とある仮想の欠陥電気(レディオノイズ) 作:さくらぎ おきの
『なぁ、三輪。そろそろ"前"に進んでもいいんじゃないのか?』
「チッ…………」
明かりもつけられていないその部屋で乾いた舌打ちが響いた。
その舌打ちの主は学校帰りだったようで、首には赤いマフラーが巻かれていた。
マフラーを壁にかけたその影は机の上にある一つの写真に疲れ切った目線を向ける。
「……姉さん。俺は…………」
ふとつぶやかれたその声は儚くも空中で分解され霧散する。
写真には持ち主と持ち主の姉と思われる姿が写っていた。
2人の表情は屈託のない笑顔。今ではもう見る影も無くなってしまっている。
もうこの世には『姉』はいない。
写真に映る自分と今の自分の表情を対比して、現実を痛く感じていた。
『秀………次……生き……て……』
姉は
その言葉は今でも簡単に思い出せるほどに心に楔を打ち込み、彼の心を蝕んでいた。
彼、三輪秀次はその言葉に取り憑かれたように
そしてA級まで上り詰め、この手に
全ては
「生きて、か………」
もう一度思い出すのは姉の最後の言葉。
彼女は「
彼女は三輪に"生きてほしい"と願った。
「俺には………わからない。」
先の黒トリガー争奪戦での木崎からの提案。そして、今は亡き姉が最期に託してくれた願い。
それらは三輪が今までしてきたことを否定しているかのように感じられて、三輪の決心と考え方を揺るがしていた。
少し時間が経った後だろうか。
三輪は家の鍵を握り、マフラーを首に巻き始めた。
そしてドアを開けて外への歩みを踏み出す。
彼の後ろ姿は黒く、影を忍ばせているようだった。
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12月。
それは一年の全てを精算する終わりの月であり、新しい1年を迎え入れるための準備の月でもある。
12月なのだから当然強い風が吹き、いくら夕方といえどもほぼ夜のような気温。
三輪はそんな環境の中、ボーダー本部の屋上で1人黄昏ていた。
「………………」
自分の初心に従うべきなのか、それとも自分も迅や木崎のように"過去"ではなく"未来"を見て生きていくべきなのか。
混ざり合った答えなど存在しない。
三輪の心の中にあるのはぐちゃぐちゃな思考だけ。
目下に広がるのはボーダーによって立入禁止区域に指定された、彼自身の住んでいた町並み。
先ほどの混ざった思考と町の風景が彼の内側を複雑にさせていたのだった。
「…………何の用だ。」
響いている風の音を切り開くかのように彼の耳に聞こえてきたのは誰かが近づいてくる足音。
こんな夜もさしかかった時間帯に屋上に理由もなく誰かが来るとは思えない。
そう判断した三輪は音の方向へとあえて振り向くことなく呟いた。
「いや〜、流石にバレてたか。風間さんにお前がへこんでるって聞いてさ。ついでに木崎さんにも。」
「迅…………」
「目に隈ついてるぜ。どうした?眠れないのか?」
その足音の主は迅だった。
片手にはぼんち揚げの袋が握られており、フランクに接しようとしているのがありありと伝わってくる。
「食うか?悩んでるんなら何か食ったほうがいいぞ?」
「……………」
誰がそんなふざけた態度で差し出されたものを食べるものか。
三輪にも意地がある。
彼は迅の問いに答えずに拒否の姿勢を示していた。
「…………」
「………………」
2人の間に広がる沈黙の時間。
それを取り払うかのように迅は会話の口を切って捨てた。
「秀次、実はお前に頼みたいことがあるんだ。」
「俺に頼み、だと……?」
「うん、そ。」
「断る!他を当たれ!」
三輪は大声を出し、迅の頼みを断る意思を見せた。
そもそも、今は三輪には誰かの悩みを聞き入れるほどの余裕など存在しない。
未来を視る迅のことだ。それくらいわかっているはずだというのに。
だが、迅はなかなか他をあたるような姿勢を見せることはなかった。
「オイオイ、話だけでも聞いてくれよ。」
「そもそもなぜ俺なんだ!そんな余裕もないことくらい、わかっているくせにッ……」
「ああ、知ってる。」
だからこそ余計に三輪の神経は逆撫でされる。
わかっているのならなぜ放っておかないのか。三輪には態々迅が話しかけてくる理由がわからなかった。
「なら今はほっといておけ!別に俺じゃなくてもできることなんだろう!それなのに……それなのになぜッ!」
「お前がやってくれるとボーダー全体にとってより良い未来が来る。具体的にいえば、お前くらいしかこの仕事はできないんだよなぁ……」
迅はそう言って困ったように頭をかき始めた。
未来。
その言葉を聞いた途端に三輪の顔は苦虫を潰したような顔へと変わる。
「未来……お前の
「ああ、俺の
三輪は迅の
先の第一次大規模進行で姉は
何よりも悲惨なのは三輪自身が姉の死の間際を目視してしまっているということ。
迅はそんな彼が助けを求めている場面に偶然行き合った。
当然、幼い三輪は迅に泣き叫びながら助けを求めた。
姉はまだ死んでいない。病院なり診療所なり治療を受けられる場所に今すぐ連れて行けばまだ助かる。
それらは医療の知識もない三輪にとって無駄であることなど理解できていなかっただけの妄言だった。
もう一度言う。迅は未来を視ることができる。
目の前の2人のうち、どのような手を施そうとも姉の方はもう助からない。
ただ、それを告げることなんてできなかった。姉の生存を信じてやまない少年の心をどうして赤の他人である自分がへし折ることができようか。
加えて、まだ助かる見込みのある人間は山ほどいる。残酷だが、三輪姉は優先順位が最も低い位置に置かれた人間だったのだ。
だから迅は"逃げた"。彼に事実を伝えることなく、他の被害者の元へ。
のちに三輪はその出来事の全てを知る。
迅の持つ副作用も彼の置かれていた境遇も。
だが、その上で三輪は迅に深い憎しみを持った。
(姉が死んだのはお前が見捨てたからだ。その事実はお前にどんな事情があろうとも変わりはしない。)
迅が今守りたいと考えているこの世界は姉を見捨てたことで成り立っている未来と言っても過言ではない。
そんな世界を三輪は守りたいと思えるだろうか。
「なぁ、秀次。お前しかいないんだ。その時に動けるのは。」
「うるさいッ!!」
迅の飄々としたその態度に耐えきれなくなったのだろうか。三輪の口から放たれた言葉は迅の口をつぐませるのには十分だった。
「よくお前はそんなに軽く俺に物事を頼むことができるな!お前が何をしたのかくらい、自分自身でもわかっているんだろう!」
「………ああ」
「なら……なら俺に……いや、姉さんに謝れ!お前のせいで姉さんは死んだんだッ!」
三輪が求めているのは謝罪だった。
そんなことを迅にさせたとて、事態は何も変わらないことなど三輪自身もわかっている。
だが、迅が自分や姉に対して負い目を感じているような様子を見せることもなければ、自分の考え方に賛同するような気配もないのが気に入らなかった。
側から見ればただの憂さ晴らしに見えるかもしれない。しかし、三輪にとってこれは重要なことだった。
「ほらみろ!お前は謝ることなんてしない!それがお前が望む未来に何も良い影響を及ぼさないからだ!」
「…………」
三輪の慟哭とも取れる思いの丈は迅の痛みをさらに加速させる。
迅はここまで言われても決して何かを答えるなんてことはしない。
わかっていた。理解していた。熟知していた。
コイツがなにかを言われたところでそれに対して無意味な反応はしないということを。
そして、自分が求めた姉への謝罪は無意味なのだということも
だが、そんな考えも数秒後には変えられてしまう。
「またお得意のダンマリか!肝心なことは何も言わずに、一度どうでもいいと決めたことに対しては何の反応も示さない!お前にとっては姉さんのことなんてッ
「すまなかった。」
「…………は?」
「すまなかった。お前の姉さんを救えなかったこと。本当に申し訳なく………思っている。」
三輪は突然の出来事に放心状態になった。
今のいままで決して謝罪の姿勢を取ろうとしていなかったあの迅が。
未来のために多くの犠牲を払ってきたあの迅が。
こうして三輪に、いや、三輪の姉に対して頭を下げて謝罪をしているのだ。
三輪の中にあった一つの柱が音を立てて崩れていくのがわかる。
いかに
それを防ぐために三輪は一度崩壊した思考を再び巡らせて、言葉を紡ぐ。
「嘘だ……嘘だ…嘘だッ!!もしくはそれが本心であるはずがないッ!」
「……嘘じゃないし、本心だ。」
「………それともまたお得意の未来視か!?姉さんへ謝罪することが何かの分岐点にでもなったのか!?」
「いや、違う。これは未来の分岐点でもなければ、より良い未来への鍵でもない。ただの俺の"本心"だ。すまない。俺がお前の姉を……"殺したんだ"………」
「そんなはず……そんなはずがあるワケが無いッ……」
三輪にはそれが嘘かどうかなんてわからない。
ひょっとしたら迅の言っていることは嘘で、この謝罪が何らかの鍵になっている可能性もある。
だが、そんなことなどどうでも良かった。
決定的なのは、迅が謝罪という行為をしたこと。
その一つの行動にとって三輪の精神を打ち砕いていくことなど造作もない。
何も言えなくなった三輪は打ちひしがれたかのようにつぶやくことしかできなかった。
「は……はは……姉さん………俺は姉さんの仇をとるために……」
「秀次………」
いままで三輪がボーダーで戦ってきたのにはひとえに姉の仇を取り、
ただでさえ木崎らによって揺らいでいたはずなのにここにきて迅の謝罪。
三輪はそれに耐えうるだけの心を持っていない。
支えを失った人間はどこへ行くのだろうか。それを語る必要はないだろう。
だが、そんな人間を放っておくようなエリートが一体どこにいるというのだ。
「…………秀次、申し訳ないがついてきて欲しいところがある。」
迅は呆けている三輪に対して一つ、提案をした。
すっかり何も言わなくなってしまった三輪はそれに黙ってついていくことしかできない。
「会って欲しい"やつ"がいるんだ……だから会ってくれないか?」
一歩、一歩、踏みしめているようで重さなど全くないその足取りはどこか人ではない何かを真似しているようだった。
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「此処だ。入って待っていてくれ。」
「………」
言われるがままに案内された部屋に入り、用意されている椅子に腰掛け、机に体重をかけた。
少し時間が経ったからだろうか。三輪の精神状態はいくらか元に戻っており、先ほどの出来事を反芻していた。
(アイツが謝罪だと……?……騙されない…騙されてなるものか………)
「………ん?あれは……」
三輪はふと机を挟んだ反対側にもう一つ椅子があることに気づいた。
確かに迅は"会わせたい人間がいる"と言っていた。
つまりこれから会うのは迅が用意していた人間ということになる。
(フン……どんな奴が来たところで俺は迅の頼みなんて聞くつもりはない……)
そう考えていると突然扉が開かれ、迅が再び現れた。
態度は元の飄々としたものに切り替わっており、余計に三輪を不機嫌にさせる。
だが、その抱いた感情もすぐに別のものへと変わってしまう。
「秀次、今から来る奴はお前の悩みを解き明かす鍵になるヤツだ。くれぐれも"掴みかかったり"するなよ?」
「解き明かす……鍵?」
なんかこの話、日常編じゃないような気がしてきた……