オセロは力強い眼光を放ちながら頷く。
「いいよ。でも、私も一緒に行くね」
「は?」
伸ばされた手が、ディエゴの胸に触れた。オセロが詰め寄りながら言う。
「残る者に身勝手な約束をして飛び立つ竜騎士は、いつだって生きて帰らない。だから私も行くよ」
「おいおい、俺が死ぬように見えるかよ」
「そうだね。あまりそうは見えないけど……それでも心配になるから」
ディエゴの目が見開かれた。言葉を探すように、口を開いては閉じる。目を逸らし空を見て、靴の爪先を見て、それからようやくオセロの目を見た。
「あぁ、いや……うん、そうか。いや、だが、ここの防衛はどうすんだよ。落ち子だかでドラゴンが増えている。クラカの都市なんかは歩兵のゴリ押しで対処できるにしても、この集落に落ちてきたらどうすんだ」
「それは」
オセロが言い淀む。高地の民は竜騎士不足に苦しんでいた。オセロがいなくなれば、ドラゴンを倒す者がいなくなる。
竜騎士の不在により滅びた集落は、歴史上いくらでもあるのだ。
「オセロはここに残……なんだ?」
ディエゴは眉をひそめ、空を見上げた。
――クワクワクワクワ。
独特な鳴き声が微かに響く。幾重ものくぐもった声が、ディエゴたちに近づいていた。
「鳥、か?」
場に居合わせた全員が空を探す。ディエゴの視線の先、山の峰から一羽の鳥が、空を滑るように姿を現した。
大きな翼の鳥だった。シルエットは横に長く、ぴんと張った翼を微動だにさせず風に乗っている。
「クントゥル」
オセロが呟いた。
次から次にと、人間よりも遙かに大きなコンドルが山を越え、集落の上で旋回を始める。
ディエゴは改めて拳銃を抜き、撃鉄を起こした。
「あれ、人間を食うタイプの鳥か?」
「そんな話は聞いたことないよ。ドラゴンやワイバーンの食べ残しを漁るような鳥なんだけど……こんな数で飛んでるのは見たことない」
この土地に住まうオセロや職人《カマヨ》ですら、訝しげな目を空に向けている。
既に集落の上空には無数のコンドルが円を描き、不気味な螺旋を描いていた。低い周期的な鳴き声が共鳴し、空気がぴりぴりと震えている。
一際大きな羽音が鳴った。
山頂の上。赤と黒の鮮烈なコントラストが、青空にじわりと滲んだ。
ディエゴの喉が上下する。
「化身、だと」
ついに全身を露わにした巨大なワイバーンが、翼を撓めた。空気を振り払うような、力強いひと掻き。たったそれだけで、ディエゴたちの真上まで飛んでくる。
ふわり。化身は軽やかに、コンドルの群れが描く円の中心を降りてきた。
猛禽類のそれに似た脚が、広場の石畳を踏み砕く。見た目には綿毛のように柔らかな着陸だったが、凄まじい衝撃が走り抜けた。
吹き荒ぶ突風に、イザベルは耳を塞ぎながら這いつくばる。
「目の前に来ました!?」
膝を曲げ前屈みになりながら耐えたディエゴは、拳銃を脇腹に寄せ、銃口を化身に向けた。その腕に、邪魔にならない程度にオセロが手を添える。
「ダメ、撃たないでね!」
「だが!」
「我慢して。化身様が生け贄以外で人を食べたことはないから!」
化身は蛇のように細長い首を曲げ、ディエゴと目線の高さを合わせた。
ワイバーンの爬虫類らしい顔立ちと、猛禽類の顔のちょうど中間に位置する形の頭部だ。全体は黒色の鱗に覆われているが、額から後頭部にかけて赤い羽毛が生えている。何よりも特徴的なのが、歯の生えた嘴《くちばし》だった。
無機質な爬虫類の目が、ディエゴの顔をまじまじと見つめる。
硬い鱗に囲まれた目の輪郭が、ぴくりと動いた。ぐにゃりと動き、両端の垂れた、人間の笑顔を思わせる形に変形する。
「なっ!?」
ディエゴの表情が強ばる。首の裏に鳥肌が立った。
本来動かないはずの嘴まで歪み、わざとらしい笑顔を作り出す。
どこからどう見ても人間とはかけ離れた造形の生物が、人間と同じように表情を動かした。たったそれだけで、居合わせた人間たちは動けなくなる。
化身は首を伸ばし、ディエゴの耳元に嘴を寄せた。ディエゴの額に玉のような汗がびっしりと浮かぶ。
人間の頭くらいなら簡単に食いちぎれそうな巨大な嘴が、触れるか触れないかのところでカチカチと音を立てた。
「ああぁぁ……ぁぁああ哀れな命よ」
幼子のような声だ。か細く、孤独な夜に布団で泣く子どものような声だった。
ディエゴの体は彫像のように動かない。ただ、目だけで怪鳥を見つめていた。
化身が鳴く。
「ああぁぁ火にくべられる命よ。太陽の子よぉぉおお。お前が戦いの地に征く限り、憂いは全てわたしが喰らおう」
顔を引き、再びディエゴと向かい合う。
化身の胸がべこりと凹み、首の付け根が膨らんだ。膨らみは長い首を伝っていき、ついに嘴に辿り着く。化身が嘴を大きく開いた。
べちゃり。
粘液に塗れた、緑色の物体が落ちる。抉り取られたドラゴンの頭部だ。破壊された島落としの一部を吐き出したのだ。
「ああぁぁ、背を憂うな。太陽は同じ向きに進み続けるのだ。ぁぁああ」
化身は優雅な仕草で羽ばたき始める。僅かに体を浮かせたかと思いきや、いっそ不自然なまでに滑らかな動きで空へと滑り出した。
暴風に身を屈めながら、ディエゴたちは無言でその後ろ姿を見送る。
去り行く巨大なワイバーンを、コンドルの群れが追いかけていった。
◇
カスティラ王国の王城は、当代のナスパーニャ三世によって、異質な構造に作り替えられていた。
歴史も威厳も芸術的価値すらも取り払われた、石材そのもののような単純な建築である。大広間にアーチ状の屋根を架け、ガラス窓で採光しているだけ。子どもが積み木で作ったような建物だった。
大広間には作業机が並べられ、行政官たちが目を細めながら書類と格闘していた。
広間の中心は床が一段高く持ち上げられており、天蓋付きの寝台が設置されている。
寝転ぶ男が、レバーアクションライフルを弄っていた。ガチャリとレバーを動かし、出てきた弾薬を再びチューブ弾倉に差し戻す。
「あーあ、サボってる奴いないもんかな」
「ガハハハ! 今さらおりますまい!」
「はぁー、面白くないな」
寝台の脇に立つレオン将軍が笑い、男は溜息をついた。
ともすれば子どものようにすら見える、度を超した若作りの容姿。柔らかくカールした黒髪が、気怠そうな雰囲気を強調している。線の細い美形の男だ。
彼こそがカスティラ王国国王、ナスパーニャ三世であった。その年齢は五〇を超える。
「本当に王というのは面白くない。効率化しすぎた。面倒が多ければ疲れるが、順調にいけばそれもまた面白くない」
カチャン、カチャンとリズミカルに鳴る金属音に、行政官たちは顔を強ばらせた。
ナスパーニャ三世は、圧倒的な武力にて中央集権化をほぼ成功させている。そして、自身の目で主要な行政官を毎日監視するという力業にて、分散した島々を一国家として纏め上げた怪物であった。
諸侯から自治権を奪い、「軍」という存在に再編成したナスパーニャ一世。あらゆる征服戦争に勝利した二世。そして防衛戦を幾度となく成功させ、国を束ねた三世。
王家には化け物の血が流れている。
「久々にディエゴ君に会いたいもんだ」
ちょうど王が呟いたときに、広間に場違いな服装の者が入ってきた。黒地に金の刺繍が入った法衣――フランシスコ枢機卿だ。
フランシスコ枢機卿は、真っ直ぐに王を見た。王は薄ら笑いを浮かべ、手招きする。
「やぁやぁ、フランシスコ君。何かあったかな?」
枢機卿は跪くこともせず、堂々と王の前に立つ。
この国においては、王家と教会は絶妙な力関係で釣り合いを保っていた。
「陛下。竜星軍を前にご機嫌麗しいご様子で。内密の話がございます」
神妙な顔つきで枢機卿が言う。だが、王はそれを一笑に付した。
「ここで言え。余は何も隠さぬ。枢機卿が見たければ、尻の穴すらも見せてやろう」
「結構。侍医にでも見せるがよろしい」
枢機卿は大きな溜息をつくと、手に持ってきていた紙を王に差し出した。
「竜騎士ディエゴが王島を去りました。つきましては、彼の友人であるサンチョ司教より、原因となる者の告発状を預かっております」
将軍が愕然とした表情を浮かべる。
「ディエゴが去っただと! 家に招待すると言っていたのにか!? 手土産にと、レースの編み物を作っている途中だぞ!?」
「将軍の私的な事情には興味ありません。ともかく、英雄抜きで天雷を背負った竜星軍に挑むのは、いささか厳しいのでは」
王はふんふんと頷きながら、ディエゴとサンチョがしたためた告発状を眺めていた。紙を枕元に投げ、欠伸をする。
「第二が、な。まぁそうだろう。彼奴らの腐臭は王城にも届いている。教会のことだ、証拠も押さえたんだろう?」
「ええ。必要とあればお見せします」
王はぶっと吹き出した。
「余の尻と同じだな」
「違います」
「そうか、残念。で、第二の処分を以てディエゴを呼び戻した方が良いと言うのだな?」
枢機卿は頷く。王は面倒くさそうに首を振った。
「君主とは公平公正である必要は無いが……誠実ではあるべきなのだよ、フランシスコ君。お母さんや宗教家や路上の物売りと違って、嘘八百を並べて丸め込むなどしてはならない。理解してくれるね?」
今度は枢機卿が不快感を露わにする。
「陛下のお顔を立て、今は頷いておきましょう」
「殊勝な心がけだ」
王は枢機卿から視線を外し、枕の上にうつ伏せた。目が鋭く細められる。
「なぁ、フランシスコ君。人々は平然と私に第二竜騎士団をどうにかしろと言うが、物事はそう簡単ではないのだ。中央集権化で領土を失った貴族達に、軍権という生き場所が残されたのは、バルボアの活躍あってのことだ」
土地、兵士、徴税権、専売権、通貨発行権。
あらゆる権力の源泉を剥がされてきた貴族たち。その筆頭たるバルボア家は、恨むでも逆らうでもなく、血を吐きながら忠を示すことで、軍に貴族の居場所を残した。
第二竜騎士団という、唯一残された『聖域』を守ってやることこそ、奉公に相応しい御恩なのだ。多少の悪事で潰すのでは、誠実と言い難い。
「余は、バルボアの忠義を無碍にはせんよ。誠実でありたいからな。しかし、まぁ……面白くなってきたではないか」
枢機卿は王の言葉に首を傾げた。
「事情は汲みます。ですが、現実問題としてディエゴが去っております。楽しめる状況でしょうか?」
「楽しむしかないのだよ、フランシスコ君。これでまた国の形が変わるんだ。それにね、君たちは英雄と竜星軍を特別視しすぎだ」
王は排莢口から出てきた弾薬をシーツの上に立て、指で押して倒す。
「決して負けてはならない戦場で、誰もが頼りにする勇者が死ぬ。よくある話だ。未曾有の災害を前に、王や聖人が病に斃《たお》れる。よくある話だ。だから、さ。ディエゴ君一人が欠けたからといって滅びる程度の国なら、滅ぶべきなんだ。それよりは人心が離れることを憂うべきだ」
枢機卿は自身の眉間をぐりぐりと指で揉んだ。一人遊びをやめない王に、強めの語気で言う。
「それでも、民を救うために最善を尽くすのが為政者でしょう!」
「おや、坊主が余に治世を語るか」
王はふっと小さく息を吐いた。もぞもぞと体を動かし、寝台の上であぐらをかく。姿勢は少しだけマシになったが、表情は相変わらず緩いものだった。
「では、為政者らしいことを言ってやろう。第二竜騎士団がこの度の竜星軍にて、相応の戦果を出せなければ、当然懲罰を下す。第二は解体し、相応しい任に就かせてやるつもりだ」
告発状が、レオン将軍の手に渡された。
「第一で共有しておけ。竜星軍を片付けた後に備え、対人用火器も携帯させろ」
「はっ」
枢機卿は冷たい目で王を見下ろす。
「貴族に残された『誇り』を削ぐために、竜星軍を利用なさると? 犠牲が増えることを飲み込んでまで」
王は五月蠅そうに顔の前で手を振った。
「さっきも言ったろう。個人に頼るのは国家じゃない。ぜーんぶ終わった後にこの国が残っていたら、きっちり名誉回復して、余が自ら頭を下げるさ」
「あくまでディエゴ抜きで迎撃なさるつもりですか」
「うん、もちろん。でなければ、ディエゴ君が望む第二への懲罰も出来ない」
王には王の立場がある。
腑抜けしか残らぬほどに犠牲を出した貴族を守る。それも王の役目。
残った腑抜けが決定的な不祥事を起こしてから潰す。それもまた、王の役目。
竜星軍の前に処分を下せば、ディエゴの力を借りられるかもしれない。だが、それを見た周囲は王家への不信感を抱くだろう。もう誰も、バルボア家のように身を削った献身をしなくなる。
それこそが、国家にとって致命の毒となり得るのだ。
毒を飲まされるくらいなら、一過性の痛みを乗り越える。王はそう主張していた。
「では教会騎士団も地獄の戦いに駆り出されるのでしょうな」
「手紙を運んだ功に報いてやらんとな。戦果を挙げる場をくれてやろう」
枢機卿は両手で顔を覆い、深々と息を吐いた。
「荘園で使える水を増やしてくだされば、それだけで良いのですが」
王が微笑む。枢機卿の望みをまるっと無視した。
「精強なる教会騎士団には期待している。民を救い安堵させるのが仕事だろう?」
「戦働きは望むところとはいえ、他人事のように仰る……」
「他人事ではないさ。余も歩兵隊を率いる予定だ。ディエゴの味わった地獄とやらを経験しておこう」