ディエゴが王島を去ってから数日後。王都東の空を単騎のドラゴンライダーがふらつきながら飛んでいた。
まだ黒っぽい体色の、若いドラゴンだった。
ワイバーンのそれとは逆で、ドラゴンは夜空に近い色から、青系統の色へと変化していく。成長段階に応じて、目指す環境に合わせた体色になるのかもしれない。
若いドラゴンは翼が傷ついているのか、左側をしきりに気にしていた。
騎乗しているのは、口の端から血を流すペドロだ。強い衝撃を受けたらしく、瞳を揺らしながらゆっくりと頭を振っている。
「くそ、くそ……! まだ成体でもないのに……!」
ペドロたちを覆うように、影が差し掛かった。体長一〇メートル程度のドラゴンだ。幼体ではないが、島落としほど大きくもない。標準的な野生のドラゴンといったところである。
野生のドラゴンは炎を溜めた口を開き、ペドロの進行方向に狙いを定めた。
冷たい汗がペドロの首を流れる。炎を避けるように急降下した。
「ダメだ……どんどん地上が近づいてくる!」
既に建物の輪郭がハッキリ見える高さにいた。
最新式の試作型レバーアクションライフルを手の中で回す。片手で狙いを定め、追ってくるドラゴンに向け撃った。しっかりと発砲の瞬間を見ていたドラゴンは、首を振って弾丸を鱗で受ける。
「手が足りない!」
必死さを帯びた叫びだった。
野生のドラゴンは、平凡な腕前の騎士であれば、三人以上で対応することが推奨されている。二人がかりで交互に気を引き、もう一人が決定打を狙うのだ。
そうでなければ、硬い鱗で銃撃を止められ、人を乗せていないからこそ可能な捨て身の突進で犠牲者が出てしまう。
ペドロは歯がみしながら、手綱を強く引いた。頭上を取り返すため、上昇に転じたのだ。空中戦では相手の上を押さえた方が強い。
――だが、焦りの中で狙う逆転の一手ほどリスキーなものはない。
白煙が、空中に長く伸びた。翼を畳んだ野生のドラゴンが急加速したのだ。速度を乗せたラリアットが、ペドロの騎竜にブチ当たる。騎竜は首を大きく曲げながら、苦悶の声を漏らした。
砕けた鱗の破片が、ペドロの頬を裂く。血飛沫がぱっと赤い霧となって流れていった。
がくがくと揺れながら、急激に高度が下がり始める。騎乗するドラゴンの羽ばたきが、目に見えて遅くなっていた。
空で得た不利を引っくり返す手段は、全く無い。詰みだ。あとは不安定な飛行で足掻く騎竜の上で、追撃の瞬間を待つのみ。
ペドロは目をぎゅっとつむった。ライフルを握る手は、関節が真っ白になるほど強く力が込められている。確定している死を前に、緊張が体を強ばらせていた。
――ヒィン、と風を裂く音が響く。
ペドロの髪が大きく巻き上げられた。遅れて、銃声よりも遙かに大きな破裂音が轟く。ペドロを追って舌なめずりしていたドラゴンが、顔面から黒煙を噴き上げながら仰け反っていた。
「第二の小僧ォ!! 分隊はどうしたァ!!!!」
雷鳴のような声だ。
ペドロは目を開いた。視線の先には、重厚な青色の鎧を纏った、偉丈夫の竜騎士がいる。
偉丈夫が騎乗する褐色のワイバーンは、風そのもののような速さで接近し反転すると、ペドロのドラゴンに寄り添った。
筋骨隆々の肉体に、顔の下半分を覆うラウンド髭《ひげ》。顔には無数の切り傷がある、野性的な中年の男だ。
ペドロは細い声で呟く。
「レオン将軍閣下……」
東の空で孤軍奮闘するペドロの救援に来たのは、第二竜騎士団の者ではなかった。
第一竜騎士団団長。そして、カスティラ王国将軍でもある男――セバスティアン・デ・レオンその人である。
レオン将軍は、もうもうと煙を吐き出す、銃と呼ぶにはあまりにも大雑把で巨大な筒に、ざらざらと火薬を流し入れた。握り拳のような弾丸を押し込む。
「前は女のガキが単身で飛んでいるなと思っていたが、今度は男一匹か! 第二に何があったァ!? 全員、腰に魔女の一撃でも貰ったか!」
「いえ、そういう訳では……」
「そうだろう! 娼館でよく見かけるぞ!!」
「将軍でも行くのですね」
「うるさい、攫っちまうぞ! ガハハハ!!」
物騒なことを言いながら、レオン将軍は追撃の一発を放った。胸元に砲弾を撃ち込まれたドラゴンは、空中でじたばたと藻掻きながら墜落していく。
「よし!!」
「よし、ではありませんよ! 地上に被害が……!」
「第一に怠け者はおらん! ガハハハハ!!」
レオン将軍の言葉通り、ドラゴンが落ちていく先には、四騎のドラゴンライダーが網を張って待ち構えていた。
「怠け者、ですか」
ペドロがその単語を悔しげに吐き出す。
レオン将軍は豪快な笑いを引っ込め、真面目な表情を作った。気遣うような優しい声を掛ける。
「過去の第二竜騎士団の献身は承知している。外征におけるバルボア一族の武功も、祖国防衛戦争での一族半数を超える犠牲だって、儂も陛下は忘れておらん。バルボアの血には栄光が流れている」
そして、厳しい声で続けた。
「だが、備えを怠って良い理由にはならん。まだ未確認だが、星見学者のうち目の良い若手が、遠雷を見たという」
ペドロの顔から血の気が引く。
「遠雷! まさか、竜星軍が」
「まだ未確定だ。だが、第一は備え始めているぞ。輝かしいバルボアのド末席野郎に伝えておけ!」
レオン将軍はそう言い残し、第一竜騎士団の塔目掛け急降下していった。
残されたペドロは、傷ついた愛竜に叫ぶ。
「すまない、もう少しだけ無理をしてくれ! 急いで父上に伝えなければ……!」
ペドロと竜は傷だらけの身で、懸命に第二竜騎士団の塔を目指した。
◇
血と煤に塗れたペドロを出迎えたのは、好奇と侮蔑の目だった。見下されていたイザベルの仕事を引き継いだペドロが、その立場に立たされている。
エルナンは部屋に飛び込んで来たペドロを見て、眉をひそめた。
「勝手に入ってくるな、愚息よ」
「細かい話は後です。報告がございます。先ほど、王都上空でレオン将軍にお会いしました」
「レオン将軍だと?」
弛みきった頬の肉がひくりと動いた。名前を聞いただけで、明確に不快感を示している。
「星見学者が、遠雷を観測したそうです。来ます、竜星軍が」
「……本当か?」
「確定ではありませんが、第一は備えを始めたそうです」
エルナンは首をぶるぶると震わせ、やがて顔を真っ赤に染め上げた。
「よ、よ、よりによってこのタイミングで……! ディエゴだ、誰かディエゴを呼び戻せ!!」
「無理でしょう。以前にナステカに送った外征部隊が戻っていないのですよ、父上」
「知るか! ディエゴ抜きで竜星軍はマズい……! 王都が終わるぞ!?」
白パンのような拳が、ぼむんと机を叩く。
ペドロは呆れた顔をした。
「そんなことなら、イザベルを追放するべきでは無かったのでは。ディエゴがいない以上は、我々でどうにかするしかありません」
「黙れ!! 百年に一度起きるかどうかの災害だぞ!? 起きるなんて思わんだろうが!!」
エルナンは立ち上がると、扉の前で控えていた竜騎士の背中をずいずいと押す。
「行け! 足の早いワイバーンライダーを集めて、ディエゴを呼び戻させろ!!」
◇
土壁の小屋には、熱い蒸気が立ちこめていた。
大人が手を広げれば、指先がどこかに引っ掛かるくらいに狭い。
ディエゴは滝のような汗を流しながら、体を綿の布で擦った。彼が身じろぎするたびに、粗末なベンチに敷かれた木の葉が、ガサガサと大きな音を立てる。
「熱すぎないかな? 大丈夫そ?」
扉代わりの革がめくられ、オレンジ色の光が差し込んだ。ランタンを手にしたオセロが覗き込む。
ディエゴは布を股間に置き、呆れた顔をした。
「めちゃくちゃ普通に覗くじゃねえの」
「あー、気になる文化圏?」
「少し気にする文化出身だ」
「これは失敬!」
そう言いながらも、オセロは堂々とした様子で入り込む。もう股間は隠したから良いだろうとでも言いたげな様子だった。
「まぁ、火の番してもらってるから、あんまり文句も言えないんだけどよ」
「楽だから全然いいんだけどね。暇すぎてねー」
オセロの家に隣接するこの小屋は、一言で言い表すならばサウナだ。建物の外側に一部へこみがあり、そこで火を焚く。一部の壁が強く熱されて、部屋全体の温度を高くする。
ナステカ高地の人々は、入浴や沐浴のように大量の水を使う生活習慣を持っていない。竜の血を浴びたときなどは軽く水を浴びるが、基本的には蒸し風呂で体を綺麗にしていた。
「私もしっかり入ろうかな」
「気にする文化圏なんだが?」
「やめておこっか」
オセロはディエゴが熱心に体を拭くのを眺めつつ、床に座り込んだ。長居する構えである。
「やっぱ気持ち悪かった?」
「流石にな。まだなんかヌメヌメしている感じがする」
ディエゴは唇を歪め、首元を手のひらで撫でた。
儀式が終わったあと、ディエゴは神官たちから大量の捧げ物を受け取っていた。穀物、香辛料、酒、タバコ、幻覚成分を持つ植物、毛皮や布、金細工などだ。
その中に、捕虜から剥ぎ取った生皮を縫った羽織物が含まれていた。
「人間の生皮着させられるなんて、長いこと生きてきて初めてだ。つーか想像したこともねえよ」
「私らでも着ることないからね。神官とか呪術師とか、限られた人が限られた儀式で着るくらいかな」
ディエゴは神官から、帰宅するまで生皮を着るように厳命されていたのだ。
皮下脂肪がぬめる、妙な臭いの皮を被り、嫌だ嫌だとぼやきながら帰ってきて、ようやく体を清めている最中だった。
「飛んでる最中にパリパリ乾いてくるのがヤバかったな」
「よく着たねぇ……」
オセロは呆れと感心の混ざった顔をする。
「あれ、外の人とか関係なく誰でもしんどいと思うよ」
「しんどいのかよ。まぁ感触は不快だし、なんか暑いもんな」
「じゃなくて。人の皮着るとか嫌じゃない?」
「それ言って良かったのかよ! なんか文化的に触れちゃいけねえと思ってたわ!!」
ディエゴは床を強く踏みつけた。オセロがけらけら笑う。
「ごめんごめん。気遣ってくれてありがとうね。普段はしないことだから、特別な儀式になってるんだよ。意味があることだから」
「意味があんなら構わんさ」
そう言いつつも、声には不機嫌さが滲んでいた。それから、むっつりと口を閉ざす。オセロは首を傾げた。
「ディエゴは、あれこれ深く聞かないよね。なんで、が全然ない」
「余所の文化に自分をはめ込むのに慣れてんのさ。いちいち聞いてちゃ話が進まねえ」
貧民の身にして、戦働きだけで貴族だらけの竜騎士団に飛び込んだディエゴ。彼の半生は、全くの異文化に自分を適応させ続ける日々だった。
貴族のマナーに、貧民あがりが「なぜ」と問うことなど許されない。
「ふーん。なんか、ちゃんとしてるんだね」
「してない奴から死んでいった」
「確かにね。さっき見たばっかりだし」
ディエゴは頷いた。
捕虜たちが殺されたのは、悪い行いをしたからではない。善も悪も、文化によって決定づけられる。彼らは、ナステカの文化に反することをしたから死んだのだ。
文化同士で衝突が起きたときの対応の是非は、勝った文化の価値観によって定められる。
「ねぇ」
「あん?」
「このランタン? 便利だね」
どうでもいい内容の割に、切羽詰まったような響きのある声だった。ディエゴは少しだけ首を傾げながら「ああ」と答える。
「それがどうしたんだよ」
「ディエゴとイザベルは、ずっとこの島にいるの? ここで、高地の民として生きていくの? それとも、こんなランタンを作れる島に、いつか帰る?」
「さぁな。それは予言されちゃいねえのか?」
オセロは首を左右に振った。
「羽毛の蛇こと、平地の王。地殻龍。そして太陽を背負う翼が手を結び、夜空から彗星龍を追い落とす。たったそれだけ。ねぇ、ディエゴはどうしたいの?」
ディエゴは困った顔をしながら、指を曲げたり伸ばしたり繰り返す。
「参ったな。俺はやるべきことやった後なんだ。あと一秒長く生きたいを繰り返しているうちに英雄になっていた。そのうちに、気がついたら生きていたいと意識することもなくなっていた。要するに、空腹が満たされちまったんだ」
人は足りないものを欲する。ディエゴに足りなかったのは「命」だった。
吹けば飛ぶような、弱い個だった。野垂れ死のうと、誰も見向きもしない程度の価値しか持っていなかった。貴族の気まぐれで、ナイフも持たずに最前線に放り込まれる程度の、虫一匹と等価の命しか持っていなかった。
腹が減ったときの食事。まさにそれが、ディエゴにとっての未来の一秒で――既に数十年も生きた彼は、十分に腹を満たしている。獣であれば、ゆっくりと目を閉じて伏せるだけの状態だ。
「だから、イザベルの面倒を見てるんだ?」
「その通りだ。命というのは、次世代のためにあるからな。やることやったら、下の面倒見るために余生を過ごすのも悪くねえだろ?」
「そうだね」
「よし、風呂を用意してくれてありがとう。あがる」
オセロは頷き、膝に手を当てながらゆっくりと立ち上がった。蒸し風呂から出ようとし、革に手を当てたまま数秒の間、動きを止めた。そのまま小さな声で問う。
「ねぇ、この島で『次世代』ができたら、この島にいるの?」
ディエゴは立ち上がり、首に手を当ててコキリと鳴らした。
「出来るかもわからんだろうに。もう、結婚がどうとかいう歳じゃねえよ」
「ふーん。なるほどね?」
オセロは振り返ることなく足早に出て行く。見送ったディエゴは呟いた。
「なんだったんだよ。つーか、竜星軍について真面目に考えねえとな……」