「陛下。そう呼ぶのはおやめください。私は泥水に膝まで浸かる、ただの小汚い中年坊主ですよ」
サンチョは諭すような口調で言った。しかし王の目つきは鋭い。
「旧荘園を破滅させた巨竜バアルを調伏した。その事実が消えることはない。それにスラムで慈善事業などと遊んでいるようだが、竜を隠していたのだろう? 刃を辞めることを惜しんでいるようだ」
「刃たらんと思うのであれば、大竜角を折ったままにはしませんよ」
ドラゴンは後頭部から二本の角を生やす。小型のドラゴンは小さな角が後ろに真っ直ぐ伸びているが、大型化するにつれ、ねじ曲がって正面に向いていく。
サンチョが跨がるバアルは、両方の角が根元からへし折られていた。
「いずれは伸びるだろう。君は刃を捨てたのではなく、ただ鞘に差しているだけだ」
「いいえ。根元を焼いてあります。この子は自力では大空を飛べません。羽ばたけども、地を這うことしか出来ないのです」
「ほう……?」
王は興味深そうに息を漏らす。サンチョに向ける表情から冷たさが消え、むしろ強い関心が浮かんでいた。
――ドラゴンが空を飛ぶなど、おかしなことである。
銃撃に耐える堅固な鱗。分厚い皮に、高エネルギーの脂肪。地上で体を支えるのみならず、殴り合いまで実現する骨格と筋肉。
自由落下するだけで石造りの建物を粉砕する重量の持ち主だ。瘴気で多少の軽量化をしたとて、飛ぶのは不自然極まりない。
大竜角――大型ドラゴンの頭に生えるねじくれた角が、それらを実現していると考えられていた。
大竜角に宿る力で、積乱雲が生じるほどの上昇気流を生み出す。嵐を呼ぶこの器官があるおかげで、ドラゴンは飛ぶことが出来るのだ。
サンチョに大竜角を奪われたバアルは、跳ねながら地上を進む飛翔の真似事しかできない。
「私の身は、持たざる者と共にありますので」
「面白い……! これが掃き溜めの聖者たる所以《ゆえん》か!」
「滅相もない。教会が大仰に囃し立てているだけですよ。それにしても……西の空もしんどそうで」
サンチョと王は空を見上げた。
二つずつのランタンが規則正しく飛び回る西の空。東に比べて順調に竜星軍を阻止できている様子だ。しかし、その包囲網に苛立ったのか、竜騎士を完全に無視して急降下する島落としの姿があった。
「また島落としが落ちてくるか。どこだ?」
「あの方向は……王城ですな」
「地下に隠した書類までやられると思うか?」
「まぁ……諦めた方が良いでしょうな」
王は口をへの字に曲げた。
「余は困難を歓迎するが、面倒は嫌いだ」
「試練を愛せよと主は仰せです」
サンチョは手綱を振り、バアルの向きを変える。
「では陛下。私は一足先に試練に挑ませていただきます」
彼は王の返事を待たずして、王城の方向に駆け出した。跳ねた水をざぶりと浴びた王は、顔を手で拭う。それから面倒くさそうに言った。
「王城は、聖人に任せておこうか。宗教家は何かと余に否定的な返事をしてくる。我々は引き続き市街地を守るぞ」
◇
島落としは、サンチョが到着する前に王城に着弾した。
小型竜の着弾とも、滑空からの着地とも全く違う、規格外の衝撃が地面を揺らす。被弾した王城のみならず、周囲の尖塔にまで亀裂が入る。
ビシビシと不吉な音を立てる塔の最上階で、教会騎士達は大砲の向きを変えた。
「崩れるか?」
「崩れる前に撃てば良い」
「撃った衝撃で崩れるだろうと言ったのだ」
十字のマントを背負った騎士達が楽しげに話す。
「では、最後の一発だ。外すなよ」
「あぁ主よ……どうかこの一撃、命中させたまえ」
「ははははは!!」
砲声が轟いた。それも、王城を囲む四つの尖塔全てから。
ひび割れた塔が同時に崩れ落ちていく。王城に向かう道路を真っ直ぐに進むサンチョは、それを見守るしかなかった。
「よき献身です……!」
ぎり、と奥歯が鳴った。
崩壊した城の外壁めがけ、バアルが跳ねる。山積みとなった石材に着地した彼らが目にしたのは、異様な光景だった。
深々と抉られた岩盤。そのクレーター中央で、巨竜が猛烈な勢いで地面を掻いている。掘った土を後肢で押しのけるだけでなく、岩を喰らっている様子だった。
めりめりと音を立て、鱗が抜け落ちる。その下から、より鮮やかな青緑色の鱗が生えてきていた。
サンチョの首に鳥肌が立つ。
「適応変態……!」
砲撃によって翼がへし折られ、全身のあちらこちらから流血する島落としだったが、急速に傷が癒えていく。
体も一回り大きくなり、特に前肢がさらに長く太くなろうとしていた。
土地を喰らい、より手際よく土地を破壊するための姿に変化していく。これがある為、ドラゴンは生物の身にして島を破壊できるのだった。
「少しばかり、頭を使って戦う必要がありますね」
サンチョは右手に持った『ハトメ抜き』の撃鉄を起こす。
サンチョは平静さを保ち、懐から握りこぶしほどの塊を取り出す。石炭によく似た、複雑な光の弾き方をしていた。
「もう少し後に使うつもりでしたが……」
サンチョは積乱雲の塊にちらりと目を向けてから、再び島喰いに戻す。
「切り札というものは、使わないのが一番勿体ないですからね」
塊が、ランタンの炎に投じられた。黒い煙が噴き出し、サンチョとバアルに纏わり付く。両者の瞳孔が細くなった。
バアルの周囲に風が渦巻く。
大竜角の破片。
使い捨てながら、角を折られたドラゴンに本来の力を取り戻す。サンチョが一つだけ残しておいた保険であり、切り札だった。
バアルは喜びに打ち震えながら、大きく翼を上下させる。
宙に体一つ分浮き上がったバアルを、島喰いが見上げた。
硬い鱗に包まれた二頭の竜は、無機質な表情で睨み合う。サンチョもまた、仮面じみた薄笑いを浮かべていた。
仮初めの余裕でも、揺らがぬ姿勢こそが、余裕に相応しい結果をたぐり寄せるのだ。
「バアル……主はこう仰せです。右の頬を殴られたなら、攻撃を許したお前が悪い。先に殴り倒せばそうならなかった、と」
バアルは体を起こし、両の拳を握り固めた。鎖が揺れる。
島喰いも迎え撃つように体を起こした。
二頭の巨竜が同時に咆哮をあげる。翼を振るい、互いへと飛び掛かった。
◇
第一竜騎士団の隊列には一矢の乱れもない。
高高度にはワイバーン部隊が網を張り、飛来するドラゴンに幾らかの打撃を与える。その下にドラゴン部隊が待ち構え、傷つき注意力が散漫になった個体を破壊していた。
最も高い場所を単騎で飛ぶレオン将軍は、飛行帽の中に手を突っ込み、ガリガリと頭を掻きむしる。
「湿気る!! いっつも雨雲なんぞ引き連れて、お前らは水虫にならんのか!?」
同じ高さで羽ばたく島落としは、じっと将軍を見つめていた。迂闊に飛び込めば手痛い反撃を喰らうと知っているのだろう。
将軍はゆっくりと旋回しながら、砲口を向け続けた。
「ちなみに儂は水虫だ。ガハハハ! チッ、おいゴラ糞トカゲ、返事せんかァ!!!!」
理不尽である。天候より不安定な情緒に、島落としですら首を傾げているようだった。その背後に、一騎のワイバーンライダーが忍び寄る。上昇気流を掴み、羽ばたかずに上がってきたのだ。
島落としの翼の付け根に、正確に銃弾を撃ち込んだ。島落としは背中を反らせ吼えた。
「優秀! 特別手当をくれてやる!!」
「っしゃあ! 後は任せました!」
竜騎士が素早く下へと離脱する。直後、レオン将軍の砲が轟音を上げた。島落としの眉間がべこりと凹み、仰け反り縦回転しながら落ちていく。
「戦いになる奴ばかりなら良いのだが……幾らかは儂らを無視して市街地に落ちやがるな! 陛下、どうかご無事で。まぁ大丈夫か、ガハハハ!」
陽気に笑うレオン将軍だったが、すぐに表情を真剣なものに変えた。手綱を引き、騎竜の首を西へ向ける。
直後、濃い積乱雲の中から無数のドラゴンが飛び出した。東を背に、突然の追いかけっこが始まる。
レオン将軍の下では、突然東側から急襲してきたドラゴンの群れに襲われ、数騎の竜騎士が墜落した。
「第二が不甲斐ないのは分かっていたが……こちらに戦力を寄せて来ただと!?」
先ほど島落としの背後をとった竜騎士が、再度上昇し隣に並ぶ。
「団長! なんかおかしいです! まるで軍事行動のようです!」
「そうだな! お前もそう思うか!」
「私
「手柄を独り占めするな!!!!」
「特別手当ください!」
「丁度いい。僚騎と雲の中偵察して来い! なんか居るかもしれん!」
レオン将軍は部下の嘆願を無視し、淡々と命令を下した。竜騎士は小さく舌打ちする。
「拝命しました!」
「舌打ちだけ聞こえたぞ! ガハハハ!」
竜騎士もまたそれを無視し、頭の上でランタンを振り回す。彼の相棒が高高度に上がってきた。
「雲の中――敵の本陣に強行偵察命令だってよ」
「了解。お前はちゃんと遺書を用意したか?」
「親に渡してるさ」
「じゃあ行くか」
若い二人の竜騎士は肩をすくめると、反転しながら高度を上げる。追ってくるドラゴンたちの頭上を飛び越えた。
最も暗く、最も雲が濃い場所を目掛けて飛び込んで行く。見送ったレオン将軍は追ってくるドラゴンに砲撃した。
「悪いな。本当は儂が行きたいが、年寄りほど死んではいけない任に就かされる!」
将軍は緩い角度で旋回しながら、追ってくるドラゴンたちを巻き取っていく。同じ方向から現われたが故に、楽に対処出来ていた。
下にいる竜騎士たちも、奇襲の混乱から脱し隊列を組み直している。
「さて、何がいることやら。何もいないのが一番恐ろしい……」
将軍がそう呟いた矢先。雲の中から真っ赤に燃える竜騎士が落ちてきた。炎に包まれた人影は、ぴくりとも動かずに重力の手に引かれていく。
それを追うように、もう一騎の竜騎士が飛び出した。
燃える竜騎士に手を伸ばし――届かず、水平飛行に転じる。
「クソおおおおおおおお!!」
竜騎士は叫びながら、将軍に向かって飛んだ。
「団長! 団長ぉぉおお!! 超大型個体です!!」
「なんだと!?」
「島落としの倍はあります!!」
思わず雲を見上げる将軍。
濃く垂れ込める雲を割るように、大きな右手が飛び出した。
まるで人間の――いや、悪魔の手だった。
一つ一つが竜騎士と同じ大きさの爪。五本の指それぞれが長く、類人猿のように親指の向きが反転している。
その手が雲を掻き分けるように横に動いた。
濃い雨雲が割れ、顔が覗く。
鮮やかな青色だった。薄暗い空の下でなお、鮮烈な印象を与える青の鱗だ。
大きな目がぎょろりと将軍を見つめる。
他のドラゴンとは全く異なる顔立ちだった。
円く大きな――飛び出た目が、顔の正面に並んでいる。メガネザルを思わせるような顔だ。首の周りには、獅子のような鬣《たてがみ》が生えていた。
「なんだ、あれは……?」
「さ、さぁ……?」
未だかつて誰も見たことがない――あるいは見た者で生き残りがいない、未知の巨竜だった。当然、名前もない。
全ての竜騎士が鳥肌を立て、冷たい汗を流していた。歴戦の将軍ですら、目を見開き浅い呼吸を繰り返す。
巨竜は雲の中から左手を出した。ワイバーンが掴まれている。燃やされた竜騎士が騎乗していたものだ。
見せつけるように、ゆっくりと振りかぶった。
将軍が叫ぶ。
「避けろぉぉぉぉおおおおお!!!!」
ぱんっ。短い破裂音。
強く若く生意気で……その生意気さすら将軍に認められた竜騎士が、消えた。