悪役天才道術士の憤怒 破滅確定だった転生悪役、隠された才能で原作を蹂躙する 作:稲荷竜
雷光が爆ぜる。
否応なく剣聖を思い出す。
だから、ふと思うともなしに、日常の端々に剣聖を思い浮かべてしまうことがあった。
たとえば剣を握る時。その握り方はどうか。剣聖のように──『崖を上るかのような手つき』にできているか。無駄な力は入っていないか。手足の延長のように持っているつもりで、正しくはどうだったか。そういうことを、考えてしまうことがある。
たとえば家で剣術の鍛錬をしている時。自分の姿は自分のイメージの通りに動いているか。足が逸って先走っていないか。手が逸って手振りになっていないか。腰から動けているか。そういう『己を見つめ直す時』には、イマジナリー剣聖を思い浮かべ、そいつに指導させてしまうことがある。
氷邑梅雪ははっきり言って、自己客観視を苦手としている。
『中の人』が入って、氷邑梅雪という人格について客観視をできるようにはなった。
だがすでに馴染み切って取り込んで、長い時間を過ごした今となっては、『中の人』ならぬ、別な『自分の中の他人』が必要になる。その役割を剣聖が担うことは、あまりにも多かった。
だから、
「ますますあの
帝都上空。
夕刻も終わりかけていよいよ
その中で奔る雷光へ向けて、氷邑梅雪は悪態をつく。
今の桜は、あまりにも剣聖シンコウを思わせた。
剣術の動きが似ているのは、まあ、いい。桜は剣聖最後の内弟子だ。その剣の術理に剣聖を感じさせるのは、むしろ当たり前と言える。
だが、容姿も似ていない、性格も違う、体格だって同じではない、そんな桜の表情が──
──笑顔が、剣聖に似すぎているように感じられるのは、どういうわけなのか?
あの含むような笑み! 『自分はすべてをわかっています』『自分はすべてを愛しています』『自分はすべてに優しさを以て接します』というメッセージが込められているかのような、あの笑み。
他者を人間扱いしていない本音を絶妙な口角と眉の角度で他人に感じさせない、見た者がつい『この人は、本当に自分を思いやってくれているのだな』と信じてしまいたくなるような、あの表情。
もちろん梅雪がそのような、『表情の印象』を信じることはない。
だが、『そういう表情』であることはわかる。
そして、『そういう表情』は、桜にはできないものだったはずだ。
桜の表情は、いつでもぼやけた他人事みたいな顔か、どこか遠くを見ていて、目の前のことをちっとも見ていない間抜け面だった。
それがなぜ今、戦うほど、静かに、透明に、博愛的になっていくのか。
夜空を奔る雷光となりつつ斬りかかってきた桜が、鍔迫り合いをしながら笑う。
「ねぇ梅雪、夢を持つのは素晴らしいことだと思わない?」
「死ね」
もはやこの女と会話をする気はまったくない。
梅雪は質問に答えるつもりもなく、ただただ殺意をぶつけ、道術による氷の
風に乗せて礫を撒きながら形成するのは、簡易的な結界──いわゆる
己の手足のように操作できる氷の礫を、風に舞わせて動かせば、それは、対面する相手からすると、まったくランダムな、読めない軌道で道術をばらまいているようにしか見えない。
だがすべてには計算がある。戦いながら、ほとんど無数と言ってしまえる礫を計算で動かし、相手を詰む思考能力を氷邑梅雪は獲得している。
梅雪の殺意は本物だ。
ここで桜を殺す手段も獲得している。
これ以上厄介な女に絡まれないよう、ここで終わらせる気概があり、そのための殺害プランも用意してある。
……だから、『意』が乗りすぎる。
梅雪の道術と剣術の複合攻撃に、桜は空中で対応する。
梅雪が『詰み』のための道筋を用意すれば、それを避けるような動きをする。
隙を作り畳みかけるための一手目で、それを察知したように動き出す。
強い威力のものを無数の攻撃の中から見つけ出し、それをかわすように体を操作する。
梅雪は思わず、舌打ちした。
「急に随分と慎重な戦い方をするようになったものだな」
桜は、己の不死を自覚する不死者である。
首が胴から離れようが、体を真っ二つにされようが、構うことはなかった。『それでも攻める』という攻撃性こそが、桜の脅威だった。
無数に生き返る、あるいは死なずに己を癒し続ける不死者による、『捨て身の玉砕覚悟の攻撃』は、ただの反則だ。己の命を懸けてでも相手を斬る、という気概の動きを、己の命を懸けることなくできてしまうのだから、命が一つしかない側からすればたまったものではない。
その桜が、『かわす』『避ける』『詰まれないようにこちらの手を読む』。
……怒りと憎悪、それからキモさのせいで殺意が漏れすぎてしまっていたことは梅雪も自覚するところだが、これまでの桜であれば、それでも、避けたり、かわしたりということはなかった。むしろ、梅雪が強く殺意を発すると、それに飛び込むような動きをしたものだ。
だが、今の桜はまるで、命が一つしかないかのような動きをしている──
桜は、雨あられと四方八方から己を狙う道術礫を避けながら、「うーん」とのんびり考え込んで、答える。
「なんか、悪い予感がしてさ」
「……」
「師匠に武術を教わってから、そういう感覚はあったんだけど──なんだか私、『本当に危ない場所』には体が行かなくなってるような感じなんだよね」
……剣聖シンコウは不可解の塊の変態女だったが。
その中でも一等、不可解な要素があった。
生存能力だ。
いわゆる『斬り結んで生き残る力』ではない。逃げ回る力。危険そのものを避ける力。無駄な争いをしないで済む力。
サバイバル能力、というのとも少し違う。『どのような環境でも生き残れる力』ではなく、『頑張らないと生き残れない環境の場所にはそもそも踏み入らない力』だ。
……あの剣聖の性格を知っていると、おためごかしにしか思えないが……
シンコウが開祖となっている
つまりあいつの武術は『生存のための技術』なのだ。
それが骨の髄まで身に付いた時、戦闘時の『こちらから剣が来る気がする』などの直観ではなく、もっと広く、大きな範囲で、無意識下で危険を感知する能力が磨かれる。
桜が今、奇妙に『攻撃を避ける』のも──
「──梅雪、何か、私を殺せる手段があるでしょ」
骨の髄まで身に付いた生存術が、彼女に『本当の命の危機』を知らせているからに他ならない。
(……いや、ふざけるなよ本当に! とはいえ……くそ! わかってしまう。そういうこともあると──武術をある程度やってみて、『確かにそうか』と思ってしまうのが、忌々しい!)
実際、梅雪も、剣の術理を修めているだけなのに、危険を感じ取る力、みたいなものが増しているのは感じていた。
まったくもってオカルトな話にしか感じられないが、実際に自分も感じていることなので、何も言えない。
……だが。
感知された程度でダメになるほど、氷邑梅雪の『必殺』は甘いものではない。
梅雪は内心で一瞬抱いた『こいつめ』という思いを顔に出さず、余裕のある、見下すような笑みを浮かべた。
「三手だ」
「……ふぅん?」
「三手で貴様を詰む。完全に殺す。二度とその口から言葉が出ないように、二度と俺の前に姿を現わせないようにしてやる」
「今の戦いは、何手目?」
「プランを変えたのがたった今なのでな。この俺に面倒な手順を踏ませたことを後悔しながら──まずは、一手目を喰らえ」
梅雪が巨大な氷の塊を天へ向けて放った。
避ける軌道ではない。桜は、他の攻撃に対応しながらも、視界の端で攻撃を見送る。
そして……
見送った先で、梅雪の放った氷の塊が、花火のように弾けた。
瞬間、桜は、重苦しい重圧を感じた。
到底、飛んでいられなくなるような、すさまじい重圧……
踏ん張っても、高度が下がっていく。
しかも、この重圧は、梅雪は感じていないようだった。
これは……
「本来はもっと後の登場だったが、これを一手目にさせたこと、まずは賞賛してやろう」
梅雪が見下すように笑っている。
桜は、どんどん高度を落としながら、驚きの声を挙げる。
「この重さ──大規模道術!?」
梅雪が鼻で笑った。
「ああ、喜べ桜。この俺になるべく頼りたくなかった手段を使わせたことを」
梅雪が頼りたくなかった、その手段とは……
「おばあさまの出陣だ」
桜の襲撃を知らされた梅雪は、帝都と九十九州との間にある場所──
──
そこにいる祖母ではない祖母と結ばされた不平等条約の効果が今、発揮されていた。