捕虜の男は憔悴しきった表情で叫ぶ。
「助けてくれ! 助けてくれよ! カスティラ王国の英雄だろ!? こんな蛮族共、皆殺しにするのも簡単だろ!?」
「蛮族、なぁ」
ディエゴは冷め切った声で呟いた。
捕虜の目が揺れる。
「な、なんだよ。なんだよ、その顔は……!?」
「いや、な。お前さんたち、余所の土地の神像を蹴っ飛ばしたんだって? そいつはちょっとマズいだろ」
「異教徒の邪神だろ!?」
牢に大きな溜息が響いた。
「その調子で神官にも無礼な態度を取ったんだな。怒りを買うとわからなかったのか?」
「銃も持たないどころか、石挟んだだけの棍棒しか持たない裸族に跪けとでも言うのか!? お前も竜騎士なら、誇りはあるだろ!?」
ディエゴは捕虜から手を離した。どしゃりと音を立てて、くるまれた男は倒れ込む。懐から噛みタバコを出して唇に挟んだ。
「この島は空気が綺麗なモンで、忘れかけてたぜ。久々に口にするとマズいな」
そう言いながら、靴の爪先で捕虜を転がし、上を向かせる。
「そういう目で見ているから、捕虜になるなんて無様を晒しているんだろ。つーか、お前ら神像蹴った以外にもやらかしてるだろ。じゃねえと、捕虜になるまではともかくとして、ここまでの扱いは受けない。なぁ、そうだろ?」
ディエゴはナステカの戦士に問いかけた。戦士たちは揃って頷く。
異なる宗教を持つ多種多様な民族が統一されたナステカ島だ。これまで島内で行われた争いにおいても、宗教対立は含んでいた。
争いの最中に、他の神を信仰する異民族の神殿を襲撃するのは、当然の行為だ。信仰心があるからこそ、それぞれの神を守ろうとする。相手に防戦を強いることが出来る以上、狙わない手はない。
そんな争いをしてきながらも、捕虜とした敵戦士は丁重に扱う文化を持っているのだ。神像を蹴ったのは争いの切っ掛けだったとしても、それ以上に「野卑」な行いをしたのは間違いない。
「何をしたんだ?」
戦士は重たい口調で答える。
「オセロトルヨトルには伝えていないが……子どもを犯してから撃ち殺した後、両親も殺し民家に立て篭った」
「よく生かしてやってるな」
「地殻竜トナ・テスカトリクエが英雄を遣わす。その予言があったからこそ、儀式の為にと耐えたのだ」
「見事な信仰心だよ、全く」
戦士の震える握り拳を見て、ディエゴは髪を掻きむしった。
侵略者が女を犯すのは珍しいことではない。また、勝者が敗者から女を取り上げることも珍しくない。
人権意識など、ごくごく少数の変わり者な哲学者が、豊かな生活をしながら戯れに唱えてみる夢物語でしかなかった。現実とは非情の中にある。
だが、子どもにその仕打ちをすることも、そして女を殺すことも、ナステカ人にとっては有り得ないことだ。
神に捧げると決まった生け贄でもない限り、決して女子どもを手に掛けることはない。また、生け贄として殺すのであれば、最大限に丁重な生活をさせ、祭り上げ崇拝してから殺す。
捕虜たちの行いは、ナステカ人が持つ「敬意」を踏みにじるものだった。
ディエゴは捕虜に噛みタバコを吐き捨てた。
「それが竜騎士の誇りだって言うなら、引退して良かったぜ」
顔に濡れた葉をべったりとつけた捕虜がわめく。
「見捨てるつもりか!? こんなサル共、どう扱おうが構わないだろうが! それとも王国を裏切ったのか!?」
「他人を見下すときには、自分が見下されるときを想像するといい。他人を傷つけるときには、自分が傷つけられるときを想像するといい。覚悟があんなら、自由に振る舞えばいい」
ディエゴは踵を返した。同情の意を示すように、ナステカ戦士たちの肩を優しく叩く。
「ま、覚悟は出来てるはずだろ。竜騎士の誇りってやつを、ちっさな器からはみ出すくらい抱え込んでいるみたいだからな」
◇
日没を前にして、広場には多くの人が集まっていた。領主《クラカ》や神官、戦士のみならず、民衆まで見物に来ている。
儀式は神官たちの祈りから始まった。古き時代の神々による自己犠牲を称え、悪神への畏怖を語り、太陽の存続を願う。
神官たちは緑色の汁で満たされた器を掲げた。
平地の民からもたらされた、球形に近いサボテンの汁。山の民からもたらされたコカの汁。密林の民からもたらされたツルの汁。それらが混ぜられた、神秘の飲料だ。
飲み干した神官たちは、ワイバーンとドラゴンを模した装束を纏い、激しく踊り出す。脇に控えていた他の神官たちが、笛と鐘で音楽を奏でた。
うねるような荒々しい動きで二種の竜が争う舞は、やがてワイバーンの勝利にて決着する。神官たちは太陽と地殻竜の勝利を願い、さっと広場の端に移動した。
広場の中央に、二組の男たちが歩み出る。
片方はディエゴ。手にはシンプルな木の棒を持っていた。
もう片方は、捕虜にされていた第二竜騎士団の外征部隊だ。同じような棒を持ち、ナステカ戦士に小突かれながら入場する。
ディエゴは棒で自分の肩を軽く叩いた。
「遺言はあるか? そこらの砂にでもメモしといてやるよ」
捕虜たちは棒を強く握り締め、顔を真っ赤にする。
「裏切り者め……!」
「これだから平民あがりは。おおかた、酒と女でもあてがわれたのだろうな!」
「陛下の恩を忘れたのか!?」
口々に浴びせられる罵声に、ディエゴは欠伸した。
「ふぁーあ。挑発すんなら、もう少し面白いこと言え。言葉合戦も竜騎士の技術だろうが」
左手で目の端を拭いながら、棒で端の男を指す。
「お前、腰引けてるぞ。ケツに張り形でも入れて戦いに来たのか? 遊び心があるねえ。竜に乗るよりも乗られる方がお好きってか?」
「なんだと!?」
散々なことを言われた男は、青筋を立てて一歩踏み出した。ディエゴが嗤う。
「その調子だ。来いよ、騎士崩れの蛆虫ども。でっけぇのをブチ込んでやる」
戦いの火蓋は切って落とされた。その瞬間を外野から眺めていたイザベルが呟く。
「さすが師匠、神前でも品性がないんですね……!」
怒りに身を任せた五人の突撃は単純だった。各々が棒を構え、ディエゴに殺到する。ディエゴは棒の中心を握ると、先頭に向けて投げつけた。顔面に先端がぶち当たり、折れた歯が飛ぶ。
開始三秒と経たず、一人が倒れた。
「得物の一番強い使い方は、投擲って決まってんだよ」
ディエゴは回り込むように走り、端の男と対峙する。
男は勝利の確信を顔に浮かべながら、棒を振りかぶった。
「馬鹿め! 武器を捨てるなんてな!」
「慣れないモンに縋《すが》る方が馬鹿だろうが」
垂直に下ろされる棒。その起点である手首を、ディエゴは易々と片手で掴んだ。
「おっそい」
ぐいと引き寄せ、みぞおちに膝蹴りを叩き込む。肋骨の折れる軽い音が響いた。
油断しきった顔をしていた別の男に、一足飛びで襲いかかる。
「は、はや――」
「お遊びじゃねえんだぞ?」
ディエゴは相手の棒を右手で握り、左手で顔面を殴りつけた。捕虜の鼻がへし折れ、平たく潰れる。
捕虜は棒を手放し、白目を剥いてひっくり返った。
一瞬で三人の脱落。残された二人の顔に、恐怖の色が浮かぶ。
「嘘だろ、地上でも強いのかよ……」
「聞いてねえよ! なんだよ、なんだこれ!?」
二人の顔には冷や汗がびっしりと浮かんでいた。目の端には涙が浮かび、鼻汁まで垂れている。
ディエゴは不機嫌そうな顔をした。
「平民平民言うもんだから、知ってると思ってたんだがな。平民……それも貧民の兵士は、全員が使い捨ての歩兵隊からスタートだ。たけぇ火薬なんて使わせて貰えねえ。投げ槍使い切ったら自前のナイフで殺し合いだ。短刀《カットラス》持ってる奴が無条件で英雄になれちまうような、貧困の地獄を生き抜いたのが平民あがりだぞ?」
ゆっくりと歩み寄る。
二人の捕虜は、顔面を蒼白にしながらガクガクと震えた。揺れ、先の合わない棒をディエゴに向けながらジリジリと後ずさる。
「やめろ! そうだ、国に帰ったら俺の実家から幾らでも支援してやる! スラムに金を落してるんだろ!?」
「うちからもだ! 倒れてるやつの実家からも金を出させる! 約束する!」
ディエゴは手の中で奪った棒をくるりと回すと、身を屈めた。鋭い目を二人に向ける。
「お前ら本当に竜騎士か? 空に命乞いはねぇよ。銃口の奥の暗闇が見えたら、次の瞬間には落ちている。それが竜騎士だ」
風のような踏み込みだった。
周囲の観客が瞬きをする間に、真っ直ぐ振り抜かれた棒が、一人の顎を粉砕していた。
「それに、お前らは命乞いを聞き入れなかったんだろ」
「ひぁ、ああああああ、ああ」
言葉にならない悲鳴を上げながら、最後の捕虜がやけくそに棒を振り下ろす。ディエゴはそれを軽々と受け止めながら、力一杯に股間を蹴り上げた。
「あが、あがが……!」
最後の一人が泡を吹きながら、前のめりにべしゃりと倒れる。
広場を囲む観衆たちがどよめいた。見物人が囓っているトマトは半分も減っていない。神速の決着だ。
領主《クラカ》は何かを確信した表情で深く頷く。隣に立っていた神官の老人が何かを耳打ちした。領主も囁き返す。
広場の端に控えていた神官たちがぞろぞろと集まり、倒れ伏した捕虜たちの手足に縄を打った。数人がかりで担ぎ上げ、ピラミッド型の神殿に向かって運び始める。
ディエゴは淡々と儀式を遂行する神官達に手を振り、イザベルの方を親指でさした。
「俺はどうすりゃいいんだ? あっち戻って良いのか?」
神官は柔らかな物腰で答える。
「ええ、証明は為されました。後はトナ・テスカトリクエへの生け贄を捧げるのみです。神が先に施し給うた以上、我々も間違いなく返さねばなりませんので」
そのとき、ピラミッド型神殿の頂上に一頭のワイバーンが姿を現した。鞍も手綱も付けられていない、野生のものだ。
ディエゴは目を丸くした。
「なんつーデカさだよ……」
カスティラ王国の常識では考えられない姿のワイバーンである。
その体躯は島落としを上回るほどに大きく、体は漆黒の鱗で包まれている。広げた翼を、深紅の羽根が彩っていた。また、首が細長く、どこか蛇のような印象まである。
夕陽で焼けた空に輪郭がぼやけ、空そのものを背負っているようにすら見えた。
竜であり、鳥でもあり、蛇でもある。奇怪な姿のワイバーンは、夜空よりも静かな目で儀式を見下ろしていた。
「本当にいらっしゃるとは……!」
神官達は一斉に、腰につけていた仮面を顔に当てる。くちばしを模した鳥の面だ。ただ、表面にはつるりとした皮が貼られ、くちばしの側面には人間の歯まで付けられていた。
ディエゴは不気味なものを見る眼差しを向けながらも、何も言わなかった。
神官が一言だけ言い残す。
「化身様です。貴方を見に来たのでしょう。では」
神官たちは全身に緊張の気配を纏いながらも、生け贄を担ぎ、足早にピラミッドを登っていった。
巨大なワイバーンから目が離せないディエゴのもとに、イザベルとオセロが駆け寄る。
「師匠、なんですかあれ!?」
「化身様、だとよ」
オセロもワイバーンを見上げながら頷いた。
「トナ・テスカトリクエ様の化身様だよ。全てのワイバーンは下界から来る。ワイバーンの始祖たるトナ・テスカトリクエ様もそう。浮島にいる人間の様子を見て、そして太陽を救いに行くために、ワイバーンの姿を使われるの」
宙で生まれ、地を目指し降り注ぐドラゴン。
対照的に、海で生まれて空島で羽を休め、そして宙を目指すワイバーン。
高く高く上昇していく為に、ワイバーンは飛翔に特化した姿をしているのだ。
ナステカ人は、神殿で生け贄を待つ鳥に似た――最も飛翔に特化したワイバーンこそが、地殻竜が宙を目指す仮初めの姿だと信じていた。
「宙を目指すワイバーン、か。確かにワイバーンは成長するほど、黒と赤に色が変わっていく」
「師匠のは赤いですけど、うちの子は青系ですもんね」
運ばれていく捕虜たちは、巨竜に怯えわめき立てる。
「やめろ、やめろおおおお!」
「食わせる気か!?」
「人をなんだと思ってる!? これだからサル共は!」
三人の視線の先では、ついに神官たちがピラミッドの頂点に生け贄を運び上げた。反省の欠片も無い文句など聞き入れず、黙々と石の寝台に括り付ける。
黒曜石の刃が煌めいた。生きながらにして、皮が剥がされていく。
「や、やだぁぁぁぁあっ、いたいいたいいたいいい」
その悲鳴は、離れた場所にいるディエゴたちのもとにまで届いた。イザベルは顔を青くし、首を縮めている。ディエゴはツナギのポケットに手を入れ、神妙な顔をしていた。
やがて捕虜たちの声が止まる。叫ぶ力すら失ったのだ。
「妥当な……まぁ、妥当な末路だな。戦地では似たようなことをする奴が後を絶たなかったが、生きて王島の土を踏めた奴はいねぇ」
「それ、師匠が殺したんですか?」
「そうだ」
「そうでしたか……」
ディエゴが平然と頷く。イザベルは一歩だけ、師匠から距離を取った。
一方ピラミッドの神官たちは、まだ辛うじて息をしている生け贄たちの胸を、容赦なく引き裂いていた。心臓を抜き取り、青銅の盆に載せる。それを巨竜の前に差し出した。
巨竜は血の滴る心臓だけをついばみ、あっという間に飲み下す。再びディエゴのことを、黒曜石に似た瞳でしばらくの間見つめた。
一挙手一投足に間違いがあってはならない、張り詰めた緊張感。ディエゴの強い視線を受けた巨竜は頷くような仕草を見せた。くるりと背を向け、神殿の向こう側へと飛び降りる。そのまま滑るように、山脈の谷間へと消えていった。
ごくり。誰かの喉が鳴る。小さな吐息、風の囁き、全てが聞こえそうなほどの沈黙が、広場を支配していた。
誰一人動けぬまま、街は宵闇に包まれていく。
――理外の存在を以《もっ》て、儀式の全てが為されたのだ。何かが証明された瞬間でもあった。