ディエゴは視線を島落としに戻す。体長二〇メートルはありそうな巨竜は、蝿のように顔の周囲を飛び回るイザベルを殺そうと、我武者羅に拳を振り回していた。
イザベルは器用にワイバーンの背に立ち、再度マスケットに銃弾を込める。
「火力不足か?」
ディエゴは首を傾げた。
不安定な姿勢から放たれた銃弾は、間違いなく島落としの眼に命中している。糸を投げて針の穴に通すような神業だ。しかし血の一滴も流れていなかった。
眼球を覆う透明な膜――瞬膜が厚すぎる。
真上から頸椎に当てれば衝撃で昏倒させられる場合もあるが、下に人里があるときには避けるべき行為だ。有効打が不足している。
「攻撃が通ってない。でも、上手いね」
自由に空を飛び、射撃しながら全ての攻撃を回避するイザベルを見て、オセロは感嘆の声を漏らした。
ディエゴは自慢げに言う。
「俺の弟子だ。良い腕だろ。陽動しているウチに仕留めたらどうだ? 戦果は譲るぞ」
オセロは投げ斧を槍に持ち替えた。先端には鋭い黒曜石の刃が付けられている。手綱を放し、鞍の突起を握りしめた。
「袋叩きは戦士の流儀ではないけど……島落としにそんな悠長は言ってられないもんね。お言葉に甘えて!」
前傾姿勢でぴったりとドラゴンの背に貼り付いた。それが合図なのか、人竜一体となって島落としに向け一直線に飛翔していく。
それをディエゴは目を細めて見送った。
「さて、ナステカ人のお手並み拝見といこうか」
既にオセロは声も届かぬ位置にいる。
矢のように愚直な突進だ。水色のドラゴンは慣性に身を委ね、翼を畳む。そのまま腕を広げ、イザベルを目で追っていた島落としに、大鎌のようなラリアットをぶちかました。
緑の鱗が嵐の空に舞う。
オセロは歯を食いしばり、激突の衝撃に耐えながら片手で槍を放った。
仰け反った島落としの首に、黒く鋭い刃が深々と突き刺さる。まさに今の衝突で堅固な鱗が砕けた場所だった。
相手に肉薄し、強烈な打撃を加える。それから騎乗した人間が追撃するという、お手本のようなドラゴンライダーの戦い方だ。
人並み外れた筋力を持つ者だけが実現できる、戦士の一撃。
だが、成体になったドラゴンはそれすらも耐える。島落としは血を吹き出しながら、表情を映さぬ目でオセロを見下ろした。
凶相を浮かべた顔面に、鉛玉がめり込む。素早く飛んできたイザベルが撃ったのだ。
イザベルは速度を緩めながら、宙で上下反転する。オセロの手綱を掴み、誘導するように引っ張った。
「師匠! 闘竜状態、来ます!」
「イザベル。騎士団で闘竜とは戦ったか?」
「いえ、まだです。島落としクラスは第一竜騎士団が出てくれてました! 島落としが出ると休めたんですよね、ふへへ」
「壊れてんなぁ」
のんびりと話す竜騎士たち。彼らと離れたところで、島落としが目を閉じる。
傷つき血を流す巨竜。その肉に、翼に、力が込められる。筋肉の姿が見えるほどに、鱗が押し上げられた。
積乱雲が降りてくる。雲で視界が薄く煙り、じっとりと衣服が重たくなった。
ワイバーンすら押し流されるほどの暴風が渦巻く。
オセロは被り物のジャッカルの口を狭めた。
「これが闘竜……!」
成体のドラゴンを追い込むと、全身の筋肉を怒張させ、嵐の中に身を隠す。身体能力が上がり、反射神経まで向上する。
新米竜騎士を何千人と叩き落としてきた、ベテランへの登龍門だ。
徐々に強まる風に、オセロのドラゴンが流され始める。支えるようにイザベルのワイバーンが寄り添った。
その隙だらけの姿を、島落としの縦に裂けた瞳孔が捉えた。
巨大な翼が、風を掴む。
一振りが力強く、一気に体を進めた。
口の端から火の粉を漏らしながら、振りかぶった拳の先をイザベルに向ける。
イザベルは歯を食いしばり、オセロは目を見開いた。
「くっ……!?」
「はっや……」
二人の声が形になったときには、既に島落としは目と鼻の先。死をもたらす射程圏内だ。倍以上の体格差を持つドラゴンの拳が迫る。
「なぁ、おい。緑色同士で仲良くしようぜ?」
――緑のランタンが揺れた。それも、島落としの眼前で。
横殴りの風に乗って現われたディエゴが、大きな鼻の穴に腕を突っ込む。
島落としは目を見開き、体を硬直させた。
「ばん」
半笑いの声に合わせ、くぐもった銃声が轟く。島落としの眉間がぼこりと膨らみ、動きが止まった。
さらに追い打ちとばかりに、顔面目掛けてワイバーンが炎を吐きかける。
島落としは顔を押さえて体をうねらせた。当てずっぽうに振り抜かれた拳が空を切る。
「イザベル! 闘竜を殺るときにはなぁ」
木の葉のように、赤褐色のワイバーンが宙を踊る。緑の光が複雑な軌道を描いていた。
「風に乗るんだ」
島落としは顔を覆った指の間から、頭上を掠めるように近づいては離れ、うろちょろと飛ぶ緑の光を睨みあげた。
胸を膨らませ、火炎の狙いを定める。
積乱雲の切れ間に、一瞬だけワイバーンが姿を晒した。その背にディエゴの姿はない。鞍の横に、緑のランタンだけがぶら下げられていた。
島落としは瞬膜をしばたかせ、消えたディエゴを探すように首を振る。
「尋ね人は俺かい?」
巨大故に死角が多い。硬い故に感覚が鈍い。
そんな巨竜の後頭部にディエゴはしがみついていた。
黄金の弾が装填された拳銃を、一発目の射撃で柔らかくなった眉間に押し当てる。
「恵みの雨に感謝するぞ、島落とし。次はお前が落ちろ」
対竜リボルバー『ハトメ抜き』が火を噴いた。通称そのままに、皮にまるい穴を穿つ。
――風が、止んだ。
巨大な口の端から薄い炎が漏れる。
切れ切れになった雲の合間から、陽光が差し込んだ。
島落としの瞳が、頭上のディエゴを探すようにゆっくりと上を向く。そのままぐるんと裏返り、白目になった。
光の柱の中央で、ディエゴは息絶えた巨竜の上に立つ。
オセロは目を見開き、囁くような声で呟いた。
「太陽《トナティウ》」
重力の手に引かれ、島落としの死骸とディエゴは自由落下を始める。すぐさま赤褐色のワイバーンが飛び込み、島落としの翼を鷲掴みにした。
ワイバーンの後脚は猛禽類のそれに似ている。湾曲した爪が、深々と鱗に食い込んだ。
「あーー、この火薬ションベンくせぇなぁ。だが煤は少ねぇか。善し悪しだな」
ディエゴは老人から買った火薬に文句を言いながら、拳銃をホルスターにしまう。器用にするするとワイバーンの体をよじ登り、鞍におさまった。
ディエゴとワイバーンの高度が少しずつ下がっていく。支えて飛ぶには、島落としが重すぎるのだ。
「滑空して着陸したい! オセロ、案内頼めるか!?」
しばらく惚けた顔をしていたオセロが、はっとしながら顔を小さく振った。考えを振り払ったのか、改めて元気よく返事をする。
「もちろん! 旋回降下するよ!」
「了解、イザベルは上から支援だ! 俺がバランス崩したら拾ってくれ!」
「承知しましたぁ!」
空中を滑りながら、少しずつ隊列が整えられていく。即興とは思えないほど綺麗に、三頭の竜が並んだ。
翼をぴんと横に伸ばし、最小限の羽ばたきで少しずつ地上を目指していく。
ディエゴはゴーグルを外し、濡れた顔を手で拭った。迫るナステカ島を見下ろし、感嘆の溜息を漏らす。
「それにしても、でっけぇ島だな……」
遙か上空から見下ろしても、ナステカ島の全景を見ることはかなわない。
手前には霧で煙る山脈、奥には果ての無い密林。砂漠なのか、赤茶けた大地も遠くに朧気な姿を見せていた。
オセロが槍で正面を指す。
「私たちの集落はあの山脈にあるから、着陸は早いよ! 進行方向正面にある峰の真下って感じ!」
「なんかあるな。建物か?」
「神殿だね!」
連なる巨大な山脈には、幾つもの深い渓谷が刻まれている。急斜面のひとつを抉るようにして、灰色のピラミッドが建てられているのが見えた。
オセロはゆっくりと槍の矛先を動かし、数秒あとに進路を変える。意図を汲み取ったディエゴとイザベルも同じように旋回を始めた。
急峻な峰を回り込むように、山脈の上で一回転。ようやくディエゴの目にも、高山につくられた都市の全景がはっきり映った。
山の比較的平坦な場所に、ひしめくように建物が置かれている。都市の切れ端が、梯子《はしご》状の道で繋がれていた。
そのうちの、尾根に沿うように真っ直ぐ伸びた道に向かって、ぐんぐんと高度を下げていく。
地上を行き交う人々は空を見上げ、道を空けるよう左右に動いた。
草木の緑。削られ踏まれた地面の暗灰色が迫る。
垂れ下がった島落としの尾が、地面に掠り砂埃を巻き上げた。がりがりと擦る硬質な音を聞き、ディエゴが手綱を振って合図する。ワイバーンは爪を離し、獲物を投下した。
地鳴りのように重たい音を立てながら、島落としが地面を転がる。
続けて三人の竜騎士も着陸を果たした。
ディエゴは鞍から飛び降りると、労うようにワイバーンの首を叩く。ワイバーンは顔をディエゴのツナギに擦りつけた。
「よしよし、よく飛んだ。重たかっただろ!」
ディエゴは笑いながら、飛行帽を脱いだ。額には汗が浮かんでいる。
同じように降りたイザベルが、苦しそうに深く呼吸をしていた。心配するように寄り添うワイバーンの顔を抱きしめ、目を閉じて息を整える。
凄まじい湿気だった。
強烈な緑の匂いを含んだ風が、低地の密林から尾根に向かって吹き上がってきている。むせかえるような命の気配が、そこかしこから濃密に漂っていた。
オセロもジャッカルの被り物を脱いだ。額の汗を拭い、微笑む。
褐色の肌に、黒く真っ直ぐな髪。やや平たい顔つきだが、溌剌とした印象の瞳には、独特な魅力があった。
ディエゴ達の出身地カスティラ王国から遙か東に住む、極東人に似た顔つきをしている。
「暑いよね。本当はもっと涼しいんだけど……島落としが来ると、急に暑くなるんだ」
「山脈に風がぶつかるからだろう。それにしても、若いな。もっと熟練したドラゴンライダーだと思っていた」
年の頃は二〇あたりだろう。若さや初々しさを残していながら、立派な大人の顔つきをしている。いや、オセロの場合は戦士の顔というべきかもしれない。
オセロは苦笑いした。
「前回の竜星軍で、ベテランの竜騎士がたくさん戦死したからね。生き残りの竜騎士は、王がいる平地の都市に集められちゃったんだよ」
「ああ、竜星軍か。それは仕方がないな」
竜星軍。誰もが恐れる最悪の災害だ。
大空の遙か先のワイバーンですら届かない高空から、ドラゴンの群れが落ちてくる。数頭から数十頭にも及ぶ島落としを中心に、無数のドラゴンが流れ星のごとく降り注いでくるのだ。
有効な対処ができなければ、呆気なく島は落される。文字通り破壊され尽くした瓦礫となって、未知の下界へと崩れ落ちていき、残るのは虚無の空だけだ。
ナステカ島が残っているということは、迎撃に成功したのだ。
若い女性竜騎士が単騎で島落としに挑むような状況になっていようと――それでも、この島は竜星軍の討伐に成功した。
ディエゴは胸の前で十字を切る。
「役目を果たしたナステカの戦士たちに敬意を」
「ありがとう。彼らは今、太陽の勝利を導いているんだ」
オセロは異なる宗教儀式に何も言わず、ただ感謝した。ふらふらのイザベルも十字を切る。
ディエゴは道の真ん中に放り捨てた島落としを、親指の先で指した。
「で、問題はアレをどうするかだな。集落は近いのか?」
「すぐ近くだよ。地上では私のドラゴンが引っ張ろう」
ディエゴは静かに頷いた。戦利品の分配などについては、何も話そうとしない。
イザベルが何かを言いかけたが、すぐにディエゴの分厚い手で口を塞がれた。
「こういうときには、流れってもんがあるんだよ。ちゃんと見て、覚えておくと良い」
イザベルは顔を赤くしながら、ディエゴの手を剥がす。一生懸命に息を吸いながら、こくこくと頷いた。