火薬の歴史は古く、エルフの森では少なくとも千年以上以前から使用が確認できる。
しかし、要所の大半を森林に占められている帝国において、火薬と言う、森を焼くために生まれたが如き凶器は、常に蔑視と嫌悪の対象であった。
ゆえに、その利用が活発になることは近年に入るまでは非常に稀な事象として解釈され、そもそも森林に住まう人々の中でも一握りの人間のみが、しかも伝聞に依存した不明瞭な情報を知るのみである。
この、火薬をいち早く実用し、その威力を誰よりも理解しながらも、エルフの森でさえ今日においても未だ、その使用が極めて限定的であることには特筆すべき理由がある。
一つは、この偶然の副産物が森林帝国原産であり、製作者の意向によって非常に抑制的に使用されてきており、長年に亘り徹底的な情報封鎖と隠蔽の対象とされてきた点。
一つは、この製作者があらゆる製造方法他を物理的に抹消し、自身の脳内においてのみ保管している点。
一つは、この製作者が意図して魔法の優位性と火薬の劣悪性を説き、その凶器の使用によって齎された戦果の一切を、『強力な魔法』の使用によるものへと史書を書き換えた点。
一つは、これらの凶器を使用する場面を、常に防衛戦においてのみ使用し、また埋伏させて使用した場合は火薬兵器のすべての所在を精細に記録し、未使用のもの、不発のものはこれらのすべてを執念的に回収した点。
などなどである。
製造者は言わずもがなエルフであったが、奇妙なことに、彼は魔法を使うことができなかった。
彼は生粋の愛郷者であり、国家を建設してのちには生粋の愛国者となった。
彼の生涯は『健全なる人民が宿りし健全なる国家』の防衛のために捧げ尽くされてきたが、彼の最も愛するところは倫理が尊重されるに足る環境の保全であり、彼にとってその環境は『森』そのものであった。
彼が生まれた場所であり、いずれ眠るであろう場所である。
彼は『森番』である。
彼は『森番』として生きてきた。
彼の『森』に、『自己犠牲』は必要ない。
彼の『森』に、『悲劇』は必要ない。
彼の『森』に、『英雄』は必要ない。
彼の『森』は、『倫理』を生かす為の温室であり、『森』の意義とは、人が『倫理』を尊重してこそ生きるに適う環境を維持整備することであった。
彼は国家という枠組みが永遠ではないことも、神々がもたらした人造英雄の時代の停滞が永遠のものではないことも理解していた。
政治は常に今の調整のためにあるが、この『今』だけが今日も、明日も、明後日も、淡々と続いていく。
手入れを怠ることはできない。
それはまさに『森番』の仕事だった。
そんな彼は、エルフの代名詞とも呼ぶべき魔法が使えなかった。
どんなに手入れをし続けたところで、荒らされてしまっては水の泡。
彼は『森』を守るために、魔法よりも確実な力を欲した。
時間だけは人間よりも、同じエルフの誰よりも、永く永くあったから、彼は試行錯誤を重ねることができた。
そのうちに、極めて不安定で、極めて危険だが、極めて有用な道具を幾つも発明することができた。
彼は、死や殺しというものが過剰に効率化される世界を俄かに予見し、これの使用を躊躇したが、現実的には十分な国家防衛の仕組みが整っているわけでもなく、また十全の意識改革が行われているわけでもなく、今を乗り切らなければ次が来ない、そういう時期が訪れたことで、もはや、将来の為の躊躇は意味を持たなかった。
倫理はまだ死んでいて、楽園は遠かった。
彼は躊躇しつつも、限りある時間の間に情報を遮断、隠蔽し、限りない偶然の結実として実用に踏み切った。
最初の使用は壺に詰めて導火線を付けただけの簡素な爆弾だった。
火壺と名付けたそれを使用したのは、魔法の熟練度が低い女子供だった。
エルフたちが人間や、時代が下ってモンスターとの戦闘を経験していくうちに、抑制的ながらも断続的に実戦に投入され、少しずつ実績を積んだことで、それは兵器として運用に耐える程度にまで技術的にも、運用思想的にも結実するに至っていた。
だが、彼はこの頃には既に、大概の問題を解決し、内外に対して安定した統治体制を構築し終えていた為、予見される悲惨を限りなく遠くに遅延させることを目的に、この兵器の運用の一切を凍結したのである。
運用停止命令は即座に実行に移され、一切の資料は焼却され、現物は研究用を含めてすべて破棄された。
彼の試みは、『森番』として必要不可欠の行為ではあったが、同時に、世界の停滞に不本意ながらも貢献する結果となった。
他方、彼の試みは、悲惨の時代が到来することを拒む為の行為ではなく、悲惨の時代を攻略する為の準備期間を確保する為の戦略的な措置であった以上、彼が欲したのは純粋なる時間であった。
世界の時計の針を進めることも、遅らせることも、或いは止めることもできない。
それは他者を変えるよりも、自分を変える方が容易であることに同じである。
彼は空いた猶予の時間の間に、世界を取り巻く無邪気な神々という、無責任な特権階級から主導権を奪還するという小目標を設定し、これを倫理の防衛という大目標へと資するものとするべく更なる努力を重ねた。
そして、時間は流れ、神々による人造英雄が跋扈する時代も終わりに近づいていた。
ラキア王国とのアレス戦役から数えること、あれから六十五年。
エルゴによるオラリオへの干渉は最高潮を迎え、遂にギルドが屈服した。
当時のギルド長はエルフであり、名をロイマン・マルディールと言った。
彼はオラリオでの活動歴で言えばエルゴ以上の古参であったが、エルゴの参入以降は不気味な沈黙を続けてきた一人であった。
ロイマンはギルド長としてオラリオの運営権を侵食されていく過程をここまでは淡々と傍観してきたが、エルゴの口から『三大冒険者依頼』に関する提案が挙げられた時点から、一転して協力的な姿勢で活動を活発化させた。
ロイマンはエルフであり、言うまでもなくエルゴのことを知っているが、彼らの関係性は不明瞭であり、今一つ接触が確認されているとの情報もない。
ただ、彼が演じた役割は形骸化したギルドを畳む上では、非常に価値のある働きが多く含まれていたことも事実であり、汚職や収賄の噂が絶えなかった嫌われ者には見えないような精細を放つものであった。
機を伺ってきたかのような手際の良さで、ギルドはオラリオ大公府の行政機関として再編されることとなり、非常に円滑かつ穏当な人員と物品の移行が行われた。
ギルドの実質的な最高権力者であったウラノスは役目を含めて据え置きとなり、公的身分としてオラリオ大公国の最高神祇官位を形式的に贈られたが、この身分を利用するか否かは問題視されず、純粋な『祈る者』としての役目に関わる部分を除いて、一切の政治権限は凍結された。
上記に登った『オラリオ大公国』の名が示す通り、オラリオは正式に『オラリオ大公国』として姉妹国家たる森林帝国の領邦として傘下に入れられたのである。
これに対して、ラキア王国を含む諸外国は非難声明と祝福を乱れ打ったが、オラリオの経営の根幹を成す冒険者産業はもはや、この大陸の文化文明の深くに楔を打ってしまっており、今後行われるであろうこの一都市国家との折衝に各国の代表者は頭を悩ませていた。
そして、不安を抱きつつも建国式典に訪れた各国の代表者らの前に、新設されたオラリオ大公国の国家元首たる初代オラリオ大公として名乗りを上げたのは、言わずと知れたあのエルフだった。
「オラリオ大公のエルゴ・リヨスキルデ・オラリオと申します。以後、お見知りおきを」
ラキア王国と戦争が終わってから、失意と強固な意志と共に故郷の森を出たエルフは、今、森を出たあの日に心の中でつぶやいた通りに、手放したものを今ひとたび実力のみで拾い上げたのだ。
帝国の現皇帝はリヴェリアの父であり、エルゴの百数十代後の子孫である。
彼女を通じて要請が行われ、受諾された翌日にエルゴは初代オラリオ大公として封じられたのである。
ギルドに代わって大公府が設置され、主要機関は南東区画で育ててきたものを、そのままに引っ越しが行われた。
オラリオが帝国の『内側』になったことで、リヴェリアが父帝から請け負った勅命は、常に非ざる力技によって達成されたことになった。
残る理由として然るべき公務はなかったものの、気を利かせた父帝は娘のために駐在オラリオ全権大使の席を用意して、彼女が帰還する理由を一つ潰してくれた。
後は彼女の気持ち次第だったが、当然ながらリヴェリアは現職の師団将軍位を保持したままに、帝国の駐在オラリオ全権大使として当地に残留することを決めた。
大公国の建国とリヴェリアの残留に伴い、近衛隊も残留組、帰還組、そして現地組に分けられた。
元よりオラリオで現地採用された青年近衛隊と中堅近衛隊の過半は、当然ながら現地組として国軍と国家憲兵へと配属転換が執り行われ、同時に現地組の一部と残留組は旧来から変わらずに近衛兵としての席に収まった。
アルフィアは後者に含まれ、大公に直率される親衛軍における古参近衛隊の士官として続投することが決まっていた。
最も困難な行政と治安維持関連の引継ぎが、それぞれギルドと南東区および近衛隊の物理的な引継ぎにより真っ先に完了したことを嚆矢として、流通を中心にほとんどの産業には致命的な齟齬や遅れ、混乱が生じることもなく、粛々と国家の再編は完遂されたのである。
実に静粛なる建国によって、オラリオで変わったものは支配者と税率だけだと言われる始末である。
それは言わずもがな、全土で税率が一律になったこと以外は、実生活を含めて長らくエルゴによる統治が行き届き、安定した社会が営まれてきたことの証明であった。
国家として再始動したものの、オラリオ大公国はエルゴ以後のオラリオと何ら変化のない、平坦な橋によって慎重に、細心の注意を払って接続された未来であった。
そして、建国から三年後、人々が新たな生活にも根を張った頃に、エルゴはオラリオ大公として一つの重大発表を公示した。
それは張り出された公報に曰く、『三大冒険者依頼』の達成に向けて公共事業を行い、国内の諸産業へと公的な発注を多く行う予定があるので、これに備えて国家事業向けの固定注文枠を準備してほしい、という旨の発布であった。
あの発布から約一年、オラリオ国内は日々を異様な熱気に包まれて過ごしていた。
莫大な量の発注が、文字通り国家規模で各工房へと殺到していたのである。
だが、忙しいのは工房だけではなかった。
今のオラリオは何時にもまして人、人、人の坩堝と化しており、その多くは出自も所属も様々の軍属が大半であった。
食事の用意、寝床の用意、便所の用意、掃除洗濯、エトセトラ、エトセトラ…。
歓楽街は過去最高の盛況ぶりを博し、各地から精鋭だけを引き抜いたこともあり治安もまた、このような混沌にあっては整然としたものだった。
物を作る仕事も、直す仕事も、洗う仕事も、運ぶ仕事も、ありとあらゆる仕事が活性化されていた。
人々はこれを特需と呼び、少なくともあと一回分が予約されていることに沸いた。
実は、この一年の間に、既にオラリオ大公国は有言通り『三大冒険者依頼』の一つを見事に達成していたのだ。
最初に達成されたのは『陸の王者』ベヒーモスの討伐であった。
半年間の準備期間を経て、エルゴはオラリオ大公として軍を発した。
総勢十万とも言われる軍勢はオラリオを出た当初は五千ほどであったが、間もなく帝国や同盟国の援軍と合流を果たし、最終的には十万にまで膨れ上がった。
最高司令官はオラリオ大公エルゴが務め、副司令官に帝国から派遣された援軍を預かるリヴェリアの叔父が就いた。
リヴェリアは師団将軍としてエルゴから古参近衛隊を預けられ、前線に突出した。
主力は五千からなる志願した冒険者および、国軍、国家憲兵、近衛隊から抽出した最精鋭で構成された。
残りは後方待機の予備部隊と、周辺へと被害が拡大しないように予防するための、また主力を援護するための補助軍団として両翼に配置され、これらは主戦場のやや後方に展開した。
ベヒーモスの『駆除作戦』開戦の狼煙があげられたのは、配置完了の報告から半刻ほど後のことであった。
最初に始まったのは天を劈く轟音の嵐である。
それは実に、千有余年ぶりに大陸に響いた砲声であった。
洗練された冶金術により、異様な完成度の対大型モンスター用の巨砲が、一台につき八頭余りの馬に牽引されて、約百門が戦地まで辿り着き、定刻通りに展開されていた。
展開と操作に関しては、エルゴが絶対的な信頼を置くことのできる一握りの精鋭へと委任し、およそ二十回の斉射が行われた。
最高品位の希少金属を湯水のごとく投入して鋳造され、三大冒険者依頼の達成後には一つ残らず資材として溶かしつくされる宿命を負った巨砲群は、大男の一抱えほどもある巨大な鉄の砲弾を、非常に遠くまで投射することができた。
仰角をとる『耳』も実用化されており、到底、千年以上前に森の奥深くで発明され、ほとんど使われることもなく眠っていたとは思われなかった。
誰の目から見ても、それは異形の化け物であった。
実際、それは驚くべき大声で泣き喚き、その度に莫大な煙と共に巨大な鉄の塊を風に乗った石弓の矢よりも尚早く、尚鋭く、それは飛翔し、対象となったベヒーモスの強固な外殻に、いとも容易く食い込んだ。
遠目にも、ベヒーモスの血があふれ出し、流血が川のごとく、その巨体に見合った水量で大地を汚すのが分かった。
用意された砲弾と火薬は断じて使い尽くすことを命じられた通りに、エルゴから派遣された軍監に傍らで見届けられながら、砲兵隊は弾薬を使いこなしたことで自然と沈黙した。
真空に流れ込む空気のように、轟音の嵐が止み、伴って間隙に殺到する沈黙。
これを待たずして、エルゴは旗振り信号で指令を発し、主力部隊へ前進を命じた。
血まみれでのた打ち回るベヒーモスを遠目に見ていた主力部隊の戦士たちは、現実の異常を飲み込み切れず、鈍い動きを見せる者も多くあった。
だが、そのすべてを追い越して、当然とばかりに志願した近衛兵で構成された部隊が戦闘に躍り出るや、彼らの中から更に、先駆けを競うように一つの影が突貫した。
アルフィアだった。
わざわざリヴェリアからふんだくってきた古参近衛隊の隊旗を掲げて、恐るべき速さで先駆けてゆく。
その華奢な背中に背を押されて、尻込みしていた冒険者たちを始めとした主力部隊は、今度こそ雪崩を打ってベヒーモスに殺到した。
真っ先に駆けたアルフィアは、自分の尻を追う野郎共には一瞥もくれずに、涼やかな声で詠唱し、記念すべき一番槍を憔悴した様子でいるベヒーモスの横面に叩きつけた。
特大の鐘の音が鳴り響き、その音を何かの鬨だと勘違いした誰かが、高ぶるに任せて一思いに叫んだ。
「皇帝陛下の為に!!!」
その声を皮切りに、無数の声がさざ波となって巻き起こり、それぞれが、それぞれの色を持ち、この戦場に立ち現れていった。
「大公殿下の為に!!」
「太祖様の為に!!!」
「勝利を!!!」
「我が神の為に!!」
「家族の為に!!」
「妹と甥の為に!」
「世界平和のために!!」
ごちゃまぜの声は次第に溶け合い、形も意味も持たない一つの大きな唸り声に変わった。
猛り濁った唸り声と共に、ベヒーモスに反撃を許さぬほどの猛攻が始まった。
戦闘が始まってから、ベヒーモスは終始堪えることしかできずに身を縮め、人々の熱狂に水を差すように悲し気な鳴き声を上げ始めた。
丘の上で全貌を見届けるエルゴの長耳がしきりに動いた。
エルゴは冷淡な顔で、全てが終わった後のことを考えていた。
ベヒーモスの討伐を終えてからのことではない。
この三度の害獣駆除が終わった後で、砲兵と火薬の齎した衝撃が、三大冒険者依頼の達成という『世界の重し』そのものが喪失した後の社会で、一体全体どのように動的に作用するのかの予測が、今一つ個人的想像の範疇を出ないからであった。
何が起こってもおかしくはないが、エルゴは今、目の前で生きている人間ができる限り犠牲にならず、自己犠牲を強いられない選択肢を選び取るために、文明が本来持ちえたであろう時間的猶予を代償に差し出すことを甘んじて受け入れた。
エルゴは森番であって、英雄ではない。
存在するかもわからない将来の誰かの為に、今を生きている人間に無制限の自己犠牲を強いることなどできない。
伝説の怪物を討伐することには少しも心が揺れ動かず、怪物の皮算用を考えることの方が遥かに得意だった。
一人でも討伐することは可能だ。
だが、それでは英雄が生まれるだけであるし、なにより、そのような栄誉を被る資格は、少なくとも自身には無いとエルゴは考えていた。
エルゴはモンスターはもとより、森の外に対してあまりにも無関心であったのかもしれないと、今更になって感じていた。
それはじわじわと悔恨の毒となり、彼のことを蝕んでいた。
彼は自ら英雄になる道を放棄したが、誰かが倒すことを待つことが責任の放棄にしかならず、一篇の贖罪を紡ぐ訳でもないこともよく理解していた。
故に、然るべき人が、然るべく倒せるように、ここまで来ても、どこまで行っても、エルゴは森番として環境と条件を整えることで応える道を模索し、果たしてその通りに実行した。
その結果が眼前で行われている、ほぼ一方的な怪物の討伐である。
想定では複数の有力な実力派ファミリアによる討伐であったのだろうが、エルゴは一切の常識や慣習や期待や予定をかなぐり捨てて、ただ只管に犠牲を最小限化し、将来に亘って多くの意味を齎す、倫理的に最良の選択肢を追求した。
結果、オラリオを一つの国家として再定義し、有力冒険者の多くを志願兵として街中から一時的に吸い上げて部隊を編成し、これに各地で戦歴を積んできた帝国の領邦諸国の常備軍、および自身の最側近である古参近衛隊を加えた。
そして、ダメ押しの砲兵である。
流出すれば転用されかねない量の弾薬と砲ではあるものの、被害を最小化し、神々の恩恵に依存したファミリア構成員による専横を抑止するために、魔法の絶対性を漸減する効果が期待されていた。
なにより、『森』の敵を炙り出すために、今回の火薬の解禁に対して初動でどのような動きを見せるかを確認するための瀬踏みも兼ねていた。
リスクを呑んで余りある意味を創出し、それらを確かに実感できる段階にまで高めることもまた、彼の考える森番の仕事であるからこそ、彼に妥協の二文字はなかった。
戦闘開始から五時間後、ベヒーモスは遂に力尽きた。
この山のような怪物にとどめを刺したのは、ゼウス・ファミリアから志願して参加していたザルドという冒険者だった。
『暴喰』の二つ名で知られる彼は、戦後に開かれた論功行賞において、先駆けを行ったアルフィアと並んで功第一位として厚く賞された。
三年間を予定される『三大冒険者依頼』達成に向けて、ベヒーモス戦の直前までのオラリオは半年間の準戦時体制へと移行したものの、この間にも物価は常に安定し、買い控えや買い占めは目立って起こることもなく、目立って影響を受けたことと言えば、大砲を鋳造するために金属資源の価格が一時的にやや高騰するのみであった。
ベヒーモスの討伐から半年間は準備期間に充てられ、部隊の再召集の後で前回より小勢の総勢四万の軍勢がオラリオを発った。
次なる対象は『海の王者』リヴァイアサン』であった。
軍勢は前回とは異なる手順で展開した。
戦場は海上であるため、この日の為に大陸中から商船が集められ、足りなければ新造されて大砲を設置できるように改造を施された上で、主力部隊の二千を積んで海の上に浮かんでいた。
これらの船は戦後は商船として、借りてきたものは元の通りに返還され、新造の船舶は各地に分散運用される予定とされた。
船舶は巨大な流通網の血液として機能する一方で、戦時ともなれば兵員輸送にも、揚陸にも使い道があるものの、森であれオラリオであれ、基本は内陸の人であるエルゴにとって、それを完全に有効利用するには自分の手元から離すことが最良の投資であった。
こうして編成された史上空前の大艦隊は大陸を大回りに巡り、リヴァイアサンの寝床へと航路をとると、しばしの船旅を進んだ。
そして、ベヒーモス戦で見せた巨砲は同様に恐るべき威力を示し、ベヒーモスと比較して外殻というよりも外皮に近い形態を取っていたリヴァイアサンの肉体を、たったの十斉射でズタズタに引き裂いた。
破壊されたリヴァイアサンはしかし、依然として巨大であり、その権能は海上戦において強力無比であり、完全に死に絶えるまで攻撃の手を緩めることは許されなかった。
艦隊は半円状に展開し、円の窪みに誘い込んで半包囲するように配置を整えると、十字の射線で格子を描く様に巨砲を更に十度斉射した後で、船に積んできた主力部隊を衝角を持ち、かつ鉄の板で広い面を覆った特殊船ごと突貫させた。
オラリオ産の鋭く研がれた全金属製衝角はリヴァイアサンの横腹に深々と突き刺さり、その体を海原の一点に縫い付けた。
これを機と見た主力が四方八方から殺到し、この場でも先駆けに成功したアルフィアがその勢いのままに攻め立てて、遂には見事にこれを討ち取った。
とどめを刺された巨大な怪物は、その死んだ身体を海原に投げ出して沈みかかっていたが、巨大な人力の牽引機械を積んだ商船の活躍により、その素材の大半は回収されたのち保全され、後日には市場へと出回るのであった。
ベヒーモスも然り、獲得された素材は貢献度に応じて分配される分と、固定量として分配される分に分けられた。
これは足並みを揃えつつも、全体の戦闘意志を維持、向上させるための方策であった。
果たして、この方策は概ね上手く作用したようで、同じ脅威と戦っているという事実が齎す一体感が、早くもオラリオと帝国の間で実りつつあった。
これは実際に戦場を共有した者たちには顕著な様子が見られ、兵士と冒険者の多くは苦楽の苦の部分を戦場と行軍において共有し、楽の部分を論功行賞とオラリオの酒場や歓楽街で共有した。
リヴァイアサン討伐後の論功行賞においては、アルフィアが功績第一位として満場一致で選ばれた。
彼女はザルドとは異なり軍属であるため、中佐への昇進と勲章の授与、他に各種恩典が下賜され、最後にたっての希望に応じる形で大公による抱擁を受けた。
アルフィアとザルドの名はオラリオに限らず、大陸の各地で高らかに謳われ、新しい時代を切り開く英雄か、或いは古典英雄の再来として人口に膾炙した。
ベヒーモスとリヴァイアサンの討伐後、丸一年間の準備期間を経た後、遂に『三大冒険者依頼』の最後の一角である『黒竜』の討伐へ向けて軍勢が発された。
三度目の軍勢は一度目のベヒーモス戦を、予備を含めて優に超す、総勢十五万の大軍勢であった。
牽引されて運搬され、戦場で展開される巨砲の数は一千二百門を数え、その経済効果の総計は弾薬代も含めれば三兆ヴァリスにも上った。
軍勢は北方に向けて一路行軍、直線で最短距離を行くために、オラリオ大公国はこの一年間に十を超える領土通行権を獲得するべく奔走した。
全軍の最高司令官はオラリオ大公エルゴ・リヨスキルデ・オラリオが就き、副司令官の席には前年にベヒーモス戦とリヴァイアサン戦での功績を加味されて軍団将軍に昇進したリヴェリア・リヨス・アールヴが、帝国駐在オラリオ大公国全権大使の肩書も兼ねて座っていた。
主力部隊にはオラリオの名だたる探索系ファミリアが勢ぞろいしており、ゼウス・ファミリアとヘラ・ファミリアの二枚看板のほかにも、何故かリヴェリアとアルフィアという桁外れの貴顕と実力者が籍を置くロキ・ファミリアも目立って参加していた。
他にも、国家憲兵の登場により治安維持任務に割かれていた手が幾分自由になったガネーシャ・ファミリアや、勇士を多く取り揃えていることで知られるフレイヤ・ファミリアや、高潔な精神と高い実力に一家言のあるアストレア・ファミリアからも志願者が出ていた。
主力は五千とベヒーモス戦と同程度だが、その内実はオラリオの実力者の割合がより多くを占めるものに変わり、近衛隊は前回と同数が参加していた。
巨大な竜が蜷局を巻く、封印地の奥で手早く展開された巨砲の群れが、エルゴの「撃ち方はじめ」という非常に淡白な指令を受け、定刻通りに砲撃を開始した。
今回に関しては、弾薬にミスリルなどの希少金属が使用されており、その弾薬代は想像を絶するものとなっていた。
人間の膂力は恩恵を受けても限界があるが、物理演算には果てがない上に、条件さえ満たせば常に定量を発揮できるという一種の信仰的理論を、エルゴは現実に再現したのである。
恩恵を受けた第一級冒険者の放つ一撃の、遥か数十倍、或いはもっと、より巨大な力で圧し出された一千二百発の聖銀製の砲弾は、一過の寛恕もなしに封印地の空を駆け上がり、獲物に食らいつく荒鷲の如く、黒い怪物の巨体へと殺到した。
大地を揺らす轟音と、巻き起こった土埃が晴れることを待たずに、砲兵陣地では砲身の清掃と次弾装填が粛々と遂行され、修正と調整を加えてから旗振り信号の合図に合わせて各所で息を合わせて砲声が木霊した。
それが繰り返されること実に五十回。
過去最大規模の砲撃が延々と続けられ、此度も前回、前々回と同様に弾薬が底をつくと同時に主力部隊が進出を開始した。
土埃と血煙が濃い霧のように立ち上り、あたり一面を別世界のように変えていた。
進出した冒険者と兵士たちが目にしたのは、変わり果てた『どこか』であった。
それは、最早、『なにか』と形容することすら難しく、ただひたすらに、破片らしきものが無数に散乱していた。
軍事作戦と言うよりも、自然破壊の様相を呈する現場では、黒竜の存在そのものが抹消されたかの如く失われ、兵士たちがどれだけ探しても、否、何を探しても、そこには破壊の跡しかなかった。
そこには、ただ、不在だけが置き去りにされていた。
ベヒーモスにしても、リヴァイアサンにしても、そこにはまだ、目に見えた敵が残っていたのである。
だが、ここには何もなかった。
血の臭いの残滓さえも、過剰な火力の投射がすべてを耕し、破壊の彼方へと攫い去ってしまったのだ。
存在の喪失という事実のみを受け入れる他に術がないことを、この戦いは知らしめた。
あるいは、それこそ、戦いという行為に潜む野蛮の正体が、垣間見えた瞬間なのやもしれないが。
いずれにせよ、『それ』は実にあっけのない幕引きを迎えた。
神々が下界と呼ぶ、この世界の最大の脅威の一つがこの日、確かに消失したのである。
あの、何とも言えない、後味の悪い出来事から一か月後、大公府はすべての戦後処理が完了したことを宣言した。
準戦時体制と宣いつつ、住民の生活に変わりはなかった。
だが、実際的に、困難に直面する人が皆無であるはずもなく、死人は少なかろうが多かろうが、そのすべてが帰ることはない。
帰ってくることができなかった者たちは顕彰され、その名誉を汚さぬためにも、『三大冒険者依頼』の完遂は美談として、また事実、史上最大の栄光として大公国の住民の胸に宿されることとなった。
遺された者たちには、暮らす分には不足のない遺族年金が支払われ続けるが、どんなに金や名誉を積んだとて、彼らはひょっこり帰ってきてくれたりはしないのだ。
慰霊祭が開かれるたびに、勇者が大好物の神々が挙って出席するものの、彼らの言う勇者の園があったとして、家族との暮らしよりも優先してしまうような楽園があるだなんて、どんなに冷酷なら口にできるのだろうか。
慰霊祭には必ずエルゴも出席しているが、遺族の中には彼に対して怒りを抱く者が皆無ではない。
神々でさえ、すべてを守ることなどできないし、すべてを救うことなどできないと言う。
だが、エルゴはそれを罪だと言った。
神として望まれ、神として在るならば、都合が悪い時だけ人間ぶるべきではない。
それは卑怯で不誠実な振る舞いであると、彼は言うのだ。
彼は遺族が恨みを抱くことを公認し、そのことは極めて正当な行為であると断言した。
「結局のところ、争えば必ず失い、本質的には得るところなど一つもない。ただ、より大なるを失うことから免れる為に、より小なるを失うことを許容しているに過ぎない」
「争いを通じて獲得された如何なる利潤も、価値も、意味であっても、争いの中で失われた命の代替物足り得ることはない」
「我々が争う時、我々はより多くを失い、より少なきを得る。より少なきを得るがために、我々はより多くの、より不可逆の、より代替不可能の価値を、勇んで野蛮の贄に差し出す」
「野蛮の為に獲得される価値は常に最小化され、野蛮の為に消費される価値は常に最大化される」
「私の敵は戦争でも、モンスターでも、ダンジョンでもなく、ただひたすらに、そこに潜む野蛮そのものです」
「失われた生命を蘇らせることが、私にできればよかったのに」
「あなたたちは、私を恨むことが許されるべきです。いえ、恨むことこそが正常な行いと言えます」
「私は本物の神などではありませんが、神のせいにできないのなら私のせいにしなさい。そうしなさい」
「私がしたことが、あなた方に不条理を押し付けるものであったのならば、それは責められるべきことです」
「私の務めとは、一度事が起これば責められることであり、一つ失えば恨まれることであり、一つ間違えれば謝ることであり、現実に即して常に、責任を最大限に、可能な限り無制限に果たすことです」
「私には謝る義務がある。神に代わって満たせなかったのならば、それは私の咎以外の何ものでもないのです」
「神は誤らない。だから神が謝ることはない。しかし、誰かが謝らねばならない。この場合、選択し、実行したのは私です。それが何のためであれ、私は結果的に不条理をあなたに押し付けてしまった。ならば、私は謝るべきです。許されなくとも、赦されずとも、私は謝らねばなりません。でなければ、私は嘘吐きになってしまう。それは卑怯で不誠実なことだ」
「悪いことが起これば神のせいにしなさい。良いことが起これば神のおかげにしなさい」
「神に頼ることは悪いことではないのです。ただ、神に頼らねばならないほどに、あなたに困難を強いてしまった私には、為政者として、森番として。確かに罪があるのです」
「私が、あなた方が亡くなるまで面倒を看ます。だから、安心して、どうか彼らのことを悼んでやってください。彼らのことを忘れないで、生きていてください」
「それでいいのです。それがいいのです」
「仮令、私の選択が、その、すべてが正しく思えたとしても」
「仮令、私の選択が、その、すべてが間違いではないように思えたとしても」
「それで、よいのです」
「あなたは私を恨んでよいのです」
「そこまでを含めて、それは、それこそが私の役目なのですから」
「私は森番。森林帝国初代皇帝、初代オラリオ大公エルゴ・リヨスキルデ・オラリオなのだから」
3月18日00:15に最終話が投稿されます。