王都東側。地上付近を竜騎士の一団がふらふらと飛んでいた。
サンチョが駆るバアルのような「跳ねて飛ぶ」とは異なり、普通に飛行する竜にとって、低空飛行は逆に難易度が高い。
建物で視界が狭く、常に地面との距離感を測り続けなければいけないからだ。
エルナンを乗せたワイバーンが、ぐらりと姿勢を崩す。ワイバーンは、エルナンの重さと下手くそな指示によって、無駄に疲弊させられていた。
地面に足が引っ掛かり、じたばたと藻掻くように体勢を立て直す。鞍上のエルナンは仰け反り、同じく不格好に足をばたつかせた。
「こ、こら! 何をしておる!」
エルナンの怒声に、ワイバーンはいじけた声でぎょっぎょっと喉を鳴らす。
ワイバーンは半目になり、やる気のない足取りで地上を歩き出した。
「サボるな貴様! 状況をわかっとるのか!? 飛べ、ボンクラ!」
エルナンは何度も手綱を振り回す。しかし、ワイバーンは頑として飛ぼうとしなかった。
「大丈夫ですか、団長!」
周囲に竜騎士たちが着地する。
苛立ちを隠しきれない竜騎士は、顔を見せないように俯いた。どうにか強ばった笑顔を浮かべられる者だけが、エルナンに顔を向けて話しかける。
「竜が調子を崩されたのですか?」
「ああ。甘やかしすぎていたようだな。厩務員を処罰……する必要もないな。勝手に死ぬ」
「そ、そのとおりで」
「まったく、使えないものばかりだ。腹立たしい!」
彼らの中では、王島が落ちるのは確定事項だった。
竜騎士たちは目配せで意思を共有する。
王島を離れ新生活を始める際には、エルナンの財産を使いたい。しかし殺して奪ってしまうと、今度は他の竜騎士とも奪い合いが発生する。
無言で行われた数秒の牽制によって、彼らはひとつの合意に辿り着く。それは、『新天地に着くまでは、とりあえずエルナンを生かす』というものだった。
殺伐とした空気に気づかないエルナンは、ライフルの銃床でワイバーンの背をゴツゴツと叩きながら、不満を漏らし続ける。
――そんな慢心だらけの行進を、見下ろしている者たちがいた。
窓ガラスが砕けた建物の窓から、ぼろを纏った者たちが顔を半分だけ出している。
「あいつら第二竜騎士団か?」
「そうだ。空でボコされて逃げてきやがった」
「外に出て見ていたが、一騎だけ取り残して逃げたんだ」
「仲間を囮にして逃げたのか? イザベルちゃんをこき使ったみたいに、また誰かに押しつけたのか」
敵意がじっとりと滲む囁きが交わされた。
「腰抜けのクズだな」
「竜星軍で役に立つかもしれねえから、ディエゴの旦那も見逃したんだろ?」
「敵前逃亡って死罪らしいな」
スラムの住民たちは着弾一発で全滅しないよう、複数の建物に分散して避難している。だというのに、すべての建物すべての部屋で同じような会話がなされていた。
「なぁ、殺しちまわねえか?」
「殺すのはマズイだろ。ふにゃふにゃにしちまうくらいでよ……」
「肥料袋みたいにしてやるか」
「取り押さえるときに、事故で死んじまうことだってあるよな。それは仕方ねえよな? な?」
雨の音に隠れ、ざわざわと悪意が広がり始めた。
大ぶりなナイフを研いでいた少年が、やけに綺麗な瞳を大人たちに向ける。ディエゴに指名され、竜の解体をしていた子だ。
「竜の目は、動くものと動かないものをすごく区別するんだって。視界に入ったと思ったら動きを止めたらいいよ。ランタンをつけなければ、どうせ第二の竜騎士には見つかったりしないし」
「よく知ってるなぁ、そんなこと」
「ディエゴの兄貴が言ってた」
大人たちは少年の頭を撫でたあと、ぎらついた目で言った。
「よし追うぞ。隙がありゃ、のして攫っちまおう」
形となった害意が建物から溢れ、豪雨に身を隠す。草木と呼ばれた者たちは、竜の背後へ這い寄った。
逃走する第二竜騎士団に気づいたのは、スラムの住民だけではない。尖塔から目を光らせる教会騎士団も同様だった。
甲冑をがちゃがちゃ鳴らし、ツルハシに似た戦槌を担いで、エルナンらの前に立ちはだかる。
二〇を超える竜騎士を前に、教会騎士は四人しかいない。しかし、堂々と胸を張って道を塞いでいた。
「何をしている。第二竜騎士団」
くぐもった声が問う。
教会騎士の兜はハウンスカルと呼ばれる、口元が大きく尖って突き出した、犬の顔とも鳥の顔ともつかない形状をしていた。金属に囲まれた大きな空間が、独特な音の響きを生み出している。
「戦略的移動か? それとも負傷者の護送か?」「否。空に戦略的立地などない。否。負傷者に構える戦況ではない」「地上に何用だ、第二竜騎士団」
得体の知れない重圧を放つ教会騎士に、エルナンはたじろいだ。
「き、貴様らこそ我らの邪魔をする筋合いはないだろう!」
「主は己の職分を捨て、怯懦に身をやつす者を咎める。我らもまた、そうしなければならない」
「う、うるさい。デカい顔しているが、所詮は竜にも乗れぬ草木であろうが! 聖職者がなんだ、死にたくなければどけ!」
エルナンは銃を向ける。合わせて周囲の竜騎士たちも教会騎士に照準を合わせた。
教会騎士の口調が豹変する。
「それっぽく訊いてやったら調子に乗りやがってよぉ。竜から降りろゴラ、こちとら神の下僕やってんだわ、わかってんのかゴラ。頭が高ぇんだ、ブチ転がしてやろうか?」「鉛玉ごときが怖くて神殿騎士やれっかゴラ!」「金玉潰して口に突っ込んでやるよゴラ。意気地無し共には一個しかねえだろ、一口で済んで良かったなぁ!」「舐められっぱなしで聖職者ができっかゴラ!」
これがカスティラ王国の聖職者である。神聖なる教会騎士のあるべき姿だった。
エルナンの手がぶるぶると震える。
「お、お前らみたいな様子のおかしい奴ら、昔から嫌いだ……!」
銃声が響いた。
幸か不幸か。
エルナンが放った弾丸は、教会騎士の胸に命中した。胸甲が凹み、小さな穴が穿たれる。撃たれた騎士は膝を曲げた。
「っしゃおらぁぁあああああ!!」
その撃たれた教会騎士が叫ぶ。ハウンスカルの口元に空いたスリットから、赤い液体が零れた。
「やってくれたなオイ!」
「そっちから手ェ出してくれたんだ、覚悟してんだなゴラ」
胸に穴が空いた者含め、全ての教会騎士が手近な竜騎士目掛け襲いかかる。野犬によく似た、迷いない襲撃だった。
振り下ろされたウォーハンマーの爪が、ワイバーンの下顎を抉る。痛みに暴れた騎竜から、中年の男が振り落された。
「ぐぇっ……や、やめ」
仰向けになりながらどうにか向けた銃を、教会騎士が蹴り飛ばす。そのまま鉄靴で首を踏み折った。
「うわぁああ、来るな!」
「撃っても死なないのか!?」
「いいから撃て撃て!」
第二竜騎士団は必死の形相で教会騎士に銃撃を浴びせる。
教会騎士の甲冑はピストル程度は防げても、ライフルの銃撃は防げない。間違いなく鉛弾が骨肉を抉り潰しているはずだった。
だが、教会騎士は止まらない。
「主はこう仰った。もしお前が右の頬を打たれてしまったのなら、意地で耐えろ。耐えれば殴り返せる。と」
竜を殴り、人を引きずり下ろし、殴打によってブチ殺す。目に付くもの全てに対する、手当たり次第な暴力だった。
恐慌状態に陥ったドラゴンが暴れる。横薙ぎの裏拳が教会騎士を捉えた。全身をくの字に折り曲げ、吹き飛んでいく。
続いての噛み付きで、もう一人の教会騎士を粉砕した。
「よ、よし良いぞ! あと二人だ!」
エルナンは顔を青くしながら、レバーを操作する。
なおも元気に戦槌を振り回す二人の教会騎士に銃撃が集中した。やがて彼らも力を失い、泥水の中に沈んでいく。
濃い硝煙が広がる中で、第二竜騎士団の面々は肩で息をした。
竜星軍とはまた違う、剥き出しの獣性に当てられたのだ。未だ実感の持てない顔で、意味もなくマスケットに弾を込め続ける者もいる。
たった四人の教会騎士が暴れただけで、実に六騎もの竜騎士が殺されていた。エルナンが、疲労の滲む掠れた声で吐き出す。
「な、なんて奴らだ。次は見つけ次第轢き殺すぞ」
竜騎士たちはガクガクと頷いた。様子のおかしい奴らを撃退したことで、少しずつ安堵の空気が広がっていく。
再び隊列が動き出した。後列のドラゴン三騎が取り残される。
「動くな!」
まだ幼さを残した声が響いた。
隊列の最後尾で、スラムの住人たちが竜騎士三人にナイフを突きつけている。
常識の埒外の暴れ方をした教会騎士たちに、全員の注目が集まっていた。常にざぁざぁと雨音が響き、視界は白く煙っていた。断続的な銃声が鼓膜を叩いていた。
その隙に乗じ、後ろから忍び寄ったのだ。
竜騎士たちの首には、引きずり落すために使われた荒縄が掛けられている。
粗末な服と汚れた顔。泥水を浴びながら、目をギラギラと光らせ、竜騎士を人質に取る。
そのような貧民たちを見て、エルナンの額に血管が浮かんだ。
「糞虫が……!」
「うるさい!」
少年の持つナイフが、ぐっと首の皮を凹ませた。
「竜から降りろ! 殺すぞ!」
貧民の男たちも同調する。
「殺せねえと思うか!?」「銃口向けた瞬間、喉笛カッ切って盾にしてやる!」「従軍経験者もいるんだぞ!」「そうだ。歩兵隊上がりナメんじゃねえ。俺はカットラスで五人やった!」
エルナンの表情が激しく歪んだ。歯をぎりぎりと鳴らしながら、肩で大きく息をする。
「……なんだ。なにが欲しい。金か? こちらは急いでいるんだ。金くらいなら恵んでやる。さっさとカタクンバなりへ避難するといい」
「金なんて、もう要らないからか!?」
「――そうか。なるほど。糞虫のくせに勘が良い。いや、獣に近いからかもしれんなぁ」
エルナンの目つきが変わった。じっとりと細め、不気味なほどの落ち着きを見せる。ライフルのレバーをがしゃりと動かした。
「殺すしかなくなった」
「撃てば、お前の手下はお前を信じなくなるぞ! 殺し合いになるぞ!」
互いの動きが止まり、冷たい睨み合いが始まる。状況は完全に膠着した。
空で吼えるドラゴン。揺れる足下。騒がしい環境の中で、彼らの周りだけ静かだ。
「ねえ、おじさん」
不意に、少年が笑う。エルナンは表情を変えない。
「おじさん、後ろも気にしたら?」
「ブラフか? その手には乗らん」
「それならそれでいいけど」
少年の勝ちを確信した声に耐えきれず、竜騎士の一人が目を逸らした。短い悲鳴が上がる。
「なんだ。何が居た」
「え、え、エルナン様! 奴です!」
「奴?」
とうとう振り返ったエルナンは、零れそうなほどに目を見開き、首をぷるぷると震わせた。
彼らの視界の先で、ぼんやりと淡い光が揺れている。
夏風に飛ぶ蛍によく似た、緑の光だ。