蛇の心、世知らず 作:猿を継ぐ男
ホグワーツという場所は、わたしと縁がないものだと思っていました。
英国唯一、世界有数の魔法魔術学校。そこで学んだという祖父の語りには、危険で魅力的な冒険と探求が映し出されていたものです。
わたしが幼いころ、祖父は特に饒舌でした。逆に言えば、わたしが長じてからはそういった話は控えめになったわけですが。
なぜか、と云えば。
きっと、わたしが魔法を使えなかったからでしょう。祖父は比喩ではなく魔法使いで、不思議な力を使えます。そして、それがわたしにも遺伝すると考えていたようです。残念ながら、その予想が的中するまで少しばかり年月がかかってしまいました。
そういったわけで、わたしは魔法の力を持たずに、マグル(魔法使いでない一般の人たち)と同じように生活していました。
それも半年前────十五歳の誕生日までの話です。
あの夜に起きた些細な事故がきっかけで、わたしは祖父と同じ力の片鱗を引き出すことができました。
とはいえ。
その事実は喜ばしいことではありましたが、諸手を挙げて歓迎する気にはなれませんでした。そもそも本来得るはずの資質を持っていなかったからといって、わたしは惨めに(あるいは自堕落に)生活していたわけではなかったのです。
祖父はそんな私を理解して、マグルに溶け込めるよう
ですから、わたしは今も戸惑っています。
祖父が丁寧にホグワーツへ行く道理を説き、仕方ないと納得した今でもです。
「ふむ、それで?」
わたしの独白を聞いて、蝙蝠のような教授はそれだけ言いました。すこし眉をひそめています。
彼はわたしをダイアゴン横丁(魔法使いの商店街みたいな場所です)へ案内するにあたり、ホグワーツから派遣されてきた人物です。スネイプとだけ名乗った彼は少し偏屈そうでしたが、あまり悪い人には見えませんでした。まあ、学校の教師が悪人であっては困るのですから当然なのですが。
「それで、とは……」
「戸惑っているのは判ったのだが、それでどうしたと聞いている。今の話に、何らかの主張が込められているのかと。戸惑いが今後の言い訳や免罪符になるとでも思っているのなら、思い違いも甚だしいがね」
「いえ。わたしの扱いに関して、何か疑問に思っているのでは? と思って自己紹介してみただけでした」
「扱い。ほう、五年次からの編入措置のことか」
「そうです」
わたしの年齢は、一般的なホグワーツ入学時期を逸しています。その実、四年ほど。通常の新入生は十一歳あるいは十二歳から入学してくるのですが、わたしは十五歳です。
教育機関には当然カリキュラムがあるのですから、四歳の差があろうと等しく一年生から。わたしは当然のようにそう思い込み、少しばかり憂鬱な気分でした。
しかし驚くべきことに、その固定観念(常識と呼びたいのですが)はあっさりと打ち砕かれてしまいました。このスネイプ教授が言うには、わたしは年齢通りに五年生から生活を始め、周りと同じカリキュラムを受けるらしいのです。
魔法界は、やはり常識に囚われない世界だと感じます。
「君については、必要な報告は受けている。それより自己紹介だと釈明するのなら、改めて名乗るくらいしたまえ」
「あっ。……エイリアス・ストーリーです。改めまして、これからよろしくお願いします」
慌ててわたしは名乗り、深々とお辞儀をしました。
「……しかし
「わたしもそう思います」
「ストーリーさんですな?」
ちょうど会話に一区切りがついた時、一人の
小鬼とは小さな背丈、ヒトとすこし異なる容姿の種族。当然マグルの世界には知られていない、魔法界の住人です。
そんな彼らが取り仕切るグリンゴッツ銀行を、わたしたちは訪れています。わたしの亡き両親が遺した口座を、引き継ぐ手続きと言われていました。今までは待ち時間で、改めて自己紹介のような会話をする暇があったのです。
「はい、エイリアス・ストーリーです。ジョン・ストーリーとアガサ・ストーリーの娘です」
「……確かに、間違いないようで」
何やらクルクル回る魔法道具をこちらに翳すと、納得したように小鬼はゴルヌックと名乗りました。
◇
「ずいぶんと溜め込んでいたようだな、君の両親は」
「やっぱりそうなるのですね。魔法界の貨幣システムは異常なので、確信が持てませんでした」
やや複雑な手続きと気分が悪くなってしまいそうな速度のトロッコを経て、わたしは両親の金庫に辿り着きました。
そこに詰め込まれていたのは、
「スネイプ先生は、わたしの両親について何か知っていますか?」
「いいや、特に。君の祖父については、ダンブルドア校長からも聞いているがね。奔放で自由気ままな老人だと」
「まあ、伝え聞く年齢は先生よりかなり上だったですものね」
「それもあるだろうな」
じゃらじゃら、じゃらじゃら。お金に当分困らない程度の金貨を、祖父が渡してくれた魔法の財布(容量が見た目より大きいのです)に詰めていきます。金貨の山は少しだけ切り崩されましたが、まだまだ氷山の一角でしかないようです。
こんなものでしょうかと作業を終えようとした時、山の中に木箱を見つけました。飾り気はありませんが、かなり綺麗でしっかりしています。
「これは、何でしょう」
「我輩に聞かれてもな」
「開けてみても?」
「我輩に聞かれてもな」
「……えい」
恐る恐る開けてみると、そこには一本の杖が入っていました。
杖は、魔法使いの象徴にして生涯の伴侶とも言えるものです。こんな金庫に入っているとは、どういうことでしょう。わたしは首を傾げました。
さらに箱をよく見ると、杖の横に古い羊皮紙が入っていました。手紙のように思えます。宛て名を見てみると、『未来に生きるス■■■■の継承者へ』とあります。伏せ字の部分は、掠れて読み取れませんでした。
「ストーリーの継承者、でしょうか?」
「恐らくそうだろう、ストーリー夫妻の金庫に入っていたのだから」
続きを見ると、掠れが酷くてほとんど読めたものではありませんでした。ただ最後の一文はなんとか読めます。
いわく、『言葉こそ、証である』と。
どういう意味でしょう?
「とりあえず、振ってみるのはどうかね。仕掛けがあるのなら、概ねそれで判るものだ」
「
落とさないよう慎重に杖を持ち、わたしは教授の助言を採ることにしました。
とりあえず浮遊呪文の動きで、控えめに振ってみます。
すると、あたたかな感覚とやわらかな光がわたしを包みました。
そして不思議なことですが、この杖がわたしの運命だと感じたのです。
本当なら、わたしの杖はオリバンダーの店で手に入れる予定です。
入学に向けた
それでもやはり、これがわたしの杖としてふさわしいのは間違いないと思いました。
◇
ダイアゴン横丁という場所はいつも活気があって、何もなくとも楽しい気持ちになります。小さいころは祖父に連れられてよく訪れていました。10歳になったころからは、あまり来なくなったのですが。
ともかく金庫で軍資金と運命的な杖を手に入れたわたし(とスネイプ教授)は、グリンゴッツを出て次の目的地に向かうことにしました。
最初は漏れ鍋で少々のトロッコ酔いを覚まそうとしたのですが、何やら人だかりができていたので止めました。スネイプ教授いわく、「“選ばれし男の子”どのが凱旋していらっしゃる」とのことです。
たぶん、ハリー・ポッターのことだろうと予想がつきました。
わたしの4つ下にして、魔法界最新最大の英雄。赤子のころに闇の帝王を打倒した、不可思議な偉業を遂げた少年です。
会ってみたい気持ちはあるのですが、たしか今年入学だったはずなので焦ることはないでしょう。彼との会話は、ホグワーツでのお楽しみに取っておくことにしました。まあ、スネイプ教授がどうも不機嫌だったのもあります。
「まずはあそこに行きましょう」
わたしが意気揚々と指差したのは、魔法動物ペットショップです。
「買い物の最初に寄るべき場所とは思えないが」
「でも、他の品目は何をどう買っても同じでしょう? なら疲れていないうちに、とうぶん一緒にいる家族を選ぶべきだと思うのです」
「鍋や本や服は同じかもしれんがね。杖は違うだろう」
「いいえ、これを使います」
さっき手に入れた杖がある外套を、わたしはぽんぽんと叩きました。
スネイプ教授は何か言葉を探していたように見え、しかしすぐに「いいだろう」とだけ言い、歩き出しました。わたしと議論するのを後回しにしたようです。
もしかしたら、あとで杖に呪いがかかっていないかの検査をされるかもしれません。それくらいは妥当でしょう。
ペットショップはダイアゴン横丁そのものと同じく活気のある雰囲気です。ごちゃごちゃとしていて、とても魔法界らしい好ましさがあります。
ネコ、フクロウ、ヒキガエル。ホグワーツ生のペットはこの三種類が基本ですが、猛獣でもなければ許可は簡単に出ると聞きます。わたしは一応五年生にあたるので、管理能力の観点でもかなり自由なようです。
「フクロウ、かわいいですね」
「我輩に振るな」
「ネコもいいと思いませんか?」
「我輩に聞くな」
「ヒキガエルは微妙……です」
「魔法薬には有用なのだが」
「ネズミは……」
「やめておけ、嫌な生き物だ」
スネイプ教授が顔を露骨にしかめるので、ネズミは候補から外しました。彼にそこまでおもねる気はありませんが、わたしも別に好きではないのです。
ヒキガエルも気味が悪いのでやめておきます。やはりネコかフクロウでしょうか。
ネコもフクロウもそれぞれ個性があります。目移りして、スネイプ教授を置いてうろうろ店を回っている時、何か不思議な音が聞こえた気がしました。耳を澄ませると、それは人の声────女性の歌声に思えます。
「誰かいるのですか?」
『あら?』
わたしが問うと、歌声は中断されて、こちらに気づいたようです。
しかし人影はありません。わたしがきょろきょろとしていると、声は面白がるような雰囲気で再び聞こえてきました。
『もしかして、私の声が聞こえているのかしら』
「ええ、まあ……はい」
『こっちよ』
声がそう言った時、背後のケージで物音がしました。振り返ると、小さな蛇が跳ね回っています。わたしはびっくりして、じぃと見つめるしかありませんでした。
そして小さな蛇はふと動きを止め、あちらもじぃとわたしを視ました。
『かわいい娘ね。それにしても、あなた
「……あなた、蛇なのですか?」
『ええ』
どうやら先ほどの声は、この小さな蛇だったようです。
『こうして人と話すのなんて、何十年ぶりかしら』
「その言い方だと、あなたが人の言葉を話せるわけではないのですね」
『そうよ。あなたが蛇の言葉を話せるの』
「知りませんでした。びっくりです」
「他の魔法使いは、あなたと話せないんですか」
『てんで無理』
「あなたたちが知性を持ってるって知らない?」
『そうよ』
「ほかの蛇たちと話したりは?」
『私くらい賢い蛇なんて、ほとんどいないわ』
「なら……辛くないですか?」
『暇ではあったわね』
「…………」
数十年も独りで、この蛇は誰とも会話せず生きていたのでしょうか。
それは、とても恐ろしいことのように思えます。
『────私、昔は人間だったのよ』
「え?」
沈黙を切り裂いた信じられない言葉に、思わず息を呑みました。
『蛇に変わることができて、やがて人間に戻れなくなる、血の呪い。それを受け継いだのが、私』
「それで……その呪いのせいで」
『そうよ。昔は美人だったのだけどね、ふふ』
彼女は、人間。今も知性を持ちながら、蛇の身体という牢獄に閉じ込められた女性。そしてわたしは、そんな彼女と唯一対話できる人間。
彼女がどんな人となりであるか、悪い人でないかは判りません。もしかしたら、災いを招くかもしれません。でも、それでも……
「……わたしと一緒に、来ませんか」
『あら、買ってくれるの?』
「はい」
『………………』
何か品定めするような、あるいは迷うような沈黙が再び下りました。
わたしは、彼女の返答をゆっくりと待ちます。
永遠にも思える時間を破ったのは、やはり彼女の声でした。
『…………ナギニ。それが私の名』
「綺麗な名前、ですね」
『でしょう?』
くすくす、と笑うような声。
わたしも微笑んで、ケージを取ろうとします。
『それから』
「?」
『人のいるところで、私と話さないこと。世間じゃ気味の悪い力なのよ、それは』
「じゃあ、トイレとかでいいですか」
『なんでトイレ……?』
「なんとなく……」
呆れたように、ナギニさんは丸まって目を閉じました。
気のせいかもしれないけれど、その姿はずいぶんと嬉しそうでした。
◇登場人物紹介①◇
エイリアス・ストーリー
主人公。15歳の少女。
真っ黒な長髪と黄金の瞳が印象的な美形だが、本人もスニベルスもそんなこと気にするタマではないので描写されなかった。
マイペースでボンヤリしているが意志は強く、スニベルスを地味に気圧していたようだ。祖父や両親には様々な秘密や物語があるが、当事者としてはあまり気にしていない傑物。
ハリーたちの4歳上だが、諸事情で同時期に入学することになった。不思議。ちなみに魔法に目覚めてから半年の間は祖父にガッツリ基礎を教えられ、ギリギリ授業についていけると太鼓判を押されている。
たぶん天才。