旅して世界は救わない   作:堕賀史菓子

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25話

 

 

「シガ、ナ?」

 

 キリキザンから振り下ろされた一撃は、突然現れたシガナの背によって防がれる。

 

「………こっち! 早く!」

 

 状況を飲み込む前に、シガナはヒガナの手を思いっきり引く。歩けなかった足は、いつのまにか動けるようになっていた。

 

「おいおい! なんだよそれ! かっけえじゃんか! いいぜ、鬼ごっこといこうじゃねえか!」

 

 男は邪魔されたことに不機嫌になるどころか、むしろ乱入に対して楽しみ始める。そんな男から逃げるように、シガナはヒガナを連れて森の中へと駆けていく。

 

 入り組んだ森の中だったが、それを逆に利用して視界から外れようと試みる。男はまだ、この森には慣れていないはずだ。それならば、地の利はこちらにある。そう考えてひたすらに走っていく。

 

 それから数分程度森の中を駆け巡る。男の気配を感じなくなったところで、二人は再び茂みへと隠れこむ。

 

「……ふう。とりあえず、ここまで来たら大丈夫かな。一回、休憩しようか」

 

 シガナは先ほど受けた傷を気にすることなく、それどころかヒガナの方を気遣って、そう言う。

 

 ヒガナはまだ恐怖で動けないのか、走っている間から一言も発していない。まだ落ち着く時間が必要かとシガナは思ったが、次の瞬間、シガナの胸へと飛び込んだ。

 

「……シ゛カ゛ナ゛ああああああああ!!!!」

「!? ちょ、ちょっと声抑えて! 見つかっちゃうから!」

 

 感情が溢れ出したのか、大粒の涙で顔がぐしゃぐしゃになりながら、シガナに抱きつく。居場所がバレないように、シガナはどうにかヒガナを落ち着かせようとして、それを受け止める。

 

「うぐっ、シガナぁ……怖かった、怖かったよぉ……」

「うん、そうだね。よしよし、もう大丈夫だから……」

 

 小さな身体を、小さな手で包み込む。ヒガナの震えは、暖かい感触のおかげでどうにか治ってくる。だが、恐怖は無くならないようで、大切そうに、逃がさないように、シガナの服を掴んで離そうともしなかった。

 

 しばらくそうしていると、ヒガナは思い出したように、涙で目元が腫れた顔をバッと上げる。

 

「………あっ、し、シガナ……背中……」

「こんなの掠り傷だよ。もう少ししたら止まるから……多分……」

 

 シガナはそう言うが、汗が顔に伝っている。今も、どうにか痛みを堪えているだけなのだろう。そんなことは、ヒガナも見ただけで分かり、心配せずにはいられなかった。

 

「ッ……ごめん、ごめん……なさい……私が、こんなところにいたせいで……代わりにシガナが……」

「……いや、謝るのは僕の方だよ。僕が最初にあんなこと言わなきゃ、こんなことにはなってなかったんだ。ヒガナのせいなんかじゃないさ」

 

 悪くない。そう言うことで、ヒガナの罪悪感は、一瞬でも薄れただろうか。それだけが、シガナの心残りだった。

 

 それよりも、とシガナは付け加えてこう続ける。

 

「ヒガナのことを邪魔だなんて言って、ヒガナの気持ちを考えてなかった。ごめん、やっぱり、修行なんかよりも、ヒガナの方が大切だよ」

「……ひぐっ、うっ……そんなの……し、知ってるしぃ……」

 

 思わず、ヒガナはもう一度泣き出しそうになる。今度は、恐怖からではない。それは、誰かに大切だと言ってもらえることの、嬉しさからだった。シガナの口から、はっきりと聞けた、それだけで十分すぎたのだ。

 

 二人が、互いの存在に安堵している時間は、一瞬でも確かに存在した。だが、そんなものも長くは続かない。ドサリと、巨大な何かが、周囲の物を伴って倒れていく音が響く。

 

「アイツだ……」

 

 先ほどの男が、キリキザンにあたりの木を切り倒すよう指示しているのだろう。探すにしても乱暴すぎるやり方ではあったが、再び恐怖を植え付けるには、効果的な方法だろう。

 

 だんだんと、木が倒れる音が近づくのは、確かに緊張感を抱かせるものだった。それを知ってか、それともただ適当なのかは、分からなかったが。

 

「に、逃げようよ……シガナ。早く、里に戻って知らせなきゃ……」

「……………………うん、そうだね」

 

 歯切れが悪そうに、そう応える。

 

 そうして、ヒガナが里へと戻る道に向かおうと立ち上がると、何かシガナは思い立ったような表情をする。

 

「……? シガナ? 何やってるの? 早く逃げないと……」

「……ごめん、ヒガナ。やっぱり、さっきの傷が痛くてさ、里まで歩くのは難しいんだ。悪いけど、ヒガナだけで里まで助けを呼んでもらえる?」

「え………」

 

 背中を抑えるように、シガナは座り込む。

 

 そんなシガナの姿と、告白によってヒガナは硬直してしまう。一人で里まで行く、というのも不安材料でしかなかったが、それよりも、

 

「し、シガナは……? 私、シガナがいないのなんて……嫌だよ?」

「……まあ、なんとか隠れてみせるよ。少しくらいなら耐えてみせるからさ」

「ッ、ダメ! なら、私がおぶってでも一緒に行く! 今度は……私が助けるから……絶対、一緒に帰るんだから……」

 

 こんな状態のシガナを一人、置いていくわけにもいかなかった。そんな思いが無意識に行動に現れていたのか、強い力で、離さないようにと、服の袖を掴む。

 

 しかし、シガナの表情は変わらない。

 

「このまま二人で行っても、追いつかれるだけだよ。なら、一人が誰かを呼びに行った方が助かる可能性が高い。……分かるよね?」

「わかんない……わかんないよ!」

 

 分かりたくない。だけど、脳は勝手に理解をしている。手負いのシガナを運んでいる時間は無いことなど。それまで、あの男が待ってくれるはずがないと。

 

 ヒガナがそれを受け入れるには、勇気が足りなかった。そうすることは、要するにシガナを見捨てるということなのだから。到底、今のヒガナに出来るはずのないことだった。

 

「……ヒガナ、ここももう見つかる。早く行って」

「ッ、やだっ!! ……そうだ、私なんか逃げても、何にもならないよ!! それより、シガナの方が大事でしょ!? 伝承者で、すごい力があって……みんなに期待されて……」

 

 世界にとっての、価値判断。ヒガナは自分なんかよりも、シガナの方が価値があると、そう理解していた。これまでも、羨んだことがあっただろう、憧れたこともあっただろう。伝承者として、才能のあるシガナの存在を、純粋に見ているだけなんて、ありえなかった。

 

「なのに……なんで私を助けたの……どうして、シガナが傷付かなきゃいけないの……」

 

 ずっと昔から、気づいていた。シガナは自分と住む世界の違う人間なのだと。だけど、それを受け入れるわけにはいかなかった。認めて仕舞えば、自分は孤独になるのだから。

 

 そう、一人が嫌だった。最初は、そうだったかもしれない。

 

 けれども、今ようやく分かった。誰かと一緒にいたかったんじゃない、()()()だから、一緒にいたかったんだと。

 

「それって、私じゃ、ダメなのかなぁ……?」

「………………」

 

 シガナは何も返さない。ヒガナの言葉の意味が、痛いほど分かってしまったからだ。

 

 けど、だからこそ、シガナはこう言うしかなかった。

 

 

「…………………ヒガナ、行ってくれ」

 

 

 それが、シガナの答えだった。

 

 ガラスが砕けるように、ヒガナの心は打ちつけられる。世界は色を失っていく。声は出なかった。悲鳴も、怒号も、どう表現したらいいか分からないこの感情も、全て失せていく。

 

「……………………」

 

 何も言わずに、ヒガナはそっと立ち上がる。そして、シガナには目を向けることなどなく、一目散に里の方向へと走り出した。疲れを知らない獣のように、ただひたすらに。

 

 それをシガナは、見えなくなるまで見届ける。木にもたれかかって、ぼやけ始めた視界に、どうにかヒガナの後ろ姿を焼き付けようと、意識を保つ。

 

「………そう、それでいいんだ」

 

 ようやくヒガナが見えなくなると、徐にシガナもまた立ち上がる。

 

 まだ、やることは残っている。

 

 

 

 

 

 

 一本、また一本と、木を切り倒していく。だいぶ見晴らしの良くなった森だったが、状況を生み出した男にとっての標的は、まだ見つからない。

 

(気配はする……が、なんで一人しかいない? 囮……いや、()()()()()?)

 

 自身の感覚に頼り、改めてこの場の気配を探ると、人と感じれるものが一つしかなくなっていることに気づく。そこからある程度思考を発展すると、大体の予想はついてくる。

 

「………って、なんだよ。いるじゃねーか」

 

 そう言う男の眼前に立ったのは、既に満身創痍のシガナだった。

 

「……お前はなんなんだ。なんでこの森のポケモンを襲う?」

「あ〜? 仕事だよ、仕事! 依頼者様が良質なポケモン欲しいって言うから、はるばるこんなとこまで捕まえにきたわけ。ま、歯ごたえのない奴ばっかだったから、まだ何も捕まえられてねーけどな」

 

 シガナはその発言を聞いてひとまず安堵する。この男の言葉を信じるなら、まだポケモンは捕まっていない。それならば、あとはこの男を帰らせるだけで十分だ。

 

「でもよ、それじゃつまんないわけ」

「………は?」

 

「せっかくドラゴンポケモンだから期待したってのによ。こんなんじゃ物足りねーよ! つーわけで、ちゃんと鍛えられたポケモンの方と戦いたい……あっ、捕まえてーんだわ!」

 

 戦闘狂め、と心の中で静かに吐き捨てる。この男の目的は鼻っから楽しむことしかなかったのだ。仕事とはいうが、そんなのは二の次で、ただ強い相手と戦いたい。そのためにはどんな手段だって用いる。それがこの男のやり方だ。

 

「ヒガナを襲ったのは? 戦うのが目的だとしても、普通の人間は関係ないだろ」

「ヒガナ……? ああ、もう一人のガキか? ……はは、お前、分かんね〜のか? ああいうガキを痛めつけた方が相手も本気で来るだろ! 俺はポケモンバトルとか生優しいもんじゃなくて、そういう本気の殺し合いがしたいんだよ!」

 

 訂正。この男はただの戦闘狂にも及ばない、ただのクソ野郎だと、シガナは認識を改める。

 

 敵意を剥き出しにしたような強い目つきになると、冷たい吐息を一旦漏らす。

 

「……なら、殺し合いだろうがなんだろうが、お望み通りやってやる。かかってこい」

「おっ!? 言った通りじゃーか! いいぜ! ガキ、今度は三枚おろしにしてやるよ!!」

 

 

 

 シガナは考える。今、目の前にいる男の力量を、知性を、精神を。

 

 今までに見てきた情報で、ルートを組み立てる。何が最も効果的で、相手の嫌がることなのかを。僅かな情報だったが、ある程度結論は出た。そして選ぶ、この戦いにおける最善手を―――

 

 

「………あ?」

 

 

 再び、シガナは男に背を向けて走り出す。先ほどの威勢の割に、一直線に逃げ出したものだから、男も一瞬呆けたような顔をする。だが、すぐさま気を取り戻して指示を下す。

 

「おいおい。んだよ〜、逃げるなんてつまんねえよ!! な!? 戻ってこいって、俺とヤりあおうぜ!? じゃなきゃよお……三枚じゃなくて真っ二つにしちまうぜえええ!?!?」

 

 キリキザンはその刃を躊躇うことなく振り回していく。しかし、その刃はシガナに命中することはない、周りの木を掠っていく程度だ。当たらないどころか、むしろ余計な動きのせいでシガナとは距離が空いてしまう始末だ。無駄に力を誇示するように振る舞うその動きに、逃走しながらも冷静に相手を観測するシガナは、ここであることを確信する。

 

 

(こいつ……やっぱり、バカみたいな()()してるだけだ。今の攻撃も、わざと外してる)

 

 

 一見、無駄にしか見えないその動きは、何にも考えていないことによるものかと思われた。だが、今の刃の当てどころを見るに、ギリギリで木が倒れないように止めている。では、それは何故か。

 

「あー、やっぱ気づかれてっか。ならいいや、キリキザン、切り倒せ」

 

 男がそう指示すると、キリキザンは近くにあった木を一本切りつける。今度は、根元までしっかりと切れているため、重力に従って木はスライドしていくように倒れる。

 

 すると、その木は周りの木を巻き込むように次々と倒れていく。たった一本の木からこうも簡単に他の木が倒れていくのには、男が仕掛けていた策のせいだった。

 

「ドミノってさあ……並べてるときはイライラっすけどよ〜、倒すときの爽快感があるから止められね〜んだよな〜!!!」

 

(ッ……! くそ……いつから用意してた? これじゃこっちの逃げ道が狭まれるばかりだ……)

 

 男がシガナを捕捉する前、シガナは必死に隠れている間、男は事前に木に切れ込みを入れていたのだ。倒れていく木は障害となりシガナの前に立ち塞がる。森の地理を知り尽くしているはずのシガナだったが、こうなってしまっては有利条件が入れ替わってしまう。

 

 それに、木の包囲網は単にシガナを逃さないためだけではない。こうして木がなくなったことでだいぶ視界が明るくなった。これでは隠れる場所も無くなってしまう。

 

「んじゃ……もういいか? キリキザン、つじぎり」

「ッ!!」

 

 キリキザンから放たれるは、斬撃。真っ直ぐ飛んでいく斬撃は、木に引っかかることなく、シガナの足をかすめた。衝撃から足がもつれると、そのまま地面へと倒れ込む。

 

「よし、足は切れたな。これでもう動けねーだろ」

「くっ……今に、里の大人が来る。そうすれば、お前は終わりだ」

「お? なんだ急に話しかけてきて、時間稼ぎか? 安心しろよ、今はお前を殺しはしねえよ。お前の言う大人のトレーナーが来るまではな」

 

 切れた足から流れる血を抑えながら、シガナは男に対して目を強める。しかし、男は動じることなくジリジリとシガナへと迫っていく。少しでも時間を稼ぎたいシガナは、どうにかこの男をここに留めようと考えたが、男は勝手に口を開いて話し始める。

 

「そうだな……ま、そいつらが来るまで暇だし、少し話でもするか」

「…………………」

「お前頭良さそうだから分かると思うけどさあ……俺って、相当強いトレーナーなわけ。客観的に見ても、トレーナーとして余裕で飯が食っていけるくらいはあるんだけども」

 

 突然、男は自分語りを始める。シガナとしては本当に興味のない話ではあったが、勝手に時間を取ってくれるのであれば、と思って今は聞き入れることにする。

 

「そんで、トレーナーとして生きるのか、って思ったときによお……ポケモンバトルってぬるいと思ったんだよな。スポーツ? っていうか競技みたいな感じで、そういうの合わないんだよな。負けても死ぬわけじゃねえし、なーんか本気でやってると思えねえんだよな」

 

 それが普通だろ、と思うシガナの意見は至極真っ当だった。この男がそれを受け入れられない異常者というだけで。

 

「だから俺はこういう裏の仕事やってんだよな。ここだと、ちゃんと相手も殺しに来てくれてさ〜、ああ、生きてる〜、って感じすんだよ。だからさ……そういう相手にはちゃんとお礼をしなきゃ、だよな?」

「お礼、だと?」

「わかんねえフリすんなよ! そりゃもちろん、礼儀を持ってブッ殺してやることに決まってんだろ!? 殺しに来てくれてありがとうございます、じゃあ殺すね、ってな! それが社会人としてのマナーだろうがよお〜!?」

 

 イカれている。本物の狂気を目の当たりにして、体は硬直する。男は”手段“として殺しを選んでいるのではない。殺しそれ自体を、“目的”として行動しているのだ。思考回路そのものが、真っ向から異なっている。ここでシガナは理解することは無理なんだと、ようやく悟ったのだった。

 

「大人のトレーナーってのはどんな奴らだろうなあ? ちゃんと俺を殺しに来てくれる奴らかなあ? あ、そうだ。お前を人質に取ったら戦ってくれるんじゃねえか!? ならもっと痛めつけてもいいかもなあ……」

 

 もはや交渉の余地はない、この男は危険すぎる。この世界で、最も殺しを行う動機を与えてはならない人間だ。いや、それを自分から掴みにいくのだから、ますますタチが悪い。

 

 ここでシガナは再び考え直す。痛みという情報が神経から伝ってくるのを抑えて、全神経をこの一瞬の判断に懸ける。時間稼ぎだけ出来ればいいと思っていた。ヒガナが逃げる時間さえあればいいと思っていた。傷つくのは、自分だけだと思っていた。

 

 だが、理不尽な暴力というのは無関係な人間を巻き込んでいく。このままこの男に立ち向かえば、里の大人たちどころか、安全な場所にいるはずのヒガナまでも危害に遭ってしまう。最悪の場合、命を失うことまで考えられる。最悪どころか、むしろその可能性は高まってきているとも言える。

 

「んじゃ、もう一発くらいいっとくか。避けんなよ〜、お前が逃げる気ならアッチのガキの方を捕まえたっていいんだぜ?」

 

 

 コイツを、許していいのか?

 

 何もせず、皆が殺されていくのを見るだけでいいのか?

 

 

(……………いや)

 

 

 ならば、こいつを止めなければ。どうやって?

 

(……ああ、そうだ。僕には力があるじゃないか)

 

 世界を救うなんて大層な力だと思った。でも、そんなものより今は、皆を守れるという力の方が響きは良かった。それが、どんな手段であろうとも。

 

 

「…………やる」

 

「………あ?」

 

 

 その時、脳には蓋がされていたのだと知った。何かが溢れていく、一度飛び出したら、もう止まらない。

 

 

「殺してでも……これ以上、ヒガナには近づけさせてたまるか……!」

 

 

 本気だった。本気の殺意を、たった今初めてシガナは放ったのだ。

 

 これまで、数えきれないほど殺し合いをしてきた男ではあったが、今までに味わったことのないほどの殺気を受ける。そんな男が見せた表情は、恐れでも動揺でもなく、興奮であった。

 

「ッ!! ……イイねえ、やっぱそう来なくちゃなあ!?」

 

 指示もなくキリキザンが走り出す。言葉がなくとも、危険信号が発されたのだろう。目の前の子供一人にでさえ、こんな危機感を覚えるのはありえないことだった。だが、そう思わせるだけの何かが、今のシガナは纏っていた。

 

「キリキザン! アイアンヘッド!!!」

 

 相手は満身創痍。されども、油断は出来ない。本気の殺意には、礼節を持って殺意で応える。それが、男が掲げている真理だった。

 

 そして、キリキザンの頭部の兜に生えている刃が、シガナを捉える。一裂き、その一裂きだけで十分だ、それだけで、簡単に相手は死ぬ。それは、この場にいる誰しもが理解していた。

 

 しかし、シガナは目の前に迫るキリキザンに目を向けることもなく、ただ空を見上げていた。

 

 

「…………………竜よ、来い

 

 

 揺らめいたシガナが発したのは、たった一言。

 

 だが、その言葉にはとてつもないほどの力が込められていた。

 

 

「グッ、ガアアアアアアアアア!!!」

 

 

「!?」

 

 突然、シガナの背後から、クリムガンが這い出るように現れる。

 

 刃を振り下ろさんとするキリキザンは、クリムガンの強襲を受ける。渾身の竜の爪(ドラゴンクロー)をまともに受けたキリキザンは、倒木の方向へと跳ね飛ばされていく。そのまま、見事なカウンターを食らい、そのまま地面をと落ちていく。

 

 男はキリキザンの方を見向きもせず、その視線を、シガナ一点へと当てていた。

 

(おいおい……どういうことだ? あのクリムガン……さっき俺が倒したヤツじゃねえのか? それがどうしてまだこんな力を持ってやがる?)

 

 男はこのクリムガンに見覚えがあった。

 

 ヒガナを見つける直前、このクリムガンを切り裂いたはずだ。与えた傷からして動けるはずがない。そうだ、今だって別に傷が癒えたわけではない。なのに、何故こうして動けているのは何故か?

 

「…………グッ、ガ……ウ………」

「…………ごめん、無理させたな。ありがとう、休んでいてくれ」

「ああ? そこのクリムガン……お前の手持ちポケモンだったか? 悪いな、そいつならさっき俺たちがやっちまったわ。あまりに弱すぎたからよ〜」

 

(手持ち……なわけねえか。だったらモンスターボールに戻してるはずだ。だとしたら、どうやって使役した?………………そうだな、試してみるか)

 

 安い挑発をする間にも、男は現状把握に努める。何も考えていないように見えて、こういった面があるから、厄介極まりないのだろう。

 

「キリキザン、つじぎり」

 

竜よ、放て

 

 立ち上がったキリキザンは即座に次の攻撃を打ち出す。しかし、シガナが再び声を出すと、それに呼応するかのようにポケモンが現れる。

 

「ボアアアアアアアアアアア!!!」

 

「ッ……今度はボーマンダかよ!? コイツもさっき見たなア!?」

 

 次に現れたのはボーマンダ。こちらも傷を負いながらも、最後の力を振り絞るように、火炎放射(かえんほうしゃ)を放つ。すると、互いの攻撃は相殺されるどころか、キリキザンが若干押し負けてしまう。

 

 攻撃を撃ち終わった後、ボーマンダは力尽きるように倒れる。こんなギリギリの状態だというのに、一体どこから力が湧いてきたのか。ここまでの状況を振り返って、男は少し考える。

 

(はっ……なるほどな。大体分かったぜ、つまるところ、あいつはドラゴンタイプを呼び出す……いや、操る力を持ってる、ってところか。隔絶された里だからな、別に隠れた才能持ちがいても不思議ではないが……ちょっとズルくね?)

 

 男はある程度の結論を立てると、同時に対策も考え出す。

 

「………ッ」

 

 その瞬間、シガナは隙を見て走り出す。傷のついた足でもたつきながらも、必死に、逃げ惑う。

 

 背を向けて醜く走っていく姿を見て、どうして逃げる必要があるのかと男は疑問に思ったが、ある可能性に辿り着く。

 

「……………あー、はいはい。なるほどなあ? 要するに、限界があるんだな? 無条件にドラゴンポケモンを操れるんだ、そんな力、制限くらいはないとおかしいよなあ?」

 

 あの力は、何回も使うことは出来ない。好きなようにドラゴンポケモンを操れるはずのシガナが、有利の状況を放り出して逃げているのが、何よりの証拠だった。

 

(って、油断すんじゃね〜ぞ。アイツがあと何回使えるか分かんねえからな。けど、強いドラゴンポケモンならせいぜいあと一回ってところか? あの出力的に、そんくらいだろ)

 

 シガナを追いかけながらも、警戒は怠らない。本領を発揮した相手をみくびると、やられるのは自分になることなど百も承知であった。しかし、今にも飛び出しそうになる。気持ちは思わず前のめりになっており、高揚感が昂ってきているというのが見ずとも伝わってくるようだった。

 

 男はここで、自分に起きていた変化に気づく。そもそも、この仕事は軽い遊びの予定であった。それがいつのまにか、こんな魅力的な(おもちゃ)が現れるとは。ここまで十分楽しませてはもらった、そろそろ終わりにするのが、せめてもの感謝というのが、男の考えであった。

 

 どうやって終わらせてやるか、今の男の頭の中はそれで埋め尽くされていた。

 

 

「お〜い、どこまで逃げんだよ〜! そっちは里の方向じゃねえだろ〜!?」

 

 

 男はシガナと一定の距離を保ったままであったが、決して逃しはしなかった。

 

 ようやく、シガナの足が止まる。森の最奥まで辿り着くと、滝の近くまできていたようで、水の落ちる音が響く。ここで立ち止まった理由、限界が来たのか、それとも、覚悟でも決まったのか。とにかく、もはや逃げる気配がシガナからは感じられなかった。

 

「…………………」

 

「なんだ、追いかけっこはもう終わりか? なら、景色もいいことだし、ここら辺で死んどくか」

 

 キリキザンが構える。しかし、シガナが動揺する様子はない。これから死ぬ身だというのに、ここまで冷静にいられるのは普通ではありえない。

 

「……最後だ。二度とこの里に、ヒガナに手を出さないと言え。そうすれば、今なら見逃してやる」

「あ〜?? 急に強気じゃねえか! 時間稼ぎならもう十分したよなあ!?」

「答えろ」

「……はっ。無理、って言った方がお前は本気で殺しに来てくれるんだろ? だからあえて言うぞ、俺はお前の知り合いを全員狩る。里の大人も、もう一人いたあのガキも、殺してやるよ」

 

 男が言い切ると、辺りに冷ややかな風が駆け抜ける。それを発しているのは、間違いなくシガナであった。だが、奇妙だったのは、彼が怒りを抱いている、という雰囲気ではなかったことだ。

 

 その気持ちの悪い感覚を覚えた男は、背筋をヒリつかせる。さっきから初めての体験の連続に、ニヤつきが止まらなくなっている。一体、この少年は自分をどこまで楽しませてくれるのだろうか。

 

 小さな体だというのに、その視線だけは獣のようだ。ただ、自分の縄張りを犯そうとする敵を排除する、その目的を遂行するためなら、どんなことだってしてみせるのだ。

 

 

「……………竜よ、穿て

 

 

 男に下す審判は、それだけで十分だった。

 

 

「ガバアアアアアアアアアア!!!!」

 

 

 紫光が、音速を超えて、男の首を捌こうとする。

 

 マッハポケモン、ガブリアス。そのスピードで動くだけで、空気の刃は周りの空間を切り裂いていく。それは、生身の人間だろうと変わりはない―――

 

 

「………来ると、思ったぜえええええ!? キリキザン、不意打ちだ!!!」

 

 

 マッハで迫りゆくガブリアスは誰であろうと追いつけはしない。しかし、男はこの奇襲すら、既に読んでいた。シガナが使える力は残り少ない、ならば確実に決めるためには、このような形しかないと理解していたのだ。

 

 キリキザンはガブリアスにカウンターのような形で反撃を喰らわせる。元より奇襲の一点読みをしていたため、このように攻撃を置いておくだけで相手は勝手に自滅する仕組みを作っていたのだ。

 

「…は、はは、ははっははっッ!! あっぶねぇええ!! あと少し遅かったら首飛んでたぞ!? これ、これだよ! 今、生きてるんだよ俺はッ!!」

 

 手を震わせて、男は生の実感を得る。シガナとの読み合い、文字通り命をかけた戦いに勝利したのだ。脳から溢れ出る快楽物質に心躍らせながら、たまらず口が動き出す。

 

「あ゛〜……お前、最高だったぜ〜……!? こんだけビビったのは久しぶりだ。ひひっ、そうだな……興奮が冷めねえうちに殺してやるよ。まだお前の里の奴らが待ってるからなあ? この感覚は維持しねえと……」

 

 勝ちを確信した男は、饒舌になる。キリキザンの刃を見せつけ、ようやくお前の番だと言わんばかりに、じりじりと近寄っていく。さながら処刑人のように、無慈悲に、冷酷に。

 

「キリキザン、やれ」

 

 今から死ぬ瞬間を迎えようとしているのに、対するシガナは、未だ言葉を発する様子がない。渾身の奇襲が失敗して、放心状態に陥ったのか。それとも―――

 

 

「………バカだな。お前も、僕も」

 

 

 ……どういう、意味だ?

 

 一瞬、男はシガナの言葉の意味が理解できなかった。それが命乞いにも、遺言になるとも、到底思えない。では、何を思って、シガナは言葉を口にしたのか。

 

 

―――竜よ、堕とせ

 

 

 ぐらり、世界が揺らぐ。

 

 違う、これは衝撃だ。何の?

 

 濁流だ。水の勢いに流されているんだ。どこから?

 

 ヌメルゴン……それも一匹ではない。何匹も……それに、ヌメイルもヌメラまでいる。何故?

 

 

「てっ、んめええええええええええ!?!?!?」

 

 

 男は叫ぶ。もうとっくに手遅れだが、状況を理解したのだ。

 

 シガナだ。彼がヌメルゴンたちを呼び寄せて、濁流を放つように指示したのだ。

 

(この野郎、本物の怪物か!? このヌメルゴンの数……どんだけ操ってやがる!? こんな力、ありえねえ!! 本当に人間かよ!?!?)

 

 たった今、シガナがやってみせたことは常識の範囲を遥かに超えていた。優秀なトレーナーですら、同時にポケモンに指示するには数匹が限界だ。だが、このヌメルゴンたちの数は、軽く十、いや、数十匹にまで上っていた。それも、強力なドラゴンポケモンというのが恐ろしい。

 

 確実に、異能というほどの才。これが、歴史に選ばれた伝承者、シガナの力だった。

 

 圧倒的な濁流は全てを飲み込んでいく。男も、キリキザンも、そのキリキザンが先ほど切り倒した木も。質量はもはや関係ない、ただ巻き込まれては流れに加わるだけだ。

 

 ………そう、それは技を指示した本人も例外ではないのだ。

 

「ごぶっ、お、おいッ!? お前、まさか最初っから相打ちをッ!?」

 

「……お前は、頭がよく回る。それに、気配にも敏感だ。だけど、僕が命をかけてると分かれば、興奮して冷静でいられなくなるのに賭けた。相打ちってのは、ここまで本気でやらなければ、どこかで気づかれていただろうからだよ。別にやりたかったわけじゃない……けど、お前がヒガナたちを狙うんなら、惜しんでる時間はない」

 

 男は確かに思い返す。普通であれば、こんなポケモンの数が揃っていれば、気づかないわけがない。ただ、今回に限っては、目の前のことに熱中しすぎていたのだ。初めて会うような戦い方をする、それも覚悟の決まった相手だ。冷静さを失うには、十分な条件だった。

 

 そして、既にシガナも半身が水に浸かり始める。そろそろ体の体制が保てなくなって、水の流れに身を任せる頃だ。男はとっくに水の中に沈むが、息を止めて今度こそ冷静に考える。

 

(くそッ、クソクソクソ!! い、いや待て! いくらこの水量といえど、無限じゃねえんだ! ならば必ずどこかで終わりが来る! 先に流れた先に向かえばッ―――)

 

 この濁流に飲み込まれた先には、一体何が待っているのか。一つ言えるのは、その流れの先には終着点が待っているということだ。男はもがき、必死に先へ先へと向かう。足場だ、今はとにかく地面に足を着かなければ。

 

 そうしてもがいた先で、ようやく水量が減ってくる。這い出るように顔を出して、呼吸をすると、まず地面を探す。

 

 

「安心しろ、ちゃんと終わりはある」

 

 

 目の前に広がる景色と、どこかから聞こえてきたシガナの声だけが、情報として伝達された。

 

 そこに、男を受け入れる大地などなかった。

 あったのは、空気と、遠く離れた真下で広がる水面だけだった。

 

 

「………はっ、結局、俺の負けかよ」

 

 

 流星の滝。そこが、シガナが死地として選んだ場所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男は……先に落ちたか。この高さなら仮に助かっても、まともには生きていけないだろう。

 

 だけど、それは大人の身体を持つ者の話であって、体がまだ小さい僕はどうだ? 言うまでもなく、確死だろう。

 

 こんな方法でしか勝ちを掴み取れなかった、この他に手がなかった、と言えば嘘になる。自分が生き残るだけなら、ヒガナを逃した後、ポケモンたちで男の妨害をしていれば、里の大人たちが間に合ったであろう。

 

 だが、それは男がまともに自分に付き合ってくれる場合の話だ。男の性格の全てが分からなかった以上、あの場で妨害に徹したところで、ヒガナを追いかける可能性だってあった。真っ向から対峙しない自分に興味を持たなければ、そうなっていただろう。

 

 その場合、里の大人たちと男が戦うことになる。そうなれば、アイツは確実に何人か殺す。快楽と殺意が目的思考の塊のような男に、あの実力が伴うのだ、厄介極まりない。

 

 そして男は倒したとしても、何人か犠牲が出るのでは納得がいかない。

 

 それに、もしかしたらその過程でヒガナが死ぬことだってあり得る。相手の殺意を煽るような行動ならば、構わず取るだろう、あの男ならば。それだけは、何としてでも阻止しなければならないことだったのだ。

 

 自分が死んだ後のことだって考えた。自分が伝承者である以上、この役目を誰かに背負わせなければならないことにもなる。難しい判断ではあった、悩みに悩んだ結果はこれだが。

 

 申し訳ない。やりきれない。そんな気持ちがあったけど、後悔だけはしていない。

 

 

 落下する。

 

 

 ヒガナが助かったんだ。それだけで、十分だ。

 

 

 落下する。

 

 

 …………でも、でももし。

 

 

 落下する。

 

 

 生きてまた会えたら、その時は―――――

 

 

 ………………落下、ではなかった。

 

 感触があった。

 

 だけど、痛くはなかった。

 

 

 

「……………ああ、まさかね」

 

 

 思わず声が出た。

 

 思ったのは、目の前のポケモンは、普段は冷たいけど、その瞳の奥は、心の奥底は、きっと暖かいはずだということだ。

 

 だって、こうして僕を助けてくれたんだから。

 

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