オラリオに至る病   作:ヤン・デ・レェ

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我儘

今日、初めてオラリオに足を踏み入れた日のことを、私は忘れることがないだろう。

 

私の記憶が正しければ、オラリオとは現状、世界で最も繫栄している都市である。

 

人口は多く、活気があり、何よりも神々の多くがこの都市に根差して活動している。

 

そんな、巨大な都市である。

 

歴史はおよそ一千年余りか、少なくとも九百年は都市として繁栄を続けてきているだろう。

 

この都市の実質的な執政はギルドが担っており、彼らは街の主要産業の原動力ともいえる冒険者の雇用や支援を司り、この都市の利益の根幹に長らく携わってきたと言える。

 

この巨大な都市、オラリオ。

 

嗚呼、オラリオ。

 

隅々まで見ても、きっと一日では時間が足りないほどに、この地には人が溢れ、活気に満ちている。

 

積み重なった歴史を感じさせる建物も多く、実に充実感のある街ではないか。

 

だが、都市だ。

 

どれだけ巨大であろうとも、領域国家の範疇には含まれない上に、この都市にはこれだけの無数の神々が根を張っているのだ。

 

門を潜り、街を歩き、私は見た。具に見た。

 

街を、人を、物を、神々を。

 

私は、来りて、見たのだ。

 

…私は、私は決して、過大な期待をしていたわけではないと思う。私はただ、この都市に、せめてもの矜持を求めたかったのだ。

 

彼らの、神々と名乗る者どもの、その名乗りに足るような矜持を!

 

私は何も楽園を期待していたわけではない。

 

ただ、神を名乗るだけの力量に相応しい、否、力の十全を発揮せずとも、それでも十分に余裕を残して遂行できる程度には、定命の者より遥かに優れた都市計画を、都市運営を、徳治を、経世済民の結実を目に収めたかったのだ。

 

これは私の我儘だったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、私などよりも遥かに素晴らしい国家経営を見事にやってのけるような実力が、この街では木端として扱われるような無名の神でさえも持ち得ているのではないかと考えていた。

 

彼らは神の力を用いることを制限しているとは言うが、その永遠にも等しい時間を過ごしてきた、経験の積み重ねにより極められた力ならば用いることができるというではないか、ならば彼らの中にも治世に明るい神が、一人や二人は居るのではないか。

 

オラリオほどに神々が集中している都市もなく、この地には大神ゼウスとヘラも根を張っていると聞く。

 

神々の中でも強力なリーダーシップを誇る実力者がおり、彼らには魅了の能力も、これに類するような絶大なカリスマもあるのではないか。

 

それほどの力を行使できる立場にありながら、使い道がある潤沢な資金と才能を遊ばせておくことが、一体どうしてできようか。

 

例えば、この街が元より楽園の如き、飢えも、寒さも、貧しさも、病も、老いも、悲しみも、苦労も、何一つを知らずに済むような素晴らしい場所だったのならば、神々の手を煩わせるほどでもなかっただろう。

 

彼らは我々を下界の子供たちと呼ぶ。彼らは我々を愛していると言うのだから、我々が困っていれば助けてくれるのかもしれない。そういう意味では、なるほど、困っていない者を助ける必要はないだろう。

 

或いは、全知全能の神々とて、何かしらの理由で耳の聞こえが悪かったり、目の見え方が悪かったりする時もあるのかもしれない。

 

目に見えない場所で、見えない範囲で起こる悪い出来事には、例えそのせいでどれほどの困難に晒されて苦痛に喘ぐ子供がいたとしても、知らないものは救えないのだから。

 

私は、無知を責めることはしたくない。知ろうとしないことも、責めるつもりはない。そうすべきだとは思われないし、そういう振る舞いには少なからず自己防衛の働きも含まれていると考えるからだ。

 

だが、この目で見える範囲にあり、聞こえる範囲にあり、或いは自分の振る舞い一つで解決できる問題を、そこで困難に直面しているものを救うことが出来るにも関わらず、平然と見捨てるような振る舞いは、余りにも言行の不一致が過ぎる不誠実なものではないだろうか。

 

私は神々の物言いを尊重することに忌避はない。彼らは嘘をつかないのかもしれない。真実を見抜けるのかもしれない。全知全能ではあるかもしれない。

 

だが、それらを事実として受け止めつつも、この街の、オラリオの有様を見る限りでは、彼らの言う『愛』というものに、私は些かの誠実さをも見出すことはできない。

 

全ての神に対して感じていることではないが、オラリオという都市が、九百年もの時間的猶予があり、かつ永遠にも等しい年月の中で極められた超越的な技能を持つ神々という神材が溢れかえりながらも、未だに巨大な貧民窟を抱え、反社会的勢力の跳梁跋扈を許し、恰も観光立国に感けた三流国家の如く、煌びやかな表通りと歓楽街ばかりが繁栄している刹那的な有様を、こともあろうに大陸一の都市でございと内外に誇ることが出来ようとは。

 

言葉もなし。

 

この、狭い箱庭の中でさえも、彼らが言うところの愛すべき下界の子供らの手本となるべき、健全なる繁栄を実現することは疎か、未だに恥ずかしげもなく弱者を脇に寄せ、剰えこれだけの巨大な産業都市を上辺だけの絢爛によって糊塗し、これを世に誇る。

 

よりにもよってこれほど多くの神々がおりながら!!!

 

あれほどまでに、英雄の存在に執着し、下界の子供らへと奔放無邪気に、蓋し残酷なまでに高度な要求をし、過酷な試練を与えておきながら、この体たらくは一体全体なにごとであろう。

 

何を考えているのか。

 

これが神だとでもいうのか。

 

それで、下界の子供らのことを真に愛していると、そのような世迷言を心底から言えるものだろうか。

 

貴方が誠実であり、恥知らずではないのならば、そんな非道は戯れだとしても口に出そうとは思われないはずだ。

 

それとも、人間が神々を理解できないだけだと、そのように梯子を外して逃げようとでも言うのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一万人が行動しようと考え、千人が行動し、百人が続け、十人が成功し、たった一人が歴史に名を遺す。

 

神々は行動しない人間や、臆病だったり怠惰な人間のことを軽蔑し、ことと場合によっては気後れもせずに介入し、厚顔無恥にも人の営みを自分の恣意に従って改変し、結果的に生まれた英雄を、行動する者を惜しみなく賞賛するが、このオラリオでの九百年もの間、神々は何をしていたというのだろうか。

 

もしも何もしていなかったのならば、子供たちへの愛だの何だのと、ちょっと何言ってるのかわからない戯言を弄さぬ程度の、最低限度の理性を持ち合わせる限りにおいては敢えて糾弾しようとまではするまい。

 

もしも何かしていたというのであれば、それはそれで余りにも無能が過ぎるので、神などと恥ずかしげもなく名乗ることは謹んで然るべきである。

 

神だから、と言う一点でそのような無節操を、恥知らずを許容されるとでもいうのだろうか。そのような振る舞いは悪であると、そのような価値を定めたのは他ならぬ神々であるというのに。

 

この都市を、否、神々の振る舞いを、これを欺瞞と虚飾の極みであると言わずして何と言えばいい。

 

これほど多くの神々がいて、これほど多くの英雄がいながら、どうしてオラリオはこれほどまでに粗忽でいられるのか。どうしてこれほどまでに、不条理に晒される者が多いのか。

 

英雄が生まれるために、素晴らしい物語が生まれるために、不条理が必要不可欠だというのならば、我々はこれに敢然と否を突き付ける物語をこそ描かねばならない。

 

不条理を経験して強くなるよりも、不条理に打ち勝つ強さを生まれながらに持ち合わせていることの方が、その力で本来ならば喪ってしまっていたかもしれない大切な何かを守り抜くことの方が、遥かに尊いのではないか。

 

『傷ついたから出会えた』よりも、『傷つかずとも出会える』ことの方が遥かに尊い。

 

貴方に出会えたことは、これまでの苦痛にも意味があったのだと言われるよりも、貴方に出会えたことは、これまでの全ての喜びをも凌ぐと言われる方が光栄ではないか。

 

何かを失って得た物の方が、何も失わずに得た物よりも尊いだなんて間違っている。

 

 

 

そんなものはまやかしだ。

 

 

 

何も失わずに済むなら、何も知らずに済むのなら、その方が好いに決まっている。

 

お前に逢うために、こんなに辛い思いをしたと言われるよりも、お前に逢えなくてもいいから、こんなに辛い思いはしたくないと、そう言ってくれる方が、そして、その通りにしてくれた方が、いったいどれだけ幸いであるか。

 

悪の陳腐は唾棄すべきものなれども、正義の陳腐は、その物語が退屈であることこそが、平穏の証左なのではないか。

 

不条理に否を突き付けることが許された、恵まれた者が、これほどまでに飽和している。その実力を恃み、これだけの栄誉と富貴を浴びながら、その気高さを礼賛されてきた者たちの何と多いことか。

 

だのに、貧窮に咽び、苦痛に喘ぎ、不条理に晒され、嘲弄されて歪みながらも必死に生きようとする者たちの何と多いことか。

 

神々の眼には、英雄の姿しか見えないとでもいうのか。神々の色眼鏡に叶わなければ、彼らは貴方がたの子供ではないとでも言うのか。

 

彼らが貴方がたの望み通りに、思い通りにならなかったからいけないのか。たったのそれだけで、だからダメなのか。そこに居ようがいまいが、貴方がたの眼には映らないのか。貴方の全力を用いる必要などなく、ただ一瞥でも、ただ触れるだけでも構わないというのに、それすらも許されないのか。ただそれだけのことを、人間ならば決してそれだけとは言えないことだとしても、貴方がたならば、貴方がたなればこそ、永遠にも等しい時間の中で、例え形式的であっても、流れ作業だったとしても、救われるものは居るのではないか。

 

この、神々の足元でさえ、楽園が叶わないというのならば、神々は神を名乗るなど到底烏滸がましい僭称者にして低俗なる愚物に過ぎず、我々を欺き愉悦に浸る狡猾な愉快犯でしかない。

 

救いを与えない神を、人は神とは呼ばない。決して姿を見せない場合を除いて。

 

だが、もしもそれが実体を持つのであれば、それが自ら神であると名乗ったならば、私はそれに神として然るべき振る舞いを求める。

 

神を名乗る重さに見合う振る舞いを、当然のごとく成さねばならない。

 

神は不条理を許すような存在ではない。神は不誠実を許すような存在ではない。神は救済を怠るような存在ではない。神は全知全能であろうとも、なかろうとも、癒しと救いの御手を惜しむことはあり得ない。

 

それが神の条件であるはずだ。

 

不条理に対して、真っ向から否を突き付けることができる唯一の存在でなければ、不条理を覆すことができる唯一の存在でなければ、それは神などではない。

 

不条理を許容するような存在を、私は誓って神などとは呼ばない。

 

出来ないことがあろうと、なかろうとも、不条理を、不誠実を許容するような存在には、神を名乗る資格などあるべきではない。

 

そんな茶番は認められない。

 

我々は、必死に生きているのだから。

 

この世のどこに、仕事をしない、義務を果たさない、不条理と不誠実にこそ忠実な、そんな神々のままごとに付き合う者がいるというのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神が居なくてもやっていけた。不条理はある。不誠実はある。

 

だが、それでも我々は困難に挑みながら、懊悩しながらも歴史を積み上げてきたのだ。神などいないと、例え存在したとしても、彼らは我々に手を差し伸べることが出来ない存在なのだと。

 

そう思って。そう考えて。そう信じ生きてきた。

 

モンスターが現れる前から、不条理はあった。不誠実はあった。私はそれに否を突き付けて生きてきたことに誇りを持つ。決して、神などではないが、それでも、この矮小の身で、不条理と不誠実に、神の不在という第一の不条理をも吞み込んだ上で。

 

出来る限りの癒しと救いを、この世でこそ実現せんと、せめてもの想いで。

 

エルフの森を、私の故郷を、顔も思い出せない家族の墓標を、先人たちの苦難の足跡を、搔き消させまいと生きてきたのだ。

 

私の中に息根付く、誰でもない、何ものでもない内なる神のみを信じて、誰に祈っても、如何なる神に祈っても、何らの癒しも救いも与えられなかったからこそ、私は私の中にこそ唯一の信じるべき祭壇を打ち立てたのだ。

 

そこは誰にも侵され得ない場所だ。一向に現れない神に祈っていられるほどに、私は暇ではない。私は強くはない。私に余裕などなかった。

 

私は淡々と、神が成されないことを、神が成すべきことを、そのほんの初歩の初歩を、亀の歩みで積み上げ続けてきたにすぎないのだ。

 

私は数千年の歳月を掛けて、生涯を捧げてエルフと精霊の森全体を、そうすべきだと望んだ通りに変えた。

 

誰にも侵されぬように、誰にも奪われぬように、誰にも穢されぬように。そして何より、もう誰にもひもじい思いをさせずに済むように、もう誰も虐められないように、もう誰も酷いことをされないように、もう誰も、あんなに辛い思いを経験せずに済むようにと。

 

私は望んだ。私はその通りにした。私は恵まれていた。私には可能だった。

 

だから、した。

 

義務感ではないし、必要性でもない。

 

私は、誰かが苦しんでいる有様を見ていられないだけなのだ。あんなものを見ているのは不愉快だと思うから、嫌で嫌で仕方がないから。自分の思い通りにできることを、どうしてわざわざ思い通りではないままにしておくことができようか。子供が苦しむ様を見ていたくない。瘦せ衰えて死ぬばかりの人を見たくなどない。

 

そんなものは存在してはいけない。そんなものを許容することなどできない。

 

ましてや、それはどうしようもないことでもなければ、私自身ではどうにもできないことですらないのだから。

 

我慢できないだけなのだ。そして、幸いなことに我慢する必要がない、そう言えるだけの実行力に恵まれていたのだから。

 

逆に言えば、別にどうでもよいという性根があるからこそ、下界の子供が苦しもうが、どうなろうが、神は自分の娯楽自体がなくなる寸前まで声も掛けることなく居たのではないか。

 

我慢できるはずがないのに、どうしてこれほどまでに長い間、放り捨てたままでいられたのか、ましてや、そのような振る舞いを下界に降りて尚も続けているではないか。

 

彼らが成さなかったこと自体を批判するつもりはないが、子供たちを愛している、などという言葉を安易に口に出せるような振る舞いを積み重ねてきたとは、私には到底思われない。

 

私は…私には、そんなことはできなかった。できるはずもなかった。

 

出し惜しみをする必要がどこにあるのだろう。

 

品位を守るために、争いが起こるのを看過しながら、自らは平然と混沌を齎す、その邪知暴虐の振る舞いのどこに、精神の成熟がある、神と仰がれるべき崇高さがあるというのか。

 

そんなもので、いったい、何が救えるというのだ。何が癒せるというのだ。何が守れるというのだ。

 

私の理由はお粗末だろう。品位のかけらもないだろう。

 

ひもじい思いはしたくない。痛い思いもしたくない。ひどい言葉を言われたくない。いじわるされたくない。もう二度とあんな惨めな思いをしたくない。さみしい思いもしたくない。悲しい思いもしたくない。

 

ただそれだけだったのだから。

 

誰も救ってくれない。祈っても、祈っても、何をどうしても声は聞こえない。

 

癒しと救いを我に!

 

それがダメなら、もうこの想い通りにするしかないじゃないか。

 

癒しと救いを我こそが!

 

私の家族は何処へ行ってしまったのか。

 

そこが決して、神の御許などではないことを刻むために私は。

 

だから、するのだ。

 

だから、したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オラリオには既に神々がいたが、彼らはしなかった。今後もすることはないだろう。

 

待っていればいつかは、その時が来るかもしれない。

 

でも、私は待てない。

 

目の前には病人が居て、私は触れるだけでそれを癒すことができる。

 

目の前には飢えている子供がいて、教育を受ける機会もないが、私はそのすべてをなんとかしてやれる。全力を出すまでもなく、余裕をもって、片手間に、なんとかしてやれるのだ!!!

 

目の前には、居場所のない、余りにも多くの人々がいて、私は彼らの神ではないが、彼らの神がそうするべきことを代わりにやってやれる。

 

もし、神が代わりにやってくれるというならば、実績も功名も、なんでも呉れてやる。全部呉れてやっても構わない。

 

ただ、救え。ならば、救え。

 

お前の方が私よりも遥かに上手く、遥かに早く、遥かに容易く成し遂げられることなど、私は私が幼い頃から知っている。とうの昔に、自分の無力さと共に知っている。モンスターが現れるよりも、ずっとずっと昔から。

 

貴方がそれをしないことを、私は責めない。

 

貴方がそれをしてこなかったことを、私は責めたくはない。

 

だが、それは貴方が神を名乗らない限りのことである。貴方が神として、間違った振る舞いをしない限りのことである。貴方が神として、我々を裏切らない限り、のことである。

 

もう、こういう手合いに頭を下げるのには飽きた。頭を下げろとは言わないが、私から頭を下げるのは、それに納得できた時だけだ。

 

だから、私の前で偉そうにするな。私はその不誠実が許せないのだ。

 

オラリオには変わってもらう。今日一日でいやというほど理解した。

 

神々が九百年かけてやらなかったことを私が何年掛けてでもやってやる。

 

せめて、私の目の届く範囲では、誰一人もひもじい思いも、寒い思いもしなくて済むようにしたい。

 

惨めさで苦しむなんて、経験するべきじゃない。知らずに済むのなら、ずっと先まで知らなくていい。知らないまま、ただ真っ直ぐに育ち、生きられる環境を整えることこそが、為政者の本当の仕事だろう。

 

私の執政下では、神々の勝手を許容するつもりはない。産業に深く結びつきすぎたダンジョンの殲滅は保留するが、オラリオ自体は万難を排して改革を断行しなければならない。

 

神々を追い出すつもりはないが、彼らを特権階級として、神として扱うつもりはない。一個の人間として、それ以上として扱うつもりは毛頭ない。何もしないなら何も言わない。代わりに働くというなら喜んで交代する。だが、濡れ手に粟で信仰を掠めとるような真似を許すつもりはない。策を弄して混乱をもたらす愉快犯に至っては、これを徹底的に撃滅する。

 

神々が英雄に、下界の子供たちに要求するものと同じだけのものを、私は上界の神々にも要求する。

 

彼らが神を僭称する限り、私は断じて等価の誠実さを求める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

可能ならば実行する。不可能ならば断行する。そして、オラリオの改革は全て可能の範疇にあり、私にはエルフの森で培った経験がある。

 

私は他者に押し付けるつもりはない。他神に押し付けるつもりもない。

 

だから、私の邪魔をするな。

 

私は神ではない。

 

私は実体を持つ。体には熱い血が流れている。懊悩し、苦しむこともある。不条理に対して無力であることの方が遥かに多く、全力を尽くしても一人の取りこぼしも無く、万人に対して平等に幸福を分配できるなどとは夢にも考えてはいない。

 

私にできることは限りがあり、幸運にも私のやりたいことと、私が出来ることの多くは一致している。

 

私よりも遥かに上手く、遥かに早く、遥かに容易く成し遂げられるものが数多くいることも理解している。

 

だから、途中で代わってくれるというのならば、例え、途中で飽きて投げ出してしまうとしても、それでも構わない。

 

その方が、遥かに上手く、遥かに早く、遥かに容易く成されるというのならば。

 

途切れたのならば、また途中から引き継いで、私にできる上手さで、速さで、容易さで、ただ只管に積み上げ続けるだけなのだから。

 

だが、神がそれをしないのならば。私が代わりにそれをする。

 

癒しと救いを我に!

 

それを誰よりも望むが故に、癒しと救いを我こそが!

 

ただ、それだけのことなのだ。

 

 

 

 

 

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