竜騎士、ナステカへ行く   作:乾茸なめこ

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2 旅立ち

 空高く舞い上がったディエゴたちの眼下には、三色に塗り分けられた景色が広がっていた。

 

 屋根瓦の朱色が鮮やかな王都。無数の尖塔が聳え立ち、灯火から立ち上る煙でぼんやりとした輪郭を見せている。

 その周囲には、スラム街などを含む茶色の景色。乾燥した大地に、ぽつぽつとオリーブの木。

 さらに外側には、まだ若い小麦が茂る農地の緑色が、延々と続いていた。

 

「さっむ……」

 

 ディエゴは小さく呟き、ネックウォーマーを口元まで引き上げる。横方向に一文字のスリットが入った、木の板で作られたゴーグルを目に当てた。

 単純な構造だが、強い太陽光と、冷たい風や砂嵐から目を守ることができる遮光器だ。

 西に傾き始めた太陽を見上げ、ディエゴは叫んだ。

 

「おい、イザベル! ランタンの燃料は足りてるか?」

「無いです! お給料なくて買えてません!」

「あのカス共がぁ! 店のある島に寄って、補給するぞ! 辺境付近は島が少ねぇ。夜間飛行の備えがないと死ぬぞ!」

「死にたくないですぅ!!!!」

 

 飛んでいるときの竜騎士は、常に全力で声を張り上げる。

 風の音だけではない。竜騎士は野生の竜と区別がつくように、長い旗を掲げながら飛ぶため、はためく音が喧しいのだ。

 

「夕暮れには店も閉まる、急ぐぞ!」

 

 手綱をしならせ、鞭のように打つ。二頭のワイバーンは速度を上げた。

 既に王都の街並みは遙か遠くにあり、王島の端が見えている。イザベルの表情がかたくなった。

 

 島から出るとき、多くの竜騎士は緊張に耐える必要があった。

 振り返ったイザベルの目に、巨大な断崖とそこから落ちる濁った水が映る。濁流は空中で散り散りになり、遙か下で大きな雨雲を生み出していた。

 

 人類は、空と海の狭間で生きている。大地などは、遠い昔の伝承に伝えられているだけの代物だ。

 

 空中に浮かぶ島で暮らし、竜に乗って空を渡る。落ちては減るばかりの資源は、どこかから飛んでくる竜を狩ることで賄えた。

 竜と飛び、竜を喰らう。そうして生き延びる人類にとって、島より下は未知の領域だ。覗くだけで恐怖がこみ上げてくる。

 

 イザベルはちらりと下を見て、それから横を飛ぶディエゴの顔を見た。ディエゴは一切の気負いを感じない様子で、鞍の後ろに付けた荷物を漁っている。

 小さな吐息ひとつ。イザベルは肩の力を抜いて、再び前を見た。

 

 

 ◇

 

 

 王島にほど近く栄えている島の上空を三度旋回してから、ディエゴたちは地上に降り立った。

 三度の旋回は竜騎士の到着を知らせる。商人なら五回、旅人なら七回だ。旋回しない竜は落されても文句が言えない。

 

 薄いベージュ色のレンガが多用された、古くさい街並みだ。建物の上の方は、煙突から出た煙で黒く汚れていた。

 ディエゴたちはワイバーンを連れたまま、竜二頭がすれ違える広い道を進む。

 

「師匠ー。ドラゴンライダー、多くないですか?」

 

 すれ違う商人を見て、イザベルが不思議そうに訊ねた。

 四脚で、前肢の肩から翼が生えているドラゴン。その体型は四足歩行の動物らしく、がっしりと屈強で、重たそうな印象を受ける。事実、ドラゴンはワイバーンより飛行能力で劣る。

 

「この辺だけで商売してる、地回りの商人だろうな。ドラゴンは空では不器用だが、パワーがある。陸上輸送が多い商人はドラゴンを好みがちだ」

「へぇー。ドラゴンは大食らいなのに、よく飼えますね」

「肉なんてその辺で手に入るだろ」

「気が向けば竜を落とせるの、師匠くらいですよぉ……」

 

 ディエゴは鼻を鳴らし、噛みタバコを道ばたに吐き捨てた。

 三階建ての建物が並ぶ区画で、ディエゴが手を大きく上げた。停止する合図だ。後ろを歩くイザベルも、さらにその後ろを歩く竜たちも歩みを止める。

 降りた二人は手綱を引き、建物のギリギリまでワイバーンを寄せた。

 

 木の扉には、デフォルメされた竜と人が寄り添うデザインが、焼きごてで押されている。

 重たい押戸を蹴るようにして、ディエゴが中に入った。慌ててパタパタとした足取りで、イザベルも続く。

 

 薄暗い。そして獣とハーブが混ざった匂いがつんと鼻を突く。雑多なものが積み上げられた店内を、イザベルがきょろきょろと見回した。屈んで棚を覗く彼女の頭に、ディエゴが手を乗せる。

 

「あんまり見るなよ。呪物も置いてある」

「ひぇ」

 

 無造作に置かれた動物の頭蓋骨の眼窩から、蜘蛛がカサカサと這い出した。

 店の突き当たり。カウンターの奥で座っていた老人が、片眼鏡を指先でかけ直しながら、ゆっくりと立ち上がる。

 

「おお……久しいな……。ディエゴじゃあないか」

 

 炭で石を擦ったような、小さく掠れた声だ。

 

「よお。生きてて良かった。跡継ぎいないもんな。潰れてたらどうしようと思ったぜ」

「そのときはお前も大人しく竜騎士を引退しておけ。いつまで飛んでいるんだ、馬鹿たれ」

「道連れにすんなよ」

 

 老人はじとっとした目を向けた。

 

「いつか死ぬぞ」

「死なねぇさ。ずっとそうだっただろ。いいからモノ寄越せ。竜脂、携帯食料、火薬に鉛、火付け木。噛みタバコと、緑の粉もだ」

 

 ディエゴは銀貨の入った革袋を投げた。老人はそこからコインを六枚だけつまんで、残りをディエゴに投げ返した。

 ディエゴは受け取った袋からもう一枚とって、指で弾く。コインがカウンターの上でくるくると回った。

 

「葬式代の足しにしろ」

「ふん。どうせ共同墓地よ。人頭税は払っとる。役人が埋めてくれるさ」

 

 老人はつまらなそうに言いつつも、コインを手のひらで押さえて懐に入れた。

 カウンターの下からごそごそと引っ張り出した商品を、ずいっと片手で押し出す。受け取ったディエゴは、噛みタバコと緑の粉が入った小瓶だけポケットにしまい、残りをイザベルに手渡した。

 

「いいんですか!?」

「おっさんは、若者になんでも買ってあげたくなるんだ」

「師匠ーー!」

 

 イザベルは嬉しそうに物資を抱き締めくるりと回ったあと、携帯食料を嗅いで顔をしかめた。

 

「うっ」

「我慢だ。どうせ携帯食料はどれも不味い」

「うぅ。最期の晩餐は美味しいものが食べたかったです……」

「死なせねぇって言ってるだろうが。まぁ、少し良いモン食ってから出るか」

「本当ですか!?」

 

 ぱぁっと表情が輝いた。一人前の竜騎士らしからぬ表情だった。

 ディエゴは肩をすくめると、ドアノブに手を掛けて引く。その背中を、老店主の声が追いかけた。

 

「なぁ、ディエゴよ。戦争は終わったのに、まだランタンを緑に光らせてるのか。どこで戦うつもりだ?」

「可愛い弟子と、辺境に行くのさ。お守りはいるだろ?」

 

 

 ◇

 

 

 夕暮れどきの酒場は、定住していない労働者たちでごった返していた。

 天井に吊るされた竜脂ランタンが赤色の光を落す。男達はエールを胃袋に流し込んでは、油でぬめる大樽にゴブレットを叩き付けていた。

 

 旅慣れた商人たちのがなり声。食器を打ち付ける音。

 天井の高い建物だというのに、会話するためには全力で怒鳴らなければいけない。

 

「はいよ! コシードと挽き麦、それにワインとミルクだよ!」

 

 隅っこで大人しく待っていたディエゴとイザベルの前に、どんと音を立てて鉄鍋が置かれた。

 椅子などという甘えたものは、この酒場に存在しない。全員が立ち食い、立ち飲みだ。

 

 ディエゴは自分の前に置かれたワインをイザベルに寄越し、ミルクをたぐり寄せる。木皿に盛られた挽き麦を、コシード――ごった煮のシチューに似た料理に流し込んだ。

 

「わーい! ありがとうございます!」

 

 早速イザベルは、大きなスプーンでコシードを口に運ぶ。

 

「ほふっ、ほふっ……。ふえええ、味しないですよ……?」

 

 ごくりと嚥下し、涙目で首を傾げた。

 ディエゴは懐から白い小石のようなものとナイフを出した。眉をひそめ、ナイフで石を削りながら言う。

 

「なんで少し待てねぇんだ。貴重な塩が、庶民向けの店で使われてるわけねぇだろ。騎士団以外じゃ塩は自前が基本だ」

 

 がりりと音を立て、岩塩をコシードに振りかけていく。

 周囲の視線が岩塩、次いでディエゴ、そして彼が飲むミルクに注がれた。男たちの目が鋭くなった。

 

 全く気がつかない様子のイザベルは、ようやく味のついたコシードを頬張って、表情を蕩けさせた。

 

「美味しいです!」

「塩は美味いぞ」

「いつかお塩だけお腹いっぱい食べてみたいですねー!」

「……そんなに絶望してたのか?」

「え?」

 

 首を傾げるイザベルに、哀しそうな顔をしたディエゴは「いっぱい食え」と優しい声で言った。

 

 

 

 

 二人が店を出た頃には、すっかり太陽が島より低くに沈み、空は赤黒く染まっていた。

 

 ディエゴは腰につけたランタンの蓋を開くと、中に油紙で包んだ竜脂を入れた。その上に緑の粉を振りかける。宿の入り口に吊るされたランタンから、火付け木で炎を移した。

 ぱぁっと緑色の光が周囲に放たれる。二人の影が長く伸びた。

 

「よし。ジジイの店前戻って、すぐ飛び立つぞ」

「もうですか。ちょっと眠たいです」

「誘導する。鞍で寝とけ」

「はーい」

 

 ワイバーンは賢い。先を進む飛竜について行くよう指示すれば、その通りに飛んでくれる。

 

「ふわぁ。でも師匠、ぜんぜん歩けるくらいの明るさなのに、なんでランタンつけたんですか? 勿体ないですよ」

「まぁ……一応は警告だな」

「なんのですか?」

 

 イザベルが覗き込んだディエゴの顔は険しいものだった。緊張感が伝染し、背筋が伸びる。

 

「ほら、ああいう奴ら相手にな」

 

 道の先。四人の若い男たちが、通せんぼするように待ち構えていた。手には湾曲した短い刀――カットラスを抜き身で持っている。

 革の上着を羽織りヒゲを伸ばした、目つきの悪い男だちだ。平均的な、竜で旅をする武装商人の出で立ちである。

 

「よお、ミルクのおっさん。酒場で岩塩見せるなんて、不用心が過ぎるんじゃねえか?」

 

 嘲るような笑い声があがった。

 ディエゴは忌々しげに舌打ちを漏らす。

 

「知らねえ世代か」

「何をだよ。有名人でも気取ってんのか、酒も飲めねえカマ野郎がよ。痛い目見たくなけりゃ塩と金、女を置いてけ」

「そうか。鉛でもいいか?」

 

 緑の光に照らされた若者の顔が砕けた。一瞬遅れ、大きな破裂音が街にこだまする。血の赤とランタンの緑が混ざり、黒い影が散った。

 拳銃の先から漏れた硝煙が、ランタンの緑光をいやに強調していた。

 どさりと倒れた仲間の姿に男たちは狼狽える。

 

「なっ、う、撃ちやがった!?」

 

 ディエゴは表情ひとつ変えず、銀色に光る拳銃から弾倉を抜いた。

 単発式リボルバー、通称ハトメ抜き。本来六発ほど入る回転弾倉を、巨大な一発の弾だけ入れるように改造した、ドラゴンを殺すための銃だ。人間に撃つには過剰過ぎる、巨大な鉛玉を発射する。

 

「撃つだろ。戦争で何人撃ってきたと思ってんだ。中年の竜騎士で童貞はいねぇ」

 

 淡々とした口調だった。硝煙越しに見える惨劇に、イザベルは口を手で押さえた。

 男たちは震える手でカットラスを向ける。

 

「く、狂ってやがる……」

「わざわざ警告するために、こんな色に光ってるんだ。親切心を無視しておいて、被害者ぶるのは無しだろ」

「親切心だと!?」

 

 ディエゴは弾込めを終えた拳銃の先で、ランタンを叩いた。コーン、コーン、と場違いに朗らかな音が響く。

 

「緑のランタンを見れば、お前らの親世代は蜘蛛の子散らすように逃げたもんだがな」

「ま、まさか……」

 

 心当たりがあったのか、男の一人が口を大きく開いた。流れ出した汗がこめかみを伝い、ぽたりと地面に落ちる。

 

「――蛍火のディエゴ」

「知っていたようで何より」

 

 その名を口にした男はカットラスを投げ捨て、地面に膝をつき両手を高く挙げた。

 

「す、すまない。見逃してくれ」

「いいぞ、お前はな」

 

 銃声。状況を理解できず、いまだカットラスを構えていた一人がひっくり返る。

 見逃して貰った男が、最後の一人に向け必死で叫んだ。

 

「投降しろ! 勝てる相手じゃない、『最強の竜騎士ディエゴ』だ!」

「う、うそだろ……? いや、まさか……。ははは、ねえよ、そんなこと」

 

 ふらふらとディエゴに歩み寄った男は、再度の銃声と共に崩れ落ちた。

 もうもうと立ちこめる煙が、緑色の幕となって地獄絵図を覆い隠す。

 

 ディエゴはイザベルの震える肩に、ぽんと手を置いた。

 

「行くぞ」

 

 イザベルはぱくぱくと口を動かすが、言葉が出てこなかった。ただ硫黄臭い空気を吸って吐くばかりだ。促されるままに、覚束ない足取りで歩き出す。

 ディエゴは白けた顔で、噛みタバコを口に含んだ。

 

「そいつらも人頭税くらいは払ってるだろ?」

 

 悠々と立ち去るディエゴの背を、唯一の生き残りは呆然と眺めていた。股の下に水たまりが広がっていく。

 揺れる緑の光。霧がかった小川を飛ぶ蛍に似た、美しい光だ。だというのに、男は歯がかちかちと鳴るのを止められなかった。

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