東の空。
枯れ葉に意思があるならば、きっとこのように飛ぶのだろう。イザベルとワイバーンは、翼を広げっぱなしにし、乱気流の一筋一筋を器用に乗り換えた。
不安定で、予測不可能。三次元的に、あらゆる方向に滑りブレて舞い踊る。
二頭の島落としが一生懸命に羽ばたきながら、小さな竜を追い回していた。だが、いかなる攻撃もイザベルに届かない。
ペドロは口を大きく開き、イザベルの曲芸飛行を眺めていた。
「凄い……!」
「見てる場合じゃないよ。こっちにも来るから」
オセロがペドロの手綱を下から奪った。
「ちょっと、何を!?」
焦るペドロを見て、オセロが小さく笑う。
「実戦経験、ほとんどないよね? 変に自己判断したら、お粥になるよ。ほら、一頭こっちに来てる」
イザベルは二頭の島落としを翻弄している。ということは、自由な島落としが一頭いるということ。
暴力性の迸《ほとばし》る相貌《そうぼう》が、オセロとペドロに向けられていた。
「に、逃げないと……!」
「何言ってるの」
ペドロが叫ぶ。その声をぴしゃりとオセロが遮った。
オセロはドラゴンを滞空させ、島落としと正対する。巻き添えでペドロも正対させられた。
「何してるんですか!? まずいですよ!?」
「逃げる方がどうかしてるよ。ドラゴンライダーでしょ? ぶつかるのがドラゴンの仕事だよ!」
「ダメだ、話にならない……」
ペドロは顔を青ざめさせ、震える手でライフルを構える。
「ふっ……」
「何がおかしいんですか!?」
鼻で笑ったオセロに、必死の形相で噛み付く。
「そんなの、ドラゴンライダーのすることじゃないよ。鱗も割らずに飛び道具撃ってどうするの?」
「ぐっ!?」
「ディエゴもイザベルも、ワイバーンライダーなのにわかってるよ。君もちゃんと、誰かに教えてもらえたら良かったんだけどね。……じゃあ、見てて」
手綱が引かれた。オセロは鐙に爪先を乗せ、腰を浮かせる。前のめりな姿勢でアトラトルを構えた。
正面から迫る島落としに向かって、オセロのドラゴンが加速していく。お互いの速度を乗せて、ぐんぐんと距離が縮まっていった。
圧倒的な体格差だ。オセロのドラゴンは、島落としよりも頭三つ分は小さい。
衝突の結末は明白だというのに、あまりに躊躇のない突撃だった。
島落としが拳を振りかぶる。対してオセロがとった行動は単純だった。
――歯を食いしばる。
ただ、それだけだ。
四脚の殴打に特化した生物、ドラゴン同士が激突した。拳が互いの体を抉り合う。
オセロの騎竜は首を仰け反らせ、鱗と歯と鮮血を飛び散らせた。一方で、島落としは胸の鱗が割れただけ。さしたるダメージを受けていない。
凄まじい衝撃。慣性の法則に従い、オセロの体が前方に投げ出された。
その位置、まさに島落としの胸元だ。アトラトルが風を切る。至近距離から、超高速の槍が放たれた。
黒曜石の刃が肉を裂き、肋骨を滑り、肺に突き刺さる。
自由落下を始めたオセロを、島落としの吐いた大量の血が追いかけた。
落ち行く主人を、ドラゴンが白目を剥きながら救いに行く。オセロは手綱を捕まえ、くるりと体を回して騎竜の背に復帰した。
騎竜の羽ばたきは弱々しい。首を垂らし、少しずつ高度を下げていく。口から黒く粘つく油を、反吐のようにごぷごぷと垂らしていた。
「よしよし、よく頑張ったね」
オセロはドラゴンの首を優しく叩く。
ドラゴンは闘志に満ちた生物だ。自分より格上でも、巨体であろうとも、戦うと決めれば果敢に挑んでいく。ならば、ドラゴンライダーもそれに寄り添うのだ。
彼らの背に乗り力を借りるのであれば、人もまたドラゴンと同じ心を持たねばならない。
落ちていきそうになるドラゴンの体が、ふわりと風に押し上げられた。
オセロの前に、炎の槍を構えたワイバーンが現われる。纏う風に引っ張られるように、ドラゴンの高度が上がり始めた。
オセロの表情がぱっと輝く。
「ディエゴ!!」
「ナイスパンチだ、ドラゴンライダー!」
「いつも通りだよ!」
二人は楽しそうに笑った。それから、愕然としているペドロの前まで上昇する。
ディエゴはジャッカルの被り物を少しだけ持ち上げた。
「なんだこいつ? どこの隊だ?」
ペドロは口を魚のようにぱくぱくとしながら、掠れた声で言う。
「緑の、ランタン……」
「おお知ってたか。若いのにしっかりしてるじゃねえか!」
「流石に知ってますよ。いやでも、その格好は……?」
嬉しそうに笑うディエゴに、ペドロが恐る恐るといった様子で問いかけた。
「ああ、これか? ナステカ島に心を置いた証明みたいなもんだ。第二竜騎士団のクソ共が、うちの可愛い弟子を追放してくれやがったからな。お、噂をすればめっちゃ活躍してるじゃねえか」
島落とし二頭を手玉に取りながら、イザベルは的確な銃撃を加えていく。島落としの顔面はボロボロになっていた。
ディエゴは手の中でゆっくりと槍を回しながらぼやく。
「下で敵前逃亡中だった第二の阿呆共を、教会騎士と貧民とでドツき回したんだけどよ。イザベルがいりゃ、あんな惨めなことにならなかったろうな。島落とし複数の気を引けるんだから」
ペドロの表情が、名状しがたい複雑なものになった。
第二竜騎士団の末路。イザベル追放という大失敗。同時に突きつけられ、処理しきれなかったのだろう。
ディエゴは首を傾げた。
「そういえば、お前の所属訊いてなかったな。どこだ?」
ペドロは体をびくりと強ばらせ、上ずった声で答える。
「だ、第一竜騎士団です」
「そうか。第二だったら突き落としてた。はははは!」
大嘘をついたペドロの顔を、冷や汗が滝のように流れた。
楽しそうに振る舞うディエゴだが、その目は笑っていない。視界の隅にペドロを捉え続けていた。圧を感じたのか、ペドロは背筋を伸ばして口を引き結ぶ。
ディエゴは「ふん」と小さく鼻を鳴らすと、槍でイザベルを指した。
「上手いもんだ。俺が乗り方を教えた頃より、よっぽど実戦慣れしてる」
イザベルは横殴りの風を恐れず、平気で鞍の上に立つ。己の
「随分と王都の空を飛んでたんだろうな。どう飛べばいいのか、騎竜も意図を理解出来ている。よほど長い時間を一緒に過ごしたんだろう」
竜は生き物であって道具ではない。
彼らの生態に合わせた運用をし、世話をして顔と声を覚えさせ、何度も一緒に飛んで互いの癖を理解し合う必要がある。
「もう一生分飛んだ空にあいつがいて……崩壊した騎士団の代わりに戦っているだなんて、変な話だと思わねえか?」
話を振られたペドロは答えを返すことが出来なかった。ディエゴは、そもそも返事を期待していない様子で続ける。
「あいつは根っから真面目なんだよ。図々しいが、それも真面目にスラムを生きてきたからだ」
槍の穂先が地上に向けられた。
「教会の奴らもそうだ。善とか悪とかじゃなくて、一生懸命で真面目なんだ。どいつもこいつも悪人寄りだが、真面目なんだ。おい、ガキ」
「は、はい」
ディエゴは不思議と風雨の中でも通る声で、淡々と言う。
「どんな環境やどんな状況に身を置かれたとしても、そういう奴らを見捨てるのは、ダサい格好付けでしかないよな。きっといつか後悔する」
「……そう、ですかね」
「そうだ。どうせいつかは落す命だ。後悔したくねえよな。はいと言え」
「はい」
そして、槍の穂先は島落としへ。燃える大竜角の赤と、ランタンの緑が雨滴にグラデーションの輝きを投じた。
「俺が来たからには、空はもう大丈夫だ。オセロと地上を守れ。王城跡地に教会の竜騎士がいるはずだ、合流しろ」
「案内、お願いね?」
ペドロは弱々しく頷く。最後に視線をイザベルに向け、眩しそうに目を細めてから、ゆっくりと降下を始めた。
オセロがディエゴに言う。
「ごめんね、もう少し空で手伝ってあげたかったんだけど」
「島落としの単独撃破してるんだ。文句なんかねえさ。地上なら抱き上げて回してやるくらいだ」
「そう。なら良かった。あと……その被り物、似合ってるよ。じゃあ、また後でね!」
ディエゴはふらふらと高度を下げていくオセロを、微妙な顔で見送った。ジャッカルの被り物を手で撫でる。
「褒められるほど自信がなくなるファッションなんて初めてだ」
槍を軽く持ち上げてから、島落としに向けすっと降ろした。意を汲んだワイバーンが急加速する。あっという間にイザベルの隣に並んだ。
イザベルが表情を明るくする。
「師匠! サンチョ司教は大丈夫でしたか?」
「なんか楽しそうだったな。今度ナステカ島に遊びに来るらしいぞ」
「うわぁ、楽しみです! 美味しいもの食べていって欲しいですね!」
闘竜状態の島落としが飛び掛かるが、二人は同時に上下に分かれて回避し、空振りを見届けてからまた合流した。
「とりあえず順調そうだから任せていいか?」
「そんなことないですよ! 結構怖いんですからね!?」
「何がだよ」
「顔です!!」
イザベルが大真面目に指さす先には、撃たれすぎてボコボコになった島落としの顔があった。傷つき腫れ上がり、怒り狂っている。怖くなったのはイザベルのせいだ。
「あーあ、さっさと仕留めねえからだ」
「二体一ですし! サシなら出来てますし! たぶん!」
「サシでも変わらねえだろ。遠くからチクチクやるからだ。接近戦したがらないの、そろそろ真面目に直せ」
「うぅ、はーい」
ディエゴは呆れた顔で短く息を吐いた。
「一頭だけ手伝う。あとは自分で出来るな?」
「あともなにも、同時ですよ。一気に仕留めちゃいましょ!」
二頭のワイバーンが、同時に垂直上昇を始めた。突然の動きに対応しきれず、島落としの体が水平に流れる。
頭上をとった二騎は、宙返りしながら島落としの背中を襲った。
同じ風に乗った、二頭同時の急降下襲撃。島落としの後頭部に鉤爪が突き刺さる。
あまりの衝撃に空中で回転しながら、島落としたちが叩き落とされていく。吹き出した血が螺旋の軌跡を描いた。
東の空に残るのは、中小のドラゴンだけである。
ディエゴは眉を寄せ、首を傾げた。
「――なんだ?」
「どうしました? あとは弱いの落して終わりですよね?」
「いや、雲が全く晴れねえ。だいぶ島落としを殺したはずだ。完全に晴れずとも、もう少し雲が薄くなるはずなんだが……?」
怪訝な顔で空を見上げる。ディエゴの目が、西の空に垂れ込める一際濃い雲に向けられた。
「なんか……。なんか、あの雲変だな。あれを避けるように竜騎士達が動いている」
「あれですか。ついさっきから、少しずつ降りてきてるんですよね」
「降りてきてる、か」
ディエゴは弾薬の入ったポーチを外し、イザベルの斜め上を飛びながら手放す。イザベルは器用に手を伸ばしキャッチした。
「あの中が本陣だ。向こうの空、ちょっと様子見てくる」