うおおおおお、集○社!!!
古賀澪をヒロインとして認知しろ!!!!!
古賀澪のバニーは!?!?!?
※周防七咲のプールでのあの台詞が完璧すぎて、古賀澪の一部の台詞がそっちに引っ張られてます。助けて。
ガチで申し訳ありません。普通に呼称を間違えていました。
2026/10/23 古賀先輩 → 古賀さん、学ちゃん → ガクちゃん
夏の暑さというものは、どうにも容赦がない。
陰陽寮第六支部の廊下には、開け放たれた窓から蝉の鳴き声が絶え間なく流れ込んでいた。時折吹き込む風も生温く、涼を運ぶどころか、かえって外の暑さを意識させてくる。そんな昼下がり、私は山盛りになった洗濯物を入れた籠を両手に抱え、廊下を歩いていた。
「いやぁ、今日も暑いなぁ……。こういう日は洗濯物がよく乾くから助かるけどさ」
籠の中には沢山の洗濯物が無造作に積まれており、その一番上には見慣れて始めてきた男物の衣服が乗っている。夜島学郎――ガクちゃんのものだ。ここ最近は訓練の量も増えているためか、彼の洗濯物は七咲のものと比べても随分と多い。
頑張っている証拠ではあるものの、少しくらい身体を休めてもいいのではないか、とも思う。
「ま、ガクちゃんらしいっちゃ、らしいんだけどね」
そんなことを呟きながら角を曲がろうとしたところで、背後から声がかかった。
「古賀さん!」
「ん?」
振り返ると、廊下の向こうからガクちゃんが小走りで近づいてくるところだった。こちらを見つけた途端に表情を明るくしたものの、近づくにつれて何やら落ち着かない様子になっている。
「お、ガクちゃんじゃん。お疲れさん。訓練は?」
「さっき、一区切りついたところです」
「そっかそっか。相変わらず頑張ってるねぇ。……で、どうした? 何か用?」
「はい。その、古賀さんにちょっと相談したいことがありまして……」
「私に?」
そう首を傾げると、彼は小さく頷いた。妙に歯切れの悪そうな顔。何かを言いたそうにしているものの、なかなか本題を切り出せないでいるようだった。
「……あ、ちょっと待ってな」
抱えていた洗濯籠を廊下の端に置く。ガクちゃんが「あ、持っていきましょうか?」と申し出てきたが、すぐに話が済むだろうと思い、軽く手を振って断った。
「それで、相談って?」
「えっと……先輩のことなんですけど」
「先輩? 七咲のこと?」
「はい」
「七咲がどうかした? あ、もしかして喧嘩でもしたかー?」
「そ、そうではなくて、その……もうすぐ先輩の誕生日じゃないですか」
「そだね」
「いつも先輩にはお世話になってるので、何かプレゼントを、と思ったんですけど……」
「へぇ、いいじゃん!」
思わず声が弾んでしまう。七咲の誕生日を覚えていて、わざわざ贈り物まで考えているとは、なかなか感心な後輩である。
「ガクちゃん、そういうのちゃんと考えてたんだ。あいつも喜ぶと思うぜ?」
「だといいんですけど……。実は、何を買えばいいのか全然分からなくて」
「あー、なるほどね」
ガクちゃんが困ったように眉を下げたことで、ようやく相談の内容を理解した。
女性への誕生日プレゼント。確かに、女性を苦手としている彼にとっては難題かもしれない。私たちと話すのでも時折ぎこちなくなる彼が、相手の好みを考えて贈り物を選ぶとなれば、相当頭を悩ませることになるだろう。
「ちなみに、女の子にプレゼントを買うのって初めて?」
「その、恥ずかしい限りなんですが、誰かにプレゼントを贈るのすら……」
「ふむふむ。で、七咲の大親友である私の助力を貰いに来たってわけか」
「はい。古賀さんなら、先輩の好きなものとか、詳しいんじゃないかと思って」
「そりゃまあ、あいつの好みはそれなりに知ってるつもりだけど……」
そこまで言ったところで、少し考え込んだ。
もちろん、七咲が喜びそうなものはいくつか思い浮かぶ。趣味嗜好もよく知っているし、無難なものを勧めるだけなら難しくはない。けれど、それでは駄目な気もした。
誕生日プレゼントというのは、何を貰うかだけが大切なわけではない。自分のことを考えて選んでくれた、その気持ちが嬉しいのだ。かくいう私もその方が嬉しいわけで。ましてや、可愛い後輩であるガクちゃんから贈られるものなら、あいつだってきっとそう思うだろう。
「そ、それでなんですけど……その、もし迷惑じゃなければ……」
ガクちゃんは一度言葉を切ると、真剣な眼差しで私のことを見つめてきた。
「俺と一緒に、誕生日プレゼントを選びに行ってもらえませんか?」
「…………へ?」
予想していなかった申し出に、思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。
「先輩には、いつも色々とお世話になってるんです。だから、ちゃんと喜んでもらえるものを渡したくて。でも、俺一人だと、何を選べばいいのか分からないから……。古賀さんが一緒に来てくれたら、すごく心強いです。お願いします! 力を貸してください!」
そう言って、学郎は深々と頭を下げた。
どうしたものか……。
『自分で選ばせる』
▶『手伝う』
困った。非常に困った。
さっきまでは、そういうのは自分で選んだ方がいいと諭すつもりだった。よほどのものでなければ大丈夫なはずだし。だから、ここは心を鬼にして、一人で選ばせるべきなのかもしれない。
そう、思ったのだが。
「…………」
目の前で頭を下げたまま微動だにしない後輩のことを見つめる。
きっと彼のことだ。私に頼むのが良くない事だとわかりつつも、どうしても自分のことを信用できなくて、心許なくて、こうして助けを求めてきたのだろう。
そんな姿を見ていると、どうにも突き放す気にはなれなかった。普段から頑張っている後輩が、こんなに真剣な顔で頼ってくれている。それを無下に断るというのは、どうにも難しい。
……ったく、しょうがないなぁ。
「あー、もう! 分かった分かった!」
「えっ?」
「いいよ。一緒に行ってやる」
「ほ、本当ですか!?」
「おう。ただし、一つだけ条件がある」
「条件、ですか?」
「そ。あいつが何が好きなのかくらいは教えてやれる。でも、最後に何を買うか決めるのはガクちゃんだかんな?」
私は人差し指を立て、顔を上げたガクちゃんの顔を見上げた。
「私が選んだものをそのまま買ったんじゃ、ガクちゃんからのプレゼントって感じがしないだろ? 七咲のことを考えて、自分でちゃんと選ぶこと。約束できる?」
「はい! もちろんです!」
「よし。それなら決まりだな!」
そう言って笑うと、彼も心底安心したように表情を緩めた。
「ありがとうございます、古賀さん! 本当に助かります!」
「ははっ、大げさだって。ま、可愛い後輩の頼みだしね。これくらいお安い御用よ」
「それで、いつ頃なら都合がいいでしょうか?」
「んー、そうだなぁ。ガクちゃん、今は訓練で忙しいんだろ?」
「はい。なので、一度鵺さんに相談してみようと思います。半日くらいなら、何とか時間を貰えるかもしれないので」
「そっか。じゃあ、決まったら教えてよ。私はいつでも都合つけれるしな。ガクちゃんの予定に合わせるぜ?」
「分かりました! さっそく確認してきます!」
「はいはい。でも、そんなに慌てなくていいからな?」
苦笑すると、ガクちゃんはもう一度礼を言ってから、その場を離れていった。廊下の角を曲がるまで見送って、小さく笑い、足元に置いていた洗濯籠を持ち上げる。
「ほんと、真面目な子だよなぁ」
誰かの誕生日を祝うために、あそこまで一生懸命になれる。それは、当たり前のようでいて、なかなかできることではない。
七咲も、きっと喜ぶだろう。あいつもあいつで男性が苦手ではあるものの、ガクちゃんのことは妙に気に入っているみたいだし。多少趣味に合わなくたって大切にしてくれるはずだ。
「さて、私も仕事に戻りますかね」
洗濯籠を抱え直し、再び廊下を歩き始めた。しかし、数歩進んだところで、ふと何かに気づいて足を止める。
「…………ん?」
今、自分は何を引き受けたのだったか。ガクちゃんと二人で、七咲の誕生日プレゼントを買いに行く。もちろん、目的はあくまで買い物であって、それ以上でもそれ以下でもない。
ただ、休日に待ち合わせて、二人で街へ出かけるというのは。
「これ、もしかしなくてもデートってやつ?」
思わず声に出してしまった。
「ふふっ。ガクちゃん、気づいてないんだろうなぁ」
もし当日になって、『ガクちゃん、これってデートみたいだね』と揶揄ったら、さぞかし面白い反応を見せてくれるに違いない。顔を真っ赤にして慌てふためくガクちゃんの様子を想像してしまい、思わずくすくすと笑みがこぼれる。
それはそれとして、私も男の子とお出かけするのは初めてなのだが。
◇◆◇
一晩明けて、いつの間にか時間は待ち合わせの十五分前。駅前に到着した私は、真っ先に目的の人物を見つけてしまった。
いや、早いな!?
改札口から少し離れた場所、屋根の下に設置されたベンチの傍に、ガクちゃんが立っていた。日陰にいるにもかかわらず、彼の額にはうっすらと汗が滲んでいた。時折ハンカチで首元を拭いながら、腕時計を確認したり、駅の方を見たりしているところを見ると、到着したばかりというわけでもなさそうだ。
現在の時刻は十二時四十五分。約束の時間までは、まだ十五分もある。私だって早めに来たつもりだったのに、まさか先を越されるとは思わなかった。
ガクちゃんは白い半袖シャツに紺色のジーンズという、随分と無難な格好をしていた。足元も普通のスニーカーで、良くも悪くも飾り気がない。
……それに比べて、今日の私はどうだろう。
白いブラウスに、淡い青色のフレアスカート。足元には細いストラップのついたサンダルを合わせ、いつもより少しだけお化粧にも気を遣ってみた。普段は動きやすさを重視している私にとって、こういう服装は随分と珍しい。
実を言うと、今日着ている服は、以前買ったものの一度も袖を通していなかったものだ。店で見かけた時は、たまにはこういうのもいいかもしれない、なんて思って衝動買いしてしまったのだが、いざ家に帰って着てみると、どうにも可愛すぎる気がして、結局、そのまま箪笥の肥やしになっていたのである。
最初は、七咲や辻田たちと遊びに行く時のような、いつものラフな格好でいいと思っていた。ただ、服を選んでいる途中で、ふと思ってしまったのだ。
……男の子と、二人でお出かけするんだしなぁ。
そう考えたら、あれこれ悩んでしまい、その末に、こいつをを引っ張り出してきたというわけで。
ちょっと張り切りすぎたかな。
改めて自分の服装を見下ろす。こういう格好が嫌いなわけではないのだけれど、普段との違いが大きすぎる気がしないでもない。ガクちゃんに変だと思われなければいいのだが。
……いやいや、何を気にしているんだ、私は。
別に、ガクちゃんに可愛いと思ってもらいたくて着てきたわけではない。せっかくのお出かけだから、たまにはお洒落してみようと思っただけだ。
うん。そのはず。なので、そういうことにしておこう。
そんなことを考えていると、ガクちゃんが何やら難しい顔をしていることに気づいた。時計を確認しては視線を上げ、周囲を見渡しては小さく首を振っている。どうにも落ち着かない様子だった。
その明らかに緊張してそうな姿を見た途端、先ほどまでの妙な気恥ずかしさが薄れていく。
私はガクちゃんの視線が駅の方へ向いた隙に、そっと背後へ回り込んだ。幸い、周囲にはそれなりに人通りがあり、こちらの足音が目立つこともない。ガクちゃんは相変わらず時計とにらめっこをしており、私が近づいていることにはまったく気づいていなかった。
あと三歩、二歩、一歩。すぐ後ろまで近づいたところで、少し背伸びをして声をかける。
「――わっ!」
「うわぁっ!?」
期待以上の反応だった。ガクちゃんは肩を大きく跳ねさせ、勢いよく振り返った。目を丸くしてこちらを見るその顔があまりにも面白くて、私は堪えきれずに笑ってしまう。
「あっははは! ほんといい反応するなぁー!」
「こ、古賀さん!? び、びっくりした……!」
「よっ、お待たせ! いやぁ、そこまで驚いてくれるとは思わなかったぜ」
「急に後ろから声をかけられたら、誰だって驚きますよ……」
少しだけ不満そうに眉を下げるガクちゃんを見て、また笑ってしまう。戦闘中はあんなに頼もしいのに、こういう時は年相応というか、可愛らしいのだから面白い。
「にしても、随分早いじゃん?」
「あ、はい。遅れたら申し訳ないので、少し早めに来ました」
「少し、ねぇ……。ちなみに、何時から待ってたの?」
「えっと……十二時半くらいです」
「三十分前!? こんな暑い日にそんなに待たなくたって……」
「す、すみません……。でも、日陰にいたので大丈夫です」
「そういう問題じゃないんだけどなぁ」
まったく、自分のこととなるとどうにも無頓着なんだから。私は呆れ半分に息を吐き、改めて彼の服装へ目を向けた。
「ま、それはそれとして。今日の格好、いいじゃん。似合ってんねー」
「えっ? あ、ありがとうございます!」
「なんか、休日の男子高校生って感じでさ」
「そ、そうですか? 変じゃないか心配だったんですけど……」
「全然変じゃないって。むしろガクちゃんらしくていいんじゃない?」
そう言うと、ガクちゃんは安心したように表情を緩めた。
「あ、えっと……古賀さんも」
「ん?」
「その……」
ガクちゃんは何かを言いかけたところで、ぴたりと動きを止めた。
どうしたのだろう。こちらを見て、頬を赤らめている。視線が私の顔から服装へと移り、そして、どっかへ飛んでいく。その様子を見ているうちに、何を言おうとしているのか、何となく察しがついてしまった。
もしかして、服を褒めようとしてくれている? あの、ガクちゃんが?
そう思った途端、今度は私の方が落ち着かなくなってきた。別に、無理して褒めてくれなくたっていいのに。けど、いつまで経っても続く言葉が出てこないものだから、少しだけ不安になってしまった。
普段は着ないような服だし、そもそも私の体格にこういう格好が似合うのかという問題もある。背丈も小さいし、こういうのは七咲のようなスタイルのいい女性が着た方が似合うわけで。
「あー、やっぱ似合ってないか?」
「えっ!?」
口にしてから、しまったと思った。これでは、催促しているようなものではないか。
ガクちゃんの性格を考えれば、仮に似合っていないと思っていたとしても、そんなことを口にするはずがない。そんな相手にこんなことを聞くなんて、我ながら少し意地が悪かったかもしれない。
ところが、ガクちゃんは慌てたように首を横に振った。
「い、いえ! そ、そん、なことはないです!」
「……ほんとか?」
「はい! す、すごく似合ってます!」
思いがけず力強い返事だった。
ガクちゃんは耳まで真っ赤にしながら、それでも真剣な顔でこちらを見ている。お世辞を言うのに慣れているようには到底思えない真剣な眼差し。じっと見つめていると、流石に恥ずかしいのか、横に逃げられてしまう。
「その、いつもは、制服なの、で……。こういう古賀さんも……し、新鮮だな、と」
「…………」
……あれ? 何だろう、これ……。どうしてだろうか。何だか、顔が熱い。
「そ、そっか」
「はい!」
「あ、ありがとな、ガクちゃん」
できるだけ普段通りに笑ってみせたつもりだったが、上手くできている気が全くしない。これ以上顔を見られているのは少し恥ずかしい。
参ったなぁ。ガクちゃんをからかって楽しむつもりだったのに、まさか自分の方がこんな気分になるとは思わなかった。
私は妙な気恥ずかしさを追い払うように、ぱん、と手を叩いた。
「……よし! せっかくのデートだし、今日は楽しもうぜ!」
「で、デート!?」
案の定、ガクちゃんの声が裏返った。
「あっはは! そうそう、デート! 男女二人で待ち合わせて、これからショッピングモールに行くんだろ? 傍から見たらそういうことだって」
「ち、違いますよ!? 今日は先輩の誕生日プレゼントを買いに行くのであって……!」
「はいはい、分かってるって。冗談だよ、冗談!」
真っ赤になって慌てるガクちゃんを見て、私はようやくいつもの調子で笑うことができた。
……うん。やっぱり、ガクちゃんとはこうでなくちゃ。
そんな調子でガクちゃんをからかいながら、私たちはショッピングモールの中を歩いていた。今日は休日ということもあって、館内は家族連れや若い男女で随分と賑わっている。外のうだるような暑さとは打って変わって、冷房の効いた店内は快適そのものだった。
そうして歩いているうちに、ふと見覚えのある店が目に入った。
「あ、そういえば」
「どうしました?」
「いや、あの店さ。ガクちゃんと初めましてした時の水着、あそこで買ったんだよなぁって」
「……えっ?」
何気なく指さした先には、女性向けの水着を扱う店があった。夏真っ盛りということもあって、店先には色とりどりの水着が並べられている。あの時に着ていたものも、確かこの店で買ったはずだ。
「ほら、覚えてるだろ? 私とガクちゃんが初めて会った時のこと」
「は、はい。浜辺での幻妖退治ですよね。もちろん覚えてますけど……」
「ほんの三週間前のことなのに懐かしいなぁ」
そう言いながらガクちゃんを見上げると、何故か視線を泳がせていた。どうやら、あの時のことを思い出しているらしい。
「……ガクちゃん、顔赤くない?」
「そ、そんなことないですよ!」
「ほんとかぁー?」
「ほ、本当です!」
何を想像しているのかなんて考えるまでもない。こうも分かりやすい反応をされると、つい可愛がりたくなってしまう。
「あ、そうだ! せっかくだし、ガクちゃんに新しい水着でも選んでもらおっかな」
買ったばかりの水着を新調するわけでもないのに、思わずそんな言葉が出てしまう。
「え…………」
「ガクちゃん、私にはどんなのが似合うと思う?」
「そ、それは……! 俺にはちょっと……!」
耳まで赤くなったガクちゃんを見て、思わず笑ってしまった。まったく、期待を裏切らない可愛らしい反応だ。こんな調子では、今日一日だけで何回からかってしまうか分からない。
可愛い後輩には先輩は弱いのだ。
「ほら、行くぞー。今日は七咲のプレゼントを買いに来たんだからなー」
「……古賀さんが言い出したんじゃないですか」
「んー?」
「い、いえ!」
それから二人で館内を見て回っていると、今度は女性用の下着を扱う店の前を通りかかった。華やかな内装の店先には、レースやリボンのついた商品が並べられている。
ガクちゃんはその存在に気づいた途端、露骨に顔を背けた。別に通り過ぎるだけなら何も気にする必要はないだろうに、随分と律儀なことである。
……さて。
「ねぇ、ガクちゃん」
「はい?」
「七咲のプレゼント、ここで選んでみる?」
「……はい?」
ガクちゃんは反射的にこちらを向き、それから私が指さした店を見て固まった。
「…………っっっっ!?!?!?!?」
「ほら、こういうのも女の子へのプレゼントではあるだろ?」
「なっ……あ、え……!?」
ガクちゃんの視線が一瞬だけ泳ぎ、店先に置かれたマネキンへと吸い寄せられた。綺麗なレースの薄水色の下着を身につけたそれを見た途端、まるで頭から湯気でも噴き出しそうな勢いで、顔が真っ赤に染まっていく。
絶対、七咲がアレ着てる姿を想像したな。……あー。男の子だなぁ。
「ガクちゃんは、エッチだなー」
「こ、古賀さん、ほ、ほんと、勘弁してください……!」
ガクちゃんは真っ赤になった顔を片手で覆い、深々とため息をついた。いくら冗談とはいえ、ちょっとライン越えだった気がする。
今日の私、流石に浮かれすぎてはいないだろうか。
私は少しだけ身体を捻り、後ろをとぼとぼと歩くガクちゃんを見上げた。
「……ガクちゃん」
「は、はい!」
「さっきは意地悪しすぎました。ごめんなさい」
「えっ?」
「いや、ほら。あまりにも可愛い反応をガクちゃんがするもんだから、つい調子にのってしまって」
そう言うと、ガクちゃんは驚いたように目を丸くした。それから慌てて首を横に振り、今度は自分が申し訳なさそうな顔になる。
「い、いえ! そんな、謝らないでください! 俺の方こそ、いちいち大げさに反応してしまって……!」
「それはガクちゃんが悪いわけじゃないだろ? どう考えても私が悪いって」
「そ、そんなことないですよ! 古賀さんは場を盛り上げようとしてくれただけで……」
「……ガクちゃん、それ本気で言ってる?」
「え? はい」
「そっかー」
私が悪かったと謝っているのに、どうしてこの子は自分の方に責任があると思ってしまうのだろう。こうなったガクちゃんはなかなか譲らないし、このままだと互いに謝り続ける羽目になりそうだ。
「……あー、もう! 分かった! じゃあ、どっちも悪かったってことで!」
「えっ? で、でも……」
「でもじゃない! これ以上は言いっこなし! 分かった?」
「……は、はい!」
よし。これで解決だ。まあ、どう考えても悪いのは私なのだけれど、ガクちゃんが認めてくれないのだから仕方がない。
「じゃ、仲直りってことで!」
「は、はい!」
さて、気を取り直してプレゼント選びを再開しよう。そう思って一歩踏み出した、その時だった。
――きゅぅ
「…………」
「…………」
何とも間の抜けた音が、私のお腹から聞こえてきた。思わずお腹を押さえる。恐る恐るガクちゃんを見上げると、彼もこちらを見ていた。目が合った途端、何とも言えない沈黙が流れる。
ああ、聞かれた。間違いなく聞かれた。
そういえば、今朝は何も食べていない。昨日の夜から何を着ていくか悩みに悩んで、今朝も箪笥の中を引っかき回していたら、いつの間にか家を出る時間になってしまったのだ。慌てて身支度を整えて、何とか待ち合わせには間に合わせたけど……。
「あ、あはは」
どうにか笑って誤魔化そうとしたものの、自分でも分かるくらい頬が熱い。これは駄目だ。やっちまった。
すると、ガクちゃんが何やら言いにくそうに口を開いた。
「あ、あの、古賀さん。今の、俺のお腹だと思います……! その……俺、すごくお腹が空いてて」
「……へ?」
「朝から何も食べてなくて……。よかったら、先にお昼ご飯にしませんか?」
ガクちゃんは少し慌てた様子で、照れくさそうに笑ってみせた。
「……それで、その。よかったら、お昼ご飯行きませんか?」
ああ、もう。この子は、本当に。そんな分かりやすい嘘をついちゃって。そういうところ。そういうところなんだよなぁ。ガクちゃんは。
「……そっか。じゃあ、先にお昼にしよっか」
「はい!」
「私も、ちょうどお腹空いてたところだしね」
そう答えると、ガクちゃんは嬉しそうに頷いた。先ほどまでの気まずさは、もうどこにもない。
「よーし、じゃあ何食べよっかな。ガクちゃん、何か食べたいものある?」
「えっと……俺は、ハンバーグが食べたいです」
「お、ハンバーグ! もしかして、好きだったりする?」
「……はい。子供っぽいですよね」
「そうか? 男の子っぽいって感じがするけど。……じゃあ、洋食屋さんにでも入ろっか」
少し先にあるレストランの案内板へ目を向けると、ちょうどよさそうな店が見つかった。オムライスやハンバーグを中心に扱っている洋食店で、値段もそれほど高くない。昼時ということもあって多少混んではいるようだが、幸い、すぐに席へ案内してもらえそうだった。
「よし、あそこにしようぜ!」
「はい!」
案内されたのは、窓際にある二人掛けのテーブル席だった。メニューを開くと、色々な種類の洋食が並んでいた。定番のハンバーグにオムライス、パスタにドリア。どれも美味しそうで、空腹も相まってなかなか決められそうにない。
とはいえ、あまりたくさん食べる方でもないし、ここは無難にオムライスにしておこうか。
「私はこのちっちゃいオムライスにしよっかな。ガクちゃんは決まった?」
「はい。えっと……これにしようと思います」
そう言ってガクちゃんが指さしたのは、ボリューム満点のハンバーグセットだった。大きめのハンバーグが二つに、付け合わせの野菜とポテト。さらにスープとライスがついてくるらしい。
「おお、結構豪勢なの選んだねぇ」
「あ、はい。今日は朝から身体を動かしていたので……」
「朝錬もしてたの? 頑張り屋さん過ぎない?」
料理が届くまでの間は、他愛もない話をして過ごした。訓練の調子はどうかとか、最近の七咲の様子だとか、支部での出来事だとか。考えてみれば、こうしてガクちゃんとゆっくり話す機会は意外と少ない。学校も違うし、ガクちゃんは訓練に明け暮れているからだ。
だからだろうか。いつもより話が弾んでいるような気がした。
やがて料理が運ばれてくると、ガクちゃんは目に見えて表情を明るくした。大きなハンバーグを前にして、何とも嬉しそうに目を輝かせている。
……こういうとこ、本当にずるいと思う。
私の前には、ふんわりと卵に包まれた小ぶりなオムライス。上には鮮やかな赤いケチャップがかかっていて、何とも食欲をそそる見た目をしている。お互いにいただきますをした後、一口食べてみると、卵の柔らかさとチキンライスの味が口いっぱいに広がった。
「んー、美味しい!」
思わず頬が緩んでしまう。空腹は最高の調味料、なんて言葉もあるけれど、これは普通に美味しいやつだ。こういうの作れるようになりたいよな。
そんなことを考えていると、向かいに座るガクちゃんが随分と幸せそうな顔をしていることに気づいた。大きなハンバーグを切り分け、口に運ぶ度に表情を緩めている。見ているこっちまで嬉しくなってしまうような食べっぷりだった。
そして、驚いたことに私がオムライスを半分ほど食べ終えた頃には、ガクちゃんの皿はほとんど空になっていた。
でっかいハンバーグが二つもあったはずなのに、もう残り僅かである。ライスも食べ終わってて、流石にお見事としか言いようがない。
「ガクちゃんってさ、結構食べるんだね」
「えっ?」
ガクちゃんの手がぴたりと止まった。
「へ、変でしたか……?」
「ん? あ、いやいや! 変とかじゃなくてさ!」
慌てて首を横に振る。何気なく言っただけなのに、どうやら気にさせてしまったらしい。
「ほら、私って第六支部のサポート要員じゃんか」
「はい」
「ガクちゃんと、七咲の身の回りのことが、今の私のお仕事なわけよ。だから、どれくらい食べるのかとか、そういうのも参考になるなぁって」
「ああ、なるほど……!」
にしても、ガクちゃんがこれだけ食べるとは知らなかった。普段は食事を用意しても、あとはお二人でどうぞ、とガクちゃんと七咲を残して帰ることが多い。考えてみれば、こうして二人で向かい合って食事をするのも初めてなのだ。
いつも顔を合わせているし、ガクちゃんのことはそれなりに知っているつもりだった。けれど、好きな食べ物一つ取っても、知らないことはまだまだあるらしい。
……ふふっ。なんだか、ちょっと得した気分だ。
そんなことを考えながら、私は最後の一口を食べ終えた。
「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさまでした」
食後のお冷を飲みながら、何気なく腕時計に目を落とす。時刻はまだ十四時過ぎ。時間には十分余裕があるし、これならゆっくりプレゼントを選べそうだ。
「よし、じゃあそろそろ本題に入りますか!」
「はい!」
「七咲が喜びそうなもの、色々探してみようぜ。せっかく来たんだし、時間の許す限り付き合ってやるからさ」
「ありがとうございます、古賀さん!」
「お姉さんに任せとけ! じゃ、行こっか!」
そう言って席を立つと、ガクちゃんも後に続いた。会計を済ませ、再び賑やかな館内へ足を踏み出す。
「ガクちゃん、まずは雑貨屋さんでも覗いてみよっか。女性向けの小物とか、色々置いてあるしさ」
「はい! お願いします!」
そうして私たちは、女性向けの雑貨店が集まるエリアへ向かった。
そこは、先ほどまで歩いていた場所とは少し雰囲気が違っていた。店先には色とりどりの小物やアクセサリーが並び、ガラス張りのショーケースには、照明を受けてきらきらと輝く商品が飾られている。休日だからか、友達同士で買い物に来ている女の子たちの姿も多く、あちらこちらから楽しそうな話し声が聞こえてきた。ガクちゃんはというと、そんな光景を物珍しそうに眺めていた。
「さて、と。まずはこの辺から見てみよっか」
「はい。……あの、こういうお店って、俺が入っても大丈夫なんでしょうか?」
「ん? 別に平気だろ。プレゼント探しに来る男の人だっているだろうしさ。ほら、あそこの人とか」
「そ、そうですよね……」
「今日は私もいるんだから気にすんなって。ほら、行くぞー」
そう言って店内へ足を踏み入れると、ガクちゃんも少し遠慮がちについてきた。
最初に覗いたのは、ハンカチやポーチ、文房具なんかを扱っているお店。可愛らしい柄のものから、落ち着いた色合いのものまで色々と揃っている。七咲への贈り物を探すなら、この辺りは無難な選択肢だろう。
「ガクちゃん、こういうのはどう?」
「ハンカチ、ですか?」
「おう。普段使いできるし、これなら何枚あっても困らないだろ?」
「そうですね……」
ガクちゃんは棚に並んだハンカチを一枚手に取り、じっと眺め始めた。七咲っぽい色合いの淡い黄色の生地に、小さな花の刺繍が入ったもの。
「……先輩、こういうの使いますかね?」
「んー、使うと思うよ? まあ、七咲ってあんまり可愛らしいものを好んで持ち歩くタイプじゃないけど、別に嫌いってわけでもないし」
「なるほど……」
真剣な顔で頷いたガクちゃんは、今度は隣に置かれていた別のハンカチを手に取った。こちらは紺色を基調とした、少し落ち着いたデザインのものだった。
それから二枚を見比べ、何やら考え込んでいる。
昨日の相談でも思ったけれど、やっぱりガクちゃんは真面目だ。たかがハンカチ一枚、なんて言ったら失礼かもしれないが、ここまで真剣に考えてもらえるなら、七咲も嬉しいだろう。後でこっそり教えてやろう。
もっとも、あまり悩みすぎても仕方がない。時間に余裕があるとはいえ、まだ一軒目だ。他にも色々見て回った方がいいに決まっている。
「ま、とりあえず候補ってことで。他にも見てみようぜ?」
「あ、はい!」
ガクちゃんは丁寧にハンカチを折りたたんでから元の場所へ戻した。そういう何気ない仕草にも、彼の性格が出ている気がする。
その後も、私たちはいくつかの店を回った。アクセサリーやら、香りのよさそうなハンドクリームに、小さな雑貨の詰め合わせ。綺麗な柄のポーチに、ちょっと洒落た文房具。ガクちゃんはどれも真剣に見ていたけれど、なかなかこれだというものには出会えないらしい。
「……難しいですね、プレゼント選びって」
「ははっ、そうだろ? だからこそ、自分のために悩んでくれたものってのは貰った時に嬉しいんだよ」
そう言うと、ガクちゃんは少し考え込んでから、ゆっくりと頷いた。
「……もう少し見てみたいです」
「おう。もちろんいいぜ!」
何だかんだ言って、私も結構楽しんでいた。普段なら、さっと自分の買い物を済ませて終わりなのに、今日はガクちゃんが何を選ぶのか気になって、ついつい一緒になって商品を見比べてしまう。
私の時もこんな風に真剣に考えてくれるのかな。
そんな想像をしながらも、お店を回っていると、何軒目かの店に入ったところで、ガクちゃんがふと足を止めた。
「……あ」
「ん? どうした、ガクちゃん?」
声をかけると、ガクちゃんは棚の一角をじっと見つめていた。そこにはヘアゴムやシュシュなんかが並んでいて、色とりどりのリボンも飾られている。
「お、何かいいの見つけた?」
「……はい。あの、これなんですけど」
そう言ってガクちゃんが手に取ったのは、赤みがかったオレンジ色のリボンだった。派手すぎない落ち着いた色合いで、生地にはほんの少し光沢がある。大きさも程よく、両端に刺繡が施されていて、北高三天女なんて持ち上げられているあいつが普段使いするには悪くなさそうだった。
「先輩って、いつもリボンをつけてるじゃないですか」
「……うん」
「だから、こういうのもいいかなって思ったんです。普段から使ってもらえるものの方がいいかなって……」
ガクちゃんは少し照れくさそうに笑いながら、手の中のリボンを見つめていた。
「……へぇ」
思わず、そんな声が漏れた。ガクちゃんが普段の七咲をちゃんと見ているからこそ、思いついた贈り物なのだろう。
「ガクちゃんって、結構大胆なんだな」
「えっ?」
「いやぁ、だってさ。女の子が普段身につけてるものをプレゼントに選ぶんだろ?」
「え、えぇ……?」
「もし七咲がそれを気に入って毎日つけるようになったらさ。そのリボンを見る度に、ガクちゃんから貰ったものだって思い出すわけじゃん?」
「……っ!?」
途端にガクちゃんの顔が赤くなった。どうやら、そこまでは考えていなかったらしい。
「そ、そういうつもりで選んだわけじゃ……!」
「それに、自分が選んだものを身に着けて貰いたいって結構重いよなぁー」
「…………」
自分がやろうとしたことが分かったのか少し青褪めた表情を浮かべてしまった。しまった。またやりすぎた。
「でも、いいと思う。ちゃんと七咲のこと考えて選んでるしさ」
「……ほ、本当ですか? 俺、やばいやつじゃないですか?」
「心配しすぎだって。うん、あいつに似合いそうだよ」
そう言いながら、ガクちゃんの手の中にあるリボンへ目を向けた。七咲の髪にもきっとよく映えるだろう。
……ただ。
「……でも、リボンは――」
そこまで言いかけて、口を噤んだ。
「……?」
ガクちゃんが不思議そうにこちらを見ている。
私はもう一度、手の中のリボンへ目を向けた。七咲がいつもつけている、あのリボン。それがどういうものなのか、私は知っている。あいつにとって、それがどれほど大切なものなのかも。
だから、別のものを選んだ方が、七咲も余計なことを考えずに済むんじゃないかと思う。
そう思うけれど。
「……古賀さん?」
ガクちゃんの声で、我に返る。
「あ、ああ。ごめんごめん」
「いえ。その……やっぱり、これはよくないでしょうか?」
ガクちゃんは少し不安そうにリボンへ目を落とした。私が言いかけた言葉を気にしているのだろう。
……ああ、もう。余計な心配をさせちゃったな。
「いや、そんなことないよ」
「……え?」
「うん。ガクちゃんが選んだなら、それでいいと思う」
そう言って、私は上手に笑ってみせる。
「七咲にも、きっと似合うぜ?」
「……そう、ですか?」
「おう。私が保証する!」
ガクちゃんは少しだけ首を傾げていたけれど、やがて安心したように笑った。
「……ありがとうございます。じゃあ、これにします」
そうだ。これでいい。七咲がどう受け取るかは、あいつ自身が決めることだ。ガクちゃんが一生懸命選んだものを、私が勝手に気を効かせて否定するわけにはいかない。
だから、間違ってなんかいない。私は、何も間違えていないはずだ。
――そう、思いたかった。
「ありがとうございましたー!」
店員さんの声に見送られ、私たちは店を出た。
ガクちゃんの手には、小さな紙袋が提げられている。中には、先ほど選んだリボン。誕生日プレゼントだと伝えたところ、綺麗な包装紙で包んでもらえたらしい。
「……今日はありがとうございました。古賀さんがいなかったら、きっとまだ迷ってました」
「ま、役に立てたなら何よりだよ。……でも、私がいなくてもちゃんと選べてたと思うよ。ガクちゃんはそういうやつだ」
そう言って笑うと、ガクちゃんも照れくさそうにしていた。手に持った紙袋を見つめるその表情は、何とも満足そうだった。最初はあれだけ不安そうにしていたのに、こうして自分で選び終えた今は、随分と晴れやかな顔をしている。
……うん。よかった。
「さて、買い物も終わったことだし。そろそろ帰ろっか」
「あ、はい!」
ガクちゃんは腕時計を確認し、小さく頷いた。
「どうせガクちゃんのことだし、帰ってからも予定より多めに訓練するつもりなんだろ?」
「…………」
「図星っぽいなー」
「うっ……」
ガクちゃんは紙袋を大切そうに持ちながら、何やら楽しげに話している。七咲が喜んでくれるだろうか、とか、渡す時に何と言えばいいだろうか、とか。そんなことを一生懸命考えているらしい。
私はその話に相槌を打ちながら、ふと先ほどのリボンのことを思い出した。
あの時、私はガクちゃんに何も言わなかった。七咲の過去も、あのリボンに込められた意味も。もちろん、勝手に話していいことではない。あいつのトラウマに関わることなのだから、本人の知らないところで私が話すべきではないだろう。
……けど、ガクちゃんになら。
そう思いかけて、私は小さく首を振った。今はやめておこう。せっかく買い物を終えて喜んでいるのに、水を差すようなことをする必要はない。
「……古賀さん?」
「ん? ああ、ごめん。何でもないよ」
「そうですか?」
ガクちゃんはそれだけで納得してくれた。私はその隣を歩きながら、もう一度だけ、彼の手にある紙袋へ目を向けた。
小さな、何の変哲もない贈り物。……それが視界に入るたびに、どうにも胸の奥が落ち着かなかった。
自動ドアが開き、真夏の熱気が私たちを出迎えてくれる。外では相変わらず蝉が鳴いていて、強い日差しがアスファルトを照らしていた。他愛もない言葉を交わしながら、私たちはショッピングモールを後にする。
帰り道は、何を話そうか。
そう考えてみても、先ほどまでのように、すぐには言葉が浮かんでこなかった。
しばらくの間、私たちは無言で歩いていた。行きはあれほど賑やかだったというのに、今は聞こえてくるのも車の走行音や蝉の鳴き声くらいのものだ。私のおかしな様子に、隣を歩くガクちゃんも時折こちらを気にしてくれているようだったが、何かを尋ねてくることはなかった。
それが少し、ありがたかった。
七咲の過去を、ガクちゃんに話してもいいのだろうか。あいつが自分から語ろうとしないことを、親友だからといって私が勝手に教えていいはずがない。そんなことは分かっている。分かっていはいるけれど……。
ふと、腕時計に目を落とす。時刻はまだ十六時を少し過ぎたところだった。ここから第六支部へ戻るまでの時間を考えても、少しくらい寄り道をする余裕はある。
「……ねぇ、ガクちゃん」
「はい?」
「まだ時間って、大丈夫だよね?」
「えっと……はい。十八時までに戻ればいいので、まだ大丈夫ですけど……」
「そっか。じゃあさ、ちょっと寄り道してもいい?」
ガクちゃんは少し意外そうな顔をしたものの、すぐに頷いてくれた。
「もちろんです。どこか行きたいところがあるんですか?」
「うん。ここからちょっと歩いたところに公園があってさ。久しぶりに寄ってみたくなっちゃったんだよね」
「公園、ですか?」
「おう。私と七咲の思い出の場所、ってやつかな」
その公園は、住宅街の一角にひっそりと佇んでいた。
古びた滑り台に、二つ並んだブランコ。砂場の周囲には低い柵が設けられ、その向こうには大きな桜の木が植えられている。春になれば綺麗な花を咲かせるその木も、今は青々とした葉を茂らせ、地面に大きな影を落としていた。
夏休みだというのに、園内に子供の姿はほとんどない。これだけ暑ければ、外で遊ぼうという気にもならないのだろう。遠くから聞こえる蝉の声と、時折風に揺れる木々の音だけが、静かな公園に響いていた。
「……懐かしいなぁ」
思わず、そんな言葉が漏れた。
「ここ、昔よく来たんだよ。七咲と一緒にさ」
「先輩と、ですか?」
「おう。あいつとは昔からの付き合いだからね。学校が終わると、よくここで遊んでたんだ」
私は公園の奥にあるベンチへ向かい、ガクちゃんにも座るよう促した。大きな木の下に置かれたそれは、長年雨風に晒されてきたせいか、塗装がところどころ剥げている。
「七咲ってさ、昔っから足が速くてさ。鬼ごっこなんてやろうもんなら、私じゃ全然追いつけないわけ」
「はは……先輩らしいですね」
「しかもあいつ、手加減してくんないの。私が必死になって追いかけてるのに、涼しい顔で逃げ回ってさ。で、こっちがへばって文句を言うと、今度は鬼を代わってくれるんだけど……」
「……すぐに捕まっちゃうんですね」
「そうそう!……って、よく分かったな?」
「何となく、想像できたので」
「あっはは! ガクちゃんも七咲のこと、随分分かってきたじゃん」
思わず笑ってしまった。昔からあいつはああいう性格だ。真面目で、負けず嫌いで、一度決めたことにはとことん真っ直ぐ。そういうところは、今も昔も変わっていない。
私はベンチの背もたれに身体を預け、頭上に広がる木々の葉を見上げた。隙間から覗く青空は、あの頃と何も変わらないように見える。あいつと一緒に走り回って、笑って、喧嘩して、また仲直りして。そんな何でもない日々が、当たり前のように続くものだと思っていた。
「……ねぇ、ガクちゃん」
「はい」
「さっきさ、ガクちゃんがリボンを選んだ時、私、やめた方がいいって言おうと思ったんだ」
「……え?」
「ガクちゃんが選んだものが悪いとか、センスがないとか、そういう話じゃなくてさ」
私は膝の上で両手を組み、少しだけ視線を落とした。どう説明すればいいのだろう。そもそも、どこまで話していいのだろうか。ガクちゃんは何も急かさず、私の言葉を待ってくれていた。
「……あいつさ、いつもリボンつけてるだろ?」
「はい」
「あれね。昔、ある人から貰ったものなんだ」
「ある人、ですか?」
「うん。……あいつの、婚約者だった人。第二支部の隊長をやってたすっごい人」
「そ、その、だったということは…………」
そこで、ガクちゃんは言葉を止めた。
「……うん。死んじゃったんだ」
「…………」
「あのリボンは、その人から貰ったものなんだよ。だから、あいつにとっては形見みたいなものでさ。今でもずっと、大切にしてるんだ」
ガクちゃんは手元の紙袋へ目を落とした。きっと、さっき選んだリボンのことを考えているのだろう。
「……そう、だったんですね」
「うん。だからさ、ガクちゃんが新しいリボンを渡したら、あいつはきっと、その人のことを思い出すんじゃないかなって」
私は小さく息を吐いた。
「……ごめん、いまの無し。きっと今も忘れられないから、ずっと身につけてるんだろうな」
言ってから、少しだけ後悔した。大切な人を亡くして、その形見を身につけていることの何がいけないというのだろう。そんなことは分かっている。
それでも、思ってしまうのだ。いつまで、七咲はあの日に囚われ続ければいいんだろうって。
「……七咲ね。その人が死んだの、ずっと引きずってるんだ」
「…………」
「何があったのか、詳しいことは私も知らない。あいつも話したがらないし、無理に聞くようなことでもないと思ってたから。でも、分かるんだよ。あの日から、あいつはずっと足を止めたままだって」
ガクちゃんは黙って聞いていた。私は、ゆっくりと言葉を続ける。
「おかしいよな。あいつって、陸上でメダルまで取ってさ? 今だって高速戦闘が得意としてるだろ? あんなに速く走れるのにさ……。ずっと同じ場所で立ち止まってるんだ」
七咲は強い。昔からそうだった。私が追いつけないくらい速く走って、どこまでも遠くまで駆け抜けて、どんな時でも前を向いていた。
それなのに、あいつの心だけは、あの日から少しも前に進めていない。
「……ずっと、自分のことを責め続けてるんだよ」
「……先輩が……」
「何かあったんだろうね。私には分からないけど、あいつが自分を責めるような、何かがさ」
親友だからといって、何でも知っていなければならないわけじゃない。話したくないことの一つや二つ、誰にだってあるだろう。
でも、あいつが苦しんでいることだけは、嫌というほど分かった。
「……私じゃ、駄目だったんだ」
気づけば、そんな言葉が口から零れていた。
「あいつのことは結構分かってるつもりだったんだけどね。慰めたり、励ましたり、馬鹿なこと言って笑わせようとしたり……色々やってみたんだ」
あいつは、その度に笑ってくれた。大丈夫だと言ってくれた。私が心配しなくてもいいように、いつも通りに振る舞ってくれた。
だから、分かってしまう。
「あいつはさ、私と話してる時はちゃんと笑ってくれるんだよ。昔みたいに冗談も言ってくれるし、馬鹿な話にも付き合ってくれる。でも……それだけ」
誰もいないところで、七咲は何を考えているのだろう。私には想像することしかできない。
「……あいつ、まだあの日から帰ってきてないんだよ」
ガクちゃんは何も言わなかった。ただ、真剣な顔で私の話を聞いてくれていた。
……本当に、いい子だよな。
普通なら、こんな重たい話を突然されても困るだけだろう。ましてや、七咲のために買った誕生日プレゼントを台無しにされるようなそんな話を聞かされていて、最初に言ってください。じゃあ、止めてくださいよ。なんて、言葉が出てきたとしてもおかしくはない。
そんな事を言わないガクちゃんの優しさに甘えて、自分の苦しさを吐露しているだけ、それでも、もう言葉を止められなかった。
「……でもさ、ガクちゃんなら、どうにかできるんじゃないかって。私は、そう思うんだ」
「……え?」
「ガクちゃんなら、七咲を前に進ませてやれるんじゃないかなって」
ガクちゃんは驚いたように私を見つめた。それから、困ったように眉を下げる。
「お、俺なんかじゃ……」
ほら、まただ。
「俺は、そんな大した人間じゃないです。先輩のことだって、そんな気丈に振る舞ってただなんて知らなくて……。古賀さんができなかったことを、俺ができるなんて……」
ガクちゃんは膝の上で拳を握り、俯いてしまった。
「それに俺、まだ全然駄目で。鵺さんにも、先輩たちにも、助けてもらってばかりで……。俺なんかが、誰かの助けになるなんて……」
「……ガクちゃん」
私は、少しだけ強く彼の名前を呼んだ。
「私は、君に救われてるよ」
「……え?」
「ガクちゃんは凄い。本当に、凄い。私が知ってる誰よりも、ずっと」
ガクちゃんは目を丸くしていた。きっと、私が何を言っているのか分からないのだろう。
「……私さ、陰陽師になった時、すっごく嬉しかったんだ」
「…………」
「人を守れるって聞いてさ。自分にも、誰かの役に立てることがあるんだって。困ってる人を助けて、泣いてる人を笑顔にできる。陰ながらにはなっちゃうけど、そんなことができるなんて、すっごくかっこいいじゃん?」
あの頃の私は、本気でそう思っていた。誰かの力になりたくて、誰かを守れる人間になりたくて、陰陽師という道を選んだ。自分には特別な何かがあって、だから選ばれて、何か特別なことができるのだと、胸を躍らせていた。
……本当に、何も知らなかった。
「でもね、ガクちゃん。私、何も分かってなかったんだ」
私は、自分の手を見つめた。
「人ってさ……こんなに簡単に、死んじゃうんだな」
初めて人が死ぬところを見た時のことは、今でも覚えている。
昨日まで普通に話していた人が、ほんの一瞬で物言わぬ肉塊になった。何が起こったのか分からなくて、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「人の身体って、こんなに血が入ってるんだって。こんなに、ひどい匂いがするんだって……知らなかったんだ」
言葉にするだけで、胃の奥が嫌な感じに縮こまる。ずっと忘れられなくて、はっきりと思い出せてしまうその時のこと。本当に嫌になる。
「何もできなかった。目の前で人がぐちゃぐちゃになっていって、怖くて動けなくなって。助けなきゃって思ってるのに、足が竦んじゃうんだ。先輩に怒鳴られて、ようやく動けたけど、間に合ってるわけも無くて……」
そんなことを、何度も、何度も繰り返した。
誰かが死ぬ度に泣いた。助けられなかった自分が情けなくて、悔しくて、どうしようもなかった。それでも、次こそは助けようと思っていた。今度こそ誰かを守れるようになろうと、自分に言い聞かせていた。
「……でもさ。そういうのが何度も続くと、慣れてきちゃうんだよ」
「……慣れる、ですか?」
「うん。あんなに怖かったのに、何度も何度も経験してくとね、少しずつ平気になってくるんだ。人が死ぬことも、血を見ることも、誰かの悲鳴を聞くことも……」
私は、膝の上で拳を握った。
「それでね、ガクちゃん。ある時、怪我人を前にして思っちゃったんだ」
口の中が、ひどく乾いていた。
「……ああ、この人はもう駄目だなって」
ガクちゃんの表情が僅かに変わった。それでも、何も言わずに聞いてくれている。
「幻妖を討伐しきるまで、間に合いそうにない。それなら、まだ助かりそうな人を優先した方がいい。ここで立ち止まってたら、他の人まで危険に晒しちゃう。だから、置いていこうって」
間違った判断ではないのだろう。助けられる人数には限界があるし、全員を救えるわけでもない。陰陽師として戦っていくなら、時にはそういう決断も必要になる。
そんなことは、分かっている。
「村でのこと、聞いたよ。死にかけの陰陽師を介抱したって。四衲ちゃん、凄く呆れてたよ。隊長失格だって。陰陽師の私は、多分同じ反応をすると思う。けどね、それと同時に、ただの私は、そんなガクちゃんを羨ましくて仕方がないんだ。……もうそんな事できないから」
私は無理に笑ってみせた。
「誰かを守りたくて陰陽師になったのにさ。いつの間にか、助けなくていい理由に縋ってる。目の前で人が死にそうになってても、簡単に諦められるようになっちゃったんだ」
……いや、違う。本当は、諦められるようになったわけじゃない。そう考えなければ、やっていられなくなっただけだ。
助けられない。必要な犠牲だった。そう決めつけてしまえば、それ以上は気にしなくて済む。自分が傷つかずに済む理由を、必死になって探していたのかもしれない。
「でも、そんな自分が嫌でさ。どうしてこんな風になっちゃったんだろうって。私がなりたかったのって、こんなんだったっけって……」
気づけば、声が少しだけ震えていた。
「……怖いんだよ、ガクちゃん」
もう、笑えなかった。
「また誰かが死ぬのが怖い。また助けられないのが怖い。それで……また自分が何も感じなくなるのが、一番怖いんだ」
きっと、七咲も辻田も、町田もおんなじことを思っている。陰陽師として生きていくなら、皆通る道だ。
けど、ずっと、誰にも言えなかった。口にしてしまったら、本当にそういう人間になってしまう気がしたから。誰かに知られたら、軽蔑されるんじゃないかと思っていたから。
それなのに、今はどうしてだろう。ガクちゃんの前では、こんなにも簡単に言葉が出てくる。
「……だからね。私、第六支部のサポート要員に抜擢された時、ちょっと安心したんだ」
「……安心、ですか?」
「うん。これで、前線に出なくていい。やっとあの場所から離れれるって……そんなこと、考えちゃったんだよ」
ガクちゃんは何も言わなかった。その沈黙が、少しだけ怖い。今、どんな顔をしているのだろう。私の話を聞いて、何を思っているのだろうか。確かめるのが怖くて、どうしても顔を上げられなかった。
「……最低だよなぁ」
私は小さく笑った。
「誰かが代わりに危ない目に遭うだけなのに。私は、それで安心しちゃったんだ」
それきり、言葉が途切れた。
蝉の声が、やけに大きく聞こえた。風に揺られた木の葉が擦れ合い、遠くでは車の走る音がする。いつもと変わらない夏の午後なのに、何だか自分だけが取り残されてしまったような気がした。
……ああ、やっちゃったな。
こんな話、するつもりじゃなかったのに。七咲のことを話して、それで終わりにするつもりだった。なのに、どうして自分のことまで話してしまったんだろう。ガクちゃんにこんなことを聞かせたって、困らせるだけなのに。
そう思いながら、恐る恐る顔を上げた。
ガクちゃんは、私を見ていた。驚いたような、悲しそうな、何とも言えない表情だった。けれど、そこに嫌悪や軽蔑の色は見当たらなかった。
「……古賀さん」
ガクちゃんが、静かに口を開いた。
「……俺には、古賀さんが経験してきたこと、全部は分かりません。だから、簡単に分かりますなんて言えないですけど……」
「…………」
「でも、古賀さんが今まで頑張ってきたことは、俺でも分かります」
ガクちゃんは真っ直ぐに私を見つめていた。
「いつも俺たちのことを気にかけてくれて、色々と助けてくれて……。俺、古賀さんがいてくれて、すごく助かってるんです」
「……ガクちゃん」
「だから、その……自分のことを、そんな風に言わないでほしいです」
私は思わず目を伏せた。
……ああ。本当に、この子は。他人のことになると、どうしてこうも真っ直ぐなのだろう。
「…………ありがとな、ガクちゃん」
声が少し掠れてしまった。私は一度深く息を吸い、今度こそガクちゃんの方へ身体を向けた。
「……でもさ。だからこそ、なんだよ」
「え?」
「私がガクちゃんのことを凄いって思うのは、だからなんだ」
ガクちゃんは不思議そうに首を傾げていた。
「昔のガクちゃんはがどうだったとか、そんな事は私は知らない。けど、今のガクちゃんは、自分よりずっと強い相手がいても、誰かを守ろうと立ち続けてるだろ? 危ないって分かってても、助けようとするじゃん」
「それは……」
「もちろん、無茶ばっかりするのは褒められたことじゃない。私も、勿論皆も、ガクちゃんが危ない目に遭うのは嫌。でも……それでも、凄いと思うんだ」
私はガクちゃんの目を見つめた。
目の前の少年は、自分のことを弱いと言った。誰かに助けてもらってばかりだと、自分を卑下した。けれど、私にはそうは思えなかった。
「ガクちゃんは、本当に立派だよ。私なんかより、ずっとずっと」
「そ、そんなこと……!」
「あるんだって」
私は少しだけ笑った。
「だからさ、ガクちゃんが『俺なんか』って言う度に、私はちょっと悔しい。私がこんなに凄いと思ってるのに、本人がそれを認めてくれないんだからさ」
「…………」
「……私はね、ガクちゃん」
私は、もう一度彼の目を見つめた。
「ガクちゃんに、憧れてるんだ」
ようやく、言えた。ずっと思っていたことだった。初めて会った時から、少しずつ感じていたこと。胸の奥で大きくなっていった気持ちだ。
この子は、凄く眩しい。
自分が失ってしまったものを、当たり前のように持っている。誰かを守りたいという、あの頃の私が抱いていた気持ちを、今も真っ直ぐに持ち続けている。だから、憧れてしまう。私も、こんな風にいれたら良かったのにって。
「本気でそう思ってる。だから、もっと自分に自信を持ってほしい。自分なんか、なんて言わないでさ。ガクちゃんが今まで頑張ってきたこと、ちゃんと認めてあげて? 少なくとも、私は知ってるから。ガクちゃんが、どれだけ頑張ってるのか」
ガクちゃんは俯いたまま、何も言わなかった。けれど、その手はぎゅっと握られていた。きっと、何かを考えているのだろう。私の言葉が少しでも伝わってくれていたら、嬉しい。
「……それに、ほら!」
私は、わざと明るい声を出した。
「ガクちゃんは隊長さんなんだから、君がそんな自信なさそうにしてたら隊員の私たちが心配しちゃうだろ?」
「……あ」
「だから、しゃんとしなよ! ガクちゃんなら大丈夫。私が保証する!」
そう言って、私はガクちゃんの背中を軽く叩いた。彼は少し驚いたように顔を上げた後、ゆっくりと頷いた。
「……はい!」
その返事を聞いて、ようやく安心できた気がした。
「よし! じゃあ、そろそろ帰ろっか!」
私は勢いよく立ち上がり、大きく伸びをした。木々の隙間から差し込む日差しは、先ほどよりも幾分柔らかくなっていた。
「いやぁ、なんか変な話しちゃったな。ごめんな、ガクちゃん。せっかくの休日なのに、湿っぽい話しちゃって」
「……そんなこと、ないです」
「……ん?」
「俺、聞けてよかったです。古賀さんが、そんな風に思ってたこと……、全然知りませんでした」
立ち上がったガクちゃんは、真っ直ぐに私を見ていた。
「だから、話してくれてありがとうございます」
……本当に、何なんだろう。この子は。
あれだけ情けない話を聞かせてしまったというのに、どうしてそんなことが言えるのだろう。
「……ははっ。なんだよ、改まって」
「それで、俺……もっと強くなります」
「……うん」
「もっと、色んな人を守れるようになります。先輩のことも、古賀さんのことも、……それに自分のことも」
ガクちゃんは一度言葉を区切り、それから力強く続けた。
「古賀さんが尊敬してくれる自分に、恥じないようにします」
「…………」
思わず、言葉を失った。
……ああ、もう。何だよ、それ。そんなこと言われたら、こっちだって嬉しくなっちゃうじゃないか。
「……だから」
ガクちゃんは、少しだけ照れくさそうに笑った。
「これからも、見ててください」
ガクちゃんは、どうしてこうも人の心を揺さぶってくるのだろう。さっきまで自信がないと言っていたくせに、こういう時だけは真っ直ぐで、こっちが困ってしまう。
心臓がバクバクと高鳴って、じわりと頬が赤くなる。いつものように笑って、茶化す選択肢すら浮かんでこない。さっきまでと何も変わらない、ガクちゃんの顔。それなのに、今は何だかまともに見ていられない。目が合うだけで胸の奥がくすぐったくなって、思わず視線を逸らしてしまう。
……ああ、そっか。私、この子のこと、こんな風に見れちゃうんだ。
そう気づいてしまった途端、ますます顔が熱くなった。
「……あは」
誤魔化すように笑って、風に溶かすように小さく呟く。
「……ガクちゃんさぁ。そういうこと、さらっと言わない方がいいぞー。……女の子は直ぐ勘違いしちゃうんだから」
「……え?」
「いや、なんでもない!」
私は軽く首を振り、胸の奥に湧き上がってきた妙な感情をどうにか落ち着かせた。
「ま、安心しなよ。ちゃんと見ててやるからさ! ガクちゃんが立派な隊長さんになるまで、しっかり見届けてやるよ!」
「……はい!」
ガクちゃんが嬉しそうに笑った。その顔を見ていると、何だかこちらまで笑顔になってしまう。
この子と一緒にいると、何だか少しだけ、自分のことも好きになれる気がする。
「……あ、そうだ。ガクちゃん」
「はい?」
「澪でいいよ?」
「…………え?」
ガクちゃんは、きょとんとした顔で私を見つめた。
「名前。澪って呼んでよ」
「え、ええっ!?」
「なんだよ、そんな驚くことか?」
「い、いや、だって……! 古賀さんは先輩なので……!」
私は、少しだけ困ったように笑った。
「ここまで恥ずかしいとこ知られちゃったのに、まだ名字呼びってのもね。なんか、他人行儀じゃない?」
「そ、それは……」
「別にいいだろ? 減るもんじゃないし。あ、呼び捨てでもいいんだぜ?」
「む、無理です!!」
「即答!?」
思わず吹き出してしまった。
「あっはは! ガクちゃんは、ほんと揶揄いがいのあるやつだなぁ!……で?」
「……え?」
「呼んでくれないの?」
「…………」
しばらく逡巡した後、ガクちゃんは意を決したように口を開いた。
「…………み」
「ん?」
「……み、澪……」
「……おっ」
「……先輩」
絞り出すように、そう私のこと呼ぶ。私は一瞬、きょとんとしてしまった。それから、堪えきれずに笑い出す。
「……ぷっ。あっはははは!」
「…………!?!?」
「いや、だって! そんなに頑張って呼ぶことかー?」
「し、仕方ないじゃないですか!」
「あははっ! ごめんごめん!」
目尻に浮かんだ涙を拭いながら、私は笑った。
……でも。
「……うん。いいじゃん、澪先輩」
「…………」
「ガクちゃんにそう呼ばれるの……私、好きだな」
そう言うと、ガクちゃんは何故かまた顔を赤くした。
「まったく、もー。ほんとに可愛いなぁ」
「か、かわっ……!? お、俺は男ですよ!?」
「知ってるって! でも、可愛いもんは可愛いんだから仕方ないだろ?」
ガクちゃんは何か言いたそうに口を開いたものの、結局何も言えずに俯いてしまった。
私はそんな様子を眺めながら、また小さく笑った。さて、そろそろ本当に帰らないといけない。公園で随分と長話をしてしまったし、あまり遅くなって変な詮索をされても困る。
「さて、と。じゃ、今度こそ帰ろっか」
「……はい」
そう言って歩き出そうとしたところで、私はふと足を止めた。
「……ガクちゃん、そのさ」
いや、別に大したことじゃない。ただ、何となくそうしたくなっただけだ。さっきまであんな話をしていたせいか、今はもう少しだけガクちゃんの傍にいたい気分だった。
うん。それだけ。
「ほら」
私は、そっと手を差し出した。
「…………」
ガクちゃんは、その手をじっと見つめていた。その顔が、少しずつ赤くなっていく。
「な、なんだよ」
何だか、こっちまで恥ずかしくなってきた。
「私もよく立ち止まっちゃうからさ」
「……え」
「だから、ガクちゃんが引っ張ってよ。私、ちっちゃいから、置いてかれたら見つけるの大変だぞ?」
我ながら苦しい言い訳だと思う。ガクちゃんは何も言わなかった。ただ、私の手を見つめている。
「ガクちゃん?」
「は、はいっ!」
「……嫌?」
「い、いえ!!」
思いがけず大きな声が返ってきて、こちらまで驚いてしまった。
「そ、そっか。…………手、貸して?」
ガクちゃんは、ごくりと唾を飲み込んだ。それから、ゆっくりと右手を伸ばしてくる。途中で何度か躊躇うように指先が止まったけれど、やがて、おずおずと私の手に重ねられた。
……大きいなぁ。
改めてそう思った。身長が違うのだから当然なのだけれど、こうして手を重ねてみると、その差をはっきりと感じる。私の手なんて、すっぽりと包み込めてしまいそうだった。
それに、思っていたよりもずっと温かい。
「ふふっ」
私は小さく笑い、重ねられた手をきゅっと握った。
「……捕まえた」
「……っ!?!?!?」
ガクちゃんの肩が、ぴくりと跳ねた。
「じゃ、帰ろっか」
「……はい」
そう言って歩き始めると、ガクちゃんも隣についてきた。繋いだ手は、凄く汗ばんでいたけれど、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、何だか落ち着く。
それにしても、今日は随分と色々なことがあった。ガクちゃんと初めて二人で出かけて、買い物をして、ご飯を食べて。それから、ずっと誰にも言えなかったことまで話してしまった。
本当に、変な一日だ。
「ねぇ、ガクちゃん」
「はい」
「今日は、ありがとな」
「……え?」
「買い物に誘ってくれて。楽しかったよ」
そう言うと、ガクちゃんは少しだけ驚いたような顔をした。それから、いつものように優しく笑う。
「……俺も、楽しかったです」
「よかった」
頭上では、相変わらず蝉が鳴いている。真夏の日差しは少しずつ傾き始め、道端に落ちる影も長くなっていた。
明日になれば、またいつもの日常が戻ってくるのだろう。それでも、今日のことはきっと忘れないと思う。
ああ、でも、今度、鵺さんにこっそり訓練をお願いしてみようかな。
まずは、できることから。少しずつでいいから、また頑張ってみよう。勿論、ガクちゃんには内緒で。後輩にはいいところだけを見せたいだろ?
そんなことを考えながら、隣を歩くガクちゃんをちらりと見上げる。私の手を握ったまま、少し緊張した様子で歩いている。その横顔を眺めていると、何だか自然と頬が緩んでしまった。
……また、こうして一緒に出かけられたらいいな。
――私の夏は、まだ始まったばかりだ。