悪役天才道術士の憤怒 破滅確定だった転生悪役、隠された才能で原作を蹂躙する 作:稲荷竜
物語は進む。
クサナギ大陸には大小さまざまな『大名』がおり、『魔境』から発した
『生きていける場所を欲した』。
それが
ゲーム
だが、ゲームの剣桜鬼譚は、あくまでもゲームだ。プレイヤーは国盗りをしに来ているので、そこまでのモチベーションは必要なかった。
しかし実際のクサナギ大陸に生きる桜たちには、本来、モチベーションが必要だった。
攻められればそれはもちろん守る必要がある。将来的なことを考えれば、どこか一つの家が大きくなった時のために、ある程度の勢力を確保しておく必要があるだろう。
しかし天下布武──『天下、すなわち大陸中に、武を布く』というのは、はっきり言ってしまえば、異常な行為だ。
人は己が安泰に暮らせれば、たいていはそこで満足する。
天下をとるほどの恐怖症を持つのは異常なのだ。たとえ、事実として、天下をどうにかしなければ安泰な暮らしが手に入らない場合でも、その天下の中で生きている人間の視点では、己の周囲が安泰ならば、『安泰だ』と思って止まってしまう。
そもそも、戦いというのは危険だし疲れるものだ。戦いなんかしなくていいならそれが一番いい。戦乱と呼ばれる世においても、戦いを好み、殺し合いに身を置き続けることを好み、それを理由に戦い続けたという者は、少数派ではないだろうか?
戦う必要性が最初にあり、その中で自分なりのモチベーションを見出す。必要性を理解して、その中で動機を探す。あるいは、くだらない動機による私怨のような侵攻をして成功したものの、私怨の相手が死ねば、モチベーションが尽きて、戦いをやめる。
戦いは『しない』のが『普通の状態』だ。多くの人間にとって──いわゆる『民衆』まで換算した人間という生き物にとっては、必要性もないのに争わないというのがデフォルトである。
だが、桜は止まらなかった。
周囲も止まらない桜を止めなかった。
全国統一など目指すのは異常者である。
北の果てから西の果てまで己の武を布こうというのは、労力とコスト、そこに加えて実際に消える命のことまで考えれば、通常、やらない。
ところが……
斬り合いを好む剣聖。
その剣聖に育て上げられ、主人公の行為をすべて肯定するトヨ。
兄を倒してもらった恩に殉じる、しかしてその内面はやはり戦いを好む、はる。
それら、主人公が最初に得た仲間たちは、誰も『争いを、もうやめよう』と述べる者がいなかった。
むしろ戦国乱世の中でも、特に争いを好む異常者たちが集っていた。
そして桜には、プレイヤー的なモチベーションがあった。
すなわち、『どこかにいるだろう、本物の
氷邑梅雪は倒した。四肢を切り落とし、放逐した。ゲーム剣桜鬼譚とは少々流れが違うものの、ゲームの通りの末路を辿った。
だが、桜はあくまでも『氷邑梅雪』の討伐を掲げている。
仲間たちはこれに何も言わなかった。広く兵に発布された軍事目標ではなかったというのもあるが、桜の持っている『空想上の氷邑梅雪』を暗に肯定したのだ。
どうでもよかった、とも言える。なぜなら、桜が止まらない限りは満足する戦闘狂どもだからだ。『戦わない』のがデフォルト、危険を遠ざけるのがスタンダードなヒトという生命体の中で、戦闘を好み、戦いを求める異常者どもは、『止まる』のに理由を求めても、『止まらない』のに理由は求めなかったのである。
侵略行為が始まった。
破竹の勢いで、発した。
まず桜の目標になったのは東方だった。
氷邑家を獲り、その東。
侍大将七星
そこから見て北東にあたるサイバネティック・ネオアヅチ。すでに『現実』で知っていた通りの方法で
北陸、軍神領。
巨大
東北。妖怪どもの土地。
南下。
巨人どもひしめく関東平野を蹂躙し、たぬきの里でひと時の毛玉まみれとなる。
さらに南下し、氷邑湾で海異の生き残りを倒したあと、帝都においてイタコの生き残りと遭遇。激闘の末これを討ち果たす。
魔境より、
氾濫の主人を倒す道を選んだ桜は、四天王を撃破しながら大橋を渡り、
激闘があった。
だが、制した。
……制してしまった。
氷邑梅雪は、どこにもいなかった。
北は宇宙の五稜郭から、南は九十九州の出島まで、すっかり制圧した。
封印されていた土地である死国さえ平定した。
本州の中には、たぬきの里三河ぽんぽこパークから平泉黄金郷まで、戦いによってはとれない土地さえ支配地域に置いてみせた。
天下が、我が物となってしまった。
氷邑梅雪は、どこにもいない。
桜は、人々の願いの果てにたどり着いてしまった。
他者の願いを背負ってどこまでも行く主人公は、ついに、行きついた。
数々の人の願いを背負い、叶えた。
だが、自分の願いだけは、叶わない。
これは一体、なんなのだろう?
これは氷邑梅雪の仕掛けた術式のはずだ。
彼が、桜を殺すために発動した道術のはずだ。
だというのに、彼が影も形もない。
まさか、あの弱弱しい、傲慢なだけで、傲慢さに実力がまったく追いついていない、かといって智謀を巡らせることもできず、利かん坊の子供みたいな、あの梅雪が、この世界における唯一の氷邑梅雪だったとでも言うのか?
それともこの世界は、単純に
まさか、出られないのか。
ここで、すべて終わったここで。平和になってしまったここで。梅雪のいないここで、死ぬまで安泰に生きていくしか、ないのか?
「いやだ……」
桜がこれまでできたのは、『反応』だけだった。
誰かがかけてくれた願いがある。だから、それに応え、どこまでも行く。
梅雪が向けてくれた本気の殺意がある。だから、それに応え、殺意を返す。
レスポンスしかできない存在。
空っぽな
その桜が、すべての願いを叶えて、殺意を向ける先を発見できずに惑って、初めて──
「──どうにか、しないと」
この時、ようやく、桜の願いは、彼女自身のものとなった。
彼女は己の願いがそこにあるのを知る。
彼女の願いの形は、
「寂しいのは、嫌だ」
無限に他者の願いを叶えるのは、それしか人とのかかわり方がわからないから。
本当に何もない者であれば、山奥で一人でいたって平気なはずだ。
けれど主人公は誰かと関わる。その精神性・生態に他者の入力に反応することが組み入れられている。
主人公とは、観測されない状況にいられないという脆弱性を抱えた生命体である。
だから、自分を観測してくれる『人間』がいない状況で、初めて、気付くことができる。
「私は誰かに見てて欲しい」
強烈な興味を持って見ていて欲しい。
視線が欲しい。その視線が自分を通り抜けて自分ではない場所に注がれたってかまわない。誰かの視線の通過する地点にいたい。自分を通して夢を見る誰かの存在がないことには、生存に耐えられない。
……桜には、知らないことがたくさんある。
たとえばこれが、氷邑梅雪の『中の人』の残留思念、ゲーム剣桜鬼譚という、その人が愛した世界を再現する、疑似的異世界転移術式であること。
たとえばこの異世界転移術式が、術者か呼ばれた者か、どちらかがゲーム内で死なないと終わらないデスゲームであること。
この術式で死ねば、ゲームの外で得たすべてのスキルが失われること。
……たとえば。
この術式の目的が──
「──ようやく、煽りがいのある顔になったではないか」
──氷邑梅雪が、心おきなく、呼んだ相手を殺すためだけのものであること。
この術式は氷邑梅雪の有利を保証しない。
梅雪に何かの強化がかかるわけではなく、召喚された者に何かの不利が強いられるわけではない。
もちろん、己のこだわりを詰め込みに詰め込んだ術式だ。知識というアドバンテージは当然、ある。しかし、その程度しかなく……
たとえばこんなふうに、ゲームの内容をすべて攻略し終えられてしまえば、その知識アドバンテージも活かしようがなくなる。
すべてが遠ざけられた氷邑家屋敷の中庭。
一人、嘆く桜のところに現れる
四肢のある氷邑梅雪。
桜の切望した、本物の梅雪。
なぜ、今現れたのか?
桜にとっては、どうでもいい。
だが、もちろん、梅雪にとっては、ここで現れる理由と、ここまで現れなかった理由がある。
それは、
「少しだけ話をしてやろう。俺は、何人もの目障りなゴミどもを討ち果たすうち、気付いたことがある。それは──自分のために生きていないやつは、煽っても面白くない、ということだ」
強烈な自我を持つ者。強烈なこだわりを持つ者。
たとえば
煽っていて楽しかった。言葉に対して返ってくるリアクションは、打てば響くようだった。
だが……
自分のために生きていない者。
たとえば剣聖シンコウ。たとえば、熚永
煽りがいがなかった。
自我は強かったのだろう。特にシンコウなどは邪悪な自我の塊だった。
だが、それでもなお、どこか『個人の目的』を逸脱した目的を持つ者。人生すべてを『それ一つ』に懸けているわけではない者。
ヨイチなどはあくまでも『家のため』『家臣のため』だった。だからこそ、屈辱を味わわせるのが難しかった。
シンコウは神を斬るという目的があったらしい。だがそれは、あいつの目的のうち一つでしかなかった。あいつは
「今、ここに、俺がいる」
梅雪は刀を抜く。
桜も、嬉しそうに、刀を抜いた。
「今、貴様の目の前に、俺がいる」
梅雪は左手に、道術で刀を一つ造った。
二刀流。
桜は八相の構えをとった。
「だというのに、死の寸前、俺から視線を外す。『今、ここにある戦い』に全力を傾けていない──精神に言い訳の余地を残している相手、誠につまらん」
だから梅雪の目的は、
「俺を見ろ。俺だけを見ろ」
すべての人の悪感情、心に秘めた文句、あるいは罵倒、嘲笑。
それらが全部、自分に向いていたと思っていた幼少時代があった。
肥大した自意識が、すべての人の興味・関心が自分に向いていると思わせていた。
誰にだってある、思春期特有のことだ。人は、そんなに、自分に注目していないと学ぶまで襲われる精神不安。常に誰かに見られていて、自分のほんの些細な失敗は永遠に人の中で噂されるし、自分がほんの少し頑張ったなと思うことは、当然、他の誰かも認識している──そう思ってしまう、幻想。
まったく正しくない。大抵の場合、人生の中で、『自分が思うほど、人は自分に注目していない』ということを学ぶ。
だが。
現実はそうだと学んだところで、それとは別に、『心』がある。
注目されたい。
自分だけを見ていてほしい。
承認欲求が人にはある。
もちろん、いつでも、誰にでも承認して欲しいというわけではないが……
「殺し合いの終わりに、『ここで負けたけど、でも、満たされているな』とかいう、クソふざけた逃避をすること、絶対に許さん。勝者を見ろ。砂を噛み、苦い肝を舐め、己の失敗を悔いて、己が選択を間違えたことを悟りながら、力いっぱい悔しがって、死んでいけ。俺との勝負の結果以外、末期の脳に必要ない」
心おきなく相手を殺す。
煽りソムリエはついに天然ものの『煽って楽しい相手』を味わうだけでは飽き足らず、自ら煽って楽しい相手を生み出す料理に着手した。
その調理工程こそが、剣桜鬼譚・異聞。
弱火であぶり続けられた主人公は──
──他者の願いを叶えるだけの、空っぽな生き物は。
入力されなければ表情さえ浮かべることのできない、自我のない生き物は。
「逢いたかったよ、梅雪」
全身全霊で氷邑梅雪の殺害を望む、煽って楽しい相手に仕上がった。
氷邑梅雪は仕上がりに満足して、笑う。
「よくぞ仕上がった。──では、殺してやるぞ、主人公ォ!」
桜と梅雪が、引き合うように間合いを詰めた。
剣桜鬼譚・異聞。
主人公と悪役令息が、ついに殺し合いを始めた。