エルフ族にとって、その栄光の歴史を体現するエリゴールは神々以上の存在であり、その血を受け継ぐ正統なるハイエルフにも同様の崇拝が向けられている。
この信仰は当初こそエルフ族だけのものだったが、時代が経るにつれて帝国の版図が拡大され、エリゴールによる統治と防衛の恩恵を享受する地域が拡大するのに伴い、より多様な種族、より多様な地域において幅広く信仰されるようになっていった。
エリゴールの方針は寛容主義やクレメンティアと称されるものであり、基本的には多種多様な種族が混交することを是とするものであった。
そのため彼は統治下の地域において先住していた種族の先占権を承認し、積極的にこれを保護し、支援を継続してきた歴史があり、太祖の恩恵を多大に受けてきた種族ほど、エリゴール信仰の傾向は強い。
中でも、小人族は太祖からの恩恵を特に大きく享受した種族として名前が挙げられよう。
小人族…パルゥム…の名で知られる彼らは、文字通り背丈が小さく、大人であってもヒューマンの子供のように見えるほどだ。
しばしば他の種族と比較して最弱の烙印を押し付けられ、或いは不当な待遇に甘んじる者も多かった小人族にとって、剰えその歴史上の全盛期とも呼べる古代フィアナ騎士団の栄光までもが、他ならぬ神々の手によって否定されてしまったことは歴史上の冷酷であろう。
神々が降臨した千年前よりも以前、三千年以上前の古代に存在したとされるフィアナ騎士団の団長であったフィアナは後に神格化されたが、人間にとっては目の前に現れた本物の神々の存在と比較して、人間の手で神格化されたフィアナの存在は虚構に思えてしまったことは想像に難くない。
三千年前というのは余りにも大昔のことで、同時代を生き、当時のことを知る人間など当然ながら存在しなかった。
フィアナの存在を証明できる存在は神々以外に居なかったが、彼らは彼女のことを英雄とは扱いつつも、「神ではない」ことを否定しなかった。
小人族の栄光の歴史は、事実と言う冷淡なる壁の前に潰えたかに思われたが、これを覆す者が現れる。
その者の名はエリゴール。
言わずと知れた全精霊を統べし聖なる森の絶対者である。
彼は帝国の版図に小人族が住んでいた地域が加えられるや、上述の事情を知る。
そして、言った。
「彼女のことは覚えている。本来ならば神々がするべきことを、人の身において、文字通り身命を賭して代行したのだ。彼女を神として祭祀することに一体何の問題があるというのか」
と。
更に、このようにも付け加えた。
「当時の帝国の版図は彼女の領分の近くにまでは届いておらず、助力することは叶わなかったが、私が暮らしていた森の奥までその活躍は耳に聞こえていたのだから、伝説に違わぬ立派な人物であったことには疑いの余地がない」
「神々が彼女のことを否定したことは幸いである。彼らが否定したことで、彼女は真の神となる為の準備を整えたのだ」
「彼女は神を自称する僭称者ではない。歓呼に応え、身を削り、成し遂げた。紛れもない、与えることで神の呼び名を勝ち得た者である」
「私は彼女に対して敬意を厚く表し、小人族の、ひいては人類の英雄として断固として顕彰する」
果たして、エリゴールは嘘をつかなかった。
この発言の後、エリゴールはすぐさま有言を実行した。
フィアナ大神殿を小人族の社稷として建立するとともに、志願者を募り、この神殿を守護する騎士団として小人族だけで構成されるフィアナ騎士団を復活させたのである。
このような背景から、フィアナの大神殿はフィアナ信仰の聖地であると同時にエリゴール信仰の中心地としても著名となり、小人族の二大信仰として今日において尚も堅固に確立されているのだ。
他にも、白エルフと黒エルフの積年の対立に終止符を打ち、エルフ族の統一者として永きに亘る平和を築いてきた功績は比類無きものがある。
黒エルフと共に奏上した『ヒャズニング』という島嶼部のエルフの領邦も、つい三百年前までは両エルフ同士の血で血を洗う闘争の舞台であった。
これに終止符を打ったのもまた。エリゴールによるものであった。
両勢力を心服させ、帝国の領邦に組み込み、両エルフ間のわだかまりを教育と統制により解消した。
純粋な経済的恩恵により安定志向が双方に増えたことが、決定打となったと考えられており、これに加えて聖なる血の源泉とも呼ぶべきエリゴールが上になることは、互いが互いにだけは上に立ってほしくないと考える双方にとって具合がよかったのである。
このような、あちこちの土着的な問題や民族的なわだかまりを、手当たり次第に解決してきたことにより、帝国を構成する人種は実に多様である。
帝国は志願兵のみが常備兵として運用される制度を取り入れているが、エリゴールの常勝無敗の伝説に触発されて、彼の帷幄への参加を熱望する者は、オラリオで冒険者になることと同じくらいに多い。
中でも近衛隊への参加は、一流の冒険者になることにも等しい偉業であるとされ、入隊試験を受けるだけでも種族関係なく五つ以上の戦場で十年以上生き残り、或いは特筆すべき戦功を挙げねばならないという。
しかし、これほど困難な条件があるにもかかわらず、近衛隊への志願者は常に募集人数よりも遥かに多く、近衛隊の中でも最高峰の老近衛隊になれる者は、この中から更に一握りの英雄級の超人だけである。
だが、実力さえあれば誰であれ選ばれる機会が存在することから、また存命する史上最大の英雄である大帝の間近に居られるという特権もあって、今上の近衛隊の面々も種族も不揃いな一方で、誰もが何かしらの卓越した技能を有しており、オラリオへの即時投入も十分に可能な精鋭ばかりであった。
そのような者共を百名も引き連れたリヴェリアは、道中で大変に目立っていた。
彼女の素晴らしい美貌も、またそんなエルフの美女が率いる屈強な戦士たちの列も、何もかもが人目を引いていたのである。
大帝の一人旅とは異なり、リヴェリアたちは都度、宿場町に泊まる必要もあり、また皇女であるリヴェリアは帝国の内外でも国賓待遇がもっぱらであるため、外交の兼ね合いもあり街道沿いの都市国家へも訪問する必要があったのである。
人目に触れること幾たびも、リヴェリア達の旅程は、すっかり話題の種として巷を沸かしていたのである。
その日、リヴェリア一行が宿泊したのは『プレブリカ』なる田舎町であった。
田舎町と言いつつ平野に面しており森が近くにあるわけではなかったが、数百年以上前に戦後賠償により帝国が獲得した歴とした帝国領内である。
そのため、リヴェリア自身はオラリオを目前にしても、未だに森の中と同じ様な丁重な扱いを受けていた。
そのことに多少の疲れを見せていたものの、彼女は顔には出さず、皇女として領主からの挨拶を受けたりと忙しくしていたが、一段落が着くと晩餐会に招待されるまでは暇な時間が生まれた。
宛がわれている自室に戻ると、そこでは彼女の身の回りの世話をしてくれる従者であり、幼馴染でもあるアイナ・リンドールが部屋の掃除に精を出していた。
「あら、姫様、おかえりなさい」
「アイナ、頼むから姫様はやめてくれといつも言っているだろう?」
館の者から借りた布巾を濡らして、わざわざ水拭きをしているらしい。濡れ雑巾を手に、埃という埃をせっせと擦り取っていた。
呼び方について指摘されて、アイナは困ったように笑いつつ言った。
「そうは言われましても、姫様は姫様ですもの」
「せめて名前で呼んでくれないか?」
「わかりました、リヴェリア様…これで、いいかしら?」
「ああ、その方がずっといい…ふぅ」
幼馴染とのこなれたやりとりで気分が解れたせいか、リヴェリアはため息を吐いた。
「お疲れのご様子だけど、お茶でも淹れましょうか?」
「いや…アイナ、貴女の方こそ休んでくれ。明日には発つのだから、わざわざ改めて掃除することもないだろうに」
そう言うと、アイナの眉間に皺が寄った。
「いいえ、そんなことはありませんよ。だって、この辺りは森に比べてずっと空気が悪いし、リヴェリア様をこんな埃っぽい部屋で寝かせるわけにはいきませんもの」
「まぁ、そこは貴女に任せよう…掃除の邪魔になるのも悪い、気分転換に辺りを見てくるとしよう」
リヴェリアは森を出てから頻りに空気が悪いと不満を零していたアイナの言い分も一理あるなと思い、そのまま部屋の掃除を任せることにした。
部屋で休むわけにもいかなくなったので、この時間を利用して集落を見て回ることに決め、彼女は宿泊していた領主の館を後にした。
まだ明るい時間帯に、リヴェリアは案内人と数人の護衛だけを伴って町を散策した。
彼女自身が強力な魔法使いではあったが、同時に高貴な身分でもあるため必要な措置であると理解していた。
彼女と併せて近衛兵をオラリオに招き寄せるエリゴールの意図は何であろう。
リヴェリアはゆったりとした足取りで散歩をしながら、ぼんやりと思考を転がした。
視界に移る平和な町の日常を流し見ながら、ふと、視界の端に見慣れない緋色の頭が引っ掛かった。
理由はわからない。
が、
「あれは?」
リヴェリアは傍らの、町から借りている案内人に尋ねた。
「見慣れない顔ですね。旅人でしょうか」
案内人も首をかしげている。
なにかが気になってしまって、リヴェリアはしばし緋色の頭の影を観察していた。
「引っ立てますか?」
と、案内人が物騒なことを提案したものの、リヴェリアは「その必要はない」と断った。
観察を続けていると、視界の端に別の影が見えた。
今度は金色の頭をしていた。
「あれも見ない顔ですな」とは案内人の言だ。
見慣れない顔と見慣れない顔が何かを話しているようだが、見受けるにあの緋色の頭の糸目の方が、金色の頭の青年…否、あれは小人族か…に何かを持ちかけているようだ。
声は聞こえてこないものの、リヴェリアには、不思議な予感があった。
何かはわからないが、見逃すことはできないような、そんな気が。
金色と緋色の二人の方へ近づいていくと、話の内容が聞こえてくる。
「…」
「いやいや、全然全然!ぜんッぜん怪しい者やないって!髪色が珍しいっちゅうことはあるやろうけど、それ以外は至って普通の、稀に見る美女やんか!なぁ?」
「えっと…あの、何の用ですか?」
「かーッ!反応うっす!ウチみたいなベッピンさんに声を掛けられたんなら、ほら、もっとエエ反応っちゅうもんがあるやろ?」
「いや、単純に怪しいというか…?あの、僕は用事があるので…」
「ちょ、待て待て待て!せめて話だけでも聞いてくれん?どうしたのーとか、そういうの、あってもええんちゃう?」
「いや、本当に用事があるんですって…」
「あ!ならその話をウチにしてみるっていうのはどうや?人生経験の違いっちゅーもんを見せたってもええんやで?」
「…わかりました。話すだけなら…」
そう前置きしてから、金色の髪の青年…やはり小人族であった…は、地元にある騎士団に入団したいが実力が足りず門前払いされたこと、実力をつけて再度挑戦するべくオラリオに向かう途中であること、偶然見かけたリヴェリアの一団に気付き、精鋭として知られる彼らに稽古をつけてもらえないかとお願いしに行く道すがらだったこと、などを緋色の髪の方に話した。
聞き届けた緋色の方は、何度も相槌を打ちながら、腕を組み、その細い目を更に細めてうんうん唸り、それから気配を潜めて立ち去ろうとしていた小人族の青年に目ざとく気づくと、これを逃がさないようにその腕を捕まえたまま、妙案を得たりとばかりのしたり顔で言い放った。
「なぁるほどなぁ…うーん、これは運命というヤツやろうな。うん。間違いないわ」
「いや、なんでそうなるんですか?」
青年は物凄く帰りたそうな顔で突っ込んだ。
「そりゃ、目的地はウチと同じやし、あのご一行に興味津々なのもウチとおなじやないか!」
「え?貴方もオラリオに向かうんですか?」
「おう、そりゃもう、向かいまくりや!」
「けどなぁ」と置いてから、緋色の方はこう続けた。
「けどなぁ、眷属が一人もおらんのもなぁ…それに、どうせやったら誰も知らない子供たちが有名になっていくのを見る方が、最初っから結果の分かりきった試合を見るよりもずぅーっと面白いことやと、そう思うやんか、なぁ?」
「そこでや…キミぃ!ウチの最初の眷属になってみんか?今なら、なんにもなくてもイタズラしたってもええんやで?出血大サービスってやつや」
眷属。
その言葉が出たことで、小人族の青年は目の前の得体のしれない存在が、単に胡散臭いだけではない、上界から降り立った神であるということを理解した。
「…それで、その神様がどうして僕なんかを?」
「だから、言ったやろ?まだ可能性の原石でしかない子供たちを集めて、その子らが成長する様子をみたいんやって…君は、その条件を満たしてるとウチは確信してるわけや」
「うーん…」
「どのみち、オラリオについてからは神の眷属になって恩恵を授かるんやから、自分から頭を下げに行くよりかは、是非ウチに!って言われる方が得した気分になるやないか」
「そういわれてみれば…たしかに」
「せやろ?それに、あのエルフのお姫様の周りについとったのは戦士っちゅうよりは兵士やろ。仕事でもないのに、君みたいな若造を相手にしてくれるほど暇だとは思えへんけどなぁ?」
「う…それは、たしかに…」
「やろ?せやろ?だから、ここはウチの眷属になっておくのも手やと思うで。合わなかったらその時はその時や、改宗すればいいだけなんやし、気楽な感じでな?どうやろか?」
「じゃ、じゃあ、お願いしようかな…」
「おぉ!よう言った!それをウチは期待しとったで!ほいじゃ、早速…」
あっという間に言いくるめられた、純朴そうな小人族の青年は、緋色の髪をした神に連れられて、おそらくは泊っている宿の方へ去っていった。
「ありゃ、なんだったんですかね?」
「さぁな」
一部始終を見届けてから。
案内人の言葉に、リヴェリアは素知らぬ顔で首を傾げた。
なんだか、懐かしい気持ちと寂しい気持ちが湧きだしたが、彼らとは再会する機会が遠からずやってくるような気がしていた。
散歩を終えて部屋に戻ると、アイナは掃除を終えていて、リヴェリアの帰りを見越してお茶の用意をしてくれていた。
「どうでしたか?何か面白いものはありましたか?」
「ああ、小人族の青年が、胡散臭いのに捕まっていたよ」
「まぁ、それで?」
「胡散臭いのは神だと名乗っていたが…神威で一目で神だとわかるという噂は当てにならんな」
「ふふふ、そういうこともあるのですね」
「滅多にないことだとは思うが…なにせ、太祖様は道理の通らぬ神がお嫌いだろう?だから、神が森にまで来た試しはほとんど聞いたことがないからな」
「だから、知らないのも無理はない」
言うと、リヴェリアは香りを楽しむように茶碗を口元に寄せた。
「来週までにはオラリオに着くとよいのだが」
「オラリオはどんなところなのでしょう?」
「見たことはない。だが、太祖様がおわすのだ。きっと、よいところになっているのだ」
「そこの空気はここよりは澄んでいると好いのですけれど…」
アイナとお茶を飲みながら、リヴェリアは晩餐までの時間を過ごしたのだった。