### **電車の座席**
深夜の最終電車。乗客はまばらで、私は車両の片隅に座っていた。終点まであと数駅。窓に映る自分の顔は、暗闇に沈むようにぼんやりとしていた。
そのとき、不意に背筋が凍るような寒気を感じた。
何かの視線を感じる。
車両を見渡したが、他の乗客は皆、自分の世界に没頭している。スマートフォンを見つめる者、うつむいたまま眠る者。誰もこちらを見てはいない。
気のせいか――そう思い、視線を落としたときだった。
座席の隙間から、何かが覗いていた。
**黒ずんだ、骨ばった指。**
私は息を呑み、反射的に足を引いた。指はわずかに動き、ゆっくりと座席の奥へと消えていった。
何だ、今のは? 見間違いか?
心臓の鼓動が早まる。確認しようと身を乗り出しかけたが、恐怖がそれを制した。いや、やめておこう。今はただ、この電車が目的地に着くのを待つだけだ。
だが、次の瞬間。
隣の座席が**軋んだ**。
誰も座っていなかったはずなのに。
私はぎこちなく顔を向けた。
そこには、**見知らぬ男が座っていた。**
痩せ細った顔。血の気のない唇。暗い目の奥に、深い闇がうごめいている。
「ここ、空いてますか?」
男が低く、かすれた声で尋ねた。
私は声が出なかった。ただ、必死で首を横に振った。
男は微かに笑うと、ゆっくりと私の足元へ視線を落とした。
「……そこ、俺の席なんだ。」
次の瞬間、男の姿は消えた。
**座席の隙間から、無数の黒い手が伸びてくる――。**
電車がトンネルに入る。
車内は闇に包まれた。
そして、私は二度とその座席から立ち上がることはなかった。
---
闇の中、私は冷たい手に引きずり込まれた。
座席の下――そこには**空間があった**。
吸い込まれるように、私はそこへ落ちていく。
**ドサッ**
気がつくと、私は**見知らぬ電車**の床に倒れていた。
異様なほど静かだった。モーター音も、線路の振動もない。ただ、車両の奥から微かな**呻き声**が響いていた。
「……ここは……?」
立ち上がると、車内はまるで霧がかったようにぼんやりとしていた。窓の外は真っ黒で、何も見えない。
振り返ると、さっきまで乗っていたはずの車両の**座席がすべて消えていた**。
いや、違う。
座席ではなく、そこに**座っていた人々が消えていた**のだ。
さっきまでスマホを見ていたはずのサラリーマン。うつむいて眠っていた老婦人。誰一人としていない。
私は慌ててドアの前に立ち、開けようとした。しかし、力を込めてもびくともしない。
「開けろ……!」
爪を立ててドアを引っ掻いたとき、不意に背後で**ざわり**と音がした。
振り返る。
奥の車両から、**人影がゆっくりとこちらへ歩いてくる。**
いや、それは人ではなかった。
**影だった。**
黒い靄のようなそれは、形を変えながらうごめいている。
しかし、顔だけははっきりと見えた。
さっきの**男**だ。
痩せ細った顔。血の気のない唇。深い闇をたたえた目。
男は口を開き、低く囁いた。
「……そこは、俺の席だって言ったよな?」
影が一斉に**手を伸ばしてきた**。
私は叫びながら後ずさる。しかし、もう逃げ場はない。
「嫌だ……!ここから出してくれ!!」
そのとき――。
**ゴォォォン……**
車両全体が揺れ、外から強烈な光が差し込んだ。
まばゆい光に包まれた瞬間、私は意識を手放した。
---
「……お客さん?」
誰かの声がする。
ハッとして目を開けると、私は電車の座席に座っていた。
見慣れた車両。乗客もいる。
目の前には車掌が立っていた。
「終点ですよ。降りてください。」
「……あ、はい……」
私はふらふらと立ち上がり、電車を降りた。
振り返ると、ドアが閉まる直前――。
さっきの**男が座席に座っていた**。
ゆっくりと、無表情のまま**私を見つめている**。
その瞬間、私は悟った。
あのとき、私が座ったのは――**決して座ってはいけない席だったのだ**。
**電車が発車する。**
車両の中で、男は**うっすらと笑った**。
次にあの座席に座るのは、**誰なのだろうか**――。
---
電車が遠ざかるのをぼんやりと眺めながら、私は冷たい汗を拭った。
心臓はまだ早鐘のように鳴っている。あれは……夢だったのか? それとも……?
「……はは、馬鹿らしい」
自分にそう言い聞かせ、足早に改札を抜ける。だが、駅を出た瞬間、足が止まった。
**何かがおかしい。**
街灯の明かりが異様に暗い。遠くのビルは霞み、まるで蜃気楼のようにぼやけて見える。
それに、**人がいない。**
終電が到着したばかりなら、タクシーを探す人や家路を急ぐ人がいるはずだ。しかし、周囲には**誰もいない**。
「おかしい……」
駅の時計を確認する。
**午前0時15分**
終電が到着した時間と、同じままだった。
携帯を取り出し、時間を確認しようとする。しかし、画面は**真っ暗**で、電源すら入らない。
まるで、時間そのものが**止まっている**かのように。
**――カタン。**
背後で、何かが動く音がした。
振り返ると、駅のホームに**誰かが立っていた**。
あの男だ。
痩せこけた顔。血の気のない唇。暗闇のような目。
男はじっとこちらを見つめている。
いや――**笑っていた。**
**「――お前、まだ『座席』を降りていないぞ?」**
鼓動が凍りつく。
逃げなければ。
本能が警鐘を鳴らす。私は駅の外へ駆け出した。
だが、走れども走れども景色は変わらない。
曲がり角をいくつも過ぎたはずなのに、気づけばまた駅の入り口に立っていた。
そして――**そこに男がいた。**
男は私を見下ろしながら、かすれた声で囁く。
「お前はもう、『座席』の一部なんだよ」
その瞬間、私の足元がズルリと沈んだ。
地面が歪む。世界が暗転する。
そして――
**次の終電が到着した。**
静かな駅のホーム。ドアが開き、新たな乗客が乗り込む。
座席の隅に、一つの空席があった。
そこに、私は**座っていた**。
次の乗客が、私の前に立つ。
「ここ、空いてますか?」
私はゆっくりと笑い、口を開いた。
**「……そこは、俺の席だ。」**
──次の犠牲者が、決まった。
---
終電が静かに発車する。
暗闇の中、車両は静かに揺れる。乗客は皆、疲れた表情で座っている。
そして、**あの席**も空いていた。
私はそこに座っている。
否、**座らされている。**
もう逃げられない。私は"この席"の一部となってしまったのだから。
新たな乗客が、フラフラと車両に入ってくる。
酔っ払ったサラリーマン、スマホを見つめる学生、うつむき加減のOL。
彼らはまだ知らない。
**この席に座ったら、最後だということを。**
男が言っていたことが、今ならよく分かる。
「お前はもう、『座席』の一部なんだよ」
つまり、次の犠牲者が座るまで、私はここにいなければならないのだ。
新たな乗客が、私の前に立つ。
「ここ、空いてますか?」
私はゆっくりと笑い、口を開いた。
**「……そこは、俺の席だ。」**
そう囁いたとき――
乗客の目が見開かれた。
次の瞬間、男はゆっくりと座る。
私はそのまま、**座席の隙間へ沈んでいった。**
闇が、私を包む。
そして、気づいたときには――
私は次の電車の座席にいた。
どこかの車両の、隅の方の席。
そしてまた、誰かが訪れる。
「ここ、空いてますか?」
**「そこは……俺の席だ。」**
新たな犠牲者が決まるたび、私はこのループから解放される。
だが、次に誰かが座るまで、私はこの席の一部として存在し続けるのだ。
この座席には、終わりがない。
**あなたが次に座る座席は、本当に"安全"ですか?**
終電の時間、あなたが腰を下ろすその席が、もしも――。
**「俺の席」だったら。**
──そのとき、あなたはどうしますか?
**……ねえ、そこ、空いてますか?**
---
**「ねえ、そこ、空いてますか?」**
電車の揺れとともに、その声は静かに響いた。
座席に座った男がゆっくりと顔を上げる。
痩せこけた顔。血の気のない唇。深い闇を湛えた目。
そして、その顔は**俺のものだった。**
「……っ!」
俺は反射的に立ち上がった。しかし、足が動かない。
まるで座席に縫い付けられたように、身体が重く沈む。
気づけば、俺はいつの間にか**"そこに座る側"になっていた。**
あのとき、俺は誰かを犠牲にしてこの席を抜け出した。
だが、終わりはしなかった。
「……どうして、戻ってきた……?」
俺の問いに、俺自身が薄く笑う。
「この座席は、"そういうもの"だから。」
終電は止まらない。
この席に座った者は、いずれまた"ここ"に引きずり戻される。
それが、この座席の"ルール"なのだ。
電車がトンネルへ入る。
車両は闇に包まれ、外の景色は完全に消えた。
そして、次の瞬間――
俺は**座席の隙間へと沈んでいった。**
永遠に続く暗闇の中へ。
そこには、いくつもの"俺"がいた。
ここから抜け出そうとした"俺"たちが、無数にうごめいている。
そして、次の終電が来るたびに、また新しい"俺"が生まれるのだろう。
電車が次の駅に滑り込む。
扉が開き、新たな乗客が足を踏み入れる。
静かな車内。
隅の座席には、一つの空席があった。
そこに、"俺"が座っていた。
**「ねえ、そこ、空いてますか?」**
物語は終わらない。
**あなたがその席に座るまで――。**
---
──ガタン、ゴトン。
電車の揺れが心地よく、乗客は皆、疲れたように座っていた。
終電。
暗闇のトンネルを抜け、電車はどこへ向かうのか。
**俺は座席にいた。**
**「ねえ、そこ、空いてますか?」**
新たな乗客が目の前に立っていた。
どこかで見たことのある顔。
……いや、それもそのはずだ。
**俺自身の顔だった。**
座席のルール。
ここに座った者は、やがて"座席の一部"になる。
何度も抜け出そうとした。
誰かを犠牲にしてでも、外に出ようとした。
だが、抜け出した先でも、結局この席に戻ってくる。
まるで、"終点"のない路線を走り続ける電車のように。
俺はもう理解していた。
この座席は、永遠に繰り返される。
犠牲者を増やしても無駄だ。
ここから逃げる方法など**最初から存在しない**のだから。
……ならば。
**俺は"その方法"を試すしかない。**
目の前に立つ"俺"が、ゆっくりと口を開いた。
「……そこは、俺の席だ。」
俺は静かに頷いた。
「いや、違う。」
"俺"が目を見開く。
そして俺は、ゆっくりと手を伸ばした。
"俺"の腕を掴む。
そして**引きずり込む**。
「お前が、"座席"になる番だ。」
"俺"は驚愕の表情を浮かべた。
次の瞬間、"俺"の身体はズルズルと沈み、座席の隙間へと吸い込まれていった。
俺は立ち上がる。
車内の空気が変わった気がした。
まるで、何かから解放されたかのような――。
**ガタン、ゴトン。**
電車がゆっくりと減速する。
窓の外を見ると、**見たことのない駅があった。**
"終点"と書かれた白い看板。
そして、その駅のホームには、誰もいなかった。
**扉が開く。**
俺は、一歩踏み出す。
足をホームに下ろした瞬間――
背後で、扉が閉まる音がした。
振り返ると、電車はゆっくりと走り出していた。
**そのまま、深い闇の中へ消えていった。**
もう二度と、その電車に乗ることはない。
──俺は、ついに"座席"を降りたのだ。
静かな駅。
時計を見る。
**午前0時16分。**
針が、動いていた。
俺は確かに、この"ループ"から抜け出したのだ。
安堵のため息をつき、改札へ向かおうとする。
しかし、そこで――**足が止まった。**
**駅のベンチに、一つの空席があった。**
そして、誰かが座っていた。
……あの"男"だ。
俺を見つめ、微笑んでいる。
**この世界のどこかには、必ず"座席"が存在する。**
**そして、次に座るのは――お前かもしれない。**
**──ねえ、そこ、空いてますか?**
---
静かな駅のホームに、俺は立ち尽くしていた。
終点。
あの電車は闇の中へと消えた。
時計の針は動き出し、俺はループから解放されたはずだった。
**「……なのに、なぜだ?」**
背筋に嫌な寒気が走る。
駅は、静かすぎた。
周囲を見渡しても、誰もいない。
この駅はどこなんだ?
見たことのない名前が掲げられた看板を見上げる。
そこには、黒ずんだ文字でこう書かれていた。
**「終点・最果て」**
こんな駅、聞いたことがない。
改札へ向かおうとした、そのときだった。
**カタン……カタン……**
小さな音が響いた。
駅のベンチに視線を向ける。
そこには――
**俺がいた。**
いや、"俺"ではない。
男だ。
あの、座席の男。
痩せこけた顔。血の気のない唇。深い闇のような瞳。
そして、ゆっくりと微笑む。
「……やっぱり、戻ってきたね。」
**「戻った? 俺はループを抜けたはずだ!」**
男は首を振る。
「抜けた? 違うよ。君は"終点"にたどり着いただけだ。」
男は立ち上がり、こちらに近づいてくる。
「この世界に、"終点"なんてないんだ。あるのはただ、"次の出発"だけ。」
心臓が早鐘を打つ。
「……どういう意味だ?」
男はすぐ目の前で立ち止まり、静かに囁いた。
「今度は、"君が座る番"なんだよ。」
瞬間、男が**俺の肩を押した。**
視界がぐにゃりと歪む。
足元が沈む感覚。
**ずるり……ずるり……**
俺の身体が、地面の下へと引きずり込まれていく。
「やめろ!! 俺はもう……!」
「ようこそ。"新しい座席"へ。」
男の声が遠ざかる。
闇の中へ沈んでいく。
――ガタン、ゴトン。
電車の音が聞こえた。
そして、次の瞬間――
**俺は座席にいた。**
終電の車内。
無機質な蛍光灯の明かり。
揺れる吊り革。
目の前には、新たな乗客が立っていた。
「ねえ、そこ、空いてますか?」
俺はゆっくりと笑い、口を開いた。
**「……そこは、俺の席だ。」**
──終わりなき座席の物語。
次に座るのは、あなたかもしれない。
**次の終電で、また会おう。**
---
──ガタン、ゴトン。
電車の揺れが心地よい。
いや、本当は**心地よいはずがない。**
俺はまた、**この座席に座っている。**
どれだけ足掻いても、逃げても、ループから抜け出せない。
目の前には、新たな乗客。
「ねえ、そこ、空いてますか?」
俺はもう、この言葉を何度聞いただろうか。
何度も繰り返し、何度も"俺の席"を譲り、何度も新しい犠牲者を生み出してきた。
だが、終わらない。
俺が誰かを犠牲にすればするほど、俺はまたここに戻ってくる。
まるで、"座席"そのものが俺を飲み込んでいるかのように。
もしかして――。
"座席"を譲ったからといって、俺は解放されていたわけではないのでは?
俺はただ、座る場所を変えただけ。
**この電車そのものが、"座席"なのでは?**
終電がトンネルへと入る。
車両の窓に、俺の姿が映る。
いや、それは俺ではなかった。
窓ガラスの向こうで、無数の"俺"が微笑んでいる。
これまで俺が譲った席に座った"元俺"たち。
皆、俺と同じ顔をしている。
――そのとき、電車が急停止した。
「……?」
異常なほどの静寂。
誰も声を出さない。
乗客たちは皆、下を向いて、まるで眠っているかのようだ。
そして、ドアがゆっくりと開く。
**「終点です。お降りの方はお忘れ物のないよう……」**
アナウンスが流れた。
終点?
"最果て"ではない。
それとも、今度こそ"本当の終点"なのか?
俺は立ち上がった。
誰も動かない車内。
俺だけが、降りようとしている。
この電車から出れば、すべてが終わるのだろうか?
恐る恐る、一歩を踏み出す。
足がホームに触れる。
その瞬間、背後でドアが閉まる音がした。
電車は再び動き出し、暗闇の向こうへ消えていった。
俺は、ついに"座席"を降りたのか?
静かなホーム。
改札へ向かおうとする。
だが、そこで俺は――**息を呑んだ。**
**ホームのベンチに、一つの空席があった。**
その隣には、痩せこけた男が座っていた。
俺を見つめ、ゆっくりと微笑む。
「……そこ、空いてますか?」
心臓が、跳ねる。
気づけば俺は、無意識のうちにベンチへと腰を下ろしていた。
頭が真っ白になる。
やめろ、座るな……!
しかし、もう遅い。
視界がぐにゃりと歪む。
足元が沈む感覚。
"座席"は、電車の中だけではなかった。
「ようこそ。"本当の座席"へ。」
男の囁きが、耳元に響いた。
ずるり……ずるり……
俺の身体は、闇へと沈んでいく。
次の瞬間――
**電車のドアが開いた。**
新しい乗客が、ふらりと乗り込んでくる。
無機質な車両。
冷たい座席。
隅の席には、一つの空席があった。
そこに、**俺が座っていた。**
次の犠牲者が近づく。
「ねえ、そこ、空いてますか?」
俺はゆっくりと笑い、口を開いた。
**「……そこは、俺の席だ。」**
──終点は、存在しない。
この"座席"は、永遠に続く。
次に座るのは、あなたかもしれない。
次の終電で、また会おう。
**……ねえ、そこ、空いてますか?**
---
──ガタン、ゴトン。
電車の揺れが心地よく、乗客たちは皆、静かに座っていた。
終電。
車内は薄暗く、どこか湿った匂いが漂っている。
そして、俺は――**また座っていた。**
ここから降りたはずなのに。
「……逃げられないのか?」
呟いた言葉は、虚空へと溶けていく。
これまで何度も繰り返された光景。
だが、何かが違う。
車内の雰囲気が、いつもより"重い"のだ。
まるで、電車そのものが俺を押し潰そうとしているような……。
ふと、窓の外を覗く。
闇の中に、うごめく影。
まるで無数の人影が、こちらを見つめているようだった。
――そのとき、電車が急停止した。
**「終点です。お降りの方はお忘れ物のないよう……」**
車内アナウンスが響く。
だが、乗客たちは微動だにしない。
皆、顔を伏せたまま、じっと座っている。
俺だけが、立ち上がった。
ゆっくりと扉が開く。
外に広がるのは、見たことのない**黒い駅**。
看板には、掠れた文字でこう書かれていた。
**「最果ての終着駅」**
冷たい空気が、肺に突き刺さる。
足を踏み出すと、ざらりとした感触。
線路の上に**灰**のようなものが降り積もっていた。
「……ここが、本当の終点か?」
ふと、背後から視線を感じる。
振り返ると――
電車の中から、**全員がこちらを見ていた。**
先ほどまで顔を伏せていた乗客たちが、静かにこちらを見つめている。
その瞳には、何の感情もなかった。
俺は息を呑んだ。
すると、彼らは一斉に立ち上がった。
**ザッ……ザッ……ザッ……**
ゆっくりと、電車から降りてくる。
足元の灰を踏みしめながら、こちらへ向かってくる。
「……っ!」
俺は本能的に後ずさる。
何かが、おかしい。
いや、最初からおかしかったのだ。
この電車は、終わらないはずだった。
それなのに、"終着駅"に着いた?
この違和感――
俺は、とうに気づいていた。
「……これは"終点"なんかじゃない。」
**「ここは、"座席の外側"だ。」**
その瞬間。
乗客たちの動きが止まる。
車内にいた"俺"と同じ顔をした男が、一歩前に出る。
**「気づいてしまったか。」**
男は微笑んだ。
「"座席"とは、電車の中だけじゃない。座った瞬間、"お前自身"が座席になるんだ。」
「……何?」
「お前は何度も繰り返した。"ここから抜け出す方法"を探し続けた。」
「そして、ついに"終点"にたどり着いた。」
「だが、それは"座席の最果て"。」
男の手が、俺の肩に触れる。
ゾクリとするほど冷たい。
「お前は、今度こそ"座席の一部"になるんだよ。」
男が囁いた瞬間――
俺の身体が、灰となって崩れ始めた。
「……っ!!!」
抗う間もなく、足元から崩れていく。
指先が、腕が、胴が、すべて灰へと変わる。
**そして、俺は"座席そのもの"になった。**
──ガタン、ゴトン。
遠くで、電車の音が聞こえる。
扉が開き、新たな乗客が足を踏み入れる。
彼は座席を見つめ、恐る恐る尋ねる。
「ねえ、そこ、空いてますか?」
俺は微笑んだ。
もう、逃げる必要はない。
なぜなら――
**俺は、"座席そのもの"になったのだから。**
次に座るのは、あなたかもしれない。
電車に乗るとき、座る場所には気をつけてくださいね。
**「そこは、俺の席だ。」**
---
──ガタン、ゴトン。
電車の音が遠くで鳴っている。
俺は――どこにいる?
目の前は真っ暗だ。
手を伸ばしても、何も感じない。
身体の感覚すら、薄れていく。
ここは、"座席の外側"。
否――もしかすると、"座席の始まり"なのかもしれない。
**俺は"座席そのもの"になった。**
その瞬間、何かが俺を飲み込むような感覚に襲われた。
ぐにゃりと世界が歪み、闇が弾ける。
──気がつくと、俺は電車の中にいた。
終電の車内。
蛍光灯がちらつき、窓には夜の景色が映っている。
向かいの座席には、数人の乗客が静かに座っていた。
まるで、何事もなかったかのように。
「……戻った?」
いや、違う。
"戻された"のだ。
すべての記憶が、まだ俺の中にある。
"座席の一部"になったはずなのに、なぜか俺はまたここにいる。
まるで、最初からやり直せと言わんばかりに。
──そのとき、隣の座席から声がした。
「ねえ、そこ、空いてますか?」
**まただ。**
恐る恐る振り向く。
そこにいたのは――
俺だった。
「……やっぱりね。」
もう驚きはしない。
これはただの"ループ"ではない。
"座席"は、誰かが降りるたびに、新しい誰かを迎え入れる。
そして、そのたびに"新たな座席"が生まれる。
ならば、俺は?
この無限のループを終わらせる方法は――?
俺はゆっくりと微笑み、目の前の"俺"に問いかけた。
「お前も、ここから抜け出せないのか?」
"俺"は静かに頷く。
「……いや。」
俺は立ち上がった。
"俺"は驚いたような顔をした。
これまで、誰も立ち上がらなかったのだろう。
けれど、もうわかっている。
この"座席"が何なのか。
そして、何をすれば終われるのか。
俺は電車の扉の前に立った。
窓の外には、何もない暗闇。
「俺は"座席"じゃない。」
扉が、ゆっくりと開いた。
風が吹き込む。
"俺"が目を見開き、何かを言おうとする。
だが、俺は振り返らなかった。
もう、終わらせる。
俺は、電車の外へ踏み出した。
──世界が、反転した。
**すべてが終わり、すべてが始まる。**
そして、俺は――
**「ねえ、そこ、空いてますか?」**
電車の中。
新たな乗客が、俺を見つめていた。
俺はゆっくりと笑った。
「そこは、俺の席だ。」
──終点は、どこにもない。
それでも、電車は走り続ける。
あなたが乗る、その終電の中で。
次に座るのは、あなたかもしれない。
**また、どこかで。**
---
──ガタン、ゴトン。
電車は、今夜も走り続けている。
車内にはわずかな乗客。
皆、静かに座っている。
まるで、最初からそこにいたかのように。
俺はふと、隣の席を見る。
"そこ"は、ずっと空いていた。
終電の時間が近づくにつれ、車内の空気は重くなっていく。
何かが、近づいている気がする。
──そのとき、電車がトンネルに入った。
車内が一瞬、闇に包まれる。
そして、トンネルを抜けた瞬間――
**隣の席に誰かが座っていた。**
「……!」
俺は息を呑んだ。
乗ってきたのか? それとも……。
男は静かにこちらを見つめる。
顔は見えない。
だが、どこか"見覚えがある"気がした。
「ねえ、そこ、空いてますか?」
俺の背筋が凍る。
その言葉を、何度聞いただろうか。
俺は"座席"そのものになったはずだった。
なのに、なぜ?
「……お前は誰だ?」
男は微笑んだ。
そして、ゆっくりと囁く。
**「最後の乗客だよ。」**
その瞬間、電車が急停止した。
──終点。
アナウンスは流れない。
車内には俺と"最後の乗客"だけ。
ドアが開く音がする。
外は、黒い霧に包まれたホーム。
誰もいない。
だが、確かに"誰かが待っている"気がする。
男が立ち上がる。
「行こう。」
「……どこへ?」
「"座席の外"へ。」
俺は、目を見開いた。
今まで誰も、ここから降りようとしなかった。
いや、降りられなかった。
だけど、今度こそ。
俺たちはゆっくりと歩き出す。
座席を離れ、電車を降りる。
その瞬間、背後で扉が閉まる音がした。
電車は再び動き出し、遠ざかっていく。
もう、戻れない。
俺は男に尋ねる。
「お前は、何者なんだ?」
男は、薄く笑った。
「"最初の乗客"さ。」
──ガタン、ゴトン。
遠くで電車の音が聞こえる。
闇の向こうで、新たな座席が、誰かを待っている。
そして、今夜もまた。
「ねえ、そこ、空いてますか?」
**終わりの始まり。
それとも、始まりの終わり。**
あなたが座るその席は、本当に"安全"ですか?
次の終電で、また会いましょう。
---
──ガタン、ゴトン。
電車の音は、もはや遠い記憶のようだった。
俺は今、"座席の外"にいる。
"最後の乗客"と共に、黒い霧に包まれたホームを歩く。
どこまでも続く闇。
だが、目の前には"扉"があった。
古びた木製の扉。
錆びついたプレートには、掠れた文字でこう書かれている。
**「終着点」**
「……これを開ければ、終わるのか?」
男――"最初の乗客"はゆっくり頷いた。
「お前が"座席"を離れたのは、おそらく初めてだ。」
「だから、この扉の向こうに何があるのか、俺も知らない。」
俺は息を呑む。
終わりの先を知る者はいない。
だが、このまま"座席"に戻るつもりはなかった。
俺は、扉に手をかけた。
ギィィ……
重い音を立てて、扉が開く。
──目の前に広がるのは、"無数の座席"だった。
まるで果てしなく続く車両のように、椅子が並んでいる。
そこに座っているのは……
「……俺?」
座席のひとつに、確かに"俺"が座っていた。
いや、それだけじゃない。
別の席にも、俺。
さらに奥の席にも、俺。
無数の"俺"が、静かに座っていた。
彼らは、微動だにしない。
まるで、待っているかのように。
俺がここに来るのを。
「これは……」
背後で"最初の乗客"が呟く。
「"座席に取り込まれた者たち"の成れの果て、か……。」
俺は、足が震えるのを感じた。
もし、このまま座ってしまえば――
俺も"この座席の一部"になる。
もう、抜け出せなくなる。
「戻るか?」
男が尋ねる。
俺は、静かに首を振った。
ここで終わらせる。
俺は、ゆっくりと"座席"のひとつに近づいた。
そこに座る"俺"は、微動だにしない。
「……お前は、俺か?」
問いかけると、"俺"がゆっくりと顔を上げた。
無表情。
だが、その目は確かに俺のものだった。
「"座席"に座り続けた未来の俺」
「ここで、終わるのか?」
"俺"は、何も言わない。
だが、すべてを悟った。
俺がこの席に座らなければ、この"ループ"は終わる。
"座席"は、新たな乗客を待ち続ける。
ならば――
俺は、最後に微笑んだ。
「俺は、降りる。」
そして、振り向くことなく"扉の外"へ歩き出した。
──ガタン、ゴトン。
電車の音が消えていく。
俺はもう、"座席"ではない。
電車のない世界へ、足を踏み出す。
果たして、そこに"終点"はあるのか。
それは、まだ分からない。
**ただ、ひとつだけ確かなこと。**
「ねえ、そこ、空いてますか?」
今夜も、どこかの電車で、誰かが"座席"を探している。
そして、"空席"は必ずある。
だって――
**そこは、俺の席だったのだから。**