俺が覚えている中で最も古い記憶は……何歳くらいだったか。多分今から十年……いや、それより少し短いくらいだったかな。実際今の俺の年齢も確かじゃなくてだいたいこのくらいだろう、って感じだしな。
それで……最初に気がついた時、俺はどっかの森にいたんだ。
ポツンと1人で立っていたから、周りには何も無かったし、そこがどこなのかも知る由も無かった。
持っていたものといえば……いつの間にか手に握っていたモンスターボールだった。
記憶喪失って言っても、ポケモンの種類とかモンスターボールの仕組みとか常識的なことは覚えててな。記憶から抜け落ちていたのは、そこに至るまでの俺に関する記憶全てだった。
だから、そのモンスターボールには何が入ってるかも分からなかった。だけど、このままじゃどうしようもないわけでとにかくそれを開くことにしたわけよ。
とりあえず俺が持ってたってことは俺のポケモンだったんだろう。っていうことを考えてたから、もしかしたらそのポケモンが何か知っているかもしれない、とも思った。
だけど、出てきたのは俺も見たこともないようなポケモンだった。
無表情で、冷酷そうなそのポケモンは俺の持っていた記憶のどれにも当てはまらなかった。
でも、奇妙なことにそいつの名前は、────『ミュウツー』って単語だけは、頭に浮かんできてたんだ。
一度頭に浮かんだその名前をポツリと呟くと、そのポケモン、ミュウツーは今までの無表情を崩して驚いたような顔をした…‥ように見えた。
何かまずいことでも言ってしまったかと焦り出す俺に、ミュウツーはゆっくりと近づいてきた。そして、俺の真正面に立ってミュウツーは腕を上げようとしたから、襲われると思って目を伏せた。
…‥と、思ったけど特に何もされることはなかった。
俺が恐る恐る目を開けると、ミュウツーがじっくりこちらを見つめていただけだった。
そうして俺がそんなミュウツーに怯えつつ、困惑していると足が動かなくなっててさ。そのままミュウツーと見つめ合う数分間が経過した後に、ようやく偶然そこを通りかかった大人に助けてもらって何とかなった……ってわけ。
………え? そこからどうなったか?
あー……そっからは適当な家に引き取ってもらって、適当に暮らしていただけだぞ。
まあ強いて言うなら……家の周りにいた博士の孫と、現在のガラル地方のチャンピオンと過ごしてきたくらいだな……いや、俺は何もしてないって。言ったじゃん、ただの放浪者だって。
◇
「………とまあ簡単に説明するとこんなところかな。他に気になったところとかあったか?」
「色々言いたいけどさあ……明らかに厄ネタ抱えてるよねその人生!?」
「ま、ですよね…………」
自分でも言うのもなんだが、俺はなかなかに奇妙な人生を送っているようだ。
記憶喪失以前の自分がどんな人間だったのか今まで思い出す気にもならなかったが、こうして振り返ってみると謎が残るものだ。
「んで……? さっき知らないおじさんに何て話しかけられたんだって?」
「えーと、『手持ちのポケモンは元気か』だかなんだか。そんなの、ミュウツーのこと一択なんだがなあ……」
「まあ、突然知らん人に手持ちのポケモンが元気か、って言われたら困惑するか……アキハは本当に、その人のこと知らないの?」
「あんな怖い人と知り合いな記憶はない、と言いたいんだが、どっかで見たことあるような気もしなくもないんだよな……」
知らないおじさん、とはさっきの意味深ヤクザのことだ。謎を残すだけ残していって、立ち去ったことはモヤモヤして眠れなくなるので、会って事情を聞きたいものだ。とはいえ、あんな柄の男とはもう二度と会いたくないというのも本音だ。
「ふーん……? ミュウツー……ミュウツーかあ……」
「あ、さっきから名前は出してたけど詳しくは言ってなかったな。手持ちのミュウツーって言うんだけど、こいつも結構曲者っていうか、俺も分かってないことが多いポケモンなんだ」
これまでミュウツーと共に生きてきたわけだが、その生態や詳細については殆どが不明だ。図鑑にも載っていないし、博士に聞いても『知るか』の一点張りだ。確かなのは、ただ強いということだけ。
俺がそう答えると、ヒガナは肘をつきながらカップに注がれた飲み物を啜る。
「聞いた限りだと、そのミュウツーってポケモンはキミが記憶喪失になる前に捕まえたポケモンなんだよね」
「記憶は無いが、そういうことになるな」
「なら、そんなミュウツーのことを知っている……らしいおじさんはアキハ、キミのことも何か知っていてもおかしくはないんじゃない? 少なくとも、キミの記憶の外側で何らかの関係はあるみたいだし」
「むぅ……確かに……」
考えたこともなかった。失われた記憶なんかに興味はなかったし、記憶を取り戻したいとも思わなかった。だが、今回を踏まえて、俺には何か知らなくてはならないことがあるのでは、と思う。
それを教えてくれる人はいない。ならば自ら避けてきた過去に向き合う時なのだろうか。
「……ま、難しい話はいいんだ。今のところ俺が不利益を被ってるわけでもないし、この話はここでおしまいにしよう」
「あれ、思ったより淡白。自分のことだからもっと真剣になるかと思ったんだけど」
「ヒガナもさっき言ってただろ、厄ネタ抱えてるだろって。知らない方がいいこともあるんじゃないかな」
記憶を失った原因が何なのかは分からない。ただの物理的なショックなのか、それとも人為的な工作なのか。どちらにせよ、それを知って良いことなんて今の俺には思いつかない。
だったら、知らない方が身のためなんじゃないのか、そう思い込む。
「へえ……ま、キミが良いんならそうするべきじゃないかな。でも……そうだな、キミがもし自分の記憶に興味が湧いたら、トクサネシティに向かってみなよ」
「トクサネシティ?」
「うん、そこのジムリーダーはエスパー使いでね。超能力を使えるって噂だよ」
「………あー、つまり超能力で記憶を蘇らせる、ってことか」
「そーいうこと。ジムリーダーだから、そう簡単には通してもらえないかもだけどね」
サイキッカーってのはそんなことも出来るのか。超能力というと……ミュウツーによく食らってるアレに似ているのだろうか。
………別に超能力で攻撃を受けたいわけじゃないが、そのジムリーダーが少し気になってきたな。
「さて、話はこんなところかな? 食事も終えたし、そろそろ解散といこうか。今日はありがとね」
「こっちこそ、飯だけじゃなく、こんな相談までしてもらって悪かったな。また今度借りは返させてくれ」
「ふふ、それは一体いつになることやら」
「うぐ……」
腹は満たされたが、金はないままだ。これからはまたその日暮らしの生活を耐え凌がねば……
食事を終えたヒガナは俺より一足先に席を立つと、この場を去ろうとする。俺も続こうと椅子を引こうとした瞬間、ヒガナの口が開く。
「あ、そうそう。突然だけどアキハ、『マグマ団』って知ってる?」
「………名前と見た目くらいは。ていうか、さっきあの女の子にボコボコにされてた奴もそうなんじゃないのか?」
「そうだねー。マグマ団ってのはね、彼らが言うには人類の更なる進化のための組織らしいんだよ。まー、ちょっとやり方が合理的すぎるんだけど」
そういえば、あの洞窟で出会ったマグマ団もレジアイスを捕獲したがっていたな。
その最終的な目的が人類のためだとして、そんな組織が武力を手に入れてどうしようというんだろうか。力を手に入れたところで、頭は良くなるわけではない。それはむしろ脳筋となって退化しているのではなかろうか。
「で、そのマグマ団がどうしたんだ?」
「いや? ただの注意勧告だよ。あいつらかなーり乱暴だからさ、もし巻き込まれでもしたら困ったことになるだろうし」
「あぁー……そうだな……」
嫌な思い出が蘇る。あのマグマ団のしたっぱ達、襲うだけ襲ってきてすぐさま逃げやがって。
マグマ団があんな奴らの集まりだと思うと、少し寒気がする。ホウエン地方の人は苦労してんだな。
「…………うん、やっぱりそうか」
突然、何かを確信したようにポツリと、聞こえないくらいの大きさでヒガナは声を漏らす。
「……?」
「うん、それじゃあまたね。アキハ」
「ああ……?」
しかし、何事もなかったのようにヒガナは別れを告げるのだった。
◇
時は経って、輝く星々がよく見える程の空へと移り変わった。
そんな空を見上げるヒガナは、風に吹かれながら一人感傷に浸る。空を埋め尽くす星を見ていると、不安も何かも忘れて吸い込まれていけるような気がして。
「…………まさか、例のトレーナーがアキハだったなんてね。それに、記憶喪失って……いくら何でも盛りすぎじゃないかな……」
ヒガナは独り言のようにそう語り始める。彼女の後ろにちょこんと立つゴニョニョは、その語りの意味を理解することなく聞いていた。
「いやダメダメ。こんなところで余計なこと気にしてる場合じゃない、そろそろ計画が実行に移される頃なんだから。私もやることやっておかなくちゃ」
ハッとしたようにヒガナはそう自分に言い聞かせる。計画――つまり、マグマ団の理想を果たすための行動が始まるのだ。
ヒガナはマグマ団の理念自体に興味は微塵もなかったが、その組織自体は使える、そう考えた。マグマ団を利用して、自身の目的を叶える。そのためにこれまでマグマ団に色々と協力してきたのだ。
その手始めに、超古代ポケモンの存在を教えた。その名も、『グラードン』、かつてマグマを生み出し大地を造ったと言われる伝説のポケモンだ。
「もしグラードンが復活したら……まあ確実に死人は出るよね。数日も経てば世界の気候もおかしくなるだろうし、そしたら私ってば、世界に混乱を招いた大悪人だなあ」
さらりと、ヒガナはそんなことを口走る。
グラードンというあまりにも強大な力は世界に大きな影響を与える。そのポケモンが生み出す惨状を想像できても、ヒガナはそれを受け入れたようだった。
「…………分かってる、分かってるのに、怖いもんだね」
「………ゴニョ?」
「んー? どうしたシガナー? もしかして心配してくれるのかー? このこのー! お前はいい子だなー!!」
そう言ってヒガナはゴニョニョを抱き抱える。
しかし、その顔にいつものような平然とした様子は無い。不安で満ちる中、自分を落ち着かせるために無理やり作り上げたような笑顔を見せる。
ただ――
「あはは……はは………………」
乾いた笑いが流れる。すると、顔に浮かべていた笑みもだんだんと剥がれていく。そうして残ったのは、ただの普通の少女の姿だけだった。
「…………ねえ、シガナ。私、これでいいのかな?」
何かに確かめるようにそう訊くヒガナ。
シガナ、と呼ばれるゴニョニョは名前を呼ばれたので主人の顔を見るが、その目は自分には向いていなかった。まるで、どこかにいる別の誰かに尋ねているような、そんな雰囲気だった。
「シガナ……会いたいよ…………」
ポツリと、少女は弱音を空へと吐き出した。