悪役天才道術士の憤怒 破滅確定だった転生悪役、隠された才能で原作を蹂躙する 作:稲荷竜
主人公・
「
シンコウから氷邑家への評価は散々なものだったが、その散々さにはまったく『熱』がなかったのを、桜は不自然に感じた。
もちろん、『ここ』ではない場所でシンコウの薫陶を受けた経験から感じる不自然さだ。
シンコウが氷邑家について語る時には、もっと熱があった。言葉の上では散々に否定していても、その否定の言葉にさえ、愛があった。
だが、今のシンコウの言葉は、罵倒であっても冷めている。
なんの関心もない、というよりは、失望しきっている、というような。そういう冷たさがあった。
「我らの行うことは、侵略になります。しかし、侵略することで救われる人というのも、いるのです」
氷邑家の場合に限り、その言葉は真実だろう。
だけれどシンコウの口ぶりは巧妙というか、冷静に聞けばズルいと思える言い回しだった。
最初に侵略する領土についてこんなことを言われれば、以降、ずるずると、どこかに侵略する時、相手の『侵略することで救われる事情』を探してしまう。
自国の政治に対し、すべての民が納得しているということはないだろう。領主のせいで割りを喰ったり、被害に遭ったりする人は、このクサナギ大陸であれば、まあ、いないわけはないだろう。
けれどそれ以上に、『現状』に不幸を感じていない人はたくさんいる。そういった人の『不幸ではない状態』を脅かすのが、侵略という行為だ。
シンコウの物言いは、今後、
絶対的な正義はない。支持率十割の政権もない。どこかに絶対ある『悪』『不支持』の部分を探させ、それを理由に侵略行為の精神的ハードルを下げる。そういった巧妙、あるいは狡猾な計算のある言葉選び。兵法であり、軍略であった。
そして、相手の悪を突き、正義を成すのは、気持ちがいい。
『侵略することで救われる人もいる』──シンコウの言葉は紛れもなくゲート・ドラッグのような役割を持っていた。
つまりそこに、シンコウの目的が隠れている。
桜はもちろん、察した。
「わかっています、師匠。……私は迷いません。必ず、虐げられている弱き人たちを、救ってみせます」
この言葉にシンコウは誇らしいものを見るように口元を笑ませたし、トヨ(犬耳の獣人)は全面的な信頼を感じさせる目つきで桜を見てうなずいた。
引き連れている『まつろわぬ民』たちも、決意と覚悟と、それから希望を秘めたまなざしで桜を見た。
願いが、集まっている。
彼女らの願いは、『強者の絶滅』だと桜は察した。
紛れもない、土地を持たない、排斥された弱者の連合である。
土地が欲しい。満足な食事が欲しい。擦り切れていない服が欲しい。それらはすべて、生存に直結するシリアスな望みであり、どこか根拠地を──魔境ではない、人里に根拠地を構えなければ得られないものではある。
だが彼女らの目的はそこにはないのだ。
彼女らが興味を示しているのは『強者を倒すこと』である。ついでに土地を手に入れ、その土地の文明も手に入れる。だがしかし、モチベーションの源、行動の火種は、うっすらと感じている『強者のせいで自分たちの現状がある』という恨みであり、それの解消のために、『倒してもいい強者を求め、それを倒す』ということを望んでいる。桜は、そう察した。
だから、氷邑家を倒しに行く。
元名家。悪逆非道。弱者を、民を被害に遭わせている。
こんなにみんなの心を一つにできる目標はない。初戦。土地をとる戦い。人を必ず殺すことになるだろう。恐ろしい。死ぬかもしれない。だが、そんなマイナスをぶっちぎるほどのモチベーションがある。相手が『悪の名家』であれば。
(
桜もまた、高いモチベーションを持っていた。
氷邑家。その当主といえば梅雪。あの父親はすでに亡く、この世界では梅雪が家を支配しているらしい。
どういった意図でこのような世界に自分を招いたかは知らないが、決戦の時の近さに、桜は高揚を覚えていた。
道中、兄に手籠めにされかけた銀髪の少女──はるを味方に引き入れ、氷邑家をいよいよ殲滅する。
……だが。
桜は、そこで、驚くことになる。
「ええい! 揃いも揃って弾除けにもならんゴミどもめ! この俺を誰と心得る!? 帝の祖の時代より帝に仕えし御三家! 氷邑家当主の梅雪なるぞ!? それを、貴様らごとき下賤の者らが、いったい──」
「──誰、君」
「──なんだ、貴様!」
「君は梅雪じゃない」
氷邑梅雪は、氷邑梅雪ではなかった。
確かにそういう名前の、そういう存在なのだろう。だが、言動が、力量が、桜の知る梅雪とはかけ離れすぎていた。
燃え盛る屋敷。すでに部下の一人もない梅雪。
紅蓮に染まった氷邑家中庭で、桜は、尻もちをついて何かを喚き散らす梅雪を見下ろす。
「梅雪は、そんなこと言わない。梅雪は、傲慢で、性格が悪くて、自己中心的で、でも、こんなふうにみっともない命乞いなんかしないし、御三家とかいう、誰かに与えられただけの立場を笠に着ようとしたりもしない。この状況でも、絶え間なく計算を巡らせて、こっちの隙をついて、なんとしても殺すっていう殺意が滲み出てる。君みたいに、怯えて、口汚く唾を飛ばして、小癪な時間稼ぎをして、増援が来る計算もないのに、ただただ死ぬまでの時間を引き延ばすような、そういう無駄なことをする人じゃないんだよ。梅雪を名乗る君は、誰なの? まさか、君が、氷邑梅雪のつもりなの? 同じ顔で、同じ声で、ちょっと成長した見た目なのは気になったけどさ。期待しちゃったじゃん。期待したんだよ。私は、再会を。また殺意を向けてもらうのを、期待したんだ。だっていうのに、何、それ? ねえ、私を殺せると欠片ほども思ってない男が、どうして私の前で氷邑梅雪を名乗るの? 不快だよ。本当に不愉快だ」
『氷邑梅雪』は、何も言えず、怯えた顔を桜に向けるだけだった。
桜は、氷邑梅雪の四肢を斬り落とした。
なんの抵抗もない、柔い肉だった。
今の言動の全部が欺瞞で、こちらが甘い動きをした瞬間に襲い掛かられるという、楽しい妄想もしてみた。でも、妄想は現実にはならず、氷邑梅雪は、氷邑梅雪を名乗る謎のゴミだった。
桜は、この梅雪のことを記憶から消すことにした。
四肢を削いで、トドメを刺さずに振り返る。
供として連れていた人たちは、何も言えず、桜を見ていた。
一人、はるだけが、梅雪に近寄り、何かを言っていた。
どうでもよかった。知らない人が、知らない人にかける言葉に、興味はない。
「……どこにいるんだろう、梅雪。何をするつもりなのかな」
桜の興味は『本物の梅雪』に移った。
彼が今、どこで、何をしているかはわからない。
でも、今、桜がいるこの世界は、彼が、必殺を期して仕掛けたものだ。
だから、絶対に出逢える。
桜は目を閉じ、胸に手を当てた。
「逢いたいな、梅雪」
四肢を切り落とした『氷邑梅雪』のことなど完全になかったもののように扱う、その尋常でない様子に、ほとんどの者が恐怖に近い感情を抱いていた。
だが、進む。
桜のクサナギ大陸侵略は、進む。
本物の氷邑梅雪に出逢うまで、止まらない。