空中ではいささか頼りないドラゴンだが、地上に降りてしまえば無類の力強さを発揮する。島落としの尾に括り付けた縄をオセロのドラゴンが咥え、地響きを鳴らしながら引きずっていた。
イザベルはその迫力に満ちた後ろ姿を見て、呆れた表情を浮かべる。
「師匠、めちゃくちゃ鱗剥がれてますよ……?」
「手間が省けるな。王島でやったら砂埃が酷すぎて苦情の嵐だろうが」
王島では基本的にソリに載せるか、頭側にロープを結わい付ける。その方が抵抗が少なく楽なのだ。
周囲をちょろちょろと駆け回る現地の子どもたちが、拾った鱗をディエゴに見せた。
「おじさん、あとで渡すね!」
「要らねえさ。拾った奴が持ち帰んな。なんかしら使えるだろ?」
「いいの?」
「ああ。俺らはお邪魔してる身だからな」
「ありがとう!」
一抱えほどもある巨大な鱗を抱えた少年は、花開くような笑顔を浮かべる。スカートとポンチョを翻しながら、後ろを歩く大人たちのところへ駆けていった。
「いいんですか? 師匠ってやたらと気前良いですよね。あ、いや。そのおかげで私も暮らしていけたので、不満とかはないんですけど」
イザベルは首を傾げた。ディエゴは白けた顔で鼻を鳴らす。
「投資だ。モノをくれてやるっていうのは、敵意がねぇことを示す一番早い手段だ。プレゼントの交換とかもそうだろ? 互いに各々が自分の金で欲しいモンを買えばいいのに、贈り合うことで絆を確認するんだ」
イザベルは自分の腰に吊るしたランタンに触れ、それから竜騎士のツナギを撫でた。鞍、手綱、マスケット。次々に触れてから、目と口をかぱっと開く。
「大変です! 全身師匠からの貰い物です! 敵意ゼロってことでいいですよね!?」
「いいぞ。鉛玉しか貰えねぇ奴もいるんだ。自慢してけ」
「敵意もりもりのプレゼントもあるじゃないですか!」
ディエゴは肩をすくめた。
◇
木々の間を抜けた。山中に突如開けた景色に、ディエゴは息を飲む。
山中の比較的緩やかな斜面が大きく切り開かれ、石造りの集落と、巨大な段々畑が姿を現した。
はっきりと見通せるようになった視界の遙か先には、連なる山脈が雄大な姿を見せている。
島落としによる豪雨のせいか、下の方は霧で白く染まり、雲海のような有様だ。
「――空中庭園」
ディエゴがぽつりと漏らした。オセロが笑う。
「ようこそ、私たちの集落へ! 竜を解体するための広場があるから、行こう!」
舗装された道の左右には、大小様々な石を組み合わせた建物が並ぶ。食事時が近いのか、それぞれの家からは炊煙が上がり、穀物の香ばしい匂いが立ちこめている。
イザベルが風に流されていく煙を目で追いかけた。
「なんか、甘い匂いですね。美味しそうです」
オセロが得意げに胸を張る。
「うちの領地《ワマニ》はサラが甘くて評判なんだよ! あとでチチャも出すから飲んでみてね!」
「サラ? チチャ?」
イザベルは首を傾げながらディエゴを見た。
「確か、トウモロコシっていう穀物とその酒だな。昔ちょっとだけ王島の近くでも栽培されていたんだが、気候が合わないのか、すぐに出回らなくなった」
「あぁ、なるほど。タバコとかと同じ時期に流れてきたんですかね」
「そうだな。その頃にナステカの併合宣言がされたはずだが……オセロの口ぶりだと、ナステカ人にその認識はなさそうだ」
それからディエゴは少しだけ情けない声で、オセロに呼びかける。
「すまねえ! 俺は酒が飲めない」
「そうなんだ、強そうなのに。じゃあ、最近呪術師のお爺が他の部族から貰ってきたお茶があるから出すね。美味しいんだって」
「ありがとうな」
「とんでもない!」
オセロは無邪気な表情ではにかんだ。
辿り着いた集落の広場は、非常に滑らかに磨かれた石で舗装されていた。そこかしこに浅い溝が刻まれており、絶え間なく水が流れている。
小さな作業小屋があり、横には鐘が吊るされていた。鐘を見たディエゴが目を丸くする。
「なんだそれ、黄金の鐘じゃねえか」
「綺麗だよねー」
オセロはなんでもないことのように答え、先端が丸い木の棒で打ち鳴らした。透き通った音が集落に響き渡る。数分もしないうちに、ぞろぞろと若い男たちが集まってきた。
皆上半身裸で、下にはスカートを身につけている。手には黒曜石の刃物や、水差しや瓶などの土器を持っていた。
若い男が目を輝かせ、上ずった声で叫ぶ。
「すげぇ! オセロ、島落としを狩るなんて大したものじゃないか!」
オセロは苦笑いしながら手を振る。
「いやいや、私だけだったら負けてたかも。この外から来た竜騎士たちが倒してくれたんだよ」
「本当か? 外からの竜騎士なんてバンバン五月蠅いだけの雑魚だろ?」
「この人たちは違うよ。島落としの上に飛び乗って、そのままドカンって」
男たちの輝く目が、そのままディエゴに向けられた。ディエゴはきまりが悪そうに目を背け、頭を掻く。
「すごい勇気だ」
「戦士だな」
「ああ、戦士だ」
「おい、誰かチチャ持ってこい!」
「あのジジイも連れ出せ! 歓迎しなければ!」
男たちは賞賛しながら、慌ただしく動き出した。
若者の中に唯一混ざっていた、むっつりとした顔の中年男性がディエゴの目を真っ直ぐに見つめる。
「解体は……儂らでやってしまっていいのか?」
ワイバーンに騎乗したままのディエゴは頷く。
「協力して仕留めた獲物だ、好きにしてくれ。それに旅人の俺らを歓迎してくれたんだ。腎臓と酸嚢だけくれりゃ、あとは譲る。大竜角の扱いは、たぶんこの土地のモンがあるだろ?」
中年男性はにかっと歯を見せた。
「どうやら、これまで来た外の者とは大違いのようだ。外の者は奪うことしか考えぬと思っていたが、そなたは施しの心を知っている」
「施しの心?」
「まず与える。まず振る舞う。腹一杯になった相手と言葉を交わす。そうして初めて、友になれる」
「なるほど。確かに考え方は同じだ」
ディエゴはワイバーンから飛び降りる。男と目線を合わせ、友好的な笑みを浮かべた。イザベルはやや不安そうな顔をしつつも、ディエゴに合わせて降りる。
それぞれの家に戻った若者たちが、湯気の立ち上る器や、白く濁った酒で満たされた水差しを手に戻ってきた。
「儂らが解体している間、ゆっくりくつろいでくれ。先に労を支払った竜騎士には、休む権利と、宴を前倒しで楽しむ権利がある」
解体用の広場の片隅に置かれた、集落で唯一木造の簡素な小屋。そこに敷かれた毛皮の上で、ディエゴらは出された飲み物を楽しんでいた。
青銅の火鉢の上では、瓶に満たされた湯がぐらぐらと沸いている。
「わざわざ茶の用意までしてもらって、すまねえな」
ディエゴが火を棒でつつく老人に言った。イザベルは老人を前に緊張しているのか、口をきゅっと横に引き結んでいる。
不思議な圧のある老人だった。
長い白髪はよじりながら後ろに流され、多数の色鮮やかな鳥の羽が結わい付けられている。色とりどりの糸で刺繍が為されたマントを羽織り、美しい青の孔雀石を連ねた首飾りを身につけていた。
「よ、よよよよ、予言、予言の男だ。こ、暦が回った! た、たた!」
老人はカクカクと首を揺すりながら、鳥のような声で笑った。
オセロは呆れた顔で小さく息を吐く。
「ごめんね。儀式のしすぎで、疲れが溜まってるんだ」
「本当に疲れか!?」
ディエゴが叫ぶ。オセロは「そうだよー」と素っ気ない返事をしながら、沸いた湯を小さな壺に流し入れる。中に入れられていた葉が浮き、透き通った香気と淡い青臭さがふわっと広がった。
「お、おい。これ大丈夫な茶か?」
「マテのお茶だよ。普通に美味しいから大丈夫」
ディエゴの額に、冷や汗が一滴伝う。恐れる理由は、目の前の奇怪な老人の茶というだけで十分だった。
乳白色の酒を啜っていたイザベルが、のんびりとした声で言う。
「ここのもの、美味しいですよぉ。味がします! ふへへ」
「王都でも味はあっただろ……」
ディエゴは諦めた顔で、器に入れて渡されたお茶を啜った。眉が上がる。
「なんだこれ。美味い……かもしれねえ」
「すっきりするよね。少しだけ、疲れがマシになるよ」
「まぁ、タバコと同じだと思うか……」
彼らの前に皿が並べられた。赤、黄、緑など、色合いが豊かだ。
イザベルは薄いパンに似たものを、指先でちぎって口に運ぶ。頬が緩んだ。
「美味しいです。パンとちょっと違います」
「あぁ、トウモロコシの味だ。こんなのだったな」
ディエゴもどこか懐かしそうな顔でつまむ。次に煮られた肉を木匙で口に運んだ。赤や緑の野菜が載せられている。
ディエゴの目が鋭くなった。中腰になりながらオセロと目を合わせる。オセロはただ首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、なんだ。妙な刺激がある」
「ああ! ケチュね。そっか、知らないと慣れないよね!」
オセロは料理の皿から、真っ赤な野菜の切れ端をつまみあげた。刻んだトウガラシである。ひょいと自分の口に入れた。
「これね。慣れると美味しいよ」
「美味しい……? 痛いとか熱いに近いぞ?」
ディエゴの肩が叩かれた。振り返ると、口いっぱいに料理を頬張ったイザベラが満足そうな笑みを浮かべている。
「ひひょう」
「飲んでから言え」
「んがんん! ぷはっ、これ美味しいですよ! クセになります! あと塩入ってます!!」
「適応早いなおい」
「師匠も食べてくださいよ」
イザベラは次々に運ばれてくる料理を前に、頬を紅潮させていた。
塩と香辛料。どちらもカスティラ王国に足りていないものだ。香辛料にいたっては、日用の食材というよりも、富を誇示するために使われているほどである。
「まぁ食うけどよ……」
ディエゴは眉根を寄せながらも、料理を口に運んだ。繰り返しマテ茶で舌を潤わせる。その様子をオセロは上機嫌な様子で眺めていた。
竜騎士たちと呪術師が食事をしている間にも、島落としの解体は進んでいく。
腹部の鱗が綺麗に剥がされたあと、下腹部の前に火鉢が置かれた。竜脂と薪がごうごうと炎を上げている。火鉢の表面には、やけに目が強調された厳めしい男の顔が浮き彫りにされていた。
中年の男が、青銅のツルハシを掲げてがなる。
「よーし、瘴気抜くぞ!」
周囲からさっと人が離れた。
男は口にコカの葉と石灰を詰めて数回だけ噛むと、ぐっと息を止める。力一杯に振り下ろされたツルハシの切っ先が、裸になった島落としの皮にズブリとめり込んだ。
黒い煙が吹き出す。
「島落としはアレがなぁ……」
ディエゴが呟いた。
吹き出した瘴気は火鉢の炎に触れると、一気に燃え上がる。肌を炎に炙られた男は、慌ただしい動きで飛び退いた。
島落としは、腹腔内に瘴気と呼ばれる気体を溜め込んでいる。
比重が軽く巨大なドラゴンの浮遊を助けるが、空気に触れると毒性が高い気体に変質して重たくなり、地上に滞留するのだ。
これを人間がまともに吸うと、麻痺や重度の目眩、痙攣など激烈な神経症状を引き起こす。
燃やしてしまえば無害なため、どうにかして引火させる必要があった。
オセロが頷く。
「だからこそ、優秀な職人《カマヨ》がやるんだよ」
「専門家ってわけか。大変なこった」
「勇気の要る役目を果たす者は、コカがもらえるから」
ディエゴは首を傾げた。
「薬草か?」
「そんな感じだね」
轟々と燃えていた炎は小さくなり、トカゲの舌のようにチロチロとしたものに変わる。やがて炎は島落としの腹に潜るように消えていった。
再び男たちが群がる。
炎を浴びた職人《カマヨ》は、体に石灰の粉を振りかけ真っ白になると、水を浴びた。
大忙しで仕事をする男たちを眺めながら、イザベルが呟いた。
「あれ? なんかおかしくないですか?」
「なにがだよ」
「めちゃくちゃ快適な予感がするんですけど……!?」
「確かに!?」
ただ日陰で飲み食いをしながら、働く男たちを眺めるだけ。その事実に気がついたディエゴとイザベルは顔を見合わせる。
生還率ほぼゼロ。王国政府の役人では帰還率ゼロ。
多くの資源や作物があるはずなのに、まともに開拓もされなかったナステカ島。
その恐ろしい噂に反し、非常に良い待遇を受けていた。
「まさかとは思いますが、快適すぎて全員死んだふりして住み着いたんですかね!?」
「いやぁ……流石に死んでるとは思うが……」
ディエゴは難しい顔をした。