風が強い。たなびく長い旗が空を叩く音が響いた。
乾燥した埃っぽい空気に、男は目を細める。
王都のすぐそば。やけに広い道が用意されたスラム街を歩く中年の男――ディエゴは、道ばたに唾を吐き捨てた。黒ずんだタバコの葉が糸を引いて落ちる。
奇妙な格好の男だった。
頭には飛行帽をかぶり、黒い革のツナギで身を包んでいる。腰にはランタンを括り付け、胸元には無骨に光る拳銃を吊るしていた。
「地上は空気に砂が混じる。不快だな。ずっと空に居られたらいいのになぁ、相棒」
「クルル……」
男のすぐ後ろを二本脚で闊歩していた巨大な竜が、細く高い音で喉を鳴らす。
体長六メートルで、鳥のように前肢が翼になっている赤褐色の竜。ワイバーンだ。
瞳孔が縦に裂けた大きな目で、ディエゴの横顔をじっと見つめながら、甘えるように繰り返し喉を鳴らした。
ワイバーンが曳くソリには、小山のように大きな竜の死骸が積まれている。
ワイバーンとは全く体型の異なる竜だった。太い四つ足に、短い翼が力なく垂れている。この街を襲おうとしていたドラゴンの亡骸だ。眉間に一つ、大きな穴があいており、そこからドス黒い血を流している。
「おいゴラ、出てこい! 俺が来たぞ!」
ディエゴが声を荒げると、周囲のボロい建物の入り口に掛けられていた布が、一斉に跳ね上げられた。汚水の臭いがむわりと立ち上る。
棒きれと幾らかの石、それとツギハギだらけの布で作られたバラックから、半裸の人々が飛び出してきた。
「ディエゴ!」「ディエゴ!」
大人も子どもも、みな一様に汚れた顔に笑みを浮かべ、ディエゴの来訪を歓迎していた。
「エセ坊主はどこだ?」
ディエゴが周囲を見回す。
「はいはい、ここですよ。どうもエセ坊主です」
人混みの中から、汚れて灰色になった法衣を着た神官が姿を見せた。頭はすっかりハゲあがり、顔には深いシワが刻まれている。
この神官は、神に仕える高貴な身分ながら、自らスラムに降りて顔役となった変人であった。
ディエゴは懐から銀貨を取り出すと、神官に弾いて寄越した。
「小さめのドラゴンが飛んでたからな。くれてやるに丁度良いと思って狩ってきた」
「いつも助かってますよ。食べて良し、売って良し。それに竜の胆汁と盲腸は汚物も分解しますから」
「ここ、くっせぇもんな」
神官はディエゴの憎まれ口に、苦笑いを浮かべる。
ディエゴは竜騎士だ。ワイバーンに跨がって空を飛び、天空から街を破壊しに墜ちてくるドラゴンを討伐する。
竜騎士が狩ったドラゴンは、希少な資源の塊だ。皮革と肉はもちろんのこと、内臓も様々な用途がある。小柄なドラゴンでも一頭売るだけで、スラム街を三ヶ月養う資金となるのだ。
「解体はいつもの連中と、あとガキ数人……そこのお前とお前だな。たぶん手先が器用だ。学んでおけ」
ディエゴは無造作に数人の子どもを指名した。指さされた子ども達は、仕事を割り振られたというのに、嬉しそうな顔をする。
彼らスラムの人間にとって、ディエゴからの指名は神託だった。ディエゴに才能を見いだされた者は、必ずその道で成功し、王都で仕事にありつけるのだ。
スラムの住民達が力を合わせてドラゴンの死骸を引きずっていくのを見送ってから、ディエゴは小さな缶を取り出し、噛みタバコを唇に挟んだ。
「で、どうだ。ガキの数も減ってきたんじゃねえか?」
神官は頷く。
「おかげさまで。それに、先の戦争からだいぶ経ちますからね。戦災孤児も減ってきましたよ」
「あれは酷かった。勝ったから良いが、それにしても死にすぎたな」
「あの戦争で名をあげた貴方がそれを言いますか。最強のドラグーン、ディエゴ」
ディエゴは肩をすくめた。
対竜騎士撃墜数、並びに対ドラゴン撃墜数歴代最多。――貴族ばかりの竜騎士の中で、平民出身ながら最強を冠するディエゴの戦績である。
神官はぽんと手を叩いた。
「そういえば、イザベルはどうしました? 第二竜騎士団に入ってから、とんと音沙汰がありませんが」
「ああ、イザベル」
イザベルは、このスラム出身の少女だ。
天性のバランス感覚をディエゴに見いだされ、弟子として竜騎士になった。このスラム一番の出世頭である……はずだった。
ディエゴは首を傾げる。
「いや、なんだろうな。活躍はしているはずなんだ。うん。あいつが第二竜騎士団に行ってから、第二はめっちゃ戦果上げてるようだし」
第一竜騎士団と比べて貧弱で知られた第二竜騎士団は、近頃急に強くなったと評判である。スラムにも伝わっているらしく、神官は大きく頷いた。
ディエゴは飛行帽の大きな耳当て部分を撫でながら続ける。
「それに、第二がやってる王都東側はドラゴンまみれだったのに、めっきり減ってる。雑魚の第二だ、高高度で早期撃墜できるのはイザベルしかいねえよ」
馬鹿にするような口調だった。
愛弟子の才能を認めているディエゴは、本当は精強な第一にイザベルを推薦したかった。だが、スラム出身という出自が足を引っ張り、第二に入れられてしまったのだ。
「あの子の才能なら、花形間違いなしでしょうからね」
「あと可愛いし頑張り屋だしな」
「ディエゴさん、お子さんいないですもんね……」
「お前もだろうがエセ坊主」
ディエゴは四五歳にして、未婚で子どももいない。
貧民出身の彼がひとかどの人物になるためには、昼夜問わず戦い続ける必要があったのだ。
日夜大空をワイバーンと駆け抜け、ドラゴンの返り血に塗れていたディエゴに、結婚する暇などなかった。
「まぁ、私は私で今の暮らしを幸せに思っておりますから」
「俺もだよ。それにしても、よっぽど忙しいのか、ちっとも顔を見せに来ねえ。弟子が訪ねてこないんじゃ、隠居した甲斐もないってもんだ」
ディエゴは大げさに肩を落して嘆く。
第一竜騎士団にいたディエゴは、加齢を理由に惜しまれながら引退していた。今でも空を飛んでドラゴン狩りを続けているが、趣味みたいなものである。
神官はワイワイと騒ぎながらドラゴンを解体している貧民を見つつ、短いあごひげを撫でた。
「郊外に家を建てたとか」
「ああ。竜騎士隊舎は気苦労が多い。あいつが帰ってこれる場所も要るかと思ったんだが……手紙にも返事がなくてな」
そう話している彼らの頭上を、大きな影が覆った。
羽音に、ディエゴのワイバーンが空を見上げる。
「師匠ぉぉぉおおおおおおおおおお!!」
半べその、情けない声が降ってきた。
広い道に青い鱗のワイバーンが着陸する。背中の鞍から降りてきたのは、ディエゴによく似た格好をした小柄な少女だった。
少女が飛行帽を脱ぐと、美しい金色の長髪がふわりと風に広がる。
「おお、イザベルじゃねえか」
「じじょおお……」
イザベルは袖で目元を拭うと、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔でディエゴに駆け寄った。
「おいおい、久しぶりに会ったかと思えば、どうしたよ。足の小指でもぶつけたか?」
「追放……」
「あ?」
「私、騎士団追放されちゃいましたぁぁぁ……」
「はぁ!?」
べそをかきながら縋り付く弟子を受け止めながら、ディエゴは目を剥いた。
イザベルの声に、スラムの空気が一瞬で張り詰めた。全員が耳をそばだて、続きを聞こうとしている。
「じがも、じがも辺境のナステカ島送りらしいですぅ。死んじゃいます、きっと丸焼きにされて食べられちゃうんですよおおお」
「ナステカですと!?」
神父の顔が強ばる。
ナステカ。未知のベールに包まれた、この国の辺境だ。現地には蛮族が住んでいて、人間を食べると噂されていた。
これまでにも問題を起こした騎士や役人が追放されたことはあったが、生きて帰れた者はいない。
「おい、何があったんだ。団長のママでも抱いたのか?」
「そんなことしないですよ! どうやって抱けっていうんですか!」
イザベルは拳でディエゴの胸板を軽く叩いた。強面のディエゴを叩けるのは、この世界にイザベルしかいない。
「普通に、普通に頑張ってたんですよ!? 降竜警報が鳴る度に、一番下っ端だからって朝も昼も夜も出撃してましたし、ちゃんと高高度撃墜やってました! スラム出身だから、貴族の先輩のチュニックも洗濯して、ブーツも磨いて、使用済み薬莢磨きまでしてたんですよ……!?」
怒りと困惑に満ちた泣き声だった。
「いつ寝てたんだよそれ」
「上昇中と降下中しかないですよぉ……」
ディエゴが指でイザベルの目元を拭う。ひんひん泣いているせいで赤く腫れていたが、それでも分かるほど大きくて濃いクマができていた。
「おかしな話だ。ちなみに、どういう理由で追放になったか聞いたのか?」
「職務怠慢と横領らしいです。もう、意味が分からないです。うああああああ!」
とうとう蹲って大泣きし始めたイザベルを見て、ディエゴはぎりりと歯を噛みしめた。
「出自差別からの濡れ衣か。この国の貴族はクソだったが、ここまでとはな……」
心配そうな表情を浮かべ、ぞろぞろとスラムの住人たちが集まってきた。中年女性がイザベルの肩を抱く。
痩せた肩を怒りで震わせる男が気炎を上げた。
「許せねぇ、俺らのイザベルちゃんを! ディエゴの旦那、第二竜騎士団、殺しましょうや!」
それを聞いた別の男も拳を突き上げる。
「やりましょうぜ! 弾よけにでも使ってくだせえ!」
「一丁だけマスケットあったよな!?」
「錆びてるが、槍もあるぞ!」
「石ころありゃ殴るに十分だぜ!」
まるで強い酒に落した火の粉だ。瞬く間に熱気が広がっていく。
ディエゴは噛みタバコを吐き捨て、それから大きく溜息をついた。
「やめろ、お前ら。竜騎士団を殺したら、誰が国の空をドラゴンから守る」
出来ないとも、無理だとも言わなかった。むしろ殺せることを確信しているように、ゆっくりと拳銃を親指の腹で撫でている。
ディエゴの短い制止の言葉に、スラムの住民は揃って口を閉ざした。
教育が行き届いている。彼らがディエゴを受け入れるまでに、都合六〇回の殴り合いがあったのだ。格付けは済んでいた。
「しかし、追放な。大方、貧民のくせにどんな無茶振りしても戦果を出してくる、大型新人が邪魔臭かったんだろうよ。で、オマケとばかりに自分らが犯した罪をなすりつけたら、追放相当のモンになったんだろうな」
この酷い予想に、イザベルは一層小さくなる。
「師匠ぉぉ、お別れです。イザベルは、美味しい美味しい焼き肉になるのです。きっと、貴重なお塩もたくさん使って、お高い香草も添えられて、豪華な晩餐にされちゃうんです。隣には三〇年もののワインです……」
「なんで食肉界で最上級の扱いされる予想なんだよ。させねえから。俺も一緒に行く」
再度、空気が凍り付いた。神官がゆっくりと訊ねる。
「ディエゴさん、本気ですか。最強の竜騎士が王都を……いえ、王島すらも離れてナステカに行くと?」
顔には憂いが浮かんでいた。
それは地域の守護神を失う不安であり、そしてディエゴの身を案じるものでもあった。
ディエゴは軽く肩をすくめる。
「ま、竜騎士団どもが気合い入れりゃなんとかなるだろ。それに、俺はとっくに隠居の身だ」
「それはそうですが……。しかし、あのナステカに……」
不安そうな神官の肩を、ディエゴは優しく数回叩いた。
「俺はお前らが好きだが、正直この国の貴族にはほとほと呆れていたんだ。俺が従軍した頃となんも変わっちゃいねえようだ。第一竜騎士団はマシになったと聞いていたが、第二がこの体たらくじゃあそれも眉唾だ」
神官はもの悲しげに頷く。
王都の内側からでは救えない者たちを導くために、わざわざ不衛生なスラムに降りてきた彼は、とても共感できたのだろう。
「陛下は気に掛けてくれた恩人だが……ちょいと俺も疲れた。辺境の空で戦うのも、老兵の貢献と納得して貰おうか。可愛い弟子を焼き肉にしないついでに、辺境でのんびり隠居生活と洒落込むさ」
気安い調子で言うディエゴに、ようやく神官も表情を柔らかいものに変えた。
「家を買ったばかりだというのに、もったいないことをしますね」
「ああ、そうだ。権利書をくれてやる。好きにしろ」
ディエゴは懐から丁寧に畳まれた羊皮紙を出すと、神官に投げ渡す。
「ナステカに土地は持って行けねえし、エスクード銀貨だって無価値だ。家の中のモンもくれてやる」
「いいんですか?」
王国最強の竜騎士の財産だ。それがどれほどになるか、神官には想像もつかなかった。
「ただ、一つだけ頼みがある。今から書く手紙……告発状を、教会の伝手で陛下まで送ってほしい。骨董品になった竜騎士ディエゴの名に、未だ価値があるのか知らねえけど」
「もちろんです。ディエゴさんが書かなければ私が告発状を書いていました」
ディエゴと神官は軽く拳を突き合わせ、笑い合った。なんだかんだで一〇年以上の付き合いになる二人には、二人だけのノリというものがあるのだ。
彼らは協力し、手早く告発状を書き上げる。
それを神官がしっかり懐にしまうのを見届けると、ディエゴはイザベルの手を引いた。
「よし、行くぞイザベル。どうせ嫌がらせみたいな期限切られてるんだろ」
「今日中に出発ですよお。無理です、嫌です、こんなことなら最後におしゃれして美味しいもの食べてみたかったです」
「大丈夫だ。どうにかなるさ」
イザベルは初めて聞くディエゴの優しい声に目を丸くした後、ぐずりながらもワイバーンに跨がる。
「どうか、お達者で。ご無事を祈ります」
神官の声に、二人とも手を挙げて応えた。
二頭のワイバーンが同時に羽ばたくと、砂埃が舞う。見送る住人たちは目や鼻を押さえながらも、賢明にその後ろ姿を見送ろうとした。
飛び立った二人の竜騎士は、黄色と緑の細長い王国旗をワイバーンの背からたなびかせ、あっという間に空高く飛び去っていく。
ディエゴの書いた手紙が届くのはもうしばらく先のこと。
そして、王が王都を守る最高戦力を手元から失ったと気がつくのも、もうしばらく先のことである。