小学校のクラスメイト(勝手な予想)ってパワーをもっと使ってほしい。
町田莉那(幼馴染概念) そのいち
(やってしまった…。)
夜島学郎は、先ほどの自分の行動を激しく後悔していた。
それは、今日の体育の授業――プールの時間に起きた出来事だった。
ひとしきり泳ぎ終えて、プールサイドでぼんやりしていたとき。ふと目に入ったのは、背中を向けて泳いでいたクラスメイト。水をばしゃばしゃと派手に跳ねさせるようにしていて、どう見ても溺れているようにしか見えなかった。
「助けなきゃ!」と思った瞬間には、もう体が勝手に動いていた。
先生に怒られることもかまわず、冷たい水の中へ飛び込み、その子の手を引いて抱き上げる――。
「きゃぁっ!! え!? なに!?!?」
「だ、大丈夫!? 今、陸の方に!」
「え? いや、背泳ぎの練習してただけなんだけど……」
……完全に、早とちりだった。
慌てて謝って、それで終わるかと思っていた。問題はその子が、女の子だったということ。
この出来事はすぐにクラス中に広まり、男子たちに面白がって弄られることになった。
「女子に抱きついた」とか、「助けるふりして狙ってたんじゃねーの?」とか。
いつの間にか「エッチマン」なんて不名誉なあだ名までついてしまい、授業中も、休み時間も、ずっと冷やかされ続けた。
女子たちの反応も、なんだかよそよそしくなった気がする。――きっと、変なふうに噂が伝わったんだ。
(助けたつもりだったのに……なんで、こんなことに……)
(明日も、またあんなふうに言われるのかな。ずっと、ずっと――)
どんよりした気分に、ランドセルの重さまでのしかかってきて、体がじわじわ沈んでいくようだった。
誰もかばってくれなかった。
ただからかわれて、笑われて、逃げたくても逃げられなくて。
(もう、学校行きたくないなぁ……)
誰とも話したくなくて、ひとりで校門を出た。
すぐ後ろから誰かに呼ばれている気がしたけれど、ぼんやりしていてよくわからなかった。
「夜島くん!! ねえ、夜島くんってば!!」
ぐいっと手を引かれ、ようやく現実に引き戻された。
振り返ると、少しだけ額に汗を浮かべながら、あの勘違いで助けてしまった女の子が立っていた。
「やっと気づいた……。ずっと呼んでたんだよ?」
「え、えっと、ごめん。全然気づかなかった。あ、その……今日はごめん。」
「全然気にしてないよ! そのことなんだけど、周りの子にはちゃんと説明しておいたから。夜島くんは、助けようとしてくれただけだって。」
「……あ、ありがとう。俺が悪いのに。」
「ううん。私もびっくりしちゃってて、庇ってあげられなくてごめんね?」
――その言葉を聞いて、少しだけ、心の重荷が軽くなった気がした。
ふっと安心して、ようやく気づく。彼女がずっと自分の手を握っていることに。
慌てて手を引っ込めると、彼女は一瞬、不思議そうな顔をして――すぐに、ぎこちなく笑って照れたように頬を染めた。
「あ、あはは……また変な噂されて、夜島くんを困らせちゃうところだったね。」
「そ、そういうのは、やめた方がいいかも……。」
「うん、そうだね。……でも、どうしても言いたかったの。」
彼女、町田莉那はふわっと笑って、言った。
「勘違いだったかもしれないけど、助けてようとしてくれてありがとね、夜島くん。」
◇
それからというもの、実は家の方向が同じだったこともあって町田さんとはよく一緒に帰るようになった。
帰り道では、学校の話をしたり、くだらないことで笑ったり、たまに無言が続いたり――
でも、それもなんだか心地よく、いつの間にか楽しみになっていた。
学校の中では、未だにエッチマンと揶揄われてる事は続いていてうまく笑えない日もある。
けれど、町田さんと並んで歩くこの時間だけは、少しだけ気を緩められる気がした。
「じゃあ、また明日ね」
町田さんが手を振る。俺も軽く手を振り返して、分かれ道をひとり歩き出す。
夕方の静かな道を進んでいくと、やがて、白いフェンスと、きちんと並んだ鉢植えが置かれた家が見えてきた。
親父がいなくなって、ここに引き取られて、もう何年も経つ。
四衲とも結局喧嘩したあの日からずっと会えずじまいだ。
おじさんもおばさんも、本当に優しくて、まるで本当の息子のように接してくれる。
それなのに、俺はここを“自分の家”だと思えたことは、まだ一度もなかった。
遊ぶ相手なんていないというのに、よそよそさを隠すように直ぐに外に遊びに出かける。
扉の向こうから聞こえてくる、“気をつけて”と、案じてくれているおばさんの声から逃げるように俺は駆け出した。
いつものように向かったのは、近くの公園。誰もいない、静かな場所。いつもの逃げ場。
ブランコに座って、ぎい、と小さく音を立てながら、揺れ続ける。
頭の中はぼんやりしていて、何も考えたくなかった。
見上げた空は曇っていて、どこか頼りない白さをしていた。
風もなく、虫の鳴き声もしない。音のない午後。
静かで、でも、どこか濁ったような空気が、じわじわと肌にまとわりつく。
――これが、いつもの日常。
誰にも会わず、誰とも話さず、ただ時間だけが過ぎていく。
そんなはずだった。
遠くから、何かが聞こえた。
「くそ!! 逃げられた!!」
「町田、そっちに逃げてないか確認してきて!! 相手はLevel2だから見つけても連絡だけ、何もしないこと!!!」
「はい!!!!」
静かな自然の音に紛れて、慌ただしい声が混じってくる。
風の音に乗って、聞きなれた声が耳に届いた。
(……町田さん?)
学郎はブランコから立ち上がり、声のした方へ足を向けた。
その瞬間。
ズンッと重たい音を立てて、何かが目の前に降ってきた。
「は……?」
醜悪な形をした異形の生き物。
全身が黒く、どこが顔かもわからない。ただ、その中の“目のようなもの”と視線が合った。
体が、動かない。
ひどく冷たいものが背中を這い上がってくる。
――こいつは、親父を殺したやつと同じ化け物だ。
脳裏に、あの日の光景がフラッシュバックする。
血みどろになりながら、俺たちが無事だったこと、守れたことを誇って死んでいった親父。
そして、何もできなかった自分。
「……うっ!」
膝が崩れ、地面に手をつく。
喉の奥から、込み上げてくるものを止められず、嗚咽がこぼれた。
「対象、みつけ……っ、夜島君!? うそ、間に合え――!!」
誰かの叫びと同時に、横から何かがぶつかってきて転がり地面に倒れる。
次の瞬間、先ほどまで自分のいた場所の地面が爆ぜるようにえぐれ、砂埃が舞った。
(今の……もしそのままだったら……死んでた……)
学郎は倒れ込んだまま、呆然と空を見つめる。
(……誰が、助けてくれたんだ?)
目を向けた先にいたのは――町田さんだった。
黒い装束に身を包み、肩で荒く息をしている。
左手で傷口を押さえ、指の隙間からは血がじわじわと滲んでいた。
真っ赤な雫が、ぽたぽたと地面に落ちて、濃い染みを広げていく。
彼女は懐から何かを取り出す。
小さなお札のような紙を地面に置き、まるで誰かと交信しているかのように、急いだ口調で言葉を紡いだ。
「○○公園で対象を発見しました! やじ……、一般の方が巻き込まれています! 至急応援をお願いします!」
「ま、町田さん……腕、血が……!」
声をかけると、町田さんはピクリとこちらに振り返った。
「え……嘘。見えてるの……!?」
目を見開き、まるで信じられないものを見るように、町田さんは俺を見つめていた。
そのとき、公園の空を切り裂くように、はるか頭上から声が響く。
「よくやったぞ、町田!! そのまま離れてて!!! 後は任せな!!!」
続けざまに、地響きのような轟音が周囲を揺らした。
化物の体が、空から振り下ろされた巨大な槌のような武器に叩きつけられ、地面にめり込むように潰される。
黒い肉塊となったそれは、呻くように一度身を捩らせると、影のようにぼやけながら、空気に溶けるようにして消えていった。
何が起きたのか、理解が追いつかない。
学郎は、ただ呆然と、その場に立ち尽くしていた。
◇
日が沈みかけ、町田さんの周りには数人の大人が集まっていた。
「町田ちゃん、腕、怪我してるじゃん!?」
「大丈夫? 痛くない?」
「大丈夫です。その、かすり傷みたいなものなので……。」
町田さんは、黒装束のまま、知らない大人たちと真剣な表情で話している。
その中のひとりの男性が、苦い顔で頭を下げた。
「……ごめん、俺の想定が甘かった。最初からペアで行動させるべきだったな」
「ちゃんと見とけって言ったろ。で、彼が……巻き込まれた子?」
頭を下げる男性を小突きながら、別の男の人が学郎の方を見る。
彼女たちが使っている言葉も、話している内容も、何ひとつよくわからなかった。
ただ、町田さんの様子が――いつもの彼女じゃないことだけが分かる。
「はい、外傷は見当たりませんでした。」
「そっか……それは良かったな……。」
安堵したような声。でも、学郎の頭はついていかない。
「そ、その……町田さん……? 今のって……何?」
その問いに、少しの沈黙が落ちた。
「……もしかして、彼、俺らのこと見えてる?」
町田さんが、静かにうなずく。
「……そうみたいです。」
「あー、彼、町田ちゃんの知り合いだよね。名前は?」
「夜島学郎君です。」
「夜島? 夜に島って書いて夜島? あー、嘘? マジ? 君、お父さんの名前を教えてくれる?」
「え、えっと…、夜島、拓郎です。」
「マジじゃん。」
「ほんとに? 同姓同名じゃなくて?」
なんのことか分からないけれど、大人たちの空気が急に変わった。
それまで任務とか怪我のことを話していたはずなのに、今は全員が俺を見て、ざわざわと騒ぎ始める。
「どうします? 復元部隊に記憶弄ってもらいます?」
「いや、夜島元隊長の息子さんなら、多少の事情は耳にしてるんじゃない?」
(……たいちょう? ふくげんぶたい……?)
聞いたことのない言葉ばかりが飛び交っていて、頭の中がどんどん混乱していく。
なんとなく、俺の死んだ親父の事でざわついている事だけは分かる。
「う~ん……よしっ!! 町田ちゃん!!」
「はいっ!!」
「丁度復元部隊の修繕と治療も終わったみたいだし、彼に陰陽師と幻妖について、軽く説明しといて」
「わ、私が、ですか!?」
「そ。だって、さっきからずっと心配そうに、ちらちら彼のこと見てたでしょ?」
「っっっっ!!!!」
「おじさんたちは、他のとこの被害確認に行くから。よろしくね?」
「……あ、ありがとうございます!!!」
その言葉に、町田さんは顔を真っ赤にしながら深々と頭を下げた。
それを合図に、大人たちはぱらぱらと散っていく。夕暮れの中に、黒い装束に包まれた人たちの姿が音もなく消えていくのが、なんだか夢の中みたいに感じられた。
町田さんが、ゆっくりとこっちを振り向く。
彼女の目の端には大粒の涙が浮かんでいて、今にも溢れそうだった。
そして次の瞬間――
「よかった……っ!! 夜島君が無事で!!!」
「ちょっ……町田さん!? は、離れて!!」
叫んだけれど、町田さんは俺の胸に飛び込んで、ぎゅうっとしがみついたまま離れようとしない。
彼女の小さな肩が、震えている。
ぎゅっと抱きしめられたまま、俺は何もできずにその場に立ち尽くしていた。
◇
彼女は、絶対に離さないと言わんばかりにぎゅっと俺の手を握りしめて、ずんずんと前を歩いていく。
「もうちょっとで着くから。」
「つ、着くってどこに?」
「私の家!」
「!?!?!?」
あまりのことに慌てて手を引き、彼女の歩みを止めてしまった。
「い、家って……なんで?」
「陰陽師とか、さっきの化け物について書かれてる本? 陰陽師ガイドブック? 指南書? そういうのがあるの」
彼女はそこで一瞬、俺の顔をじっと見て、くすっと小さく笑った。
「ん? あ、もしかして、変なこと考えてたでしょ。顔、真っ赤だよ?」
「なっ……! ち、違っ……!」
頬が熱くなるのを感じて咄嗟に顔を背けたけど、彼女は面白がるように俺の視線を覗き込んできて、楽しげに笑った。
「ふふっ、今の反応、可愛いかも」
そう言って、彼女はいたずらっぽく微笑みながら、再び歩き出した。
「ただいまー。」
「あ……お、お邪魔します……。」
玄関でそう言ったときにはもう、心臓が変なリズムで動いていた。
案内されたのは、どう見ても彼女の部屋だった。
部屋の中央に置かれた机、その上に並んだ文房具、ベッドの上のぬいぐるみ、壁にかかった小さなカレンダー――
「女の子の部屋だ」ってだけで、緊張でがちがちになり、気づけば正座していた。
「お待たせー。……なんで正座してるの?」
「い、いつもこれだから!!」
「そっかぁ…。すごいね、足ジーンってならない? はい、これ。」
そう言って手渡されたのは、表紙にでかでかと『これだけでわかる!! 陰陽師について!!』と書かれた、あんまり厚くない本だった。
「……ほんとにガイドブック……」
「でしょ? じゃあ、最初から説明していくね。」
隣に座った彼女は、俺にも見えるように机の上に本を開く。
肩と肩が、ぴたりと触れ合う距離。
今から始まるのは、まじめな話、まじめな話――
そう自分に言い聞かせて、近くにいる彼女の存在から意識をそらそうとする。
彼女の口から語られたのは、何百年も昔から続く陰陽師の宿命。
そして、人に害を成す異形――幻妖という存在についてだった。
「陰陽師っていうのはね、この市内だけ発生する普通の人には見えない幻妖って化け物と戦うお仕事。それが、ずっと昔から続いてきた仕事なんだって。」
本をめくりながら、彼女は丁寧に真剣な声色で言葉を選んで続けた。
「幻妖って、人を取りついたり、襲ったりするの。そんなと戦うんだから、さっきみたいに怪我する事も、最悪命を落とすこともある。」
その言葉に、親父がしていた“危ない仕事”――その意味を、今ようやく理解し始めた気がした。
「……町田さんは、怖くないの?」
「勿論、怖いよ。でも、それでも――私は“そういう家”に生まれたから。逃げたら、一生自分を許せない気がするんだ。」
町田さんの言葉を聞きながら、俺はそっと視線を落とした。
親父も――こんなふうに、幻妖と戦っていたんだろうか。
自分の目の前で、血を流して倒れた親父の最期。
それをなぞるように、彼女がそうなってしまった姿を想像してしまう。
俺に出来ることは無い? そう聞こうとして、喉の奥がつまった。
息を吸っても、声が出ない。助けたい、力になりたい――たった一言を言うことさえ、できなかった。
(俺は……また、怖がってるんだ。)
悔しくて、歯を噛んだ。それでも、震える手を隠すことはできなかった。
そんな俺の手に、そっとあたたかな手が重なる。
「夜島君。」
驚いて顔を上げると、町田さんが真っ直ぐにこちらを見つめていた。
その眼差しは優しくて、だけどちゃんと強かった。
「……夜島君が、何かできないかなって考えてくれてるの、ちゃんと伝わってるよ。だって、夜島君って、そういう人だもん。」
「え……?」
「私ね、ずっと思ってたの。夜島君って、困ってる人がいたら、つい助けにいっちゃうでしょ?
そういうの、すごく安心するし凄いなって、私も、そんなふうになれたらいいなって思ってた。」
「今日も、怖かったはずなのに……それでも、私のことすごく心配してくれてる。」
「だから……こんなお願い、ちょっとずるいかもしれないけど」
「これからも、仲良くしてほしいな。」
握られた手が、少しだけ強くなる。彼女の手は細くて、でも不思議と力がこもっていた。
町田さんのために、そう言えなかった俺を、否定せず、責めもせず、受け止めてくれていた。
それだけで、少しだけ――息がしやすくなった気がした。
「……ごめん。」
「謝ることないよ。これからも仲良くしてね。」
「……うん。よろしく、町田さん。」
「もー、これからも友達!!って雰囲気なのに他人行儀すぎ。名前で良いよ?」
「……れ、莉那さん、で、いい?」
「うんっ。じゃあ、私は、“学”って呼ぶね!……だめ?」
「だ、駄目じゃない!!」
言葉にした途端、頬が熱くなってくるのがわかった。
名前を呼ばれただけなのに、照れくさくて、でも嬉しかった。
気が向いたら、高校生まで飛ばして続きかきます。
噓告白に怒ったり、ハンバーグが得意な学郎に自分が好きな料理を覚えさせようとする町田莉那、あると思います。