「……俺は、シガナだった」
そう言って、彼は少し気弱そうな表情を見せる。
たったそれだけの言葉だったけど、それで伝わると思ってるし、元に理解してしまったのは、互いがある程度察してしまっているからだろう。
確かに、驚きは少なかった。彼がそうだと確信したのはメガシンカの際に見せた波動からだけど、予兆は何度もあった。グラードンの時に重ねた姿も、追いかけてきた時の勘の良さも、全部そうであることの証明になっている。
今はこうでも、気づいた時には結構驚いたんだよ? 生きているなんてありえないことだったし……一人称だって変わってたしね。それがこんなところでまた会えるなんて。でも、それで驚くってことは……私も、“想像力が足りなかった”ってことなんだろうね。
……急に震えてくる、寒さに気づいたからだ。
この震えを抑えるためにどうすればいいか、そんなの分かりきってるじゃないか。
◆
「ッ!?」
彼が自分の正体を告げた次の瞬間、胸に大きな衝撃が走る。
勢いは強く、そのまま地面へと押し倒されると、胸に抱きついていたヒガナが目に入った。彼女は顔を服で隠すように被さって、今どんな顔をしているのか悟られなくしているようだった。
「……何か、言うことは」
「えっ……えーと……久しぶり……?」
「………ちっがーう!!!!」
耳が張り裂けそうになる大声が空に響く。体力が尽き、休んでいたミュウツーとヒガナのボーマンダも今ので、体をビクリとさせてしまう。その威力で間近で食らった彼はというと、今度こそ気絶しそうになるも、どこか懐かしさを覚えているような感じだった。
大声を放つと同時に顔を上げたおかげで、ようやくヒガナの顔がはっきりと見えた。
「………どうして、私を一人にしたの」
彼の胸にポツリと、涙が溢れる。爆発した感情を抑えられなかったヒガナは、一切を込めて、押しかけるように吐露する。
「…………ごめん」
涙に対して彼が返したのは一言。だけど、この一言を言うためにどれほどの年月を経てしまったのだろうか。彼はこれからヒガナから食らうであろう糾弾も覚悟していた。
だが、現実は想定していたものとは異なっていた。
「ふ……ふふ……ごめんって? どうして……シガナが謝るのさ。シガナは悪くなんかなかった、あの時だってああしなきゃいけなかったんだよね? そう、悪いのは……弱かった私なんだよ」
「それは―――」
「いいんだよ? シガナはただ、私が弱いから、って言えばいいんだ。私のせいにしてくれればいいんだよ。そう、でしょ?」
ヒガナはどこまでも自分の責任だと言い張る。認めてくれる人がいないことによる自己肯定感の低下、民間人を巻き込んだ行動における罪の意識、何より、過去のトラウマが彼女を変えてしまっていた。
彼女が弱いから、というのも事実の一つだろう。完璧に使命を果たすことのできない力がないから、こうするしかなかったのだ。
「だから、もういいでしょ? いくらでも私を責めていいから……だから……もう見捨てないで、一人にしないで………」
今まで軽口を叩いてきたとは思えないほど、縋るような弱々しい声が上がる。
伝承者としての役目も終えて、そのタイミングで運命的に彼と再会できたのだ。そうなれば、彼と共にいること以外に望むものなどはなかった。もしも、ここで彼と再び会えていなかったのなら、別の生き方もあったのかもしれない。
だが、出会ってしまった。彼は、思い出してしまった。
衝動は抑えられない。ここがifの世界であろうと関係ない。ただ、そうなってしまっただけの話なのだ。
ここでヒガナが懸念していた唯一のことは、彼がヒガナを見捨てて、置いていくことだった。それは、この状況の彼女にとってはあり得ないことではなかった。ただでさえ、非道なことをした自覚さえあるのに、彼から継いだ伝承者の役目も十分に果たせなかったのだ、失望されている可能性だってある。
「………違う」
ただ、彼がヒガナに対してそんなことを思う人間ではないことは明白だった。
「ヒガナは悪くない……」
「……な、んで? 否定なんて……しないでよ」
「いいや、ヒガナは弱くだってないんだ。俺にはない強さを持っているから」
彼は語る。己が信じる強さを、かつて、彼が力不足故に選ぶことの出来なかった選択を。
「あの時、ヒガナと一緒に逃げることが俺には選べなかった。怖かったんだ、失うのが。もしも失敗したら殺されてしまうんじゃないかって、誰かいなくなるんじゃないかって。それを恐れたんだ」
「……そうやってシガナが怖がったのは、私の弱さが原因でしょ?」
「関係ないよ。少なくとも、0.1%でも、そこには可能性があったのに、選ばなかったのは俺だから。未来を信じれなかったせいだって」
ヒガナは顔を歪める。今の彼女自身を構築していた唯一のもの、自己否定でさえも否定されたからだ。そうなれば残されたものはもう何もない。今の彼女は、もはや肯定も否定もない。ただ、空っぽの存在だけが生まれるだけだ。
「……違う、違う違う違う違う!! 私が何も出来ないのが悪いんだ! 才能がなかったのが悪いんだ! あんなに頑張ってもシガナの跡すら追えなくて、私なりのやり方も失敗して、ぽっと出の奴らに役目も奪われて!!」
どこかへ叫んでいる。その怒りの矛先は全てに向いているように見えて、たった一人にしか向かっていなかった。幻影を追い続けて生きてきたはずが、いつのまにか見失っていた。もしくは、もともと見えていなかったのかもしれない。
今、ヒガナにできることは否定を求めて、叱責してくれる存在を創ろうとしているだけだった。
「ねえ、言ってよ! 私が悪い、って! それで全部済むんでしょ!? それで皆許してくれるんじゃないの!? こんなことをした私を、あなたを傷つけた私を!!」
結局、救いを求めていただけだった。赦しを待っていただけだった。
そのタイミングは、彼と出会ったことで与えられてしまった。彼がいなければ、自分でそれを追い求め始められたのかもしれない。またやり直せたのかもしれない。
だが、過去がそこにある限り、固執してしまうのは定めであった。
「言って……言ってよ……! お願いだから……それだけでいいから……」
許しを乞うことに躊躇いはない、それだけのことをしたと自覚しているからだ。
涙を隠すことすらもはやしない、そんなことをする余裕もないからだ。
しかし、そこまでしても、譲れない思いを持った人間だっている。
「…‥言えない。ヒガナだけが悪いなんて、どうしてそんなことが言えるんだ」
「―――っ!! なんッ―――」
「
彼は、変化する。いや、取り戻す。
混ざり合う記憶の濁流が自分すらも曖昧にする中、ただひたすらに、思いを紡ぐ。
「……………は? 私の、強さ?」
「逆にどうして認めてあげられないんだ。たった一人でここまでやってきたことを、頑張ってきたことを。僕が知っている限りでも、ヒガナはキミにしか出来ないことをやってきたはずだよ。シガナでは無理だったことを、やってきたんだ」
「……そんなの、一つもない。私に出来て、シガナに出来ないことなんて一つもない」
「いや、ヒガナはやったはずだよ。覚えてる? グラードンを倒しに行く僕のことを」
記憶を遡る。グラードンが現世に蘇り、世界を破滅へと導き始めた時、まだアキハだけであった時の彼は無謀にもグラードンへ挑みに行こうとしていた。
「それが……なんなの?」
「信じてくれたじゃないか、僕のことを。無理だって思っても、最後には送り出してくれたんだ。僕はヒガナを信じれなかったのに、ヒガナは僕を信じてくれて、そのおかげで上手くいったんだよ」
「上手くいったのなんて、結果でしかない。それに……状況だって違ってる。あの時のシガナは信じるに値しても、私の場合はそこまでの力がなかった! それだけの話じゃない!」
「……いや、ヒガナが分かってないだけで、キミは本当はもっと強いんだよ。今の僕は、そう信じてる」
ヒガナの力を信じて、一歩も食い下がらない彼に理解が遅れる。どうして分かってくれないのか、自分がそこまで大層な人間じゃない、ってことを。彼が信じる価値のない人間だってことを。
とっくにヒガナ自身の自己評価は地の底に着いている。なのに、彼はそこから引っ張り上げようとしてくる。たとえどれだけの錘があろうと、1cmでも高く引き上げようとしてくる。
「なんで……なんで!? こんな……こんな私のどこにっ……信じる要素があるっての!? 私ですら分かってないのに、なんでシガナが分かるの!? ………ッ、今日まで、一緒にいてくれなかったくせに……」
必死に言い返すが、だんだんと表層は崩れ始めている。声の迫力が、それを物語っていた。
叩きつけるような言葉を受け止めて、彼は弱々しくなってゆくヒガナを柔らかく抱きしめると、彼が抱いていた情景をゆっくりと伝える。
「ヒガナの強さなんて、最初から分かってたよ。僕がまだ伝承者だった頃から、何度もヒガナに救われてきたから」
「…………嘘だ」
「嘘じゃない。ヒガナが手を取って連れ出してくれた毎日が、ヒガナが笑っていたあの日々が、僕を救っていたんだ。それだけで、いくらでも頑張れたんだ」
「っ………」
ここでようやく、たった一瞬だったが、ヒガナは認めてしまった。彼の言ったことを、自分が彼を救っていたんだということを。その顔を見れば、信じずにはいられなかったのだ。
「でも、私が悪いことには何も変わりない。これまでやってきたことは変わらない。だから、私は罰せられなきゃいけないの」
「……それは、そうかもしれない。けど、ヒガナだけの責任じゃない。少なくとも、その責任の一端は、僕にだってあるはずだ。伝承者としての責務を全う出来なかったのは、僕も同じだ」
「……同じ、ね。なら、シガナは私と一緒に罰を受けてくれるの? ふふ……無理だよね、だってシガナは全く悪くな―――」
「ああ、できる」
即答だった。
聞き間違いかと思って大きく目を見開いたが、ヒガナの目に映る彼の顔は、真剣そのものだった。まさしく覚悟を決めたと言っていい、そんな表情だった。
「え……で、できるって……」
「実際にどうなるかは分からないけど、どうにかしてみせるよ」
彼はヒガナの肩を強く掴むと、面と向かってそう宣言してみせる。
「それから……言うタイミングがなかったけど、これだけは言わせてほしい。もう、絶対にヒガナを一人にはしない、責任も役割も全部、一人で背負いこませないって」
「………ぁえっ……」
まさか、彼からそんなベタなセリフが聞こえると思っていなかったし、あまりにも唐突すぎたというのもあって、思わず素っ頓狂な声を上げる。次に、ヒガナは顔が熱を帯び始めているのを感じてしまう。
「……ば、バカじゃないかな? そんな都合よく―――――」
平静を装うも、向けられた視線からは逃れられない。希望を抱いてしまったからか、震え出す唇で真に問いたかったことを綴る。
「………………ほ、本当に、一緒に居てくれるの?」
「もちろん、ヒガナがそう望むのなら」
笑って、彼は答えた。
「………いいの? 本当に……こんな……私のままで? 私を許していいの……?」
「そのままのヒガナがいいんだ」
「ッ―――シガッナあああああああああ!!!」
「おぶっ!?」
すると再度、突撃を喰らう。
この光景にもどこか既視感を覚えるのは、頬に流れた涙のせいだろう。失ったと思っていた肯定感を取り戻すと、我慢してきた思いを吐き出してしまう。
「ずっと……ずっと寂しかった……一人で……誰も味方なんていなくて……それでも、強くあろうとしたけど、私には無理だった……」
「ここまで来ても、レックウザは私を認めてくれなくて……代わりに選ばれたのはハルカで、そんなの……理不尽だって……」
「ぅぐっ……でも、分かってた。私は……伝承者とか……世界を救うとか……どうでもよかった。ただ、シガナの隣に居られれば……それで、それだけで十分だって……」
何も変わっていない。ヒガナは伝承者でもなく、最初から普通の少女だった。揺れぬ想いをその胸に保ち続けた、普通の人間だった。そんな少女が重い使命を背負わされて、一身に全てを受け止めようとしていたのだ。
「………うん。大丈夫、もう大丈夫だから」
「シガナぁ……シガナぁ………!! 行かないで……もう、どこにも……」
「分かってるよ……いくらでも、聞くから」
時間は、過ぎる。
されど、ここにいたのは少年少女、変わらぬ関係の二人だった。