蛇の心、世知らず 作:猿を継ぐ男
列車から降りると、とっくに日が暮れていました。
流れに沿って少し歩いた場所に、無数の馬車が待っています。ざっと百台ほどでしょうか。
「この馬車には、馬がいないのですね」
「僕も不思議だと思う。でも、ホグワーツにはこういった謎が山ほどあるんだ」
程なくして合流したパーシーさんが応えました。彼の言葉には、冒険をひそかに求めるような響きがあります。
コーデリアさんも一緒に、三人で乗り込む形です。彼女は背が低いので、パーシーさんが上からすこし手助けをしていました。ずいぶん慣れた様子でしたから、おそらく日常的な行動でしょう。
「はぁ、もうちょっとマトモなステップを付けてもらえないものかな」
「君にサイズを合わせると、今度は僕が窮屈しそうだ」
ぼやくコーデリアさん、ぼやき返すパーシーさん。やはりいいコンビのようです。
やり取りが続く前に、透明な馬車はぬるりと動き出しました。
「……この馬、きみにも見えないんだね」
「ええ。もしかして、コーデリアさんには見えるんですか」
「まあね。といっても、結局は見えづらいだけの天馬さ」
「天馬なんですか」
ただの透明な馬ではなく、透明な天馬だったとは。びっくりです。魔法界流に表現すると、“マーリンの髭”でしょうか?
なんとなくコーデリアさんの声には暗いものがあったのが気になりますが、今のわたしが詮索することではない気がします。
ぼんやりと夜風を楽しんでいるうちに、景色が開けてきました。
そこにはホグワーツ城が厳然とそびえ立っています。窓から漏れる灯りは星のようで、とてつもなく幻想的です。
「そうか、ストーリーは初めてか。僕らは見慣れてしまったけど、それは多分すごい贅沢なんだろうな」
「なにを黄昏ているんだ、パース?」
「黙れ」
「ははは。まあホグワーツはずっといい場所だが、最初の数日間は特に最高だね。うんと楽しむがいいさ、ストーリーくん」
パーシーさんとコーデリアさんのあたたかい声を聴いて、わたしはやっと現状に実感が持てた気がします。
ホグワーツ魔法魔術学校への入学。
憧れつつも縁がないと思っていた場所に。しかしわたしは来たのです。不安は消え失せてはいないものの、戸惑いはもはや薄れてきました。
────馬車が、止まります。
わたしたち生徒が地面へ降り立つと、目の前の巨大な扉がゆっくりと開いていきました。
そこからさらに少々進んだ場所に待っていたのは、絢爛豪華な大広間です。4つの巨大なテーブルには全校生徒ぶんの料理……が乗りそうな大皿の数々、そして星空そのものの天井。
「すごいですね。プラネタリウムに似ていますが、ずいぶん質が違います」
「プラネタリウム? 知ってるかパース」
「父さんが何かそんな道具があると言ってたような……言ってなかったような」
「マグルが作った、この天井と似たようなものです」
わたしは人の流れに逆らわず、二人と話しながら進みます。
そんな時、こちらに立ちふさがるような人影がありました。
「ストーリー!! こちらに来い」
「おや、スネイプ先生。どうしました」
声の主は、蝙蝠のような教授。ダイアゴン横丁以来の再会です。
わたしは監督生コンビと一度別れ、素直に寄っていきます。
「どうしたも何も、君は組分けがまだだ。あのまま進んで、どのテーブルに着くつもりだったのかね」
「あっ」
「愚か者め」
「返す言葉もありません」
すっかり失念していましたが、わたしは新入生です。故に、これから組分け儀式(いったい何をするのでしょうか)に参加する必要がありました。
わたしはスネイプ教授の先導に従い、通路を進んでいきます。彼は説明していませんが、たぶん本来の新入生と同じ待機場所に向かっているのでしょう。
到着したのは、大広間よりは小さな(と言っても新入生が全員入るほどですが)部屋です。
「うわっ眩しい……」
扉を開けるや否や、わたしは強烈な青白い光が部屋中に広がっているのを目にしました。
ダイアゴン横丁のドラコとの会話中に目撃した人影や、コーデリアさんが取り出した筒と同質に思えます。とはいえ、それらよりはるかに強力です。いったいこれらは何なのでしょうか。後でコーデリアさんに訊いてみる必要があるかもしれません。
「どうしたストーリー? 早く入りたまえ」
「いや、眩しくないでしょうか?」
「何がだ」
スネイプ教授は心底不思議そうな表情です。もしかしたら、わたし以外の人物はこの光を感じていないのかもしれません。
仕方なく、わたしはトランクを開きます。
「何をしている」
「いえ、どうしても眩しいので。ここはこれの出番かと」
「室内だぞ」
「眩しいので」
わたしが取り出したのは、何の変哲もないサングラスです。
「うん、だいぶマシですね」
「阿呆らしい。本当にそれが無いといけないのかね」
「はい。眩しいですから」
スネイプ教授は怪訝な顔ですが、わたしは勢いで押し切ることにしました。
幸いにも、彼にそれ以上追及する気は無かったようです。彼はため息をついた後、外套を翻し、来た道を戻っていきました。
わたしはその姿を見届けた後、部屋の様子を改めて伺います。
入口の辺りでドタバタしたのだから、きっと好奇の目線で見られているに違いない。そう思っていたのですが、実際はこちらに意識を向ける余裕のない生徒が殆どでした。どうも緊張しているようです。
見渡すと、光の根源は眼鏡の痩せた少年にあるようでした。
「うーん……なんの変哲もないような気がするのですが」
「ハリー・ポッターに何か用かい」
遠くから観察していると、横から声をかけられました。
そちらを見ると、ドラコ・マルフォイがやはり得意げな顔で佇んでいます。
「あの丸眼鏡の子が、ハリー・ポッターなんですか」
「そうさ」
「なるほど。実は、彼が光っているように見えて」
「光って……? 失礼、そりゃ何かのレトリックかな」
「そのままの意です」
ドラコは狂人を見る目で、すぅと離れていきました。わたしの説明不足のせいで、誤解させてしまったかもしれません。
あるいは、かけている洒落たサングラス(一般的な学校時代に買った五芒星型の品で、ひそかにお気に入りです)が悪かったかです。
しかし奇妙な光の根源がハリー・ポッターであるという事実は、どうも腑に落ちるものがあります。赤子の彼に彼が為した
いずれ、この光の正体が判るといいのですが。あるいはコーデリアさんが言いかけた
「────さあ行きますよ。組分け儀式はもうすぐです」
ぼんやりしているうち、厳格そうな壮年の女性が、大広間に直通するらしき扉から入ってきました。おそらくスネイプ教授やクィレル氏と同じ、ホグワーツ教授でしょう。彼女は新入生たちを先導していくようです。
わたしも最後尾から、わくわくしながらついていきます。
大広間に入ると、壮年の女性はスツールを一年生たちの前に置きました。そして、その上に古ぼけた帽子が。あまり清潔ではないように思えますが、このとんがり帽子こそが儀式に重要なのかもしれません。
様子を見守る間もなく、なんと帽子は歌い始めます。わたしは飛び上がりそうになりました。
そしてその下手くそな歌が終わるころには、これはどうも
喋る帽子が、生徒の七年(あるいはその後の人生に至るまで)を大きく左右する。この帽子がどんな叡智を持つにせよ、どうにも不条理というか、あまり仕組みとして善くない気がします。。
まあ、ある意味公平かつ平等ではあるのですが……それにしても、この帽子の正しさを誰が証明してくれるのでしょう?
わたしはこういった思考停止の産物じみた、古さを正しさと取り違えたような仕組みが好きではありません。
「アボット、ハンナ!」
とはいえ、いくらわたしが不安になっていても、始まった儀式は変わりません。一人ずつ名前を呼ばれ、組分け儀式は始まっていきます。
ネビルを助けようと奮闘していたぼさぼさ髪の少女(ハーマイオニー・グレンジャーという名前だったようです)はグリフィンドールへ、ネビルもグリフィンドール。
そして案の定ドラコは、スリザリン。
ハリー・ポッターは、グリフィンドールに選ばれました。
同じくグリフィンドールとなったウィーズリー家の末弟ロン(パーシーさんが少し話していました)と、ずいぶん仲がよさそうです。
そして、わたしは特例措置ということで、最後に回されました。ゆっくりと、少しばかりうんざりしながら帽子を手に取ります。
視界が隠れるほど深く被ると────そこは、牢獄でした。
◇
「ここはどこだ」
わたしより先に、傍らであの帽子が喋りました。わたしが先ほどまで被っていたはずですが……。
それに場所を問われても、こちらも首を傾げるばかりです。ただどうも夢の中のような、ぼんやりした空間に思えます。見渡すと、一面真っ白い壁。パノプティコンじみた牢獄の真ん中に、わたしは佇んでいることに気づきました。
すると、どこからか声がします。
「そう、夢だ。我が司る、汝の夢」
「あなたは……」
わたしが魔法力に目覚めた夜、聞こえた声と同じようでした。
それに気づいた時。ふらりと、蜃気楼のように世界が歪みました。そして、そこには一人の青年が立っています。わたしの祖父と似ていなくもないですが、よく見たら他人の空似レベルでした。
「千年ぶりだな、
「あなた様は……まさかっ!」
ゆっくりと語りかける青年に、驚く帽子。どうも彼らには面識があるようです。
帽子の交友関係がどんなものかは知りませんが、わたしはこの場所から出ないといけません。
「心配するな、■■■」
「はあ」
わたしの思考を読んだかのように、青年はわたしにも言葉を投げかけます。最後の名詞は、どうも聞き取れなかったのですが。
「さっき言った通り、ここは汝の夢。あるいは心の中。自らの夢に浸っていたからとて、害もなかろう」
「で、では何故私まで……」
「そう、お前まで。ゴドリックの帽子、お前の権利と義務を一人ぶんばかり貰い受けに来た」
「なに?」
青年は一呼吸置いて、もう一度切り出します。
「……帽子よ、お前は変わらない。変われない。我自身が作り出してしまった黴臭い考え方を引きずり、我が友が愛した騎士道精神を捨てることもない」
「主人はそう私を作った」
「そうとも。故に、我が
「どうしたい、とは」
咄嗟に応えて、彼(?)がわたしを呼んだと自然に認識したことに気づきます。
そもそもこの青年はどういった存在なのでしょうか。ハリーからの奇妙な光といい、気になることは増えるばかりです。
「我はつまるところ、汝に自由を与えに来た。この帽子ではなく、汝が選ぶのだ。汝がどう在りたいか、どう生きたいかを」
「勝手なことを言うな、ス■■■■!」
「ふん、この遺物は我がどうにかする。汝が決めろ。今ここで」
「………………」
よくわかりませんが、とりあえず希望の寮を選ぶ流れでしょうか。
わたしは少し考えます。
グリフィンドール。勇敢さ、大胆さ、騎士道。
ハッフルパフ。勤勉さ。公正さ。規範。
レイブンクロー。叡智、独創性、個人主義。
スリザリン。野望、狡猾さ、仲間意識。
わたしがどこに合っているのかと云えば、どこにも合わないように思えます。
青年は言いました。どう在りたいか、どう生きたいかだと。
正直に言えば、自分がどう在りたいかは判りません。
はっきり言って、どう生きたいかもピンと来ない始末。
ただ────わたしの心は、ホグワーツ特急で会った彼らに引き寄せられていました。
偶然からくる刷り込みだと言われれば、それまでです。でも、今どこかを選ばなければいけないのなら、彼らに賭けるのも悪くないように思えました。
「────心は決まったようだな、愛しき■■■よ」
「こんな決め方で大丈夫なんでしょうか。自分のことですが」
「心配ないとも。我がついている」
「誰なんですか」
「…………察したまえ」
そんなピントがぼけた会話を最後に、視界は暗闇へ戻り────
「グリフィンドール!」
何事もなかったかのように、帽子は宣言しました。
きっとあの牢獄であったことは、夢であっても幻ではなかったのでしょう。
わたしは立ち上がり、どこか晴れやかな気分で、新たな一歩を踏み出しました。
レガシー要素を盛り込みつつ、レガシー解釈のスリザリンの手記は無視する“勇気”