蛇の心、世知らず 作:猿を継ぐ男
我々読者からトンクスを恋愛的に奪ったんや
明くる朝、わたしは天井に上半身が突き刺さって動けなくなっていました。
記念すべき十五歳の誕生日、そして喜ぶべき魔法の発現直後とは思えない惨状です。
ベッドから足を滑らせ、首を折りそうになり、間一髪で魔法の浮遊力に目覚める。そこまでは善しとしましょう。いくらか語り方の工夫が必要にせよ、将来の自慢として語れなくもありません。
ただ、何の因果か。
浮遊の勢いが強すぎて天井に激突し、そして跳ね返されるかと思いきや、古びた家の古びた天井を半端に貫通して、そこで静止してしまいました。
下から見れば、わたしの胴体が天井からぷらーんと垂れ下がっているように見えるでしょう。
「これ、どうすれば……」
一度じたばたしてみると、落ちそうになったのでやめました。
あの“声”はもう聞こえません。あれは幻聴だったのでしょうか。しかし少なくとも、この状況は現実に思えます。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
しばらく途方に暮れていると、廊下の方から足音がしました。
きっと祖父です。祖父は魔法使いですから、わたしの状況にも理解を示し、助けてくれるでしょう。きっと。
彼が扉を開けるのをわたしはじっと待っていましたが、その先にあるのは聞き慣れた祖父の声ではなく、知らない女性の叫び声でした。
「いやあああ!」
「誰ですかー?」
「いやあああああ!!」
何事でしょうか。
わたしは天井にぶら下がったまま返事をして、なんとか脳みそを働かせます。この家に女性はわたししかいないはずなのですが、ではこのやけにうるさい声の主は誰なのでしょう。
いくら考えても、それらしき回答は思いつきません。
そうこうしているうちに、声の主は走り去っていったようです。足音でわかります。
残念ながら、助けてはくれませんでした。
気を取り直し、わたしは再び助けを待つことにしました。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「────本当なんです、ダンドレジーさん! エイリアスさんがこう、ずがーんと! 天井に!」
「疑ってはないよ、トンクス。ただ、もう少し落ち着いて話してくれ」
ぼんやりしていると、遠くから祖父と女性の話し声がします。
さっきの女性は祖父の知人で、トンクスという名前のようでした。
じきに祖父はわたしを見つけ、床に降ろしてくれました。
そして何事か聞かれ、わたしは起こったことをそのまま伝えたわけです(トンクスさんはその間、ずっと何やらわたわた慌てていました)。
記念すべき誕生日に天井へ突き刺さったまま朝を迎えるとは思っていませんでしたが、何が起きたかはおおむね察していました。
きっと、これがわたしの始まりなのでしょう。
◇
「では、わたしはそろそろ行きますね」
「ああ、それじゃ」
気取った仕草で応えるドラコから別れ、わたしはレジの方に向かいます。
正直、買い物かごを持つ腕が疲れてきました。かごには様々な大きさの参考書が山のように詰め込まれています。それと同時にトランクとナギニさんのケージを持っているので、疲れないはずがないと言われれば頷くしかありません。
店員に怪訝な視線を向けられつつ会計を済ませ、わたしは入口辺りで待っているはずのスネイプ教授に合流することにします。
難なく蝙蝠のような姿を見つけると、彼が別の男性と談笑しているのに気づきました。相手はブロンドの長髪が特徴的で、教授とは対照的に小綺麗な人物です。髪の色を見るに、もしかしたらドラコのお父様かもしれません。
……ずいぶん楽しそうです。邪魔しては悪い気がします。
わたしは少し離れた休憩スペースに陣取り、彼らの会話が終わるのを待つことにしました。買った参考書をパラパラとめくってみると、頭の痛くなるような量の学習内容がどっと流れ込んできます。
とはいえ、わたしの物覚えは恐らくいい方です。
わたしの編入する五年次では、将来に大きく影響するという触れ込みのO.W.L試験が待っていると聞きます。それに備えて、四年ぶんの必要な知識を急ピッチで詰め込んだわけです。むろん簡単ではありませんでしたが、何とか及第点には到達したと祖父やその友人どのからはお墨付きをいただいています。
「────しかし、さっきのは何だったのでしょう」
『さっきの? お坊ちゃんのこと?』
わたしの独り言に、ケージからナギニさんが応えました。彼女の忠告に従い、蛇語を使わずに独り言を続けるふりをして会話してみます。
「いえ、彼と話している間に誰か話しかけてきたではないですか」
『……ぜんぜん気づかなかったわ』
「“血の裏切り者”がどうとか、女性の声でした。咄嗟に振り返っても、姿は見えなかったのですが」
『へえ、何でしょうね。私が気づかなかったのだから、蛇語でもないし』
しばしナギニさんと黙り込んで考えていましたが、答えは出ません。
判らないものは仕方ないので、別の話題を切り出すことにしました。
「ナギニさんは、ナギニさんの呪いに心当たりとかありますか?」
『親からの遺伝としか、知らないわ。“血の呪い”に分類されるらしいけれど、詳しくない』
「“血の呪い”……ここ本屋ですし、文献を探してみましょうか」
『ホグワーツの図書館には、もっと質のいい研究書がいっぱいあると思う。伝聞だけどね』
「ははあ、言われてみると」
流石ですと付け加えて、ぼんやりとわたしはホグワーツの図書館に想いを馳せていました。
すると、ナギニさんから真剣そうな声。
『────あなた』
「はい?」
わたしはつい生返事をしてしまいます。
『──……あなた、本当に私を治す気なの?』
「まあ、努力はしてみるつもりです。少なくとも、ナギニさんが望む限りは」
『どうして? なにか私に望みがあるわけでも、ないんでしょう。だからかえって、わからない』
「………………」
確かに、どうしてでしょう?
わたしとナギニさんは、悪く言えば所詮他人です。
家族ではなく、まだ友人と呼ぶには早く、他のつながりもない。限りなくぼんやりした間柄であるのは、間違いないと思います。
そういった他人を、わたしはどうして助けようとしているのか。
わたしは少しだけ思考の海に潜り、やがて記憶から祖父の言葉が浮かび上がってきます。
「…………──以前、祖父が言っていたのです。“この世で一番やるべきことは、自分がやりたいこと。二番目は、自分しかできないこと。三番目は、やらないと損すること”と」
『あなたの祖父は、賢明なのね』
「そうです。それで今のわたしに、やりたいことはあまり無くて。でも自分しかできないことは、今この目の前にあるんです。だから多分、それが理由です」
一息に語り、わたしはふぅと息を吐きます。
ナギニさんは少し間を置いて、それから再び言葉を紡ぎました。
『……わかった。あなたがそう思うのなら、私も世話になるわ』
「はい。よろしくお願いします」
『そういえば、あなたは私に自己紹介してないわよね』
「あっ」
そういえば、出会った時はいっぱいいっぱいで名乗っていなかったような気がします。ドラコと話していたのを聞いていたので名前自体は知っているはずですが、気持ちと区切りの問題です。
わたしはケージに向けて、深々とお辞儀をします。
「エイリアス・ストーリーです。今は何者でもないです。それでもきっと、ナギニさんを助ける者でありたいと思います」
『ナギニ。元人間で、ただの蛇よ。……今は、まだね』
「ええ、まだです」
わたしたちはそう確認しあって、やがてどちらからともなく、ふたりで小さく笑いました。
◇
スネイプ教授とルシウス氏(仮)(違うかもしれません)は、程なくして別れていきました。わたしはそれを見計らい、自然な雰囲気で声をかけます。
「いやぁ、今日はいい天気ですねぇ」
「ずいぶん今更な確認だな」
「たしかに……」
頷ける指摘です。窓の外を見れば、もう朝や昼を通り越して夕方に差し掛かっていました。
「ルシウス氏と仲がいいのですか?」
「ああ、学生時代から世話に……待て、なぜ彼の顔と名前が一致している」
「当てずっぽうです。ご子息のドラコと先ほど話したので、流れで」
「下手なことを言ってないだろうな」
「言ってないはずです。たぶん」
やれやれ、と疲れた様子で首を振るスネイプ教授。会った当初より感情が表に出ているように見えます。
「何を話していたんでしょう、恋バナとかでしょうか」
「愚かな。ホグワーツでそういった軽率な言動は慎みたまえ。さもなくば君は卒業までに寮に一万点の損失をもたらすことになるだろう」
「寮杯のことですね。なら、スリザリンに入れるよう祈っておきましょうか」
「やめろ」
心の底から嫌そうな、低い声でした。
話題を変えようかとも思いましたが、思いつきません。とりあえず店から出ることにします。
外に出ると、アイスクリームを食べている通行人たちが目に留まりました。売っている店があるのでしょう。少し気になります。
「……まだ気になるのか?」
「ええ、まあ。おいしそうですし」
「君が知っていても得はしない。息子をよろしく、だが過度に甘やかさなくていいと。それだけ」
「あっルシウス氏との件でしたか」
「どの件だと思ったのかね」
「アイスクリーム」
スネイプ教授は大きなため息をつき、再び不機嫌そうに黙り込んでしまいました。
ナギニさんが笑いを堪えている気配が伝わってきます。
「この辺りにアイス屋さんがあるのでしょうか。わたし、気になります」
「我輩は知らん」
「大丈夫です、期待していませんから。あのーすみません」
街行く人に声をかけてみると、ターバンを着けた男性が応えてくれました。
彼はひどくどもった口調でしたが、他意はなさそうです。きっと緊張しているか、あるいは少々障害があるのでしょう。
「そ、そ、そっちの方に有名なみ、店がある。き、きっとそこだろう」
「ありがとうございます、ターバンの人」
男性は頷き、踵を返そうとしてピタリと止まりました。どうもスネイプ教授に気づいたのが理由に思えます。
「あ、あ、ああ……セブルスじゃないか。き、君も付き添いか?」
「そうだ。君“も”と言われても、そちらはそうは見えないが」
「い、いや。さ、さっきハグリッドにあ、会ったからね」
「ふん、“選ばれし男の子”どののエスコートか」
スネイプ教授は男性とも知人のようです。彼は案外顔が広いのでしょうか。
見た目や雰囲気に流されてはいけませんね。
わたしは勝手に学びを得ました。
「先生、こちらは?」
「……同僚だ。今年の“闇の魔術に対する防衛術”を担当する」
「なるほど」
同僚ならば、知り合いなのも当然でしょう。どうやらスネイプ教授の顔が広いのではなく、単なる偶然だったようです。
印象というものは案外的を射ているものですね。
わたしは勝手に学びを修正しました。
クィリナス・クィレルとたどたどしく名乗った男性は、どうやらわたしの名を知っているようでした。たぶんスネイプ教授と同じく、特例措置の報告を受けているのでしょう。
「す、ストーリーくん。ほ、ホグワーツでは、よ、よろしく頼むよ」
「ええ。そういえばお二方にお聞きするのですが、寮ってどうやって決まるんですか?」
「そ、それはだね……」
「各々の資質を量る、公正にして無謬な審査があるのだ。希望は受け付けないが、そのぶん的確と云っていい」
「希望は受け付けないんですか」
「……寮の特色を守るには、それが最善なのだろう」
「あ、ああ。だ、代々そういう、ほ、方針なんだ」
少し不安になりましたが、わたしにできることは恐らくありません。
それにその審査とやらが真にそれぞれの資質を見抜けるのなら、きっと憂うこともないでしょう。
「で、では私はこ、これで」
あまり長話する気もなかったのか、そそくさとクィレル教授は去っていきました。アイス屋とは反対の方向で、グリンゴッツ銀行などがある道です。
わたしはその姿を見送って、教えてもらった店でアイスを食べることにしました。
「奢らないぞ」
「期待してないです。先生は要りますか? 奢りますよ」
「我輩に奢ろうとするな」
「要らないのですか」
「要らない」
「────ああ、おいしい! これすごいですよ! チョコの甘味がミントの爽やかさと見事なハーモニーを醸していて、中にはまた別種類のチョコが……本当に要らないんですか、先生は?」
「………………要らない」
わたしは瞬く間にアイスクリームを食べ終え、その後は特筆すべきこともなく買い出しを終えて、スネイプ教授と別れました。偶然にも彼がアイス屋がある方向へ去っていったからか、ふとアイスクリームを作る魔法を身に着けたくなったのは別の話です。
◇
わたしは独りマグルの電車に揺られ、家への帰路にて物思いに耽っていました。
ホグワーツの入学式まで、あと一か月ほどです。
夢のような魔法学校で何が待っているのやら、やはり戸惑いは拭えません。祖父の言う通り、楽しい場所であるのなら嬉しいのですが。
何が待っているにせよ、心の準備だけでもしておくべきでしょうか?
何となくわたしが不安に包まれた時、夜空に閃く流れ星。
────案ずるな、愛しき■■■よ。
あの夜の
アイス屋さんが原作だと死んじゃうってネタじゃなかったんですか