エルフたちが明確に国家というものを意識したのは数千年以上昔のことだとされており、文明を有する人類の中では最も早くから都市国家ではなく、領域国家としての体制を整備していたことで知られている。
神々が現れるよりも数千年以上も前から、単一民族による国民国家体制をほとんど完成させていたという紛れもない事実は、エルフたちにとって自分の種族が他の全てに対して優越していることを証明するものとして考えられてきた。
だが、先進的な領域国家として始まったエルフの輝かしい歴史は、同時に、その後のエルフの歴史全体を通して、ほぼ例外なく全ての栄光と繁栄を体現してきた、エルフ族が誇る唯一無二の超越者の伝説を、紛れもない事実であると証明するものでもあったのである。
超越者の名前はエルゴール。
彼はエルフの国家を善導者として長きに渡り導き続け、百年を待たずに大陸各地に点在していた全ての精霊の森を領邦として一宇の内に組み込んだ国家としてまとめ上げ、有史以前の段階で最初の帝国を完成させてしまった人類の外れ値であった。
彼が建国した当時、帝国は他に存在していなかったために単に帝国の呼称を用いたが、今日においては森林帝国と称されて尚も存続している、現存中の国家である。
エルゴールは帝国建国後に皇帝を号し、退位後も終身独裁官として国事に関わり続けてきた。
国難の折には必ず軍を率いて敵の前に立ちはだかり、恐るべきことにここまで無敗である。加えて、その戦績の大半が圧倒的劣勢を覆してのものであるとされる。
寡兵の常備軍を率いて戦うこと、規模の大きい会戦のみを数えても、有史以前と以後を含めて二千数百度。
凱旋式の挙式回数は一千回を超え、軍司令官としての軍歴は一説には三千年を超えているとされる。
彼こそが史上最も長い期間を軍人として従事した人類であることに議論の余地はない。
しかし、彼の最も得意とすることは統治であるという。
事実、先述の帝国が成立する以前から執政官としてエルフの国家経営を一手に受け持っていたことが知られ、その舵取りには絶大な実績があることは、後に数千年続く帝国として結実しているあたり疑いない。
執政官としての在任期間は軍歴に並んで、つい最近まで更新され続けていた為、最終的な記録は政務官としても軍務官としても共通して三千年を超えるものと考えられている。
エルゴールによって精霊の森は、森同士の間にある河川や山脈、果ては平野に至るまでをその領域に指定し、個々の森単体が領有する領域の十数倍の版図を支配下に置いており、度重なる防衛戦争のたびに敵国の吸収を繰り返した結果、侵略戦争を一度もせずに大陸最大の領域国家として完成するに至った。
これらの土地の中でも森林から遠方の地域は実効支配こそ現地勢力に委ねつつも、君爵位は全て帝国による承認が不可欠である。
このような経緯により、これらの地域にはエルフ以外の種族も多く含まれるものの、慣習的領土としてはエルフの支配領域として事実上の国際的承認を勝ち取っているものである。
当初、エルゴールは天涯孤独の身であり、自身の血を残す必要性を感じていなかった為、周囲に請われるまで妻帯することがなかった。
しかし、生殖機能自体は非常に優秀であったため、エルフの中でも稀にみる健康な子供を数多く残した。
彼の妻も娘も息子も、その大半はとうの昔に老衰で死別しており、今は彼の孫の孫の孫の孫の…孫の孫のそのまた孫のひ孫の玄孫の昆孫の子供の世代である。
子供にも妻にも置いて逝かれた経験から、以降の彼は余り婚姻に乗り気ではなかったらしく、現に今日までに最初の世代の妻を除いて彼の子供を産んだ女性は片手で数えられるほどである。
だが、彼の慎重な姿勢は却って、彼の血脈の神聖さと正統性を担保することに大きく貢献したのである。
庶子が全く存在しないことにも援けられて、森の帝国の皇室であるエルゴール朝は万世一系の状態で少なくとも三千年前までは家系図を遡ることが出来るという。
帝国において最も高貴な血はエルゴールの第一世代から数えて、一度たりとも彼の血を絶やさずに、男系および女系の双方で継承し続けてきたリヨス・アールヴ家であり、その家名が『
現に、片手で足りるほどしか存在しないハイエルフの家門の中でも、最も多くの歴代皇帝を輩出してきたのがリヨス・アールヴの一族であることからも、その血は太祖であり大帝と称されるエルゴールに最も親いものとして崇敬の対象とされている。
さて、そんなエルゴール朝の当代の皇帝には娘がおり、中でも非常に才気煥発の将来を嘱望される姫があった。
名をリヴェリア・リヨス・アールヴ。
近年の皇室においても最も才能に恵まれた皇女であり、幼いころから大帝エルゴールの覚えもめでたく、どこに行くにも大帝について回り、軍務の傍らで実の子供の如く鍾愛を受けていたことは誰の記憶にも新しかったため、ゆくゆくは女帝としての即位も期待されるほどであった。
彼女の人生は何らの瑕疵のない完璧なものに違いなかったが、その人生設計に転機が訪れたのは、かのラキア=アレス戦役でのことであった。
当時のリヴェリアは十代の中頃でありながらも、その才覚と忠誠を見込まれて、既に大帝直属の一個近衛師団を直率する師団将軍の地位にあった。
思うに、この時の大帝は自身が鍾愛するこの若いエルフの皇女の才覚を信じつつも、老婆心ながらに、未だ不慣れな軍務を恙なく終えられるようにと、自身が最も信頼するところの、最古参の老近衛隊を預けたのであろう。
この采配は、見方によればエルゴールの人生において稀に見る失点であったのやもしれない。
開戦から間もなく、リヴェリアは周りの将校らの言葉によく耳を傾けて、訓練と定跡どおりに華麗な誘引戦術を披露し、皇女として帝国の面目を施すと同時に、敬愛する大帝が持たせてくれた花を危なげなく咲かせて見せたのである。
リヴェリアは学んだことを、教えられた以上に適切に、現実に落とし込むことが出来た事実に興奮していたが、それ以上に敵と味方の双方の犠牲を最小限に抑えつつも、寡兵によって大軍に対して当たり前のように勝利する大帝に対して、憧憬とも崇拝とも知れない崇高な感覚を強めていった。
そしてその感覚はラキア王国軍との戦争が着々と推移する中で、彼女の周囲を固める大帝直属の古参兵の口から昔話を聞くたびに、より一層強まっていった。
森林への誘引は驚くほど簡単に成功したため、そのあとの戦闘はほどんどがエルフによる昼夜途切れぬゲリラ戦術によって一方的な展開となり、統率が崩壊したラキア王国軍の敗残兵の野盗化を防ぐべくこれを捕縛し、捕虜として後方へ移送するための時間の方がより長いほどであった。
戦後処理は淡々と行われたが、一説には十倍とも言われる兵力差を覆して、余りにも見事に完勝したことで軍全体が興奮状態だった。
軍の統率に乱れはなかったが、リヴェリアが皇女として成すべきことは十分に果たしたと考えた大帝は、司令官として皇女殿下の護送を老近衛隊に言いつけた。
彼はこの時、形式的な手続きを踏んだうえでリヴェリアを戦場から遠ざけたのであるが、同時に自身に最も忠実な麾下をも意図せず遠ざけてしまった。
一戦の中で苦楽を共有した部隊と一緒の方が帰りの道中も安心だろう、という老婆心がここでも働いていたことは言うまでもない。
果たして、戦後処理の最中に事件は起こった。
所謂、『アレス騒動』である。
余りにも有名なため周知のことではあるが、大帝が捕虜として捕らえられて引き出された軍神アレスに対して死刑を宣告し、これを部下の将校団が拒んだことに由来する。
この時の将校の多くは、近衛兵ではあったものの、まだ軍歴の若い青年近衛兵が大半であり、士官級も多くは青年将校が占めていた。
彼らは殊の外『神殺し』を恐れていたが、その理由は複数あったとされている。
一つには、『神殺し』が文字通り重すぎる罪業であると認識されていた点である。
一つには、この処刑が後の軍歴を積む上での障害になりかねないことを危惧した点である。
一つには、大帝の経歴にこそ汚名が加えられることを恐れた点である。
一つには、単純に神々との全面戦争を回避するためにも、外交的判断から拒むべきだと考えた点である。
主にこれらの四つの点が大きな要因であるとされた。
中でも四つ目に関しては非常に説得力があった。
事実、彼らは大帝に忠誠を誓いつつ、神々との戦争になれば分が悪いのではないか、という一面的には正当な不安を抱いていたのである。
彼らの危惧は間違いでもなかったが、結果的に、ラキア=アレス戦役は帝国が完勝し、ラキア王国軍は先十年間の侵略を挫かれるほどの被害を被った一方、諸悪の根源たるアレスは逃亡の後にラキア王国に帰還するや、戦死者の遺族へ十分な慰撫も施さぬままに、平然と再戦のための準備を開始したそうである。
周囲の将校が外交的判断の基に司令官の命令に抵抗することは、純然たる越権行為であり命令への不服従であった。
更には、結果論から言えば、彼ら青年将校の外交判断は間違いであった。
今後の侵略に際して、エルフ側には被害がなかったとしても犠牲を皆無にすることは非常に難しく、またラキア王国の人間がこの先も無意味に死んでいくことになることは火を見るよりも明らかである。
アレスの処刑を大帝が命じ、之に将校団が抗命した挙句アレスを逃がした件は、急使によって最優先で帝都に届けられた。
この報告を聞いた帝国の首脳部は抗命罪に加えて大逆罪を適用するべきであると考えたが、肝心の大帝は単なる命令違反として以上の処理は加えるべきではないとした。
軍勢は防衛軍を解散し、多くは原隊に復帰したが、大帝の命令を拒絶した将校と兵士は減給処分とされると共に、近衛隊の籍を剥奪された。
だが、それらは言わば法規的に適当な措置でしかなく、権威を否定した事への懲罰が行われることはなかった、他ならぬ大帝の命によって。
果たして、事態は収束するかに見えたが、結局のところ、そうはならなかったのである。
大帝陛下が…太祖エルゴール様が森を去ってから、気が付けば五十年余りの月日が流れていた。
私が太祖様が出奔されたことを耳にしたのは、一族の者たちの間であの方のお心を安んじる方法を話し合っている最中でのことだった。
急使が訪れるや、声を荒げて叫んだ。
「太祖様、御出奔!!!」
父や親族達の顔から血の気が引いていくのがよく見えた。私の顔からも、きっと同じように血の気が引いていたことだろう。
あらゆる官職を辞する旨、将兵への超法規的な厳罰は決して行うべきではないとする旨、二度と帰らない訳ではない旨。
この三つを綴った書置きだけを残して、あの方は森を出た。
あれから、五十年余り。
当初は今すぐに戻ってきていただくべきだと言う人々と、あの方の気持ちが整うまでは待つべきだと言う人々で対立することもあったようだが、結局は派閥抗争に至るまでもなく現皇帝の、父の「お待ち申し上げよう」という一声で収拾された。
この五十年の間に、エルフの国は大きく変化しなかった。
財政が悪化することもなかった。内部抗争が始まることもなかった。外国からの侵略により被害を受けることもなかった。
寧ろ、まるで暇なせいで娯楽に事欠き、太祖様がいらっしゃるオラリオからの一報に国全体が一喜一憂しているような状態である。
強いて問題を上げるとするならば、太祖様が神殺しを成し遂げられた旨の報告が届けられて以来、神々との全面戦争に対して強い危機感を持っていた青年将校たちが、まとめて主戦派に転向してしまったことくらいであろう。
神々の横暴を糾弾する主張が強まっているが…私はこの点に関しては、余り不安視していない。
なぜならば、この点だけは、まず確実にオラリオからの、つまりは太祖様の意向が反映されていることが明らかだからである。
根拠として、あの日、私と共に在った老近衛隊が公然と声を上げていることを挙げる。
彼らは骨の髄まで太祖様に忠誠を誓っているからこそ、太祖様が出奔する結果を招いた青年将校たちに対して如何なる私刑も行っていない。
加えて、彼らは血気盛んな青年将校の過剰な攻撃性を抑制するように動いており、青年らを主戦派へと扇動しているかに見えて、内実は神への盲従や妄信、その存在の絶対性への懐疑を呼びかける啓蒙運動の様相を呈している。
神々の横暴を叫びつつも、神々の排斥を謳っているわけではない点からも理性的かつ作為的な活動だと感じている。
彼らは自身の感情よりも主君の命令を優先することを当然のものとして遂行できる者だけで構成されているということを、私はよく知る。
彼らは例え現皇帝から命じようとも、動くなと命じられた限りは太祖様に命じられない限り動かないが、逆を言えばあの方に命じられれば文字通り命令の内容に左右されることなく実行するだろう。
彼らが動いたということは、つまりは太祖様の御意向が働いた、ということだと理解して構わないだろう。
だから、これを問題に含めるつもりはない。
我々は五十年、あの方のお帰りを待っていた。
私も、五十年待っていた。
…私は齢六十を数えたが、周囲からは今なお蝶よ花よと扱われている。
上達したのは魔法くらいで、あの戦役で苦楽を共有した老近衛隊とは今でも誼を通じている。
エルゴール様が森を去られてから、あまりにも長い年月が経ったようにも、ほんの少ししか経っていないようにも感じる。
それもそのはずで、森はあの方が去られる前から何一つ変わっていない。
否。
何一つ変わることなく、盤石な体制を保持し続けていると言い換えるべきか…。
今、振り返って考えてみれば当然のことかもしれないが、あの方が自らの愛する故郷に何か大きな禍根を残したままで森を去ろうはずがなかった。
立つ鳥跡を濁さず、とはよく言ったものだが、これほど見事に何ひとつの国内問題をも惹起することを許されないとは…我々が失ったものの大きさが、あの方が去った後だというのに帝国が小動もしていないという卓越した事実から、かえって思い知らされるようである。
考えてもみよ、歴史上に名だたる人類の英雄を、英主を、名君を、そして神々を。
彼らは文句なしに偉大な存在であり、その統治は後世まで語り継がれるほどの偉業に彩られている。
だが、その死後、或いは後世に至っては如何なる末を迎えただろうか。
およそ、どんなに巨大な帝国も、どんなに完成された国家も、一千年と経たずに変化を強いられ、或いは更なる強者により打倒され、遂には滅びの憂き目を見てきたではないか。
英雄が生きている内、名君の生きている内ばかりが花であり、全盛期というものが過ぎ去れば、もはや栄光の過去にすがる亡霊と化すことも頻りである。
エルゴール様が出て行かれた後、現皇帝である我が父や、大公である叔父叔母をはじめとした有力諸侯たちは、帝国の将来が惨憺たるものになるのではないかと、ただその一点にのみ憂慮を募らせていた。
歴史が証明している、栄枯盛衰が、三千年余り続くこの帝国にも降りかかるのではないか、と。
だが、我々の始祖はあらゆる意味で超越的であった。
あの方が去ってもなお、帝国はあらゆる面において不変であった。
経済状況は安定しており、軍部の増長も、或いは弱体もない。連合を組んできた諸公国においても、この変化がなく安定している点は共通している。
結局、真に超越した君主の手に掛かれば、その身を故郷から遠く置こうとも、その支配に陰りを見せることなどありはしなかったのである。
しかし、我々は安心できる立場にいるわけではない。
帝国の仮想敵国は多く、また連合している諸国家とて、そもそもはエルゴール様への忠誠と信仰があればこそ、帝国の臣下として扱われることを承服しているようなものなのだ。
無論、あの方が無手でこれらの諸邦を放置するわけもなく、有形無形の形での繋がりは相互依存関係を是として網の目のように張り巡らせているが…肝心の太祖様への忠誠と信仰こそが、今の帝国首脳部にとっては頭痛の種であると言ってよかった。
エルフは気が長い方だ。生きていられる時間が長いのだから当然だが。
そんなエルフでも、さすがに五十年は結構な年月だと感じるものだが、これだけの時間が経過して尚、エルゴール様が帝国に御帰り遊ばされていないという事実が、父や叔父叔母たちの胃腸に多大なる負担を強いているのだ。
私は、他ならぬエルゴール様が、個人的な信頼関係だけではない、実利を用いて帝国の連合を強固なものにした旨を言ったが、実情はこの、大帝エルゴール様への個人的な忠誠と信仰の方が、遥かに優越していると言ってもよい。
つまり、何を言いたいのかと言えば、このまま太祖様がオラリオにおわし続ければ、奇妙なことに何一つ問題もなく、何一つの失策も打たぬうちに、この帝国の連合が解かれかねないのである。
現に、黒エルフの有力諸侯や『ヒャズニング』のような島嶼部の勢力からは一刻も早い大帝の帰還が望まれている。要するに、私たちはせっつかれているのだ。
今更ながらに、我々はあの方の存在感の大きさを、この帝国における比重の偏重を認識したのである。
あの方の血を受け継ぐ直系の皇家は極少数であるが、その中には黒エルフの家門も含まれている。
我がリヨス・アールヴ家が顕著に皇帝を輩出しただけで、黒エルフの皇帝が即位した例とて少なくないのだ。
白と黒の間での抗争は、三千年前には既に下火であったわけだが、相互協力と相互監視の慣習は色濃く残っているし、エルゴール様が極端な勢力の台頭を許さない意味も込めてこれを承認されてきたのだ。
すなわち、白のハイエルフに物申する役目が、公務として黒のハイエルフには課されているのである。
そして、島嶼部のエルフは言うなれば新参である。ごくごく最近、とはいってもここ千年ほどのことではあるが、帝国と同化してからの歴史が比較的浅い勢力であることは確かであり、賠償として獲得した沿岸部の領土が帝国の版図に加えられるまでは、そこにエルフがいたことさえ知らなかったのだ。
これを、最も歴史の浅い『ヒャズニング』に至ってはエルゴール様が三百年前に特使として御自ら出向かれて、帝国…ではなく、エルゴール様への恭順を条件に、黒エルフと白エルフの紛争を完全に停止した上で帝国に参入したのである。
彼ら島嶼部のエルフが我々に、黒のハイエルフを伴って挨拶に来たとなれば、それは最早警鐘を鳴らされていることに等しいことだった。
彼らは私たちハイエルフをエルフの王族としては認めているが、帝国全土を統治する皇帝として認めるかは別問題なのである。
事実、第三者から見れば、今の皇帝首脳部はエルゴール様から信任を受けていないようにも見えるのも確かだった。
そして、大帝からの信任を失うことは死よりも恐ろしい不名誉である。皇族ならば尚の事だ。
信用の回復は急務であり、このままいけば禅譲も視野に入れることになるだろう。
少なくとも、父と叔父叔母らはそのように理解したらしい。
奏上があったその日の内に、父は私を召喚した。
「皇帝の名において、皇女リヴェリア・リヨス・アールヴに勅する」
「オラリオへ向かい太祖様にお戻り頂ける様に努めるように」
「老近衛隊の指揮権を預け、師団将軍として再度、親任するものとする」
父の言葉に対して、私に断る理由はなかった。
老近衛隊の名が出た時点で、それは暗に、太祖様からの御指名だったからだ。
だから…。
ここからは私の問題だ。
私はどうしたいのか。
私は…私はどうしても、あの方の御傍でお仕えしたい。
叶うことならば、あの方の従僕として共に森を出ていただろう。
叶わずとも、あの方が望んでくだされば全てを投げ捨てて馳せ参じていただろう。
皇女としての責務も理解しているが、私はあの時の、御傍に居た時は常に感じていた高揚が、この森の中しか知らない私の世界が広がった様に感じられた、あの時のことが忘れられない。
今までずっと、幼少のみぎりを頻りに思い出しては、例え一時の無聊を慰めることしかできずとも、ただ只管にあの日々の中で受けた愛情を繰り返し噛み締めてきたのだ。
皇祖皇宗としてあの方を敬慕しつつも、私にとっての貴方は、年の離れた兄上のような眩しくも温かい存在だったから。
だから、「謹んで拝命いたします」と私は言った。
わずかな表情の変化を見抜かれたようで、「よかったな、リヴェリア」と、父は苦笑して言った。
私はそんなに嬉しそうな顔をしていたのだろうか。
そうだろうな、憧れの人に求められたことが、確かにうれしかったのだ。
あの方の後ばかりをカルガモのようについて回っていた私を見て、廷臣たちは姫様の婚期が延びると度々苦言を呈したものだった。
父にも言われたな…私は、余りにも長くあの方の御傍に居過ぎたのだと。
翌朝、まだ暗いうちに私は老近衛隊百名を率いて森を出た。
生まれて初めて出る森の外は新鮮な出来事で溢れていたが、不安が皆無だったわけではない。
だが、私たちの前途は洋々であると、どこからともなく頼もしい気持ちが湧いてきて、その足取りは軽かった。