ばしゃり。ばしゃり。
ワイバーンの二脚が交互に水を踏む。音が第二竜騎士団に近づいていく。
緑の光を背負い、赤褐色のワイバーンが姿を見せた。並の竜騎士たちが跨がる個体より、よほど大きい。その背から見下ろすように、ディエゴが顔を覗かせた。
右手にはハトメ抜き。左手には替えの弾倉を持っている。手綱に触れてもいないのに、ワイバーンは第二竜騎士団の前で足を止めた。
「なんの集まりだ。安売りでもしてんのか?」
「……え、誰?」
戸惑いながら銃を向けた第二竜騎士団員の頭が弾け飛ぶ。ディエゴは再装填しながら、不思議そうに首を傾げた。
「おいおい、現役の竜騎士ですら緑のランタンを知らねえのか。もしかして俺ってそんなに無名だったのか。これまでかなり自意識過剰だったってことか? 恥ずかしいぞ」
「い、いや、その頭……。顔が見えない……」
竜騎士の一人が、怯えながらも指摘した。
ディエゴは目をぐるりと回す。自分の顔の周りを確認したあと、照れ隠しのように撃った。また一人、竜騎士が落ちる。
エルナンの顔が引き攣った。
「い、いきなり現われてばかすか撃つなんて……いったい何を考えているんだ!? というか、辺境にいるはずじゃ……」
ディエゴは淡々と再装填しながら言う。
「こういうときってな、命の価値が下がるんだよ。まぁ日頃から大した価値なんてねぇわけだが……お前ら、何やってんだ? 天気も悪いのにワイバーン地上で散歩なんかさせちまってよ」
エルナンは目を逸らした。武力で押さえつけて言うことを聞かせられる相手でもない。下手な言い訳をして機嫌を損ねたら、即座に撃ってきそうな危険性もあった。
スラムの少年が声を上げる。
「ディエゴの兄貴! こいつら、竜星軍から逃げようとしてるんだ!」
「ほー、敵前逃亡。ドラゴンと戦うのが怖くなったのか? 竜騎士が?」
小馬鹿にするような口調だが、言い返せる者はいない。ディエゴは深々と溜息をついた。
「まぁ、仕方ねえよ。こいつらは、何が真鍮で何が黄金なのかも分からねえんだ。ガキンチョ、覚えとけ。価値を知らないというのは、命で贖《あがな》う罪になる」
「言わせておけば……!」
エルナンが身じろぎした瞬間、その手からライフルが吹き飛んだ。銃を向けたディエゴが嗤う。
「この場合は、沈黙が金だ。やっぱり分かってねえな。あらゆる物事の優先順位を理解できてない。だから、こうなるんだ」
ぱさり。銃を失ったエルナンの首に、荒縄が被せられた。強く引かれた縄が、肥えた首に食い込む。咄嗟の抵抗も虚しく、容赦なく引きずり落とされた。
ディエゴが注意を引いている間に、貧民達が忍び寄っていたのだ。全身泥水に浸かるように這い回っていたらしく、頭にゴミを乗せている者もいた。
次々と竜騎士たちが汚水に引きずり込まれた。足下を省みない貴族が、這いずる草木にのしかかられ、踏みつけられ殴りつけられる。
「貴様ら! こんなことブべぇっ!?」
いきりたつエルナンの顔面に、麻袋が被せられた。痩せこけた若い男が、顔面の真ん中に肘を叩き込む。
ディエゴは呆れた顔をした。
「最後は陛下が裁かなきゃ、筋が通らねえことになる。あんまりやり過ぎんなよ」
「うす」「息だけは残しておきます!」「顔は分かるくらいがいいすか!?」
「そうだな。顔は壊しすぎるな」
スラムの住民達は意気揚々と竜騎士たちを引きずっていく。抵抗した者は、その場で動けなくなるほど袋叩きにされた。
残された竜たちが、ディエゴと騎竜を恐れるように道を譲る。
ディエゴは空を見上げた。
東の空には三つの光が飛んでいる。西の空では、整然と飛んでいた隊列が散り散りとなっていた。
「うかうかしてられねぇな。王城も吹っ飛んでやがる」
ディエゴは嬉々として竜騎士を引きずっていく貧民たちの背中に目をやった。少年が振り返り、小さく頷く。ディエゴは寂しそうな目で頷き返すと、鞍の横を足で蹴った。
「サンチョの臭い、探せるか?」
ワイバーンはクルルと喉を鳴らす。王城があった場所に首を向け、飛び上がった。
スラムの住人たちは、手頃な建物の扉を蹴り破り、捕まえた竜騎士たちを押し込んでいく。誰もがずぶ濡れで泥だらけだが、湯気がたつほどに興奮していた。
床に転がり痛みに呻く竜騎士たちを前に、一番体格が良い男がしゃがむ。
「こいつら……金のネックレスなんてつけてやがるぜ」
「竜騎士なら手持ちの金は弾丸にするはずだろ? なんで首飾りなんか」
「ずっと前から戦うつもりがなかったってことだろ」
男はエルナンの首から、力任せにネックレスを引きちぎった。
ぎらぎらと光を弾く鎖を少年に手渡す。少年は「重いし、柔らかい」と呟いた。
男は指の関節をコキコキ鳴らし、エルナンのツナギに手をかける。
「ひぃ、何をするつもりだ!?」
「お前らがどんな格好で逃げていたかなんて、誰も知らねえ。身ぐるみ剥いじまえ! 金はまとめてディエゴの旦那かイザベルちゃんに渡すぞ! 他は俺らのもんだ!」
貧民たちが一斉に第二竜騎士団に群がった。悲鳴が上がる。
「なんだお前たち、ふざけるな!」「風邪ひいちゃうだろ!」「あぁあ! それは親の形見で!」「痛い痛い痛い、それは髪の毛だ!」「金玉は金じゃない!!」
◇
――主は言った。人が足で立つのは、殴るよう作られた生き物だからだ。
――主はこうも言った。人の拳が開くのは、殴らずに済む道を模索するために作られたからだ。
王城跡地。破壊の気配が濃く立ち上る。
サンチョが跨がる大型ドラゴン――バアルが、全体重を乗せた拳を振り下ろした。島喰いの顔面から、青緑色の鱗が飛び散る。
島喰いはぐっと踏ん張り耐えると、強烈なフックでバアルを殴り返した。バアルの体が、空中で横に滑る。
一撃で頬の鱗が剥がれ落ちていた。
激しい衝撃に振り回されながら、サンチョは片手と太ももの力で体を支える。追撃を狙う島喰いの顔面で火花が弾けた。牽制の射撃で怯ませ、島喰いの動きを縛っている。
「人竜一体で、ようやく膠着《こうちゃく》ですか。人生は試練の連続ですね……!」
サンチョは振り出した弾倉に息を吹き込み、火薬カスを飛ばす。油紙の薬莢を食いちぎり、再装填した。
殴られ鱗を割られた島喰いの顔に、ぶつぶつと鳥肌が立つ。皮膚が盛り上がり、内側から新たな鱗が生えてきた。サンチョが吐き出すように言う。
「エスカラシオン。知識としてはありましたが……」
エスカラシオン。
地上に着弾したドラゴンは、土地を喰うことで大型化していく。恐るべきは、大型化すればするほど、さらに大型化するペースが速くなるということだ。
強いドラゴンは、より素早く適応変態していく。殴り合いのさなかに適応変態を始め、傷を癒やすほど早く。
これがあるからこそ、ドラゴンの着弾を許した島は容易く破壊され尽くす。
サンチョは強ばった指を振り、再び鞍の突起を握った。一度目を伏せ、そして瞳孔をカッ開いて顔を上げる。
「移乗戦闘しかありませんね。バアルよ、迷える人々に見せるのです。我らは、痛みと恐怖に満ちた選択を選べるのだと! 範を示せ!!」
傷を負った竜と、聖人は一体となって駆け出した。
雨を弾き、纏った黒雲も置き去りにし、バアルが両手を広げ飛び掛かる。島喰いのカウンターを鼻先に浴びながら、それでもバアルは青いドラゴンにしがみついた。
「私を見よ!」
サンチョが吼える。島喰いが顔を上げた瞬間、眉間にランタンが叩き付けられた。ぱっと炎が広がる。
瞬間の目眩まし。それに乗じて、サンチョが跳んだ。
島喰いの首にしがみつき、ずるずると滑るように背中に着地する。
サンチョは右手にハトメ抜きを持ち、左手で懐を探った。金で出来た小さな水筒を取り出し、指先で栓を抜く。
ゼロ距離からの発砲。鱗が割れ金弾が食い込んだ傷口に、水筒の液体を注ぎ入れた。
肉を焼き、沸いた汁が弾ける音。硫黄を思わせる、強烈な刺激臭。白煙が上がる。
傷口に竜酸を注いだのだ。
「蝕め! 血潮に混じれ! 怪物を倒すに手段は選びませんよ!!」
島喰いが悶絶し、空へ絶叫を上げた。のたうち体を転がす。我武者羅に振り回した翼の端が、サンチョの法衣に引っ掛かった。
聖人が吹き飛ぶ。半壊した王城の壁に激しく叩き付けられた。ヒビだらけの壁が崩れ、瓦礫が降り注ぐ。
「ぐっ、うぅ……」
這い出したサンチョは、胸を押さえ嘔吐した。頭をふらふらと揺らしながら、口元を腕でぐいと拭う。
頭から流れた血が、雨に薄まり首まで伝った。
離れたところでは、激痛に蝕まれた島喰いと、バアルがついに対等な殴り合いを始めている。
轟音と衝撃を浴びながら、サンチョは足下の泥水をまさぐった。
「銃を……落しましたか……」
瓦礫。水流。揺れる大地。
荒ぶる戦場で、落した拳銃一丁が見つかるはずもない。
サンチョは法衣の下のポーチから、弾薬と雷管を取り出し、手に握り込んだ。
生まれたときから持つ、最後の武器が拳だ。
息は荒く、肉の内側まで打ち据えられている。
だが、その程度で聖職者の心は折れたりしない。
「土地を喰わせるわけにはいかないんですよ。これ以上、貧しき流民を増やすわけにはいかないのです。飢えも寒さも知らない者が、既に病める者から奪うことを許してはならない……」
水飛沫をあげ、サンチョは走り出した。
膝まで浸かるような雨水にとらわれ、進みは遅い。無駄だらけの動きで、よろけながら駆ける様は、あまりに格好のつかないものだった。
声を枯らし、叫ぶ。
「これ以上、泥濘のひと匙《さじ》とて喰わせるものか……!」
彼の頭上を、風が追い越した。
赤褐色のワイバーンが、鋭い鉤爪で島喰いの頭を蹴り飛ばす。青緑の鱗と、真っ赤な血が混じり合いながら飛ぶ。紫のコントラストが雨中に輝いた。
そして、着地する緑の光。
ディエゴが島喰いの傷に弾丸を叩き込む。巨大なドラゴンは前肢で顔を押さえ仰け反った。
まだ白煙を上げる拳銃を、サンチョに向け放り投げる。くるくると回りながら放物線を描く銃を、サンチョは片手で受け止めた。
「サンチョ! リロードは自分でしろよ!」
「ディエゴさん、休暇は終わりですか?」
サンチョは表情をほころばせる。ディエゴも苦笑いした。
「馬鹿言えよ、これが休暇だ。見りゃわかるだろ」
「浮かれた格好ですね。お似合いですよ。中身にぴったりです」
「誰が野犬だ」
地獄に似合わぬ笑いが広がる。ディエゴは鞍に取り付けていた、ねじくれた穂先の槍を取り出した。竜角槍だ。削り出した大竜角の先端が取り付けられている。
ランタンの蓋を開け、竜角を差し込んだ。緑の炎に炙られ、穂先が燃え上がる。
「サンチョ、六秒だけ稼いでやる。あとは自分で殺れるだろ?」
サンチョは握っていた弾薬を使い、弾込めを始めた。自分の安全を露《つゆ》ほども疑わない、棒立ちでの再装填。
「はいはい。事足りますが、せっかちですね」
「頑張ってる弟子を早く見に行きてぇんだ」
ディエゴが竜角槍を頭上で回す。ワイバーンの周囲に風が渦巻いた。
――大竜角はドラゴンすら空に持ち上げる。では飛翔力に優れるワイバーンが、大竜角を使えばどうなるか。
大きな翼に突風を受け、騎竜は一筋の矢となった。ワイバーンの跳び蹴りが、島喰いの腹を抉り吹き飛ばす。
派手に地面を転がる島喰いを見下ろし、ディエゴは口笛を吹いた。
「六秒どころか三〇秒くらい稼げてそうだ」
「お釣りは出ませんよ」
サンチョがバアルに飛び乗る。見届けたディエゴは槍を空に向けた。
「俺のための二四秒、無理してでも出せ。ナステカ島まで支払いに来い!」
上昇気流に翼を預け、ディエゴは一気に高度を上げる。目指すは東の空だ。