悪役天才道術士の憤怒 破滅確定だった転生悪役、隠された才能で原作を蹂躙する   作:稲荷竜

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第316話 剣桜鬼譚・IF 一

 物語は『魔境』から始まる。

 

 帝が崩御したことによる大乱の幕開け。

 その乱により領土からはじき出された『まつろわぬ民』たち。

 

『主人公』は、ある日、『まつろわぬ民』が流れ着いた場所──魔境、すなわち本州と死国(しこく)(さかい)で目覚める。

 

「──は」

 

 (さくら)が目覚めた時、目の前には死んだはずの剣聖シンコウがいた。

 そして、自分を見つめる、見覚えのない人たちがいた。

 それから、大きく育ったあの、梅雪(ばいせつ)の横にいつもいる、犬獣人の少女がいた。

 

「──ここ、は」

 

 梅雪の何かの術に巻き込まれたのは、桜もわかっている。

 だが、それが異世界創造術式であり、しかも、梅雪の『中の人』が前世において愛した、この世界──桜にとっては紛れもなく『現実』である、クサナギ大陸を舞台にした剣桜鬼譚(けんおうきたん)というゲームであるというところまでは、さすがに理解が及ばなかった。

 

「桜」

 

 ……三つ子の魂百まで、という言葉があるように。

 人生の始まりの時、身についた習慣というものは、いつになっても、体の中に確かにあるものだ。

 

 桜は、シンコウが声を発した瞬間、悩むのを打ち切って、全霊でその言葉を聞こうとした。

 この世に発生した直後に自分を拾ってくれた人。その人のもとで剣術を習ったのが、自分の始まり。だから桜にとって、シンコウの言葉に全身全霊を傾けるというのは、『幼いころ』に身に着いた習慣であるし、生存のために必要な行動でもあった。

 

 この世界では、強くなければ死ぬ。

 強くなるためには、師匠の言葉を全霊を傾けて聞かねばならない。

 だから桜はそうする。それは、発生したてで、自我の薄い状態であった桜が、それでも行った生存本能に基づく行動である。

 

「もしもあなたが本当に、この者たちを守らんとするのであれば……この『魔境』の外へ出なければなりません」

 

 シンコウの言葉には、往年と変わらぬ慈愛の響きがあった。

 また、どこかそっけない響きも、言葉に同居していた。

 

 師匠のことが、今の桜には、少しだけわかる。

 

 この人は優しい。この人は弱者の味方だ。この人は、多くの人の生存を望んでいる。

 だけれど、根底には、『生存を欲するのであれば、それは、弱者の側が力をつけるべきだ』というシビアさがある。

 

 だから剣聖シンコウの言葉にはいつも『選ぶのはお前だ』という響きが混じるのだ。

 それが慈愛の中に包まれて、その鋭さ、シビアさを隠してはいても、言葉の心金となって、その硬さをわずかに窺わせる。

 

「魔境の外は今、乱世、と呼ぶべき状況でしょう。帝が(しい)された今、クサナギ大陸は混迷の中にあります。秩序は消え去り、暴力が支配する。そういう世界が、この魔境の外には広がっているのです」

 

 剣聖シンコウは、目隠しの下の目をクサナギ大陸に向けていた。

 表情は憂いの色が強かった。しかし、口にはかすかな微笑があった。

 シンコウはいつでも微笑を浮かべている。その微笑は、角度によって、弱者を哀れむもののようにも見えたし、今この時も被害に遭っている誰かを思い浮かべ悲しんでいるようにも見えた。

 しかし今の桜の目には、視線の先にある戦乱を想い、そこでの戦いを想い、喜びを抱いているように見える。

 

 桜は、理解した。

 

(師匠は、おかしな人だったんだ)

 

 桜は誰かと約束し、その約束を果たすため、どこまでも行く。約束を持ちかけた当人が『そこまでは』と思っている場所さえ踏み越えて、どこまでもどこまでも、止まらずに行く。

 それはもともと、桜の『元』になった人物が持っていた性質ではある。

 

 だが……

 

 もしも、剣聖シンコウが、師匠として、最初に自分と触れ合った『クサナギ大陸』の人間でなければ……

 師匠みたいな、際限なくどこまでも行くことを普通だと思い、なおかつ、『剣士、道士、騎兵、すべての適性がないのに、あきらめることなく、止まることなく、剣聖とまで呼ばれるようになってしまった、止まることを知らない人』でなければ……

 

 桜は、早い段階で、学べただろう。

 

『人間には、限界がある』と。

『どこまでもは行かず、生活とか、命とか、そういうものと相談しながら、都度、目標を修正していくのが当たり前だ』と。

 

 人は弱いと、学べただろう。

 

 そして……

 

 きっと、窮屈に生きていくことになっただろう。

 

 桜は思う。もしも自分が最初に出会ったのが、もっと『普通』の人だったら?

 普通に生きて、普通の目標を抱いて、その目標さえ叶えられずにあきらめて、『現実的』なところで妥協して、生活という人生の基盤を何よりも大事に考えて、途方もない夢を追うことを恥だと思うような、そういう、普通の人に、最初に出会っていたら。

 

 きっと桜は、その人に合わせた。

 そして、埋もれたし、生きる理由を見つけることができなかった。

 

 世の中には、世間に評価されていないものの、才能を持つ人というのが、恐らく無数にいる。

 では、なぜ、その才能は世間に評価されないのか?

 認められないからだ。発揮する機会がないからだ。

 

 大抵の『才能』というのは、世の常識を凌駕する。

 だが、世の常識を凌駕するには、常識の中に己を閉じ込めないという、精神性が必要だ。

 とはいえ普通の人に育てられた、普通の環境で生きていた人物が、『常識』という枠内に己を収めないように生きるのは、難しい。可能・不可能という話の以前に、そういう発想を抱くことが、難しい。

 

 きっと桜も、シンコウ以外の、もっと普通の人に拾われていたならば、普通に生きようと努力しただろう。何せ、『普通に生きて、普通の娘のように幸せになって欲しい』と願われたならば、それを叶えるのが、桜の性質だからだ。

 

 だから、桜は、改めて、思うのだ。

 

「最初に出会えたのが、師匠で本当によかった」

 

 彼女以外の誰かに拾われていたら、きっと自分は、『幸せ』の輪郭を掴むことさえできなかっただろう。

 

 シンコウは桜の言葉の続きを待つように、顔をこちらに向けていた。

 桜は会話の流れをまったく無視した想いが口から飛び出たことに、遅れて気付いた。

 

 この師匠は、『師匠』ではない。

 その横に当たり前のように立つ、赤毛の犬耳の子も、『あの子』とは違うだろう。

 

 死者が蘇ったわけでも、過去に戻ったわけでもない。

『そういう世界』にいる。そうとしか説明できない、謎の状況にある。

 

 梅雪を探して戦いを続けるべきだと、桜は思った。

 けれど、『この師匠』が心の底で願っていることが見えてしまった。

 ならば、叶えたい。桜は己の性質・性癖に律儀だ。戦いの最中、想いを遂げるための殺し合いの最中とはいえ、それは、誰かの願いを背負わない理由にはなりえない。

 

 桜はいつだって、目標に飢えている。

 あまつさえ、すでに亡い師匠の目標だ。彼女が桜の師匠とは別人だとしても、その夢は、背負って叶えるべきものだと、桜には思えた。

 

 この、目の前の師匠・シンコウの目標。

 すなわち……

 

「魔境から外に出て、戦乱に飛び込みましょう。……様々な強者と戦い、多くの弱者を拾い上げ、私たちは、私たちの努力によって、この大陸に居場所を作るべきです」

 

 それが、シンコウの目標。

 桜は己の目標を持たない。だからこそ、他者の願いを敏感に察して、それを叶えようとする。

 

 主人公は究極の共犯者である。

 誰かに示された選択肢の通りに行動し、己の自我を出さずどこまでも行く。

 そうしてそのうち、選択をした誰かの意思さえ、凌駕する。

 

 師匠が、微笑んでいた。

 

 桜も、微笑を返した。

 

 鏡合わせのようだった。当たり前だった。

 桜の微笑は、師匠から受け継いだものだ。

 

 空っぽの主人公は、浮かべる表情さえ自分では選択できない。

 

 だから、桜は、己を探す。

 己に向けられる感情の中に、その感情を向けられる理由の中に、『自分』というものがあると、信じて。

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