ミサゴ様に雅の師事をお受けいただき、2週間が経った頃
「あの子を、剣から遠ざけていますね」
いずれ、それについて問われることはわかっていた
だから、今更隠そうとも思っていない
「…はい」
私には、自信がなかった
あまりにも雅は才能に溢れていたから
「剣の才で言えば、私など及ぶべくもありません、更にあの子自身の修行に対する真摯さ、英雄を目指すと心に決めたときからそれに注ぐ熱量、一度剣の道を歩めば、辿り着く場所は私には想像もつきません。それが、私にはどうしようもなく怖かった」
あの子は、最強になる
私よりもずっとずっと強くなって、その手は英雄の名へ届き、そして超えるだろう
だが、そこは私にとっては完全に未知の領域
雅が武の極致に至る、そうなれば、母である私はあの子に何をしてあげられるのか
「ミサゴ様…、雅が剣を握り、鍛錬を積めば、今後どこまで強くなるでしょうか?」
「……このままでも、虚狩りに名を連ねる可能性は十分あります」
「やはり、そうですか…」
「そして」
ミサゴ様は、言葉を続けようとして、少し言いよどむ
長めの瞬きを一つし考えをまとめたのか、再び口を開き
「無尾を御せるなら、三代目を超える存在となることもあり得る」
「っ……」
咄嗟に息が詰まる
表情が、どうしても険しくなってしまう
あの子が、無尾を?
あの妖刀を、雅に託す?
考えることがなかった訳じゃない
武人として、災厄から力なき者達を守る使命を全うする
それが、星見の名を持つ人間の定め
雅とて例外ではないし、さらにあの子には剣の才がある
だが…
「アレを娘に渡すというのは、母親として度し難い嫌悪感を抱くのは理解できます、しかし、あなたも長くアレを振るい過ぎだ。結末がどうなるかは知っているんでしょう?」
「……わかっています、これ以上は私が持たない、故に雅に無尾を託し、万全を期してあの儀を安全に終わらせる。それが最善だというのは、わかっているんです」
怖い
どうしようもなく怖い
英雄の道は、喪失の道
それを耐えたあの子が、更にその先、私の手の届かない頂まで上り詰めて
そこでぶつかる壁に、降りかかる火の粉に、向けられる悪意に、どうしようもない力に
あの子が、痛がって、苦しんで、藻掻いて、足掻いて、どれだけ涙を流していても
私の手では、頂に届かないのだ
母が、苦しむ娘を前に何もできない
そんな状況で、私は正気でいられるだろうか?
それが怖い、怖くてたまらない
「私があの子に”戦い”を教える以上、中途半端はしたくない、剣を握らせるつもりです」
「それは…、雅自身も望んだことです、異存はありません、ただ無尾については…」
「勿論、直ぐに答えを出せるものではないでしょう」
直ぐには答えを出せない
それはつまり、いずれ答えを出さなければいけないということ
「雅はまだ幼い、不用意に星見としての使命感を芽生えさせてしまえば、それは雅自身を縛る呪いになり得る」
「でしょうね、あれだけの剣才を持つ上に、純真無垢で努力家、星見家次期当主として期待されていることを知れば、期待に応えるため己を犠牲にすることも厭わないでしょう」
「故にです、無尾についても知れば、雅はその柄を握ることを躊躇わない、でも、呪いに突き動かされてアレを握れば、きっとあの子は大いに苦しむことになる」
「怖いんですね、星見家としての使命が、あの子にとって呪いになるのが」
「……当然です、母として、娘を呪いたいと思える訳がありません」
「それでも、あの子は”星見雅”だ」
「……」
「母親の腕の中で、ただ護られ続けることは、果たしてあの子にとって本当に良いことですか?」
私は…
「ただ、あの子には壮健で居て欲しい、苦しんで欲しくないんです、母親としてそう願うことは、悪いことでしょうか?」
「……」
「………昔の話、星見家三代目当主のことです」
「え…?」
「どえらい使命感の強い奴でしてね、自分が関わったホロウ災害の追悼慰霊碑の前に立った時は、メソメソ泣きながら刻まれた犠牲者全員の名前を覚えるまでそこから動かなかったっけなぁ」
「三代目の、御当主様が…?」
「いつも内心ピーピー泣いてるくせに、それでも己が力を持って生まれた理由は、力無き人々を守るためだと、口癖みたいに言っていた」
「力を持って生まれた理由…」
「けれどアイツみたいに力があるからといって、進むべき道が分かる訳じゃない、誰かに正解を示してもらえる訳でもない。結局できることと言えば、何もしなくてもただ訪れる現実の中で藻掻いて、足掻いて、その結果を受け止めることしかない。どんな虚狩りだって、そこは皆同じでしたよ、勿論、あなただってそうだったはずだ」
「…………」
「それでも、あの子がよりよい未来を手繰り寄せることができるように、必要なものはやはり抗えるだけの力と…あと一つ」
「……信念」
「…そうです、そしてそれは、きっと母親であるあなたが示すべきものだ」
まさか、あの三代目様までもが…
……
………
…あぁ、本当に
「申し訳ありません、情けないところをお見せしました」
「とんでもない、雅は本当に良いご両親に恵まれたようだ」
心底、情けない
私は、何を思いあがっていたのか
私は、雅に”幸福”を与えたかった
派手でなくとも、目立たなくとも、細やかでいい、ただ幸せに生きて欲しかった
その願い自体、何とも思い上がった驕りだった
私から与えられる幸せなぞ、”星見雅”に相応しくない
先人として、先代として、母として、私があの子にできることは…
「話します、あの子に、全ては理解できずとも、いずれ立ち止まった時、導となれるように、私の…、母の信念を」
我が子を、自分の手が届かないところへ送り出す
とてつもなく恐ろしいことだ
それでも、”星見雅”が自身で選んだ道ならば
私は、母としてその背をそっと押してやるべきなのだ
@@@
「あのすんません、離していただいても…?」
「駄目だ、離したら兄様はすぐどこかへ行くだろう」
「いや、マジで、どこにも行かないから、ね?いい子だから」
「駄目だ」
「雅なら俺が逃げ出してもすぐに追いつけるだろ?」
「駄目だ」
「なら」
「駄目だ」
「じゃあ」
「駄目だ」
「」
「駄目だ」
「何も言ってな」
「駄目だ」
駄目だbotと化してる…
こうなると話聞かないんだよなこの子
どうしよう…
「ずっと」
「ん?」
先程腹に超速頭突きを喰らい、意識が一瞬飛んだと思えば、腕をガッチリホールドされ
そのままホロウの外に連行され、行先も告げられず車に乗せられ、こちらが何を言っても「駄目だ」としか返さなかった雅が、ようやく自分から口を開いた
「ずっと、あの時のことを、謝罪したかった」
「……雅が謝ることなんて何もない」
「いいや、ある、私は、あの時、兄様に…」
「仕方がなかった、何より、最後に背中を押したのは間違いなく俺だ」
「それは違う!!」
雅が少し声を荒げる
俺の腕を抱える手に力が籠り、強く締め上げてくる
「私は、全て兄様に押し付けて、我が身可愛さに、感情に溺れた!」
「雅、少し落ち着け」
「母上の覚悟も、兄様の決意も無下にして、絶望から己を守るために、あんなことを…!」
「雅」
「っ……」
昔していたように、漆黒の黒髪に手を這わせ、撫でる
ホールドされている方の腕がとてつもない力で締め上げられている気もするが、些細な問題だ
いや待って、ちょっと痛いかも
……今の嘘、滅茶苦茶痛い
「幼いお前に、最後の一押しをさせたのは俺だ、俺を恨むことはあっても、謝ることなんて何もないんだ」
「恨むなど…!」
腕のホールドを解き、今度は胸に飛び込んでくる
涙こそ流さないが、今の雅の方は震えていた
「恨むことなど、あり得ない、あってはならなかった…」
「…ごめんな、雅」
何とも情けない師匠だ
弟子がこんなに苦しんでいるのに、その背を撫でることしかできない
そもそもここまで傷つくことになったのは、俺がこの背を押したことが原因だというのに
「兄様」
「何だ?」
「あれから、多くの修行を積んだんだ」
「あぁ」
「今なら、兄様から一本取れるだろうな」
「すごいな」
「…話したいことが、沢山あるんだ」
「そうか」
「だから、どうか」
アイツと同じ、緋色の瞳
それを真っすぐ合わせながら
「もう一度、私の隣に居て欲しい」
「……」
…俺、昔からこれに弱いんだよなぁ
@@@
「…ん」
目が覚める
意識が少し飛んでいたようだ
身体は…、痛くないところの方が少ないが、まだ動く
特に右手の機能が大きく損なわれていないことが有難い
左肩、右膝が少し可動域を大きく取ろうとすると強い痛みが走るが、問題ない
得物も、しっかりと握っている
そして
「…ミサゴ」
「……おう」
やはり居る
少し離れた場所の瓦礫が盛り上がったと思えば、その下から彼が現れる
……血だらけだな、胴体からの出血が激しいのか、服が真紅に染まっている
「出血が激しい、撤退しろ」
「馬鹿言え、見た目だけだ、俺も行くぞ」
強がりだ
息は上がっており、脚も…、左足を少し引きずっている
焦点が上手くあっていないのか、瞳の揺れも激しい
これ以上戦えば、死ぬ
「命令だ、撤退しろ」
「拒否する、お前の隣にいるって言っただろ」
「その私が撤退しろと言っているんだ」
「だからそれを拒否するって言ってんだ」
厄介なことになった
こうなってしまうと、彼はテコでも動かない
「ここで死のうとするな、これが終わった後も隣にいてくれるんだろう」
「俺は死なねぇ」
多少は落ち着きが出てきたのか、上がった息を整えようと肩を上下させている
「それに、向こうはそんな暇くれないみたいだぞ」
「……随分と早いな」
目の前に、エーテリアスが舞い降りてくる
エーテリアスが人間に似た形態を取ることは多くの例があるが、中でもこれは特に人間に近い形だろう
特に異形といった部位も見受けられず、シルエットだけで見れば人間同然
だが、先ほどの戦闘を思い出せば、その力は強大
「私が斬る、それまで死ぬな」
「上等」
柄を握り、居合の態勢を取る
先ほども見せたが、次は更に速く、疾く、捷く
スゥ…
肺にほんの少し空気を取り込み、刹那の間…、右手に渾身の力を込めた
・
・
・
・
・
血まみれのアイツを引き摺って移動してきたが、そろそろ限界だった
「ハァッ…、ハァッ…、ミサゴ…目を、覚ませ!」
血だらけの衣服と包帯の上から、胸を叩く
「死ぬなと言っただろう!」
右手の感覚がない、何とか動く左手を、彼の顔に添える
「約束、しただろう、私の隣に居てくれるのではなかったのか」
もう両足がまともに動かない、それでも何とかまだ動く身体のどこともわからない部位を使い、仰向けに寝ている彼の上に乗る
「返事をしろ、おい」
彼の額に己の額を合わせ、その目が開かれることを期待して、じっと見つめる
「私を、置いていくな」
涙が溢れる
彼の顔に落ちていく
「ミサゴ…」
私自身も、もう長くは保たない
「一人にしないでくれ」
身体に力が入らず、意識が遠のいていく
「どうか、私の隣に…」
世界が暗転していく最中、もう感覚がないはずの右手が、誰かに握られたような気がした