悪役天才道術士の憤怒 破滅確定だった転生悪役、隠された才能で原作を蹂躙する 作:稲荷竜
月内完結予定。
刃が相手の命に届く時、『滑り込む』ような感触がある。
流派にもよるだろう。たとえば氷邑
一方で
『盾の氷邑』の剣術と、『弱者が強者を斬るため』の剣術。
奇しくも梅雪が学んだ剣術は両方とも防御から始まるものであった。
だからこそ、相手を殺すのは『結果』にしか過ぎない。
殺すためにアクションを起こすのではなく、殺されないためにリアクションを起こした果てに、相手の命の終焉がある。
梅雪の知らぬ世の中の術理もまた、恐らくはそのようなものなのであろう。
攻撃は、素人にでもできる──もちろん、玄人の方が質のいい攻撃ができるのは当たり前としても、どんな素人でも、素手で、剣で、『どう攻撃すればいいかわからない』というようなことは、まず起こりえない。
剣を持てば刃の部分を相手に向けて振る、突くなどの用途がなんとなくわかる。
素手であれば拳を握ってそれを打ち付ける、というのがなんとなくわかる。
一方で、術理を学ばないと、防御というのは、わかりにくい。
素手と素手の場合は、相手の拳なり足なりを払ったり、受け止めたりといったことがなんとなくわかるだろう。
剣でも、振られる方向がわかれば、受け止めることは想像がつくだろう。
素人と素人の戦いの場合、膂力やそれに伴う速度の方が技術より重要であり、先に手を出した方がそのまま勢いで勝つことはままある。
だが、たとえば素手の場合、相手が少しかじっている場合、蹴りをどうさばけばいいのか。膝蹴りは? 投げは? 関節技、締め技は? 腰を低くして遠・中距離から繰り出されるタックルにはどう対処すればいい? こかされたあと、マウントをとられたあと、どうすれば抜けられる? ……技術が、知識が、必要だ。
剣でも、『上段から振り下ろされた剣が、上から下に向けて進み、脳天に当たる。だから、剣を横にして、頭の上で備えていれば当たらない』──なんて単純なことは、玄人相手では起こりえない。
踏み込みながら上段から振られた剣というのは、その後に脳天狙いの一撃にもできるし、相手が防御のために上げた剣をすり抜けながら額を擦り割るような突きにもできる。
また、玄人はそもそも『上から振り下ろしますよ』とか、『頭を狙って蹴りますよ』とか、そういうのがわかるような動作から攻撃を放ってこない。
空手などでもそうだ。型としての上段回し蹴りは『蹴る足を後ろに残して踏み込み、上半身を捻りながら足を持ち上げ、上半身を戻す反動を利用しながら、足の甲やつま先で相手の頭を横から蹴る』というようなものになる。
だが実戦において、すべての蹴りは『膝を前に出す』というところから始動する。そこから下段、中段、左足の場合は三日月蹴り、前蹴り、前蹴りでも顎、鳩尾、金的、もちろん上段の回し蹴り、内回し蹴り、上段蹴りと見せかけて途中で中・下段へ蹴り下ろす蹴り、間合いによっては膝蹴りなど、実に多様に変化する。
予備動作でその後どこにどういう攻撃が来るか読まれるような『
だからこそ、技術がいる。
氷邑一刀流でまず教わるのは『剣の回し方』──槍の技術を元にしたこの流派は、自分の前に『ある』と仮定する円錐の中に相手の剣を入れないため、侵入してきた相手の剣を外回しで絡め弾く、内回しで絡め落とすといった技術を毎日訓練する。
達人ともなれば剣を振ることがなくなると言われる氷邑一刀流において、『外回し受け』『内回し受け』そして『突き』。この三要素が重要であり、突きよりも二種の受けをより多く鍛錬することとなる。
一方で愛神光流の受けは、『相手より刃が長い刀、かつ相手とそう変わらない膂力を持つ剣士の流派』という前提がないぶん、受けの修業はより厳しく、そしてより高い精度を求められる。
基礎が奇襲対応の抜刀術なのは、『相手は必ずこちらよりとんでもない格上の身体能力の持ち主なので、相手の攻撃はすべて奇襲同然である』という前提に基づいたものだ。
その抜刀術で見られるのは抜きの速さや鞘を引く技術よりも、体捌きによる相手の攻撃の回避と、そこからの抜刀によるカウンターの技術である。
まず膂力でこちらが劣る前提で考えられているので、『相手の剣を受ける』という選択肢は愛神光流には存在しない。
受けるのは『剣で相手の剣に触れて、その勢いを吸収する』という段階であり、これはただ体捌きで相手の攻撃を避けるよりも上位の技術とされている。
梅雪は、愛神光流においては正規の指導を受けたわけではない。
その技術はほとんどすべて、剣聖を見て覚えたものである。
だがたとえ正規の指導を受けたとして、一発ですべての技術を完全に修得できたかと言われると、うなずき難い。実戦において『相手の剣にこちらの剣をぶつけて受ける』のではなく、『そっと、相手の剣に触れる』ということをしなければならない愛神光流の受けには、どうしたって実戦経験による錬磨が必要になる。
だからこそ梅雪には武者修行が必要となった。『つい、体がこわばるような、格上との殺し合いの中でさえ、平常心を保つ』というぐらいに肚を鍛え上げるには、それしか方法がなかったのだ。
そうして極まった防御の技術。
異世界を喰らって上がった身体能力。最期の最後、これでダメならば命が吹き消される──そう思っている相手の放つ必死にして必殺の一撃。
それが自分の命に滑り込んでくる感触を、覚える。
修めた防御技術が『幾重にも重ねられた薄い壁』だとすれば、それが一枚一枚、ぶつりぶつりと斬り裂かれているような感覚だった。
(技術、才能──)
氷邑梅雪は『見ただけ』で流派を極めた天才である。
だが、『主人公』
互いに極まった身体能力で振るわれる熟達の技術の応酬は、見た目には単純で、しかし、複雑怪奇な迷路を抜けるようなものだった。
相手の選択に対し、こちらも最良の選択を返す。それは『攻防』という単位ではない。たった
時間の感覚が、遅くなっていた。
思考が梅雪でさえ未踏の速度に達している。
(──経験。こちらがやや有利。だが、付きっ切りの指導、内弟子として過ごした時間は、桜の中に、俺の知らぬ『何か』を確かに育んでいる)
桜は最後の一撃を、彼女得意の袈裟懸けとしていた。
梅雪は必殺の一撃を、両刃の大剣と化した
梅雪が斬り上げを選んだのは、相手が袈裟懸けで来るとわかっていたからだ。
今の膂力であれば、桜が必殺を企図して放った袈裟懸けを剣で受け、弾き返すことができる。仮にこちらの剣が相手よりやや遅かった場合でも立て直しが利くと、そういう判断で右側からの斬り上げを選んだ。
桜の袈裟懸けは速い。梅雪の首に迫っている。
だが斬り上げを選んだ梅雪は、踏み込みの角度と深さによっては、剣を上げる動きで桜の袈裟懸けをすかすことも可能。低く踏み込んだのが功を奏し、伸びあがるように体をやや左斜め上へと運べば、桜の袈裟懸けの軌道の外側に入り込んで、こちらの剣だけ桜の股から右肩まで裂くことが可能。
しかし、桜の一撃が、想定より速い。
(一点、見誤った)
桜はすでに不死ではない。
あの神威量、残り一撃で死ぬ。
そして桜は、この
よしんば剣聖の末期の様子を見て予想できていたとしても、その予想は命を懸けるにはあまりにも細いであろう。
桜はしっかりと、理解し、覚悟している。
ここでの死が、本当の死だと理解し──誤解し──覚悟している。それが、梅雪から見れば、わかる。
だが、桜の最後の一撃、完全に捨て身であった。
ここから先などない。ここより後ろもない。
ただ前へ前へ進み、相手を全力で斬る。外した場合のことなどまったく考えない。桜の一撃には、死を賭す覚悟が、当たり前のようにあった。
梅雪はだから読み違えた。
命の危機を前にすれば、『主人公』にも恐れの一つぐらい生まれるものと、誤解していた。
(俺はやはり、『まとも』だなァ。本物の悪鬼羅刹どもの思考、やはり理解及ばん)
桜の袈裟懸けが、梅雪の左鎖骨と首の間に吸い込まれようとしている。
対する梅雪の剣は未だ地を這うような位置にあり、振り上げは到底間に合わない。
敗北がよぎる。
だから梅雪は笑い──
──予定していたプランのうち、もっとも渡りたくない橋を渡る覚悟をした。
(俺はまともな弱者だ。だから、考える)
膝を抜く。
自由落下の速度は桜の剣の速度より遅い。……それが自然の摂理。だが、梅雪はこの落下速度を無理矢理に速め、桜の袈裟懸けの下をくぐる。
額を地面につけるように。剣の重さに負けるかのように。両膝を畳み、つま先と膝で地面を擦るように。
その姿勢は土下座だった。
梅雪がこだわり続け、相手にさせることで悦びを覚える姿勢──
──桜の剣が頭上すれすれを通過し、地面へ吸い込まれたのが横目で見えた。
梅雪は脚に力を籠め、跳び上がる。
地を這う蛇が鳥を喰らうがごとく、下から上へ、剣を跳ね上げる。
それは桜を股下から斬り裂き、脳天まで一直線に真っ二つにした。
「何もかもを捨てて一撃に懸ける。──だから貴様は、弱者にわかなのだ」
「……」
「真の弱者は『全力でこれ一つにすべてを懸ける』などと、発想さえできん。それが失敗するイメージを、ただ生きているだけで刷り込まれるゆえにな。……貴様は強者だったよ。だから、貴様は──」
世界が崩れる。
花弁が散り、舞うように、剣桜鬼譚・異聞のテクスチャが剥がれ、『現実』が隙間から顔を出す。
完全に剣桜鬼譚・異聞が崩れ去る、その前に……
梅雪は桜を見下し、鼻で嗤った。
「──だから貴様は、負けたのだ。
ゲームが終わる。
悪役令息対主人公──
──悪役令息の勝利。