蛇の心、世知らず 作:猿を継ぐ男
「いやぁ、今年もキングズ・クロスに来るなんてマーリンの髭だね!」
ホグワーツ入学式の朝、9と3/4番線にて。ニンファドーラ・トンクスは陽気に切り出しました。今日の髪色はお気に入りらしいピンクです。
わたしは知らなかったのですが、この若い魔女は以前から祖父と知人だったようです。半年前のあの夜には、一向に起きてこないわたしの様子を見るよう頼まれ、折悪く惨状を発見してしまったと。
「確かに、トンクスは去年でちょうど卒業でしたよね?」
「うん。できればエイリアスちゃんと一年くらい一緒にいたかったんだけど」
「留年はまずいのではないですか?」
「ソウダネ」
彼女は去年までホグワーツ生でしたが、ちょうどイースター休暇だったのでしょう。たまの休みを割いたらトラブルに巻き込まれるとは、どうも運のない方のようでした。
しかし一通りの騒動が終わってからも、トンクスはわたしを気にかけてくれました。とにかく明るい彼女に巻き込まれる形で、わたしたちは短い休暇の間にかなり仲良くなったと思います。少なくとも、友人と呼ぶのにためらいはありません。
「しっかしビックリしたよー、ダンドレジーさんったら前日になっていきなり『すまん! 仕事が入ったから送ってやってくれ!』とか言うんだから。朝だからいいけど、私も今日から魔法省なんだけどなぁ!」
「うちの祖父が申し訳ないです」
ぺこり。わたしは丁寧に頭を下げました。
ちなみにダンドレジーというのは祖父のラストネームです。ファーストネームがラウール、合わせてラウール・ダンドレジーと云います。
「い、いやエイリアスちゃんが気にすることじゃないから! こっちこそごめんね、気を使わせちゃって」
「気にしないでください。特に使ってないので」
「あれー? ……そ、そうだ。ダンドレジーさんって何の仕事してるの? 何回聞いてもはぐらかされちゃって、気になってるんだよね」
「仕事…………」
そう訊ねられて、わたしは祖父の生業を知らないことに気づきました。
マグル社会で生活している時は、漠然となにか魔法界絡みの仕事だと思い込んでいたのですが。トンクスにもはぐらかしているのなら、ありふれた仕事ではないのかもしれません。
少し考えてみましたが、わたしが今ここで推測するには根拠が乏しすぎるように思えます。
「わからないです」
「あっ、そうなんだ。じゃあ何か家にある本とか覚えてる?」
「蔵書から推理する流れですか。迷探偵みたいですね」
「ふふーん、気分は名探偵」
「でも、残念ながら雑多すぎるのですよね。マグルの防犯事情から魔法界の歴史まで、ごった煮という感じです」
「そっかー」
わたしはこの半年で祖父の蔵書をそれなりに読んだので、おおむね正確な認識なはずです。
少し沈黙が降り、わたしはチョコレート(カエル型ではありません)を口に放り込みます。
トンクスはきょろきょろして、何かを見つけたように口を開きました。
「あれウィーズリー家じゃない? 私、挨拶してくるね。エイリアスちゃんはどうする?」
「どうしましょうか」
トンクスが差す先には、確かに赤毛の大家族がいました。あれが恐らくウィーズリー家。伝聞ですが、概要は聞いたことはあります。
現在地点からかなり遠いため、向こうは気づいていないようです。“七変化”の影響で、トンクスは視力がいいのかもしれません。
「あ、来ないの?」
「どうしましょうか……」
彼女が親しげな一家はきっと優しい人たちだと思うのですが、たしか彼らは揃ってグリフィンドールだったはずです。わたし自身はあまりグリフィンドールという感じではない気がするので、少し気後れします。
まあ、もっと大きな理由として、ホグワーツ入学を目の前にして緊張しているからですが……。
「どうしましょう……」
「エイリアスちゃんはのんびり屋さんだねぇ」
呆れたように、しかし優しくトンクスは応えました。
「じゃあ、私はとりあえず挨拶してくるから。気が向いたらいつでも合流してね」
「はい」
トンクスと別れ、わたしは一度ベンチで落ち着くことにしました。
それが、運命の分かれ道とも知らずに──────
◇
「ホグワーツ特急、寝過ごしました」
「はぁ?????」
わたしはダイアゴン横丁に行き、漏れ鍋で呑んだくれていました。バタービールはいつ飲んでも美味しいですね。
聞き手の店主、トム氏は絶句しています。
あの時ベンチに座ったのが運の尽き、わたしは程なくしてグッスリと眠ってしまったようです。
トンクスはウィーズリー家との会話に夢中になっていたのか、わたしの様子に気づかなかったのでしょう。そして特急が発車した後も、わたしが特急に独りで乗り込んだと思い込み、引き上げたのだと思います。
つまり、わたしが起きた時に見たものといえば、祭りの後のように閑散としたホームに尽きます。
「そっそりゃお前さん。はやく先方に連絡せんとならんよ」
「しました。ふくろう百貨店のふくろう貸し出しサービスで、急ぎの手紙をホグワーツへ」
「ふくろう便か。なるほど、そのためにキングズ・クロスから
トム氏は納得したように頷きました。
「漏れ鍋で返事を待つ、と書いたのでしばらくここにいますね」
「はいよ。……しかし大物だなお嬢ちゃんは」
「そうかもしれません」
「大物だな」
ずいぶん褒めてくるので、わたしは幾分か緊張の糸が緩みました。この暖かさと気さくさこそが、魔法界で長くこういった場を運営する秘訣なのでしょう。
酒場という場所は、あらゆる立場の人間が集まる坩堝のようなものです。その混沌にて自分を失わず、客を楽しませるのに必要な努力は、並大抵のものではないと思います。
「よせやい、恥ずかしいや」
思った通りのことを酔いに任せて言ったせいで、トム氏は年甲斐もなく照れているようです。
わたしはもう一杯バタービールを頼もうとして、背後から何か魔法の気配を感じました。
咄嗟に振り返ると、いかにも魔法使い然とした老人が立っていました。さっきまで他に客はいなかったので、さっき感じた魔法で現れたのでしょう。なぜか貧相な年老いた鳥を連れています。
トム氏は驚いた顔です。
「……ダンブルドア!?」
「いかにも。しかし、今わしがここにいるのはお忍びということにしておいてくれ、トム」
「もちろんですよ、ご要望とあらば」
ダンブルドアといえば、ホグワーツ校長のアルバス・ダンブルドアでしょう。本で見た動くポートレートも、こんな雰囲気だった気がします。
彼はトム氏への口止めを済ませ、こちらに向き直りました。
「エイリアスや」
「はい。……ここにはホグワーツ特急の件で?」
「その通り、おぬしを迎えに来た。あるいは送りに来たと言ってもよい」
「ありがとうございます」
「あと、その年でバタービールを飲みすぎない方がよいな」
「言われてみると」
しかし、どうやってわたしを送るつもりでしょうか。
「ホグワーツの生徒は冒険心溢れる者が多くてのう。あまり知られていないことじゃが、列車に乗り過ごす
「はあ、そうなんですか」
「今回は煙突飛行ネットワークを使うことにする。トム、暖炉を貸してもらってもよいかな」
「ぜひとも、ご自由に」
煙突飛行ネットワーク。各家庭の暖炉を通じて通信や移動を行う魔法システムです。魔法界では数少ない、社会に広く普及した仕組みと言えます。
「どこに繋がるんですか? ホグワーツの中?」
「それもできるが、こちらの手間も増えるのでな。それにホグワーツ特急の中にも、暖炉として機能する場所がある」
「なるほど」
「何より味気ないじゃろう、おぬしの最初の旅が暖炉を潜ってひょいっと終わるのは」
この漏れ鍋からホグワーツ特急へ一息に転送するということでしょう。悪くないルートに思えます。
「それからな、エイリアス」
「はい?」
ここからが本題、といった雰囲気でダンブルドア校長は語り始めました。
「おぬしは、おぬしの両親をどれくらい知っておるのかな」
「あまり。魔法使いで、少し高齢で、死喰い人ではなくて、わたしが小さい頃に死んだことくらいです」
「……あるいは、それで十分かもしれぬな」
「さあ。十分か否かを判断するには、わたしはまだ長生きしていません」
ダンブルドア校長は目を細め、慎重に言葉を選んでいるようでした。
「言い方を変えるべきかの。……おぬしは、両親についてもっと知りたいか?」
「いえ、別に」
「本当に?」
「ええ」
「……そうか、そうか。おぬしがそう云うのなら、今はいいじゃろうな。少なくとも、今は」
どこか安堵するような、しかし迷うような声色でした。
たぶんダンブルドア校長は、わたしの両親について何か知っていることがあるのでしょう。それはきっと、あまり喜ばしい事実ではないように思えます。
しかし。今のわたしには、きっと関係のないことです。
◇
「うぁぁぁ、お…女の子が暖炉から練り這い出てる」
わたしが煙突飛行ネットワークでホグワーツ特急に向かった時、最初に聞こえた言葉はこの焦った台詞です。不審な侵入者として杖を向けられるのではと不安になりましたが、幸いにして攻撃はされませんでした。
顔を上げると、わたしと同世代らしき少年が硬直していました。整った顔立ちと赤毛が印象的です。
「あのー」
「だ、誰だ君は? 人さらいか? それとも死喰い人の残党か?」
「いえ、違います」
「じゃあ何なんだ!?」
『新入生です』と説明しようとして、『流石に一生徒まで話は通っていないのでは?』と思いとどまりました。恐らく信じてもらえず、話が更にややこしくなるのではないでしょうか。
「ホグワーツの生徒です」
「暖炉から来る生徒がいるものか」
「いるんです」
ちょっと待ってください、と言って私は入学証明書を取り出すためにトランクを開きました。これでもないあれでもないと探っていると、ケージの鍵に指が引っかかってナギニさんが飛び出しました。
彼女はトランクの外に放り出され、軽く床へ打ち付けられてしまいます。
『あ痛! ちょっとぉ!?』
『ああっすみませんナギニさん! わざとじゃないんです!!』
『判ってるけど、気を付けて……あっあなた』
『はい?』
ナギニさんの蛇なりのジェスチャーを受けて振り返ると、赤毛の少年がさらに顔面を蒼白にしているのに気づきました。
何というか、完全に悪魔を見るような表情です。
というか、杖を向けられています。
「ぱ、
「あっ」
慌てて口を押さえても、もはや何の誤魔化しにもなりません。慌てるあまり、うっかり
それにしても、この状況はどう考えてもまずいです。
わたしの老いぼれダックスフントじみた運動神経では魔法が撃たれても十中八九避けられませんし、わたしが傷ついたらそれはそれで少年の将来や名誉が危ういでしょう。
ここは穏便に、話し合いで解決を試みないといけません。
「あの、杖を下ろしていただけませんか?」
「嫌だと言ったら?」
「え、困ります……」
「それだけじゃないだろう。何をする気か知らないが、僕はウィーズリーとグリフィンドールの名に恥じる行いはしないぞ」
「ウィーズリー……ああ、あの。あなたもそうなんですね」
「待て、あなた“も”? まさかお前、母さんたちに何か……くそっ!!」
爆速で見当違いの方向へ思考を回していく、ウィーズリー少年。頭がいい人間にありがちな飛躍です。そしてこういった一見正しそうな飛躍は、瞬く間に本人にとっての真実へと変わっていきます。
「────うるさいよ、パース? 何してるの」
外からの、指摘がなければ。
ふらりと開いた扉からふわりと入ってくる人影は、短い銀髪がもこもこしている小さな少女でした。
「コリー、近寄るなこいつは……」
「杖下ろしなって、パース。怖がってるよ」
わたしは怖がっているように見えるようです。まったく怖くないわけではないので、事実ではあります。パースと呼ばれたウィーズリー少年は、わたしとコリーさん(仮)の視線を比べ、渋々杖を下ろしました。
相変わらず猜疑の表情ですが、それでも少しだけ自分を客観視できたようです。
「で、何があったのか教えて」
「あのな」
「パース、あなたはいま血が上ってるから少し黙ってて。まずはこっちに訊く」
「あの、あなたは……?」
「そうか、自己紹介がまだだったね。ぼくはフィグ。コーデリア・フィグだ。こいつ……パーシーと同じ、監督生」
そう名乗って、彼女は親しげにウィンクしました。
(マクゴナガルのコメント)
あれっダンブルドア校長は?
(フォークスのコメント)
ごめーんちょっとお忍びで出かけるって言われたから送っちゃった