「……負け、か」
空を見上げて、サカキはそう呟く。
なんとも哀愁漂う顔の先には、瀕死となって気を失ったデオキシスが倒れており、その一方で、満身創痍のミュウツーがなんとか体裁だけは保とうと必死で空中姿勢を留めている。
「フハハ……誇るがいいさ。このサカキに勝利したこと、そして、真にミュウツーを手に入れたことを。我が野望はここに潰えたのだ」
「……潰えたって、お前にはまだポケモンが―――」
「これ以上の戦闘は無意味だ。確かにお前たちはすでに限界で、続ければこちらの勝ちだろう。だが、そんな勝利に意味などはない、俺が気に入らん」
「なんだそりゃ……」
サカキがあと一匹でもポケモンを繰り出していれば倒れるのはこっちだった。だが、どうやらコイツのプライドはそれを許さないらしい。非道なことはすれど、こういうところが律儀なのがよく分からない……いや、それこそサカキがロケット団のボスである所以なのかもしれない。悪のカリスマ、とでも言えばいいだろうか。その素質はプライドにこそ宿っているのだろうか。
それにしたって、引き下がってくれるのであればありがたい。情けない話ではあるが、こっちも立っているのがやっとなのだ。コイツは一発殴っておきたいところではあるが、そんな力すらも残されていない。
「ッ……ああ、はいはい、そうかよ。負けを認めたってんならこのまま大人しく帰ってこの地方から出ていけ」
「おや、そんなことでいいのか? 俺を逃せば、またどこかでいくらでも悪事を企てるぞ?」
「あー……ならここでデオキシスを逃してけ。ミュウツーもデオキシスもいないんだったら少しくらいは活動も制限されるだろ。あとはもう知らん……こっちは疲れてんだ。早くしてくれ」
「了解した。ここにデオキシスは置いていこう」
なんとも気味が悪いほどサカキは従順だった。勝者の言うことには素直に従うのもサカキなりの教示なのだろうか。しかしまあ、何ともあっさりしたものではあるが、戦後処理なんてこのくらいのものでいいだろう。正直あれしろこれしろ言ったところで、コイツはどうにもならない気がする。それなら、もう関わらないのが無難だ。
「………いいの?」
突然、ヒガナがそう訊いてくるが、これは当然の疑問だろう。サカキという大物を捕らえられる最初で最後のチャンスかもしれないからだ。俺は再び考え直すも、決断は変わらない。
「まあ……いいんだ。責任逃れかもしれないけど、俺は警察でもチャンピオンでもないし、コイツをどうにかしようって気ももう無い。何か起きてもハルカみたいな、もっと凄い人がなんとかするさ」
「………そう。キミがそう言うんなら、私だって何も言わないよ」
これで良い、俺に出来ることはもう何もない。これで一つ、決着をつけられた。……だけど、まだやらなきゃいけないことが残っている。
もちろん、それは―――
「さて、デオキシスも逃がしたことだし、
「……まだいたのかよ。さっさとどっか行きやがれ」
「これはこれは……そこまで厭悪されているとはな。では旧時代の遺物は立ち退かせてもらうとしよう」
そう笑いながら、おもむろにサカキは飛空艇の内部へと戻っていく。その足取りは重いものではなく、サカキ自身、なにか執着が外れたような雰囲気を醸し出していた。このまま真人間になってほしいとは思うものの、それは奇跡でもない限りありえない。
多分、サカキは変わらない、執着が外れたと思えたのも一時的なものかもしれない。揺るがない強い意志があるからこそ、その信念も、世界を支配する野望も、きっとこの先も抱き続けていられるのだろう。その意志の強さだけは尊敬に値する、やり方は全く理解できないが。
飛空艇が飛び立つその寸前、サカキがこちらを見やって口を開くのが目に入る。
「最後に、一つだけ言わせてもらおうか。私はこの世界を諦めたわけではない、世界を手にする瞬間……いずれまたその時が来れば出会うことになるだろう。それまでの時間、ミュウツーとともに楽しみにしておくがいいさ。それから――――」
言葉が続くことはなく、サカキは寸前で口に指を当てる。
「…………いや、これは次の機会に取っておこう。ではさらばだ、運命に惑う若者たちよ。ハハハ…………!」
最後までうぜえなコイツ……
笑い声に苛立ちを感じながらも、最後までその立ち姿を見届ける。やがて、その飛行船が轟音をかき鳴らして風圧を巻き起こすと、暗い空の奥へと沈んでいった。そして、雲が全てを飲み込んで何もかもが見えなくなると、ようやく終わりを迎えたのだと実感する。
……色々とあったが、ひとまずは今ここに、サカキとの因縁を終えた。少なくは無い達成感を感じるが、それはこの後に待っていることを考えると決して気持ちのいいものではなかった。
「……ええと、訊きたいことは多いけど、とりあえず……お疲れさま」
「……あ、ああ」
もう一つの懸念、それはヒガナとの関係についてだ。
過去を思い出したはいいものの、それをどうやってヒガナに説明したものか。急に「実は俺、シガナなんだよね」、とか言ったところで、この場で信じてもらえないのは明白だ。混乱が重ねっているこの状態では頭には入ってこないだろう。
それも何もかもサカキが悪い。場を掻き乱すだけ掻き乱していって、去っていきやがる。こんなことは前にもあったが、あの男はまたも気まずい雰囲気だけ残していったのだ。
「あはは……さっきの様子からして、記憶、取り戻せたんだね?」
「え、あ、うん……」
「そう、よかったじゃん」
「あ、ありがとう………?」
意味も分からない感謝を伝えると、沈黙が場を支配する。互いに何を話せばいいのかわからなくなっている状況だ。
うわあ……やべえ、今更どんな顔してヒガナと話せばいいんだよ!? 元々ここで会った時から若干不穏な感じだったのに、シガナ時代の記憶が追加されたせいでますます話しにくいわ!
ど、どうする!? ええと……まずは会話だけでも繋げなくちゃ……ああでも何話せばいいんだ……!?
「あ、ヒガナ……えーと……その……」
「ねえ、一つ、いいかな」
遮るように、ヒガナは語りかける。ここで話を続ける勇気もなかったので、黙って首を縦に振る。ヒガナの様子はさっきからどこか達観していた。さっきのボーマンダの攻撃で気力を使い果たしただけなのかもしれないが、疲れを感じさせるような雰囲気だった。
ヒガナは座り込んだままだった姿勢から、残り少ない力を込めて立ち上がり、覗き込むような目で見つめてくる。
「キミは一体何を思い出したの?」
そう言って、彼女は簡潔に、されど優しく問いかけてくる。
「いや…‥これを訊くのはちょっと違うかな。直接はずるいよね、じゃあちょっと質問を変えて……そうだなあ、前に話したこと、覚えてる……と言うより、それも思い出した?」
前……おそらくは、最後にヒガナと会った時のことだろう。もちろん、ミュウツーは全ての記憶の封印を解いたわけだから、そのことも思い出している。出しているのだが……
「………あ、ああ」
「そっか。いやあ、じゃあ恥ずかしいところをお見せしたね。でも、キミだってよくなかったと思うんだ、人の地雷をずかずか踏み倒して行くなんて」
そういえばそんなこともあったなと記憶が蘇る。あそこまで取り乱すようなヒガナの姿は子供時代でしか見ていなかったからか、今思えばヒガナは相当皮を被って生きているのだろう。
「そーんな私が恥ずかしいだけの話は置いといて、こっからが本題ね」
「私、これでも流星の里の民だからさ、なんていうのかな……波動? とか、生き物に固有の氣の流れとかさ、そういうの人並み以上に感じ取れるんだ。そういう修行だってしたし、間違えたりはしないはずなんだけど」
ヒガナの言う力は確かに覚えがある。俺も過去にそういう修行をしたし、何より俺の持つ力はそれに関係したものだからだ。加えて、メガシンカという現象も身近であろう。ポケモンとトレーナーが互いに信頼し合う、感情の流れという点で一致している。
ここで肝心なのは、どうしてヒガナがその話を始めたのか、それに尽きる。
「キミが戦っている最中、そういうのが結構感じれたんだよね。ミュウツーがメガシンカしたからかな? き自身の波動も溢れ出てきててさ」
わざと遠回りをしているのか、それとも問いかけて反応を見ているのか、ヒガナはまだ説明を続ける。
「それを感じてさ……どうしてだろうね? 懐かしい気持ちになったんだ。どこかで感じたことのある波動だったんだよ、君の持つそれは。いや、勘違いだったらいいんだよ? それで終わりだからさ、けど……」
こうして紡がれる言葉に、口を挟めないでいる。介入する余地などどこにもなく、ただ聴いているだけしかできないでいる。多分それは、ヒガナが何を言おうとしているのか、薄々気づき始めてしまっているからかもしれない。彼女自身から結論を口にするのを、待っているのかもしれない。そうであれば、なんと情けないことだろうか。
「もう、いいかな? 十分でしょ、何が言いたいか、気づいてるよね?」
「……ああ」
ヒガナはそう言って、ようやく自分から話すのを許してくれた。ヒガナの口から語らないでいてくれたことに安堵を覚えながら、彼女の不安げな顔を見つめる。
ああ、そうだ。お互いに分かってしまったのだろう。互いの正体に。
深く深呼吸をして、何から話すか考える。いや、その時間も勿体無い。今、口に出す言葉は一つでいい。
「俺は―――――」
過去に置いてきた後悔を、拾い始める。今はそういう時間だ。