空高く舞い上がったディエゴたちの眼下には、三色に塗り分けられた景色が広がっていた。
屋根瓦の朱色が鮮やかな王都。無数の尖塔が聳え立ち、灯火から立ち上る煙でぼんやりとした輪郭を見せている。
その周囲には、スラム街などを含む茶色の景色。乾燥した大地に、ぽつぽつとオリーブの木。
さらに外側には、まだ若い小麦が茂る農地の緑色が、延々と続いていた。
「さっむ……」
ディエゴは小さく呟き、ネックウォーマーを口元まで引き上げる。横方向に一文字のスリットが入った、木の板で作られたゴーグルを目に当てた。
単純な構造だが、強い太陽光と、冷たい風や砂嵐から目を守ることができる遮光器だ。
西に傾き始めた太陽を見上げ、ディエゴは叫んだ。
「おい、イザベル! ランタンの燃料は足りてるか?」
「無いです! お給料なくて買えてません!」
「あのカス共がぁ! 店のある島に寄って、補給するぞ! 辺境付近は島が少ねぇ。夜間飛行の備えがないと死ぬぞ!」
「死にたくないですぅ!!!!」
飛んでいるときの竜騎士は、常に全力で声を張り上げる。
風の音だけではない。竜騎士は野生の竜と区別がつくように、長い旗を掲げながら飛ぶため、はためく音が喧しいのだ。
「夕暮れには店も閉まる、急ぐぞ!」
手綱をしならせ、鞭のように打つ。二頭のワイバーンは速度を上げた。
既に王都の街並みは遙か遠くにあり、王島の端が見えている。イザベルの表情がかたくなった。
島から出るとき、多くの竜騎士は緊張に耐える必要があった。
振り返ったイザベルの目に、巨大な断崖とそこから落ちる濁った水が映る。濁流は空中で散り散りになり、遙か下で大きな雨雲を生み出していた。
人類は、空と海の狭間で生きている。大地などは、遠い昔の伝承に伝えられているだけの代物だ。
空中に浮かぶ島で暮らし、竜に乗って空を渡る。落ちては減るばかりの資源は、どこかから飛んでくる竜を狩ることで賄えた。
竜と飛び、竜を喰らう。そうして生き延びる人類にとって、島より下は未知の領域だ。覗くだけで恐怖がこみ上げてくる。
イザベルはちらりと下を見て、それから横を飛ぶディエゴの顔を見た。ディエゴは一切の気負いを感じない様子で、鞍の後ろに付けた荷物を漁っている。
小さな吐息ひとつ。イザベルは肩の力を抜いて、再び前を見た。
◇
王島にほど近く栄えている島の上空を三度旋回してから、ディエゴたちは地上に降り立った。
三度の旋回は竜騎士の到着を知らせる。商人なら五回、旅人なら七回だ。旋回しない竜は落されても文句が言えない。
薄いベージュ色のレンガが多用された、古くさい街並みだ。建物の上の方は、煙突から出た煙で黒く汚れていた。
ディエゴたちはワイバーンを連れたまま、竜二頭がすれ違える広い道を進む。
「師匠ー。ドラゴンライダー、多くないですか?」
すれ違う商人を見て、イザベルが不思議そうに訊ねた。
四脚で、前肢の肩から翼が生えているドラゴン。その体型は四足歩行の動物らしく、がっしりと屈強で、重たそうな印象を受ける。事実、ドラゴンはワイバーンより飛行能力で劣る。
「この辺だけで商売してる、地回りの商人だろうな。ドラゴンは空では不器用だが、パワーがある。陸上輸送が多い商人はドラゴンを好みがちだ」
「へぇー。ドラゴンは大食らいなのに、よく飼えますね」
「肉なんてその辺で手に入るだろ」
「気が向けば竜を落とせるの、師匠くらいですよぉ……」
ディエゴは鼻を鳴らし、噛みタバコを道ばたに吐き捨てた。
三階建ての建物が並ぶ区画で、ディエゴが手を大きく上げた。停止する合図だ。後ろを歩くイザベルも、さらにその後ろを歩く竜たちも歩みを止める。
降りた二人は手綱を引き、建物のギリギリまでワイバーンを寄せた。
木の扉には、デフォルメされた竜と人が寄り添うデザインが、焼きごてで押されている。
重たい押戸を蹴るようにして、ディエゴが中に入った。慌ててパタパタとした足取りで、イザベルも続く。
薄暗い。そして獣とハーブが混ざった匂いがつんと鼻を突く。雑多なものが積み上げられた店内を、イザベルがきょろきょろと見回した。屈んで棚を覗く彼女の頭に、ディエゴが手を乗せる。
「あんまり見るなよ。呪物も置いてある」
「ひぇ」
無造作に置かれた動物の頭蓋骨の眼窩から、蜘蛛がカサカサと這い出した。
店の突き当たり。カウンターの奥で座っていた老人が、片眼鏡を指先でかけ直しながら、ゆっくりと立ち上がる。
「おお……久しいな……。ディエゴじゃあないか」
炭で石を擦ったような、小さく掠れた声だ。
「よお。生きてて良かった。跡継ぎいないもんな。潰れてたらどうしようと思ったぜ」
「そのときはお前も大人しく竜騎士を引退しておけ。いつまで飛んでいるんだ、馬鹿たれ」
「道連れにすんなよ」
老人はじとっとした目を向けた。
「いつか死ぬぞ」
「死なねぇさ。ずっとそうだっただろ。いいからモノ寄越せ。竜脂、携帯食料、火薬に鉛、火付け木。噛みタバコと、緑の粉もだ」
ディエゴは銀貨の入った革袋を投げた。老人はそこからコインを六枚だけつまんで、残りをディエゴに投げ返した。
ディエゴは受け取った袋からもう一枚とって、指で弾く。コインがカウンターの上でくるくると回った。
「葬式代の足しにしろ」
「ふん。どうせ共同墓地よ。人頭税は払っとる。役人が埋めてくれるさ」
老人はつまらなそうに言いつつも、コインを手のひらで押さえて懐に入れた。
カウンターの下からごそごそと引っ張り出した商品を、ずいっと片手で押し出す。受け取ったディエゴは、噛みタバコと緑の粉が入った小瓶だけポケットにしまい、残りをイザベルに手渡した。
「いいんですか!?」
「おっさんは、若者になんでも買ってあげたくなるんだ」
「師匠ーー!」
イザベルは嬉しそうに物資を抱き締めくるりと回ったあと、携帯食料を嗅いで顔をしかめた。
「うっ」
「我慢だ。どうせ携帯食料はどれも不味い」
「うぅ。最期の晩餐は美味しいものが食べたかったです……」
「死なせねぇって言ってるだろうが。まぁ、少し良いモン食ってから出るか」
「本当ですか!?」
ぱぁっと表情が輝いた。一人前の竜騎士らしからぬ表情だった。
ディエゴは肩をすくめると、ドアノブに手を掛けて引く。その背中を、老店主の声が追いかけた。
「なぁ、ディエゴよ。戦争は終わったのに、まだランタンを緑に光らせてるのか。どこで戦うつもりだ?」
「可愛い弟子と、辺境に行くのさ。お守りはいるだろ?」
◇
夕暮れどきの酒場は、定住していない労働者たちでごった返していた。
天井に吊るされた竜脂ランタンが赤色の光を落す。男達はエールを胃袋に流し込んでは、油でぬめる大樽にゴブレットを叩き付けていた。
旅慣れた商人たちのがなり声。食器を打ち付ける音。
天井の高い建物だというのに、会話するためには全力で怒鳴らなければいけない。
「はいよ! コシードと挽き麦、それにワインとミルクだよ!」
隅っこで大人しく待っていたディエゴとイザベルの前に、どんと音を立てて鉄鍋が置かれた。
椅子などという甘えたものは、この酒場に存在しない。全員が立ち食い、立ち飲みだ。
ディエゴは自分の前に置かれたワインをイザベルに寄越し、ミルクをたぐり寄せる。木皿に盛られた挽き麦を、コシード――ごった煮のシチューに似た料理に流し込んだ。
「わーい! ありがとうございます!」
早速イザベルは、大きなスプーンでコシードを口に運ぶ。
「ほふっ、ほふっ……。ふえええ、味しないですよ……?」
ごくりと嚥下し、涙目で首を傾げた。
ディエゴは懐から白い小石のようなものとナイフを出した。眉をひそめ、ナイフで石を削りながら言う。
「なんで少し待てねぇんだ。貴重な塩が、庶民向けの店で使われてるわけねぇだろ。騎士団以外じゃ塩は自前が基本だ」
がりりと音を立て、岩塩をコシードに振りかけていく。
周囲の視線が岩塩、次いでディエゴ、そして彼が飲むミルクに注がれた。男たちの目が鋭くなった。
全く気がつかない様子のイザベルは、ようやく味のついたコシードを頬張って、表情を蕩けさせた。
「美味しいです!」
「塩は美味いぞ」
「いつかお塩だけお腹いっぱい食べてみたいですねー!」
「……そんなに絶望してたのか?」
「え?」
首を傾げるイザベルに、哀しそうな顔をしたディエゴは「いっぱい食え」と優しい声で言った。
◇
二人が店を出た頃には、すっかり太陽が島より低くに沈み、空は赤黒く染まっていた。
ディエゴは腰につけたランタンの蓋を開くと、中に油紙で包んだ竜脂を入れた。その上に緑の粉を振りかける。宿の入り口に吊るされたランタンから、火付け木で炎を移した。
ぱぁっと緑色の光が周囲に放たれる。二人の影が長く伸びた。
「よし。ジジイの店前戻って、すぐ飛び立つぞ」
「もうですか。ちょっと眠たいです」
「誘導する。鞍で寝とけ」
「はーい」
ワイバーンは賢い。先を進む飛竜について行くよう指示すれば、その通りに飛んでくれる。
「ふわぁ。でも師匠、ぜんぜん歩けるくらいの明るさなのに、なんでランタンつけたんですか? 勿体ないですよ」
「まぁ……一応は警告だな」
「なんのですか?」
イザベルが覗き込んだディエゴの顔は険しいものだった。緊張感が伝染し、背筋が伸びる。
「ほら、ああいう奴ら相手にな」
道の先。四人の若い男たちが、通せんぼするように待ち構えていた。手には湾曲した短い刀――カットラスを抜き身で持っている。
革の上着を羽織りヒゲを伸ばした、目つきの悪い男だちだ。平均的な、竜で旅をする武装商人の出で立ちである。
「よお、ミルクのおっさん。酒場で岩塩見せるなんて、不用心が過ぎるんじゃねえか?」
嘲るような笑い声があがった。
ディエゴは忌々しげに舌打ちを漏らす。
「知らねえ世代か」
「何をだよ。有名人でも気取ってんのか、酒も飲めねえカマ野郎がよ。痛い目見たくなけりゃ塩と金、女を置いてけ」
「そうか。鉛でもいいか?」
緑の光に照らされた若者の顔が砕けた。一瞬遅れ、大きな破裂音が街にこだまする。血の赤とランタンの緑が混ざり、黒い影が散った。
拳銃の先から漏れた硝煙が、ランタンの緑光をいやに強調していた。
どさりと倒れた仲間の姿に男たちは狼狽える。
「なっ、う、撃ちやがった!?」
ディエゴは表情ひとつ変えず、銀色に光る拳銃から弾倉を抜いた。
単発式リボルバー、通称ハトメ抜き。本来六発ほど入る回転弾倉を、巨大な一発の弾だけ入れるように改造した、ドラゴンを殺すための銃だ。人間に撃つには過剰過ぎる、巨大な鉛玉を発射する。
「撃つだろ。戦争で何人撃ってきたと思ってんだ。中年の竜騎士で童貞はいねぇ」
淡々とした口調だった。硝煙越しに見える惨劇に、イザベルは口を手で押さえた。
男たちは震える手でカットラスを向ける。
「く、狂ってやがる……」
「わざわざ警告するために、こんな色に光ってるんだ。親切心を無視しておいて、被害者ぶるのは無しだろ」
「親切心だと!?」
ディエゴは弾込めを終えた拳銃の先で、ランタンを叩いた。コーン、コーン、と場違いに朗らかな音が響く。
「緑のランタンを見れば、お前らの親世代は蜘蛛の子散らすように逃げたもんだがな」
「ま、まさか……」
心当たりがあったのか、男の一人が口を大きく開いた。流れ出した汗がこめかみを伝い、ぽたりと地面に落ちる。
「――蛍火のディエゴ」
「知っていたようで何より」
その名を口にした男はカットラスを投げ捨て、地面に膝をつき両手を高く挙げた。
「す、すまない。見逃してくれ」
「いいぞ、お前はな」
銃声。状況を理解できず、いまだカットラスを構えていた一人がひっくり返る。
見逃して貰った男が、最後の一人に向け必死で叫んだ。
「投降しろ! 勝てる相手じゃない、『最強の竜騎士ディエゴ』だ!」
「う、うそだろ……? いや、まさか……。ははは、ねえよ、そんなこと」
ふらふらとディエゴに歩み寄った男は、再度の銃声と共に崩れ落ちた。
もうもうと立ちこめる煙が、緑色の幕となって地獄絵図を覆い隠す。
ディエゴはイザベルの震える肩に、ぽんと手を置いた。
「行くぞ」
イザベルはぱくぱくと口を動かすが、言葉が出てこなかった。ただ硫黄臭い空気を吸って吐くばかりだ。促されるままに、覚束ない足取りで歩き出す。
ディエゴは白けた顔で、噛みタバコを口に含んだ。
「そいつらも人頭税くらいは払ってるだろ?」
悠々と立ち去るディエゴの背を、唯一の生き残りは呆然と眺めていた。股の下に水たまりが広がっていく。
揺れる緑の光。霧がかった小川を飛ぶ蛍に似た、美しい光だ。だというのに、男は歯がかちかちと鳴るのを止められなかった。