イザベルは追ってくるドラゴンの集団を横目で見ながら、鞍を左足の爪先でトントンと叩く。意図を汲んだワイバーンが方向を微調整した。
イザベルが飛ぶ方向、ドラゴンが進む方向、そして風の流れがぴたりと一直線に並ぶ。マスケットが火を噴いた。黄金の弾丸が、中型ドラゴンの鼻に飛び込んで行く。たった一発の中距離射撃でドラゴンが地に墜ちていった。
「ナステカ高地と違って、地形による風がないから楽ですね!」
膝を曲げ、鞍にしっかりと体重を預けると、再びマスケットに弾を装填した。
「そこの竜騎士さん! 少し待ってくれたら、私の仲間が来ます! ドラゴンライダーなので誤射に注意してくださいね! ああ、あと……」
イザベルはペドロの真下に潜り込み、手綱を掴む。
「そこの雲から飛び出してきますよ。軌道的に、そう回り込んでくるはずです」
誘導されたペドロの騎竜が、大きく左に旋回した。さっきまで正面に見えていた雲の塊から、闘竜状態の島落としが飛び出してくる。
ペドロは目を見開いた。
「なんで分かった!? 見えていなかっただろ!?」
イザベルが小首を傾げる。
「なんでって。どこに何が、どんな向きで飛んでて、数秒後にどこにいるか。それくらい分かりませんか?」
「分かってたまるか!! そんなこと出来るのは、最強の竜騎士ディエゴくら……い……?」
ペドロは口を開いたまま固まった。イザベルが何気ない口調で言う。
「師匠は意味不明ですよ。予測しないで勢いでやってるのか、予測してるのかわかりません。はい、次は右上行きます」
的確な誘導によって、三次元的に襲ってくるドラゴンたちの間をするすると抜けていく。その間にも射撃が行われ、数頭のドラゴンが錐揉みしながら墜ちていった。
ドラゴンの位置関係のみならず、気流まで頭に入っていなければできない動きだ。
「じゃあ、雲に入って撒きます! というかアレですね。これだけドラゴンが多いと逆にやりやすいです。真っ直ぐ殺意を向けられる方が苦手なんですよね。睨み合いみたいなの、間合いがよく分からなくなります!」
自分の手すら見通せない雲の中で、ペドロが恐る恐る問う。
「まさか、お前……イザベルか?」
「はい、イザベルです! もしかして私、有名人ですか?」
「有名ではなくて、その……」
ペドロは申し訳なさそうな口調で続けた。
「僕は第二竜騎士団の、ペドロ・デ・バルボアだ」
「敵じゃないですか! 助けて損しました! ええと、ええと、殴って皮剥がすんでしたっけ……!?」
「か、勘弁してくれ! 申し訳ないことだったと反省している!」
ナステカでの出来事を雑に記憶しているイザベルの発想に、ペドロの顔が青くなる。
雲を抜けた彼らの前に、一騎のドラゴンライダーが現われた。銃ではなく、黒曜石の投げ槍を持っている。オセロだ。
「イザベル、敵って聞こえたよ! そいつ殺せばいいの!?」
「分かりません! 微妙なところです!」
「そうなの。じゃあ、終わった後にナステカ連れ帰って裁こうか!」
「はーい!」
勝手に決められる運命に、ペドロの顔がくしゃくしゃになった。殴られて皮を剥がされる可能性が残っている。
オセロは飛行の進路をイザベルに任せ、懐から湾曲した棒を取り出した。人間の前腕くらいの長さで、先端に鉤のような窪みが付いている。
アトラトル――投槍器だ。人間の手より長いリーチで回転の先端速度を向上させ、押し出すように槍を飛ばす道具である。
「ドラゴンが多すぎるね。こんな数と戦うことないから、絶対に槍が足りなくなるよ」
「良いじゃないですか。ドラゴンライダーならパンチだけで倒せるんですから」
「殴るときには、殴られる距離にいるんだよ?」
「じゃあ、そのときは私が注意を引きますね!」
「お言葉に甘えようかな」
オセロが隊列から離れる。狙って飛んできた中型ドラゴンと、オセロの騎竜が体勢を持ち上げる。お互いに腕を伸ばし、がっぷり四つに組み合った。
アトラトルが唸った。射出された槍が、いとも容易くドラゴンの胸に突き刺さる。
「半端に知能がある中型は、牽制から入ってくれるから楽だね!」
力を失ったドラゴンが、空を掴むように藻掻きながら墜ちていった。
あっさりと中型を落したオセロは、誇るでもなく変わらない表情で隊列に戻ってくる。当然のことをしたまで、という様子に、ペドロは言葉を失った。
「な……な……」
「どうしたの?」
「げ、原始的な投槍で、空中で一撃……」
「そんなもんだよ」
ペドロは冷や汗を流しながら、イザベルを見た。彼女もまた、平然としている。
「手早いですね。あとは問題といえば、アレなんですけどね……」
イザベルがマスケットで指す先には、仁王立ちするように宙に浮く島落としの姿があった。腕が長く、まるで翼が生えた悪魔のようなシルエットだ。
オセロが頷く。
「やるしかないね。けど、厳しそう」
宙に残る三頭の島落としは、次々とドラゴンが落されていく姿をはっきりと認識していた。互いに助け合える近距離に集まり、下手に手出しをせずに様子を窺っている。
「一人一体でやるべきか、三対三でやるべきか迷いますね!」
「自信あるねえ。でも、ちょっと厳しいかもね」
オセロがちらりとペドロを見た。ペドロは悔しそうに下唇を噛む。
追放したはずのイザベルと、辺境の謎の戦士がこれだけ戦えているのに、彼は足手まといだ。所属している第二竜騎士団は、守るべき王島を見捨てて、情けなく地上を逃亡していた。
誇れるものが何一つない。
それどころか、島落としという厄災に挑むにあたって、彼が弱いことで作戦が定まらない。
追放されたイザベルも、謎の原始的な武器で戦う戦士も、ペドロよりよほど強かった。その事実に、肩の震えが止まらない。
「うん。そこの竜騎士さんは、死なないように頑張って。二対三でどうにかしよっか」
オセロの言葉は妥当なものだった。ペドロは弱々しく頷くことしか出来なかった。
◇
歩兵部隊の勝ち鬨が響く。
落ちてきた小型ドラゴンが建物から這い出る前に、投槍の雨を浴びせ、被害無く殺すことに成功したのだ。
王は歩兵たちの様子をじっと見つめる。
誰もが高揚し恐怖感が薄れているのが如実にわかる。だが、数人の兵が貧乏揺すりのように膝を震わせていた。
疲労だ。
ひどい緊張を強いる戦場。視界を妨げる雨。奪われる体温。何より、歩くだけで足を奪おうとする洪水によって、歩兵たちの体力は削られていた。
再びどこかで竜が落ちる音がした。一発、二発、そして三発目。
時間が経つごとに頻度が上がっている。
王は東の空を睨んだ。
「案の定、東側から崩れ始めたな!」
懐から異様に銃身が太い拳銃を取り出し、空に向けて撃つ。上空で強い光が迸った。信号弾だ。第一竜騎士団に、第二の瓦解を知らせるものである。
「ここは君たちに任せる! 私は東側の部隊に参加――!?」
凄まじいダウンバーストに、王も歩兵も身を竦ませた。落ちてきた空気の塊が、道路を浸す水を押しのける。
どん、と重たい音が響いた。
深緑の鱗に、殴打を得意とする長い手足。人間など容易く蹂躙できる、二〇メートルの巨体。
島落としが、歩兵隊の前に着地したのだ。
東の空を散々に荒らした個体が、低空飛行で突っ込んできたのである。
「投げ槍放てぇぇぇぇえええええ!!」
瞬間の判断。王が叫んだ。歩兵たちは目を見開きながらも、戦いで熱くなった体を動かし、一斉に槍を投げる。真っ直ぐに飛んだ一〇〇以上の槍が、島落としに殺到した。
島落としが鼻から大きく息を吐き出す。まるで人間の足掻きを嗤っているようだった。
翼を曲げ、翼膜で顔を隠す。地上に降りれば無用の長物となる翼に、全ての槍が突き刺さった。
翼膜の端からゆっくりと片目を出す。眼球を覆う瞬膜が開いた。
「次、構え!!」
王の号令が響く。明らかに知性を感じさせる防御に、兵たちの手は震えていた。
「まだだ、まだ放つなよ! 防御を解いて攻撃するときが唯一の勝機だ……!」
幾たびもの戦役を乗り越えた王ですら、顔色が悪い。
島落としが拳を振り抜く瞬間にだけ投げ槍が通る。一度動き出した大質量の攻撃が止まることはないだろう。つまり、狙われた誰かが確実に挽肉にされる。
それが王だっておかしくはない。
息が詰まるような睨み合い。均衡を崩したのは島落としだった。
首を揺らしながら、グッグッと奇妙な音を鳴らす。遅れてバチャバチャと水面を叩く音が響いた。
最前線で槍を構える歩兵が悲鳴を上げる。
「なんだこれ、油か!?」
島落としを中心として、水面に黒い油が広がっていた。
王が一歩後ずさった。
「油に触れた者は逃げろ!!」
王の警告が届く前に、島落としの口から炎が吐き出される。それは水面を伝い、油に触れた兵を包み込んだ。
「うわあああ、熱い熱い熱い熱い!」
叫びながら水の中を兵が転げる。それを一歩踏み出した巨竜が踏み潰した。
炎に煌々と照らされた島落としが、じりじりと歩兵隊に距離を詰める。
「まずいね、これは。一か八かで白兵戦でもしようか?」
「へ、陛下。我々はどうすれば」
恐怖と不安が伝播していく。彼らに残された希望は、偉大なる王だけだった。
「陛下!」
「お助けください陛下!」
「許可を、槍を放つ許可をください!」
王はぐっと歯を食いしばる。
視界の端では、別の巨竜が尖塔に激突していた。教会騎士団を巻き込み、防衛の要はがらがらと崩壊する。
空の第一竜騎士団を呼べば、戦況は取り返しのつかないほど悪化する。西の空を彼らが守っているから、まだ戦いが成立していた。
第二竜騎士団は既に瓦解し、頼れるものではない。
近場の教会騎士団の砲台は破壊された。この場所に射線を通せる尖塔はない。
そして手持ちの札では、島落としを倒す術がなかった。
「悪いね、君たち。命を懸ける以外に出来ることがない! 余と共に死んでくれ!」
王は頭上に構えていた投げ槍を、腰だめに持ち直す。
命一個で槍を一本突き立てる、捨て身の構えだ。
「うおおお、母ちゃん、母ちゃん……!」
「すまねえオレ帰れねえみたいだ」
「酒でも飲んどけば良かった!」
兵たちは泣いたり叫んだりしながらも、槍を低い位置に構え直す。
覚悟が定まらずとも、戦う気概だけはあった。
「次の一歩に合わせて突っ込むぞ……! 誰がどんな死に方をしようと、槍一本突き立てることだけを考えよ!」
王の言葉に、兵たちは身を固くする。
島落としの後ろ足に、ぐっと力が込められた。
緊張の一瞬。そこに、もう一つの深緑が割って入る。
島落としに匹敵する体格のドラゴンが、地を這う低空飛行で飛び込んだ。
サンチョ司教が跨がるドラゴン――バアルのタックルが、島落としを吹き飛ばす。巨竜が首を曲げながらひっくり返った。
仰向けになった島落としに、バアルが飛び掛かる。覆い被さるようにマウントポジションを取った。
「バアル、纏いなさい!!」
サンチョの命令を受け、バアルが吼える。眼が爛々と輝き、全身の筋肉を怒張させた。
より太くなった腕を、島落としに向け振り下ろす。ずん、と地面が揺れた。島落としの鱗が砕け、頬が凹む。
左右の連打が島落としを砕き、その下の石畳すら破砕した。
揺れる背の上で、サンチョが小さく手綱を振るう。
「止まりなさい、バアル」
その一言で、バアルはピタリと静止した。息絶えた島落としの血が水面をゆらゆらと漂う。
サンチョは歩兵隊に、柔らかな笑みを向けた。
「ご安心ください。主に代わり、私が地を這う皆様に力を貸します」
王は複雑な顔で頭を掻いた。
「借りを作ってしまったな――教皇の刃、サンチョ司教!」