徹してもらい、アベルとプックルが間断なく攻める。相手は一人であるため、この連携で倒せればよし、もしもザイルがフローラを狙ったなら、そこを隠し持ったチェーンクロスで奇襲する。

 無論、フローラを危険に晒す策である。

 アベルとてあくまで保険程度の意味合いでフローラへと提案したのだが、フローラは逆に力強く頷いていた。

 そして事実、奇襲は成った。作戦の成功とフローラが怪我を負わずに済んだことに、もう一度胸中で大きく安堵する。

「……それ、ほんとなのかよ。じいちゃんが自分の意思で妖精の村を出てったって」

 当初は話を聞こうとしないザイルであったが、誠実に話すアベルの言葉に徐々にほだされていく。

 ようやく聞く耳を持ったザイルが話を聞き終え――それでもその声音には、どこか疑いの色があった。

 アベルが大きく首を横に振る。

「ポワン様はそんなことしてない。キミのお爺さんが、自分から迷惑をかけられないからって村を出て行ったんだ。……だから君も、村からとっていった春風のフルートを返してほしいんだ」

 ザイルが凶行に及んだのは、祖父の無念を晴らさんと考えたため。その前提が崩れてしまえば、もはやフルートを盗み出す理由など無くなる。だが、未だアベルの言葉を信じきれないのか、しきりに視線を左右に映しながらぶつぶつと呟く。

「だってよ……雪の女王さまが、ポワンの奴のせいだって……」

 ザイルがそこまで言いかけたとき、アベルは異変に気付いた。

 ほんのわずかな風の流れ。それを目で追って、ふと上を見上げれば――

「危ないっ!」

 それを確認した瞬間、どん、とザイルを力の限り突き飛ばした。入れ替わりでザイルの位置に立ったアベルのわき腹へ、天から降り注いだ氷柱が深々と突き刺さる。

「あぐぅっ!?」

 悲鳴を上げ、床へと倒れ伏すアベル。

「いやあああああ! アベルさんっ!?」

 フローラとプックルが血相を変えてアベルの身体を起こす。

「な……!? お、お前、なんで俺なんかっ!?」

 押され、目の前で串刺しとなったアベルに、ザイルが眼を見開いて駆け寄る。

「わかんない……でも、気が付いたら、身体が動いてたんだ」

 意識はあるらしく、激痛に脂汗を流しながらも、アベルはにっこりと微笑んだ。

「――ザイルや、まったく役立たずな子だねぇ」

 どこからともなく響き渡った声に、ザイルの眼が更に驚きに見開かれる。

「ゆ、雪の女王さま!?」

 虚空を見上げて叫ぶザイル。

 その視線の先で雪を伴った風が吹き起こり――徐々に人型を成していく。

「お前には失望したよ」

 姿を現したのは、三十代前後の女性。フローラよりもなお蒼い波がかった髪。肌は雪のように白く、さらにその肌を純白の薄布一枚まとうだけという姿。隠されているはずの豊かな丘陵の頂点や女性自身などすら見えてしまいそうなほどに薄い。だが、その女性は恥らう様子もなく、そして寒がる仕草すら見せず、ただ冷徹な視線でザイルを見下ろす。

「せっかくお前を利用して、ポワンから春風のフルートを奪ってやったと思っていたのにねぇ。このような人間の子どもごときにやられるとは……」

「ど、どういうことですか、女王様!?」

 未だ状況を飲み込めず、説明を求めようとするザイルに、雪の女王と呼ばれた女性は心底軽蔑したように嘲る。

「まだ気付かないのかえ? 妾はお前を利用しただけだよ」

「な――!?」

 あっさりと告げられた事実に、ザイルが固まる。

 そんな反応を楽しむように、くすくすと口元を隠して微笑む。

「春風のフルートを奪わねばならぬと考えていた所に、面白い勘違いをしていた小僧っ子がいたからのう。まあ見世物としては、中々面白い物であった、誉めてつかわす。春風のフルートさえ無ければ、ポワンは春を呼べぬ。呼べぬゆえずぅっと世界は冬のまま。そう、この美しい銀世界のままなのじゃ……」

 両腕を広げて恍惚とした表情となる雪の女王に、肩をぶるぶると震わせたザイルが襲い掛かった。

「ちっ……! ち、ちっきしょおおおお!」

 騙されていた。

 利用されていたに過ぎなかった。

 己の不甲斐なさ。

 無関係の者を傷つけてしまった後ろめたさ。

 そんな自身の行動を嘲笑う雪の女王に対する怒り。

 ないまぜになった感情を原動力とするかのように、ザイルは宙に浮かぶ雪の女王めがけて飛び上がる。

「ふん……」

 だが、雪の女王が腕を一払いするだけで、あっさりといなされてしまい、無様に背中から落下した。

「ドワーフの小僧ごときが、妾に敵うとでも? その不遜、万死に値する」

 ひゅう、と雪の女王の周りで寒風が吹き荒び――指揮者のような手つきで風を操った女王が、それらに指向性を持たせ、ザイルに叩き付けんとする。まともに受ければ、一秒もたたずに氷漬けにされるだろう。

「ガアアアアア!!!!」

 だが、最後の指令を下す直前、プックルが女王の横合いから飛び掛かる。

「ベビーパンサーか……まさかお前も、妾に逆らおうというのか?」

 ザイルと同様、軽くいなされ――しかしこちらは四足獣らしく、すぐさま身体を反転させて見事に着地した――プックルは、殺意をむき出しにした視線と唸り声で、女王を威嚇する。

「羽虫ごときが!」

 ザイルとプックルの態度に、女王は侮蔑を隠そうともしない。

「いいだろう。お前たち全員、妾自らがここで始末してやろう!」

 先の比でない寒風が、女王の周囲で吹き荒んだ。

 

 

「アベルさん! アベルさん、しっかりしてください!!」

「う……」

 ザイルとプックルが必死になって雪の女王と応戦する中、辛うじてアベルの身体をひきずって、フローラはその圏内から逃れていた。

 そして容態を確認するが――酷い。

 恐らく氷柱は内臓のいくばくかをも傷つけている。更に動脈をも傷つけている可能性もあり、下手に引き抜けば失血死しかねなかった。

「や、やくそうを……!」

 うわ言のように呟き、震える手で袋からやくそうを取り出す。だが、この傷はもはや薬草で治せる範囲などとう超えていた。フローラ自身もそれを頭では理解している。だがそれでも、フローラに出来ることはこれだけしかなかった。

 ザイルのときのような不意打ちでもない限り、雪の女王にはフローラでは有効打も与えられないだろう。

 だからこそ、必死にアベルの治療を行い――それが半ば、無駄な行為であると自覚しつつも――やくそうを使い続ける。

 だが、そもそも傷の原因である氷柱が刺さったままなのである。フローラの治療など、焼け石に水にもならない。

「ぁ……は、ぁ……っ!」

 そうしている間にもアベルの顔色は悪くなっていき、呼吸も弱々しくなっていく。

 仲間の少年が弱っていく様に、そんな現状に打つ手がない自分自身に対し、フローラは絶望感に打ちひしがれる。

(なんで……っ、なんで私は、回復呪文が使えないの!?)

 ブーメランを操り、時には真空呪文までをも唱えてモンスターを倒してきたアベル。

 だがフローラは、そんなアベルとは異なり、呪文を使う事ができなかった。

 無論、富豪の娘として恥ずかしくない教育を受けているフローラは、呪文に関しても一通りの知識は学んでいる。

 だが、実際に呪文を使ったことがなかった。

 いくら唱えても、初歩の回復呪文であるホイミすら使えなかったのだ。

 呪文にも適正はあり、成長すればより強力な呪文を使えるようになる事もある、と呪文の教師も慰めてくれた。そしてフローラ自身も、その当時には、呪文を使えぬ己に腐ることなく、出来る事を頑張っていこうと、深く気にしてはいなかった。

 だが今、この現実を前にして、フローラは呪文を使えない己自身に、これ以上ないほどの絶望感に襲われていた。

「ホイミっ!!」

 アベルの傷口に手をあて、無駄と知りつつも苦し紛れに唱える。

 だが、フローラの手に回復の光が宿ることはなく、アベルの容態にも変化は無い。

「ホイミ……ホイミ、ホイミ、ホイミッ!!」

 何度も唱える。

 だが、やはりフローラの手の中に光は生まれず、アベルの傷が塞がれる事はなかった。

 それどころか、この低気温の中で血を失い続ければ、遠からず命を落とす事になるだろう。

「あ……あ……あ……!!」

 やくそうでは追いつかない。ホイミも使えない。

 焦りが焦りを呼び、精神が定まらず、集中もままならない。

 プックル達もいつまでも雪の女王を抑えられるわけではないだろう。ましてやこちら側は一戦を交えた後。対して雪の女王は万全の状態で襲ってきているのだ。逃げるにしても、この状態のアベルを背負い、不安定な氷の床で女王から逃げるなど不可能だ。

「なんで! なんで! なんで……っ!! 治れ! 治れ! 治れ治れ治れ治れ! お願い、治ってぇ!!」

 ビスタ港で出会った少年。妖精のむらで再会したときの嬉しそうな笑顔。氷の館への道中での励ましの言葉。

 回復呪文に何より必要な物は、治したいという心。

 この少年を助けたいというその心は何よりも強いはずなのに、その少年の顔からどんどん血の気が失せていく現実を前にして、フローラの思いは空回りを繰り返す。

 ただでさえ苦手とする呪文。高度な精神集中を要するそれを、今のフローラが使えるはずがなかった。

「――て」

 焦り、眼の端に涙を溜めたまま、必死に効果へと至らない呪文を唱え続けるフローラに、囁かれる声。

「!?」

「フロー……ラ、ちゃん……逃げ、て……」

 か細い声で、だが、確かに聞こえた。

 アベルが、自分の状態など顧みず、逃げろと告げてくる。

「ぼく、と……プックルが、抑える、から……」

 緩慢な動作で、アベルは自身の傷へと手を添える。

「――ホイ、ミ……」

 口元が、かすかに動き、同時に掌へと光が生まれた。アベル自身がホイミを使ったのだろう。だが、その回復の光は今にも消えてしまいそうなほどに弱々しく、とても傷を治しきれるものではなかった。

 それでも、アベルは諦めていない。傷を治し、プックルと共に敵へと立ち向かう気なのだ。

「~~~~~~~~~っ!!」

 そんな状態の少年を見て、そんな動作を見て、フローラは、自身がこれまでに抱いた事がないほどの怒りに囚われた。

(私は……っ! 私は、まだ、何もやってない!! なにも出来てないっ!!)

 やくそうでは間に合わない。

 ホイミも使えない。

 アベル自身のホイミも、効果が弱すぎる。

「わたしは……わたしはっ……! わたしが、アベルさんを助けますっ!!」

 ただ純粋に、それだけを願う。自身の命と引き換えにしてでも、この少年を助けてみせる。

 温室育ちでありながらも、かつて無いほどにまで心を追い込まれたフローラは、今この瞬間、その一点にのみ、思考を、精神を引き絞った。

 アベルと己。それ以外の全てを外界として意識から断絶し、些事と捨て置く。

 必要な認識は唯一つ。要する集中も唯一つ。

 ビスタ港の事。船に乗った後の事。故郷に一度帰ったときの事。妖精のむらで再会した事。ここに来るまでに励ましてくれた事。

 それらをすら、思考から切り離した。

 『アベルを助ける』

 その一心にのみ全霊を捧げ、フローラはアベルのわき腹へと手を添える。

「…………」

 この時、フローラは半ば忘我状態へと陥っていた。

 自分自身が何をしているのか、はっきりとした意識に基づかれた行動を取っている訳ではない。

 そんな自意識をすら内の隅へと押し込んで、ただ一点へと引き絞られる精神。

 一種のトランス状態へと陥り――それゆえにフローラは、自身の全身が淡い光を放っていることにも気付いていなかった。

 それは金とも銀ともつかない不思議な光。

 見るだけで安心感を与えてしまいそうな優しい光。

 その光は、フローラが伸ばした腕からも放たれている。

 傷口に手が触れる。わずかにアベルが顔をしかめ、呻き声を漏らした。

 その反応に、どくんとフローラの内で、鼓動が一際激しく脈打つ。

 だが、そんな鼓動とは裏腹に、フローラの精神は奇妙に落ち着いていた。

(助ける……私がアベルさんを、助けてみせる!!)

 思いはただその一点のみ。

 どこまでも純粋に、ただ一心にそう念じ続ける。

 フローラの思いに呼応するように、どくん、と身体が熱くなる。内側で、かっと胎動する力強い熱を感じた。

 熱は暴れ狂うように身体中を駆け巡り……やがて追いやられるようにフローラがかざした右手へと集っていく。

 かざした先の氷柱が溶け出し、隙間が生まれる。

「ぁ、ぅ……!」

 空いた隙間から、勢い良く血が噴き出した。

 アベルがその激痛に身をよじらせ――その様を直視しながらも、フローラは一切動じなかった。

 不安も、焦燥も無かった。出来て当然だと、頭の片隅で理解していた。

 故にフローラは迷う事無く、傷口に手を添え、その呪文を唱えた。

「――ベホイミ」

 フローラの手から、アベルのホイミを遥かに凌ぐ強烈な回復の光が生まれ、傷口を優しく包み込んだ。

 

 

「このおおお!」

「ガゥッ!」

 ザイルとプックル。

 二人の即席の連携攻撃を、雪の女王が弾き飛ばす。

「しゃらくさいわ!!」

 あっけなく吹き飛ばされ、それでも空中で体勢を立て直し、揃って氷の床へと着地した。

「くそっ……大丈夫か、お前」

 息が上がり、ザイルの肩は激しく上下していた。そしてそれは、プックルも同様。間合いを取った隙に、ザイルは己とプックルにホイミをかける。

(今ので、打ち止めか……)

 ザイルはドワーフである。呪文も多少扱う事も出来るが、あくまでそれは補助手段に過ぎない。備え持つ魔力も豊富というわけではなく、簡単なホイミですら、そう何度も唱える事はできなかった。

 そして今のホイミで、ザイルは己の魔力が尽きたことを自覚した。

 格下の相手であればマホトラで魔力を奪う事は出来る。しかし雪の女王相手では通じないだろう。

「さあ、まとめて凍りつくが良い!」

 ザイルとプックルの前で、雪の女王が大きく息を吸い込んだ。

 背を反らし、胸を膨らませ、きっ、と二人を睨みつける。

「カアアアアアアアアア!!!」

 凍りつく息。その吐息は非常に広範囲へ冷気を叩きつけるため、完全に避けることは難しい。

 遠距離から徐々に体力を奪い、確実に仕留めるつもりなのだろう。

 ザイルが少しでも直撃を避けようと身構えた瞬間、プックルとの間に割って入るように飛び込む影。

「バギ!!」

 高らかに唱えられた真空呪文が、凍りつく息と真っ向からぶつかり合い――そして相殺した。

 凍りつく息とともに吐き出されていた氷の破片が勢いを失い、雪の女王とザイルたちとの間へと散らばる。

 光を反射する欠片が舞い散る向こう側、ザイルは雪の女王の顔が驚愕に歪んでいるのが見えた。そしてそれはザイル自身も同じこと。

「お、お前……!?」

 慌てて視線を横に移し、今しがたに真空呪文を唱えた少年の姿を捉える。

 紫色のターバンと同色のマント。ターバンの下から長く伸びた黒髪。

 表情はきりりと引き締められ、瞳は怒りに燃えている。

「馬鹿な。あの傷で……?」

 信じられない、と言わんばかりに呆然と呟く女王。

 その言葉を否定するように、復活したアベルは一歩、前へと進み出た。

「ふん、死にぞこないが!」

 左手をかざし、先ほどアベルを貫いたものと同様の氷柱を生み出し、投げつける。

 一直線に向かってくる氷柱。だが、アベルは無言のまま棒立ちの姿勢で、避ける素振りを見せなかった。

 やった、と女王が勝利を確信し。

 やられた、とザイルは思わず眼を背け。

 その場ではプックルのみ、激突の瞬間、アベルが淡い蒼の輝きを纏ったことに気付いた。

「な――?!」

 数瞬後、女王とザイル。二人の口から、全く同じ驚愕の声が漏れ出た。

 アベルに突き刺さらんと向かってきた氷柱が、激突の直前に、粉々に砕かれたのだ。まるでより固い物へと自ら激突したかのように。

「スカラか!?」

 自身も同様の呪文を扱う事の出来る雪の女王が、その正体を看破する。

「プックル、ザイルも……心配かけてごめん」

「お、お前、大丈夫なのか?」

 ザイルの脳裏には氷柱に腹を貫かれ、瀕死の重傷を負ったアベルの姿が焼きついている。

 だが、今に目の前に立つアベルの腹部は氷柱に貫かれた部分の服が破れ、周囲には血の染みがついていたものの、肌は完全に再生されていた。

「うん。フローラちゃん、ふたりの回復もお願い」

「はいっ」

 いつの間にか近寄ってきていたフローラが、ザイルとプックル。二人の身体それぞれに手を当てて、ベホイミを唱える。みるみる内に傷が癒され、体力も回復した一人と一匹は、驚きながらもアベルと共に雪の女王へと再び相対した。

「ふん、調子に乗るでないぞ」

 己へと向き直る者達に、雪の女王は侮蔑を吐き捨てる。

 同時に、その身体がアベルのそれと同種の光に包まれた。

「復活したとていい気になるでない。貴様らごとき小童どもなど、何人揃おうが妾の敵ではないわ」

 その言葉に、アベル達も身構える。

 確かにザイル、プックルを同時に相手取ってなお余裕のあった相手だ。

 しかもスカラまで使った事で、生半可な攻撃は通らなくなっている。

「あ、あの!」

 アベル達にだけ聞こえる程度に、フローラが小声で囁いてくる。

「一つ試させてくださいっ!」

「無駄口を叩いていていいのかえ!?」

 フローラの案に耳を貸しかけたアベルたちに、雪の女王は凍りつく息を吐きつけた。

 それまでの威力がお遊びであったと言わんばかりの、猛烈な氷風。もはや凍える吹雪に近い威力を持つそれを、アベル達は散開することで慌てて躱す。

「ふ、フローラちゃん。そんなこと本当にできるの!?」

 避けつつもフローラと近い場所へと移動したアベルが、攻撃前にほんのわずかだけ聞こえてきたその案を確認する。

「だって、さっきまでだって、そんな呪文使えたことが……」

「いえ、できます! 私を信じてください!!」

 アベルを押しのけるような力強い首肯。

 そして奇跡を起こして己を救ってくれた少女の視線に、アベルも覚悟を決めた。

「ザイルッ!」

 十歩ほど離れていたザイルへと叫び、反応を得るよりも早く右手を掲げ、守備力増強魔法をかける。

「頼む!」

「ちっ……しょうがねえ、やってやるよ!!」

 純粋な肉体性能と氷床という環境を加味すれば、アベル達の中で最も雪の女王と渡り合えるのはザイルである。スカラをかけられたザイルは己の役割を理解し、一気に氷床をヒビが走るほどに踏み込み、雪の女王へと肉薄した。

「オラオラオラオラオラァ!」

「小童が! 図に乗るな!」

「うっせえ! よくも騙してくれやがったな!!」

 斧を振るい、殴り、蹴り、あらゆる攻撃手段を雪の女王へと叩きつける。

 だが、その効果は限定的であった。

 元より、スカラのかかっている雪の女王に直接の打撃攻撃は効果が乏しい。

 ザイルにもアベルが同じ呪文をかけているとはいえ、地力の違い――魔力上でも、恐らくザイルにかけられたスカラの方が先に解けるだろう――も相まって、足止めが精々の所だ。

 だがそれでいい。その足止めこそが、アベル達の目的なのだから。

「ルカナぁン!!」

 フローラの唱えた守備力低下呪文の叫びが、氷の館に響き渡った。

「な――!?」

 次いで上がったのは、雪の女王の狼狽の声。

 雪の女王を覆っていた蒼の輝きの、その更に周囲に紫の光が生まれたのだ。

「こ、これは……!」

 紫に触れた蒼は、途端にその光を弱めていき――雪の女王の守備力を、通常のものへと落としこむ。

「くらえぇ!」

 突如として落ちた守備力。その驚きによって生まれた隙を見逃さず、ザイルの拳が女王を腹部を捉えた。

「プックル!」

「ぐああああぁっ!」

 アベルの叫びに応えるように、ベビーパンサーが牙を閃かせて雪の女王へと襲いかかる。

 ザイルの一撃で肺からは完全に空気を追い出され、さらにその首元へプックルが牙を突き立て、酸欠状態に陥った雪の女王が眼を見開かれ、動きが完全に止まる。 

「やあああああ!!」

 そしてアベルの投げ放ったブーメランが、大きく迂回し――無防備となった雪の女王の後頭部を、的確に撃ち抜いた。

 

 

「世話になった、な。……すまなかった」

 雪の女王を退け、今度こそ誤解が解けたザイルが、目をそらしながらも謝罪の言葉を口にする。

「それにしても驚いたよ。お前、ルカナンやベホイミなんて使えたんだな」

「いえ、それが無我夢中でベホイミが使えるようになって、そうしたら「これも出来るはずだ」って、不思議と思えまし……て……」

 感心した声を上げるザイルに、フローラが恥ずかしげに畏まり――ふらり、とよろめいてしまう。

「だ、大丈夫、フローラちゃん!?」

「あ、す、すみません……」

 アベルが慌てて身体を支えてくれたアベルに謝罪するフローラの顔は、心なしか青くなっていた。

「これで終わりだって、ほっとしたら、何だか頭がぼーっとして……」

「……無理ないよ。あんな呪文を何回も使ってたんだから」

 ベホイミやルカナンといった使った呪文は、いずれも中級に位置する呪文だ。威力はアベル達が使っていた初級呪文よりも高い分、消費する魔力も大きい。

 ましてやフローラは、これが初めて使えた呪文だというのに、それを回復やサポートのために何度も使っていたのだから、身体が休息を求めてたとしても無理は無い。

「とにかく今は、早く村へ帰ろう。――ザイル、春風のフルートはそこにあるの?」

「ああ、こいつの中だ」

 もう大丈夫だ、と身体を離すフローラの横で、アベルはザイルが指し示した木箱をゆっくりと箱を開く。

 中には見事な装飾が施された一つのフルートが仕舞われていた。全体は銀で造られ、金の紋様が管と平行になるように幾筋も走り、歌口側の先端には、翼を象った意匠も施されている。

 アベルは美術品の真贋、価値を見極める鑑定眼など持っていない。だが、そんな知識とは全くかけ離れた場所で、ただ純粋に美しいと思える、そんな楽器であった。

「これが……」

「綺麗……」

 傍らから覗き込んだフローラも同様の感想を抱いたのか、ただただその美しさに感心している。

「ふみっ!」

 しばし見とれていた二人であったが、焦れたようなプックルの鳴き声に、はっと我に返る。

「そ、それじゃあ――」

 妖精の村へ帰ろう。そうアベルが言いかけた瞬間、ゴゴゴ、と氷の館全体を揺るがすほどの地鳴りが起こった。

「な、なんだ!?」

「!? ――階段が!!」

 周囲を見回して固まるアベルの横で、フローラが悲鳴に近い叫び声を上げる。フローラ示した先――のぼってきた階段が、ガラガラと音を立てて崩れていったのだ。

 崩壊は更に範囲を広げてゆき、徐々にアベル達の居る箇所にも近づいてくる。

「そっか……! ここ、元々は雪の女王の領域だ! その女王がやられちまったから……!」

「ど、どうしよう!?」

「も、もうあんな崩れた階段からじゃ、降りられません!」

 パニックに陥りかける人間の子ども二人の前で、しかしドワーフとモンスターの子どもたちは冷静だった。

「ここはもう飛び降りるしかねえ!!」

 ザイルの宣言に、その通りだと言わんばかりにプックルも、みゃお! と短く鳴いた。

 氷の館の二階は、言わば建物の屋上のようなもの。屋根はなく、端には落下防止のため、申し訳程度の柵があるばかり。

 柵まで何とか近づいてみれば、崩壊しつつあるためか、逆に氷の館の壁にも歪みが生じ、僅かながら足場と出来そうな箇所も見受けられた。

 確かに、それらを頼りに降りてゆく事が出来れば、脱出も可能だろう。

「行くぞ!!」

 いの一番に宙へと身を躍らせたのは、ドワーフのザイル。アベルとの戦闘や、雪の女王との共闘で見せ付けた運動神経を遺憾なく発揮し、だん、だん、だん、とそれこそ駆け下りるような勢いで飛び降りていく。

「す、すごい……」

 さすがドワーフと感心したいところであったが、アベルはもとより、フローラにもあのような真似はできそうにない。

 手足の伸びきった大人であれば多少の怪我を覚悟し、飛び降りることも出来たかもしれない。しかしアベルもフローラも、まだまだ成長途上の子どもである。しかも二人とも、子どもの中でも小柄な部類に入る。フローラより少しばかり背が高いアベルでさえ、パパスの腰に届くかどうか程度の身長だ。つまり、大人が感じる二倍近い落下への恐怖を、今の二人は抱えている事になる。

「…………」

 互いに無言のまま、下で着地したザイルを見下ろす。

「何やってんだ! 早く来い、崩れっちまうぞ!!」

 ひょっとすると、アベルたちもこの程度は出来ると考えたためにアベル達を顧みず――むしろ先陣を切るつもりで――真っ先に飛び降りたのだろうか。

 だが、とてもではないが、アベルもフローラも、飛び降りる勇気を持てない。しかし、そうしている間にも、氷の館はどんどんと崩壊している。

 今にアベルたちが立っている場所とて、次の瞬間には崩れてしまってもおかしくないのだ。 

 アベルはフローラの顔が恐怖の他、疲労でも青ざめているのがわかった。

「ガゥッ!」

 焦燥感に身を焦がしつつ、それでも踏ん切りをつけられない二人に焦れたように、プックルが勇ましい鳴き声を上げた。

 そして、二人の前に背を向けて立つ。

「え? プックル……?」

 早くしろ、と言わんばかりに尾を振り上げるプックル。

「もしかして、掴まれって事?」

 その言葉を肯定するように尾が一際大きく揺れた。恐怖はある。だが、任せろ、と言わんばかりのプックルの瞳を信じ、アベルも覚悟を決めた。

「フローラちゃん!」

「え……? で、でも……」

「いいから!」

 未だ決心のつきかねるフローラの手を、ぐい、と引いて抱き寄せる。

 既にすぐ側の床まで、大きなヒビが走ってきていた。もはや一刻の猶予もない。

「お願い、プックル!!」

 友を信じ、フローラをプックルの胴体に掴まらせ、さらに覆いかぶさるようにして、アベルもまたプックルの胴体に掴まった。

「フウウウウウウウ……!!」

 威嚇のような、牙で振るわせた呼吸。

 もり、と抱きしめた腕の下で、プックルの筋肉が一際大きく盛り上がったような気がした。

「オオオオオオン!!」

 そしてプックルは、子ども二人を掴まらせているとは思えないほどに力強い動きで、先のザイルと同様、宙へと身を躍らせる。

「っ……きゃあああああああ!!!!」

「~~~~~っ!!」

 襲い来る落下の感覚にフローラが悲鳴を上げ、アベルは一層プックルの身体ごと、フローラの身体を抱きしめた。

 だん、と大きな衝撃。それは、プックルの前足が壁の盛り上がりを捉えた音。下半身は、アベルたちが捕まっているために思うようには動かせない。にも関わらず、プックルは上半身――前足の二本のみで、的確に壁の着地点を捉え、バネを最大限に活かして衝撃を殺し、また次の地点を見定める。

 宙にいた時間はほんのわずかだったのろう。だん、とプックルの前脚が伝えてきた衝撃も、アベルも五回以上は数えていない。

 最後に一度、一際と大きな衝撃が伝わり――そしてくるりと身体が回ったかと思うと、浮遊感が無くなり、プックルとフローラの身体ごしに、固い大地の感触が伝わってきた。

「ぼさっとすんな! 離れないと、巻き込まれるぞ!!」

 頭の上からかけられる焦った声。

 その声に慌ててアベルはプックルから身を起こし――腰が抜けてしまったらしいフローラを背負い、一行は氷の館を脱出した。

 

 

「アベル、フローラ、プックル」

 万感の思いを込め、ポワンは三人の名を呼ぶ。そしてゆっくりと見回した。

「よく……本当によく、春風のフルートを取り戻してくれましたね」

 その手には、しっかりとフルートが握り締められていた。にこりと微笑むその表情は妙齢の女性でありながら、どこか少女のようでもあり、アベルとフローラは照れ臭そうに視線をそらす。

 なお、既にザイルはこの場に居ない。共に氷の館を脱出した後、真っ直ぐに村の西の洞窟へと帰っていったのだ。

 今頃はお爺さんにこってりと絞られていることだろう。ポワンもザイルを咎める気は無いのか、アベルたちの報告を聞いた時も「そうですか」と頷いただけであった。

「何かお礼をしなければなりませんね……」

 側仕えの妖精と共に思案顔になるポワンに、アベルたちが慌てて両手を振る。

「お、お礼なんていいですよ!」

「あのまま私たちの世界にも春が来なかったら、困った事にもなったんですし!」

 恐縮だ、と言わんばかりの態度に、ポワンはむしろ驚いたように細い指を揃えて口元を覆う。

「まあ、お礼もいらないと……ですがそれでは、私の気が済みません」

 それからポワンはしばらくの間、俯き加減に思案していたが、やがてゆっくりと顔を上げる。

「――では、あなた達がこのさき大人になって、何か困ったことがあった時には、再び私たちを訪ねてください。その時に力になることを約束します」

「あ、ありがとうございます!」

「そしてもう一つ――」

 え? と意外そうに頭へ疑問符を浮かべる二人とプックルに対し、ポワンは右手の人差し指と中指をそろえ、口元へ寄せる。

 ふっ、と指先に吐息。そして二本の指をそろえたまま、右手をアベル達に向ける。

 ふわり、と暖かい風。そして甘い香りが鼻孔をくすぐった。

 心安らぐような空気が、アベル達の全身を包む。

 うっとりと目を細めるアベルとフローラの傍らで、プックルも気持ち良さそうにごろごろと喉を鳴らしていた。

「あなた達に『祝福』を施しました」

「祝福?」

「あまり強い力ではありませんがこの先、あなた達が揃って何か危機に遭ったとき、僅かながらも力となってくれるでしょう」

 にっこりと微笑むポワンに、アベル達はもう一度、深々とお辞儀をした。

「これで春を呼ぶことができます……本当にありがとうございました。アベル、プックル、フローラ。あなた達も、それぞれ元の場所へお返ししましょう」

「あ――ちょ、ちょっと待って!」

 ポワンがフルートに口をつけ、今まさに吹かんとした瞬間にアベルが声を上げる。

 どうかしたのか、というポワンや周囲の妖精たちの視線を振り切って、アベルはフローラへと向き直った。

「あ、あの、フローラちゃん。あの、僕が氷柱にやられちゃった時、助けてくれてありがとう!」

 まだお礼を言っていなかったから、と頭をかくアベルに、フローラがむしろ申し訳なさそうに表情を曇らせる。

「そんな……私の方こそ、アベルさんとプックルさんに、お世話になりっぱなしで……」

「そんなことないよっ! フローラちゃんが、ぼくよりも凄い回復魔法を使えたし、ルカナンまで使えるようになったから勝てたんだもん!」

 みゃん、とプックルも同意する。

「あ、ありがとうございます」

 頬を紅くしながらも、称賛にはにかむフローラ。

「あ、あと……えっと、その……」

 いつまでもポワンを待たせる訳にもいかない。

 だが、まだ言い足りない言葉がある。

 初めて会ったときの胸の高鳴り。妖精の村で再会した嬉しさ。

 それをはっきりと言葉で告げたい。お礼という訳では無い、もっと別の何か。

 だが、今のアベルは、まだ己のその感情をなんと呼ぶか、全く分からなかった。

「また……また、会おうね! 会ってまた、今度はもっとすごい冒険に一緒に行こっ!」

 結局、出てきたのはそんな言葉。

 フローラもその言葉にびっくりしたように眼を見開いたが、やがてにっこりと微笑み、そして頷いた。

「――はい、アベルさん!」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「ふ~ん。ベラちゃんと会った時にお父さんたちもそんな風に会えてたんだ」

「本来なら会えない距離だったのに、妖精の村で再会できたなんて……すごくロマンチックです」

 レックスが感心したように、そしてタバサがうっとりと感想を漏らす。

 そんな子ども達の反応に、アベルが苦笑する。

「けど、子どもの時に会えたのは、本当にその二度だけだったなあ。後は十年以上、会えなかったから」

 妖精の村の一件が片付き、ラインハットでの事件を経て、アベルは光の教団の神殿建設のための奴隷となってしまった。

 死にそうな眼にも何度も遭い、その度に、時には偶然にも助けられながら生き延びることができた。

 思えば、あの劣悪な奴隷生活で生き延びることができたのは、ポワンの『祝福』のおかげなのかもしれない。

「えっと……確か前にお母さんにちらっと聞いたんだけど、お父さんがあの神殿から出た時運び込まれた修道院って、お母さんが居た所なんだよね?」

「ええ。でも、ほとんど入れ替わりみたいな形で私もサラボナに戻っていたから、あの時は、まさか担ぎ込まれた三人の中にいただなんて考えもしなかったわ」

 息子の言葉に、フローラも首肯する。

「僕の面倒を見てくれたのは、別のシスターだったし、目を覚ました時にはフローラはもうサラボナへ戻っていたからね。そこからラインハットの事件をヘンリーたちと解決して、ビスタ港から別の大陸に進んで……」

「その先のサラボナで、きちんとお母さんと再会できたんだね!」

 レックスが、冷やかすように言う。

「……あの、お父さん」

 しかしそこへ、しばらく考えこむ仕草を見せていたタバサがおずおずと声を上げた。

「どうしたんだい?」

「お母さんとは妖精の村で会えたんですよね? じゃあ、デボラお姉さんとはそのビスタ港で一度会ってから、サラボナまで一度も会えなかったんですか?」

 しかし、その問いかけにアベルはゆっくりと首を横に振った。

「……いや、実はその前に一度会ってるんだ」

「あら、私も初耳ですわ?」

 意外そうな声を上げるフローラ。

 そんな妻の反応、そして興味をそそられたらしい子ども達の顔を見て、アベルは、また、ゆっくりと語り始める。

「――あれは、カボチ村でプックルと再会できて少し後、ルラフェンの街で依頼を受けた草を取りに行ったときだった」

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