蒼髪の花嫁   作:赤城 希衣呂

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第五話 ~サラボナ(前編)~

「外だあ! ひゃっほーい、久しぶりのお日さまがまんぶし~い♪」

 己の肩の上でぴょんぴょんと跳ねるスラりんに苦笑しながらも、アベル自身もまた数時間ぶりの日光を全身に浴びて大きく息を吐いた。

 ルラフェン南の洞窟――サラボナとルラフェンを繋ぐために整備されたそれを抜けきったアベルは、改めて西方の空へと目を向ける。洞窟の周囲は鬱蒼とした木々に覆われていたものの、それらを突き抜けるかのように、一際高くそびえる塔が彼方に確認できた。有事のための見張り台。そのふもとに広がるのが大陸西部の街・サラボナ。そして、このサラボナを実質的に統べる大富豪こそが、アベルの求める物を所有しているはずだった。

 道中に立ち寄った噂のほこらでも、アンディからの情報を裏付けるように、大富豪ルドマンの噂を聞くことが出来た。曰く、ルドマンは、かつて伝説の勇者が装備していた『天空の盾』を所持しているとのこと。ルラフェンでのアンディからの情報だけではない。ルラフェン南部、ちょうどサラボナをつなぐトンネルの手前に設けられた宿泊のほこらでも、その話題を耳にすることができた。

 オークションでとんでもない額で競り落としたらしいぞ。

 いやいや、ルドマンこそ勇者の仲間の末裔で、正当に受け継がれてきたものだ。

 とんでもない! ルドマンは大盗賊の子孫で、盗んだ盾の所有権を主張しているだけだ!

 ほこらでも酒の入った男たちが好き勝手に盾の由来を予測していたが、由来自体にまでアベルも拘るつもりはない。

 要は、ルドマンが『天空の盾を持っている』という事実が重要なのだから。父が見つけた天空の剣に続く第二の手がかり。アベルの旅の目的そのものといってもいいこれを見逃す手は無い。

(ただ、もう一つ気になる噂もあるんだよね……)

 そしてほこらの中では、アベルは盾と同時にもう一つの噂を耳にしていた。

 否、むしろ話し合う者達にとってはそちらこそが本命。盾の話題など、これに比べればまるで添え物扱いといっても差し支えないもの。

 それは富豪ルドマンが娘の婿探しを行う、というものであり、これこそが、ほこらで持ちきりとなっていた話題だった。そしてこの噂を耳にした時、同時にアベルはアンディの別れ際の煮え切らない言葉に納得がいった。

(アンディさんは、その婿探しに募集するつもりなんだろうか)

 とても器量が良く、どこに出しても恥ずかしくない娘だそうだと、ほこらでも口々に噂されていた。

 なんでも幼い頃から街一番の美人だと言われ、所作や立ち振る舞い、礼法を学ぶために遠く離れた修道院にまで寄宿していたとのこと。適齢期になり、ルドマンが修道院から彼女を呼び戻した時には、まさしく「良家のお嬢様」という言葉を体現するほどに美しく成長していたらしい。ほこらでは皆が――特に男性陣がおおいに――その話題で盛り上がり、一体どんな人だろうか、いやいや、そんな人の婿になるには、そもそもどんな事をしなければならないのか、としきりに話し合っていた。

 ――兄ちゃんもこれからサラボナに行くって事は、もしかして玉の輿狙いかい?

 サラボナに向かうとアベルが告げた時には、ほこらで宿を経営する主人にまで、からかい混じりにそんな言葉をかけられるほど。

 その時には苦笑を返したものの、正直言えば、アベルにとってはさほどに興味を惹かれる話題ではなかった。

 父の意思を継ぎ、母を捜し、天空の装備を、勇者を探す。それが今のアベルにとっての至上命題。

 とてもではないが、今のままでは結婚などといった余裕はないし、そもそもこの危険な旅に付き合ってくれるような奇特な女性などまずいないだろう。とはいえ、ならば結婚そのものに興味が無いのかと問われれば、流石にアベルも否と答える。

 むしろ今現在においては、興味自体は常以上にあったと言っていい。

(……まさか、ヘンリーがマリアさんと結婚していただなんてね)

 なぜなら、つい先日に親友が結婚したという事実を知ったのだから。

 ルラフェンでベネット翁の協力のもと、古代の移動呪文を復活させた際、アベルは試運転先に――と思い浮かんだのは海を隔てた親友の国だった。偽大后を成敗し、祖国を建て直すために別れた十年来の相棒。ビスタ港での船の手配を最後に会う事もなくなっていたため、良い機会だと呪文を唱えていた。一陣の風となってラインハットへと戻ってみれば、アベルを待っていたのはヘンリーとマリアの結婚報告。顔見知りの兵士に案内された先で、照れ混じりのヘンリーの口から結婚を報告された時は本当に驚いてしまった。

 だが、新婚夫婦が浮かべていた幸せそうな表情に、アベルも心から二人を祝福した。きっとヘンリーはこれまで以上にラインハットの復興に尽力し、マリアもまた内助の功でそれを支えるだろう。心の奥底で、「もし、結婚するならこんな夫婦でいたい」と、薄ぼんやりながらも抱いていたアベルの憧れを、ヘンリーとマリアはそのまま体現していた。

「…………」

 故に無理だ、忙しい、縁がない……そんな理由で結婚など半ばあきらめつつも、同時に、もしも出来るのであれば、と、ふと夢想してみたくもなってしまう。

 もしも父も生きており、母もいて、このような流浪の旅の身ではなかったとしたら?

 サンタローズで、父と、母と、サンチョやプックルと共に暮らしていたのならば?

 そうであれば、自分も今ぐらいの歳には、そろそろ結婚を考えていたりしたのだろうか。

(もしそうだったら、僕は……)

 そこまで自身の内面を見つめ、考え……ふと一人の少女が思い浮かぶ。

 それは幼い頃に出会った蒼髪の少女。

 ビスタ港での出会い。

 そして、妖精の村での再会。

 ほんの二回だけの出会い。だがこの思い出は、アベルの胸の一番奥に大切に仕舞われている。

 そんな当時を思い返すことが、過酷な奴隷生活の中での数少ない慰みだった。あの思い出があったからこそ、生き延びることができたと言っても過言ではない。

(もし、結婚できるなら……)

 あの子と、「フローラちゃん」と、そんな関係になれるなら――

「ご主人。サラボナの街が見えてきたでござるぞ!」

 先導するピエールの声に、アベルは、はっと我に返る。そして、それまでの空想に自嘲めいた苦笑を浮かべてしまった。もう、彼女とは十年以上も会っていないのだ。そもそも、どこに住んでいるのかも、今に何をしているのかも分からない。十年という歳月は決して短くない。彼女の成長した姿を見ても、アベルにも分からない可能性も高い。そもそも、当の彼女もアベルの事など忘れてしまっていてもおかしくないのだ。

(あの子と同じ名前を、ほこらでも聞いちゃったからかな……)

 ヘンリー達の結婚報告に加え、ほこらで『その名』を聞いてしまったからこそ、こんな考えも浮かんでしまったのだろうか。

「アベル、どうしたの?」

 黙々と考え込んでいた主人が、いきなり頭を二、三度大きく振る姿に、肩のスラりんが、不思議そうに問いかけてきた。

「いや、何でもないよ」

 兎にも角にも、折角手に入れた手がかりなのだ。

 ルドマンも今のような時期が時期だけに相手にしてもらえないかもしれないが、それならば落ち着くまでこの街に滞在してもいい。ひとまずの顔見せのつもりでいいのだ。まずは調査だ、と気持ちを切り替え、アベルは仲間たちの馬車を守るよう頼み、ひとりサラボナの街へと入っていった。

 

 

「オオーン!」

「な、なんだ!?」

 街に入った途端、アベルは一直線に己へと突撃してくる白い塊に気が付いた。

「ワンワンワン!!」

 見る見るうちに近づいてくるそれは、じきに白い大型犬だと分かった。

 大型犬はアベルの足元にまで辿り着くと、舌を出し、尻尾をぱたぱたと振ってアベルを歓迎する。

「ん……どうしたんだい?」

「すみませーーん!」

 プックルにしてやるように、顎の裏をかいてやると、気持ち良さそうに目を細める。

 くぅん、と甘えた声を上げるその犬の首輪に気がつき、誰かの飼い犬なのか――そう思った矢先に、一人の女性が息を切らして近づいてくるのが分かった。

「はぁっ、はぁっ、す、すみません! リリアンが……うちの犬が、ご迷惑を――」

 謝りつつも、よほど全力で駆けて来たのか、女性は頭を下げて膝に手をついたままであった。

「いえ、暖かく歓迎してもらえたようで何よりですよ」

 そしてアベルも、白犬へと視線を落としたままに応じる。

 アベルの手がよほど気持ちいのか。白犬はしきりに顎をアベルの掌へとこすりつけてきた。

「あはは……ほらほら、君のご主人が迎えに来ているよ」

「も、もう、リリアンったら……初対面の方になんて失礼を――!」

 息を切らしていた女性が、怒ったように俯いていた顔を上げた。

 そしてアベルもまた、犬から女性へと視線を移す。

 その瞬間……

「ぁ……」

 ――互いの時間が止まった。

 アベルは眼を見開き、口も半開きになり、喉の奥から掠れた声が漏れ出た。

 眼前の女性は、美しかった。

 背中まで届く蒼髪は丁寧に梳かされ、上品なリボンがつけられている。服も上質なドレスで、やや落ち着いた衣装ではあったが、それが彼女の美しさを際立たせていた。

 蒼髪。そして優しい瞳。

 単に美しい、というだけではない。目を奪われたのは、つい先程にまで夢想した少女が、まさしく成長したと思える容姿であったから。

 色あせずにいた、そしてつい先ほどに強く思い出していた少女の大きな特徴を引き継いでいたから。

「ま、さか……」

 声がかすれた。喉の奥から絞り出すような声が、アベルの口から漏れる。

 ありえない。ただの他人の空似だ。偶然、似た人が現れただけだ。

 止まれ。躊躇え。恥を掻くだけだ。否定の感情が様々に入り乱れたが、それらの感情を押しのけるようにアベルは呟いていた。

「フローラ……ちゃん?」

 呟いた瞬間、やってしまった、とアベルは猛烈な後悔に襲われる。

 呟きと同時に、目の前の蒼髪の女性はびくりと身を震わせた。それはアベルの言葉を失礼と取ったからではない。

 蒼髪の女性はアベル以上に驚愕の反応をしめしており、アベルの顔を、姿を、立ち振る舞いを……確かめるように視線をゆっくりと上下させ――そして、恐る恐る口を開く。

「アベル、さん……?」

 女性の口から放たれた己の名。

 それを耳にした瞬間に後悔は吹き飛び、アベルは猛烈な安堵と懐古と親愛と、ありとあらゆる感情に全身を襲われた。

「本当に……本当に、君なの、かい?」

「はいっ……! アベルさんも……本当にアベルさんなんですね!?」

 一目見て分かった。先までの危惧など頭に無かった。彼女を一目見た瞬間に理解したのだ。間違いない。『彼女なのだ』と。

 幼年期の面影を強く残しつつも、美しい女性へと成長した彼女。

 幼いときの愛らしさはそのままに、女性として十二分に魅力的になった姿。大きな瞳。艶やかな蒼髪。身体は女性らしい丸みと膨らみを帯びながら、手足はすらりと伸びた体型。

 どこにいるのかも分からない。

 一目見ても分からないかもしれない。

 彼女も、もう誰かと結婚していてもおかしくない。

 サラボナに着く前の思考遊びは、どこかへ吹き飛んでいた。

 改めてフローラの姿をまじまじと見やり、アベルは無意識に、ごくりと喉を鳴らす。

 話すだけでは物足りない。もっともっと彼女を、彼女の全てを知りたい。幼年期にはあやふやで、自覚の無かった衝動。それが今、成長したアベルにとって、これ以上無い形で本能に訴えかけてくる。

 会って、話して、抱きしめて、そして――

「あ、あの……アベル、さん?」

 だがその衝動は、フローラの上目遣いと、躊躇いがちな声で内へと引き戻された。

「あ、アベルさんは、どうしてサラボナに?」

「ああ、いや、うん……」

 あまりにも予想外の望んだ再会。思考がまとまらず、舌がもつれて言葉にもならない。

 それでも何とか今は旅をしていることと、伝説の防具を探していることだけは簡潔に説明できた。

「そ、それで……サラボナのルドマンさんが、天空の盾を持っているって聞いて、ぜひ会いたいと……」

「そう、なんですか……父の……」

 フローラが僅かに落胆した様子を見せる。そこでアベルも違和感に気付いた。

「……ルドマンさんが、父?」

 フローラはこくりと頷く。

「はい。私はルドマンの娘ですから」

 その首肯に、アベルは雷に撃たれたような衝撃を受けた。

「つまり、その…………今、ルドマンさんが娘の婿を募集しているっていう話は……」

 その話題に、途端にフローラが気まずげに目をそらす。

「あ、あの……それは、私、に、なります……」

「あ、そ、そう、なんだ……」

 アベルも、それだけしか言えなかった。

 しばし互いに無言。うつむいたままに次の言葉を見つけられず、そんな二人の微妙な空気を察したのか、リリアンはフローラとアベルへと視線を行き来させている。

「と、とにかく……今に父にその話をしても、聞いてはもらえないかと思いますが……」

「あ、う、うん。でも……せめて一度、お会いする事だけでも、出来ないかな……?」

 それでもまずフローラが、次いでアベルもまた、努めて平坦な口調で会話を再開させる。

「そ、それでしたら、こちらへ……」

 ぎこちないながらも、フローラはリリアンを伴い、ゆっくりと屋敷へ先導する。

 その動きは硬く、だが、彼女を追うアベルの動きはそれ以上に硬かった。

 

 

 案内された屋敷に入ると、フローラには玄関で待つように言われた。

 大人しく待つ間にも、ついついフローラの事を考えてしまう。

(フローラちゃん……が、結婚)

 その相手を、探している。その事実を思い浮かべるだけで、思考がろくにまとまらなくなった。

 天空の盾を手に入れるためには、彼女の父であるルドマンに交渉しなければならない。

 ただでさえ、サラボナ一の富豪商人であるルドマンには出会う前からアベルも気後れを感じていたのだ。

 それに加えた今の精神状態では、まともな会話すらおぼつかないだろう事は、アベル自身もよく分かっていた。

(ああ、いや……当然じゃないか。さっきまで僕自身でだって考えていた。彼女はもう結婚していたっておかしくないし、それを僕はどうこういう立場じゃないって……。いやでも、まだ結婚はしていないわけだし、そもそも相手も決まっていないんだから……そ、そういえば、こんな状況じゃ、やっぱり天空の盾の話は聞いてもらえないかもしれないし、やっぱり出直そうか……うん、でも、せっかくだし先に顔をつないでおくだけでも……)

 よく分かった上で、なお思考がまとまらなかった。

「ん? あんたも希望者かい?」

 棒立ちのままに悶々と悩み続けるアベルへ、やや無遠慮ながらも声がかけられる。

「あ、い、いや、僕は……」

 おそらくはルドマン邸の女中なのだろう。

 アベルの身なりをひとしきりじろじろと観察した女中は、やれやれと溜息をこぼしながら、ぐいとその手を引く。

「さっさと入った入った! もう旦那様がおいでになるよ! ま、一応は希望者はとりあえず集まれって言ってるからね。案内したげるから、早く着いてきなさい!」

 違う、と否定する間も無く、アベルは女中によって強引に部屋へと押し込まれる。

 広く設けられた応接室と、いくつも並べられた椅子。そこには既に十人以上の男たちが腰掛けていた。

「あ……」

 突然の闖入者に、一斉に視線が注がれる。

 が、アベルが声を発するよりも早く、その視線は四散した。重苦しい雰囲気の中、誰も隣の者とすら談笑しようともしない。

 どうしたものか。すみませんと謝罪し、出て行こうか……一瞬そう考えたアベルであったが、同時にそれを躊躇う気持ちも確かにあった。

「――アベルさん?」

 戻るに戻れず、入り口付近で先のように棒立ちになるアベルに、戸惑い混じりの声がかけられる。

 アベルが声に反応してそちらへと視線を向ければ、そこには見知った顔があった。

「アンディ?」

 既知の存在を認め、アベルも落ち着きを取り戻して安堵の息をつく。

「久しぶりだね、元気だったかい?」

「ええ、おかげさまで。……それにしても、やはりあなたも立候補してきたんですね」

 余計な事言わなきゃよかったです、と苦笑するアンディ。だが、決してそこに邪な感情は無い。自身の失言を悔いながらも、アベルに対して含む物はないようであった。

「ああ、いや、その事なんだけど……」

 なんといったものか――考えを言葉にするより早く、アンディが顔を引き締めて口を開く。

「あなたもフローラの噂は聞いているのでしょう? そして此処に来られた。あなたは優れた実力をお持ちの方だ。けれど、それでも僕も負けるわけにはいきません。あなたの実力は先日のルラフェンで拝見していますが、誰であろうと僕は負けるつもりはありません!」

 その決意に、アベルが口を挟む隙もなかった。

「なんといっても、これは僕にとっても千載一遇のチャンスなんですから!」

 アンディもアベルはもとより、周囲へと聞かせるような決意表明だった。

 アベルが部屋に入ってきた時と同様、アンディへの一斉に視線が注がれるが、やはりじきに四散する。

「小さい頃からフローラとは一緒だった。そしてこれからも一緒に居たい。ルドマンさんがどんな難題を出そうとも、たとえ相手が誰だろうと、必ず乗り越えてみせます!」

 あるいはその言葉は、自身を奮い立たる事が、何よりの目的だったのかもしれない。事実、何名かの男たちは、アンディに気圧されるかのように、先よりも更にうつむき加減になっていた。まっすぐに言葉をぶつけてくるアンディにアベルは返す言葉を持たず、どうしたものかと思案していると、不意に二階へ通じる階段から恰幅の良い男性がおりてきた。

「諸君、よく来てくれた」

 集まった面々を見回し、鷹揚に頷く。

 禿頭や肥えた身体は年齢を感じさせるものの、大商人としての貫禄と風格を備えた壮年の男性であった。

(この人が、ルドマン……)

 アベルの記憶が正しければ、フローラと初めて出会った時に会っていたはずなのだ。しかしそれも既に十年前の話であり、ビスタ港の記憶は、アベルの中ではフローラの部分以外、酷く霞んでしまっている。

「娘、フローラの結婚相手を見つけるにあたり、条件を出させてもらおう。その条件とは他でもない、この大陸に眠る『炎のリング』と『水のリング』を見つけ出してもらいたい、というものだ」

 続くルドマンの言葉に、その場にいた者たちが一斉にどよめきだす。狼狽の雰囲気に、しかしルドマンはあくまで落ち着いた口調で続ける。

「皆も知ってのとおり、炎のリングはサラボナの南にある死の火山の中にあると言われている。危険だという事はもちろん前置きしておこう。ここでやめると言っても止めはせん」

「待って下さい!」

 階段から、もう一人が姿を現す。

「フローラ。お前は部屋で待っていなさいと言ったろう」

 その姿に先ほどとは別の意味で、広間の男たちが騒ぎ出した。

 同時に、アベルの鼓動も跳ね上がる。

 しかしルドマンは、集まった男達の反応は一個だにせず、顔をしかめて階下へとおりてきた娘をたしなめる。

 だが、そんな父の言葉をフローラは耳を貸そうとしない。

「お父様、いくらなんでもそのような事は危険すぎます!」

「確かに危険なものだ。だが、私にとっても安心して娘を任せられるには、これくらいの事はこなせる男であって欲しいのだよ」

 どうやらフローラにとっても試練の内容は予想外のものであったらしい。

 顔を青ざめさせ、必死に声を張り上げる。

「死の火山は危険な場所です! 皆さん、どうかもう一度よく考え直して下さい!」

 ざわざわ、と迷うようなざわめきと互いの視線のやり取りが男たちの間で交わされた。

 どうする?

 どうするったって……フローラさんとの結婚は魅力的だけどなあ……

 死の火山だなんて、命がいくらあったって足りやしないぞ?

 ああ。それに死の火山だけじゃない、水のリングだって見つけなきゃならないんだし……

 渦中にいたアベルには、周囲のやり取りがよく聞こえた。

 大方がフローラも止めていることだし……と、辞退の流れが形成されつつある中、一つの声が上がる。

「いえ、僕は行きます」

 アベルの隣から響いた声。アンディが決意を込めた眼で、ルドマンとフローラを見つめながら宣言した。

「アンディ!?」

 フローラのそれは、むしろ悲鳴に近いものだった。

「やめて、危険よ!」

「けれど、その危険を乗り越えてられれば君の夫になる資格が与えられる。……なら、僕は行くさ」

「で、でもっ……! それでもしもアンディに何かあったら――!」

 尚も言い募ろうとするフローラであったが、そこでふと――アンディの隣に立つアベルの存在に気が付いた。

「アベルさん!? え、あの、どうしてこちらの部屋に……?」

「あ、うん、その……」

 使用人の人に無理やり案内されて、僕は来る気は無かったんだ――そう言葉にしようとして、躊躇ってしまった。

 事実は全くその通りで、今からでも事情を話して降りることは、何はばかるものでもない。

 だが、それを理解してなお、アベルはそれ以上言葉を続ける事が出来なかった。

「僕は必ず炎のリングを、そして、水のリングを手に入れてみせます!!」

 そんなアベルとフローラのやり取りを遮るように、アンディが殊更に大きな声を上げた。

 そして今度こそ止める暇も無く、広間を飛び出していく。

「ぁ……!」

 フローラが手を伸ばそうとするが、その時には既にアンディは広間は愚か、ルドマン邸自体から飛び出していた。

 アンディが参加を表明した事で、残った男たちも迷うような素振りを見せつつ、三々五々に広間を後にしていく。

 しかし、広間を出るその表情を伺う限りでは、恐らくアンディ以外に死の火山へ向かう者はいないだろう。

「アンディ……」

 心配するようなフローラの呟き。

「言っても無駄よ」

 三度、階上から姿を現した者が居た。

「ああいう馬鹿は一度痛い目見ないとね……あら」

 盛り上げた黒髪に派手な服装。ルラフェンで見たときと寸分違わぬ自信に満ち溢れた所作で、デボラが姿を現した。

 フローラの隣に立ち、男たちが去っていった扉を呆れたように見つめ――次いで、唯一この場に残った男性であるアベルへと視線を向けた。

「アンタもいくの?」

「いえ、僕は……」

 どうしたものか、とルドマン、デボラ、フローラへ順に視線を向ける。

「命惜しかったらやめときなさい。あの辺はモンスターはもちろん、熱だって半端じゃないんだから」

「い、いえ、その! まず、僕はそもそもここに天空の盾があると聞いて……」

「うん? 君はフローラの婿になりに来たという訳ではないのかね?」

「ぁ……い、いえ……」

 ルドマンからの質問に、アベルは言葉を濁してしまう。

 当初の目的は確かにそれでは無い。

 だが、どうしてもその問いに対して明確に「違う」とは言えなかった。

「ならば、まずは火の火山へ向かいたまえ。確かに天空の盾は当家が所有しているが、あれは家宝。見ず知らずの旅人に見せる訳にも、ましてや売ったり譲ったりする事はできんのでね」

 君がフローラを婿に出来るだけの実力があれば別だが、と付け加えるルドマンに、アベルはそれ以上反論の言葉を持たなかった。

「……分りました」

 ルドマンは当然として、やはりデボラも十年前に一度ビスタ港で会った事など忘れているのだろう。

 むしろそれが当然である――アベル自身、ルラフェン西部でデボラと出会った時には全く思い至らず、フローラと再会できた事で連鎖的に思い出したのだから。

 とはいえ、成り行き上とはいえフローラ婿候補となった。家宝の盾も婿になればもらえるということ。

 ならば自身の旅の目的のためにも、まずは死の火山へ向かうべきであることは間違いない。

(けれど……)

 父に託された使命と、自身の内に生まれた衝動。

 今、死の火山へ向かう目的がそのどちらによるものなのか、他でもないアベル自身にも判断がつきかねていた。

 

 

 死の火山はサラボナの南東、峻険な岩山に囲まれるようにしてそびえている。

 位置的には南東なのだが、素直に南下しただけでは岩山に囲まれ、とても近づけない。そのため、比較的丘陵穏やかな南部から入り込む必要があった。つまりは、一旦海岸線近くまで南下した後、ぐるりと方向を変えて北上する必要があるのだ。

 無論、地形が険しいだけではない。ダークマンモス、ランスアーミーや爆弾岩など、サラボナ周辺よりも凶悪なモンスターが待ち構えている。

 何とか火山内部に潜入できたとしても、そこで一安心というわけではない。内部には更にモンスターは多数生息し、何より、絶えず流れるマグマと、そこから生じる途方も無い熱気が、アベル達を苦しめていた。

「う、う、うぅ~……」

 分厚い毛皮に覆われたイエッタが、死にそうな様子で馬車の中に転がっている。元々が寒冷なラインハット地方出身のイエッタには、この暑さは堪えるのだろう。さっきからしきりに冷たい息を吐いて馬車内の気温を下げようとしているが、周囲の温度に比べれば、完全に焼け石に水だった。

「あっじぃ……オイラ、溶けちゃいそう……」

 そしてスラりんもまた、そんなイエッタの側で、今にもバブルスライムになりかねないほどの有り様でぐたりとしている。

「…………」

 プックルも相当分厚い毛皮を被っているはずなのだが、こちらは『地獄の殺し屋』の意地なのか、しっかりとした足取りは崩さない。とはいえ、舌を出して荒く呼吸する様子からすると、相当に消耗しているようだ。騎士たらんと己を律しているピエールもまた弱音を吐くことは無かったが、跨っているスライムは今にも倒れこみそうなほどであった。

「それに……しても……炎のリングは……どこに……あるんだみゃ~?」

 ぱたり、ぱたりと今にも地面に落ちそうな危なっかしい飛び方をしたドラきちが、うんざりとしたように呟く。

「……」

 だが、アベルに向けたつもりで放ったその言葉に、当のアベルが反応を返さない。

 元よりその場に立つだけで体力が消耗していく灼熱地獄。アベルもまた消耗を抑えるべく口数少なくなっているのか、とドラきちが表情を確認してみれば――アベルは考えこむように視線を足下に落としていた。

(結婚……。盾……)

 否。火山に入ってからではない。

 サラボナを出て、仲間たち死の火山へ向かう旨の方針を説明した時から、アベルの胸中で思い悩んでいた。

(アンディを止めた……あの時の彼女……)

 アンディとフローラ。

 幼馴染同士とアンディも言っていた。そしてアンディがフローラを恋い慕っている事は、傍目からも明らか。

 なるほど、アンディが彼女の姉であるデボラにあれほど付き合っていたのも、その辺りが理由なのかもしれない。

 ――そこに、自分が入り込んでいいのだろうか。

 ほんの僅かな期間、一緒に居ただけの自分が。ルドマン自身は条件をクリアすれば、認めてはくれるのだろう。

 だがフローラの、アンディの気持ちはどうなのか。

 確かにアベルも一緒に冒険をした。再会してすぐにお互いがお互いだとわかった。だが、果たしてその絆は幼馴染たる彼女らの間に勝るものなのだろうか。

 何より、自分自身が『何がしたくて、この死の火山へと来たのか』

「――ご主人!」

 ピエールの叫びに、はっと我に返る。直後、ほんの目の前を燃え盛る火炎が吹き荒れた。咄嗟にプックルがマントをくわえて止めてくれなければ、全身をその炎に焼き払われていただろう。火炎の大元へと視線を移せば、そこには、まるで頭髪のように煌々と燃え盛る炎を宿した、人間に似たモンスターがいた。耳近くにまで裂け上がった口の中にはぎらりと牙が生え揃い、頭と、そして両手からも絶えず炎を生み出している。

 ほのおの戦士だ。それが三体。

「くっ……!」

 愛剣を抜き放ち、それまでの迷いを振り切るように立ち向かう。一体一体はアベルたちの敵ではない。だが、三体も居るとなると少々てこずった。

「ぐっ!?」

 それでも、一体をプックルがねじ伏せ、一体をピエールが切り払い――最後の一体から、体当たりを食らってしまう。ほのおの戦士はその体自体が炎の塊のようなものだ。衝撃の痛み、そして焼かれる痛み。二重の痛みに耐えながら、振り向きざまに剣を振り切る。

「ご主人! 大丈夫でござるか!!」

 戦闘終了後、すぐさまピエールが駆け寄り、アベルへホイミかける。

「まったく、アベルらしくないにゃー。ボーっとしちゃって」

「ああ……ごめん」

 呆れるドラきち。心配そうに見上げてくるプックルにも謝罪する。

「気にはなっていましたが……何かお悩みでもあるのですか?」

 治療を終えたピエールも、やはり気遣わしげに声をかける。

「いや、なんでもないんだ」

 仲間たちにも、簡潔に死の火山へ向かうという旨しか伝えていない。

 これはアベル自身、内面の問題。仲間達に相談しても答えが出るものではないだろう。

「とにかく、まず炎のリングを探そう。あまり此処に長居はできない」

「――あんさんら、炎のリング探してますのん?」

 先へ進もうとしたアベルたちの背後から、えらく陽気な声がかけられた。

 振り向くと――先ほどにアベルが最後に倒したほのおの戦士が、むくりと起き上がっていた。

「みゃっ……! まだやるのかみゃ!?」

 ドラキーが威嚇するように牙を剥くが、当のほのおの戦士は、慌てて両手を振る。

「ちょちょちょ! 落ち着いてくださいって! 確かに今までワシ、ここに入ってきた人間は倒す! って思っとったんですが、どーもそのニイサンの眼を見てるとすーって気分良くなってきてしもて……」

 その言葉に仲間のモンスターたちは、揃ってああ、と納得顔になった。

 当然だ。プックル以外、彼らは全員がそうやってアベルの仲間となったのだから。

「んでまあ、ちょいとばかりおせっかい焼きたくなりましてん。どうでっしゃろ?」

「炎のリングの場所を……君は知っているのかい?」

「ええ。ここに住んどるモンなら皆しっとりますし、ニイサンになら別に案内してもええでっせ。ただ、そこへ案内する前に――」

 ちらり、とほのおの戦士がアベルたちを眺め、次いで馬車へと視線を移す。

「皆さん、だいぶ参っとるみたいですし、ちょいと休憩所がありますから、そこ案内したいんですが……どうです?」

「休憩所?」

「ええ。冷たい水が流れるえー場所があるんですわ」

「そんなのがあるのかい!? ぜひお願いするよ! えっと……」

「ワシ、ファイアいいます! ども、よろしゅうお願いしまっさ!!」

 手を振りながら、にっか、と歯を見せて笑うファイア。

 その仕草で、先までは耳元まで裂けた凶悪な笑みであったはずのそれが、酷く愛嬌のある笑みへと変じている。

 かくしてアベル達一行に、また一匹のモンスターが仲間に加わる事となった。

 

 

「うっひょおおおおおい! みずだー!!」

「み、み、み、みずうううううう!!」

 その不思議な空間に入った瞬間、馬車へ引き篭もっていた二匹が突如として蘇った。

 先ほどまでの半死状態はどこへやら、煙すら噴きかねない勢いで突撃し、水の中に飛び込んでいく。

 ばちゃん、と小さな水音の直後に、どぼん、と大きな水音。

 じきに、はしゃぐような声と共に水がかき分けられる音が部屋の中へ響き渡った。

 そんな二匹の姿に苦笑しながら、残る面々も、思い思いに体を休める。

 不思議な力が働いているのか、ファイアに案内されたその空間だけは火山内の熱気が完全に遮断されていた。更に中心部からは豊富な水が滾々と湧き出ており、透き通るような清涼な空気に満ちている。地獄のような暑さの中に居たアベルたちにとっては、まさに天の助け。

「ファイア。ここから炎のリングがある場所まで、どのくらいかかるんだい?」

 出来ればじっくりと身体を休めたいところだが、そうもいかない。

「え? もうすぐそこでっせ? ここで休んだら、バッチリいけまっさ。なんぞ急ぐご事情でも?」

 どうやらファイア自身から出ている炎は、多少の水を浴びて平気なようで、スラリンとイエッタがばしゃばしゃと跳ねさせる水しぶきにも、全く堪えた様子は無い。

 アベルも身体を休めつつ、手短に事情を話した。

「ほぉ~……そういう事でしたんか」

「うん。だから、なるべく急がないと、先を越されちゃうかもしれないんだ」

「まあ、その心配はありませんと思いますで」

「え?」

「炎のリングなんですけど、アレ、実は熔岩原人どもが自分らの宝やー!って言い張って争っとるんですわ」

「熔岩原人?」

「一応、この死の火山のモンスターのアタマっちゅーことになりますか。まあワシらは基本個人主義ですから、あの原人どもに従わなあかん義理も義務もありませんけど」

 どうやら、単に「ここで一番強いやつ」以上の意味はないらしい。

「原人どもは三体おるんですが、そいつらが全員、炎のリングは自分のモンって言って譲らんと、いっつも喧嘩しとるんです。まああいつらは炎に強くて、攻撃手段も基本的に炎ばっかりなんで、やってることを傍から見たら、じゃれあうようなもんですけどね」

「…………」

「でもまあ、そうやって取り合ってるモンを、どこの馬の骨とも知らんやつに取られたら……そら、あの三人も結託してそいつに襲い掛かります。実際、それでお陀仏になったモンスターも人間も、何べんも見てきましたで」

「なんだって!?」

 そこまで聞いて、アベルの顔色が変わる。

「ですから、そいつがよっぽど強いっちゅーことがない限りは、先を越される心配もないと…………あ、アベルはん?」

「みんな、休憩はそこまでだ! すぐに出発するよ! ファイア、道案内を頼む!」

 大急ぎで部屋を出て行こうとするアベルに、ファイアは呆気に取られる。

「……ライバルでっしゃろ? 消えてもろた方がええんとちゃいますん?」

 ぽつりと呟いた一言に、水から上がったスラりんがぶるぶると身体を震わせ、水気飛ばしながら溜息をつく。

「そーゆーヤツなんだよ、アベルはさ」

 自らの主人をそのように評するスラりんは、それでもどこか誇らしげでもあった。

 

 

「うっ……わ、わああああああ!!??」

 あまりの事態に、アンディは思わず力の限り叫び声を上げてしまった。

 火に耐え、熱に耐え、モンスターをある時は倒し、ある時はやり過ごし……熱気に朦朧とする意識の中、それで突き進んだ最奥で見つけた炎のリング。

 最後の力を振り絞って、リングに手を伸ばそうとした瞬間、突如として三体のモンスターがアンディを取り囲んだのだ。

 当初、アンディはその三体をマドルーパーと判断した。だが、じきにそれは間違いと気付いた。似てはいたが、明らかに違う。まずは色。マドルーパの体色は灰色だが、目の前のモンスターはオレンジに近い赤。

 次に攻撃手段。マドルーパはスカラを使えるが、それ以外に目立った能力は無い。だが、このモンスターは、スカラを使わない代わりに、しきりに燃え盛る火炎を吐いてきた。

 最後に――これが一番大きいのだが――実力が、明らかにマドルーパーよりもニ、三段は高かった。

 デボラに付き合ってルラフェンに向かう等、アンディの実力は決して低いものではない。呪文を得意とし、サラボナやルラフェンの周辺であれば何とか戦える――最悪、逃げられるだけの実力があった。だが、そのようなアンディの実力をあざ笑うかのように、溶岩のモンスターは強く、こちらの攻撃にも一切堪えた様子を見せず、アンディをいたぶるように追い詰めていく。

「あああああああ!!」

 三体から同時に燃え盛る火炎を噴きかけられ、アンディは堪らず地面に転がった。

 熱い。痛い。何とかヒャダルコで防壁を張ろうとしたが、ここに来るまでにも体力、気力ともに消耗してしまっていたため、既にヒャド程度の氷しか作ることができなかった。

 ごろごろと転がり、必死に火を消す。だが、この場は死の火山。足場すらも高熱を発している。

 意識も混濁し、アンディは今に感じる痛みと熱さが、攻撃を受けたことによるものか、それとも高熱を発する岩に身体を密着させている故なのかすら判断が付かなかった。

 うっすらと開いていた視界の端で、例のモンスター三体が、そろって大きく仰け反る姿が見えた。

 とどめに、再び燃え盛る火炎を吐き出そうという事なのだろうか。

(く、そ……あきらめられる、かあ……!)

 やっと。

 やっと、つかんだチャンス。

 諦めきれない。決して奪われたくないチャンスが、すぐそこにある。

 だが、もうそこに炎が…

「オオオオオオオオオン!!!」

 大音量で鳴り響いた雄叫び。

 その声量に、今まさに燃え盛る火炎を吐かんとしていたモンスター達が、おどろき戸惑う。

「アンディ! 大丈夫かい?!」

「ぁ……」

 顔を覗き込むアベルの顔は、焦燥に満ちていた。

 本当に心からアンディを――すぐ側に炎のリングがあるにも関わらず――競争相手の身を案じている。

 この機に潰されても……いや、見捨てられてもおかしくない。

 フローラという素晴らしい女性。そしてルドマンという後ろ盾。それを得られるのであれば、多少のモラルなどかなぐり捨てる者がいて当然だ。

 もしも立場が逆であれば……アンディ自身が五体満足であり、アベルが傷つき、すぐ目の前に炎のリングがあったならば、果たしてアンディは炎のリングに目もくれず、アベルを救うことができただろうか。

 ――その自問に、アンディは即答することができなかった。

 正直な所、アンディ自身、ルラフェンでアベルを改めて見た時から、嫌な予感はしていたのだ。何しろフローラがいつも話していた『紫の男の子』にそっくりだったのだから。だからフローラの婿探しに関して口を滑らせてしまった時、思わず言葉を濁してしまった。

 ルドマン邸で再会した時も、まだ何とか取り繕うことはできた。

 それまでは多少なりともフローラに好意を寄せてもらえていた自信はあったからだ。その上で、自分がその『紫の男の子』よりも愛を注いでいける自信もあった。

 しかし、ルドマン邸で結婚の条件について発表された際、階上から現れたフローラとアベルとのやりとりを見て――自身の淡い期待が打ち砕かれた事を知った。

(僕が……僕、が……! フローラを、迎えに行くんだ……っ!!)

 それでも尚、諦めたくはなかった。

 諦めるには、その思いがアンディにとっては重すぎた。

 だが、もはや肉体も精神も限界を超えていたアンディは、押し込まれた馬車の中で間を置かずして意識を失ってしまった。

 

 

(間に合った……!)

 気は失ったものの、辛うじてアンディには息がある事を確認し、アベルは一息つく。

 馬車に押し込んで回復はピエールに任せ、プックルとドラきちに護衛を命じる。

 そうして休憩で復活したスラりん、イエッタ、更に新しく仲間に加わったファイアと共に前線に立つ。

 攻撃の基点はイエッタのこごえる吹雪。

 流石に熔岩に囲まれ、自身の身体も熔岩で形成されている原人たちを仕留める威力は無いが、怯ませる程度の威力はあった。

 スラりんが隙を見てルカナンをかけつつ、刃のブーメランで攻撃。

 アベルもまた、切りかかる。

「☆♪◆○▼~~!!!!」

 得体の知れない言葉で悲鳴を上げる原人の一体。

 そのピンチに、他の二体も協力し、再び三体が同時に燃え盛る火炎を吐き出す。

「う、お、おおおお~!!!!!」

 負けじとイエッタが、凍える吹雪で対抗する。

「頑張れ、イエッタ!!」

 更にアベルもバギマでその吹雪を援護した。

「どわっしゃああああい!!!」

 だが、威力は減じつつも、燃え盛る火炎はアベルたちへ向かってくる。

 その炎の前に、ファイアが仁王立ちに立ちはだかった。

 更に攻撃に注意が向かっている隙を見て、スラりんが刃のブーメランを投げつける。

「☆♪◆○▼~~!!!!」

 三体に順に命中。この攻撃で、まず、弱っていた一体が倒れた。

 残る二体に動揺の気配が広がる。

 その隙を逃さず、イエッタが更に凍える吹雪を吐き、アベルがパパスの剣の一閃で二体目を仕留めた。

 最後の一体が悪あがきに燃え盛る火炎を吐くが、

「ふはははははは! ごっつぬくくて、気持ちええなあ!!」

 仁王立ちでファイアが高笑いとともに受け止め、吐ききった直後の隙を突いたアベルたちの総攻撃によって、マグマの底へと沈んでいった。

「これが……炎のリング……」

 戦いとしていた足場の中で、鎮座する一つの指輪。

 ずっと熱されていたはずなのに、不思議と金属らしい輪の部分を握っても熱さはない。

 炎を象ったらしい宝玉の部分は、熱さというよりも、むしろ暖かさに満ちていた。

「……」

 これが、炎のリング。

 ルドマンが――フローラの父が、結婚の条件として提示したアイテムの一つ。

 ぎゅっと握り締め、踵を返して馬車の中を覗きこむ。

「アンディの様子は!?」

「何とか回復魔法をかけ、一命は取り留めてござるが、火傷が酷過ぎるため、追いついておりません! すぐに街に戻り、きちんと治療しなければ!」

「分かった、スラりん!」

「あいよ、リレミトぉ!」

 スラりんが脱出呪文を唱え、そして死の火山から脱出してすぐさまにアベルがルーラを唱え、一同はサラボナへと舞い戻っていった。

 

 

 アンディの火傷は酷かった。

 一命は取り留めたものの、自己治癒力を促進する回復呪文は、体力が落ちている今のアンディには威力を発揮できない。自宅のベッドの上でありったけの薬草を塗りこまれ、何とか命を繋いで回復に努めている状態であった。

「う、うぅ……」

「全く……」

 唸り声を上げるアンディの側で、デボラは呆れ混じりのため息と共に額に水で湿らせた手ぬぐいを添える。

 しかし言葉やぞんざいな態度とは裏腹に、アンディへと向ける視線には確かな慈しみの色があった

「おばさん?」

 足音を察し、アンディの母か、もしくは父が上がってきたのか――デボラはそう考えて声をかけたが、扉が開かれて現れたのは、アベルであった。

「なんだ、あんたか」

「……アンディの様子は?」

「苦しみ倒してるし、死ぬほど痛がってるけど、まあ死にゃしないわよ」

 アベルに応じるデボラの視線は、既に普段通りのものへと切り替わっていた。

 予断を許さぬ状況ではあるが、峠は越えている――その言葉に、アベルも大きく安堵の息を吐く。

「まったく、フローラにも心配かけてんだからこの馬鹿は……大変だったわよ、フローラが治療に行くって言い出したんだから」

「――!」

「……ま、レースの賞品が脱落者をえこひいきするわけにはいかないでしょ」

 アベルの反応を面白そうに見やりながら、デボラは言葉を付け足す。

「う、ぅ…………ふ、フローラ……」

「こんなになっても、まだうわ言いうとはね、このバカ」

「あの……デボラ、さん?」

「何よ」

「あなたと、アンディと……それから、彼女は……」

「どうせアンディからも聞いてんでしょ、幼馴染ってやつよ。小さい頃からこいつも怪我をしがちでね、たまに遊んでてもよく転んで怪我してびーびー泣くもんだから、そのたびにフローラがベホイミをかけてあげてたもんよ」

 何の気負いもないその言葉に、しかしアベルはふと嫉妬に駆られた。

 ずっと昔の妖精の世界、氷の館での戦い。

 氷の女王との戦いで、初めてフローラはベホイミを使えるようになった。そして初めてフローラがその呪文を使った相手がアベル。 身勝手と分かりつつ――ザイルやプックルにも使ったというのに――フローラがベホイミをアンディに使ったという事実が、アベルにとって酷く不愉快に感じてしまう。

 十年という歳月を奴隷として生きていたアベルにとって、今、己に湧き上がる感情を受け止めるには、人生経験があまりに乏しすぎた。

 だが、そんなアベルの反応に、デボラはにやりと笑みを深くする。

「――知ってる? あの子、ホイミは使えないのにベホイミは使えるのよ」

「え? は、はぁ……」

「しかもそれも、ある日突然の事でね。十年くらい前にあの子が行方不明になった事があったの。ほんの短い間だったけどね……もうてんやわんやの大騒ぎ。結局、自力で近くの森から戻ってきたんだけど、その時からあの子、呪文が使えるようになってたのよ。そしてそれ以上に、どこか変わってたわ」

「……?」

「なんていうのかしらね。それまではドン臭さがあったのに、それが随分なくなってたのよ。まるでどこかで冒険してきたみたいに。ベホイミまでいきなり使えるようになってたし、父さんも母さんも随分驚いていたわ。どうしてそんなに変わったのかって訊くと……「また冒険しようって約束したから」ってね、そう嬉しそうに言うのよ、あの子」

「――!?」

「どこの誰との約束は知らない。けれどね……その事を話すときと、あんたと話すときのフローラは、同じ笑顔を浮かべてたわ」

 アベルの表情の変化を面白がるように、笑みを深める。

「ま、私が気づくんだからアンディも気付いてただろうね。実物が現れるまではまだ自分にもチャンスがあるって思ってたみたいだけど、こんな状況になっちゃってるんじゃあ、もう勝負は決まってるのに」

 ぴん、と軽く指でアンディの腕を弾いた。

「だってのに、こんな無茶するんだからね。こいつって本当にバカだわ」

「ふ、フロー……ッ……ラ…………」

 未だにうなされ、時折うわ言にようにフローラの名を呟くアンディ。

 その気持ちは、アベルにもよく分った。

「……間違っても、同情なんかするんじゃないわよ」

 アンディを見下ろす視線に含むものを感じ取ったのか、デボラの声に険が混じる。

「今更こいつに安っぽい同情なんかしたところで、何も変わらない。それくらいは分かるでしょ?」

「……ええ」

 デボラの言葉に、アベルもこくりと頷く。確かに、アンディに対する同情心が無いといえば嘘になる。

 だが同時に――今、自分の内に在る気持ちは、アンディに対する同情心よりもはるかに大きく、そして絶対に譲れない部分であるという事もまた、自覚できてしまった。 

(僕だって……)

 仮にアベルが身を引いたとしても、アンディはそれを納得しないだろう。

 納得するような性格であるのならば、ここまでうなされながら、彼女の名をうわ言でつぶやき続けるものか。

 そして何より、たとえアンディに恨まれたとて、アベル自身が譲りたくはないのだ。

(そうだ。僕は渡したくないんだ……彼女を、僕以外の誰の妻にもなって欲しくない)

 『なぜ死の火山へ向かったのか』

 その答えをようやく己の中で見出す。

 無論、父の遺言、母のためという重さは自分の中で変わってはいない。だがそれ以上に、それよりも大きく、アベル自身がフローラを求めているのだ。

 フローラに笑いかけてほしい。

 フローラと共にいたい。

 フローラと冒険をしたい。

 フローラが、欲しい。

 フローラと共にありたい、歩んでゆきたいと、アベル自身が望んだからこそ死の火山へ向かい――そして今、水のリングも求めているのだと、アベルは己自身の感情をはっきりと自覚した。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「お、お父さんとお母さん、アンディ伯父様やデボラお姉さんの間で、そんな事があったんですね……」

 思わぬ生々しい当時の話に、タバサも若干驚きを交えた感想を漏らす。

 とは言えこうした話題である。眼は相変わらず輝いたままであったが。

「うん。まあ、ね……」

 今でこそこうして気負いなく語ることが出来ている。

 だが結婚してしばらくは、アベルもフローラも、互いにアンディの話題を出すことは無意識に避けてしまっていた部分も確かにあった。だからこそ、初めて子どもたちを連れてサラボナへ里帰りした際、アンディが義兄になっていた時には本当に驚いたのだが。

「あら、レックス?」

 母親の呼びかけに、しかしレックスは無反応に船を漕ぎ続ける。

「レックス、もう眠いの?」

「……ん、んゆ?」

 フローラが再度呼びかけると、慌てて顔を上げ、寝ぼけ眼で目をこする。

「レックスも眠そうだね……なら、ひとまず今日はここまでにしておこうかな。タバサも随分眠そうだし」

 レックスほどではないにしろ、タバサもまたアベルが語り続ける中で、何度か船を漕ぎかけている場面があった。しかしそんな父の言葉に、タバサは慌てて姿勢を正す。

「そ、そんな事ありません! それにここまで聞いたら、その、後が気になって……」

「あ、タバサが聞くなら僕も聞くっ!」

 妹に負けてなるか、と、レックスもまた目を見開いて身を乗り出す。

「ん……分かったよ。それじゃあ、残りも一気に話そうか」

 寝物語なのだから、もういいのではないか。

 そう思わないでもなかったが、タバサもレックスも改めて爛々と目を輝かせている。

 ここで止めるのも、酷というものだろう。

「それから一週間くらいかけて、僕は滝の洞窟で水のリングを取ってサラボナに戻ったんだ。けれど、そこでとんでもない事件が起きたんだ」

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